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'''スウェーデン王国'''(スウェーデンおうこく、[[スウェーデン語]]: {{Audio|Sv-Konungariket Sverige.ogg|''Konungariket Sverige''}})、通称'''スウェーデン'''は、[[北ヨーロッパ]]の[[スカンディナヴィア半島]]に位置する[[立憲君主制]][[国家]]。首都は[[ストックホルム]]。西に[[ノルウェー]]、北東に[[フィンランド]]と[[国境]]を接し、南西に[[カテガット海峡]]を挟んで[[デンマーク]]と近接する。東から南には[[バルト海]]が存在し、対岸の[[ロシア]]や[[ドイツ]]との関わりが深い。法定最低賃金は存在しておらず<ref>西村純 「スウェーデンの労使関係─企業レベルの賃金交渉の分析から」 日本労働研究雑誌 2011年特別号(No.607) 73頁</ref>、スウェーデン国外の大企業や[[機関投資家]]に経済を左右されている。
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'''スウェーデン王国'''(スウェーデンおうこく、[[スウェーデン語]]: ''Konungariket Sverige'')、通称'''スウェーデン'''
 
 
== 概要 ==
 
現王家は[[ベルナドッテ王朝|ベルナドッテ家]]。興家より半世紀ほど後の[[大不況]]で[[アメリカ合衆国]]へ[[:en:Swedish emigration to the United States|人口が流出]]した。それから[[リクスバンク#唯一の発券銀行へ|手形交換制度]]ができたり、[[ノーベル賞]]が創設されたり、[[第一次世界大戦]]の情報戦に参加したりして、国家戦略を現代化させた。歴代国王は王位につく際に、自分の統治について所信表明する習慣になっている<ref group="註">現国王[[カール16世グスタフ (スウェーデン王)|カール16世グスタフ]]のモットーは「{{Lang|sv|För Sverige i tiden}}(スウェーデンのために、時代と共に)」であり、国の標語にもなっている。</ref>。
 
 
 
スウェーデンの経済は近代から、[[ノーベル財団]]の理事を輩出する[[ヴァレンベリ家]]が支えてきたといわれている。[[トールステン・ノルデンフェルト]]や[[ボリス・ハーゲリン]]は多国籍軍事産業を開拓した。[[戦間期]]には[[イーヴァル・クルーガー]]の金融帝国が台頭して積極的に[[外資]]を導入した。そして、スウェーデン系のエドワード・レフラーが[[ボストン]]で最初の[[ミューチュアル・ファンド]]を開発した。戦後、[[フォルケ・ベルナドッテ]]が射殺され、[[ペール・ヤコブソン]]が[[ヨーロッパ支払同盟]]の構想へ意見した。[[アルバ・ライマル・ミュルダール]]が[[ノルディックモデル]]を推進したので、スウェーデンは政治家にまで厚い高負担高福祉国家となった。しかし[[オイルショック]]で財政難に陥り、政治と経済がバブル崩壊の手前から機関化した。スウェーデンは中立を放棄して[[欧州連合]]に加盟した。
 
 
 
2003年、スウェーデンは[[ユーロ]]導入を否決した。[[世界幸福地図]]では世界178ヵ国で第7位(2006年)、[[世界価値観調査]]での幸福度(Happiness)はアイスランド、デンマークに次いで第3位(2005年)であった<ref>{{Cite web|publisher=NationMaster |title=Lifestyle > Happiness net: Countries Compared | url=http://www.nationmaster.com/country-info/stats/Lifestyle/Happiness-net |accessdate=2015-06-01}}</ref>。外国[[機関投資家]]の演出した幸福は[[世界金融危機]]で崩れ去り、スウェーデンはデンマーク・アイスランドのように高い失業率を記録した。1998年[[BAEシステムズ]]が[[インベストール]]から35%を譲り受けて[[SAAB]]の筆頭株主となったが<ref>Professor Janne Haaland Matlary and Professor Øyvind Østerud, ''Denationalisation of Defence: Convergence and Diversity'', Ashgate Publishing, Ltd., 2013, pp.151-2.</ref>、2005年1月に売却して支配率を22%に下げた<ref>''Hoover's Handbook of World Business'', Reference Press, 2011, p.58.</ref>。2011年末[[サーブ・オートモービル]]が破産した。同社はスウェーデン政府からの公的支援を拒否されていた。
 
 
 
現在のスウェーデン経済では電力会社[[バッテンフォール]]の躍進が目立つ。家計の総額に近い外資がスウェーデンを支えており<ref>{{Cite report|publisher=経済産業研究所 |url=http://www.rieti.go.jp/jp/publications/dp/13j032.pdf |title=スウェーデンの財政再建の教訓 |date=2013-05 |pages=16,35 }} 35ページの資料番号は誤記。図表22および図表23は、それぞれ図表27と図表28</ref>、その労働人口に対する[[公務員]]の比率が[[フランス]]を超えて28.3%に達する<ref>OECD Government at a Glance 2009</ref>。
 
 
 
関連する記事については[[スウェーデン関係記事の一覧]]を参照。
 
 
 
== 国名 ==
 
正式名称は'''{{Lang|sv|Konungariket Sverige}}'''(コーヌンガリーケト・スヴェリエ)。通称'''{{Lang|sv|Sverige}}'''。形容詞は{{Lang|sv|svensk}}(スヴェンスク)。 スウェーデン語ではSverige(スヴェーリエ)といい、[[スウェーデン人|スヴェーア族]]の国を意味する。英語表記はSweden、国民はSwede、形容詞はSwedish。
 
 
 
日本語の表記は'''スウェーデン王国'''。通称'''スウェーデン'''。他に'''スエーデン'''、'''スェーデン'''という表記もされる。[[国名の漢字表記一覧|漢字による当て字]]は「'''瑞典'''」。[[スイス]]の当て字は「瑞西」で、いずれも「'''瑞'''」と略されるが、これらの漢字名は一般に余り用いられないため混乱を生むことは少ない。なお、特にスイスと区別する場合はスウェーデンを「'''典'''」<ref>[[1926年]][[7月11日]]付の[[東京朝日新聞]]記事([http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/ContentViewServlet?METAID=10004031&TYPE=HTML_FILE&POS=1&LANG=JA 神戸大学電子図書館システム])では「日典通商条約」「日瑞居住通商条約」の使用例が確認可能である。</ref>、スイスを「瑞」と略する<ref group="註">「西」はスペイン(西斑牙)の略字として現在も広く使用されている。</ref>。
 
 
 
== 歴史 ==
 
{{Main|スウェーデンの歴史}}
 
古代はスウェーデン・[[ヴァイキング]](ヴァリャーグ)として主に[[東方]]で活動した。ヨーロッパ文化や[[キリスト教]]も受容し、13世紀頃にはフォルクンガ朝が現在の[[フィンランド]]を含む地域を統一。1397年にデンマーク・ノルウェーと[[カルマル同盟]]を結び[[同君連合]]となる。
 
 
 
=== バルト帝国 ===
 
[[File:Swedish Empire (1560-1815) en2.png|thumb|[[バルト帝国]]の版図]]
 
[[1523年]]、カルマル同盟から離脱し[[王政]]となる([[ヴァーサ朝]])。16世紀の[[宗教改革]]では[[プロテスタント]]を受容し、[[バルト海]]地域へ進出する。17世紀に[[グスタフ2世アドルフ (スウェーデン王)|グスタフ2世アドルフ]](獅子王)の時代に[[バルト帝国]]を建国する。[[新大陸]]にも[[植民地]]を築き、王国は最盛期を迎える。[[三十年戦争]]に参加したり、1634年に[[フーゴー・グローティウス]]を駐仏大使として活躍させたりして、[[オランダ]]へ急接近し国際的地位を築いた。1654年に[[プファルツ王朝|プファルツ朝]]に王朝替えするもバルト帝国を維持。しかし18世紀初頭に[[カール12世 (スウェーデン王)|カール12世]]はバルト海の[[覇権]]を争い、[[ピョートル1世]]の時代の[[ロシア帝国]]との[[大北方戦争]]で敗れ、沿岸の領土を失い一時没落する。18世紀後半に[[ホルシュタイン=ゴットルプ王朝|ホルシュタイン=ゴットルプ朝]]の[[グスタフ3世 (スウェーデン王)|グスタフ3世]]が中興させるも、[[ナポレオン戦争]]に伴う[[第二次ロシア・スウェーデン戦争]]の敗北により、フィンランドを失った。
 
 
 
=== ベルナドッテ ===
 
1809年の革命で[[立憲君主制]]が成立、1814年に[[キール条約]]でノルウェーを併合、1818年より[[フランス]]人ベルナドット元帥([[カール14世ヨハン (スウェーデン王)|カール14世ヨハン]])が国王に即位し[[ベルナドッテ朝]]が始まる。身分制的・封建制的秩序の解体が進みだした。[[ウィーン体制]]ではノルウェーと[[同君連合]](1814年 - 1905年)を結ぶが、[[スウェーデン=ノルウェー]]は1905年に分離した。19世紀半ばにスウェーデン王の推奨した[[汎スカンディナヴィア主義]]が頓挫し、[[北ヨーロッパ|北欧]]は小国分立に向かった。スウェーデンでは1866年に身分制議会が廃止され、政治が[[シティ・オブ・ロンドン|シティ]]のように経済力で支配されるようになった。世紀後半の[[大不況]]にアメリカへ人口が流出した。国内では、自由教会運動、禁酒運動、社会民主主義労働運動などがおこった。1914年からの[[第一次世界大戦]]では中立であったが、[[ドイツ帝国]]が[[ワシントン|アメリカ合衆国]]へ送る外交電文をストックホルム経由で再[[暗号]]化してやったり、それをイギリスから非難されてからも[[ブエノスアイレス]]のスウェーデン大使館を経由させたりして、結果的には逆に英国がドイツの外交電文を解読する機会をつくった。戦後の首相二人([[:en:Gerhard Louis De Geer|Gerhard Louis De Geer]] and[[:en:Oscar von Sydow|Oscar von Sydow]])が金解禁をやろうとして戦後不況にデフレ政策で臨んだ。
 
 
 
=== マッチ帝国 ===
 
無謀な緊縮政策に踏み切らせたのはストックホルム証券取引所の活況であった。新株発行に必要な銀行からの借入れ資本は、1918年末にスウェーデン全商業銀行による貸付の43%(18億クローナ)に達した。上場株式の総額は1917年で40億クローナにものぼり、このころの出来高は1980年まで史上最高であったといわれる。[[イーヴァル・クルーガー]]は[[スベンスカ・ハンデルスバンケン]]のコンソーシアムから6千万クローネを借り入れ、1920年夏に集中して国外投資を遂行した。競争相手を買収したり、相手が分からないときは借款を提供して政府保証のマッチ専売権を獲得した。戦後不況の財務悪化を[[粉飾決算]]でごまかしながら、1922年[[ボストン]]旧家のリー・ヒギンソン商会([[:en:Lee, Higginson & Co.|Lee, Higginson & Co.]])の援助で新株を発行した。1923年に国際マッチ会社(IMCO)を設立、はりぼてのマッチ帝国ができあがった。毎年、無理をして配当を支払った。1925-8年に株価は上昇をつづけ、[[世界恐慌]]で下落した。マッチ帝国は、もっと拡大すれば公的資金の注入を期待できると考えたかもしれない。1929年にボリデン([[:en:Boliden AB|Boliden AB]])を、翌1930年には[[エリクソン]]を買収した。しかし[[アセア]]のような基幹産業やヴァレンベリ家の国際金融網とは関わりがもてなかった。1932年2月23日、[[リクスバンク]]とハンデルスから借款を受けようと交渉した。銀行は財務情報なくして融資はできないと断った。3月にクルーガーは死んだ。ヴァレンベリ家も参加する調査委員会が[[プライスウォーターハウスクーパース|プライスウォーターハウス]]を招き、背信的な粉飾をあぶりだした。2月の借款交渉でクルーガーから寄付を受け取っていた首相([[:en:Carl Gustaf Ekman|Carl Gustaf Ekman]])は、その他の問題でも追及され8月に辞めた。<ref>大野文子 『スウェーデン近代会計の動向』 白桃書房 2004年 第5章</ref>
 
 
 
