カマタマーレ讃岐
カマタマーレ讃岐 | |
---|---|
原語表記 | カマタマーレ讃岐 |
呼称 | カマタマーレ讃岐 |
愛称 | カマタマ |
クラブカラー |
サックスブルー[1] ネイビーブルー[1] オレンジ[1] |
創設年 | 1956年 |
所属リーグ | 日本プロサッカーリーグ |
所属ディビジョン | J2リーグ |
クラブライセンス | J2[2] |
ホームタウン | 高松市、丸亀市を中心とする香川県全県[1] |
ホームスタジアム | Pikaraスタジアム[1] |
収容人数 | 22,338[1] |
運営法人 | 株式会社カマタマーレ讃岐[1][3] |
代表者 | 熊野實[1] |
公式サイト | 公式サイト |
■テンプレート |
カマタマーレ讃岐(カマタマーレさぬき、Kamatamare Sanuki)は、日本の高松市、丸亀市を中心とする香川県全県をホームタウンとする[1]日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するサッカークラブである。
Contents
概要
1956年 (昭和31年)に香川県立高松商業高等学校サッカー部出身選手により結成された高商OBサッカークラブが前身。クラブ愛称の「カマタマーレ」 (Kamatamare)は釜玉うどんとイタリア語で海を意味する「マーレ (Mare)」を合わせた造語[1][3] で、讃岐は香川県の旧国名でもある[3]。エンブレムは、黄と水色の縞模様の上にうどん、中央には卵の黄身をイメージしたサッカーボールがあしらわれている。運営母体は株式会社カマタマーレ讃岐、マスコットはさぬぴーである。
ホームスタジアムはPikaraスタジアム[1]、練習場は高松市立東部運動公園[1]、丸亀市総合運動公園陸上競技場[1]、香川県総合運動公園サッカー・ラグビー場である[1](詳細は#スタジアム・練習場を参照)。
歴史
前身
- 1956年 - 高商OBサッカークラブとして創設[1][3]
- 1977年 - 第1回四国サッカーリーグに参加[1][3]
- 1979年 - 香川県サッカーリーグに降格
- 1981年 - 四国リーグに昇格
- 1991年 - 第48回国民体育大会の県指定強化チームとなり、
香川紫雲 ()フットボールクラブに改称[1][3]。紫雲とは高松市内にある石清尾山塊の山の名前である。 - 1994年 - 四国リーグで初優勝。
- 1996年 - 天皇杯全日本サッカー選手権大会に初出場。
- 1997年 - 四国リーグで2回目の優勝。
- 2000年 - 消費者金融のサンライフ(本社:高松市(当時))と5年間のスポンサー契約を結びサンライフフットボールクラブに改称[1][3]。
- 2005年 - 3月でサンライフとのスポンサー契約終了[3]。これを機に高松市民のチームとして生まれ変わり将来のJリーグ入りを目指すとして、平井卓也を代表とする高松スポーツクラブが発足し、チーム名も高松フットボールクラブに改称した[4]。また、2006年4月より使用する新チーム名を公募し、応募142件の中から75歳会社役員の案「カマタマーレ讃岐」に決定して10月23日に県営球技場で新エンブレムと合わせて発表した[5]。
2006年 - 2010年(四国リーグ)
- 2006年 - カマタマーレ讃岐に改称[1]。運営法人として特定非営利活動法人カマタマーレスポーツクラブを設立。四国リーグで3回目の優勝。地域リーグ決勝大会は予選リーグで敗退。
- 2008年 - 住谷幸伸が中心となって株主を募集、株式会社カマタマーレ讃岐を設立[6] し、クラブの運営を同社へ移管。羽中田昌が監督に就任。四国リーグで4回目の優勝。地域リーグ決勝大会は予選リーグで敗退。
- 2009年 - 穴吹工務店が胸スポンサーから撤退。これに代わるスポンサーが見つからなかったため、7月よりユニフォーム胸部分に「さぬきうどん」のロゴを入れ、1口1千円の支援を募った。特産品をユニホームのロゴにするプロチームは初めて[7] (2010年も継続。なお、2012年および2013年は「うどん県」ロゴを掲出した[8]。)
