勝負審判

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勝負審判(しょうぶしんぱん)は、大相撲において、行司とは別に相撲勝負の判定に加わる審判のことである。日本相撲協会寄附行為相撲規則によると審判委員(しんぱんいいん)と定義されている。

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土俵での行司・勝負審判・控え力士配置

役割

勝負審判は、土俵の東西に各1人、行司溜に2人、正面に1人の合計5人配置され[1]、日本相撲協会審判部所属の年寄が交替で務める。出場する勝負審判の装束は紋服白足袋でなければならない[2]。なお、5月場所から一重の羽織に紋付き、7月・9月場所は麻の着物に一重の紋付き姿である。

物言い

勝負審判は、勝負の判定を正しくし、公平に決定する責任があるから、行司の軍配に異議を感じた場合は、直ちに速かに、「異議あり」の意思表示物言い)をして、 協議に入らねばならない[3]。控え力士から物言いがあった場合は、勝負審判はそれを取り上げ協議しなければならない[4]。判定については審判5人による多数決で、見えていない場合は「見えていない」と表明して、評決に参加しないこともできる[5]。行司は意見は述べられるが評決には参加できない[6]。審判委員は一門の利益代表ではないが、一門の力士が絡んだ判定の場合には意見の強く押し通せる審判の声が通る場合もある。行司は「反則勝ち」「同体」の軍配をあげることができないため、実際に反則があったり同体であったりしても物言いがなければそのままとなる。

協議の際には審判長はビデオ室に控える親方の意見も参考にし、土俵上の各審判に伝える。正面の位置に座る審判が審判長となり、物言いの協議に際し、最終的に判定を裁決する[7]。審判長は十両土俵入りまでは審判委員の一人が務め、それ以降は審判部長もしくは審判部副部長が務める。

力士の監視

勝負審判は勝負の判定だけでなく、土俵上一切の競技進行に目を配り相撲競技規定に抵触または違反のないようにする責任がある[8]。たとえば、仕切りで十分に手を付かず立ち合った場合は勝負審判が相撲を止めることがある。過去には勝負が一度決まった後に手付き不十分で取り直しにしたこともあった。

1976年7月場所では、「待った」の応酬で8回も仕切りを長引かせた若三杉荒勢の対戦の際に、勝負審判全員が土俵にあがって両力士に直接注意を促したこともあった。水入り後の組み直しには満足するまで行司に注意しなければならない。

錣山の証言によると以前は力士の監視に関して「力士の足だけ見ていろ」と言われていたが、近年では髷掴みの問題も多く取組中の力士の様子をくまなく監視する必要があるという。

時間計測

行司溜赤房下(東寄り)の審判が時計係となる[9]。時計係審判は呼出と行司に制限時間(仕切り・水入り等)を伝える役目と、全体の進行を見極め、制限時間を調節する役目を担っている。また、白房下は一種の「予備役」で他の審判に故障が起きた場合は、その位置に回る。

ローテーション

本場所の場合、勝負審判は4班に分かれて行う。1班ごとの勤務時間は以下の通り:

1番:前相撲~序二段60枚目台
2番:序二段目60枚目台~三段目90枚目台
3番:三段目90枚目台~三段目20枚目台
4番:三段目20枚目台~十両土俵入り前
5番:幕下上位五番~中入
幕前半
幕後半

  • 1番に当たる班は1番のみ・2番に当たる班は5番を・3番に当たる班は幕前半を・4番に当たる班は幕後半を担当し、同じ日で座る位置が変わることはない。ただし、5番以降は審判長席に部長・副部長が座るため、班の中から1人が審判を担当せず控えに回ることとなり、2番から4番で審判長を務めた審判が控えに回った審判の座っていた席に着く。なお、ローテーションの都合により、2番から4番で審判長を務めた審判自身が控えになる場合もあり、その場合は審判長以外の4人の顔ぶれと着席位置は変わらない。
  • 4班のローテーションは、1班・2班・3班・4班を基準とし2班・3班・4班・1班、3班・4班・1班・2班、4班・1班・2班・3班と回る。
  • 班内ローテーションは、正面(審判長)を基点に反時計回りで回る。
  • 審判部長・副部長にもローテーションがあり、合計3人となっている現在は、5番・幕前半・幕後半に分かれて審判長を務め、翌日は前日幕後半だった人が5番に、5番だった人が幕前半に、幕前半だった人が後半へと回る。

