開高健
開高 健(かいこう たけし、かいこう けん[1]、1930年12月30日 - 1989年12月9日)は、日本の小説家。
Contents
生涯
大阪市天王寺区で父・正義、母・文子との間に長男として生まれる。7歳の時に住吉区北田辺(現・東住吉区)へ転居。1943年4月に旧制天王寺中学校(現・大阪府立天王寺高等学校)へ入学、5月に国民学校教頭であった父が死去する。
第二次世界大戦後に旧制大阪高等学校文科甲類(英語)に入学するが、学制改革により翌年大阪市立大学法文学部法学科(現・法学部)を再受験し入学し直した。当時の文学論の仲間に高原慶一郎がいた。大学在学中、谷沢永一主宰の同人誌『えんぴつ』に参加。1952年1月、同人仲間だった詩人牧羊子(壽屋勤務)と結婚。同年7月13日に、長女開高道子が誕生。1953年2月、大学在学中に洋書輸入商の北尾書店に入社。1953年12月1日に大阪市立大学卒業。
1954年2月22日、すでに壽屋社員であった羊子が育児のため退社するのに伴い、後任者として壽屋宣伝部に中途採用され、PR誌『洋酒天国』の編集やウイスキーのキャッチコピー(トリスウイスキーの「人間らしくやりたいナ」が有名)を手がける。この時代に『裸の王様』で芥川賞を受賞する。 遅筆で知られ、受賞後第一作となる「文學界」から依頼された原稿を、締め切り間近になっても上げることができなかった。開高は先に「群像(講談社)」に提出していた原稿を持ち帰り「文學界」に提出してその場を凌いだ。しかし、講談社の怒りを買って絶縁状を叩き付けられ、16年もの間講談社から干されてしまう[2]。これを機に壽屋を退職し、執筆業に専念する。
1960年、中国訪問日本文学代表団(野間宏団長)の一員として大江健三郎らとともに中国を訪れ、毛沢東、周恩来らと会見。随筆『地球はグラスのふちを回る』では当時の大江とのエピソードが記されている。
1964年、朝日新聞社臨時特派員として戦時下のベトナムへ。サイゴンのマジェスティック・ホテルを拠点にベトナム共和国軍(南ベトナム軍)に従軍して最前線に出た際、反政府ゲリラの機銃掃射に遭うも生還。総勢200名のうち生き残ったのは17名であった。『輝ける闇』『夏の闇』『花終わる闇(未完)』の3部作はこの戦争での凄烈な体験をもとに書かれている。
帰国後は小田実らのベ平連に加入して反戦運動をおこなったが、ベ平連内の反米左派勢力に強く反発し脱退、過激化する左派とは距離を置くようになる。その後は保守系の立場をとり、後に谷沢永一や向井敏などの右派系文化人を世に出した。
熱心な釣師としても知られ、日本はもちろんブラジルのアマゾン川など世界中に釣行し、様々な魚を釣り上げ、『オーパ!』、『フィッシュ・オン』など釣りをテーマにした作品も多い。現在では浸透している「キャッチ・アンド・リリース(釣った魚を河に戻す)」という思想を広めたのも開高だと言われている。また食通でもあり、食と酒に関するエッセイも多数ある。
開高健という名前について「一切名詞が入っていない珍しい名前で気に入っている」と週刊プレイボーイの人気連載「風に訊け」で綴っている。また、同連載で開高健を「かいた、かけん=書いた?書けん!」と変読みした読者からの投稿を非常に気に入り、度々サインの際に引用していた。開高自身が「かいこうけん」を名乗っていたことから、かいこうけんも正しい。
1989年、食道癌の手術後、『珠玉』を脱稿するも東京都済生会中央病院に再入院、食道腫瘍に肺炎を併発し死去[3]。58歳没。墓所は鎌倉・円覚寺塔中、松嶺院にある。死後、開高の業績を記念して、1992年から2001年までTBSブリタニカ(現阪急コミュニケーションズ)が開高健賞を、2003年から集英社がノンフィクションを対象に開高健ノンフィクション賞を創設した。また、後半生の16年間を過ごした神奈川県茅ヶ崎市に開高健記念館が開設されている。
受賞歴
- 1958年 -『裸の王様』で芥川賞。
- 1968年 -『輝ける闇』で毎日出版文化賞。
- 1979年 -『玉、砕ける』で川端康成文学賞。
