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東西両教会の分裂

1054年コンスタンチノープル総大主教ミカエル・ケルラリウスと教皇レオ9世による相互破門によって決定的となったラテン教会と東方正教会(ギリシア正教会。ギリシア正教)の分離。コンスタンチノープルの皇帝を擁する帝国以来の東方の教会と新興ゲルマン族に基盤を求めようとする西方の教会との関係は,神学,慣習,典礼の相違,神学論争,政治状況などによって数世紀にわたって悪化していたが,ケルラリウスがラテン教会の慣習を非難したのを機に論争が激化した。皇帝の仲裁にもかかわらず,ケルラリウスは,態度を変えず,東方教会の首脳会議を招集して教皇使節団を破門。ここに両教会の分裂は決定的となった。両者の関係改善の試みはその後も続けられ,第2回リヨン公会議(1274),フィレンツェ公会議(フェララ=フィレンツェ公会議。1439)での合同の決定も実を結ばなかった。1964年,教皇パウルス6世とコンスタンチノープル総大主教アシナゴラス1世がエルサレムで会談し,和解に向けた一歩をしるした。そして 2016年2月には教皇フランシスコとロシア正教最高位のモスクワ総主教キリル1世がキューバの首都ハバナの空港で会談を行なった。