=== 社民党政権 ===
 
1932年に[[スウェーデン社会民主労働党]](社民党)政権となった。[[武装中立]]政策を取り、[[第一次世界大戦]]、[[第二次世界大戦]]の両大戦にも参加していないが、両大戦とも[[義勇軍]]を組織していた。特に第二次大戦では、[[ナチスドイツ]]など[[枢軸国]]と[[連合国]]の両方に様々な便宜を図ったことが中立違反として、戦中も戦後も国内外から批判を浴びている。ただし、当時は連合国も枢軸国も[[国際法]]を守っていなかったうえ、両陣営がそれぞれ優勢な時期でも[[宣戦布告]]や領土内への侵攻を許さなかったことは事実である。ことにデンマーク、ノルウェー、フィンランド人の反[[国家社会主義ドイツ労働者党|ナチス]]・[[レジスタンス運動|レジスタンス]]や[[ユダヤ人]]を保護したことは、人道に重きを置いた決定と言える。また[[大日本帝国]]政府の終戦の事前交渉も行なっている。1940年代後半から1950年代にかけてスウェーデンは、[[イタリア]]、[[ユーゴスラビア]]、[[ギリシャ]]、[[トルコ]]などから、労働力不足を補うために労働者を受け入れた<ref>手塚和彰 『外国人労働者研究』 信山社 2004年 31頁</ref><ref name=murai>村井誠人 『スウェーデンを知るための60章』 明石書店 2009年 40章 スウェーデンの移民政策</ref><ref group=註>1947年、スウェーデンは[[国民識別番号|個人識別番号]]を導入した。</ref>。
 
 
 
東西[[冷戦]]中は[[ノルディックバランス]]を構築し、アメリカ寄りの政策と[[中立主義]]政策を行き来した。内政では社民党が[[ブレトンウッズ協定]]の1944年から所得比例の公的付加年金の創設を主張していたが、1959年5月14日夕刻たった1票差で社民党政府の法案が通った。日本では[[国民年金法]]が制定され、アメリカでは企業年金が大成長したような時代だった。一方では1947年に投資準備金関連法(1938年制定)を改正、恒久化した。この投資準備金制度は、好況期に税控除前の利益の一部を積み立てさせ、不況期に労働市場庁の承認や命令で有効利用させるものである。1955年に設定対象を林業へ拡大した。1960-61年にはデフレ政策として企業の投資準備金を全額リクスバンクに凍結預金させた<ref>大野文子 『スウェーデン近代会計の動向』 白桃書房 2004年 第7章</ref>。スウェーデンは対外投資を増大させた<ref>藤井正夫 『多国籍企業と発展途上国』 アジア経済研究所 1975年 166頁</ref>。
 
 
 
戦後17年間、エステン・ウンデン([[:en:Östen Undén|Östen Undén]])がスウェーデン外相をつとめあげた結果どうなったか。1953年に北欧共通労働市場協定を締結したが、1950年代後半から移民が大量に入ってきて、1960年代後半にピークを迎えた。約2/3が[[フィンランド]]系であり、定住を前提に共生をめざし、定住外国人に地方参政権を与えるなどの政策がとられた<ref name=murai />。これは1974年の地方自治法制定につながってゆく。一方では、ウンデン計画の通り軍縮が進んだ。スウェーデン軍事産業の収益は減少した。こうしてアメリカの軍産複合体と国際市場縮小の痛みを分かち合いながら、[[ノーベル経済学賞]]を創設して財テクも共有するようになった。政治資金の在り方も変わった。1965年に公庫補助制度が導入されたのである。これは1957年[[プエルトリコ]]が先鞭をつけた国庫補助制度である。スウェーデンの場合は使途を指定されず、議席数に比例して与えられ、1969年にはコミューンレベルでも導入された<ref>岡沢憲芙 『スウェーデン現代政治』 東京大学出版会 1988年 219-227頁</ref>。
 
 
 
=== 石油ショック ===
 
非産油国のスウェーデンは[[オイルショック]]の直撃を受けた。スウェーデン人はイーヴァル・クルーガーを研究するようになった。これに学んでオーバーローンは抑えられたかもしれない。エドワード・レフラーに対する研究蓄積の程度は定かでないが、隆盛している[[投信]]業界にメスを入れるのは難しかったはずであり、その強く出られないあたりが[[2010年欧州ソブリン危機|ユーロ危機]]で金融派生商品項目の赤字を計上する原因なのであろう。スウェーデンは1973年に外国人労働者の受入をやめた。同年に[[デンマーク]]が[[欧州連合]]に加盟して、北欧諸国の税制論議をリードするようになった。政党に対する国庫補助が増額されてゆき、政権交代が常態化する環境が生まれた。1977年、造船業が国有化された([[:sv:Svenska Varv|Svenska Varv]])。1978年、鉄鋼業が統合された([[:en:SSAB|SSAB]])。スウェーデンがオイルショックで負った後遺症は、1980年100万人規模の労働争議に現れた。同年6月の国会決議で、2010年までに原発を全廃することになった。1982年から[[オロフ・パルメ]]首相がスウェーデン経済を改革してゆき、SSABの採算性を確保するとともに、社会サービス法を制定した<ref>禁酒法、社会扶助法、児童福祉法、幼児保育法の4法を統合して作られたもので、スウェーデンの高齢者福祉と医療に関する基本法</ref>。1984年、勤労者基金制度が導入された(1990年廃止)。1985年、金利が自由化し、貸出量規制が廃止された。税制改革としてアメリカの改革法案(1986年に成立)が徹底的に調査された。スウェーデンは混乱を極めた。
 
 
 
同1985年1月、50人超の連盟による嘆願書が司法長官マグヌス・ショーベリ(Magnus Sjöberg)に送られた。医師と警察が市民の頭部に送信機を[[インプラント]]することが合法かどうかについて回答を求めるものであった。司法長官は3ヵ月後、書簡をストックホルム地方検事へ送った。検事が司法長官に代わり、合法であると主張した。<ref>公文書 Claes Zeime, Johnny Jarlefelt OAAD2/76/85 1985/5/15</ref><ref>Leonard Roy Frank, Judi Chamberlin, Howie the Harp, Sally Zinman, David Oaks, ''Madness Network News Volume 7: A Journal of the Psychiatric Survivor Movement'', MNN Redux, [https://books.google.co.jp/books?id=c34gBQAAQBAJ&pg=PA217&dq=implant+sweden+Magnus+Sj%C3%B6berg&hl=ja&sa=X&redir_esc=y#v=onepage&q=implant%20sweden%20Magnus%20Sj%C3%B6berg&f=false p.217.]</ref><ref>CYBERGODS, [http://www.lambros.name/CYBERGODS.pdf p.13.]</ref>
 
 
 
=== 金融植民地 ===
 
首相の暗殺された1986年、スウェーデン政府が株式取引税を1%から2%に増額した。すると[[ビッグバン (金融市場)|ビッグバン]]と[[マイケル・ミルケン]]の乱舞する中、イギリスとアメリカの証券市場でスウェーデン株の取引量が急増した。こうしてスウェーデン経済は[[機関投資家|機関化]]しだした。個人向けのファイナンス・カンパニーから[[シャドー・バンキング・システム]]が成長した<ref>Caroline Cerruti and Ruth Neyens, ''Public Asset Management Companies: A Toolkit'', World Bank Publications, 2016, "In 1983 liquidity quotas for banks were abolished, and in 1985 caps for interest rates and limits to credit growth for banks were eliminated. This led to the growth of an unregulated shadow banking system in the form of finance companies. These firms relied heavily on the banking system for funding, to serve primarily commercial real estate markets and private consumption."</ref>。国内株を引き止めようと[[公開市場操作]]を導入し買いオペ。1987年、株価の上昇が止まった<ref>Philippe Moore, ''The 1992 guide to European equity markets'', Euromoney Publications, 1992, "After making consistent advances throughout the 1980s - with the inevitable exception of 1987 - the Swedish market slumped by 30% in 1990, making it the worst year in the Exchange's history."</ref>。そこで1988年に[[公開買付]]制度を導入したが、それはセカンダリー・バンキング時代のシティ・コード([[:en:City Code on Takeovers and Mergers|City Code on Takeovers and Mergers]])を模したものであった<ref>浜田道代 「国際的な株式公開買付けを巡る法的問題」 証券研究102巻 1992年8月</ref>。株価は再上昇、スウェーデンの脱原発路線は機関化により後退していった。1989-90年をピークにスウェーデンの株価と地価は急落した。1990年1月29日から3週間にわたり、全国の[[銀行]]が[[ロックアウト]]した。[[現金自動預け払い機]]も停止。このときは[[ストックホルム・アーランダ空港]]の外貨両替所も閉鎖となった。10-11月、[[不動産担保証券]](MBS)が発行された<ref>Charles A. Stone, Anne Zissu, Jess Lederman, ''The Global Asset Backed Securities Market: Structuring, Managing, and Allocating Risk'', Probus Publishing Company, 1993, "In November 1990, the first mortgage-backed security issued by a continental European mortgage lender was launched by the Swedish mortgage institution, Svensk Fastighetskredit"</ref><ref>Jess Lederman, ''The Secondary mortgage market: strategies for surviving & thriving in today's challenging markets'', Probus Pub. Co., 1992, p.332. "SWEDEN JUMPS TO MBS MARKETS Sweden became the first county in continental Europe to issue a mortgage-backed security when Skandinaviska Enskilda Banken issued a $159.5 million security in October 1990."</ref>。1991年1月、新しい税法が実施された。法定法人税率は30%に引き下げられたが、しかし課税ベースが大幅拡大し、結果として長年つづいた投資準備金制度が廃止された。1992年末で住宅ローンを中心に国内銀行の抱える不良債権は1332億クローナにのぼった。[[セキュラム]]が設立されて、[[証券化]]の時代が到来した。セキュラムは政府当局に対する[[マッキンゼー・アンド・カンパニー]]の提案に従った([[:en:Justin Jenk|Justin Jenk]])。1992年のエーデル改革([[:sv:Ädelreformen|Ädelreformen]])が社会サービス法を修正、高齢者に対する保健医療サービスについてはコミューンへ権限委譲を進め、高齢者介護サービスの実施をコミューンへ一元化した。累積する[[地方債]]を国内外の機関投資家が消化することになった。1995年スウェーデンは、同じく中立国である[[オーストリア]]、フィンランドとともに[[欧州連合]] (EU) に加盟し、中立主義を放棄した。そして法人税率は25%になった。
 
 
 
2000年には、地方財政の予算原則として新たに均衡予算原則が地方自治法に盛り込まれ、赤字決算となったら三年以内に解消することが求められるようになった。2001年に社会サービス法を全面改正し、利用者負担に上限額を設定するとともに、利用者負担額を支払った後利用者の手元に残る額の下限額を設定した。2002年7月から全国一律に適用された。教育の充実もあいまって、コミュンインベスト([[:sv:Kommuninvest|Kommuninvest]])などにスウェーデンの地方財政は機関化されていった。地方債の発行残高は2003年に1775億9千万クローネとなった。2001年10月、[[イタリア]]で[[リナーテ空港事故]]。2003年6月、スウェーデンは[[ユーロ]]導入を否決した。国一つ分しかない[[マネーサプライ]]が内外から需要され、スウェーデンは高金利不況でキャッシュレス化していった。同2003年、大手保険会社スカンディア([[:en:Skandia|Skandia]])が北米事業を[[プルデンシャル・ファイナンシャル]]に売却した。2004年、フィンランドに[[サンポコンツェルン]]が設立された。
 
 
 
== 政治 ==
 
{{See also|北欧の政治#スウェーデンの政治|政府 (スウェーデン)}}
 
[[File:Riksdagen June 2011.jpg|thumb|300px|[[リクスダーゲン]]]]
 
 
 
[[政体]]は[[立憲君主制]]。国家[[元首]]である[[スウェーデン国王|国王]]は、国家の[[象徴]]であり、儀礼的職務のみを行う。
 
{{See also|スウェーデン君主一覧}}
 
 
 
スウェーデンの[[立法府|立法機関]]たる[[議会]]は[[リクスダーゲン]] (Riksdagen) と呼ばれる。1971年に[[両院制]]から[[一院制]]に変わった。2006年総選挙時の定数は349議席で、議員の任期は4年。議員の選出方法は[[比例代表制#修正サン・ラグ式|比例代表制]]による。
 
{{See also|リクスダーゲン}}
 
 
 
[[行政機関|行政府]]の長は[[首相]]である。議会の総選挙後に、国会議長が副議長及び各党の代表者を招集して新首相を推挙し、議会の過半数の反対でないことで承認される(反対票を投じないまでも、賛成できない議員は、投票を棄権する)。その後、国王の臨席する任命式において国会議長が新首相を任命し、新首相は同時に各大臣を任命し組閣を行う。
 
