ヨーゼフ・シュンペーター
ヨーゼフ・アロイス・シュンペーター[1](Joseph Alois Schumpeter、1883年2月8日 - 1950年1月8日)は、オーストリア・ハンガリー帝国(後のチェコ)モラヴィア生まれの経済学者である。企業者の行う不断のイノベーション(革新)が経済を変動させるという理論を構築した。また、経済成長の創案者でもある[2]。
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生涯
モラヴィアのトリーシュ(現・チェコ東部トジェシュチ)にドイツ系の家庭に生まれた。1901年にウィーンにあるウィーン大学法学部に進学し、1906年同大学にて博士号(法学)を取得。1908年『理論経済学の本質と主要内容』発表。
1909年にツェルノヴィッツ大学准教授、次いで1911年にグラーツ大学教授に就任。1912年『経済発展の理論』発表。1913年、アメリカ合衆国のコロンビア大学から客員教授として招聘され名誉博士号を受けた。
1919年、オーストリア共和国の大蔵大臣に就任したが同年に辞職。1921年にはビーダーマン銀行の頭取に就任したが、1924年に同銀行が経営危機に陥ったため、頭取を解任され、巨額の借金を負った。
1925年 ボン大学の教授に就任したのち、1927年にはハーバード大学の客員教授を引き受け、1932年には正教授に就任。この間の1931年には初めて来日し各地で講演を行っている。
1939年『景気循環の理論』発表。1940年、計量経済学会会長に就任し、その後も1947年にアメリカ経済学会会長に、1949年に国際経済学会会長に選出された。
1942年 『資本主義・社会主義・民主主義』発表。
1950年1月8日、コネチカット州にて動脈硬化症で急死。遺稿を元に『経済分析の歴史』が1954年になって出版された。
経済理論
一般均衡
シュンペーターは、レオン・ワルラス流の一般均衡理論を重視した。初の著書『理論経済学の本質と主要内容』は、ワルラスの一般均衡理論をドイツ語圏に紹介するものであった。しかし、古典派が均衡を最適配分として捉えているのに対して、シュンペーターは均衡を沈滞として捉えている。シュンペーターによれば、市場経済は、イノベーションによって不断に変化している。そして、イノベーションがなければ、市場経済は均衡状態に陥っていき、企業者利潤は消滅し、利子はゼロになる。したがって、企業者は、創造的破壊を起こし続けなければ、生き残ることができない。
イノベーション
イノベーションは、シュンペーターの理論の中心概念である。ちなみに、シュンペーターは、初期の著書『経済発展の理論』ではイノベーションではなく「新結合(neue Kombination)」という言葉を使っている。これは、クレイトン・クリステンセンによる「一見、関係なさそうな事柄を結びつける思考」というイノベーションの定義と符合する。なお、日本語では「技術革新」と訳されることが多いが、イノベーションは技術の分野に留まらない。
シュンペーターは、イノベーションとして以下の5つの類型を提示した。
- 新しい財貨の生産
- 新しい生産方法の導入
- 新しい販売先の開拓
- 原料あるいは半製品の新しい供給源の獲得
- 新しい組織の実現(独占の形成やその打破)
また、シュンペーターは、イノベーションの実行者を「企業者(entrepreneur)」と呼ぶ。この意味における企業者とは、一定のルーチンをこなすだけの経営管理者(土地や労働を結合する)ではなく、まったく新しい組み合わせで生産要素を結合し、新たなビジネスを創造する者である。この点を明確にするために、近年は「起業者」と訳されることがある。
信用創造
資本主義経済ではイノベーションの実行は事前に通貨を必要とするが、起業者は既存のマネーを持たないから、これに対応する通貨は新たに創造されるのが本質であるとシュンペーターは考えた。すなわちイノベーションを行う起業者が銀行から信用貸出を受け、それに伴い銀行システムで通貨が創造されるという信用創造の過程を重視した。貨幣や信用を実体経済を包むだけの名目上の存在とみなす古典派の貨幣ヴェール観と対照的である。
「銀行家は単に購買力という商品の仲介商人なのではなく、またこれを第一義とするのではなく、なによりもこの商品の生産者である。……彼は新結合の遂行を可能にし、いわば国民経済の名において新結合を遂行する全権能を与える」とシュンペーターは語っている。