- 2010年 - 北野誠が監督に就任。西日本社会人大会、全国社会人選手権大会で優勝。四国リーグで5回目の優勝をして出場した地域リーグ決勝大会で優勝し、12月8日に日本フットボールリーグ(JFL)理事会でJFLへの入会が承認された。JFLに香川県のクラブが参入するのは初[9]。
2011年 - 2013年(JFL)
- 2011年
- 北野体制2年目。高松市議会議長の住谷幸伸が代表取締役社長に就任(社長の熊野實は代表取締役会長に就任)[10]。
- 2月にJリーグ準加盟クラブとして承認された[11]。
- リーグ戦は前期第16節(9試合目)時点で暫定首位に立ったが、後期第12節以降の終盤10試合で勝利がなく(3分7敗)、最終順位は11位。
- 2012年
- 北野体制3年目。Jリーグクラブライセンスを申請するが、財務状況や育成強化面の問題などから審査結果公表直前の9月27日にライセンス申請を取下[12] (経営の項にて詳述)。
- リーグ戦は前年より7つ順位を上げて4位の成績。第92回天皇杯は2回戦でJ1のサガン鳥栖に勝利。
- 2013年 ds
- 北野体制4年目。経営難の責任をとる形で住谷幸伸が社長を辞任し(代表権のない相談役に就任)、熊野實が代表取締役社長に復帰。代表取締役会長にクラブ後援会副会長でカナック元社長の大西大介が就任した[13](詳細後述)。
- リーグ戦は第17節終了時点で首位となり、JFLシード枠で第93回天皇杯に出場したが、2回戦で千葉に敗北。
- 9月30日、クラブライセンス交付第一審機関(FIB)より、J2入会審査合格という条件付きで2014年度のJ2ライセンスが交付されたが[14]、10月9日のJリーグ入会に向けてのヒアリングでは、財務基盤がJ2水準に達していないとの指摘を受けた[15]。
- 10月30日、再度のヒアリングで財務基盤の強化と有料入場者数の低迷について指摘を受けたが[16]、11月19日に開催されたJリーグの理事会で条件付でのJ2入会が承認された[17]。(詳細は#経営を参照)
- 11月10日、第32節で2位が確定。2013年度J2最下位のガイナーレ鳥取とのJ2・JFL入れ替え戦は1勝1分となり、2014年シーズンからのJ2入会が決定した[1]。
2014年 - (J2)
- 2014年
- クラブスローガン :「邁進」
北野体制5年目。栃木SCから地元香川出身の高木和正、琉球から元日本代表のFW我那覇和樹らを獲得。
シーズン途中にSCコリンチャンス・アラゴアーノからG大阪に期限付き移籍していたエブソン、札幌から古田寛幸が加入。
J2ワーストタイの開幕7連敗を喫する[18] など第14節まで未勝利(2分12敗)、第15節の富山戦でようやくJ2初勝利を挙げたが下位に低迷。第41節に21位が確定し、2年連続でJ2・J3入れ替え戦に回ったが、1勝1分の成績でJ3リーグ2位の長野を破り、J2残留を決めた。天皇杯は2回戦で松本に敗れた。
- 2015年
- クラブスローガン :「共躍」
北野体制6年目。
西野泰正、波夛野寛が引退。大杉誠人、森田耕一郎、持留新作、ソン・ハンキが契約満了で退団し、古田寛幸(札幌へ復帰)、藤井大輔(長崎へ復帰)が期限付き移籍期間満了となった。
一方、G大阪から沼田圭悟、山形から清水健太、群馬から永田亮太、町田から木島徹也をそれぞれ完全移籍で、京都から高橋祐治、熊本から仲間隼斗をそれぞれ期限付き移籍で獲得。エブソンの期限付き移籍期間を延長した。
開幕戦で大分に勝利するなど前年を上回る戦績を残し、前半戦を14位で終える。シーズン中の選手獲得はなかった。11月8日、第40節の大宮戦で引き分けて20位以上が確定。最終順位は16位。総失点33はリーグ最少だったが、一方で総得点30もリーグ最低だった。
- 2016年
- クラブスローガン :「旋風」
北野体制7年目。北野監督は今期の目標について、「勝点は56以上、順位は10位」と設定した[19]。
高橋泰、関原凌河が引退、ジョン・ジンホ、アンドレア、森保翔平が契約満了で退団、野口遼太、堀河俊大が東海1部・鈴鹿アンリミテッドFCへ移籍、高橋祐治(京都へ復帰)が期限付き移籍期間満了となった。