審判部

審判部が業務として所管しているのは以下の業務である[10]。大相撲の世界において絶対である番付の編成を所管することから、審判部の役割は特に重要であるとされる。番付編成においては各力士の師匠が審判部に所属するか否かがその力士の番付昇降に大きく影響するとも言われる。横綱大関昇進の際は、審判部長が理事会の招集を要請することが昇進の前提となっている。審判部は、各部所との連繋を密にし、土俵上で結集した成果が上るよう努めるものとする[11]

  1. 土俵上の勝負の判定
  2. 取組の作成
  3. 番附の審査編成
  4. 力士・行司に対する賞罰に関する事項
  5. 公傷に関する事項
  6. その他相撲競技に関する事項
審判部長

審判部長は理事から、副部長は副理事(かつての監事)から理事長によって任命され[12]、それ以外の年寄が副部長に就任した場合は役員待遇となる。原則として違う一門から[13]選任されるが、理事長が直接適任者を指名するので、一門無所属の年寄が任命されることもある。

審判部長は戦後から平成中期まで歴代すべて横綱経験者が務めていたが、2002年2月の改選時において大関止まりの二子山親方(元貴ノ花)が、横綱未経験者から初めて審判部長に就任した。さらに2010年2月には関脇止まりで幕内優勝未経験の友綱親方(元魁輝)が審判部長に就任した(元横綱千代の富士九重親方とあわせて部長二人制)ほか、2012年2月には同じく鏡山親方(元多賀竜)が単独で審判部長に就任するなど、近年は横綱経験者に限らず務めている。

審判委員

審判委員は審判部に所属する年寄が勤める。審判委員の人数は当分の間20名以内とされ[14]、現在6系統ある各一門(出羽海一門、二所ノ関一門、時津風一門、高砂一門、伊勢ヶ濱一門、旧貴乃花一門[15])からの推薦に基づき理事長より任命される。一門に所属していない親方は当然ながら一門からの推薦を受けられないため、審判委員に就任することは通常ない。偶数年2月の役員改選時における職務分掌異動で任命され、主任の年寄が委員に昇格する際に新任されることが通例で、一度退任した後に、再任されることもある。また、定期異動外でも審判委員の病気勇退等で委員待遇平年寄から委員へ昇格させる形で抜擢されるケースもある。近年は役員改選時に平年寄や主任のまま審判部の職務を任じられ、審判委員となるケースもある[16]
また、2014年に導入された再雇用制度を利用し、一旦停年の後参与として再雇用された親方が審判に就任することもある[17]。審判部に所属する年寄は、大相撲中継の解説には出演しない。

審判委員については、戦後から2012年頃までは就任したほぼ全員が最高位前頭2枚目以上であり、一門からの推薦もおおむねこの基準で行われていたが、2012年以降は前頭2枚目以上の経験のない親方の就任例が急増している。それ未満の最高位で就任したのは以下の通り。

