性科学

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性のカウンセリング所
(インド・デリー)

性科学(せいかがく、: Sexology)は、人間の性に関する、実用的な知識技術科学的な集積を指す。この場合の知識や技術は、いわゆる「性の手練手管」的な通俗雑学知識ではない。医学臨床心理学等の知見に基づく科学的知識である。性は人間の存在にとって本質的に重要であり、性をめぐる「生活の質」(英語のQuality of lifeを略してQOLと呼ばれることが多い。以下QOL)の豊かさと充実を探求する実践の学、応用科学である。

概説

QOLにはさまざまな場面があるが、基本的には性科学は、「通常の」夫婦結婚生活における性生活の健康と豊かさを実現しようとする技術的な学である。それ故、男女のあいだの性行為における身体的・心理的な充足やクオリティ(質性)の実現を学の目標としている。また、結婚していない男女のカップルのあいだの性的関係の質の向上なども主題とする。

性行為が理想的に達成され、パートナー双方が身体的・心理的な喜びや満足・快感を得ることが学の目標である。性行為に関わる身体器官(生殖器官)の十全性や、性の生理学的機構、また心理的な調整の技術を研究すると共に、身体心理、いずれの場合でも、障害や不全性があるケースにおいて、これを補完し、性の医療技術や心理療法によってクオリティを高めようとする。

性行動を行う期間が生殖期間に比べて長いことはヒトの特徴の一つであるが、不妊等の研究と比較すると、楽しみとしての性に関する研究はタブー視されがちであった。しかし国民の平均寿命が伸び少子化により生殖期間が短くなった現代日本では、この種の研究分野の活性化が求められている(石濱、1998)。

性科学の展開

前節では性科学は「通常の」夫婦の結婚生活に関わるとした。しかし20世紀に入ると、人間の性的な可能性や人間相互の性的関係における多様なありようが承認されるようになった。西欧において伝統的に「異常」または「犯罪」であると見なされてきた同性愛が、決して異常な心理や行動の様式ではないということが社会的に認められて来たことが一つの例である。

同性婚が法的に承認される社会も21世紀となって、徐々に実現しつつある。このような社会の状況の進展を踏まえて、性の実践学である性科学も、伝統的な男女夫婦の性生活の充実という限局された目的だけではなく、広く多様な性的関係のなかでの人間の性的生活の豊かさを実現するための技術としてその適用分野の拡大を目指している。

同性愛両性愛の人々の性的生活の質の向上も、性科学の目標として視野に入っており、また『精神障害の診断と統計マニュアル』(DSM)において「パーソナリティ障害」とされる中の一部の症状・QOLの改善もまた、この技術の学の目標である。当然ながら、高齢者の性、子供青少年、更に障害者の性の問題なども、そのQOLの向上や健康への志向において、この実践学の研究対象である。

日本における性科学

日本においては、産婦人科医や臨床心理の専門家などが集まり、日本性科学会を造っている。この学会は、性の現象に関し、広く知見や知識を求めて、学際的な交流を進めると同時に、性の問題に悩む人々の生活を改善し向上させるため、カウンセリングやセックス・セラピーを行う専門家を育成し、資格認定を行うことを、その中心活動としている。

性の研究の歴史

古代ローマの詩人オウィディウスが紀元前3年頃に著した『愛の技術 (Ars Amatoria)』を始め、ヴァーツヤーヤナ(年代不詳)が著したとされるインドにおける性の教典である『カーマ・スートラ』(1世紀から6世紀頃)、16世紀アラビアにおいてマホメッド・エル・ネフザウィが著した『匂える園』等、古来から性的行為のマニュアルは多数存在する。しかしながら、これらはいずれも、経験的に蓄積された性の技術知識の雑然とした集積であり、また文学でもあった。当然、科学的または医学的研究の主題として「性」を扱ったものではなかった。

性的行為や性関係をめぐっては、社会共同体の構成原理やその機構とも密接に関連するため、様々な社会的規範や道徳的な基準が存在して来た。性をめぐる禁忌は多く、「正常な性的行為・性関係」が社会的・文化的規定される他方、人間の性の実際の有様について、これを公的に言及することは避けられる傾向も多くの社会には存在した。

