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塩竈市(しおがまし、塩釜市)は、宮城県のほぼ中央、太平洋岸(仙台湾)に位置する都市である。日本有数の漁港を中心とする港町および志波彦神社・鹽竈神社の鳥居前町としての性格がある。
Contents
概要
宮城県のほぼ中央、仙台市と松島の中間に位置し、仙塩地区の中心の1つとなっている。松島湾と松島丘陵に囲まれており、平地のほとんどは埋立地である。市街地は、埋立地が6割、丘陵地が4割という比率である[1]。この狭い可住地に密集して人が住んでいるため、ロードサイド店出店に適した土地がない。そのため、減反政策で土地に余裕があった利府町や多賀城市にロードサイド店が多く進出するようになり、仙塩地区の商業の中心としての地位が奪われ、塩竈市中心部のみならず郊外部の商業も低迷している。(「経済」セクションも参照)
経済
経済状況は厳しく、市のアーケード街ではシャッターを閉めて閉鎖した店舗が目立つ(シャッター商店街)。観光による経済発展の為に設けられた旅客船ターミナル「マリンゲート塩釜」も、テナントが次々と撤退し赤字経営が続いている。
これらの原因は、多賀城市や利府町といった周辺地域や郊外に大型ショッピングセンターが次々と誕生した為に集客力が著しく落ちたためとされているが、2007年(平成19年)にはJR本塩釜駅周辺の環境を一斉に整備しており、同年5月、旧国鉄貨物ヤード跡地に「マックスバリュ」を核としたイオンタウン塩釜ショッピングセンターをオープンさせている(同年2月に閉店したジャスコ塩釜店の事実上の後継店)。また、食品スーパーのヤマザワが2010年(平成22年)4月3日に中の島地区に出店している。
産業
水産業が盛んで、生マグロの水揚げ、蒲鉾など魚肉練り製品の生産は日本一である。また、1 km2あたりの寿司屋店舗数、人口あたりの寿司屋店舗数も日本一多い[2]。
市名の表記(「塩竈」と「塩釜」)
鹽については、常用漢字では塩なので、市名では「塩」を用いている。「鹽」の字は、鹽竈神社以外にはあまり用いられていない。「竈」の字は拡張新字体の「竃」を用いていることもある。また、当地に関わる表記は、各機関・施設により「鹽竈」「塩竈」「塩釜」と書き分けられるが、全て「しおがま」と読む。
「塩釜市」と表記されることも多く、塩竈市内にある市以外の機関の名称の多くは「塩釜」になっており(郵便局も塩釜郵便局である。なお、杜の都信用金庫は塩竈営業部である)、JRの駅名でも「塩釜」(塩釜駅、本塩釜駅など)であるが、釜はいわゆる「ナベ・カマ」の「かま」であり、竈は釜をのせる「かまど」のことなので、字義が異なる[3]。
市名が鹽竈神社の社号によることから、同市の公文書での表記は「竈」の字に統一されているが、竈の字は書き方が難しいため、市の公用文以外は「竈」と「釜」のどちらを使用することも認められている。市では竈の漢字を正しく書いてもらうため、公式ウェブサイトやパンフレットなどで、「竈」の筆順を載せるなどのPR活動をしている[4]。
歴史
陸奥国の国府が現在の仙台市太白区(郡山遺跡)から多賀城市に遷った頃、陸奥国府の外港として、今の塩竈市内には国府津(こうづ)がおかれた(→仙台湾の港の歴史)。今の香津地区にあたると言われる。香津は内陸にあるが、古代には入り江が二つ、深く入り込み、南側の入り江に国府津があった。北側の入り江の北側に、海に面して“陸奥国の守護神”・鹽竈神社(しおがまじんじゃ)があった。港町と鹽竈神社は海を隔てて少々距離があったことになる。
陸奥国府が多賀国府(たがのこう)として七北田川沿いの岩切に移転すると、河口港の湊浜が国府最寄りとなり、塩竈の外港としての意義は薄れたが、以後は鹽竈神社と港湾を中心にして、中世にも町として続いた。町の名は神社からとられて塩竈となった。
