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ルディ・ペンバートン

この名前は、スペイン語圏の人名慣習に従っています。第一姓(父方の)はペンバートン第二姓(母方の)はペレスです。

ルディ・ヘクター・ペンバートン・ペレスRudy Héctor Pemberton Pérez, 1969年12月17日 - )は、ドミニカ共和国サン・ペドロ・デ・マコリス州サンペドロ・デ・マコリス出身の元プロ野球選手外野手)。韓国球界での登録名は、펨버튼。台湾球界での登録名は、柏頓

経歴

1987年デトロイト・タイガースと契約し、1995年4月26日にメジャーデビュー。翌1996年ボストン・レッドソックスに移籍。

1997年シーズン途中にNPB西武ライオンズに入団するが、入団直後に故障。復帰後も打率.175と成績が振るわなかったが、レギュラーシーズン最終戦で満塁本塁打を放ったのが効いたのか「鍛えれば使える」と判断され残留した。

1998年も9月まではまともな働きがなかったが、代打でこの年の初本塁打を放つと調子を挙げ、9月25日の対近鉄バファローズ戦で監督の東尾修はこの年苦手としていた相手左腕・真木将樹対策のため、ペンバートンを4番に大抜擢した。そしてこの試合で1本塁打を含む5打点の大暴れでチームを調子づかせた。その後も相手投手が左腕の際にはしばしば4番に座った。

横浜ベイスターズとの日本シリーズでは第1戦に4番を務めた。第5戦では敗色濃厚な中、五十嵐英樹相手に代打ホームランを放ち強烈な印象こそ残したが、守備の不安もありこの年オフに解雇された。

1999年マイナーリーグセントルイス・カージナルス傘下のAAA級メンフィス・レッドバーズなど)、2000年から2005年まではメキシカンリーグでプレー(2002年シーズン途中から同年終了まではKBO起亜タイガースでプレー)。起亜在籍時の2002年8月20日、対三星ライオンズ戦で林昌勇から腕に死球を受けた際、激昂し審判と喧嘩したため退場を命ぜられた。2006年CPBL誠泰コブラズでプレーし、同年限りで現役引退。

しかしながら、小林亮寛のブログによれば、2010年現在メキシコでプレーしていることが確認されている。

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
1995 DET 12 32 30 3 9 3 1 0 14 3 0 0 0 0 1 0 1 5 3 .300 .344 .467 .810
1996 BOS 13 45 41 11 21 8 0 1 32 10 3 1 0 0 2 0 2 4 0 .512 .556 .780 1.336
1997 27 70 63 8 15 2 0 2 23 10 0 0 0 0 4 0 3 13 0 .238 .314 .365 .679
西武 25 70 63 3 11 5 0 1 19 5 2 1 0 0 6 0 1 17 2 .175 .257 .302 .559
1998 38 82 69 10 19 0 0 5 34 15 2 0 0 1 10 1 2 16 0 .275 .378 .493 .871
2002 起亜 75 316 271 28 69 13 1 11 117 48 2 1 0 3 23 3 19 56 6 .255 .351 .432 .783
2006 誠泰 15 57 52 5 14 2 0 4 28 13 0 0 0 1 2 0 2 9 2 .269 .316 .538 .854
MLB:3年 52 147 134 22 45 13 1 3 69 23 3 1 0 0 7 0 6 22 3 .336 .395 .515 .909
NPB:2年 63 152 132 13 30 5 0 6 53 20 4 1 0 1 16 1 3 33 2 .227 .322 .402 .724
KBO:1年 75 316 271 28 69 13 1 11 117 48 2 1 0 3 23 3 19 56 6 .255 .351 .432 .783
CPBL:1年 15 57 52 5 14 2 0 4 28 13 0 0 0 1 2 0 2 9 2 .269 .316 .538 .854

記録

NPB

背番号

  • 18 (1995年)
  • 53 (1996年)
  • 44 (1997年 - 同年途中)
  • 42 (1997年途中 - 1998年)
  • 26 (2006年)

関連項目

外部リンク