  • 高田川親方(前頭21枚目・朝若)幕内在位1場所のみ:1957年(昭和32年)に勝負検査役(現在の勝負審判)に就任した際、「幕尻1場所の経験で横綱・大関の相撲を裁くのはどうなのか」と話題になった。
  • 振分親方(前頭12枚目・朝嵐)幕内在位1場所のみ:奇しくも朝若と同じく高砂部屋の部屋付親方。
  • 谷川親方(前頭4枚目・白田山)幕内在位14場所:現役時代は高砂部屋所属であったが、引退後に九重部屋、次いで八角部屋に移籍。
  • 宮城野親方(前頭13枚目・竹葉山)幕内在位2場所:2012年(平成24年)2月に就任。大相撲八百長問題等で多くの親方が降格処分を受けていた中での抜擢で、また横綱白鵬の師匠という立場もあることから、最高位の低さについては特に話題とならなかった。
  • 東関親方(前頭10枚目・潮丸)幕内在位12場所:2012年(平成24年)2月に就任。委員ではなく、平年寄のまま就任(のちに主任、委員に昇進)。
  • 式秀親方(前頭9枚目・北桜)幕内在位12場所:2015年(平成27年)2月に就任。主任昇進と同時(のちに委員に昇進)。
  • 音羽山親方(前頭9枚目・光法)幕内在位4場所:2015年(平成27年)9月に就任。平年寄のまま就任(のちに委員に二階級昇進)。
  • 時津風親方(前頭3枚目・時津海)幕内在位50場所:2016年(平成28年)3月に就任。
  • 田子ノ浦親方(前頭8枚目・隆の鶴)幕内在位5場所:2016年(平成28年)3月に就任。委員昇進と同時。
  • 春日山親方(前頭11枚目・濱錦)幕内在位7場所:2016年(平成28年)3月に就任。主任昇進と同時。
  • 中川親方(前頭14枚目・旭里)幕内在位4場所:2017年(平成29年)4月に就任。

過去

勝負審判は、かつては江戸時代からの呼称である中改(なかあらため)、明治時代高砂改正組による改称後は検査役(けんさやく、番付上の表記は勝負檢査役)と呼ばれた。

現在のように、審判が土俵下から判定をみるようになった理由は、1930年の天覧相撲をきっかけにしたもので、それ以前は土俵の周囲の四本柱(現在の房の位置にあった)のところに座っていた。当時の行司による「四本柱の下に検査役が座っていた時代は柱の前に行けず(検査役の正面に立って視界を遮るという理由で柱の前で立ち止まることを禁じられていた)動きにくかったが土俵下に下りてからは気にせず動けるようになって裁きやすくなった」という証言がある。土俵下に降りたことで観客からも取組が見えやすくなるという利点もあった。

また、1950年代までは検査役は選挙で選ばれ、力士の有資格者も投票した。元横綱の太刀山引退して年寄・東関を襲名後まもなく廃業した理由は、検査役の選挙で落選したことが一因であった。

1968年の機構改革によって、勝負検査役の名称が審判委員に改められ、この時、部長・副部長以外の審判には部屋持ち親方を充てないこととした。この規定は1978年まで続いた。

かつては、年寄名跡を借用している年寄でもこの職務に就任することができたが[18]、現在は、原則として年寄名跡を正式取得している年寄しか就任できなくなっている。横綱・大関経験者は引退の時点で委員待遇を受けているため、名跡を取得している親方の中には引退から数年で勝負審判に選任されるケースもあり、芝田山親方(元横綱・大乃国)も襲名前の年寄・大乃国時代に勝負審判に選任されたケースがある(就任から間もなく芝田山を襲名したため、大乃国親方としての出場は1場所のみだった)。役員経験者の年寄は大抵腰掛けの形で審判委員を務めるが、玉ノ井親方(元大関・栃東)のように審判委員を経ずに副理事に昇格したケースもある(玉ノ井親方は副理事退任後の2018年3月に、委員に降格し審判委員となった)。

1945年の6月場所では、空襲が激しく物資が不足していたため勝負検査役は国民服姿であったという。

現在の勝負審判一覧

(2018年6月22日現在)