- 1981年 - 菊池寛賞。
- 1987年 -『耳の物語』で日本文学大賞。
著作
小説
- (短編※は初出年。長編は刊行年)
- 『あかでみあ めらんこりあ』私家版 1951 のち角川文庫
- 「パニック」※1957
- 「巨人と玩具」※1957
- 「裸の王様」※1957-(翌年に第三十八回芥川賞受賞)
- 「流亡記」※1959
- 『裸の王様』文藝春秋新社 1958、「パニック・裸の王様」新潮文庫
- 『屋根裏の独白』中央公論社 1959
- 『日本三文オペラ』文藝春秋新社 1959 のち角川文庫、新潮文庫
- 『パニック』パトリア書店 1959
- 『ロビンソンの末裔』中央公論社 1960 のち角川文庫、新潮文庫
- 『片隅の迷路』毎日新聞社 1962 のち角川文庫、創元推理文庫(徳島ラジオ商殺しがモデル)
- 『見た揺れた笑われた』筑摩書房、1964 のち角川文庫
- 『輝ける闇』新潮社 1968 のち文庫(毎日出版文化賞受賞)
- 『青い月曜日』文藝春秋 1969 のち文庫
- 『七つの短い小説』新潮社 1969
- 『夏の闇』新潮社 1972 のち文庫
- 『新しい天体』潮出版社 1974 のち新潮文庫、光文社文庫
- 『歩く影たち』新潮社 1979 のち文庫
- 『渚から来るもの』角川書店 1980 のち文庫
- 『ロマネ・コンティ・一九三五年』文藝春秋 1980 のち文庫。短篇小説全6篇
- 「ロマネ・コンティ・一九三五年」※1978
- 「玉、砕ける」※1978、(翌年に第六回川端康成文学賞受賞)
- 『破れた繭 耳の物語1』新潮社 1986 のち文庫
- 『夜と陽炎 耳の物語2』新潮社 1986 のち文庫
- 『珠玉』文藝春秋 1990 のち文庫
- 『花終る闇』新潮社 1990 のち文庫
- 『二重壁・なまけもの 初期作品集』講談社文芸文庫 2004
随筆・ノンフィクション
- 『過去と未来の国々 中国と東欧』岩波新書、1961 のち同時代ライブラリー、光文社文庫
- 『声の狩人』岩波新書、1962 のち同時代ライブラリー、光文社文庫
- 『日本人の遊び場』朝日新聞社、1963 のち集英社文庫、光文社文庫
- 『ずばり東京』朝日新聞社、1964 のち文春文庫、光文社文庫
- 『ベトナム戦記』朝日新聞社、1965 のち朝日文庫
- 『饒舌の思想』講談社、1966
- 『私の釣魚大全』文藝春秋、1969、のち文庫
- 『フィッシュ・オン』朝日新聞社、1971、のち新潮文庫
- 『紙の中の戦争』文藝春秋、1972 のち同時代ライブラリー
- 『サイゴンの十字架』文藝春秋、1973 のち光文社文庫
- 『眼ある花々』中央公論社、1974 のち文庫
- 『午後の愉しみ』文藝春秋、1974
- 『開口一番』番町書房「ユーモアエッセイ集」 1974 のち新潮文庫
- 『白いページ』潮出版社(1-2)、1975 のち角川文庫
- 『開口閉口』毎日新聞社(1-2)、1976-77 のち新潮文庫
- 『自選作家の旅』山と渓谷社 1977
- 『オーパ!』高橋昇写真 集英社、1978 のち文庫
- 『白昼の白想 エッセイ 1967-78』文藝春秋 1979
- 『最後の晩餐』文藝春秋 1979 のち文庫、光文社文庫
- 『食後の花束 現代の随想』日本書籍 1979 のち角川文庫
- 『言葉の落葉』(1-4)、冨山房 1979-82、のち「All my tomorrows」角川文庫
- ※「ベトナム戦記」から「もっと遠く!」「もっと広く!」に至るルポルタージュ文学により、第二十九回菊池寛賞受賞(1981年)
- 『もっと遠く!南北両アメリカ大陸縦断記・北米篇』水村孝写真 朝日新聞社 1981 のち文春文庫
- 『もっと広く! 南北両アメリカ大陸縦断記・南米篇』朝日新聞社 1981 のち文春文庫
- 『地球はグラスのふちを回る』新潮文庫 1981
- 『食卓は笑う』新潮社 1982 のち文庫
- 『あぁ。二十五年 1958-1983』潮出版社 1983
- 『舞台のない台詞 気ままな断片383』文化出版局 1983 のち新潮文庫
