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{{政治家
 
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'''麻生 太郎'''(あそう たろう、[[1940年]]〈[[昭和]]15年〉[[9月20日]] - )は、[[日本]]の[[政治家]]、[[実業家]]。[[財務大臣]](第[[第2次安倍内閣|17]]・[[第3次安倍内閣|18]]・[[第4次安倍内閣|19]]代)、[[副総理]]、[[内閣府特命担当大臣(金融担当)]]、[[デフレ脱却担当大臣|デフレ脱却担当]]、[[志公会]](麻生派)会長、[[自民党たばこ議員連盟]]顧問。
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'''麻生 太郎'''(あそう たろう、[[1940年]]〈[[昭和]]15年〉[[9月20日]] - )
 
 
[[自由民主党 (日本)|自由民主党]]所属の[[日本の国会議員|衆議院議員]](13期)、[[内閣総理大臣]]([[麻生内閣|第92代]])、[[内閣府特命担当大臣(経済財政政策担当)|経済企画庁長官]]([[第2次橋本内閣|第53代]])、[[内閣府特命担当大臣(経済財政政策担当)|経済財政政策担当大臣]]([[第2次森内閣 (改造 中央省庁再編後)|第2代]])、[[総務大臣]]([[第1次小泉内閣 (第2次改造)|第3代]]・[[第2次小泉内閣|第4代]]・[[第3次小泉内閣|第5代]])、[[外務大臣]]([[第3次小泉改造内閣|第138代]]・[[第1次安倍内閣|第139代]])、[[外務委員会|衆議院外務委員長]]、[[自由民主党政務調査会|自由民主党政務調査会長]](第44代)、[[自由民主党幹事長]](第40代・第42代)、[[自由民主党総裁]](第23代)を務めた。
 
 
 
== 概要 ==
 
[[学習院大学]][[政治経済学部]]にて[[学士(政治学)|政治学士]](学習院大学)を取得<ref>japan.kantei.go.jp/97_abe/meibo/daijin/1208723_10042.html</ref>。その後、麻生産業に入社し、麻生セメント(後の[[麻生 (企業)|麻生]]<ref group="注釈">麻生産業から分社した麻生セメントは、麻生と社名変更している。現在の麻生ラファージュセメントは、麻生から更に分社化した麻生セメント(2代目)が社名変更したもの。</ref>)の社長や日本青年会議所の会頭などを経て、[[1979年]]([[昭和]]54年)衆議院選挙に初当選。以後[[1983年]]([[昭和]]58年)の落選を除き、当選回数13回を数える。相続した自宅は25億円など世襲議員として資金力を有する。<ref>http://www.asahi.com/special/070912/TKY200709200380.html</ref>
 
 
 
[[内閣府特命担当大臣(経済財政政策担当)|経済企画庁長官]]([[第2次橋本内閣|第53代]])、[[内閣府特命担当大臣(経済財政政策担当)|経済財政政策担当大臣]]([[第2次森改造内閣|第2代]])、[[自由民主党政務調査会長]]、[[総務大臣]]([[第1次小泉第2次改造内閣|第3代]]・[[第2次小泉内閣|第4代]]・[[第3次小泉内閣|第5代]])、[[外務大臣 (日本)|外務大臣]]([[第3次小泉改造内閣|第137代]]・[[第1次安倍内閣|第138代]])、[[自由民主党幹事長]]を経て[[2008年自由民主党総裁選挙]]により、第23代[[自由民主党総裁]]に選出され、第92代[[内閣総理大臣]]に就任した。
 
 
 
[[第2次安倍内閣]]で[[財務大臣]]兼[[副総理]]兼[[内閣府特命担当大臣(金融担当)|金融担当大臣]]として入閣した。首相経験者の入閣は[[幣原喜重郎]]、[[宮澤喜一]]、[[橋本龍太郎]]に続き戦後4人目<ref group="注釈">ほかに首相として再度就任した[[吉田茂]]と[[安倍晋三]]がいる</ref>。
 
 
 
[[モントリオールオリンピック]][[クレー射撃]](クレー・[[クレー射撃#スキート|スキート]]競技)日本代表<ref>[http://www.joc.or.jp/database/result.html JOC - オリンピック歴代日本代表選手全記録]</ref><ref>[http://www.sports-reference.com/olympics/athletes/as/taro-aso-1.html Sports-reference.com profile:Taro Aso]</ref><ref name="asouofficial">[http://www.aso-taro.jp/ 麻生太郎オフィシャルサイト]</ref>(41位)。弟の[[麻生泰]]は、[[学校法人麻生塾]]や[[麻生セメント]]などを傘下に持つ[[麻生 (企業)|麻生]]グループ代表である。また、実妹は皇族の[[寛仁親王妃信子]][[殿下]]にあたる。信仰[[宗教]]は[[キリスト教]]([[カトリック教会|カトリック]])であり、[[洗礼]]名は「フランシスコ」。
 
 
 
== 経歴 ==
 
=== 生い立ち ===
 
[[福岡県]][[飯塚市]]に[[麻生太賀吉]]・和子の長男として生まれる<ref group="注釈">父方の祖父の名前も“麻生太郎”である</ref>。[[学校法人麻生塾|麻生塾小学校]]を経て、小学3年生の頃上京し、[[学習院初等科]]に編入<ref>『麻生太郎の原点 祖父・吉田茂の流儀』 79-80頁</ref>
 
=== 世界での事業 ===
 
当初は父親と親交があった[[水野成夫]]の伝手で[[産業経済新聞社]]に入社するも、[[スタンフォード大学]]の試験にも合格したため、一日も出社せず休職して海外留学を選んだ<ref>[[山本泰夫]]『加藤芳郎のまっぴら人生愛蔵版』[[産経新聞出版]]p.225</ref>。帰国後は産経も退職して、[[1966年]]に実家の麻生産業(「[[麻生 (企業)|麻生]]」の初期の中核企業 後に清算)に入社し、1960年代後半に[[ブラジル]]、[[サンパウロ]]に1年近く駐在していたことがあると本人は語っている<ref group="注釈">[http://www.nikkeyshimbun.com.br/070817-72colonia.html 麻生太郎外務大臣に聞く=日伯関係、百周年、デカセギ=本紙が単独インタビュー] [[ニッケイ新聞]] 2007年8月17日{{リンク切れ|date=2017年10月}}。また、麻生太郎の従兄弟に当たる人物がブラジルに移民していたことも近年になって判明した。[http://villagejapan.com/vj_news_detail.phtml?product_id=538 麻生総理の従兄弟とついに接触! 学移連出身だった忠氏 「人生一度だけ!」と熱弁] VillageJapan 2008年12月31日 {{リンク切れ|date=2015年8月25日}}</ref>。
 
 
 
その後、[[1970年]]から2年間に渡って[[シエラレオネ]]にて、同国のダイヤモンド産業国有化政策実施後に地元有力者から鉱区の提供を受けた麻生家の現地駐在員として、[[ダイヤモンド]]採掘業に従事していたが、[[シエラレオネ内戦]]勃発で帰国した<ref group="注釈">この採掘事業を開始したのは、麻生太郎の父親である[[麻生太賀吉]]と実弟で専務の[[麻生典太]]だったと言われており、同国のダイヤモンド採掘を長らく支配していたイギリス人とレバノン人以外の人に掘ってもらいたい、という現地の意向から麻生家に鉱区が提供されたと[[麻生典太]]は語っていたと言われる。その後、同国での内戦勃発に伴って麻生家は事業から撤収した。[http://homepage2.nifty.com/saishu/miyako39.html 『No.34 ブラッド・ダイヤモンド』 最首公司のホームページ] および、ダイヤモンド・ロードを行く 最首公司著 講談社(1970)より</ref><ref group="注釈">[[2006年]]1月19日に日本記者クラブにて行われた [http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/enzetsu/18/easo_0119.html 外務大臣演説] で[[シエラレオネ]]のダイヤモンド採掘業での経験について発言しているほか、当時製作されたニュース映画にも現地の事業を指揮する麻生太郎本人がインタビューに答えて登場している。</ref>。
 
 
 
=== 帰国後 ===
 
[[1973年]]にセメント事業の分社化の後にグループ中核企業となった麻生セメント(現:[[麻生 (企業)|株式会社麻生]])の[[代表取締役]]社長に就任。[[炭鉱]]業から[[セメント]]業への転換を成功させた。なお、麻生産業時代にまた、社長業の傍らで、[[1976年]]の[[モントリオールオリンピック]]に[[クレー射撃]]の日本代表選手として出場(結果は41位)している。
 
 
 
=== 政界へ ===
 
[[1979年]]10月、[[第35回衆議院議員総選挙]]に[[福岡県第2区 (中選挙区)|旧福岡2区]](現:[[福岡県第8区|福岡8区]])から出馬、4位(定員5名)で初当選し政界入りする。[[1982年]]、[[自民党青年局]]局長に就任。
 
 
 
2期務めた後、いわゆる[[田中判決解散]]後に行われ自民党が過半数割れした[[第37回衆議院議員総選挙]]で[[小沢和秋|5位当選した共産党候補]]に2600票余り及ばず次点となり落選する。その後[[第38回衆議院議員総選挙]]で2位の社会党候補に3万6000票余りの差をつけトップ当選し国政に復帰して以降、現在まで全ての総選挙で選挙区当選している。[[宏池会]]に所属。
 
 
 
[[1996年]]には[[第2次橋本内閣]]の[[内閣府特命担当大臣(経済財政政策担当)|経済企画庁長官]]に就任し、初入閣。[[1999年]]1月、党内で長年所属した宏池会を離脱、[[河野洋平]]を会長とする大勇会(河野グループ)の旗揚げに参加。
 
 
 
[[2001年]]1月、不祥事により引責辞任した[[額賀福志郎]]の後任で、[[内閣府特命担当大臣(経済財政政策担当)|経済財政政策担当大臣]]に就任し、また、[[情報技術|情報通信技術(IT)]]や[[インターネット博覧会|新千年紀記念行事]]も担当した。4月、[[2001年自由民主党総裁選挙|01年自民党総裁選]]に出馬し、[[小泉純一郎]]、[[橋本龍太郎]]、[[亀井静香]]と戦い31票で3位。その後発足した小泉政権では党[[自由民主党政務調査会#政務調査会長|政務調査会長]]を務め、その後、[[総務大臣]]、[[外務大臣]]を務める。
 