{{See also|スウェーデンの首相}}
 
 
 
このように、1974年改正後の[[スウェーデンの憲法|スウェーデン憲法]]では、通常の立憲君主国の君主が有する首相任命権を始めとする全ての官吏任命権を形式的にも失っている。国王の権能は情報閣議による大臣からの情報収集(いわゆる[[内奏]])や外国使節の接受などもっぱら儀礼的な機能に限られている。そのため、もはや立憲君主制ではなく、日本のような象徴君主制という新たな統治形態であるとする学説もある{{誰2|date=2017-11}}。
 
 
 
=== 政党 ===
 
{{Main|スウェーデンの政党}}
 
2014年9月の選挙で議会に議席を獲得した政党は以下の8党。
 
 
 
* [[スウェーデン社会民主労働党]] (S) (中道左派)113議席
 
* [[穏健党]] (M) (右派)84議席
 
* [[スウェーデン民主党]](SD) (民族主義、欧州懐疑主義) 49議席
 
* [[緑の党 (スウェーデン)|環境党緑]] (MP) (中道派)25議席
 
* [[中央党 (スウェーデン)|中央党]] (C) (中道右派)22議席 - かつての農民党
 
* [[左翼党 (スウェーデン)|左翼党]] (V) (左派)21議席 - かつての共産党
 
* [[自由党 (スウェーデン)|国民党自由]] (FP) (中道右派)19議席
 
* [[キリスト教民主党 (スウェーデン)|キリスト教民主党]] (KD) (中道右派)16議席
 
 
 
その他特筆すべき政党 - 地方議会でのみ議席を保有
 
* [[Demoex]] (''Democracy Experiment'')(直接民主主義) - 世界で唯一[[直接民主主義|インターネットを通した市民による直接的な政治運営]]を実践
 
 
 
ジョーク政党
 
* [[ドナルドダック党]] 実在しないが、白紙の代わりに投票されるケースがある。
 
 
 
== 軍事 ==
 
[[File:Swedish JAS-39 Gripen landing.jpg|thumb|国産戦闘機[[サーブ 39 グリペン]]]]
 
{{Main|スウェーデン軍}}
 
 
 
スウェーデン軍は[[スウェーデン陸軍|陸軍]]、[[スウェーデン海軍|海軍]]、[[スウェーデン空軍|空軍]]の三軍からなり、[[国防省 (スウェーデン)|国防省]]の管轄下にある。スウェーデンはフィンランドの奪還を断念した1812年以降、伝統的に中立政策をとってきた{{sfn|ロバート・ダルシュ|2012|p=149}}。東西冷戦期には[[ノルディックバランス]]に則った「[[北大西洋条約機構|NATO(北大西洋条約機構)]]寄りの中立」政策を保ったが、軽武装のために脅威にさらされた第二次世界大戦の教訓から、いずれの党派も強い防衛力を追求した{{sfn|ロバート・ダルシュ|2012|p=153}}。兵器体系も[[専守防衛]]のための独特のものとなり、戦闘機などの自主開発を重視した。バルト海を挟んで[[ソビエト連邦|ソ連]]の軍事的圧力に晒され続け、1952年にはソ連によるスウェーデン機撃墜([[カタリナ事件]])、1981年にはソ連[[潜水艦]]の[[領海侵犯]]と[[座礁]]事故([[ウィスキー・オン・ザ・ロック]]
 
が発生した。
 
 
 
1950年代から1960年代中期頃には[[核兵器|核武装]]が検討されたこともあったが、政治的な反対運動と核拡散を抑止したいアメリカの働きかけもあって断念された{{sfn|ロバート・ダルシュ|2012|p=154-155}}。北欧最大の工業力を生かした独自開発兵器も多い。
 
 
 
1992年に中立政策を放棄し、軍事的非同盟を選択した{{sfn|ロバート・ダルシュ|2012|p=149}}。2002年には軍事的非同盟は有用であったが、今後は他国と協力して安全保障を追求することとなった{{sfn|ロバート・ダルシュ|2012|p=149}}。現在も[[北大西洋条約機構|NATO]]には加盟していないが、1995年にはNATOの指揮下でボスニアに部隊を派遣するなどの協力体制をとっている{{sfn|ロバート・ダルシュ|2012|p=158}}。また北欧及びEU諸国が攻撃された場合には「受動的な態度をとらない」と宣言しており{{sfn|ロバート・ダルシュ|2012|p=149}}、[[欧州連合戦闘群]]に参加している。2000年代後半からは大規模な構造改革が行われ、徴兵制が廃止された。
 
 
 
[[徴兵制度]](19歳~47歳の男子が対象。女子は対象外)が実施されていた時代があり、兵役拒否を希望する男子に対して介護や医療などの公共の利益に直接寄与する代替役務を課す「[[良心的兵役拒否]]」が認められていた。2010年7月1日に徴兵制度は正式に廃止されたが、その後2015年には国防費に見合う要員が確保できないという事態に陥った。[[2014年ウクライナ内戦|ロシアによるクリミア半島侵攻]]後、バルト海でもロシア軍の脅威が高まったため、2018年に徴兵制を復活させる予定である。NATOとはパートナーシップ協定、アメリカとは防衛協力協定を結んだほか、いったん非武装化したバルト海の[[ゴットランド島]]に軍を再配備した<ref>{{Cite news|url=http://www.sankei.com/world/news/170310/wor1703100011-n1.html|title=緊張高まるバルト海の要塞ゴトランド島 スウェーデン12年ぶり再軍備「“夢”破れた。挑発抑える」|work=|publisher=[[産経新聞]]朝刊|date=2017年3月10日}}</ref>。 ‎
 
 
 
2017年にはフィンランドとともに、[[イギリス]]主導でNATOや[[国際連合]]に協力する合同派遣軍への参加を決めた<ref>{{Cite web|url=https://www.gov.uk/government/news/sweden-and-finland-join-uk-led-response-force|title=Sweden and Finland join UK-led response force|publisher=イギリス[[国防省]]ホームページ|accessdate=2017-7-10}}</ref>。
 
 
 
== 地方行政区分 ==
 
[[File:Sweden from cia.png|thumb|300px|スウェーデンの地図]]
 
地方自治制度の原型は、[[カール15世 (スウェーデン王)|カール15世]]の治世であった1862年につくられた。これは当時に行われていた政治の集大成である。1842年に導入した義務教育制度、1846年のギルド制度廃止と商取引自由化、1860年に確認された信教の自由、これらが全て反映されたのである。すぐ後で関係するが、1865年は二院議会制が採用されている。1862年の地方自治法は[[政教分離]]を定めた。さらに後述のランスティングを設けた。このときから一院制となるまで、ランスティングは上院の選出機関を兼ねた。そして後述のコミューンは自己責任で必要な事務を執り行うことが許された。しかし、1862年における地方選挙権は直接国税が要件であったので全人口の6%にしか与えられていなかった。地方の[[普通選挙]]は、1918年と1921年の改革により段階的に実現した。
 
 
 
日本の県に相当する[[スウェーデンの県|スウェーデンの地方自治体]]には2種類あり、その一つは国会と政府の出先機関である'''レーン'''(スウェーデン語: län)で、もう一方は県民の代表たる'''[[ランスティング (スウェーデン)|ランスティング]]'''(スウェーデン語: landsting)である。
 
 
 
レーンの総数は21で、ランスティングのそれは20であり、両者の境界線はほぼ一致する。ゴットランドは島という性格上、レーンの境、市の境、ランスティングの境が偶然一致してしまった特異な例である。レーンは国会の決定に従い、政府の指示のもとで地域的に必要とされる行政を行うのがその主な役割である。その最高議決機関である執行委員会は中央政府によって指名される執行委員長(日本の都道府県知事に相当)と、ランスティングを通じて住民により選挙で選ばれた委員で構成される。これに対してランスティングの主な役割は、県民の精神的・身体的健康の増進と公衆衛生の維持、県内にある学校等教育関連機関の指導・監督及び支援、県内で行われる文化的活動の支援にある。ランスティングの最高議決機関は県民から選挙で選ばれた議員によって構成される県(ランスティング)議会(スウェーデン語: landstingsfullmäktige)である。ランスティングの役割は地域によって細かい部分には差があり、レーンとの役割分担の度合いもそれぞれの地方によって細部は異なる。[[県庁所在地]]はレジデンススタード(スウェーデン語: residensstad)と呼ばれ、県の行政機関が集中している。
 
 
 
各県は、日本の市に相当する[[基礎自治体]]である複数の'''[[コミューン (スウェーデン)|コミューン]]'''(スウェーデン語: kommun)<ref group="註">kommunの訳語は一般書では「市」と表記(翻訳)されており、研究書では「コミューン」と音をそのままカタカナ転写するのが一般的である。具体的には一般書として『スウェーデンの分権社会』 (ISBN 4-7948-0500-4)、『スウェーデンの作業療法士』 (ISBN 4-7948-0475-X)、研究書としては『スウェーデンハンドブック』 (ISBN 4-657-97523-4)、『北欧の政治』 (ISBN 4-657-98946-4)、『スウェーデンの政治』 (ISBN 4-657-94626-9) の各書を参照してください。</ref> に分割される。名称から[[フランス]]の影響がうかがえる。2007年現在、コミューンの総数は全国で290である。最高議決機関は市(コミューン)議会(スウェーデン語: kommunfullmäktige)であり、その議員は当該コミューンの市民によって、4年毎に9月下旬に行われる[[リクスダーゲン]]や県議会(ランスティング)の総選挙と同時に選挙で選ばれる。スウェーデン国籍非取得者であっても、同一コミューン内に3年以上滞在していれば、滞在先のコミューンとそのコミューンが所属している県のランスティングについては選挙権がある。
 
 
 
市内の人口密集地はテートオート (tätort) と一般に呼ばれるが、市役所やコミューン議会が置かれている市の中心地は特にセントラルオート(スウェーデン語: centralort)と呼称される。嘗てはスウェーデンにも「町」や「村」といった行政区分もあったが、現在は存在しない。日本の[[政令指定都市]]に置かれている「区」と同様の組織は一部のコミューンに設けられる事もあるが、さほど一般的でない上に、規模もごく小さい。「区」に近い概念としてスタッツデール(スウェーデン語: stadsdel)という表現があり、市内にあるそれぞれ人口密集地内の各地域を指す「地区」といった意味合いで使われる。
 
 
 
スウェーデンには以前、「教会市(スウェーデン語: kyrkokommun)」や「教区(スウェーデン語: församling)」という教会が課税権を持つ行政区分があったが、町や村と同様に行政区分としては教会市も教区も現在は存在しない。但し、教区という区分は人口統計や歴史学の研究等、ごく限られた範囲では利用される事もある。
 
 
 
地方行政区分とは別に歴史的、言語的に繋がりのある'''ランドスカープ'''(スウェーデン語: landskap)と呼ばれる25の地方がある。''詳細は[[スウェーデンの地方]]を参照''
 
 
 
=== 主要都市 ===
 
{{Main|スウェーデンの都市の一覧}}
 
[[File:GamlaStan from Katarinahissen Stockholm Swe.jpg|right|thumb|250px|[[ストックホルム]]は国内最大の都市であり、[[北欧]]有数の[[世界都市]]である。]]
 
{| class="wikitable" style="margin-left:1em; font-size:95%"
 
|-
 
! 順位 !! 都市名
 
! 人口<ref>人口は2007年6月30日付のスウェーデン統計局([http://www.scb.se/ Statistiska centralbyrån])による統計結果。面積はナショナルエンスィークロペディーン([http://www.ne.se/ Nationalencyklopedin])調べの数値。人口密度は小数第三位を四捨五入。</ref>
 
! 面積<br/> ([[平方キロメートル|km<sup>2</sup>]])
 