- 『海よ、巨大な怪物よ オーパ、オーパ!!アラスカ篇』高橋昇写真 集英社 1983
- 『今日は昨日の明日 ジョージ・オーウェルをめぐって』筑摩書房 1984
- 『生物としての静物』集英社 1984 のち文庫
- 『風に訊け ライフスタイル・アドバイス』 集英社(1・2) 1984-85 のち文庫
- 『ああ好食大論争』潮文庫、1985
- 『今夜も眠れない 名著ゼミナール』角川書店 1985
- 『扁舟にて オーパ、オーパ!!カリフォルニア・カナダ篇』高橋昇写真 集英社 1985 のち文庫
- 『釣り人語らず』潮文庫 1985
- 『男と土曜日と水平線』潮文庫、1986
- 『王様と私 オーパ、オーパ!!アラスカ至上篇』高橋昇写真 集英社 1987 のち文庫
- 『知的経験のすすめ 何でも逆説にして考えよ』青春出版社、1987 のち文庫
- 『宝石の歌 オーパ、オーパ!!コスタリカ篇スリランカ篇』高橋昇写真 集英社 1987 のち文庫
- 『国境の南 オーパ、オーパ!!モンゴル・中国篇』高橋昇写真 集英社 1989 のち文庫
- 『知的な痴的な教養講座』集英社、1990 のち文庫
- 『小説家のメニュー』ティビーエス・ブリタニカ 1990 のち中公文庫
- 『オールウェイズ 単行本未収録全エッセイ』谷沢永一・浦西和彦編 角川書店(上・下) 1990 のち文庫(1-4)
- 『シブイ』ティビーエス・ブリタニカ 1990
- 『ピカソはほんまに天才か 文学・映画・絵画』中公文庫 1991
- 『衣食足りて文学は忘れられた!? 文学論』中公文庫、1991
- 『ゴルバン・ゴル 三つの河 開高健のモンゴル大紀行』高橋昇写真 角川書店 1992 のち朝日文庫
- 『開高健の博物誌』集英社新書 2001。奥本大三郎編・解題
- 『一言半句の戦場-もっと、書いた! もっと、しゃべった!』 集英社 2008
- 「単行本未収録作品集成」編集委員会編。副題に全集・単行本未収録エッセイ、コラム、インタビュー、対談・座談会・聞き書き他 1958~1989
- 『開高健の文学論』中公文庫 2010
- 『開高健ベスト・エッセイ』ちくま文庫 2018。小玉武編
対談集
- 『人とこの世界 対談集』河出書房新社、1970 のち中公文庫
- 『開高健の前略対談』面白半分 1976
- 『悠々として急げ 対談集』日本交通公社 1977 のち角川文庫
- 『黄昏の一杯 対談集』潮出版社 1980 のち潮文庫
- 『文人狼疾ス』対談江藤淳 文藝春秋 1981
- 『書斎のポ・ト・フ』 谷沢永一・向井敏、潮出版社 1981 のち潮文庫、ちくま文庫
- 『対談美酒について 人はなぜ酒を語るか 吉行淳之介vs.開高健』サントリー 1982 のち新潮文庫
- 『言葉を、もっと言葉を!・・・ 文学対談集』冨山房 1982
- 『街に顔があった頃 浅草・銀座・新宿 吉行淳之介VS.開高健』ティビーエス・ブリタニカ 1985 のち新潮文庫
- 『さまざまな邂逅』大和出版 1986
- 『水の上を歩く? 酒場でジョーク十番勝負』島地勝彦 ティビーエス・ブリタニカ 1989 のち集英社文庫
- 『もっと笑いを! 対談集』潮出版社 1990
共編著
- 『世界カタコト辞典』小田実 文藝春秋新社 1965 のち文庫
- 『平和を呼ぶ声 ベトナム反戦・日本人の願い』鶴見俊輔,小田実共編 番町書房 1967
- 『反戦の論理 全国縦断日米反戦講演記録』鶴見俊輔,小田実共編 河出書房新社 1967
- 『わが内と外なるヒトラー』佐々木基一共編 講談社 1974
- 『開高健とC・W・ニコルの野性の呼び声』立木義浩撮影 集英社 1984 のち文庫
- 『渓流道具づくし』山本素石共編 筑摩書房 1988
- 『渓流味づくし』山本素石共編 筑摩書房 1988
- 『渓流魚づくし』山本素石共編 筑摩書房 1988
著作集
- 『開高健全作品』小説(1-9) 新潮社、1973-74
- 『開高健全作品』エッセイ(1-3) 新潮社、1974