 
 
[[2004年]][[9月]]に、[[国民年金]]保険料未払い期間があったことが判明している(1996年11月から2000年9月までの3年10か月間。経済企画庁長官就任時、国民年金への切り替えを忘れたため<ref>『[[毎日新聞]]』2004年5月14日 東京朝刊</ref>)。後に自身も未納期間があることが発覚した[[民主党代表]]の[[菅直人]](当時)が「未納三兄弟」と呼称したうちの1人である。{{Main|政治家の年金未納問題}}
 
 
 
[[2006年]]9月、[[2006年自由民主党総裁選挙|06年自民党総裁選]]に立候補するも[[内閣官房長官]](当時)の[[安倍晋三]]に敗れる(安倍:464票 麻生:136票 [[谷垣禎一]]:102票)。安倍新総理の下、引き続き外務大臣を務め、12月、河野グループが解散し、新たに[[為公会]](麻生派)を結成、会長に就任する。
 
 
 
[[2007年]][[3月20日]]、衆議院議員在職25年を迎え、[[衆議院]]より院議をもって表彰された。同年8月の内閣改造、党役員人事で、[[自由民主党幹事長|幹事長]]就任するも、ほどなく安倍が退陣を表明。9月、[[2007年自由民主党総裁選挙|07年自民党総裁選]]に立候補し、党員票では[[福田康夫]]を僅差で上回ったが、133票差で敗れ(福田:330票 麻生:197票)、1ヶ月で幹事長の座を退く。
 
 
 
翌[[2008年]]8月、再び幹事長に就任するも、またしてもひと月後に、総理、総裁の福田が退陣を表明。同年9月の[[2008年自由民主党総裁選挙|08年自民党総裁選]]に4度目の立候補をし351票を獲得。自民党総裁に就任する。[[9月24日]]、第92代[[内閣総理大臣]]に就任。[[麻生内閣]]を[[組閣]]する。首相就任の際、「日本を明るく強い国にする」と述べた。
 
 
 
[[2009年]][[8月1日]]、[[1977年]]に[[横田めぐみ]]が[[北朝鮮]][[工作員]]に拉致されたとされる[[新潟市]]内の現場周辺を、現職首相として初めて視察した。
 
 
 
2009年[[8月30日]]、[[第45回衆議院議員総選挙]]で自由民主党が惨敗、衆議院第1党の座から転落。同日夜に退陣を表明。[[9月16日]]、[[自由民主党総裁]]を辞任。同日の臨時[[閣議]]にて[[内閣総辞職]]を決定。[[政権]]を最大[[野党]]党首で同選挙で300を超える議席を獲得した[[民進党代表|民主党代表]]の[[鳩山由紀夫]]に明け渡した。麻生は[[第二次世界大戦]]終結以前に生まれた最後の内閣総理大臣となった。
 
 
 
野党時代の[[2012年自由民主党総裁選挙]]では続投を表明していた谷垣禎一総裁に造反する形で出馬した幹事長の[[石原伸晃]]を批判して安倍晋三を支持した。
 
 
 
[[2012年]][[12月16日]]の[[第46回衆議院議員総選挙]]で自民党が政権を奪還。まもなく成立した[[第2次安倍内閣]]では[[副総理]]兼[[財務大臣]]兼[[内閣府特命担当大臣(金融担当)|金融担当大臣]]として再入閣した。首相経験者の入閣は[[第2次森内閣 (改造 中央省庁再編後)|第2次森改造内閣(中央省庁再編後)]]に[[宮澤喜一]]が財務大臣、[[橋本龍太郎]]が[[内閣府特命担当大臣(沖縄及び北方対策担当)|沖縄及び北方対策担当大臣]]兼[[内閣府特命担当大臣(行政刷新担当)|行政改革担当大臣]]として入閣した時以来となる。また、首相経験者が副総理として再入閣するのは[[第1次吉田内閣]]の[[幣原喜重郎]]以来である。また、内閣総理大臣退任後に財務大臣に就任したのは[[宮沢喜一]]以来2人目である。
 
 
 
[[2017年]]7月、為公会が[[番町政策研究所]]などと合流し[[志公会]](麻生派)が発足、会長に就任<ref>{{Cite news |url=http://www.asahi.com/articles/ASK7352KQK73UTFK00P.html?iref=comtop_8_02 |title=新・麻生派、59人で発足 自民党第2派閥に |newspaper=朝日新聞デジタル |publisher=[[朝日新聞社]] |accessdate=2017-07-03}}</ref>。
 
 
 
=== 年譜 ===
 
*[[1940年]]([[昭和]]15年)[[9月20日]] - [[福岡県]][[飯塚市]]に生まれる。麻生塾小学校(現在は閉校)を経て、小学3年生の頃に上京し、学習院初等科に編入する。
 
*[[1959年]](昭和34年)[[3月]] - [[学習院高等科]]卒業。
 
*[[1963年]](昭和38年)
 
**3月 - [[学習院大学]][[政治経済学部]][[政治学部|政治学科]]卒業。
 
*[[1966年]](昭和41年)
 
**8月 - 麻生産業株式会社に入社。
 
**[[11月]] - 麻生産業株式会社の[[取締役]]に就任。
 
*[[1973年]](昭和48年)5月 - 麻生セメント株式会社の[[代表取締役]]社長(1979年12月まで)。
 
*[[1976年]](昭和51年)7月 - [[モントリオールオリンピック]]に[[クレー射撃]]日本代表として出場。
 
*[[1978年]](昭和53年)1月 - [[社団法人]][[青年会議所|日本青年会議所]]の会頭に就任(1978年12月まで)。
 
*[[1979年]](昭和54年)10月 - [[第35回衆議院議員総選挙]]に[[福岡県第2区 (中選挙区)|旧福岡2区]](現[[福岡県第8区|福岡8区]])から出馬し初当選。
 
*[[1983年]](昭和58年)
 
**[[11月3日]] - [[鈴木善幸]]元首相の三女[[麻生ちか子|千賀子]]と結婚、後に一男一女をもうける。
 
**[[12月18日]] - [[第37回衆議院議員総選挙]]で3期目の当選を目指したが落選(75,412票)<ref group="注釈">当時の毎日新聞では、「'''華麗なる落選'''」という見出しで麻生の落選を報じていた。</ref>。
 
*[[1985年]](昭和60年)[[12月26日]] - 国立大学・[[九州工業大学]]の[[情報工学部]]の創設が[[大蔵省]]から認可され<ref>麻生太郎 『とてつもない日本』 新潮社、2007年、107−108頁 </ref>、[[飯塚市]]へ国立大学を誘致する。
 
*[[1986年]](昭和61年)[[7月6日]] - [[第38回衆議院議員総選挙]]で返り咲き当選(3期目・134,179票)同区の同じ自民党候補の[[木曜クラブ]]新人で後に[[経世会]]旗揚げや[[新党さきがけ]]結成参加する[[三原朝彦]]。以降[[第48回衆議院議員総選挙]]まで11回連続当選。
 
*[[1988年]](昭和63年)12月 - [[文部省|文部]][[政務次官]]に就任([[1989年]]6月まで)。
 
*[[1990年]](平成2年)3月 - 自民党の文教部会長に就任(1990年12月まで)。
 
*[[1991年]](平成3年)
 
**1月 - 衆議院石炭対策特別委員長に就任(1991年11月まで)。
 
**[[11月]] - 衆議院外務委員長に就任(1993年5月まで)。
 
*[[1992年]](平成4年)12月 - 党外交部会長(1993年8月まで)。
 
*[[1996年]](平成8年)11月 - [[内閣府特命担当大臣(経済財政政策担当)|経済企画庁長官]]に就任(1997年9月まで)。
 
*[[1997年]](平成9年)9月 - [[日本会議国会議員懇談会]]第2代会長に就任(2003年9月まで)
 
*[[1999年]](平成11年)3月 - 党副幹事長に就任(1999年11月まで)。
 
*[[2001年]](平成13年)
 
**1月 - [[内閣府特命担当大臣(経済財政政策担当)|経済財政政策担当大臣]]、[[情報技術|情報通信技術(IT)]]担当、[[インターネット博覧会|新千年紀記念行事]]担当に就任(2001年4月まで)。
 
**[[4月]] - [[2001年自由民主党総裁選挙|自民党総裁選]]に初出馬。[[4月24日]]投開票。4人中3位(1位は[[小泉純一郎]]だった)
 
**4月 - 党[[自由民主党政務調査会#政務調査会長|政務調査会長]](2003年9月まで)。
 
*[[2003年]](平成15年)
 
**9月 - [[総務大臣]]に就任(小泉内閣)。
 
**[[11月]] - 総務大臣に再任(小泉内閣)。
 
*[[2004年]](平成16年)9月 - 国民スポーツ担当を兼任(小泉内閣)。
 
*[[2005年]](平成17年)10月 - [[外務大臣 (日本)|外務大臣]]に就任(小泉内閣)
 
*[[2006年]](平成18年)
 
**[[9月]] - [[2006年自由民主党総裁選挙|自民党総裁選]]に出馬(2度目)[[9月20日]]投開票。3人中2位(1位は[[安倍晋三]]
 
**[[9月]] - 外務大臣に再任。([[第1次安倍内閣|安倍内閣]])
 
**[[12月15日]] - [[為公会]](麻生派)を設立し、会長に就任。
 
*[[2007年]](平成19年)
 
**[[3月20日]] - [[衆議院]]在職25年となり、衆議院[[本会議]]で永年在職議員表彰を受ける。
 
**[[8月27日]] - [[第1次安倍内閣 (改造)|第1次安倍改造内閣]]において[[自由民主党幹事長|自民党幹事長]]に就任。
 
**9月 - [[2007年自由民主党総裁選挙|自民党総裁選]]に出馬(3度目)[[9月23日]]投開票。2人中2位(1位は[[福田康夫]])
 
**10月〜 - 自民党の要職や[[福田内閣]]の閣僚に就かず、無役として全国300箇所を行脚する。
 
*[[2008年]](平成20年)
 