一方、大分から西弘則、水戸から馬場賢治、JFL・Honda FCから砂森和也をそれぞれ完全移籍で、ブラジル・SEパルメイラスからミゲルを期限付き移籍で獲得。エブソンの期限付き移籍期間を再び延長、仲間隼斗は完全移籍に移行、品川大輝、玉城史也が加入した。
開幕から4試合を3勝1分の好スタート、得点も7得点をあげて昨季までの得点力不足を払拭したかに思われたが、その後は低迷し、第40節終了時点で最下位と勝ち点差2の20位まで順位を下げた。第41節で長崎を降し、下位2チームが敗れたためようやくJ2自動残留が決定。勝ち点43の19位と目標に届かず終わった。
- 2017年
- クラブスローガン :「飛翔」
北野体制8年目。北野監督は今期の目標について、リーグ戦6位以上とプレーオフ進出に設定した[20]。
石井健太、品川大輝、ハン・チャンジュ、藤田浩平、小澤雄希が契約満了で退団、藤井航大が町田へ完全移籍、ミゲルが期限付き移籍期間満了となった。北九州から原一樹、横浜FCから市村篤司、岡山から松原修平、長崎から李栄直を完全移籍で獲得。2年半期限付き移籍加入だったエブソンが完全移籍に移行、中島大貴、長澤拓哉が新加入した。
シーズン途中に、元徳島のアレックスを獲得、千葉からイ・ジュヨンが期限付き移籍で加入した。
開幕から5戦勝利無し(3分2敗)ののち第6節湘南戦で初勝利をあげたが、次節より再び11戦勝利無し(4分7敗)、さらに第18節金沢戦での2勝目を挟んで7戦勝利無し(6敗1分)を記録し、第25節終了時点でJ3自動降格圏の21位に低迷していたが、第26節よりクラブ記録の5連勝を記録した。しかし31節から最終節までは1勝6分け5敗と低迷。降格争いに巻き込まれ、昨年と同じく19位でシーズンを終えた。
成績
タイトル
チーム
- 四国サッカーリーグ:5回
- 1994, 1997, 2006, 2008, 2010
- 全国地域サッカーリーグ決勝大会:1回
- 全国社会人サッカー選手権大会:1回
- 西日本社会人サッカー大会:1回
- 2010
- 香川県サッカー選手権大会(兼天皇杯全日本サッカー選手権大会香川県予選):14回
- 1996-2001, 2005, 2012
個人
スタジアム・練習場
ホームスタジアムは丸亀市の香川県立丸亀競技場(2015年9月1日より命名権により「Pikaraスタジアム」と呼称)であり、J2昇格以後はすべてのホームゲームをここで開催している。
なお、2013年まで(J2昇格前まで)は高松市の香川県総合運動公園サッカー・ラグビー場(香川サ)でもホームゲームを開催していた。香川サは1万人収容となっているが、固定席がメインスタンド中央部の806席しかないため、J3の開催基準「座席原則5,000人以上」を満たしていない。また、四国リーグ時代には高松市立屋島陸上競技場でもホームゲームを開催していたが、改修前のそれはJ3基準をも充足していなかった。2017年のリニューアル完成により、座席(メイン・バックスタンド)ではJ3基準の「原則5000人以上」は充足しているが、当初はカマタマーレのJリーグ昇格を前提として、少なくともJ2基準を満たすものを設計する案も予定されていたが、結果的に設計凍結→断念した(詳細は「高松市立屋島陸上競技場#将来像」を参照)。なお改修完了後の「屋島レクザムフィールド」では、月数回程度、メインスタジアムで練習に使用している[21]。
練習場は、Jリーグ公式サイトでは高松市立東部運動公園[1]、丸亀市総合運動公園陸上競技場[1]、香川県総合運動公園サッカー・ラグビー場[1] の3ヶ所を示している(このほか、上記の通り屋島レクザムフィールドでも不定期に使用している)が、いずれの練習場もクラブが優先的に利用できる施設ではなく、Jリーグクラブライセンス制度でJ1ライセンスの必須事項となっている「専用もしくは優先的に利用できるクラブハウス」も存在しない[2]。2016年6月、クラブは高松市に対し、高松市立東部運動公園の優先使用およびクラブハウス建設のための用地貸し付けと建設費の支援を要望[22]。これに対し高松市は12月議会において、支援を検討すると表明した[23]が、その後の検討状況は遅々として進まず、依然として時折土や人工芝のグラウンドでの練習を強いられる状況が生じており、2016年・2017年と主力として活動したFW馬場賢治も自らのブログで窮状の改善を訴えている[24]。
