岡山シーガルズ

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岡山シーガルズ
原語表記 岡山シーガルズ
ホームタウン 岡山県
クラブカラー ロイヤルブルー、白、水色
創設年 1999年平成11年)
所属リーグ V.LEAGUE Division1
チーム所在地 岡山県岡山市東区東平島
体育館所在地
代表者 河本昭義
監督 河本昭義
ホームページ 公式サイト
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岡山シーガルズ(おかやまシーガルズ)は、岡山県岡山市を本拠地とする女子バレーボールクラブチームである。2018年7月現在、V.LEAGUE Division1(V1リーグ)に所属している。

チームの概要

1999年、前身の東芝シーガルズ活動停止をうけ、リーグ唯一のクラブチームとして同年よりVリーグ加盟。ホームタウンは岡山県。主なホームゲーム開催施設はジップアリーナ岡山。チーム名の由来は、海が近く、大空に飛び立つカモメを意味する。

監督である河本昭義の影響で、同チームの選手は大阪のバレーボール名門校、大阪国際滝井高等学校の出身者が多くを占めている。このことについては滝井側も自覚しており、自他共に「シーガルズジュニアチーム」を公認している。シーガルズが参加するリーグ戦等での同校在校生による応援風景はこのチームならではの風物詩となっている。

選手は一部プロ契約及び学生を除き、シーガルズ事務局職員として練習の合間に事務及び営業の仕事に従事している。

歴史

東芝シーガルズ時代(1971年-1999年)

チームの前身は、神奈川県横浜市にあった東芝京浜女子バレーボール部。後に「シーガルズ」を愛称とし、チーム名を「東芝シーガルズ」に改称する。1993年9月、大阪国際滝井高から河本昭義氏を監督に迎え、新体制を発足させ、翌年の全日本選手権(黒鷲旗)でベスト4入りを果たし、Vリーグ昇格を果たした。1996年シーズンにはヨーコ・ゼッターランドがチームに在籍していた事もある。諸般の事情により1999年5月をもって東芝の実業団チームとしての活動を終了。

シーガルズ時代(1999年-2006年)

東芝の休部に際し、監督である河本昭義と関係者は、後継として、ヨーロッパなどに存在する地域に根付いたクラブチームへの移行を模索して活動。チームの資本金を一企業が総負担するのではなく、複数の企業から出資された資本金を元手に自立したチームを立ち上げるよう奔走した。

1999年4月、選手はひとまずそれまで所属した東芝より、新たに立ち上げるチームの母体となる運営会社への出向という形をとることを了承される。出向としたのは、不測の事態のときに、選手が社員として東芝への復帰が可能とするための措置であり、これを見てVリーグは史上例のないクラブチームのリーグ参加について、下部への降格では無く、Vリーグに残って活動することに条件付の了承を出す。この措置は、同じ東芝のサッカー部を母体とした、コンサドーレ札幌と同様のものである。

同年5月には、2000年富山国体への強化策の切り札として、富山県黒部市が本拠地として活動する場を提供。選手22名、監督以下当時のスタッフ全10名が、新たに複数の協賛企業によって立ち上げる運営会社へ移籍することが決まった。

同年6月には、大阪のアイ電気通信社を中心とする関西・北陸の16社が、チームの母体となる株式会社ウォーク(社長・国方勲)を設立。この後、協賛企業は12社増え28社となり、それらの協賛企業が出資した資本金を元に、Vリーグ(現・プレミアリーグ)初のクラブチームとなった。チーム名称は冠名を付けず、マスコットネームの「シーガルズ」のみに変更された。

この年の1999年Vリーグシーズンを迎えるまでに、協賛企業は36社、サポーターは1200人を集めた。初年度の運営費は1億3000万に上った。その後の運営費の捻出については、地域との交流、自治体からの支援、クラブの現在の基本概念でもあるファンクラブ会員による会費での運営を目指した。この形態は現在も続いている。

河本昭義が岡山県笠岡市出身であることから、岡山県バレーボール協会の誘致などで2001年11月に、本拠地を現在の岡山市に移動した。2005年岡山国体の強化を見据えたもので、移籍したこの年より、大目標であった岡山国体をはさみ国体5連覇を達成した。

岡山へ移転した頃から、チーム設立以来低迷していたリーグ戦での成績も徐々に安定していく。なかでも、2005年の第11回Vリーグでは、最終戦の結果次第で初のセミファイナル進出という所まで迫った(最終戦で敗れ、5位に終わる)。

岡山シーガルズ時代(2006年-)

2006年4月1日に、岡山シーガルズにチーム名を変更。ここにいたり、ようやく地域名である岡山を冠にもつ地域密着型市民クラブチーム、岡山シーガルズとなり、改めて活動を活発化させていく。