役職 年寄名 最高位・四股名 所属部屋 備考
審判部長 阿武松 関脇益荒雄 阿武松部屋 理事
審判部副部長 藤島 大関武双山 藤島部屋 副理事
錦戸 関脇・水戸泉 錦戸部屋 役員待遇
高田川 関脇・安芸乃島 高田川部屋
審判部委員 玉ノ井 大関・栃東 玉ノ井部屋 出羽海一門
大鳴戸 大関・出島 藤島部屋
竹縄 関脇・栃乃洋 春日野部屋
二子山 大関・雅山 二子山部屋
片男波 関脇・玉春日 片男波部屋 二所ノ関一門
田子ノ浦 8・隆の鶴 田子ノ浦部屋
放駒 関脇・玉乃島 二所ノ関部屋
中川 前14・旭里 中川部屋 時津風一門
時津風 前3・時津海 時津風部屋
立川 関脇・土佐ノ海 伊勢ノ海部屋
浦風 前1・敷島 陸奥部屋
九重 大関・千代大海 九重部屋 高砂一門
東関 前10・潮丸 東関部屋
千田川 小結闘牙 錦戸部屋
振分 小結・高見盛 東関部屋
浅香山 大関・魁皇 浅香山部屋 伊勢ヶ濱一門
前2・湊富士 湊部屋 無所属
審判部主任 西岩 関脇・若の里 西岩部屋 二所ノ関一門
友綱 関脇・旭天鵬 友綱部屋 伊勢ヶ濱一門
審判部年寄 貴乃花 横綱貴乃花 貴乃花部屋 無所属

歴代審判部長・副部長

※ここでは1982年以降の審判部長・副部長を記す。名前は就任当初のものを記した。

歴代審判部長・副部長(1982年~)
就任期間 審判部長 最高位・四股名 審判部副部長 最高位・四股名
1982年2月 - 1984年1月 鏡山 横綱柏戸 中立
九重
横綱・栃ノ海
横綱・北の富士
1984年2月 - 1986年1月 鏡山 横綱・柏戸 九重
佐渡ヶ嶽
横綱・北の富士
横綱・琴櫻
1986年2月 - 1988年1月 鏡山
九重
横綱・柏戸
横綱・北の富士
佐渡ヶ嶽 横綱・琴櫻
1988年2月 - 1992年1月 鏡山
九重
横綱・柏戸
横綱・北の富士
北の湖 横綱・北の湖
1992年2月 - 1994年1月 鏡山
九重[19]
佐渡ヶ嶽
横綱・柏戸
横綱・北の富士
横綱・琴櫻
不在
1994年2月 - 1996年1月 佐渡ヶ嶽[20] 横綱・琴櫻 北の湖
九重
横綱・北の湖
横綱・千代の富士
1996年2月 - 2000年1月 佐渡ヶ嶽 横綱・琴櫻 武蔵川
九重
横綱・三重ノ海
横綱・千代の富士
2000年2月 - 2002年1月 境川 横綱・佐田の山 武蔵川
九重
横綱・三重ノ海
横綱・千代の富士
2002年1月 - 2004年1月 二子山 大関貴ノ花 三保ヶ関
九重
大関・増位山
横綱・千代の富士
2004年2月 - 2006年1月 押尾川 大関・大麒麟 三保ヶ関
九重
大関・増位山
横綱・千代の富士
2006年2月 - 2008年1月 放駒 大関・魁傑 三保ヶ関
九重
大関・増位山
横綱・千代の富士
2008年2月 - 2009年2月 放駒 大関・魁傑 三保ヶ関
貴乃花
大関・増位山
横綱・貴乃花
2009年2月 - 2010年1月 放駒 大関・魁傑 三保ヶ関
高砂
大関・増位山
大関・朝潮
2010年2月 - 8月 九重[21]
友綱
横綱・千代の富士
関脇魁輝
三保ヶ関 大関・増位山
2010年9月 - 2012年1月 貴乃花 横綱・貴乃花 三保ヶ関
中村
大関・増位山
関脇・富士櫻
2012年2月 - 2013年1月 鏡山 関脇・多賀竜 松ヶ根
朝日山
大関・若嶋津
大関・大受
2013年2月 - 2014年4月 鏡山
伊勢ヶ濱[22]
関脇・多賀竜
横綱・旭富士
朝日山 大関・大受
2014年4月 - 2015年1月 伊勢ヶ濱 横綱・旭富士 井筒[23]
朝日山
関脇・逆鉾
大関・大受
2015年2月 - 2016年3月 伊勢ヶ濱 横綱・旭富士 井筒[24]
藤島
関脇・逆鉾
大関・武双山
2016年3月 - 2017年1月 二所ノ関 大関・若嶋津 藤島[25]
友綱
大関・武双山
関脇・魁輝
2017年1月 - 3月 二所ノ関 大関・若嶋津 藤島
友綱
山科
大関・武双山
関脇・魁輝
小結大錦
2017年4月 - 2018年3月 二所ノ関[26] 大関・若嶋津 藤島
山科
大関・武双山
小結・大錦
2018年3月 - 阿武松 関脇・益荒雄 藤島
錦戸
高田川
大関・武双山
関脇・水戸泉
関脇・安芸乃島