- 『開高健全ノンフィクション』全5巻、文藝春秋、1977
- 『開高健全対話集成』全8巻、潮出版社、1982-83
- 『人は、いざ・・・ 開高健全人物論集』全4巻、潮出版社 1983-84
- 『開高健全集』全22巻、新潮社、1991-93
伝記
- 牧羊子編 『悠々として急げ 追悼開高健』(筑摩書房, 1991)
- 谷沢永一『回想 開高健』(新潮社, 1992、PHP文庫, 1999)
- 「七つとしうえの女につかまり、しだいに事態の意味するところに気づき」「見る見る不機嫌となった」という、当時存命だった妻の牧羊子にとってショッキングな記述がある。
- 向井敏『開高健 青春の闇』(文藝春秋, 1992、文春文庫, 1999)
- 『開高健 今よみがえる巨人の全貌』(河出書房新社〈夢ムック〉, 2010、増補新版2015)
- 仲間秀典『開高健の憂鬱』(文芸社, 2004) - 医師の目から見た開高健、病跡学アプローチ。
- 菊谷匡祐『開高健のいる風景』(集英社, 2002)
- 高橋昇『男、が、いた。開高健』(小学館, 2004)
- 滝田誠一郎『長靴を履いた開高健』(小学館, 2006、朝日文庫, 2010)
- 坪松博之『壽屋コピーライター開高健』(たる出版, 2014)
- 小玉武 『開高健 生きた、書いた、ぶつかった!』(筑摩書房, 2017)
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関連項目
関連人物
- 井伏鱒二 - 文壇、趣味である釣りの両面、公私にわたって親睦。
- 佐治敬三 - サントリー社長(のち会長)。公私にわたって親睦。
- 谷沢永一 - 評論家。同人誌「えんぴつ」時代からの親友。
- 小松左京 - SF作家。開高の「日本三文オペラ」と小松の「日本アパッチ族」がともに、大阪砲兵工廠跡地で鉄屑窃盗を行いアパッチ族と称された人々を登場人物にしていたことがきっかけで知合い意気投合して親友に。互いの作品をリスペクトし合っていた。
- 山崎正和 - 劇作家。サントリー文化財団創立に尽力。
- 牧羊子 - 開高健夫人。詩人。2000年1月、自宅で死亡しているのを約5日後に茅ケ崎警察署員に発見される。
- 開高道子 - 開高健長女。エッセイスト。父の死後の1994年6月22日に鉄道自殺。
- 長谷川龍生 - 詩人。開高・牧・道子と、公私にわたって親睦。
- 向井敏 - 同人誌「えんぴつ」時代からの親友。
- 山口瞳 - 作家。寿屋(現・サントリー)宣伝部時代は同僚。
- 小田実 - 作家。ベ平連の活動に参加。
- 富士正晴 - 作家。主宰同人誌「VIKING」に開高は一時期参加。
- 大江健三郎 - 作家。第三の新人の後を受けた世代の作家
- 石原慎太郎 - 作家。同上。
- 秋元啓一 - カメラマン。ベトナム戦争に同行、後に釣行をともにし、公私にわたって親睦。
- 近藤紘一 - 作家。
- 菊谷匡祐 - 翻訳家・文筆家。作家生活の初期から公私にわたって親睦。
- 坂根進 - サン・アド(広告代理店。サントリーのハウスエージェンシー的存在)社長。寿屋宣伝部時代は同僚。
- 柳原良平 - イラストレーター。寿屋宣伝部時代は同僚。(アンクルトリスが有名)
- 坂本忠雄 - 文芸雑誌新潮元編集長。開高健記念会会長。
- 島地勝彦 - 「風に訊け」連載当時の週刊プレイボーイ編集長。公私にわたって親睦。
- C・W・ニコル - 作家・ナチュラリスト、公私にわたる開高の親友の一人。
- 常見忠 - 元野球選手・釣り師。「奥只見の魚を育てる会」事務局長(のち代表)。公私にわたる開高の親友の一人。
- ジャン=ポール・サルトル - 哲学者・文筆家。著書に深い影響を受け、大江健三郎と共に彼に会いにフランスを訪れる。
- 開高明日香 - はとこ(彼女からみて大叔父)[4]。関西で活動しているタレント。
出典
外部リンク
- 開高健記念会
- コレクシオン 開高健(蔵書目録など)
- 開高健 T・Kとの邂逅
- 開高健・名言集