**[[8月1日]] - [[福田康夫内閣 (改造)|福田改造内閣]]において再び自民党幹事長に就任。
 
**[[8月10日]] - [[日本バスケットボール協会]]会長に就任。
 
**[[9月2日]] - [[福田康夫]]首相の辞任表明に基づく[[2008年自由民主党総裁選挙|自民党総裁選]]に立候補。(4度目)(5名が出馬)
 
**[[9月22日]] - [[2008年自由民主党総裁選挙|自民党総裁選]]の投開票。351票で1位当選。第23代[[自由民主党総裁]]に就任。
 
**[[9月24日]] - 第92代[[内閣総理大臣]]に就任。[[麻生内閣]]組閣。
 
**[[10月26日]] - 総理総裁後、初の[[街頭演説]]を[[東京都]][[千代田区]]の[[秋葉原駅]]前にて実施。以後全国各地を遊説。
 
*[[2009年]](平成21年)
 
**[[7月21日]] - [[閣議]]を開き[[衆議院解散]]を宣言。
 
**[[8月30日]] - [[第45回衆議院議員総選挙]]にて[[自由民主党 (日本)|自民党]]が歴史的敗北を喫し、自身の責任を取って総理総裁職を辞任する考えをTVの[[選挙特番]][[インタビュー]]にて表明。なお、麻生自身は[[福岡県第8区|福岡8区]]より対立候補を破り当選。
 
**[[9月16日]] - 第23代自由民主党総裁並びに第92代内閣総理大臣を辞職。
 
**[[12月9日]] - [[神道政治連盟国会議員懇談会]][[名誉顧問]]に就任。
 
*[[2010年]]([[平成]]22年)[[6月9日]] - [[自民党ネットサポーターズクラブ]](J-NSC)の[[最高顧問]]に就任。
 
*[[2012年]](平成24年)[[12月26日]] - 自民党の政権復帰を受けて、[[副総理]]、[[財務大臣]]、[[内閣府特命担当大臣(金融担当)]]、[[デフレ脱却担当大臣]]に就任([[第2次安倍内閣]])。
 
*[[2015年]](平成27年)[[5月21日]] - [[副総理]]としての連続在任期間が876日となり、[[林譲治 (政治家)|林譲治]]を超え、戦後歴代一位となる。<ref>[http://www.sankei.com/politics/news/180212/plt1802120007-n1.html 財務相戦後最長の麻生太郎氏 副総理も歴代1位更新中 派閥後継は?]</ref>
 
*[[2016年]](平成28年)[[9月9日]] - [[財務大臣]](蔵相)としての連続在任期間が1354日となり、[[池田勇人]]を超え、戦後歴代一位となる。<ref>[https://mainichi.jp/articles/20160910/k00/00m/020/069000c 麻生財務相 連続在任、戦後歴代1位…1354日]</ref>
 
*[[2017年]](平成29年)
 
**[[7月3日]] - [[番町政策研究所]]・天元会との合流により[[志公会]]を設立、会長に就任。
 
*[[2018年]](平成30年)
 
**[[2月12日]] - 財務大臣(蔵相)としての通算在任期間が1875日となり、[[宮澤喜一]]を超え、戦後歴代一位となる。<ref>[http://www.sankei.com/politics/news/180212/plt1802120003-n1.html 麻生太郎財務相、在任戦後1位に 1875日で宮沢喜一氏抜く] - 産経ニュース</ref>
 
 
 
== 人物 ==
 
[[ファイル:Asō Tarō, Yokoyama Norihiro and Satō Kōichi.jpg|thumb|250px|麻生太郎、[[横山典弘]]、[[佐藤浩市]]。]]
 
=== 人物像 ===
 
首相官邸プロフィールによると公称サイズは、身長175cm(ただし、『1975年度 日本体育協会スポーツ科学研究報告集』のモントリオールオリンピック大会クレー射撃男子代表選手の身長欄によると35歳時点で172.2cm)、体重70kg。名門の一族に育ち、[[財閥]]の元社長でもあるが、本人は「首相の家庭なんて幸せなもんじゃねえ」「両親にほったらかしにされて育った」「生まれはいいが、育ちは悪い」と語っている。口の左端が下がり気味なため雑誌などの似顔絵ではへの字に描かれることが多い。[[江戸言葉|べらんめえ調]]の軽妙な語り口と歯に衣着せぬ発言で、[[街頭演説]]などで聴衆の人気を博した。周囲からは、「明るく気さくな人柄で、親しく付き合えば一方で魅力が伝わる人物」と認識されており、その人柄を評して「半径2メートルの男」とも呼ばれる<ref>「[http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130209/stt13020907010002-n1.htm 「絶好調」安倍政権のアキレス腱はあの男…]」 MSN産経ニュース(産経新聞)の記事。2013年2月9日配信、2013年3月15日閲覧。</ref><ref>「[http://www.jiji.com/jc/v?p=spc00181 型にはまらず頂点へ=オタクの雄、失言癖も-麻生氏]」 時事通信社の記事。2008年9月22日配信、2013年3月15日閲覧。</ref>。一方で、歯に衣着せぬ物言いが祟って[[日本共産党]]・[[社会民主党 (日本 1996-)|社会民主党]]を中心に野党から失言が指摘されたり、問題視ときには進退問題に発展することが多々ある。
 
 
 
海外留学などの経験から、[[英語]]に堪能であり、海外などの公務で媒体の登場時は[[通訳]]を介さずに自身の英語で直接スピーチを行っている。内閣総理大臣就任後、[[アメリカ合衆国大統領]][[バラク・オバマ]]とも2人で会談している。
 
 
 
2013年の[[財務大臣・中央銀行総裁会議]]では襟元に毛皮がついた黒のロングコート、斜めにかぶった黒の[[ボルサリーノ]]帽、淡い水色のマフラー姿をして『[[ウォール・ストリート・ジャーナル]]』は「'''ギャング・スタイル'''」と評した<ref>{{cite news |language = | author =| url =http://gendai.net/articles/view/syakai/141000| title = 日本の新聞はなぜ麻生財務相の外遊スタイルが変だと書かないのか
 
| publisher =| date= 2013-02-18| accessdate =2013-02-21}}</ref>。
 
 
 
=== 信仰 ===
 
[[キリスト教|クリスチャン]]([[カトリック教会|カトリック]])である。[[洗礼名]]はフランシスコ。[[靖國神社]]への参拝も行っている<ref name="sankei200910201747"/>(総理就任時には参拝していない)。また靖国神社の非宗教法人化を提唱している<ref>[http://www.aso-taro.jp/lecture/talk/060808.html 靖国に弥栄あれ]</ref>。[[終戦の日]]の[[8月15日]]ではなく、春秋の[[例祭|例大祭]]に合わせて参拝<ref name="sankei200910201747"/>{{要出典範囲|date=2017年3月17日 (金) 10:33 (UTC)|することが多い}}。
 
 
 
[[内閣総理大臣]]在任中の[[2009年]]([[平成]]21年)[[1月4日]]、[[伊勢神宮]]に参拝した。また、[[神道政治連盟]]国会議員懇談会の[[名誉顧問]]でもある。
 
 
 
=== クレー射撃 ===
 
大学時代から[[クレー射撃]]を始め、22歳の時全日本選手権を当時の日本新記録で優勝。[[1974年]]に行われた第2回メキシコ国際射撃大会に優勝。1976年の[[モントリオールオリンピック]][[モントリオールオリンピック日本選手団#射撃|日本代表]]に選出されるが41位に終わる。それ以来クレー射撃は封印し、以後一度も引き金を引いていない<ref>著書『[[自由と繁栄の弧]]』の著者紹介より。</ref>。[[2000年]]5月には[[日本クレー射撃協会]]会長に就任した。
 
 
 
=== 喫煙 ===
 
* 喫煙者であり、40歳の頃から[[葉巻きたばこ|葉巻]]を吸っている。[[受動喫煙]]については「嫌な人がおられたらなるべくその人とつきあわないか、吸わないか」と述べている<ref>{{Cite news|url = https://www.nikkei.com/article/DGXNASFL240OR_U3A021C1000000/|title = 首相、受動喫煙防止の法整備「国民各層の意見や議論みていく」|newspaper = [[日本経済新聞]] |publisher = [[日本経済新聞社]]|date = 2013-10-24|accessdate = 2018-05-05}}</ref>。
 
* 大臣執務室は麻生自身の判断で[[禁煙]]にしておらず、[[喫煙]]可能である<ref>{{Cite news |url = http://news.tv-asahi.co.jp/news_politics/articles/000130170.html |title = 麻生大臣執務室は「喫煙可」 法案成立すれば禁煙に |newspaper = テレ朝news |publisher = [[テレビ朝日]] |date = 2018-06-22 |accessdate = 2018-06-23 }}</ref><ref>{{Cite news |url = https://www.asahi.com/articles/ASL6Q54RSL6QULFA027.html |title = 喫煙可の大臣室、とうとう禁煙に 受動喫煙対策法成立で |newspaper = [[朝日新聞]] |publisher = [[朝日新聞社]] |date = 2018-06-22 |accessdate = 2018-06-23 }}</ref>。
 
 
 
=== 総理大臣としての評価 ===
 
* 『[[産経新聞]]』は、「あえてここで首相の肩を持ちたい。」と前置きした上で、「麻生政権は外交・内政ともに政策面で大きな瑕疵はなく、少なくとも及第点は与えられるのではないか」とした<ref>{{Cite news|url=http://sankei.jp.msn.com/politics/election/090829/elc0908291801009-n1.htm|title=【政治部デスクの斜め書き】まもなく開く「パンドラの箱」 不信の原因は「自民の姑息さ」|newspaper=MSN産経ニュース|archiveurl=http://web.archive.org/web/20101118055856/http://sankei.jp.msn.com/politics/election/090829/elc0908291801009-n1.htm|archivedate=2010-11-18|accessdate=2012-05-16|date=2009-08-29}}</ref>。
 
* 『[[プレジデント社|プレジデント]]』誌は、「存在自体に華があり、その華が首相時代には「軽さ」と見られ、バー通いや些細な失言でメディアに足をすくわれた。だが、リーマンショック後の緊急金融サミットで財政出動を渋っていた米国の態度を変えさせ、国内では素早い景気回復策を打ち出して最悪の事態を回避した実績は疑いない。」と評価している<ref>プレジデント 2013年4月29日号 [http://president.jp/articles/-/9136]</ref>。.
 