アマチュア相撲

アマチュア相撲では、この役割を担当するものを、副審と呼ぶ。副審は正面・向正面・東・西の四人が配置につく。

参考文献

公益財団法人日本相撲協会監修『ハッキヨイ!せきトリくん わくわく大相撲ガイド 寄り切り編』

脚注

  1. 相撲規則審判委員第1条では「審判委員は、幕内、十枚目は五人又は四人宛、幕下、三段 目、序二段は三人宛、それ以下は二人宛」としているが、「人数は、ときにより、変動することができる」ともしていて、現在は全階級で5人となっている。
  2. 相撲規則審判委員第9条
  3. 相撲規則審判委員第3条
  4. 相撲規則審判委員第5条
  5. 相撲規則審判委員第4条
  6. 相撲規則行司第17条
  7. 相撲規則審判委員第12条
  8. 相撲規則審判委員第6条
  9. 相撲規則審判委員第2条
  10. 審判部規定第3条
  11. 審判部規定第10条
  12. 審判部規定第2条
  13. 2018年6月25日現在、阿武松部長は旧貴乃花一門、藤島副部長は出羽海一門、錦戸副部長は高砂一門、高田川副部長は二所ノ関一門所属である。
  14. 審判部規定第2条
  15. 「阿武松グループ」に改称予定(“貴乃花親方一門離脱で無所属「本人決断」阿武松親方”. 日刊スポーツ. (2018年6月23日). https://www.nikkansports.com/battle/sumo/news/201806230000195.html . 2018閲覧. )
  16. 2012年(平成24年)2月就任の東関親方(前頭10枚目・潮丸)などが該当する。かつては、こういった最高位が平幕下位の親方が就任することが後に議論を呼ぶことがあったが、近年はなくなっている。
  17. 2016年8月就任の桐山親方(小結・黒瀬川)が該当する。
  18. 現役の年寄では武隈親方(元前頭・蔵玉錦)が立川の年寄株を借りていた時期(1994年1月場所後から1年間)に就任している。
  19. 1992年4月から陣幕へ名跡変更。
  20. 1995年7月場所は病欠のため枝川(元大関・北葉山)が代理。
  21. 2010年7月場所は大相撲野球賭博問題で謹慎したため中村(元関脇・富士櫻)が代理。ただし中村は副理事であったため副部長代理という形をとった。
  22. 2013年11月場所は病気で途中休場したため5日目以降は貴乃花(元横綱・貴乃花)が代理。
  23. 2015年1月場所は病欠のため二所ノ関(元大関・若嶋津)が代理。ただし二所ノ関は理事であったため部長代理という形をとった。
  24. 2016年3月場所は怪我で途中休場したため9日目以降は二所ノ関(元大関・若嶋津)が代理。ただし二所ノ関は理事であったため部長代理という形をとった。
  25. 2016年9月場所は病欠のため出羽海(元幕内・小城ノ花)が審判長代理。出羽海は理事であったが部長(または副部長)代理の形にはならなかった。
  26. 病欠のため2017年11月場所は伊勢ヶ濱(元横綱・旭富士)、2018年1月場所は出羽海(元幕内・小城ノ花)、3月場所は境川(元小結・両国)が代理。