ユニフォーム
| ||||||||||||||||||||
| ||||||||||||||||||||
|
チームカラー
- 水色[1]
ユニフォームスポンサー
掲出箇所 | スポンサー名 | 表記 | 掲出年 | 備考 |
---|---|---|---|---|
胸 | レクザム | Rexxam | 2018年 - | |
鎖骨 | なし | |||
背中上部 | マルナカ | マルナカ | 2015年 - | 2014年は袖及びパンツ |
背中下部 | 潮製作所 | USHIO SEISAKUSHO |
2018年 - | |
袖 | タダノ | TADANO | 2015年 - | |
パンツ | 百十四銀行 | 百十四銀行 | 2015年 - |
ユニフォームサプライヤーの遍歴
歴代ユニフォームスポンサー年表
年度 | 胸 | 鎖骨 | 背中上部 | 背中下部 | 袖 | パンツ | サプライヤー |
2005 | - | 解禁前 | 丸亀町商店街 | 解禁前 | - | - | Mizuno |
2006 | - | ||||||
2007 | 穴吹工務店 | RCS | Pikara | DIADORA | |||
2008 | 家庭教師のトライ | ||||||
2009 | さぬきうどん | ||||||
2010 | |||||||
2011 | - | K's ケーズデンキ |
TOPTOUR | トーカイ | |||
2012 | うどん県 | ||||||
2013 | - | うどん県 | |||||
2014 | 神内ファーム | マルナカ | ATHLETA | ||||
2015 | マルナカ | TADANO | 百十四銀行 | ||||
2016 | - | ||||||
2017 | |||||||
2018 | Rexxam | - | USHIO SEISAKUSHO |
経営
JFL参入初年度の2011年9月30日、2012年のJリーグ入会に向けて入会申請書類を提出したが、Jリーグのヒアリングを前にした10月17日の記者会見で、Jリーグ入会の条件である「年間収入1億5,000万円以上」と「来季のスポンサー収入1億円以上」を満たすめどが立っていないことを明らかにして支援拡大を訴えた[25]。これに対し、香川県はJ2に昇格した場合はクラブに出資すると表明したが、現段階では追加の金銭支援は難しいと話した[26]。その後、香川県内企業の支援により基準をクリアし、リーグ戦順位や観客動員など他の条件を満たせばJリーグ入会を認められることとなったが[27]、順位条件を満たせず昇格できなかった。観客動員はシーズンホーム16試合の1試合平均で3,000人を超え、基準をクリアした。
2012年3月1日、2012年1月期は営業収益(売上)1億3,100万円、営業損失5,100万円の見込、2013年1月期は営業収益で2億100万円、営業利益で1,100万円の予算を組むとした[28]。収入はJ2昇格を前提としていたものもあったため、結果的に1億5000万円をクリアできなかったが、四国リーグ時代からはほぼ倍増した[29]。2012年もユニフォーム胸部分スポンサーが見つからなかったため、胸のマークに「うどん県」のロゴタイプを掲げ、一口100万円の協賛金を募った[30]。
2013年度のJリーグクラブライセンスを申請し、債務超過解消のための増資や、下部組織(ユースなど)の設置など、ライセンス取得へ向けた動きを進めていたが、2012年9月27日に運営資金、選手の育成、入場者数(1試合平均3,000人以上)を満たすことが難しく、現状でJ2を戦えるだけの実力が備わっていないと判断し、審査結果発表を待たずに申請を取り下げた[12]。
