三善為長

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三善 為長(みよし の ためなが、寛弘4年(1007年)- 永保元年8月3日1081年9月8日))は、平安時代中期から後期の貴族算博士雅頼の子。

長暦3年(1039年)に算博士となり、後に大外記主税権助を兼ねた他、美濃越後越前備前播磨の介を兼ねた。延久元年(1062年)には、長年の労により紀伝道以外の学者ながら対策の問答博士(試験官)に任じられ、同4年(1065年)には淡路を兼職する(『除目申文之抄』)。承暦3年(1079年)には従四位下に叙せられた。

実子三善雅仲従五位下大外記・算博士)がいたものの、算道に通じた門人射水為康養子に迎えて跡継ぎとした。