! 人口密度
 
|-align=right
 
|1 ||align=left| [[ストックホルム]] || '''782,855''' || 188 || 4,164.12
 
|-align=right
 
|2 ||align=left| [[イェーテボリ]] || '''490,961''' || 451 || 1,088.61
 
|-align=right
 
|3 ||align=left| [[マルメ]] || '''278,319''' || 156 || 1,784.10
 
|-align=right
 
|4 ||align=left| [[ウプサラ]] || '''185,494''' || 2,185 || 84.89
 
|-align=right
 
|5 ||align=left| [[リンシェーピング]] || '''138,805''' || 1,436 || 96.66
 
|-align=right
 
|6 ||align=left| [[ヴェステロース]] || '''133,274''' || 962 || 138.54
 
|-align=right
 
|7 ||align=left| [[エーレブルー|オレブロ]] || '''129,482''' || 1,380 || 93.83
 
|-align=right
 
|8 ||align=left| [[ノーショーピング]] || '''125,463''' || 1,503.61 || 82.95
 
|-align=right
 
|9 ||align=left| [[ヘルシンボリ|ヘルシングボリ]] || '''124,301''' || 347 || 358.22
 
|-align=right
 
|10 ||align=left| [[ヨンショーピング]] || '''122,524''' || 1,489 || 82.29
 
|-align=right
 
|11 ||align=left| [[ウメオ]] || '''110,587''' || 2,331 || 47.44
 
|-align=right
 
|12 ||align=left| [[ルンド]] || '''103,693''' || 430 || 241.15
 
|-align=right
 
|13 ||align=left| [[ボロース]] || '''100,570''' || 915 || 109.91
 
|-align=right
 
|14 ||align=left| [[スンツバル]] || '''94,549''' || 3,209 || 29.46
 
|-align=right
 
|15 ||align=left| [[イェヴレ]] || '''92,456''' || 1,615 || 57.25
 
|}
 
 
 
== 地理 ==
 
[[File:Scandinavia M2002074 lrg.jpg|thumb|200px|スウェーデンの衛星写真(3月)。国土の大半が雪に覆われている。]]
 
<!-- {{Main|スウェーデンの地理}} -->
 
スウェーデンの面積は日本よりやや広く、日本全土に北海道をもう一つ足した程度である。面積の割りに人口が少なく、スウェーデンの総人口は約950万人と日本の1/12程度であり、[[東京都区部|東京23区]]と同じくらいである。[[人口密度]]は日本の約1/19程度で、世界の人口密度ランクでは235カ国中187位という低密度な国である。スウェーデンの国土は[[スカンディナヴィア半島]]の中央、東側に位置する。この半島の西部は[[スカンディナヴィア山脈]]が南北に連なっているが、[[標高]]は2,000m程度しかなく、なだらかである。この山脈の最北部にある[[ケブネカイセ山]]の北峰で海抜2104メートルがスウェーデンの最高点である。
 
[[ボスニア湾]]や[[バルト海]]に沿って平野部はあるが、それほど広大ではない。半島南端の[[スコーネ県]]を除いて冬の寒さは厳しく、夏も全般的に冷涼である。湖沼が多く、中南部に最大の[[ヴェーネルン湖]]と2番目に大きな[[ヴェッテルン湖]]が位置する。土地の肥沃な地域はスコーネ県くらいしかなく、また中部から北部は気候的に農業には適さないため、[[酪農]]が主な農産業である。
 
 
 
バルト海にある島のうち、本土と橋で結ばれた[[エーランド島]]のほか、ゴットランド島などがスウェーデン領である。[[オーランド諸島]]の住民はスウェーデン系だが、フィンランドの[[自治領]]になっている。
 
 
 
== 経済 ==
 
<!-- {{Main|スウェーデンの経済}} -->
 
[[17世紀]]にヨーロッパで最初の[[紙幣]]が発行され、世界最古の[[中央銀行]]である[[リクスバンク]](スウェーデン国立銀行)が設置されたことで知られている。同行は1969年から[[ノーベル経済学賞]]を授与している。[[電子マネー]]と[[電子決済]]([[キャッシュレス]])の普及率・使用率が非常に高く、現金使用率は1割にも満たない。店舗や公共機関などでも現金では支払えない場合が非常に多い。<ref>[http://dent-sweden.com/sweden/scandinavian-culture/cash-free キャッシュレス化した北欧の決済事情と旅行者への注意点]</ref><ref>[http://www.huffingtonpost.jp/techcrunch-japan/money-cashless-sweden_b_15101654.html スウェーデンの現金使用率は2%、キャッシュレス社会への賛否]</ref><ref>[https://www.apuriyasan.com/2017/01/sweden-cashless/ 現金お断り!スウェーデンのキャッシュレス社会がすごい]</ref><ref>[http://digital-innovation-lab.jp/sweden_cashless/ スウェーデンが進めるキャシュレス社会、「現金お断り」のお店も]</ref>。
 
=== GDPと国際収支 ===
 
[[IMF]]によると[[2015年]]のスウェーデンの[[国内総生産]](GDP)は4,926億ドル<ref>[http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/sweden/data.html 「スウェーデン」]外務省</ref>。同年の一人当たり[[国民総所得]](GNI)は57,810ドルで、世界第7位の高所得国となっている<ref>[http://www.mofa.go.jp/mofaj/kids/ranking/gnp_2.html 「1人あたりの国民総所得(GNI)の多い国」]外務省</ref>。
 
 
 
国際収支について。経常収支は、[[世界金融危機]]のときに赤字に転じたが、それを除けば恒常的な黒字がつづいている。2014-5年にサービス貿易収支の純黒字が倍化している。サービス貿易収支の黒字が貿易収支全体に占める割合は、2001-2年に無視できる程度であったものが、2014年29%、2015年47%、2016年45.5%となっている。2013-6年において、第一次所得(所得収支)は黒字基調だが、第二次所得(経常移転収支)は対照的に赤字基調である。金融収支は2013年から縮小しており、同年のポートフォリオは3兆クローナを超える赤字を記録、[[金融派生商品]]も赤字がつづいている(2013-6年)。その他の投資は2016年1兆5680億クローナの赤字。誤差誤謬は2014年4550億クローナであったものが、2016年2兆7410億クローナとなった。<ref>ARCレポート(スウェーデン) 2017年9月 56-7頁</ref>
 
 
 
=== 農林水産業 ===
 
国土の8割が冷帯に属し、[[コムギ]]の栽培が可能な地域は北緯60度以南に過ぎない。農地は国土の6.5%であるが、農業従事者は国民の1.5%に過ぎない。しかしながら、高い生産性によって、穀類の自給率は121%(2002年)に達している。果実類と野菜類、油脂類を除く各項目の自給率はいずれも80%を上回る。穀類の生産量ではコムギ(241万トン、以下、2004年)、[[オオムギ]](169万トン)のほか、[[エンバク|燕麦]](93万トン、世界シェア10位)が際立つ。
 
 
 
国土の65.9%は森林([[針葉樹林]])に覆われている。このため、針葉樹に限定すれば世界第5位の生産量(610万立方m、世界シェア5%)を占める。木材を輸出するため、[[ステナライン]]や[[ワレニウス・ウィルヘルムセン]]といった海運業も発達している。
 
 
 
[[1972年]]、[[酸性雨]]の被害を世界に知らしめるため[[国連人間環境会議]]を招致し、ストックホルムで開催した。[[1980年]]代では、国内の85,000の湖沼のうち、18,000で魚がほとんど死滅、激減した<ref>石弘之著『地球環境報告』岩波書店《岩波新書(新赤版33)》 1988年 216ページ</ref>。
 
 
 
=== 製造業 ===
 
スウェーデンは国策として掲げる専守防衛・中立政策を自国の軍事力のみて達成するために、国防への注力は怠ってはいない。スウェーデンが国策として掲げる中立政策それゆえ、重化学工業を担う大企業はスウェーデンの軍需産業とも密接な関係を有している。
 
スウェーデンは伝統的に製造業が盛んである。とりわけ1930年代から国策により合理化と振興が推進された結果、世界的な競争力を有するようになった企業も複数存在する。[[SAAB|SAAB(サーブ)]]は一般には[[自動車]]メーカーとして知られるが、元来は[[航空機メーカーの一覧|航空機メーカー]]で、[[サーブ 37 ビゲン|ビゲン]]、[[サーブ 35 ドラケン|ドラケン]]、[[サーブ 39 グリペン|グリペン]]といった[[戦闘機]]や[[サーブ 340]]などのターボプロップ[[旅客機]]を開発した実績を持つ。[[2006年]]現在、民間機部門からは撤退し、自動車部門は[[オペル]]と統合予定の[[ゼネラルモーターズ|GM]]100%子会社であるため、防衛産業に専念するようになった。もうひとつの著名なスウェーデン自動車メーカーであった[[ボルボ]] (VOLVO) グループは、現在は[[ボルボ・カーズ|乗用車部門]]として[[中国]]の[[浙江吉利控股集団]]の傘下に入っている。<!--のうち、航空機部門の[[ボルボ・エアロ]](現在は英国[[GKN plc|GKN]]の100%子会社)は、前身企業の時代も含めると戦間期からスウェーデンの空軍力を支え続けた。冷戦終結後から現代においては、アメリカ製の軍用エンジンをスウェーデンの国防事情に合わせて独自に改良しており、[[ゼネラル・エレクトリック F404|F404]]エンジンをベースに開発したグリペンA/B/C/D用の[[ボルボ_RM12|RM12]]エンジンを[[GE・アビエーション]]と共同して供給している。-->
 
 
 
また、[[ボフォース]]は第二次世界大戦以前から存在し世界的なシェアを持つ[[重火器]]の老舗メーカーである。日本では、一時[[ソニー]]と資本提携し合弁会社のソニー・エリクソン([[ソニー・モバイルコミュニケーションズ]])を設立していたことなどで知名度を上げた、通信機器メーカーの[[エリクソン]]が有名である。他に[[ノーベル財団]]の[[ノーベル賞]]で知られる[[アルフレッド・ノーベル]]が設立した火薬メーカーのノーベル社、ヨーロッパ第2位の家電メーカー[[エレクトロラックス]]社、プロ用カメラ・レンズ製造の[[ハッセルブラッド]]社などがスウェーデンのメーカーの代表格として挙げられる。
 
 
 
北部の都市[[キルナ]]は[[鉄鉱石]]の産地として有名であり、これを背景とした鉄鋼業が盛んである。生産される鋼材はスウェーデン鋼と呼ばれる。また南部の都市[[ルンド]]は[[ソニーモバイルコミュニケーションズ]]、[[エリクソン]]などのハイテク企業が多く集中している。[[熱交換器]]と[[遠心分離器]]の分野で世界的なシェアをもつ{{仮リンク|アルファ・ラバル|en|Alfa Laval}}、[[紙パック]]のメーカーとして世界的に有名な[[テトラパック]]なども、ルンドが本社所在地である。
 
 
 
[[スウェーデン車]]を製造する国内の大手自動車メーカー経営が傾いたときに税金で支えようとしたが失敗した。それ以降、スウェーデンは賃金が高くて価格競争力がない自国で製造業を維持することは困難と決断し、国内の製造業が外国資本に買収されても政府は関与しないスタンスをとるようになった<ref>[https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180724-00000003-nikkeisty-bus_all&p=3 北欧に学ぶ キャッシュレス支える強い経済(加藤出)]</ref>。
 
=== その他 ===
 
* [[V&S]] - 元々は国営にしてスウェーデン最大の[[ウォッカ]]のブランドである[[アブソルート (ウォッカ)|アブソルート]]を1979年から全世界に向けて発売。スピリッツでの売り上げは世界第3位。
 
*[[アブ・ガルシア]] - 釣り具メーカー、スウェーデン王室御用達、歴史のある両軸受けリール『アンバサダー』が有名で世界中に愛好家が存在する。
 
* [[イケア]] - 世界最大の家具チェーン。
 
* [[ヴィゲーンズ]] - [[帽子]]のブランドとして世界各国でその名を知られている。
 
* [[ファッション]][[ブランド]]の[[WESC]]は世界の多くの国に展開している。
 
* [[H&M]] - 世界22カ国で展開する衣料品チェーン。
 
* [[ハスクバーナ]] - チェーンソーメーカーとして日本でも知られているが、オフロードバイクの生産も行っており、モトクロス選手権やスーパーモタード選手権でもトップメーカーとして活躍している。
 
*
 
 
 
== 社会 ==
 
{{Main|スウェーデンの福祉}}
 
[[File:OECD Tax revenue.svg|thumb|right|400px|OECD各国税収のタイプ別GDP比(%)。<br>赤は国家間、青は連邦・中央政府、紫は州、橙は地方、緑は[[社会保険|社会保障拠出]]<ref name="OECDrevenue">{{Cite report|publisher=OECD |title=Revenue Statistics |doi=10.1787/19963726}}</ref>。]]
 