* [[御厨貴]]は「党内では造反者が続出。打つ手が悉く外れた政権だったとしか言いようがありません。」と評している<ref>[[文藝春秋 (雑誌)|文藝春秋]]2018年二月号、~竹下から安倍まで~ 総理17人のベスト3 御厨貴/[[後藤謙次]]、172頁</ref>。
 
 
 
== 経済政策 ==
 
[[野村総合研究所]]の主席研究員であるエコノミストの[[リチャード・クー]]が「経済政策の理論的支柱」として麻生の[[財政出動]]を中心とする政策作りに協力していると朝日新聞で報道されている<ref>『[[朝日新聞]]』 2008年8月23日</ref>。
 
 
 
[[定額減税]]や[[公共事業]]を中心とする[[財政出動]]に積極的な意向を示しており、財政健全化よりも[[景気]]対策の優先を提唱している<ref>共同通信 2008年9月10日</ref>。2008年になってからは、財政健全化を目指した[[小泉政権]]の[[構造改革]]路線を見直し、「[[基礎的財政収支]](プライマリーバランス)の11年度黒字化目標」の延期に言及している<ref>『毎日新聞』 2008年9月11日</ref>。
 
 
 
[[消費税]]の増税に関しては、「もはや、広く薄い負担を税制に追加していくとしたら消費税しかない」<ref>[http://www.aso-taro.jp/lecture/talk/071026.html 消費税論議、経済成長が前提](『[[夕刊フジ]]』連載 「日本の底力」 2007年10月26日)</ref> として消費税増税を示唆したが、2008年9月に世界的な金融危機が発生すると「消費税増税を早期に行えば、著しく景気を冷やす」として、当面の増税を見送ると述べる一方で、[[2011年]]以降に10%を超える水準まで消費税を引き上げる意向を示した<ref>『[[日本経済新聞]]』 2008年9月14日</ref>。第二次安倍政権では財務省の代弁者として消費増税を訴えたが最終的には首相判断に従い増税延期を了承した<ref>「総理」山口敬之 {{要ページ番号|date=2017年8月3日}}</ref>。
 
 
 
{{要出典範囲|date=2017年8月3日 (木) 11:56 (UTC)|2008年11月14日にワシントンD.C.で開催された第1回金融サミットにおいて、[[ジョージ・W・ブッシュ]]米大統領が最初の発言者として指名された。サミット直前、日本と英国との二国間首脳会談で、[[ゴードン・ブラウン]]英首相と麻生との間でドル基軸通貨の堅持と実体経済への対応が確認されており、[[ニコラ・サルコジ]]仏大統領が麻生に対し「ドルは基本通貨に成り得ない。20世紀に確立された金融システムを21世紀にも踏襲することは不可能だ」と反論すると、「その場合、さらなるドル暴落が避けられなくなるが、新興諸国の損害を担保する覚悟があるのか?」と尋ね、「我々にそんな計画はない。」と意見交換する場面があった。同サミットは11月14日から11月15日(現地時間)まで行われ、日本が提示した15項目のうち、実に12項目もが宣言文の中に明記され、麻生案をベースに世界が一致して行動することが決まった}}。
 
 
 
労働問題に対しては、「企業の生産活動で得られた[[付加価値]]の分配は個々の企業が判断する」と述べ、企業の給与体系に対して国家が介入することに否定的な見解を示した<ref>衆議院予算委員会 2009年1月9日</ref>。
 
 
 
首都圏と地方の間の格差問題については、「地方の自立には、きちんと財政出動をやって、道路、交通網を整備しないといけない」として地方経済振興のために[[公共事業]]が必要との考えを示している<ref>『[[読売新聞]]』 2008年9月13日</ref>。また、「(地方の)医療、介護が一番しんどいのではないか。病院をつくるより病院と結ぶ道路を造った方が安い」と述べ、道路交通網の整備による緊急医療体制の充実を主張している<ref>{{Cite news | url = http://www.47news.jp/CN/200809/CN2008091301000480.html | title = 自民が高知で街頭演説会 麻生氏、地方交通網整備を | agency = [[共同通信社]] | publisher = [[47NEWS]] | date = 2008-09-13 | archiveurl = https://archive.is/T9X9L | archivedate = 2014-05-03 | accessdate = 2017-08-03 }}</ref>。
 
 
 
=== 内閣総理大臣就任後の主な景気対策 ===
 
[[2008年]]([[平成]]20年)[[10月30日]]には、[[リーマンショック]]以降の[[世界金融危機 (2007年-)|世界的な金融危機]]と景気低迷への対策として事業総額26兆9000億円の追加経済対策を発表。2度の[[補正予算]]と[[2009年]](平成21年)度予算の"3段ロケット"として、最終的には75兆円の景気対策を実施した。
 
 
 
主なものとして、
 
# [[定額給付金]]の支給(1人1万2千円、65歳以上・18歳以下は1人2万円)
 
# [[日本の高速道路|高速道路]]料金の普通車・[[軽自動車]]で[[ETC]]搭載車限定での、[[土曜日|土]]・[[日曜日|日]]・[[国民の祝日|祝日]]最高1,000円の[[ETC割引制度]]
 
# [[東京湾アクアライン]]の料金を普通車800円に値下げ
 
# [[低排出ガス車認定制度#エコカー減税|エコカー減税]]・[[エコカー補助金]]
 
# 家電[[エコポイントの活用によるグリーン家電普及促進事業|エコポイント]]制度([[冷蔵庫]]・[[薄型テレビ]]・[[エア・コンディショナー|エアコン]])の実施
 
# [[住宅ローン]]減税(過去最高600万円の減税)
 
# 妊婦検診の無料化(5回→14回)
 
# 出産育児一時金の増額(全国一律に4万円引き上げ)
 
# [[中小企業]]への支援(緊急保処枠6兆円、保証・貸出枠30兆円に拡大)
 
# [[雇用保険]]料の引き下げ(標準世帯で年額約2万円)
 
などである。
 
 
 
{{要出典範囲|date=2017年3月17日 (金) 10:33 (UTC)|金融危機を回避するという緊急性から急遽決定された政策でもあったことから、きめ細かさに欠けるところがあるとの指摘もあったが}}、[[低排出ガス車認定制度#エコカー減税|エコカー減税]]や家電[[エコポイントの活用によるグリーン家電普及促進事業|エコポイント]]制度は[[鳩山由紀夫内閣]]にも引き継がれた。
 
 
 
==== 定額給付金について ====
 
{{Main|定額給付金}}
 
[[小渕内閣]]の[[地域振興券]]とよく似た、2兆円を超える[[定額給付金]](「4人家族で6万円程度になる」としている。実際は一人1万2千円を給付)を全世帯に支給した。この政策については、以下の通り評価が分かれている。
 
* 否定的な評価としては、[[毎日新聞]]が過去の「地域振興券」が消費ではなく貯蓄に回ったことから、この政策も「景気を浮揚させる効果は期待できない」との見方を示し<ref>『毎日新聞』 2008年10月30日</ref>、[[11月26日]]に開催された全国町村長大会では定額給付金を巡る不満が噴出していると報道した<ref group="注釈">『毎日新聞』 2008年11月27日 麻生のあいさつに「丸投げやめろ」とやじが飛んだとされる一方で「[[地方分権]]」を理由に事務を[[市区町村]]に委ねたことなどについて政府を批判した[[民主党幹事長]](当時)の[[鳩山由紀夫]]は大きな拍手を浴びたと報道した</ref>。
 
* 肯定的な評価としては、[[経済協力開発機構]](OECD)経済局のシニアエコノミスト、ランダル・ジョーンズが「即効性がある最も有効な措置」 だとの見方を示した<ref>[[時事通信]] 2008年11月25日</ref>。
 
 
 
定額給付金の成果については、消費拡大に一定の効果を生み、家具や家電などの購買を促進させるなど、新たな消費を生むきっかけになったと麻生の総理大臣退任後に報道された<ref>朝日新聞 2009.08.13 『給付金、思ったより消費を刺激 地域独自策に効果』</ref><ref>静岡新聞 2009年10月2日 『定額給付金・ETC割引など それぞれに一定の効果』</ref><ref>紀伊民報 『経済波及効果は101億円 定額給付金の県内消費』</ref>。
 
 
 
=== 第二次安倍内閣財務大臣として ===
 
==== 法人税引き下げ慎重論 ====
 
効果の期待できない法人税の引き下げではなく、投資減税により景気刺激を行なっていくべきとした<ref>[http://www.newsweekjapan.jp/headlines/business/2013/06/103514.php 麻生財務相、法人実効税率下げには慎重発言]ブルームバーグ2013年06月21日</ref>。これに対し、2013年7月の[[政府税制調査会]]で、[[一橋大学]]特任教授の[[田近栄治]]委員からは、法人税収入に占める[[製造業]]の割合が26パーセント程度に低下しており、「製造業が日本の法人税を担う時代は終わった。」とし、法人税の[[法定実効税率]]を35パーセントから30パーセントへ引き下げすべきとの主張が出された<ref>[http://www.bloomberg.co.jp/news/123-MQ32GL6S972C01.html 5%の法人税下げを、再興戦略の柱に-政府税調の田近委員]ブルームバーグ2013/07/18</ref>。また、2014年5月16日には[[大田弘子]]委員が座長を務める政府税制調査会法人課税ディスカッション・グループで、「法人税率の引き下げは避けて通れない」とする改革案の確認が行われた<ref>[http://www.newsweekjapan.jp/headlines/business/2014/05/126364_1.php 「政府税調が法人税率下げへ改革案、恒久財源用意「鉄則」」]ニューズウィーク日本版2014年05月16日(金)</ref>。同年6月3日には麻生も「責任ある代替財源が示されるのであればいい。」と、初めて実効税率引下げを容認し、[[骨太の方針]]にも盛り込まれることとなった<ref>[http://www.nikkei.com/article/DGXNAS3MM1N01_T00C14A6MM0000/ 「法人税の15年度下げ、骨太方針に明記 政府・与党 」]日本経済新聞2014/6/3 1</ref>。
 
 
 