2013年1月期決算では、総収入は1億4,800万円にとどまり、3,900万円の赤字を計上して債務超過は約7360万円となった[31]。3月の香川県議会でカマタマーレに対する3000万円の支援金を支出する予算が可決された。住谷幸伸代表取締役社長は経営不振と会社への公金投入の責任をとり2013年5月1日付で辞任、会長の熊野實が社長に復帰した[13]。熊野は1億円の増資計画を打ち出し、香川県と高松市、丸亀市に計5,000万円の支援を要請[32]。
2013年9月、条件付・是正通達付ながらJ2ライセンスが交付されたが、同時に債務超過が問題視され、「入会審査は厳しく審査し、2013年度末に十分な純資産を残すようJリーグに申し送る」「2014年度予算は十分な合理性のもと編成され、かつ、シーズンを安定して運営できるものと評価されるよう、Jリーグに申し送る」という2点の是正通達がなされた[14]。
10月9日にJリーグ視察団が来県して行われたJリーグ入会に向けてのヒアリングでは、練習施設や行政の支援については「J2に上がってもおかしくなく、全国的にみてもレベルが高い」と評価を受けたものの、2012年度末までの債務超過7300万円に加え、2013年度の決算も赤字となる見通しであることや、J2最小予算規模のクラブと比べても3分の1程度の予算しかなく、財務基盤がJ2水準に達していないと指摘された[15]。
10月30日、東京でJリーグによるヒアリングが再度行われ、Jリーグより広告料収入の確保および債務超過の解消を含む財務基盤の強化の目処を立てるように求められた。また、有料入場者数が伸び悩んでいることへの言及もあった[16]。これに対し、浜田恵造香川県知事らはクラブへの出資を確約。リーグからは「これほど行政の協力がある例はない」と行政のクラブへの支援がJ1、J2の全チーム中、トップクラスと評価を受けた。
香川県が2000万円、高松市、丸亀市の2市が各1000万円を出資するなどした結果、債務超過が解消され、また2014年度に1億円の広告収入確保等の財務面の要件を満たす目途が立ったため、11月19日にJリーグ入会を認められた。一方でリーグ側からは「財務状態は極めて厳しく、来季はもっと難しい審査になると思う」との指摘も受けた[33][34]。観客動員は、開幕から6月2日までのホーム戦計9試合で1試合平均1,494人に留まっていたが、その後ホームタウンデーの開催による住民の招待などを行い[35]、シーズン最終戦で1試合平均3,000人のJ2昇格基準をようやくクリアした[36]。2014年1月期決算は株式会社6年目で初めて経常利益400万円を計上する黒字決算となった
2014年のホームゲームの1試合平均の観客動員は3,317人でJ2全22クラブ中最下位だったが、無料券の配布は抑制したため、入場料収入は前年比で約4倍の約1億円となった。広告料収入も大幅に増加し、2015年1月期決算は純利益1億600万円で2年連続の黒字となった[37]。
スポンサー
年度別入場者数
- 略記について
- 「丸亀」:香川県立丸亀競技場(ピカスタ:pikaraスタジアム=2015.9以後)、「生島」:香川県総合運動公園サッカー・ラグビー場
- スタジアム欄の太字は、ホームスタジアムに登録されている競技場
- 入場者数の太字は、所属リーグ毎の歴代最多および最少
- 試合数および入場者数データはリーグ戦のみ。
年度 | 所属 | 合計 入場者数 |
最多入場者数 | 最少入場者数 | 平均 入場者数 |
試合数 | ホームゲーム 開催スタジアム | |||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
入場者数 | 相手 | 会場 | 入場者数 | 相手 | 会場 | |||||||||
2011 | JFL | 48,393 | 11,178 | 松本 | 丸亀 | 1,065 | 佐川印刷 | 香川サ | 3,025 | 16 | 丸亀8、生島8 | |||
2012 | 37,511 | 3,457 | 藤枝 | 1,216 | Honda | 2,345 | 16 | 丸亀10、生島6 | ||||||