戦国時代(室町時代後期)には留守氏の勢力圏にあり、留守氏が鹽竈神社の神人組織を自らの家臣団にした。伊達氏から養子に入った留守政景の代になって、実質的に伊達氏の領国の中に取り込まれた。
戦国時代の末期、伊達政宗は東北地方(奥羽)の南半分を征服し“奥羽の覇者”となった。天正18年(1590年)に伊達政宗が豊臣秀吉に服属したとき、留守氏も政宗を通じて間接的に服したはずだったが、秀吉は留守政景を自分に帰参しない独立大名とみなして取り潰した。政宗が政景に磐井郡黄海に2万石を割いて家臣にしたとき、留守氏の家臣はこれに従って移り住んだ。
慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いを経て、慶長5年12月24日(1601年1月28日)に伊達政宗が仙台城の築城を開始、後まで続く仙台藩領の形が定まった。これ以降1871年の廃藩置県まで、現在の塩竈市域を含む宮城郡は仙台藩の一部となった。
江戸時代、歴代の仙台藩主は”鹽竈神社の大神主”として、鹽竈神社を厚く保護した。そのため、鹽竈神社は大いに栄えた。
江戸時代に塩竈は、仙台市の外港として発展した。しかし、塩竈から仙台まで舟入堀と舟曳堀が引かれて物資が塩竈港を素通りするようになると、衰微しかけた。鹽竈神社を尊崇した伊達綱村は事態を憂えて、1685年に塩竈から課役を免除し、米以外の産物に塩竈への着岸を義務付けた。これによって町は活気を取り戻した。
明治時代のはじめに塩竈は人口約3500人を数えた。1887年(明治20年)に、今の東北本線の前身にあたる日本鉄道は、埠頭と直結する塩竈駅(現在の塩釜駅とは別)まで線路を敷いた。このことで、宮城県、あるいは東北地方における陸海の物流の結節点となり、流通業が大きく発展した。そして、のちにカメイややまやなどの宮城県を代表する企業が生まれた。1889年(明治22年)4月1日、町村制施行に伴い宮城郡塩竈町が発足した。
1910年(明治43年)に塩釜港は第二種港湾に指定され、港湾設備の整備が進んでいった。それまで気仙沼や宮古、釜石といった三陸沿岸諸都市との間に就航していた定期船に加えて、1928年(昭和3年)には函館や釧路といった北海道航路の定期船も就航した[5]。
1938年(昭和13年)9月1日、多賀城村と七ヶ浜村の一部を編入した。太平洋戦争開戦直前の1941年(昭和16年)11月23日に市制施行し、塩竈は日本国内で187番目、宮城県内で3番目の市となった。市章は戦中の1942年(昭和17年)4月1日に制定された[6]。
終戦後の1948年(昭和23年)海上保安庁の発足と共に、塩釜港に面して第二管区海上保安本部が設置された。商業港だった塩釜港は工業港と漁港の機能もあわせて整備されていくことになる[5]。
1949年(昭和24年)12月1日に多賀城村牛生地区を、1950年(昭和25年)4月1日に浦戸村を編入した。1960年(昭和35年)チリ地震で生じた津波は約1日かけて日本に到達し三陸沿岸を中心に被害をもたらした。塩竈では波で持ち上げられた船が街中に打ち上げられるなどした。
1962年(昭和37年)に制定された新産業都市建設促進法に基いて、1964年(昭和39年)3月3日に本市を含む仙台湾地区が新産業都市に指定された。すると、同法23条に基いて塩竈市や仙台市を含む8市町村で「仙塩合併」議論がなされたが、不調に終わった。
1996年(平成8年)1月24日に宮城郡利府町と境界を変更した。
2011年(平成23年)3月11日、東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)が発生し、これに伴う津波で沿岸部が浸水した。
