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恐怖政治

La Terreur

フランス革命期に2次にわたって実施された政治体制。

(1) 第1次恐怖政治  1792年8月 10日~9月 20日パリで 3000人の反革命容疑者が逮捕され,愛国派 J.マラーに扇動されて,8月 10日の陰謀者や反革命容疑者を一掃することを決定,それが九月虐殺となって現れた。この事件は国民公会の招集とバルミーの戦いの勝利によって終了。

(2) 第2次恐怖政治  93年5月1日~6月2日のジロンド派追放から 94年7月 27日のテルミドール反動まで,フランス革命政府の支柱となった革命的テロリズムをいう。とりわけ,93年9月5日から国家のすべての敵と戦うために国民公会によって実行された。この間政権を握っていた山岳派サン=キュロットと同盟しようとするブルジョアジーの党派で,勢力としては少数派であり,その独裁遂行のために恐怖政治を必要とした。反革命容疑者法が制定され,少くとも 30万人が逮捕され,そのうち1万 7000人がギロチンにかけられて処刑され,そのほか多数が獄死したり裁判なしで殺された。それはまた経済問題 (「最高価格法」に示される統制経済) にも及び,他方「非キリスト教化運動」も推進された。しかし恐怖政治の激化はサン=キュロットを離反させ,テルミドール反動の一因をつくるにいたった。