2013 | 53,129 | 8,968 | 横河 | 1,037 | 秋田 | 丸亀 | 3,126 | 17 | 生島9、丸亀8 | |||||
2014 | J2 | 69,664 | 10,421 | 磐田 | 1,450 | 栃木SC | 3,317 | 21 | 丸亀21 | |||||
2015 | 76,824 | 10,447 | C大阪 | 2,152 | 水戸 | 3,658 | 21 | 丸亀→ピカスタ21 | ||||||
2016 | 77,413 | 11,376 | 1,924 | 3,686 | 21 | ピカスタ21 | ||||||||
2017 | 21 |
その他
マスコット
他競技・地域との連携
- 2007年にカマタマーレが発起人となり、香川県内他競技スポーツクラブ(アイスホッケーの香川アイスフェローズ、野球の香川オリーブガイナーズ、バスケットボールの高松ファイブアローズ、バレーボールの四国Eighty 8 Queen)との連携機関香川プロスポーツクラブ連絡協議会を発足させ、共同でイベントの開催や共通回数券の発行、グッズショップの運営(現在は閉店)を行っていた時期がある。協議会は2015年現在は、各チーム共通のボランティアスタッフの募集と運営を主におこなっている。
- サッカーだけではない総合型地域スポーツクラブを目指し、NPO法人カマタマーレスポーツクラブが主体となってソフトテニスや体操などの教室を2012年より開講している[38]。
不祥事
- 2011年11月28日、トップチームのコーチが、公然わいせつなどの容疑で高松北警察署と香川県警察捜査1課に逮捕、同12月に起訴された。このコーチは後日、契約解除となった(なお、2012年2月に高松地方裁判所で元コーチに対して懲役1年2ヶ月、執行猶予3年の判決が言い渡され、刑が確定している)[39]。
- 2014年8月に執行された香川県知事選挙で当選した浜田恵造に対して7月末に社長名義で推薦状を提出したことについて、政治的活動を禁じたJリーグ規約に抵触する恐れがあるとして、9月にJリーグより厳重注意を受けた(なお、推薦は8月28日に撤回した)[40]。
下部組織
- カマタマーレ讃岐U-18
- カマタマーレ讃岐U-15
- カマタマーレ讃岐ジュニアスクール
脚注
- ↑ 1.00 1.01 1.02 1.03 1.04 1.05 1.06 1.07 1.08 1.09 1.10 1.11 1.12 1.13 1.14 1.15 1.16 1.17 1.18 1.19 1.20 1.21 1.22 1.23 “クラブガイド:カマタマーレ讃岐”. 日本プロサッカーリーグ. . 2017-7-23閲覧.
- ↑ 2.0 2.1 “2016シーズン Jリーグクラブライセンス交付について” (プレスリリース), カマタマーレ讃岐, (2015年9月29日) . 2015閲覧.
- ↑ 3.0 3.1 3.2 3.3 3.4 3.5 3.6 3.7 引用エラー: 無効な
<ref>
タグです。 「clubguide
」という名前の引用句に対するテキストが指定されていません - ↑ “Jリーグ入り視野-市民支援でチームづくり”. 四国新聞 (2005年3月26日). . 2012閲覧.
- ↑ “新チーム名カマタマーレ讃岐-高松FC”. 四国新聞 (2005年10月24日). . 2012閲覧.
- ↑ “サッカーの素晴らしさをお話ししましょう~香川を元気にするサッカーの力~ - カマタマーレ讃岐 代表取締役会長 熊野 實さん”. ビジネス香川. 朝日オリコミ四国 (2011年4月21日). . 2015閲覧.
- ↑ 朝日新聞2009年7月10日記事
- ↑ 胸マークに「うどん県」/スポンサー難でカマタマ 四国新聞2012年2月29日記事
- ↑ “「日本フットボールリーグ、新入会チームについて」” (プレスリリース), 日本フットボールリーグ, (2010年12月8日) . 2014-1-7閲覧.
- ↑ “カマタマ社長に住谷氏/高松市議会議長から転身”. 四国新聞. (2010年12月14日) . 2015閲覧.