==== 公的年金の運用 ====
 
2013年5月18日、麻生は札幌で次のように講演した。「『株価が上がっても株は持ってないので関係ない』という人もいると思うが、年金は株式の運用で成り立っている。7月に年金の運用状況が出てくるが、ウン兆円の黒字になる。[[アベノミクス]]は株だけではない。一番肝心の社会保障の元の元も稼ぎ出している」<ref>NEWSポストセブン [http://www.news-postseven.com/archives/20130528_190577.html 株上昇を喜ぶ麻生副総理にFP「株価に一喜一憂は素人」と指摘] 2013.05.28 16:00</ref>。{{main|年金積立金管理運用独立行政法人に関する政策}}
 
 
 
=== 第三次安倍内閣財務大臣として ===
 
2015年3月26日、麻生財務大臣は2012年度末に304兆円あった民間企業の内部留保が1年間で328兆円まで約24兆円増えたことに触れ、デフレでなければ配当とか賃金とか設備投資に回らなければならないとした<ref>Bloomberg [http://www.bloomberg.co.jp/article/2015-03-26/aqMDuf_wa5hk.html 麻生財務相:企業内部留保の追加課税検討も-増え方「異常」] 2015/03/26 14:55 JST</ref>。後に[[メガバンク]]の配当引き上げが報じられた<ref>[[みずほフィナンシャルグループ]]は株あたり年配当を7円から7.5円に引き上げる。[[三井住友フィナンシャルグループ]]は130円から140円に上げる。
 
:REUTERS UK [http://uk.reuters.com/article/2015/05/15/uk-japan-banks-results-idUKKBN0O00OQ20150515 Japan's top lenders boost shareholder returns after upbeat earnings] Fri May 15, 2015 11:43am BST</ref>。
 
 
 
== 外交関係 ==
 
[[ファイル:Aso et Rice.jpg|thumb|[[アメリカ合衆国国務長官|国務長官]][[コンドリーザ・ライス]](2006年6月)]]
 
[[ファイル:Cheney and Aso 2007.jpg|thumb|[[ディック・チェイニー]]と会談する麻生(2007年[[2月21日]]、[[ホワイトハウス]]にて)]]
 
[[ファイル:Dmitry Medvedev at APEC Summit in Peru 22-23 November 2008-4.jpg|thumb|[[アジア太平洋経済協力|APEC]]首脳会議にて、[[ロシア連邦大統領]]の[[ドミトリー・メドヴェージェフ]]と(2008年11月)]]
 
[[ファイル:World Leaders at G-8 Summit in Italy 07-08-09.jpg|thumb|2009年7月、[[主要国首脳会議|G8サミット]]にて(左端の人物が麻生)]]
 
[[ファイル:Dmitry Medvedev in Yuzhno-Sakhalink 18 February 2009-1.jpg|thumb|[[ドミートリー・メドヴェージェフ]]と握手(2009年2月18日)]]
 
[[ファイル:Barack Obama & Taro Aso in the Oval Office 2-24-09.JPG|thumb|[[アメリカ合衆国大統領|大統領]][[バラク・オバマ]](2009年2月24日)]]
 
「[[価値観外交|価値の外交]]」を重視した。特に、日本が非欧米圏でそれら価値の先駆者であることに着目した上で、北東アジアから、[[東南アジア]]を経て、インド、中東、中央アジア、中・東欧にかけての「弧」上にある国との間で、日本がリーダーシップをとってこれら価値を共有し、「弧」地域全体の繁栄に貢献する、その結果として経済や安全保障などで日本も国益を享受するという「[[価値観外交#自由と繁栄の弧|自由と繁栄の弧]]」を外交の基本方針としている<ref>麻生太郎「とてつもない日本」(新潮新書)154ページ〜</ref>。著書「とてつもない日本」(新潮新書)では、民主化支援、法律の整備や法律家人材育成に日本の制度や経験を活かす[[法整備支援]]などのほか、自衛隊のPKO活動、[[カンボジア]]の[[カンボジア特別法廷]]上級審裁判官としての[[野口元郎]]の派遣、自身の思い入れのある[[日本の漫画|漫画]]も含めた日本文化を通じた交流も、その具体的施策として位置付け、重視する姿勢を示した。
 
 
 
[[第1次安倍内閣]]の「自由と繁栄の弧」構想は[[民主主義]]や[[法の支配]]などの価値を共有しているとはいえない[[中華人民共和国]]の反発を招くとの批判もあった。日本の国際的存在感の低下、[[尖閣諸島問題]]に象徴される日中間の力関係の変化という新たな国際情勢のもと、[[中華人民共和国]]との正面衝突を回避しつつ、アジアにおけるパワーバランスを適正に保ち、アジア及び世界の安定と発展に寄与する外交政策であるとの評価されている<ref>[http://diamond.jp/articles/-/26759 上久保誠人「「平和と繁栄の弧」+「戦略的互恵関係」 安倍自民党総裁の国際戦略を再評価する」]</ref>。
 
 
 
[[第2次安倍内閣]]の副総理兼財務大臣としても、最初の外遊先として、民主化や[[法の支配]]を急速に進める[[ミャンマー]]を選んだ<ref>[http://www.asahi.com/politics/update/1229/TKY201212290525.html 朝日新聞デジタル2012年12月29日「麻生副総理、新年ミャンマー訪問 経済協力強化を協議へ」]</ref>。この点、[[第2次安倍内閣]]では、[[安倍晋三]]首相、麻生太郎副首相兼財務大臣に加え、元の企画・立案者とされる[[谷内正太郎]]元外務事務次官も内閣官房参与となったため、「自由と繁栄の弧」が外交の基本方針として復活するとの指摘もある<ref>http://www.mitsuhashitakaaki.net/2012/12/28/se-3/</ref>。
 
 
 
=== アメリカ合衆国 ===
 
{{要出典範囲|date=2017年3月17日 (金) 13:43 (UTC)|2003年のイラク戦争の国連としての方針がまとまらないまま米軍による開戦目前となった際に主要閣僚として小泉首相に対して「アメリカというプレイヤーを選択するのか、国連というフィールドを選択するのかを決めることになる」と表現した。その後の2007年2月3日の[[京都市]]内の講演で「ドンパチが終わった後が大変だというのがイラクで分かった。([[イラク戦争]]においてアメリカがイラクを)占領した後のオペレーションは非常に幼稚」とアメリカのイラク占領政策について批判した}}。
 
 
 
=== 韓国 ===
 
[[大韓民国|韓国]]に対しては、[[日韓議員連盟]]の副会長も務めており、首相在任中は、日韓シャトル外交を定着させるなど日韓の親善に尽力した。麻生が議長を務める[[夢実現21世紀会議]]の「国づくりの夢実現検討委員会」を通じて[[日韓トンネル]]の実現に向けた政策提言を発表していることが2003年に自民党機関紙で伝えられた。2007年1月26日に「日本と韓国は、互いにとって最も近く、基本的価値を共にする大切な民主主義国同士であります。そのような間柄にふさわしい、未来志向の関係を打ち立てます」と述べている。また、2005年12月25日の韓国の大手メディアである『[[中央日報]]』のインタビューで、「韓国に一年に2度ずつ計40-50回ほど行っているが、私が知っているかぎり今の両国関係が最も良いのではないかと思う。それは韓国の生活水準が良くなり、自信をつけているためと思われる。[[サムスン]]だけでなく、韓国製品が非常に良くなった」と発言している。
 
 
 
=== 中華人民共和国 ===
 
2008年10月24日、[[北京市]]の[[人民大会堂]]で開かれた「日中平和友好条約締結30周年記念レセプション」に内閣総理大臣として参加し「『友好』というお題目のため遠慮する関係ではなく切磋琢磨して協力していくことこそ真の[[戦略的互恵関係]]」と挨拶し、日中が競い合うことで「共益」を実現し、両国関係強化につなげる方針を打ち出した。2009年4月の日中首脳会談では、麻生が[[中華人民共和国]]への核軍縮を求め、[[温家宝]]首相が歴史認識問題を追求したため緊迫したが、日本が中華人民共和国の環境汚染や廃棄物対策に協力する「日中環境・省エネルギー総合協力プラン」で合意したほか、[[東京国際空港|羽田]] ― [[北京首都国際空港|北京]]間の定期チャーター便を開設することや、閣僚級による[[中日経済ハイレベル対話]]を日本で開催することを決定した。また、「日中韓の経済は[[ドイツ]]・[[イギリス]]・[[フランス]]の合計も上回る」として中韓との経済協力強化を打ち出し<ref>{{Cite web |url=http://www.kantei.go.jp/jp/asospeech/2009/01/31davos.html |title=ダボス会議における麻生総理大臣特別講演「私の処方箋 ~世界経済復活に向けて~」 |webcite=[[首相官邸]] |accessdate=2017-10-03}}</ref>、麻生の地元でかつ中韓からも近い福岡県太宰府市の九州国立博物館で第一回[[日中韓首脳会談]]を開催して「三国間パートナーシップに関する共同声明」に署名した。
 
 
 
=== 中華民国(台湾) ===
 
親台派として知られ、総理大臣辞任後も台湾政界に太い人脈を持つ<ref>産経新聞 2010.4.5 18:17
 
[http://web.archive.org/web/20100409154909/http://sankei.jp.msn.com/world/china/100405/chn1004051822007-n1.htm 馬総統と会談へ 訪台の麻生前首相 - 産経新聞](2010年4月9日のアーカイブ)</ref>。[[参議院]][[予算委員会]]で「民主主義が成熟し、経済面でも自由主義を信奉する法治国家であり、日本と価値観を共有する国」と発言し、中華人民共和国のマスメディアから「日本の外相が『[[台湾]]は国家』と発言」と非難され、[[中華民国]]国内からは絶賛されたこともある。
 
 
 