景気循環
シュンペーターによれば、起業者が銀行からの借入を受けてイノベーションを実行すると、経済は撹乱される。そして、その不均衡の拡大こそが、好況の過程である。そして、イノベーションがもたらした新しい状況では、独占利潤を手にした先行企業に対して、後続企業がそれに追従することで、信用収縮(銀行への返済)が起こり、それによって徐々に経済が均衡化していくことで、不況になるとした。なお、これは、初期の『経済発展の理論』における基本的な見方であり、後の大著『景気循環の理論』では、景気循環の過程がより緻密に考察されている。
資本主義・社会主義
シュンペーターは、社会学的アプローチによる研究も行っている。この分野の主著である『資本主義・社会主義・民主主義』では、経済が静止状態にある社会においては、独創性あるエリートは、官庁化した企業より、未開拓の社会福祉や公共経済の分野に革新の機会を求めるべきであるとした。そして、イノベーションの理論を軸にして、経済活動における新陳代謝を創造的破壊という言葉で表現した。また、資本主義は、成功ゆえに巨大企業を生み出し、それが官僚的になって活力を失い、社会主義へ移行していく、という理論を提示した。マーガレット・サッチャーは、イギリスがこのシュンペーターの理論の通りにならないよう常に警戒しながら政権を運営をしていたといわれている。
また、シュンペーターは、カール・マルクスを評価していた。『経済発展の理論』[3]日本語訳(1937年)に寄せられた「日本語版への序文」では、「自分の考えや目的がマルクスの経済学を基礎にしてあるものだとは、はじめ気づかなかった」「マルクスが資本主義発展は資本主義社会の基礎を破壊するということを主張するにとどまるかぎり、なおその結論は真理たるを失わないであろう。私はそう確信する」と述べている。
ほか、経済学史家としても仕事をしており、初期に『経済学史』を著し、晩年に大著『経済分析の歴史』を執筆、没後に遺稿を元に出版されている。
人物
シュンペーター門下の日本人経済学者としては、ボン大学時代の留学生である中山伊知郎、東畑精一、同じくハーバード大学時代の柴田敬、都留重人などがいる。なお、伊東光晴によると、「日本の経済学者でシュンペーターのもとを訪れた者のうち、シュンペーター自身が、来る前から異常に高く評価したのは柴田敬であり、来た後に高く評価したのが都留重人であって、これ以外の人についてはほとんど評価していない」とされている[4]。
小室直樹は、シュンペーターの業績は経済学界ではさほど継承されておらず、むしろ経営学によって、その発想や視点が旺盛に摂取されていると述べている[5]。また小室は、シュンペーター自身は数学は得意ではなく、弟子のポール・サミュエルソンの数学の講義を聴いて勉強したと書いている[6]。
主な著作
- Wesen und Hauptinhalt der theoretischen Nationalökonomie, 1908
- Theorie der wirtschaftlichen Entwicklung, 1912
- "Epochen der Dogmen-und Methodengeschichte",Wirtschaft und Wirtschaftwissenschaft, p19-124, 1914
- 『経済学史 : 学説ならびに方法の諸段階』中山伊知郎・東畑精一訳
- Die Krise des Steuerstaats, 1918
- 『租税国家の危機』木村元一・小谷義次訳
- Business Cycles, 1939
- 『景気循環論 : 資本主義過程の理論的・歴史的・統計的分析』 金融経済研究所訳
- Capitalism, Socialism, and Democracy, 1942
- 『資本主義・社会主義・民主主義』中山伊知郎・東畑精一訳
『資本主義、社会主義、民主主義』大野一訳(日経BPクラシックス)
- History of Economic Analysis, 1954
- 『経済分析の歴史』東畑精一訳
関連書籍
- 伊東光晴・根井雅弘『シュンペーター』(岩波新書、1993年)
- 根井雅弘『シュンペーター』(講談社学術文庫、2006年。シュンペーターの評伝)
- 金指基『J・A・シュムペーターの経済学』新評論(1979年)