- Boat on the Road.JPG
東北地方太平洋沖地震に伴う津波により道路に打ち揚げられた漁船
- Damage of Tsunami at Shiogama.JPG
東北地方太平洋沖地震に伴う津波の被害にあった鹽竈神社付近
- Flooded with high-tide in Shiogama.JPG
東北地方太平洋沖地震に伴う地盤沈下により満潮時に冠水してしまう市内の道路
行政
- 歴代町長
代 | 氏名 | 就任 | 退任 | 備考 |
---|---|---|---|---|
1 | 菊地雄治 | 1890年(明治23年)7月 | 1901年(明治34年) | |
2 | 水間豊稲 | 1901年(明治34年)10月21日 | 1911年(明治44年)5月14日 | |
3 | 根本四郎平 | 1911年(明治44年)6月24日 | 1918年(大正7年)2月12日 | |
4 | 菊池忠吉 | 1918年(大正7年)3月22日 | 1922年(大正11年)10月8日 | |
5 | 佐藤静治 | 1923年(大正12年)7月21日 | 1925年(大正14年)6月16日 | |
6 | 今村治三郎 | 1925年(大正14年)11月21日 | 1936年(昭和11年)2月7日 | |
7 | 佐浦重治郎 | 1936年(昭和11年)8月1日 | 1940年(昭和15年)7月31日 | |
8 | 今村治三郎 | 1940年(昭和15年)8月1日 | 1941年(昭和16年)1月6日 | 再任 |
9 | 東海林祐五郎 | 1941年(昭和16年)5月19日 | 1941年(昭和16年)11月22日 |
- 歴代市長
代 | 氏名 | 就任 | 退任 | 備考 |
---|---|---|---|---|
1 | 守屋栄夫 | 1942年(昭和17年)3月3日 | 1946年(昭和21年)5月1日 | |
2 | 桜井辰治 | 1946年(昭和21年)6月18日 | 1967年(昭和42年)4月30日 | |
3 | 川瀬基治郎 | 1967年(昭和42年)5月1日 | 1983年(昭和58年)4月30日 | |
4 | 内海勇三 | 1983年(昭和58年)5月1日 | 1991年(平成3年)4月30日 | |
5 | 三升正直 | 1991年(平成3年)5月1日 | 2003年(平成15年)4月30日 | |
6 | 佐藤昭 | 2003年(平成15年)5月1日 | 現職 |
不祥事
- 2014年11月、塩竈市役所が複数の生活保護受給者に対し子どもの養育先を指示したり、家庭環境を無視した指示をするなど不適切な対応を行ったことに対して宮城県より改善指導が為された[7]。
公共機関
国の出先機関
- 法務省仙台法務局塩竈支局
- 財務省横浜税関仙台塩釜税関支署塩釜事務所
- 国税庁仙台国税局塩釜税務署
- 厚生労働省宮城労働局塩釜公共職業安定所
- 厚生労働省仙台検疫所
- 農林水産省横浜植物防疫所塩釜支所
- 海上保安庁 - 第二管区海上保安本部、宮城海上保安部、第二管区情報通信管理センター
医療
郵便
- 塩釜新浜町郵便局
- 塩釜駅前郵便局
- 塩釜北浜町郵便局
- 塩釜藤倉郵便局
- 塩釜花立郵便局
- 塩釜佐浦町郵便局
- 塩釜東玉川郵便局
- 塩釜西町郵便局
- 塩釜長沢郵便局
メディア
地域
人口
塩竈市(に相当する地域)の人口の推移 | |
総務省統計局 国勢調査より |
教育
高等学校
中学校
小学校
- 塩竈市立第一小学校
- 塩竈市立第二小学校
- 塩竈市立第三小学校
- 塩竈市立月見ヶ丘小学校
- 塩竈市立杉の入小学校