=== インドとの安全保障協力共同宣言 ===
 
麻生の内閣総理大臣就任後の2008年10月21日から23日にかけて、[[インド]]の首相[[マンモハン・シン]]が日本を訪れた。麻生はシンとの首脳会談に臨み、外交と防衛における対話、船舶の安全航行などの協力について合意した。その後、両者は国際問題に関する情報交換、船舶の安全航行、テロとの戦いを骨子とする「安全保障協力に関する共同宣言」、日本とインドのあいだで合意済みの諸事項の一層の促進を求める「戦略的グローバルパートナーシップの前進に関する共同声明」に署名。麻生はこの会談で日本とインドの経済関係の促進に前向きの姿勢を見せ、[[デリー]] - [[ムンバイ]]間の貨物鉄道建設計画に総額4500億円の円借款を供与することを伝えた。麻生はシンに対し、[[核不拡散条約|NPT]]に未加盟のインドに対する原子力協力分野での協力について慎重な日本の立場を説明した。[[経済連携協定]]交渉については、早期妥結を目指すことで一致した。麻生との共同記者会見の席でシンは、意見交換を行った22日の首脳会談を「非常に生産的で充実したものであった」とした。シンは麻生に対して「古くからのそして非常に尊敬すべきインドの友人」と述べ、2年の間に首相として2度来日したことについて「2年の間に2度来日しているという事実が、インドが日本との関係をいかに重視しているかを表している」と強調した<ref>{{Cite news|url=http://news.indochannel.jp/news/nws0000866.html|title=【インド政治】麻生・シン両首相、戦略的協力関係の前進で合意|newspaper=インドニュース|publisher=インドチャネル|date=2008-10-23|accessdate=2008-10-23|language=日本語}}{{リンク切れ|date=October 2012}}</ref><ref>{{Cite news|url=http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2008|d=1024|f=politics_1024_004.shtml|title=[インド]シン首相 訪日日程を終了、安全保障協力で成果|newspaper=サーチナ|accessdate=2008-10-23|language=日本語}}</ref><ref>{{Cite web|url=http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/india/visit/0810_gai.html|title=マンモハン・シン・インド首相の訪日|publisher=外務省|language=日本語|accessdate=2008-10-23}}</ref>。
 
 
 
=== 北方領土問題 ===
 
2006年12月13日の[[衆議院]][[外務委員会]]において、[[北方領土問題]]を解決するために、北方4島([[択捉島|択捉]]、[[国後島|国後]]、[[色丹島|色丹]]、[[歯舞群島|歯舞]])全体の面積を2等分して、半分を[[ロシア連邦]]に譲ることにより解決を目指す考えを示した<ref>『読売新聞』2006年12月14日</ref>。これは元首相の[[海部俊樹]]から「北方領土の返還は党是だ。党の基本問題として守るべきものは守ってきちっとやってほしい」と批判された。
 
 
 
また、2009年2月に州内のコルサコフ近郊で行われたサハリンプロジェクトの一つ[[サハリン2]]のLNG工場稼働式典に合わせ、日本の首相としてはかつての領有時代を含めて初めてサハリン州を訪問し、ロシアの[[ドミトリー・メドベージェフ]]大統領と会談した。日本政府の公式見解では「所属未定地」となっている南樺太(サハリン南部)での会談には一部の有識者から批判が提起され<ref>[http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/090211/plc0902112036013-n1.htm 首相の「樺太」訪問、誤ったシグナル送ることにならないか] [[産経新聞]] 2009年2月11日付、</ref>、日本では[[鳩山邦夫]]総務相が国会答弁で「正直、実に微妙な問題だなと思う」と感想を述べた<ref name="sankei20090220">[http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/090220/plc0902202136016-n1.htm 首相のサハリン訪問後の記帳、総務相「微妙な問題」]</ref>。これについては北方領土問題とは異なり、南樺太については、ロシアが実効支配していることについてロシア以外のいかなる国の政府も領有権の主張を行っておらず、領有権を放棄した日本政府も異議を唱える立場にはなく、2001年にはサハリン州ユジノサハリンスクに総領事館を設置して、ロシアの実効支配を前提とした日常業務を行っている事もあり、訪問への反対運動は広がりを見せなかった。
 
 
 
=== 発展途上国への政府開発援助 ===
 
[[政府開発援助]] (ODA) には積極的な姿勢を取っている。2007年1月26日、「ODAは、我が国[[外交]]の重要な手段であります。国際社会の一員としての責務を果たし、かつ、自らの繁栄を確保していくために、ODAを一層戦略的に実施します。「自由と繁栄の弧」形成のためにも、ODAを活用していきます。そのうえで、ODA事業量の100億ドルの積み増し、また対アフリカODAの倍増など、対外公約を達成すべく努めてまいります」と述べた<ref>{{Cite web|url=http://www.shugiin.go.jp/itdb_kaigiroku.nsf/html/kaigiroku/000116620070126002.htm|title=第166回国会 本会議 第2号|date=2007-01-26|author=衆議院|accessdate=2007-10-06}}</ref>。
 
 
 
=== 核武装論 ===
 
2006年10月、自民党政調会長(当時)の[[中川昭一]]が「[[核武装論]]も選択肢として考えておくべき」と発言したことで一部から非難を受ける。麻生は[[非核三原則]]の堅持を明言を前提としつつも、「隣の国が持つとなったときに、1つの考え方としていろいろな議論をしておくことは大事だ」「日本は[[言論統制]]された国ではない。[[言論の自由]]を封殺するということに与しないという以上に明確な答えはない」と発言した。この発言が原因で、12月に民主党、[[社会民主党 (日本 1996-)|社民党]]、[[日本共産党|共産党]]ら4党から外相としての不信任決議案を提出された。
 
 
 
2009年11月23日、総理大臣時代に、日本に対する[[アメリカ合衆国]]の「[[核の傘]]」堅持のため、米議会が中期的な核戦略検討のために設置した「戦略態勢委員会」に働きかけを行っていたことがわかった<ref>[http://www.47news.jp/CN/200911/CN2009112301000311.html 政府、米に小型核保有促す 麻生政権時代「核の傘」堅持狙う - 共同通信 2009/11/23 20:44]</ref>。
 
 
 
=== インテリジェンスのさばき方 ===
 
諜報機関や国家運営に必要な情報収集能力を「[[インテリジェンス]]」と呼ぶことがある。麻生は英米のインテリジェンスを次のように比べた。[[イギリス]]はMI6(現[[SIS]])と[[外務・英連邦省|外務省]]の2つのインテリジェンスがある。英首相は2つを競合させる、つまり真贋を見分けて最終判断を下す機会を持ち、判断の政治的責任を引き受けている。他方、アメリカのインテリジェンスは[[CIA]]だけであり<ref group="注釈">正確には、[[アメリカ国家安全保障局|国家安全保障局]]、[[アメリカ国家偵察局|国家偵察局]]、[[アメリカ国防情報局|国防省情報本部]]、各軍の情報部、財務省情報部、エネルギー省情報部といったインテリジェンスからの情報を、CIAは独自調査とつき合わせフィルタリングしてから大統領に通している。</ref>、米大統領はインテリジェンスを競合させたり政治的責任をとったりできない。これは、イラク戦争の際に[[大量破壊兵器]]が存在すると誤認した構造要因だったと麻生は考えている。このような事実から、インテリジェンスの吟味が大事だという。この結論を[[手嶋龍一]]は高く評価した<ref group="注釈">[http://www.aso-taro.jp/lecture/talk/060630.html 中央公論7月号 〜これが外交の品格だ〜対談 麻生太郎×手嶋龍一 対米、対中、対北朝鮮 日本外交の舵をどう切るのか] 麻生はインテリジェンスを尊重することがインテリジェンスの開拓につながるとも考えている。なお、出典中の「民主党のガセメール事件」とは[[堀江メール問題]]であり、「シャドー・キャビネットの首相」とは[[前原誠司]]を指す。手嶋が提起したこの話題を受けて、麻生はインテリジェンスを相手を貶めるためには使わないことも大切だと述べている。しかし、この問題がインテリジェンスの悪用だったことの論証は出典を読む限り見当たらない。</ref>。
 
 
 
== 歴史認識 ==
 
[[日本統治時代の朝鮮]]・[[日本統治時代の台湾|台湾]]に対しては肯定的側面もあったとする発言をしている。2003年[[5月31日]]、[[東京大学]]学園祭において「[[創氏改名]]は[[朝鮮民族|朝鮮人]]が望んだ」<ref group="注釈">[[満州]]や日本国内で経済活動をするうえで朝鮮名が不利な場合があったという文脈での発言</ref>、「日本は[[ハングル]]普及に貢献した」と述べた(当該項目も参照)。また、2006年[[2月4日]]の[[福岡市]]での講演において、日本が植民地台湾の[[義務教育]]に力を入れたと指摘したうえで「台湾はものすごく教育水準が上がって[[識字率]]などが向上したおかげで今極めて教育水準が高い国であるが故に、今の時代に追いつけている」「我々の先輩はやっぱりちゃんとしたことをやっとるなと正直そのとき思った」と述べた。
 
 
 
[[2007年]]([[平成]]19年)[[3月21日]]、[[長崎県]][[時津町]]で講演。日本独自の中東和平外交として、[[ヨルダン#ヨルダン渓谷|ヨルダン渓谷]]の開発を進める「平和と繁栄の回廊」構想に触れ、「米国人にできないことを日本がやっている。日本人というのは信用がある。青い目で金髪だったら多分駄目よ」「われわれは幸いにして[[黄色人種|黄色い顔]]をしている。そこ(中東)で搾取をしてきたとか、ドンパチ、[[機関銃]]撃ったとか1回もない」と述べた。
 
 
 
[[2006年]]([[平成]]18年)[[5月26日]]、アジア各国の政府首脳や経済界リーダーを招いた国際交流会議「アジアの未来」において「近代の生んだ毒......。それはすなわち『国民国家』であり、『自民族中心主義』という意味に規定される『[[ナショナリズム]]』でした。この2つは、地図に黒々と、太い国境を引く思想でした。また時として、その[[国境]]を外へ外へ、無理やりにでも広げていくのをよしとする考えでした。(中略) 他人(ひと)のことは言いますまい。日本人は一度、国民国家とナショナリズムという、強い酒をしたたかにあおった経験があります。皆さんこれからのアジアは、国民国家の枠、ナショナリズムの罠に絡め取られるようではいけません」と述べた<ref>{{cite press release|title=国際交流会議「アジアの未来」2006 麻生太郎外相スピーチ「ネットワーク型アジア」の未来を構想する(外務大臣演説)|publisher=[[外務省]]|date=2006-09-18|url=http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/enzetsu/18/easo_0526.html|accessdate=2007-10-06}}</ref>。
 
 
 
