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オスマン帝国

(オスマンていこく、オスマントルコ語: دولتِ عليۀ عثمانيه‎, ラテン文字転写: Devlet-i ʿAliyye-i ʿOs̠māniyye)

トルコ族の一首長オスマン1世を始祖とするオスマン朝から発展して成立したイスラム帝国 (1299~1922) 。オットマン帝国ともいわれる。

13世紀末小アジア北西部にオスマン一族を中心とする新国家が形成され,隣接するビザンチン帝国領土を征服して勢力を拡大した。オルハン1世のときダーダネルス海峡を渡ってヨーロッパ側に進出し (1357) ,ムラト1世はエディルネ (アドリアノープル) を首都にしてバルカン諸国の連合軍をコソボの戦い (89) で破った。バヤジッド1世はドナウ河岸のニコポリスにヨーロッパ連合軍を撃破し (96) ,公式に「スルタン」を号したが,小アジアに西進したチムールの軍にアンカラの戦いで大敗した (1402) 。バヤジッドの子メフメット1世はオスマン国家を再建し,その子ムラト2世のときその版図はドナウ川に達した.

1453年メフメット2世はコンスタンチノープルを陥落させ,ビザンチン帝国は滅亡した。コンスタンチノープルはオスマン帝国の首都となり,イスタンブールと改称された。これ以後東方イスラム世界に対する征服が進められ,セリム1世はマムルーク朝を滅ぼしてその首都カイロに入城した (1517) 。カイロにあったアッバース朝カリフの末裔はセリムに「カリフ」の称号を譲り,ここにスルタン・カリフ制度が成立した。スレイマン1世の治世 (20~66) にオスマン帝国は最盛期に達し,アジア,アフリカ,ヨーロッパにまたがる大帝国が完成された。スレイマン1世をもってオスマン帝国の征服活動はほぼ完了し,大宰相をはじめとする国家官僚による統治機構が確立されたが,帝国内部の諸矛盾は克服されず,衰退の兆しが次第に明らかとなった。

1683年大宰相カラ・ムスタファ・パシャの指揮するウィーン包囲が失敗した頃からヨーロッパにおいて守勢に立ち,露土戦争後に締結されたクチュク・カイナルジ条約 (1774) によって帝国の後退は決定的となった。 1789年に即位したセリム3世は帝国の改革に着手し,これ以後開明的なスルタンが相次いで近代化に努めたがみるべき成果をあげえず,この間にギリシア,北アフリカ,エジプト,バルカン諸邦が西欧の影響下に帝国から離脱した。帝国末期アブドゥル・ハミト2世の専制政治に対し,1908年政治結社「青年トルコ」 (青年トルコ革命) が決起して政権を掌握したが,第1次世界大戦でドイツ側について惨敗した。戦後の混乱を収拾したケマル・アタチュルクは 23年トルコ共和国を宣言し,オスマン帝国は第36代メフメット6世をもって消滅した。