[[File:oecd-socialexpenditure.svg|thumb|right|400px|OECD各国のGDPにおける社会的支出割合(公費および私費)<ref name="socx">{{Cite report|publisher=OECD |title=OECD Social Expenditure Statistics |date=2011 |url=http://www.oecd.org/els/soc/expenditure.htm |doi=10.1787/socx-data-en}}</ref>]]
 
長年にわたる[[スウェーデン社会民主労働党]]政権の下で構築された[[社会保障制度]]が整い、税金制度や高齢者福祉など、[[社会政策]]が各国の注目を浴びている。
 
 
 
スウェーデンは、「社会科学の実験国家」だとも言われている。時代状況の変化に対応し、実に簡単に制度([[法律]])が変更される。そのため、スウェーデンの研究は絶えずこの変化を追いかけ、変更された意図を正確に捉え、その目的と意義を探る必要がある。低所得者層、高齢者、障害者、失業者等、社会的弱者もあるレベル以上の生活をすることが保障される。
 
 
 
高福祉高負担国家であり、GDPに占める租税率は35.5%(2003年、OECDで3位)、さらに[[社会保険|社会保障拠出]]を含めると50.6%(OECDで1位)である<ref name="clair17">{{Cite report|title=スウェーデンの地方財政と地方財政調整制度 |author=星野泉  |publisher=財団法人自治体国際化協会 |journal=平成17年度比較地方自治研究会調査研究報告書| date=2006-03 |url=http://www.clair.or.jp/j/forum/series/pdf/h17-7.pdf}}</ref>。個人所得税はGDP比で15.8%(OECDで2位)、地方税率は平均32%ほどである(2005年)<ref name="clair17" />。
 
 
 
=== 保健 ===
 
{{Main|スウェーデンの医療}}
 
医療制度は[[社会保険制度]]ではなく、一般税収を原資とする[[ユニバーサルヘルスケア]]が実現されている<ref name="pri87">{{Cite report|title=医療制度の国際比較 |publisher=[[財務総合政策研究所]] |url=http://www.mof.go.jp/pri/research/conference/zk087.htm |date=2010-06-30 |at=Chapt.5}}</ref>。GDPに占める医療費は9%であった(2013年)。地方分権が徹底されており、ランスティング歳出の9割は保健医療関連の支出である<ref name="ndl">{{Cite journal|和書|journal=レファレンス|volume=753|title=イギリス及びスウェーデンの医療制度と医療技術評価 |publisher=国立国会図書館|date=2013-10 |url=http://dl.ndl.go.jp/view/download/digidepo_8328287_po_075305.pdf?contentNo=1 }}</ref>。
 
 
 
=== 移民制度 ===
 
寛容な移民受け入れ政策をとる'''スウェーデン'''を、他の北欧の福祉国家では「失敗例」とする声もある。[[スウェーデン民主党]]は少数無力ではあるが、[[ノルウェー]]、デンマーク、[[フィンランド]]と同様に昨今では安易な移民受け入れに反対する政党が政権へ影響力を持っている<ref>[https://news.yahoo.co.jp/byline/abumiasaki/20170323-00069026/ 「北欧諸国への難民申請者数が減少、最も激減したのはノルウェー。ポピュリズム効果?」]</ref>。
 
 
 
=== 治安 ===
 
2004年の[[スペイン列車爆破事件]]や2005年の[[ロンドン同時爆破事件]]以降、様々な治安対策が積極的に講じられているが、犯罪数は増加傾向にあり、2011年の統計では犯罪数約148万件と発表された。犯罪発生率でみれば日本の約13倍に及ぶ事となる。2010年には[[2010年ストックホルム爆破事件]]が起こった<ref>[http://www2.anzen.mofa.go.jp/info/pcterror.asp?id=160 スウェーデン テロ・誘拐情勢]2014-12-25</ref>。
 
 
 
スウェーデンにおける犯罪の過半数が置き引きやスリなどの窃盗であり、主に旅行者を狙ったものが多い。ストックホルム警察によると各国からの旅行者の中でも日本人の被害が多いとの事である。さらに、以前は少ないとされた暴力犯罪や性犯罪も2011年頃には増加傾向にある<ref>[http://www.anzen.mofa.go.jp/manual/sweden.html 在留邦人向け安全の手引き 在スウェーデン日本国大使館]2014-12-25</ref>。
 
 
 
警察機構は、2015年に[[警察庁 (スウェーデン)|警察庁]](Polismyndigheten)に再編され、国家警察化が進められている<ref name="Swedish judicial system">{{Cite web|url=http://www.regeringen.se/contentassets/24ef36d9206a41fb80d6b74030fd9ef6/the-swedish-judicial-system.pdf |title=The Swedish judicial system |author=スウェーデン司法省 |date=2015 |work= |publisher= |accessdate=2017-05-28 }}</ref>。
 
 
 
=== 教育 ===
 
{{Main|スウェーデンの教育}}
 
スウェーデンの教育制度は日本と同じく6・3・3・4制である。
 
 
 
国際交流基金の2012年度日本語教育機関調査ではスウェーデンの日本語学習者数は2,226人である<ref>{{Cite web|publisher=国際交流基金 |title=スウェーデン | url=http://www.jpf.go.jp/j/project/japanese/survey/area/country/2014/sweden.html |accessdate=2015-08-20}}</ref>。
 
 
 
[[日本とスウェーデンの関係]]も参照されたい。
 
 
 
== 交通 ==
 
{{Main|スウェーデンの交通}}
 
=== 道路 ===
 
[[File:Öresundsbron i solnedgång 2.jpg|thumb|南部[[マルメ]]と[[デンマーク]]の[[コペンハーゲン]]を結ぶ[[オーレスン・リンク|オーレスン橋]]]]
 
スウェーデンの道路は所有区分によって一般道 (allmän väg) とその他の道路 (övriga vägar) に分けられる。一般道は国が所有し、スウェーデン産業省の外局である道路庁 (Vägverket) が管理している。一般道はヨーロッパ道路 (Europavägar) 、国道 (Riksvägar) 、県道 (Länsvägar) 、その他の一般道 (Övriga allmänna vägar) に分類される。ヨーロッパ道路は例外的に[[欧州経済委員会|国連欧州経済委員会]] (UNECE) が事務的な管理を担当している(スウェーデン国内の部分についてはスウェーデン政府が所有し、整備を担当)。その他の道路は各市の所有であったり、道路の設置されている土地の所有者に帰属している場合もある。その他の道路には市道 (kommunal väg) か私道 (enskild väg) 分類される。一般道はスウェーデンの道路法 (Väglag, SFS 1971:948) によって定義、建設・整備の責任等が定められている。その他の道路は土地及び建物法 (Plan- och bygglag, SFS 1987:10) にその規則が定められている。
 
 
 
2007年8月1日から[[ストックホルム]]中心部では、出入りする国内登録車両に対して時間帯に応じた進入税 (trängselskatt) が課税されるようになった。この税金の目的は中心部の交通量を減らし、そのことによって公共交通機関たるバスの定時性を保持すると同時に、排ガスによる住民の健康を保護するなど中心部の環境保全にある。
 
 
 
=== 鉄道 ===
 
{{Main|スウェーデンの鉄道}}
 
[[File:Hall, Stockholm Central Station.jpg|thumb|[[ストックホルム中央駅]]]]
 
スウェーデンの鉄道は、政府が株式を100%所有する[[SJ AB|エスイー]] (SJ, Statens Järnvägar) が全国の旅客輸送を担当している他、トーグコンパニーエット (Tågkompaniet) 、[[ヴェオリア・トランスポール|コネックス・スヴェリエ]](Connex Sverige, Veolia Transport Sverigeに社名変更中)等の政府とは資本関係のない会社が一部地域の旅客鉄道輸送を担っている。線路はスウェーデン産業省の外局である鉄道線路庁 (Banverket, バーンベルケット) が所有・管理している。[[空港連絡鉄道]]としては[[ストックホルム・アーランダ空港|アーランダ空港]]と[[ストックホルム中央駅]]を[[アーランダエクスプレス]] (Arlanda Express) が20分で結んでいる。貨物輸送はやはり政府が株式を100%所有するグリーン・カーゴ (GreenCargo) を中心に、[[ノルウェー]]の運送会社が筆頭株主のヘクター・レール (Hector Rail) 等によって運営されている。
 
 
 
[[ストックホルム地下鉄|地下鉄]]は[[ストックホルム]]にのみあり、[[ストックホルムス・ロカールトラフィーク]] (SL, Storstockholms Lokaltrafik) が運営している。[[ストックホルムス・ロカールトラフィーク]]は郊外へのコミュータートレインも運行している。どちらも[[SJ AB|エスイー]]等、他の鉄道事業者とは乗り入れていない。
 
 
 
[[路面電車]]は[[ストックホルム]]、[[ヨーテボリ]]、[[マルメ]]、[[ノルチェピン|ノーショーピング]]の各都市で運行されており、特に[[ヨーテボリ]]と[[ノルチェピン|ノーショーピング]]の二都市では複数路線が市内の広い地域をカバーしている。
 
 
 
=== バス ===
 
スウェーデンの各都市で運行されている公共交通機関としてのバスは地方自治体である[[ランスティング (スウェーデン)|ランスティング]]や[[スウェーデンの県|レーン]] (län) がその出資母体となる[[株式会社]]として運営されている場合が多い。地方自治体とは資本関係のないバス会社も多数あるが、そのほとんどは観光目的の[[観光バス]]や都市間を結ぶ[[高速バス]]を運営している。
 
 
 
各都市で運行されているバスは市内の2拠点間を市中心部にある[[バスターミナル]]を経由して(起・終点としてでなく)走っている。各都市には主要路線のバスが必ず経由するようなメインの[[バスターミナル]]が最低一つはあるが、そのようなターミナルが必ずしも日本のように駅前にあるわけではない。(もちろんバスターミナルが駅に隣接している場合もあり、離れていてもせいぜい500~600メートル程)[[ストックホルム]]や[[ヨーテボリ]]のような大都市ではそのようなバスターミナルが複数設けられている。
 
 
 
=== 空運 ===
 
[[スカンディナヴィア|スカンジナビア]]三国(スウェーデン・[[ノルウェー]]・[[デンマーク]])の[[フラッグ・キャリア]]たる[[スカンジナビア航空]]を筆頭に複数の[[航空会社]]が国内・国外への旅客便を運航している。[[スカンジナビア航空]]は他の航空会社に先駆け、アンカレッジ経由で西欧・極東間の便を就航させた事でも知られている(いわゆる「北回りヨーロッパ線」)。貨物便としては[[スカンジナビア航空]]の他に、[[アメリカ合衆国|アメリカ]]系の[[ユナイテッド・パーセル・サービス|UPS]]、[[ドイツ]]系の[[DHL]]が航空貨物便として乗り入れている。(UPSとDHLはスウェーデン国内の陸上輸送へも進出している。)
 
 
 
[[スカンジナビア航空]]以外でスウェーデン国内を拠点としている航空会社としては、マルメ・アヴィテーション (Malmö Aviation) 、スカイウェイズ (Skyways) 、ゴットランズフリーグ (Gotlandsflyg) 等の[[航空会社]]がある。多くは国内・国外への両方ともに運行しているものの、ほとんどは[[ヨーロッパ]]の各都市への便に限られている。
 
 
 
== 国民 ==
 
{{Main|スウェーデン人|w:Swedes|スウェーデンの人口統計}}
 
{{bar box
 
|title=民族構成(スウェーデン)
 
|titlebar=#ddd
 
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{{bar percent|[[スウェーデン人]]|gray|85}}
 
{{bar percent|[[フィンランド人]]|blue|5}}
 
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}}
 
[[File:Sweden-demography.png|thumb|250px|スウェーデンの人口推移([[1961年]]-[[2008年]])]]
 
[[File:Swedenpop.svg|250px|thumb|right|スウェーデンの[[人口ピラミッド]]]]
 
 
 
スウェーデンは一人の高齢者(65歳以上)を3.1人の生産世代(20-64歳)が支える少子[[高齢化社会]]であるが<ref>{{Cite |publisher=OECD |title=Society at a Glance 2014 |date=2014-03-18 |doi=10.1787/soc_glance-2014-en |isbn=9789264206694 }}</ref>、しかし総人口は増え続けている。[[合計特殊出生率]]は1.94人であるが、一方で[[純移動率]]は6.75人と流入超過であり、出産ではなく[[移民]]によって人口が増加している。
 
 
 