  • 地元岡山に小、中学生による「岡山シーガルズジュニアチーム」を同月2日より発足。岡山の児童生徒に広く一流の技術と心構えを伝えていく。
  • 岡山県体教主導のトップアスリート派遣事業(晴れの国トップアスリート派遣事業)に精力的に参加。
  • 地元岡山理大付中・高と、スポーツ交流協定を結ぶ。岡山から世界に羽ばたく選手育成を目指すというもの。

2007年10月、埋もれた人材を発掘し広く門戸を開くのを目的に、女子のトップチームでは初となるトライアウト(入団テスト)を実施。川崎右芙子が採用第1号となった。

2008年、2007-08プレミアリーグにおいて女子クラブチームとして史上初となる上位4チームによるセミファイナルに進出し、前身の東芝時代も含めて最高成績の4位となった。

2010-11プレミアリーグでは、怪我人が相次ぎ成績が低迷。10シーズンぶりに最下位が確定したが、2011年3月11日に発生した東日本大震災により、当期リーグ戦の残り試合が中止となり、チャレンジマッチも中止となったため、岡山シーガルズの来シーズンのプレミア残留が決定した。

2012-13プレミアリーグでは、レギュラーラウンド4位で2シーズン連続してファイナルラウンドに進出し、チーム最高位となる3位を獲得した[1]

2013-14プレミアリーグでは3年連続でファイナルラウンドに進出、セミファイナルで1位となり優勝決定戦に進出[2]。決勝では涙を飲むもチーム最高となる準優勝を遂げた[3]

2016/17シーズンレギュラーラウンドで11連敗するなど不調が続き、7位となってV・チャレンジマッチに回った。2017年3月11・12日に行われたV・チャレンジマッチで上尾メディックスと対戦し初戦は3-1で勝利したものの第二戦では0-3とストレート負けしてVチャレンジリーグIへの初降格となった[4]

2017/18シーズンのVチャレンジリーグIでは、同じ降格組のPFUブルーキャッツと優勝争いを演じ、最終戦の直接対決を制して優勝を果たした[5]

エピソード

  • 河本が企業持ちの実業団チームから、クラブチームへの移行を具体的にイメージしていくきっかけとなったのは、当時交流のあったオランダ人監督が、日本のVリーグ実業団チームの運営費が高額であると驚く様子にあったという。ヨーロッパではこれほどの過剰な金銭をかけたチーム運営は考えられない、というもので、その頃からずっと、バレーボールチームはもっと手軽で、市民、地域に手の届くものであるべきであり、その範囲で相互に協力し合い運営されるべきものではないか、という構想を暖めていたとのこと。
  • 1999年、クラブ存続の望みを託して市民クラブを目指して、冠を持たないシーガルズとして再出発した当初は、「二年でつぶれるだろう」と揶揄されることもあった。
  • 2000年、富山国体では、成年女子6人制のみではなく、9人制にも選手を送り出した。結果、6人制では優勝、9人制においても準優勝を収め、富山総合優勝に大きく貢献した。
  • 国体優勝を果たした2000年富山国体であったが、その次年度の2001年はチームの本拠地をどこに置くかが長らく未定で、各種の対外試合に出場していなかった。株式会社ウォークは大阪が本社となっており、富山県のチームとして3年近く活動をしてきたが、ここにきて移転の動きが出てきたためである。
  • 2002年から2006年まで、国体の成年女子バレーボール6人制で史上最多の5連覇を達成。2006年9月、第26回日本サマーリーグ優勝(3年ぶり3回目)。プレシーズンの女王の異名を持つ。
  • ウィンディというチームマークを模したマスコットキャラクターがおり、今では大変親しまれているのだが、このマスコットが登場した際の新聞では「着ぐるみ」と書かれてしまってのお披露目だった。
  • 2011年に発生した東日本大震災における支援活動として、義援金の募集(選手のサイン入りクリアファイルの販売など)や、チャリティマッチを開催した。
  • 空間を超える和の力[6][7][8]というスローガンを掲げている時がある。

成績

主な成績

VプレミアV.LEAGUE Division1(Vリーグ
チャレンジリーグI
黒鷲旗全日本選抜
天皇杯・皇后杯全日本バレーボール選手権大会
国民体育大会成年女子(6人制)
Vカップ (現在廃止)
  • 優勝1回 (2001年 第2回大会)
  • 準優勝1回 (2000年 第1回大会)

