「オスマン帝国の君主」の版間の差分
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オスマン帝国の君主は、オスマン家の成員によって世襲され、20世紀初頭まで広大な版図を誇ったオスマン帝国に君臨した。
概要
君主は初代オスマン1世の父エルトゥールルの代から「ベイ」(君侯)の称号を帯びていたが、3代ムラト1世の代には「スルタン」を自称した。これ以降、オスマン帝国の君主は「スルタン」と呼ばれることが多い(日本語では「皇帝」、または「スルタン」と表記されることが多い)。また、公式には「ハン」、「シャー」、「地上における神の陰」、「両聖都(マッカとマディーナ)の守護者」、「パーディシャー(大王あるいは皇帝の意)」など、様々な称号が用いられていた。加えて一部の君主は、東ローマ帝国の継承者として「ルーム・カイセリ(ローマ皇帝)」の称号も用いていた。
19世紀には、「オスマン帝国の皇帝は、世俗の軍政の最高権力を持つスルタンの職権と信徒の長としてイスラム世界全体に精神的影響力を持つカリフの職務権を併せ持つ」とされ、「スルタン=カリフ制」の理論が形成された。しかし、元来はクライシュ族のみがつけるカリフ位にトルコ人のオスマン家がついたことには批判も見られた。
歴代君主
帝位請求者
- (37) アブデュルメジト2世、1922年 - 1944年
- 先代(最後の皇帝)メフメト6世の従弟
32代アブデュルアズィズ1世の子
- 先代(最後の皇帝)メフメト6世の従弟
- (38) アフメト4世、1944年 - 1954年
- 33代ムラト5世の孫
- (39) オスマン4世、1954年 - 1973年
- 先代の弟
33代ムラト5世の孫
- 先代の弟
- (40) アブデュルアズィズ2世、1973年 - 1977年
- 32代アブデュルアズィズの孫
(37) アブデュルメジト2世の甥
- 32代アブデュルアズィズの孫
- (41) アリー1世、1977年 - 1983年
- (38) アフメト4世の子
- (42) オルハン2世、1983年 - 1994年
- 34代アブデュルハミト2世の孫
- (43) エルトゥールル2世、1994年 - 2009年
- 先代の従兄
34代アブデュルハミト2世の孫
- 先代の従兄
- (44) バヤズィト3世、2009年 - 現在
- 31代アブデュルメジト1世の曾孫
36代(最後の皇帝)メフメト6世の兄メフメト・ブルハネッティン・エフェンディの孫
- 31代アブデュルメジト1世の曾孫