2008年10月2日には日本の過去のアジア支配に対する反省と謝罪を明確にした「[[村山内閣総理大臣談話「戦後50周年の終戦記念日にあたって」|村山談話]]」について、「いわゆる村山談話と17年8月15日の小泉純一郎首相の談話は、先の大戦をめぐる政府としての認識を示すものであり、私の内閣においても引き継いでいく」として麻生内閣でも、明確に堅持する方針を示した<ref>『毎日新聞』 2008年10月2日</ref>。同年[[10月31日]]には[[航空自衛隊]][[幕僚長]]の[[田母神俊雄]]が旧[[大日本帝国軍]]の侵略行為を否定する論文を執筆していたことが判明したが、麻生は記者団に対して「個人的に出したとしても、立場が立場だから適切ではない」と述べた<ref>[http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30|k=2008103101117 空幕長論文「適切でない」=麻生首相-民主も批判 時事通信2008年11月1日]{{リンク切れ|date=2009年12月}}</ref>。
 
 
 
[[麻生内閣メールマガジン]]「太郎ちゃんねる(2008年[[12月4日]]配信)」において、「[[1941年]]12月に[[第二次世界大戦]]が[[真珠湾攻撃]]で始まる」と書いたことについて、「1941年12月に始まったのは第二次世界大戦ではなく[[太平洋戦争]]である。この歴史認識は知性を疑われる恥知らずの間違い」として、[[新党日本]]の[[田中康夫]]から国会での謝罪と訂正を求める[[質問主意書]]が提出された<ref>[http://web.archive.org/web/20100102233542/http://love-nippon.com/090213.htm 新党日本](2010年1月2日のアーカイブ)</ref>。
 
 
 
=== 日本軍慰安婦問題 ===
 
[[内閣総理大臣]]としては[[慰安婦関係調査結果発表に関する河野内閣官房長官談話|河野談話]]を踏襲することを表明したが、[[アメリカ合衆国下院]]に提出された[[日本の慰安婦|慰安婦]]問題をめぐる[[アメリカ合衆国下院121号決議|対日非難決議案]]にある「日本軍による強制的な性奴隷化」といった記述について「客観的な事実にまったく基づいていない」と強い遺憾の意を示している<ref>{{cite web|url=http://www.shugiin.go.jp/itdb_kaigiroku.nsf/html/kaigiroku/001816620070219011.htm|title=第166回国会 予算委員会 第11号|author=[[衆議院]]|date=2007-02-19|accessdate=2007-10-06 }}</ref>。麻生はまた、[[国際連合|国連]]の自由権規約委員会が従軍慰安婦に対して日本政府に謝罪と補償などを行うよう勧告したときも、[[第171回国会]]において、内閣総理大臣として「この勧告は、法的拘束力を持つものではなく、市民的及び政治的権利に関する国際規約の締約国に対し、当該勧告に従うことを義務付けているものではないと理解している」と述べ、慰安婦に対して謝罪や賠償をする意思がないことを表明した<ref>{{cite press release|title = 質問主意書 第171回国会(常会) 答弁書|publisher = 参議院|date = 2009-01-31|url = http://www.sangiin.go.jp/japanese/joho1/kousei/syuisyo/171/touh/t171001.htm|accessdate = 2010-01-23 }}</ref>。麻生個人の見解としては、慰安婦問題をめぐる対日非難決議案は、日本と米国が緊密な関係になることを良しとしない第三国による日米離間工作であると見なしている<ref>[http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30|k=2007031100036 時事通信 (平成19年03月11日) "慰安婦決議案、謝罪の必要なし=「日米離間工作」と指摘-麻生外相"]{{リンク切れ|date=October 2012}}</ref>。
 
 
 
=== 靖国神社問題 ===
 
{{要出典範囲|date=2017年3月17日 (金) 13:43 (UTC)|[[靖国神社]]については、常々「国の為に殉じた人を最高の栄誉をもって祀る事は、国際的にごく当たり前であり、他国からどうこう言われる話ではない」という持論を掲げている}}。
 
 
 
[[2006年]](平成18年)[[8月8日]]付の[[朝日新聞]][[朝刊]]にて『靖国にいやさかあれ』という論文を寄稿した<ref>{{cite press release|author = 麻生太郎|url = http://www.aso-taro.jp/lecture/talk/060811.html|title = 靖国にいやさかあれ(新聞投稿)|publisher = 麻生太郎オフィシャルサイト|date = 2006-08-11 }}</ref>。
 
 
 
政治家の[[靖国神社問題#政教分離|靖国神社問題]]については、[[政教分離原則|政教分離]]が問われるなど一番の問題は靖国神社が[[宗教法人]]であることだとしており、2006年の総裁選では総理になった場合に靖国神社を非宗教法人化(国が関与できる[[特殊法人]]への移行)し、国立追悼施設にすることを公約に掲げた。2008年10月にも「神社という名前が問題なら、靖国廟でも[[招魂社]]でもいろんな形がある」として、非宗教法人化を支持する姿勢を示している<ref>『時事通信』 2008年10月7日</ref>。
 
 
 
2006年には、「[[内閣総理大臣|首相]]になった際には靖国参拝を自粛する」という考えを示していた<ref>『読売新聞』 2006年8月4日</ref>。2008年に首相に就任した直後には「行くとも行かないとも答えることはない」として曖昧な姿勢を見せている<ref>『日本経済新聞』 2008年10月7日</ref>。外交問題に飛び火した小泉首相の参拝について「[[中華人民共和国|中国]]が(参拝を中断しろと)言えば言うほど行かざるを得ない」とし、「これはタバコを吸うなと言うと吸いたくなるのと同じだ」と述べた。麻生本人は外相在任当時、外務大臣は個人ではないという理由で靖国神社には参拝しなかった。
 
 
 
[[A級戦犯]]の[[分祀]]については、「靖国神社に戦死者でない人が祭られていることが非常に大きな問題点だ」「(首相の参拝について)他の国々、国内からいろいろ言われないよう、英霊から感謝されるような形で参拝できる制度を考えるべきだ」との見解を示している<ref>『時事通信』 2006年3月8日</ref> が、靖国神社が宗教法人である限り政治の介入による分祀は厳に慎むべきであるとしている<ref>[http://www.aso-taro.jp/lecture/talk/060808.html 麻生太郎オフィシャルサイト] 靖国に弥栄(いやさか)あれ</ref>。そのため、靖国問題の解決策に関しては、靖国神社の非宗教法人化を行い、国が関与できるようにして[[A級戦犯]]を[[分祀]]することを「1つの方法」と発言し、「望ましい」として賛成している<ref>『日本経済新聞』 2008年9月15日</ref>。
 
 
 
2006年[[1月28日]]、[[名古屋]]で行われた公明党議員の会合で、「[[英霊]]は天皇陛下のために万歳と言ったのであり、首相万歳と言ったのはゼロだ。天皇陛下が参拝(正確には「親拝」という)なさるのが一番だ」と述べ、「(天皇が)公人か私人かという論議のため参拝できなくなったが、解決の答えはいくつかあるはず」と付け加えたが、批判を浴びると「今の状況で天皇陛下に参拝していただきたいとは一切言ってない」と発言を修正し、釈明した<ref>『共同通信』 2006年1月31日</ref>。
 
 
 
日本と韓国の緊張関係について、「両国が靖国問題にあまりにも執着しているのが最も大きな問題だ。当分はマスコミが靖国問題を書かないのが一番よさそうだ。問題をあおって増幅させた」との考えを表明している。
 
 
 
2006年[[5月26日]]に都内のホテルで開かれた国際交流会議「アジアの未来」で講演し、「23日に自分が[[カタール]]で中韓の外務大臣と会談したので関係改善の流れが出て来た」と発言。これに対して韓国産業資源部長官は、「アジア共同体形成に関して各国間合意はできたが、韓中日の共同体構築努力が他地域に比べ足りない、原因は一部政治家の靖国参拝や歴史問題だ、ヨーロッパがいかにしてこれを克服したか考えて欲しい」と講演した<ref>『日本経済新聞』 2006年5月26日夕刊</ref>。
 
 
 
首相在任中の2009年には「(靖国神社は)最も政治やマスコミの騒ぎから遠くに置かれてしかるべきものだ。もっと静かに祈る場所だ」<ref>{{cite news|url = http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/090810/plc0908102050006-n1.htm|title = 【麻生ぶら下がり】靖国参拝「政治とかマスコミの騒ぎから遠くに置かれてしかるべきもんですよ」(10日夜)|newspaper = 産経新聞|date = 2009-08-10|accessdate = 2010-01-31|archiveurl = http://web.archive.org/web/20090813074410/http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/090810/plc0908102050006-n1.htm|archivedate=2009-08-13}}</ref> として、[[終戦の日]]に靖国神社参拝を行わない意向を示した<ref> {{cite news
 
|url = http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/090812/plc0908120315002-n1.htm
 
|title = 【主張】靖国神社参拝 指導者の務めはどうした
 
|newspaper = 産経新聞
 
|date = 2009-08-12
 
|archiveurl = http://web.archive.org/web/20090814133349/http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/090812/plc0908120315002-n1.htm
 
|archivedate= 2009-08-14
 
|accessdate = 2009-10-02
 
}}</ref>。
 
 
 
[[2009年]][[10月17日]]には、首相在任中には参拝しなかった靖国神社に参拝した<ref name="sankei200910201747">{{Cite news
 
|url = http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/091020/stt0910201752011-n1.htm
 
|title = 麻生前首相も秋季例大祭の17日に靖国参拝
 
|newspaper = 産経新聞
 
|date = 2009-10-20
 
|accessdate = 2010-01-12
 
|archivedate=2009-10-29
 
|archiveurl=http://web.archive.org/web/20091029024230/http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/091020/stt0910201752011-n1.htm
 
|
 
}}</ref><ref>{{Cite news
 
|url = http://www.nikkansports.com/general/news/f-gn-tp3-20091020-557665.html
 
|title = 麻生前首相が17日に靖国神社一般参拝
 
|newspaper = 日刊スポーツ(共同通信社)
 
|date = 2009-10-20
 
|accessdate = 2010-01-12
 
}}</ref>。
 
 
 