年度別成績

大会名 順位 参加チーム数 試合数 勝率
Vリーグ 第6回 (1999/2000) 9位 10チーム 18 4 14 0.286
第7回 (2000/01) 10位 10チーム 18 3 15 0.167
第8回 (2001/02) 5位 9チーム 16 10 6 0.625
第9回 (2002/03) 6位 8チーム 21 8 13 0.381
第10回 (2003/04) 5位 10チーム 18 10 8 0.556
第11回 (2004/05) 5位 10チーム 27 14 13 0.519
第12回 (2005/06) 5位 10チーム 27 15 12 0.556
V・プレミアリーグ 2006/07シーズン 8位 10チーム 27 10 17 0.370
2007/08シーズン 4位 10チーム 27 14 13 0.519
2008/09シーズン 7位 10チーム 27 13 14 0.481
2009/10シーズン 6位 8チーム 28 10 18 0.357
2010/11シーズン 8位 8チーム 26 1 25 0.038
2011/12シーズン 4位 8チーム 21 11 10 0.524
2012/13シーズン 3位 8チーム 28 15 13 0.536
2013/14シーズン 準優勝 8チーム 28 17 11 0.607
2014/15シーズン 4位 8チーム 21 13 8 0.619
2015/16シーズン 6位 8チーム 21 9 12 0.429
2016/17シーズン 7位 8チーム 21 5 16 0.238
V・チャレンジリーグI 2017/18シーズン 優勝 7チーム 18 17 1 0.944
V・LEAGUE Division1 2018/19シーズン

選手・スタッフ

選手

2018年7月1日版[9][10]

背番号 名前 シャツネーム 国籍 P 備考
1 吉田みなみ MINAMI 日本の旗 日本 L/WS
2 山口舞 YAMAGUCHI 日本の旗 日本 MB マネージャー兼任
3 田口絢佳 TAGUCHI 日本の旗 日本 MB
4 吉岡美晴 YOSHIOKA 日本の旗 日本 WS
5 宇賀神みずき UGAJIN 日本の旗 日本 S
6 渡邊真恵 WATANABE 日本の旗 日本 WS
7 佐々木萌 M.SASAKI 日本の旗 日本 WS
10 西村弥菜美 NISHIMURA 日本の旗 日本 L
11 高柳萌 TAKAYANAGI 日本の旗 日本 MB
12 居村杏奈 IMURA 日本の旗 日本 MB
13 磯部光里 ISOBE 日本の旗 日本 MB
14 宮下遥 MIYASHITA 日本の旗 日本 S 主将
15 高田茉優 TAKADA 日本の旗 日本 S
17 林日向子 HAYASHI 日本の旗 日本 MB
18 金田修佳 KANEDA 日本の旗 日本 WS
19 森田夕貴 MORITA 日本の旗 日本 L
20 丸山亜季 MARUYAMA 日本の旗 日本 L
21 高野由里加 TAKANO 日本の旗 日本 MB
22 大楠鼓雪 OKUSU 日本の旗 日本 MB
23 前田明里 MAEDA 日本の旗 日本 WS
26 長瀬そら NAGASE 日本の旗 日本 MB
27 楢崎慈恵 NARASAKI 日本の旗 日本 L
28 川島亜依美 KAWASHIMA 日本の旗 日本 MB
31 小野寺夏希 ONODERA 日本の旗 日本 S
33 菱川文香 HISHIKAWA 日本の旗 日本 WS
55 堀ノ内麗 HORINOUCHI 日本の旗 日本 MB

スタッフ

2017年11月18日版[11][10]

役職 名前 国籍
部長兼監督 河本昭義 日本の旗 日本
副部長 中田聖子 日本の旗 日本
副部長 山河義弘 日本の旗 日本
副部長 木村英冶 日本の旗 日本
コーチ 吉田啓佑 日本の旗 日本
コーチ 神田千絵 日本の旗 日本
コーチ 浅山卓哉 日本の旗 日本
コーチ 金森純子 日本の旗 日本
マネージャー 高田さゆり 日本の旗 日本
マネージャー 平田真澄 日本の旗 日本
マネージャー 難波梓 日本の旗 日本
マネージャー 齊藤桃子 日本の旗 日本
選手兼マネージャー 山口舞 日本の旗 日本
トレーナー 長井雅子 日本の旗 日本
トレーナー 近藤沙織 日本の旗 日本
トレーナー 下司響生 日本の旗 日本
栄養管理士 北村舞子 日本の旗 日本
ドクター 舟木清美 日本の旗 日本
事務局 吉本美穂 日本の旗 日本
事務局 関明夫 日本の旗 日本
事務局 澤田利彦 日本の旗 日本
事務局 大峯剛 日本の旗 日本
事務局 延原庸介 日本の旗 日本

在籍していた主な選手

ユニフォーム

ユニフォームスポンサー

掲出箇所 スポンサー名 表記
右胸 中国銀行 中国銀行
吉備システム 吉備システム
ベネッセコーポレーション Benesse
岡山放送 OH!くん(イラスト)OHK
ナカシマプロペラ ナカシマプロペラ
山陽新聞社 山陽新聞社

※ 肩のスポンサーについては試合毎に左右の肩に2社表記される(試合によっては表記されない)。2008-09シーズンまでは、左右の袖にスポンサー表記があったが、2009-10シーズンからユニフォームの上着がノースリーブタイプに変更されたために、肩に変更された。

ユニフォームサプライヤー

オフィシャルスポンサー

(50音別)

現在のオフィシャルスポンサー
過去のオフィシャルスポンサー

いずれも、2007-08シーズンまで。

※上記は、中国銀行とともにチームのメーンスポンサーだった。

脚注

関連項目

外部リンク

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