=== 移民 ===
 
{{Main|スウェーデンの人口統計#移民}}
 
[[移民]]はスウェーデンの歴史における人口増加と文化変容の大きな源である。移民は、経済・社会そして政治的側面において、人種・経済的扶助・非移民の職・集落体系・社会的流動性への影響・犯罪・投票行動など、さまざまな議論を巻き起こしている。<ref>{{Cite news|url=http://www.economist.com/news/special-report/21570836-immigration-and-growing-inequality-are-making-nordics-less-homogeneous-ins-and |title=Immigrants: The ins and the outs |publisher=''[[The Economist]]'' |date=2 February 2013|accessdate=10 June 2013}}</ref>
 
 
 
スウェーデンには移民の人種的背景に関するはっきりとした統計はない。これは、スウェーデン政府は[[人種]]に基づいた統計を一切行わないからである。しかしながら、移民の国籍については記録されている。1998年の調査では、外国にルーツを持つ者(外国生まれの者、また移民の子供)は1,746,921人であった。これはスウェーデンの人口のおよそ20%にあたる。そのうち1,216,659人(約70%)が、北欧またはその他ヨーロッパの国出身であり、530,262人(約30%)がそれ以外の国出身である。
 
 
 
2011年の統計によると、スウェーデンの総人口の約20.1%にあたる1,921,000人が、全面的、または部分的に外国にルーツを持つ。<ref name="Statistics Sweden population">{{Cite web |url=http://www.scb.se/Pages/SSD/SSD_SelectVariables.aspx?id=340507&rxid=e36117ed-7b10-4498-bd5f-cb965c303fea&px_tableid=ssd_extern%3aUtlSvBakgTot |title=Number of persons with foreign or Swedish background (detailed division) by region, age in ten year groups and sex. Year 2002–2011 |publisher = [[Statistics Sweden]] | accessdate = 5 January 2013}}</ref><ref>{{Cite web|url=http://www.ssd.scb.se/databaser/makro/start.asp |title=Statistikdatabasen |language=Swedish |publisher=[[Statistics Sweden]] |date= |accessdate=2013-03-12}}</ref><ref>{{Cite web |url=http://www.scb.se/Pages/SSD/SSD_SelectVariables____340487.aspx?rxid=5f0515bd-ef54-4263-802b-a5f851e7d228&px_tableid=ssd_extern%3aUtlSvBakgTotNK |title=Antal personer med utländsk eller svensk bakgrund (grov indelning) efter region, ålder i tioårsklasser och kön. År 2002 – 2011 |publisher=[[Statistics Sweden]] |language=Swedish |date= |accessdate=12 March 2013 |archiveurl=http://arquivo.pt/wayback/20160515094458/http://www.scb.se/Pages/SSD/SSD_SelectVariables____340487.aspx?rxid=5f0515bd-ef54-4263-802b-a5f851e7d228&px_tableid=ssd_extern%3aUtlSvBakgTotNK |archivedate=2016年5月15日 |deadurldate=2017年9月 }}</ref>そのうち外国生まれの者は1,427,296人である。430,253人が父母共に外国生まれの両親を持ち、666,723人は、片方が外国生まれ、もう片方がスウェーデン生まれの親を持つ。
 
 
 
2010年の[[Eurostat]]の調査によると、スウェーデンには133万人の外国生まれの住民がいるとされ、これは全人口の14.3%にあたる。そのうち 859,000人(全人口の9.2%)は非EU加盟国生まれで、477,000 (全人口の5.1%)がEU加盟国生まれである。<ref>{{Cite web|url=http://epp.eurostat.ec.europa.eu/cache/ITY_OFFPUB/KS-SF-11-034/EN/KS-SF-11-034-EN.PDF |title=6.5% of the EU population are foreigners and 9.4% are born abroad|publisher=Eurostat |format=PDF |date= |accessdate=13 March 2013}}</ref><ref name="scb%252Ese">{{Cite web|url=http://www.scb.se/Pages/PublishingCalendarViewInfo____259923.aspx?PublObjId=11400 |title=Tabeller över Sveriges befolkning 2009 |language=Swedish |publisher=[[Statistics Sweden]] |date=24 January 2009 |accessdate=1 September 2011}}</ref>
 
 
 
2009年には年間の移民の数は過去最高に達し、102,280人を記録した。<ref>{{Cite web |url=http://www.scb.se/Pages/TableAndChart____26046.aspx |title=Befolkningsutveckling; födda, döda, in- och utvandring, gifta, skilda 1749–2007 |language=Swedish |publisher=[[Statistics Sweden]]|accessdate=2013-09-07}}</ref>移民のほとんどは、[[スヴェアランド]]や[[イェータランド]]の都市圏に集中している<ref name="scb%252Ese"/>。
 
 
 
2012年には、44,000人の[[難民]]を受け入れた。<ref>{{Cite news|url=http://www.ft.com/intl/cms/s/0/c4843956-c2f3-11e2-9bcb-00144feab7de.html#axzz2UIBxfkhu |title=Stockholm riots raise questions about immigration policy |publisher=''[[Financial Times]]'' |date=22 May 2013}}</ref>また、[[シリア争乱]]の状況悪化に伴い、2013年9月には、シリアからスウェーデンへの亡命希望者全員を受け入れ、永住権を付与すると発表した。<ref>{{Cite news|url= |title=スウェーデン、亡命希望のシリア難民全員受け入れへ |publisher=''[[AFPBB News]]'' |date=4 Sep 2013}}</ref>
 
 
 
=== 移民問題 ===
 
[[File:Kings of Sweden.jpg|thumb|right|180px|カール16世グスタフ「私も[[ベルナドッテ王朝|移民]]の子孫ですよ」(シルヴィア王妃はドイツ生まれのブラジル育ちで、ドイツ人の父と[[ブラジル人]]の母を両親に持つ)]]
 
 
 
スウェーデンでは次世代先進国のモデルとして「高福祉高負担」の社会モデルが注目されていたが、その影には[[移民政策]]による歪みが拡大している。
 
 
 
[[移民]]排斥を唱える[[右翼]][[政党]]の[[スウェーデン民主党]]が、反移民の空気の広がりを追い風にして[[2010年]][[9月]]のスウェーデン[[総選挙]]で初めて[[国政]]に進出し20議席を獲得した。党首の[[ジミー・オーケソン]]は「わが国の[[移民政策]]は失敗だった」と述べ、スウェーデン社会にとけ込まない移民に対する不満が右派政党躍進の背後にあったとみられている<ref>[https://web.archive.org/web/20101205053527/http://www.asahi.com/international/update/0920/TKY201009200198.html スウェーデン総選挙、中道右派政権続投 右翼政党も議席 (アサヒ・コム)]</ref>。
 
 
 
[[2013年]][[5月]]中旬、[[警察]]による[[男性]]射殺事件に端を発した抗議暴動は瞬く間に拡大し、[[ストックホルム]]市内とその周辺では車や学校への放火が相次いだ。警察署や学校が襲撃され、22日には一晩で90件の火事が発生した<ref name=afp />。これに関連しラインフェルト首相は、移民の社会統合の失敗がストックホルムにある諸問題の一因であることを認めており、拡大し続ける[[移民問題]]のひずみにどう対処するのか、スウェーデンの今後の社会動向が注目されている<ref name="afp">{{Cite news|newspaper=AFP |url=http://www.afpbb.com/articles/-/2945617?pid=10786496 |title= ストックホルムで3夜連続の暴動、車や学校に放火|date=2013-05-23}}</ref>。
 
 
 
=== 言語 ===
 
[[2009年]][[7月]]から[[スウェーデン語]] (svenska) が正式な[[公用語]]に制定された。そのほか、[[フィンランド語]]、[[メアンキエリ]]、[[ロマ語]]、[[サーミ語]]、[[イディッシュ語]]を話す者も少数いる。スウェーデン語は隣国の[[ノルウェー語]]、[[デンマーク語]]と類縁関係([[ゲルマン諸語]])にあり、スウェーデン語話者と[[ノルウェー語]]話者は相互に意思疎通ができる会話程度は可能であると言われる。
 
 
 
[[テレビ番組]]にアメリカ製番組の[[字幕]]版が多いといった文化面の影響もあり、[[イギリス]]の方が近いにもかかわらず、[[イギリス英語]]でなくて[[アメリカ英語]]で話す人たちもいる。<ref> [https://archive.fo/20040402101956/http://www.nakajima-msi.com/tooyama/hokuou03.htm 北欧通信第3号 スウェーデン人から見た日本像] (2004年)</ref>
 
 
 
=== 宗教 ===
 
[[福音ルーテル教会]]が[[スウェーデン国教会]]である。実際に、その人口の8割が福音ルーテル教会に所属している。
 
 
 
== 文化 ==
 
[[File:Swedish red house.jpg|thumb|right|300px|よく見られる伝統的な色づかいの家屋。]]
 
[[File:Portrait of August Strindberg by Richard Bergh 1905.jpg|thumb|right|220px|劇作家、小説家、[[ヨハン・アウグスト・ストリンドベリ]]。]]
 
[[File:Midsommardans av Anders Zorn 1897, sharp.jpg|thumb|right|220px|[[アンデシュ・ソーン]]画、『真夏の舞踊』(1897年)。]]
 
[[File:Ingmar Bergman Smultronstallet.jpg|thumb|right|220px|20世紀映画の巨匠、[[イングマール・ベルイマン]]。]]
 
 
 
=== 文化的嗜好(国民性) ===
 
{{出典の明記|section=1|date=2007年5月}}
 
<!--古代からドイツの圧倒的な影響を受けて来たことが影響しているためか親独感情が比較的強い。-->
 
 
 
=== 文学 ===
 
{{Main|スウェーデン文学}}
 
 
 
=== 音楽 ===
 
==== 民族音楽 ====
 
スウェーデンの民族音楽は、'''フォルクムジーク'''(folkmusik)と称され、'''フォルクダンス'''(folkdans、民族舞踊、正確には民間伝承舞踊と訳されるのが好ましい)と深いつながりがある。フォルクダンスの形態で有名なのは'''ポルスカ'''(polska)で、また、スウェーデン独自の楽器に'''[[ニッケルハルパ]]'''(nyckelharpa)がある。
 
[http://www.folkdansringen.se/riks/ (スヴェンスカ・)フォルクダンスリンゲン] は、スウェーデン最大の民間伝承(伝統)音楽及び舞踊に関する組織であり、関連する情報の提供源として挙げておく。
 
 
 
==== クラシック音楽 ====
 
[[バロック音楽]]の時代では、[[イギリス]]の[[ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデル|ヘンデル]]や[[ペープシュ]]に学んだ[[ユーハン・ヘルミク・ルーマン]](1694年-1758年)は、ヘンデルばりの[[合奏協奏曲]]や、[[ヨハン・ゼバスティアン・バッハ|J.S.バッハ]]の[[無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ]]に近い響きの 「ヴァイオリンのためのエッセイ」 を書いて、「スウェーデン音楽の父」 または 「スウェーデンのヘンデル」 と呼ばれた。古典派の時代には[[ドイツ]]生まれの[[ヨーゼフ・マルティン・クラウス]](1756年-1792年)が活躍し、[[短調]]の情熱的な曲を多く書いて 「スウェーデンのモーツァルト」 と呼ばれている。
 
 
 
[[ロマン派音楽]]の時代に入ると、[[フランス・アドルフ・ベルワルド]](1796年-1868年)、[[ヴィルヘルム・ペッテション=ベリエル]](1867年-1942年)、[[ヴィルヘルム・ステーンハンマル]](1871年-1927年)、[[ヒューゴ・アルヴェーン]](1872年-1960年)などの作曲家が挙げられる。
 
 
 
[[デンマーク]]の[[カール・ニールセン]]、ノルウェーの[[エドヴァルド・グリーグ]]、フィンランドの[[ジャン・シベリウス]]などと比べて[[クラシック音楽]]全体の知名度は劣るが、近年では北欧全体におけるそれぞれの自国の文化を保護・支援する制度が充実しているため、これらの作曲家のレパートリーも多く取り上げられるようになって来ている。
 
 
 
{{仮リンク|ペーテル・ヤブロンスキ|en|Peter Jablonski}}は、世界最高峰のピアニストのひとりとして有名である。
 
 
 
[[エリック・エリクソン (合唱指揮者)|エリック・エリクソン]]が長く指揮者を務めた[[スウェーデン国立放送合唱団]]や[[エリック・エリクソン室内合唱団]]などがある。
 
 
 