20世紀に入り、西欧においては、従来キリスト教的な宗教道徳的視点から、異常行為・犯罪ともされていた「同性愛」が、犯罪ではなく、異常でもないという意見が、性の研究者たちによって主張された。また、フェミニズム運動ジェンダーの問題も提起され、「正常な性」だけを科学の対象とするのではなく、周縁の抑圧され否定されて来た性の現象も「性の科学」において扱うべきであるとの潮流が出現した。

このような流れにおいて、20世紀における「性の科学」運動以前で、最も初期の科学的な性の研究者は、リヒャルト・フォン・クラフトエビングである。彼はその著書『性的精神病理 (Psychopathia Sexualis)』において、性倒錯の系統的類型記述を初めて行い、また同性愛等についての実証的研究を行った。

19世紀の終わりから20世紀の初めにかけて、ジークムント・フロイト精神分析の理論を提唱した。フロイトの理論は、人間の心理行動は、無意識におけるリビドー(性的エネルギー)によって規定されるとしたため、精神分析学は、人間の性の現象や性行動を解明できる理論であると期待されたが、理論は科学的とは言い難かった。

1919年、人間の性の現象を総合的に研究しようと企図して、マグヌス・ヒルシュフェルトは、「性の学 (Sexualwissenschaft)」を提唱し、ベルリンに「性学研究所 (Institut fur Sexualwissenschaft)」を設立した。しかし1933年5月6日、政権を掌握したナチスによってこの研究所は破壊され、蔵書も燃やされた。

1947年アルフレッド・キンゼイインディアナ大学ブルーミントン校に Institute for Sex Research を設立した。この研究所は現在では、「 Kinsey Institute for Research in Sex, Gender and Reproduction(性、ジェンダー、生殖に関するキンゼイ研究所)」と呼ばれており、人間のジェンダー、および生殖の分野における学際的な研究を行い、性に関する研究の促進を目的とする。「キンゼー研究所( Kinsey Institute )」と略される。

キンゼイの統計的手法による社会学的調査と研究は、多数の実証的成果を挙げ、性に関する多様な事実知見を公にした。人間の性関係や性のありようを、「正常な性」に限局しようとする従来の医学心理学に対し、人間の生の現象の多様性を事実として科学的に認め研究しようとする方向が確立したとも言える。「性科学」もまた、このような趨勢に応じて、学際的な知見を元に、多様な性の現象に対応することを目指している。

性科学の関連分野

人間の性(human sexuality)の現象は、身体の生理学、身体医学心理学精神医学社会学文化人類学などと密接に関係し、更に、性的快楽とは何かということに関連して、大脳生理学神経生理学の分野にも広く知見・知識を求める。「性の研究」は、このように諸分野を横断した「学際性」を備えている。

広義の性科学の構想

このことから、性行為における身体的・心理的な質性(クオリティ)の実現と、その結果(妊娠出産性感染症)への対応をプラグマティックに研究することを基本とする「性科学」とは別に、人間の性の現象全般を、学際的な広域メタ科学・メタ学問として展望しようとする考えが存在する。「広義の性科学」とは、このようなメタ科学(総合科学)である。

しかしこのような「広義の性科学」は、科学学問としてどのような研究原理に依拠するのか、また体系性や巨大学問としての整合性において、単に構想を述べることはできても、実際の体系的学問としては構成することが極めて困難である。また学問としての具体的なありようも判然としない。現実にも、そのような広範な領域を横断した総合科学存在していないのが実状である。

「広義の性科学」は、構想において展望されているのみであり、今もなお実証的な体系的学問としては実在していないことに注意せねばならない。

関連項目

関連書籍

  • ダイアグラム・グループ編 『ウーマンズ・ボディ』 鎌倉書房
  • ダイアグラム・グループ編 『マンズ・ボディー』 鎌倉書房
  • 石濱淳美 『新編セクソロジー辞典』 メディカ出版 : 1995年 ISBN 4895733335
  • 石濱淳美 『セクシュアリティの医学』 メディカ出版 : 1998年 ISBN 4895737357
  • 村瀬幸浩 『セクソロジー・ノート』 十月舎 : 2004年 ISBN 4434041762

外部リンク