- ↑ “ニュースリリース:Jリーグ準加盟審査結果について” (プレスリリース), 日本プロサッカーリーグ, (2011年2月15日) . 2017-7-23閲覧.
- ↑ 12.0 12.1 “Jリーグクラブライセンス申請に関する記者会見について” (プレスリリース), カマタマーレ讃岐, (2012年9月27日) . 2012年9月27日閲覧.
- ↑ 13.0 13.1 “代表取締役の異動と新任取締役選任について” (プレスリリース), カマタマーレ讃岐, (2013年4月12日) . 2015閲覧.
- ↑ 14.0 14.1 “クラブライセンス交付第一審機関(FIB)による 2014シーズン Jリーグクラブライセンスの交付について” (プレスリリース), 日本プロサッカーリーグ, (2013年9月30日) . 2013閲覧.
- ↑ 15.0 15.1 “「財務 J2昇格に達せず」…カマタマ審査ヒアリング”. 読売新聞. (2013年10月10日) . 2013閲覧.
- ↑ 16.0 16.1 “<カマタマーレ>J2昇格へ厳しい指摘”. 読売新聞. (2013年10月31日) . 2013閲覧.
- ↑ “Jリーグ入会審査(J2およびJ3)結果について” (プレスリリース), 日本プロサッカーリーグ, (2013年11月19日) . 2014-2-4閲覧.
- ↑ 熊本が今季初の連勝、讃岐はJ2ワーストタイの開幕7連敗
- ↑ 四国新聞2016年1月14日
- ↑ 香川)J1昇格へ「6位以内」目標 カマタマーレ初練習 朝日新聞2017年1月17日
- ↑ 平成29年度カレンダー
- ↑ “香川)カマタマーレ、練習施設整備で高松市に協力要望”. 朝日新聞 (2016年6月4日). . 2016閲覧.
- ↑ “市がカマタマ支援へ、北野監督続投”. 西日本放送 (2016年12月8日). . 2016閲覧.
- ↑ “先の見えるクラブになるために”. 馬場賢治オフィシャルブログ (2017年10月28日). . 2018閲覧.
- ↑ カマタマ支援拡大訴え/J入会条件突破へ意欲 四国新聞2011年11月18日
- ↑ 「J2昇格なら出資」/カマタマ支援で浜田知事 四国新聞2011年11月25日
- ↑ 4位以内でJ2入会へ/カマタマ、収入面クリア 四国新聞2011年11月16日
- ↑ 本日、行われた記者会見の報告 カマタマーレ讃岐公式HP 2012年3月1日
- ↑ 地道な支援に期待/カマタマ収入2億円目標 四国新聞2012年3月2日
- ↑ カマタマ、収入2億円目標/「うどん県」新ユニ発表 四国新聞2012年3月2日
- ↑ 収入1億9500万円目標/カマタマーレ讃岐 四国新聞2013年5月21日
- ↑ 県と2市に5000万円支援要請/カマタマ 四国新聞2013年5月3日
- ↑ サッカー:カマタマーレ、Jリーグ入り承認 条件付き、念願のJ2挑戦権 /香川 毎日新聞 2013年11月20日
- ↑ カマタマJ2入会承認/入れ替え戦勝利など条件 四国新聞 2013年11月20日
- ↑ 観客動員増へ工夫を/カマタマ世論調査
- ↑ カマタマ最終戦飾る ホンダロックに2-1/JFL 四国新聞2013年11月25日
- ↑ 四国新聞2015年4月25日記事
- ↑ 「総合型地域SC」目指す/カマタマーレ讃岐 四国新聞2012年4月20日
- ↑ 日本サッカー協会2012年度第3回理事会資料 (PDF) 2013年5月20日閲覧
- ↑ “カマタマ社長が知事選で推薦状/規約抵触の可能性”. 四国新聞 (2014年11月15日). . 2012閲覧.
関連項目
外部リンク
カマタマーレ讃岐 関連テンプレート |
---|
テンプレート:カマタマーレ讃岐のメンバー テンプレート:カマタマーレ讃岐及びその前身チーム歴代監督 |