==== ポピュラー音楽 ====
 
{{独自研究範囲|date=2018-04|1960年代には[[スプートニクス]]がエレキインスト界を席巻した。1970年代後半に[[ABBA]]が世界中を席巻した。1980年代には[[ヨーロッパ (バンド)|ヨーロッパ]]や[[ロクセット]]などの[[バンド (音楽)|バンド]]が世界的レヴェルの人気を博した。1990年代中期に現れた[[エイス・オブ・ベイス]]は1994年に、ザ・サイン(''The Sign'')を全米シングルチャートの年間第1位にするという偉業を成し遂げている。}}
 
 
 
スウェーデンの[[ヨーロッパ (バンド)|ヨーロッパ]]、[[イングヴェイ・マルムスティーン]]などを中心に1980年代頃から開拓されたヘヴィメタル系の[[ロック (音楽)|ロック]]は、[[北欧メタル]]と称される。1990年代以降は特に[[エクストリーム・メタル]]において、[[アット・ザ・ゲイツ]]、[[イン・フレイムス]]、[[アーチ・エネミー]]、[[オーペス]]などの数々の[[メロディックデスメタル]]バンドを生み、世界的な影響を与えている。このようなヘヴィメタル・ミュージックが発展した理由に、[[:en:Arbetarnas bildningsförbund|ABF]]などからの色々な補助、地域の音楽学校やコミュニティの充実などを挙げるミュージシャンもいる<ref>{{Cite web|url=http://www.hmv.co.jp/newsdetail/article/1606061025/|title=【インタビュー】DARK FUNERAL|accessdate=2016-06-12|author=川嶋未来|publisher=Lawson HMV Entertainment, Inc.}}</ref><ref>{{Cite web|url=http://www.hmv.co.jp/newsdetail/article/1510271033/|title=【インタビュー】SABATON|accessdate=2016-06-12|author=川嶋未来|publisher=Lawson HMV Entertainment, Inc.}}</ref>。
 
 
 
また、1990年代は[[カーディガンズ]]など有名バンドを発信し、スウェーデンの[[ポピュラー音楽]]は[[日本]]でも親しまれていた。日本国内のポピュラー音楽にスウェーデンのスタッフが関わることも多く、[[BONNIE PINK]]、[[原田知世]]、[[PUFFY|パフィー]]、[[ジャニーズ事務所]]所属のアイドルグループ・[[NEWS (ジャニーズ)|NEWS]]などの楽曲に関わっている。
 
 
 
このように一時はヨーロッパ外の国々にもその名を知らしめもしたが、1990年代も半ばを過ぎてアメリカのポピュラー音楽が[[アフリカン・アメリカン]]や[[ラテンアメリカ]]系ないしその血を引く者達を主力とする[[リズム・アンド・ブルース|R&B]]/[[ヒップホップ|Hip-Hop]]の独擅場となってゆくにつれて、一時は衰退の一途を辿る傾向にあったが、[[ロック (音楽)|ロック]]では、[[iPod]]の宣伝にも起用された[[シーザーズ]]や、日本の音楽フェスティバル「[[サマーソニック]]」に何度も出演している[[マンドゥ・ディアオ]]が人気である他、近年では[[エレクトロニック・ダンス・ミュージック|EDM]]の隆盛に伴い、[[スウェディッシュハウスマフィア|スウェディッシュ・ハウス・マフィア]]や[[アヴィーチー]]などの[[ディスクジョッキー|DJ]]や、その流れを継いだ[[アイコナ・ポップ]]や[[トーヴ・ロー]]などの女性アーティストも全世界レベルで活躍中である。
 
 
 
=== 映画 ===
 
{{Main|スウェーデンの映画}}
 
 
 
=== 聖ルシア祭 ===
 
スウェーデンでは毎年12月13日に[[聖ルチア祭]]が行われ、「一番大切な冬の行事」と言われている。[[イタリア]]・[[シチリア]]生まれの女性聖者である聖[[シラクサのルチア|ルチア]]は貧しい人々に財産の全てを提供した純粋な人と言われている。貧民の生活に光を与えた彼女は、光の聖人として、また農耕の守護神として親しまれている。
 
 
 
16世紀に[[グレゴリオ暦]]が改訂されるまで、聖ルチア祭は[[北半球]]の[[冬至]]の日だった。冬至は一番日が短い日であるが故、日が長くなり始める日。日が長くなることを祝う古来からの民間信仰に、[[キリスト教]]の光の聖人がいつの間にか一体となって現在に至る。
 
 
 
長く暗く寒い三重苦の北欧の冬に一筋の光を投げ込むのが聖ルシア。この日の朝、女の子がいる家庭では白いドレスに蝋燭の冠を被った娘が父親にサフランパンとジンジャークッキーを持って行き、枕元で[[サンタ・ルシア|サンタ・ルチア]]の曲を歌う。父親はルシアのような光に包まれた娘に起こされる。
 
 
 
近年では職場や学校、教会などで聖ルシア祭が行われ、蝋燭の冠を被ったルシア姫を先頭に同じく白いドレスを着た女の子と星の使いに扮した男の子が行列を作ってサンタ・ルチアなどの歌を歌う。頭に載せたり手に持った蝋燭の淡い光が日の光を切望する[[北ヨーロッパ|北欧]]の人たちの気持ちを代弁しているようでもある。行列の後はサフランパンやジンジャークッキー、コーヒーやグレッグと呼ばれるホットワインが振る舞われる。
 
 
 
なお、[[イタリア語]]読みでルチアだったものが、スウェーデン語読みでルシアに変化している。
 
 
 
=== 世界遺産 ===
 
[[File:Drottningholm.jpg|thumb|世界遺産[[ドロットニングホルム宮殿|ドロットニングホルムの王領地]]]]
 
{{Main|スウェーデンの世界遺産}}
 
スウェーデン国内には、[[国際連合教育科学文化機関|ユネスコ]]の[[世界遺産]]リストに登録された[[文化遺産 (世界遺産)|文化遺産]]が11件、[[自然遺産 (世界遺産)|自然遺産]]が1件、[[複合遺産 (世界遺産)|複合遺産]]が1件存在する。
 
 
 
=== 祝祭日 ===
 
日曜日と重なっても[[振り替え休日]]にはならないが、祝日の前日が休みになっていたり、労働法により半日休暇を許可されていることが多い。[[キリスト昇天祭]]も[[メーデー]]と重なる5月1日になる場合があるが(2008年など)、この場合でも振り替え休日は発生しない。
 
 
 
{| class="wikitable" style="margin-left:1em; font-size:95%"
 
|-
 
!日付||日本語表記||現地語表記||備考
 
|-
 
|1月1日||[[元日]]||Nyårsdagen||
 
|-
 
|1月6日||公現祭([[東方の三博士]]の来訪記念日)||Trettondedag jul||
 
|-
 
|[[復活祭]]2日前||[[聖金曜日]]||Långfredagen||金曜日
 
|-
 
|[[復活祭]]翌日||イースターマンデー||Annandag påsk||月曜日
 
|-
 
|5月1日||[[メーデー]]||Första maj||
 
|-
 
|復活祭39日後||[[キリストの昇天#昇天祭|主の昇天(キリスト昇天祭)]]||Kristi himmelsfärds dag||木曜日
 
|-
 
|6月6日||[[建国記念日]]||Svenska flaggans dag||2005年より法定休日
 
|-
 
|夏至祭前日||[[夏至]]祭前日||Midsommarafton||金曜日
 
|-
 
|6月20日から6月26日の間の土曜日||[[夏至]]祭||Midsommardagen||元々は6月24日
 
|-
 
|復活祭50日後||聖霊降臨後の月曜日||Annandag pingst||2004年まで法定休日
 
|-
 
|11月1日||[[万聖節]]||Allhelgonadagen||
 
|-
 
|12月24日||クリスマスイヴ||Julafton||
 
|-
 
|12月25日||[[クリスマス]]||Juldagen||
 
|-
 
|12月26日||[[ボクシング・デー]]||Annandag jul||
 
|-
 
|12月31日||[[大晦日]]||Nyårsafton||
 
|}
 
 
 
=== スポーツ ===
 
<!--{{Main|スウェーデンのスポーツ}}-->
 
[[File:Olympic opening ceremony 1912.jpg|thumb|220px|[[ストックホルム・スタディオン]]]]
 
手厚い国庫負担によって国民の半分が何らかのスポーツに関与している。
 
 
 
==== サッカー ====
 
特に[[サッカー]]が盛んで、[[FIFAワールドカップ]]では地元開催の[[1958年]]大会で準優勝、1950年ブラジル大会、1994年アメリカ大会では3位に入っている。[[トマス・ブロリン|ブロリン]]、[[ヘンリク・ラーション|ラーション]]、[[フレドリック・リュングベリ|リュングベリ]]、[[ズラタン・イブラヒモヴィッチ|イブラヒモビッチ]]などヨーロッパのビッグクラブで活躍する選手も輩出している。
 
 
 
==== ウィンタースポーツ ====
 
[[ウィンタースポーツ]]も盛んに行われており、特に[[アイスホッケー]]はサッカーを凌ぐ人気スポーツである。[[NHL]]の[[デトロイト・レッドウィングス]]に所属する[[ヘンリク・ゼッターバーグ]]は国民的スターであり、ゼッターバーグが原動力となった2006年は[[トリノオリンピック]]と[[アイスホッケー世界選手権]]の両方で金メダルを獲得した。また、[[クロスカントリースキー]]、[[スノーボード]]、[[カーリング]]の強豪国でもある。
 
 
 
==== その他 ====
 
[[陸上競技]]では2004年[[アテネオリンピック (2004年)|アテネオリンピック]]で男子[[走高跳]]、男子[[三段跳]]、女子[[七種競技]]で金メダルを獲得するなど跳躍競技を中心に強い。また当初は陸上競技として捉えられていたものの、[[スウェーデン軍]]の斥候訓練が由来とされる[[オリエンテーリング]]も非常に盛んであり、他の北欧諸国と同じく強豪国として君臨している。他にボート競技、[[卓球]]、[[繋駕速歩競走]]など。[[ビョルン・ボルグ]]などを輩出した[[テニス]]は国技とされ、日本で言う[[国技館]]のようなテニス会場がある。
 
 
 
=== 結婚 ===
 
かつては婚姻の際、父姓に統一するのを原則とし、例外的に別姓とする慣習法があった。しかし1982年に、夫婦同姓・複合姓・[[夫婦別姓]]が選択できることが明文化された婚姻法が施行されている。また2009年からは、同性同士の結婚([[同性婚]])も認められた。その他、未婚の同棲者カップルを保護する[[サムボ法]]がある。
 
 
 
== 著名な出身者 ==
 
{{Main|スウェーデン人の一覧}}
 
<!--さすがに多すぎないですか?--> <!--スウェーデン人の一覧に移項して少数に留めるべき-->
 
[[File:AlfredNobel adjusted.jpg|thumb|right|[[アルフレッド・ノーベル]]]]
 
* [[スウェーデンのビルギッタ|聖ビルギッタ]](1303年 - 1373年) -  [[キリスト教]][[カトリック教会|カトリック]]の[[聖女]]
 
* [[エマヌエル・スヴェーデンボリ]](1688年 - 1772年) - [[神秘思想家]]
 
* [[アンデルス・セルシウス]](1701年 - 1744年) - 科学者([[セ氏]]寒暖計発明)
 
* [[カール・フォン・リンネ]](1707年 - 1778年) - 植物学者
 
* [[カール・ツンベルク]](1748年 - 1828年) - 植物学者、[[医学者]]
 
* [[ハンス・アクセル・フォン・フェルセン|フェルセン]](1755年 - 1810年) - 貴族・政治家([[マリー・アントワネット]]の愛人と言われる)
 
* [[アンデルス・エーケベリ]](1767年 - 1813年) - 化学者([[タンタル]]発見者)
 
* [[フランス・アドルフ・ベルワルド]](1796年 - 1868年) - [[作曲家]]
 
* フレデリカ・ブレーメル(1801年 - 1865年) - 急進的女性活動家
 
* [[アドルフ・エリク・ノルデンショルド|ノルデンショルド]](1832年 - 1901年) - [[探検家]]('''北東航路'''の発見、[[日本]]に寄港1879年)
 
* [[アルフレッド・ノーベル]](1833年 - 1896年) - 科学者、[[ノーベル賞]]設立者
 
* [[エレン・ケイ]](1849年 - 1926年) - 穏健女性活動家
 
* [[ヨハン・アウグスト・ストリンドベリ]](1849年 - 1912年) - 作家
 
* [[セルマ・ラーゲルレーヴ]](1858年 - 1940年) - [[作家]]
 