- 塩竈市立玉川小学校
- 塩竈市立浦戸第二小学校(浦戸第一小学校は2004年3月31日閉校)
姉妹都市・提携都市
日本国内
- その他
- 全国門前町サミット - 全国の神社仏閣を中心に発展してきた門前町・鳥居前町を有する自治体・観光協会・商業関係者などが集まり地域活性、街作り推進のため開催する会議。
交通
鉄道
1997年(平成9年)までは、塩釜線(1956年に旅客扱いを廃止して貨物線化)の塩釜港駅もあった。
※JTB時刻表では当市の中心駅は塩釜駅となっているが、旧来の市街地、市役所の最寄り駅は本塩釜駅である。
バス
- ミヤコーバス(塩釜営業所)
- しおナビ100円バス
- NEWしおナビ100円バス
- 七ヶ浜町民バス「ぐるりんこ」
- 大郷町住民バス(塩釜駅 - 利府町 - 大郷町)
- 利府町民バス(東部路線一部)
フェリー・汽船
- 塩竈市営汽船(塩竈 - 浦戸諸島[8])
道路
一般国道
県道
博物館
- 塩竈市水産資料室
- 鹽竈神社博物館
- タイムシップ塩竈歴史展示室
- 塩竈市杉村惇美術館
名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
観光
祭り
- 鹽竈神社帆手まつり
- 塩釜市民まつり
- 塩竈みなと祭(“日本三大船祭り”の一つとされている)
名産
スポーツチーム
- 塩釜NTFCヴィーゼ - 東北社会人サッカーリーグ1部に所属。Jリーグ加盟を目指すクラブの1つである。
出身有名人
- 大友康平 - ミュージシャン(HOUND DOG)
- 菊池俊夫 - 元プロ野球選手(オリックス・バファローズ)
- 木村謙吾 - 元プロ野球選手(東北楽天ゴールデンイーグルス)
- 坂井道郎 - マルハニチロ取締役会長
- 佐々木勇人 - サッカー選手(京都サンガF.C.)
- 佐藤正 - 漫画家
- 島﨑信長 - 声優
- 須藤賢一 - キーボーディスト
- 高橋瞳 - 歌手
- 津太夫 - 日本で初めての世界一周をした船乗り
- 中野正志 - 政治家
- 中原誠 - 将棋棋士(十六世名人)
- 長井勝一 - 漫画雑誌『ガロ』初代編集長
- 西脇久夫 - 歌手(ボニージャックス)
- 畑中みゆき - モーグル五輪代表
- 馬場皐輔 - プロ野球選手
- 藤公之介 - 作詞家
- 平間至 - 写真家
- 平間智和 - サッカー選手
- 藤本信行 - 脚本家
- 松田公太 - タリーズコーヒージャパン創業者、現参議院議員
- 丸山正雄 - アニメプロデューサー
- 守屋武昌 - 元防衛事務次官
- 山寺宏一 - 声優、俳優、タレント
- YUKA - 歌手
- 横瀬いつか - キックボクサー
- 若合春侑 - 作家
ゆかりの人物
電話番号
塩竈市で利用されている市内局番は次のとおり。
- 塩釜収容局…361-1,3~9、362~367、762
- 浦戸収容局…361-2、369-2
- ひかり電話…仙台市と同一
脚注
注釈
出典
- ↑ 地形・地質(塩竈市)
- ↑ 塩竈市/くらしのガイド/「塩竈」は、どんなまち?
- ↑ 「塩竈」の「竈」の字の表記について
- ↑ 塩竈市公式サイト -「竈」の字について
- ↑ 5.0 5.1 『宮城縣史』復刻版5(地誌交通史)628-632頁。
- ↑ 図典 日本の市町村章 p36
- ↑ 【共同通信】2015年2月14日付「生活保護受給者に不適切対応 宮城・塩釜」
- ↑ “ようこそ、癒しの島へ。浦戸諸島 塩竈市営汽船”. 塩竈市. . 2018閲覧.
参考文献
- 宮城縣史編纂委員会 『宮城縣史』復刻版5(地誌交通史) 宮城県、1987年。
関連項目
外部リンク
- [{{#property:P856}} 公式ウェブサイト]