* [[スヴァンテ・アレニウス]](1859年 - 1927年) - [[科学者]]
 
* [[アンデシュ・ソーン]](1860年 - 1920年) - [[画家]]
 
* [[スヴェン・ヘディン]](1865年 - 1952年) - [[探検家]]('''[[中央アジア]]探検''')
 
* [[ヴィルヘルム・ペッテション=ベリエル]](1867年 - 1942年) - 作曲家、音楽評論家
 
* [[ヴィルヘルム・ステーンハンマル]](1871年 - 1927年) - 作曲家・[[ピアニスト]]・[[指揮者]]
 
* [[ヒューゴ・アルヴェーン]](1872年 - 1960年) - 作曲家、[[指揮者]]、[[ヴァイオリニスト]]、画家
 
* [[アンデルス・オングストローム]](1814年 - 1874年) - 天文学者・物理学者
 
* カール・ミレス(1875年 - 1955年) - [[彫刻家]]
 
* [[グンナール・アスプルンド]](1885年 - 1940年) - [[建築家]]
 
* [[クット・アッテルベリ]](1887年 - 1974年) - [[作曲家]]、音楽[[評論家]]
 
* [[パール・ファビアン・ラーゲルクヴィスト]](1891年 - 1974年) - 作家(1951年[[ノーベル文学賞]]受賞)
 
* [[オスカル・クライン]](1894年 - 1977年) - [[理論物理学者]]
 
* [[ベルナドッテ伯]](1895年 - 1948年) - [[赤十字社]]総裁、[[国際連合|国連]][[パレスティナ]]調停官
 
* [[グンナー・ミュルダール]](1898年 - 1987年)[[経済学者]] - (1974年[[ノーベル経済学賞]]受賞)
 
* [[ダグ・ハマーショルド|ダグ・ハンマルショルド]] - (1905年 - 1961年)[[国際連合|国連]]事務総長
 
* [[グレタ・ガルボ]](1905年 - 1990年) - 米[[ハリウッド]][[俳優|女優]]
 
* [[アストリッド・リンドグレーン]](1907年 - 2002年) - 作家
 
* [[ハンス・アルヴェーン]](1908年 - 1995年) - [[物理学者]]
 
* [[ユッシ・ビョルリング]](1911年 - 1960年) - [[テノール]][[歌手]]
 
* [[ラウル・ワレンバーグ]] (1912年 - ?) -  外交官・ユダヤ人の救出で活躍。
 
* [[イングリッド・バーグマン]]/ベルイマン(1915年 - 1982年) - 米ハリウッド女優
 
* [[イングマール・ベルイマン]](1918年 - 2007年) - [[映画監督]]、[[脚本家]]、[[舞台監督]]
 
* [[オロフ・パルメ|ウーロフ・パルメ]](1927年 - 1986年) - 政治家
 
* [[フジ子・ヘミング]]([[1932年]] - ) - [[ピアニスト]]
 
* [[ジェンス・バーテルソン]] - [[政治学者]]
 
* [[スヴェン・ゴラン・エリクソン]](1948年 - ) - [[サッカー]]監督
 
* [[ステラン・スカルスガルド]](1951年 - ) - [[俳優]]
 
* [[ビョルン・ボルグ]](1956年 - ) - 元プロテニス選手(国際テニス殿堂入)
 
* [[インゲマル・ステンマルク]](1956年 - ) -  元ワールドカップ スキー回転・大回転チャンピオン。1980年レークプラシッド五輪金メダリスト。70 - 80年代を代表するスキー選手。
 
* [[アンナ・リンド]](1957年 - 2003年) - 政治家
 
* [[イングヴェイ・マルムスティーン]](1963年 - ) - ギタリスト
 
* [[マッツ・ビランデル]](1964年 - ) - プロテニス選手
 
* [[ヤン=オベ・ワルドナー]](1965年 - ) -  卓球選手
 
* [[ステファン・エドベリ]](1966年 - ) - 元プロ[[テニス]]選手(国際テニス殿堂入)
 
* [[アニカ・ソレンスタム]](1970年 - ) - [[プロゴルファー]]([[世界ゴルフ殿堂]]入)
 
* [[ヘンリク・ラーション]](1971年 - ) - 元[[サッカー選手]] 、[[FCバルセロナ]]などに所属。
 
* [[ズラタン・イブラヒモビッチ]](1980年 - ) - サッカー選手 、[[ロサンゼルス・ギャラクシー|LAギャラクシー]]所属。
 
* [[フレドリック・ユングベリ]](1977年 - ) - 元サッカー選手、 [[清水エスパルス]]などに所属。
 
* マティアス・エクルンド(1969年 - ) - ギター&ヴォーカリスト。[[フリーク・キッチン]]
 
* [[アネッテ・ノルベリ]](1966年 - ) - [[カーリング]]選手。[[トリノオリンピック]]金メダリスト。
 
* [[ステファン・イシザキ]](1982年 - )  - サッカー選手。
 
* 三遊亭じゅうべえ(1985 - ) - 落語家。本名ヨハン・エリック・ニルソン・ビョルク。
 
 
 
== 脚注 ==
 
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== 出典 ==
 
{{Refbegin}}{{Reflist|2}}{{Refend}}
 
 
 
== 参考文献 ==
 
* [[岡沢憲芙]]・宮沢太]編 『スウェーデンハンドブック』 早稲田大学出版部 1997 ISBN 4-657-97523-4
 
* 岡沢憲芙・宮沢太郎編 『スウェーデンハンドブック第2版』 早稲田大学出版部 2004 ISBN 4-657-04512-1
 
* 岡沢憲芙・[[奥島孝康]]編 『スウェーデンの政治』 早稲田大学出版部 1994 ISBN 4-657-94626-9 (Waseda libri mundi 10)
 
* 岡沢憲芙・奥島孝康編 『スウェーデンの経済』 早稲田大学出版部 1994 ISBN 4-657-94627-7 (Waseda libri mundi 11)
 
* 岡沢憲芙・奥島孝康編 『スウェーデンの社会』 早稲田大学出版部 1994 ISBN 4-657-94626-9 (Waseda libri mundi 12)
 
* 岡沢憲芙 『スウェーデンの挑戦』 岩波新書 1991 ISBN 4-00-430177-7
 
* オロフ・ペタション著、岡沢憲芙・斉藤弥生・木下淑恵訳 『北欧の政治』 1998 早稲田大学出版部 ISBN 4-657-04512-1 (スウェーデン語の原書は1995年初版)
 
* [[武田龍夫]]著 『北欧の外交』 東海大学出版会 1998 ISBN 4-486-01433-2
 
* 武田龍夫著 『北欧』 中央公論社 1995 ISBN 4-12-002416-4
 
* 武田龍夫著 『物語 北欧の歴史』 中公新書 1993 ISBN 4-12-101131-7
 
* [[百瀬宏]]・志摩園子・大島美穂著 『環バルト海』 岩波新書 1995 ISBN 4-00-430408-3
 
* 百瀬宏・[[熊野聰]]・村井誠人編 『北欧史』 山川出版社 1998 ISBN 4-634-41510-0
 
* 伊藤和良著 『スウェーデンの分権社会』 新評論 2000 ISBN 4-7948-0500-4
 
* 河本佳子著 『スウェーデンの作業療法士』 新評論 2000 ISBN 4-7948-0475-X
 
* ヤン・カールソン著、堤猶二訳 『真実の瞬間』 ダイヤモンド社 1990 ISBN 4-478-33024-7 (スウェーデン語の原書は1985年初版)
 
* {{Cite report|author=ロバート・ダルシュ |date=2012 |url=http://www.nids.mod.go.jp/event/symposium/j2012.html |at=第10章 自立自存から連帯へ ─スウェーデンの防衛・安全保障政策の変革─」 |title=平成24年度安全保障国際シンポジウム報告書 |publisher=[[防衛省防衛研究所]] |ref=harv}}
 
  
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[[北ヨーロッパ]],[[スカンジナビア半島]]東部を占める国。[[立憲君主制]]国家。国土の 8.5%を[[ベーネルン湖]],[[ベッテルン湖]],シリャン湖,ストゥール湖,[[メーラレン湖]]をはじめとする 10万にも及ぶ湖水が占める。北部ノルランド地方は森林地域で,南部イェータランド地方は低い丘陵性台地と沿岸低地からなる農業地帯。積雪期間は最北部の[[カレスアンド]]で 10月~5月にわたるが,緯度のわりに気候は温和。北部に住む少数のエスキモー系[[サミ人]](いわゆるラップ),[[フィン人]]を除き,国民の大部分はゲルマン系([[北方ゲルマン人]])のスウェーデン人。公用語は[[スウェーデン語]]で,少数民族は[[サミ語]],フィン語([[フィン語派]])を使用。有史以前から[[ノルマン人]]が居住し,4世紀頃にはいくつかの小国家が形成され,10世紀末に統一国家が成立した。9~11世紀にキリスト教化され,国民の約 8割は福音ルター派に属する。1397年から[[デンマーク]]の支配下に入ったが,1523年独立を回復。産業は豊富に産出する鉄鉱石と石炭を利用する重工業,特に鉄鋼生産を中心とするが,軽機械の製造,伝統の農業,林業と合わせ,きわめて高度に発達している。19世紀に始まった火薬などの化学工業も盛ん。社会保障制度の行き渡った[[福祉国家]]としても知られる。外交政策は非同盟,中立。1995年[[ヨーロッパ連合]] EUに加盟。([[スウェーデン史]])
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==脚注==
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== 外部リンク ==
 
== 外部リンク ==
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; 政府
 
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; その他
 
* [http://www.oecdbetterlifeindex.org/countries/sweden/ OECD BetterLife Index - Sweden] (OECD)
 
* [http://www.jetro.go.jp/world/europe/se/ JETRO - スウェーデン]
 
  
 
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2018/9/1/ (土) 21:39時点における最新版

スウェーデン王国
Konungariket Sverige
国の標語:För Sverige i tiden
(スウェーデン語: スウェーデンのために、時代と共に)
公用語 スウェーデン語(2009年から)
首都 ストックホルム
最大の都市 ストックホルム

面積

総計 449,964km254位
水面積率 8.7%

人口

総計(2013年 9,596,436人(84位
人口密度 20人/km2
GDP(自国通貨表示)

合計(2008年 3兆1,578億[1]スウェーデン・クローナ
GDP (MER)

合計(2008年 4,845億[1]ドル(19位
GDP (PPP)

合計(2008年3,418億[1]ドル(???位
1人あたり 37,245[1]ドル
カルマル同盟より独立1523年6月6日
通貨 スウェーデン・クローナ (SEK)
時間帯 UTC +1(DST:+2)
ISO 3166-1 SE / SWE
ccTLD .se
国際電話番号 46

スウェーデン王国(スウェーデンおうこく、スウェーデン語: Konungariket Sverige)、通称スウェーデン

北ヨーロッパスカンジナビア半島東部を占める国。立憲君主制国家。国土の 8.5%をベーネルン湖ベッテルン湖,シリャン湖,ストゥール湖,メーラレン湖をはじめとする 10万にも及ぶ湖水が占める。北部ノルランド地方は森林地域で,南部イェータランド地方は低い丘陵性台地と沿岸低地からなる農業地帯。積雪期間は最北部のカレスアンドで 10月~5月にわたるが,緯度のわりに気候は温和。北部に住む少数のエスキモー系サミ人(いわゆるラップ),フィン人を除き,国民の大部分はゲルマン系(北方ゲルマン人)のスウェーデン人。公用語はスウェーデン語で,少数民族はサミ語,フィン語(フィン語派)を使用。有史以前からノルマン人が居住し,4世紀頃にはいくつかの小国家が形成され,10世紀末に統一国家が成立した。9~11世紀にキリスト教化され,国民の約 8割は福音ルター派に属する。1397年からデンマークの支配下に入ったが,1523年独立を回復。産業は豊富に産出する鉄鉱石と石炭を利用する重工業,特に鉄鋼生産を中心とするが,軽機械の製造,伝統の農業,林業と合わせ,きわめて高度に発達している。19世紀に始まった火薬などの化学工業も盛ん。社会保障制度の行き渡った福祉国家としても知られる。外交政策は非同盟,中立。1995年ヨーロッパ連合 EUに加盟。(スウェーデン史

脚注

  1. 1.0 1.1 1.2 1.3 IMF Data and Statistics 2009年4月27日閲覧([1]

外部リンク

政府
日本政府
観光






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