== 制度改革 ==
 
=== 義務教育の短縮 ===
 
[[教育基本法]]に関して麻生は、改正前の2002年に、「教育基本法には「国」という概念を明確に打ち出す必要がある。〔…〕「愛国心」を持つことの大切さを明示すべきなのだ」との見解を示していた<ref name="hanseikihete">{{Cite news |title=半世紀経て問いなおす時期に |newspaper=[[朝日新聞]] |date=2002-11-17 |author=麻生太郎  | page=19 |accessdate=2016-07-21}}</ref>。また、「思い切って中学の義務教育をやめてもいいのではないだろうか」として、義務教育を9年から6年に短縮する構想を示した<ref name="hanseikihete"/>。
 
 
 
これに対して[[高橋哲哉]]は「11歳か12歳で自分の人生に見きわめをつけよというのですから無理な話です」と述べ、この構想を批判している<ref>{{Cite book |和書 |author=高橋哲哉 |authorlink=高橋哲哉 |year=2004 |title=反・哲学入門 |publisher=白澤社 |page=90 |id= |isbn=4768479103 |quote= }}</ref>。
 
 
 
=== 憲法改正論議 ===
 
2008年9月の国連総会での演説後、自衛隊の[[集団的自衛権]]の行使について「できるようにすべき」と憲法改正もある程度は必要との認識を持っている。[[2016年]]の[[西日本新聞]]のアンケートでは「国民的合意が得られるものから適宜行うべきだ」と回答している<ref name="nishi0430">{{Cite news |title=<憲法特集>九州・沖縄の国会議員アンケート(3)主なテーマ |newspaper=[[西日本新聞]] |date=2016-04-30 |author= |url= http://www.nishinippon.co.jp/nnp/politics/article/242418 | archiveurl = http://archive.fo/HzRab | archivedate = 2016-05-02 |accessdate=2016-07-21}}</ref>。{{see also|憲法改正論議}}
 
 
 
=== 国籍法改正 ===
 
麻生内閣時代に国籍法改正について舵を取った。{{Main|国籍法改正問題}}
 
 
 
=== 選択的夫婦別姓制度 ===
 
[[2016年]]の『[[西日本新聞]]』のアンケートでは、選択的[[夫婦別姓]]制度導入について、「結婚したら全員が夫婦同姓にすべき」としている<ref name="nishi0430"/>。一方、[[野田聖子]]は麻生は選択的[[夫婦別姓]]制度導入に基本的に賛成である、と述べていた<ref>[http://www.noda-seiko.gr.jp/old_data/koen/koen1_1.html 野田聖子「政治が変わる、女性が変える」]</ref>。また、政策CPプロジェクト衆議院選挙2005プログラムでは「選択的夫婦別姓を認めるか」に対し「認めるが子供の姓はどちらかに統一する」と回答している<ref>[http://www.seisaku.jp/shu2005/find/index.php?status=s|sid=10261 政策CPプロジェクト - 衆議院選挙2005プログラム]</ref>。
 
 
 
=== 漫画の表現規制 ===
 
漫画やアニメの[[言論統制|表現規制]]強化を推進する立場を明確にしている。[[松江市]][[教育委員会]]によって『[[はだしのゲン]]』に閉架措置がとられた問題について「(はだしのゲンを)出たころ毎週の連載を読んでいましたけど、もっと禁止したほうがいい成人向け漫画がある。自民党でポルノコミックについて(規制を)やったときは「成人向けにすべきじゃない」とずいぶん反対があった。そういうもののほうが、もっと問題なんじゃないかね」と述べた<ref>{{Cite news
 
|url = http://web.archive.org/web/20130827140322/http://www.asahi.com/politics/update/0827/TKY201308270216.html
 
|title = 「ゲンより禁止すべき成人向け漫画がある」麻生副総理
 
|newspaper = 朝日新聞
 
|date = 2013-08-27
 
|accessdate = 2015-09-02
 
}}</ref>。[[1989年]]から発生した[[有害コミック騒動]]では規制強化の立場から[[自由民主党 (日本)|自民党]]を代表して「子供向けポルノコミック等対策議員懇話会」の会長を務めたうえ、[[児童買春、児童ポルノに係る行為等の処罰及び児童の保護等に関する法律|児童ポルノ禁止法]]についても法規制の必要性を主張している<ref>{{Cite news
 
|url = http://taroyamada.jp/?p=2879
 
|title = 児童ポルノ規制法について、安倍総理と麻生副総理に迫りました!
 
|newspaper = 参議院議員 山田太郎 オフィシャル Web サイト
 
|date = 2013-05-10
 
|accessdate = 2015-07-14
 
}}</ref><ref>{{Cite news
 
|url = http://www.j-cast.com/2013/05/10174857.html?p=all
 
|title = 「ローゼン閣下」麻生太郎副総理に失望の声 日本のマンガ、アニメを児童ポルノ禁止法から守ってくれそうにない!
 
|newspaper = J-CASTニュース
 
|date = 2013-05-10
 
|accessdate = 2015-07-14
 
}}</ref><ref>{{Cite news
 
|url = http://www.tokyo-sports.co.jp/nonsec/social/149147/
 
|title = 「児ポ規制」で麻生“ローゼン閣下”が危ない!?
 
|newspaper = 東京スポーツ
 
|date = 2013-06-06
 
|accessdate = 2015-07-14
 
}}</ref>。
 
 
 
=== 健康増進法改正 ===
 
自らも喫煙者であることから、[[受動喫煙]]防止を目的とした[[健康増進法]]改正案について反対している。
 
* [[2017年]]2月20日の衆議院[[予算委員会]]において、[[本村賢太郎]]から「麻生氏といえば[[ウイスキー]]片手に葉巻をくゆらせる姿が印象的で、とてもかっこいい。[[受動喫煙]]防止対策が進んでいくとシガーバーにも影響が出ると思う」と質問を受けたことに対し、「[[たばこ]]が吸えないシガーバーには行かないようにしたい」と答えた<ref>{{Cite news|url = https://www.nikkei.com/article/DGXNASFL240OR_U3A021C1000000/|title = 首相、受動喫煙防止の法整備「国民各層の意見や議論みていく」|newspaper = [[毎日新聞]] |publisher = [[毎日新聞社]]|date = 2013-10-24|accessdate = 2018-05-05}}</ref>。
 
* [[2017年]]2月21日の衆議院[[財務金融委員会]]において、「[[肺癌|肺がん]](の患者数)は間違いなく増えた。[[たばこ]]ってそんな関係あんのって色んな人に聞くんです」として、[[受動喫煙]]防止の必要性について疑問を呈した<ref name ="asahi20170222">{{Cite news|title = 「たばこってそんな関係あんの?」 喫煙者減っても肺がん増えた 愛煙家・麻生財務相が言及 |newspaper = [[朝日新聞]] |publisher = [[朝日新聞社]] |date = 2017-02-22 }}</ref>。また、[[電子たばこ]]についても、「[[国会 (日本)|国会]]で吸えるよう提案してみてはどうか。イライラがずいぶん収まって、激論もちょっとは減るんじゃないか」と主張した<ref name ="asahi20170222"/>。
 
 
 
== 政治的立場 ==
 
=== 派閥 ===
 
{{Main|志公会}}
 
 
 
=== 主な役職等 ===
 
*[[自民党たばこ議員連盟]]顧問<ref name="officer20170307">{{Cite web|url=http://notobacco.jp/pslaw/tobaccogirenkenkin1703.pdf|title=「自民党たばこ議員連盟」役員(2017/3/7現在)及び役員へのタバコ販売&耕作者政治連盟からの6年間の献金額(万円)|accessdate=2018年4月11日}}</ref><ref name="attendance20170307">{{Cite web|url=http://notobacco.jp/pslaw/giren170307syusseki.pdf|title=自民党たばこ議員連盟臨時総会(出席者)|accessdate=2018年4月11日}}</ref>
 
*[[日本青年会議所]](JC)元会頭
 
*[[日本クレー射撃協会|社団法人日本クレー射撃協会]][[会長]]
 
*日伯国会議員連盟会長
 
*[[日韓議員連盟]]副会長
 
*[[日韓協力委員会]]会長代行<ref>[http://jkcc.asia/2greeting/JKCC_gre3_staff.html 日韓協力委員会 概要]</ref>
 
*[[日韓トンネル研究会]]九州支部顧問
 
*[[北京オリンピックを支援する議員の会]]
 
*[[日本オリンピアンズ協会]]顧問
 
*[[日本バスケットボール協会]]会長
 
*[[神道政治連盟国会議員懇談会]] [[名誉顧問]]<ref>神政連レポート -意(こころ)- No.171 より</ref>
 
*[[日本会議国会議員懇談会]]特別顧問
 
*[[自民党ネットサポーターズクラブ]](J-NSC)[[最高顧問]]
 
*[[日華議員懇談会]]
 
*[[ラグビーワールドカップ2019日本大会成功議員連盟]]
 
 
 
=== 公明党との関係 ===
 
[[公明党]]と太いパイプを持つ蜜月関係で知られる<ref>{{Cite web
 
|author = [[正論 (雑誌)|正論]]
 
|date = 2008-08-01
 
|url = http://www.sankei.co.jp/seiron/wnews/0808/web-news0801-1.html
 
|title = 「麻生幹事長」打診 きょう内閣改造 町村長官留任へ
 
|publisher = [[産業経済新聞社|産経新聞社]]
 
|accessdate = 2010-02-17
 
|archivedate=2011-09-23
 
|archiveurl=http://web.archive.org/web/20110923012326/http://www.sankei.co.jp/seiron/wnews/0808/web-news0801-1.html
 
}}</ref>。麻生の2008年総裁選出馬表明直後には、公明党支持母体の[[創価学会]]婦人部・公明代表代行の[[浜四津敏子]]が異例のスピードで支持を表明し、麻生が総裁選で優位となる流れを作った<ref>{{Cite news|url=http://mainichi.jp/select/seiji/news/20080903k0000m010069000c.html|newspaper=毎日新聞|date=2008-09-03|archiveurl=http://web.archive.org/web/20080905192538/http://mainichi.jp/select/seiji/news/20080903k0000m010069000c.html|archivedate=2008-09-05|accessdate=2012-05-16}}</ref>。その後、2008年8月11日にまだ自民党総裁が決まってない段階で、公明党幹事長の[[北側一雄]]も「日本の未来を考えたときにリーダーは明るさが必要だ」として明確な支持を表明している<ref>日本経済新聞 2008年9月11日</ref>。連立与党のパートナーとはいえ、党幹部が他党の党首選について特定候補の支持を明言するのは極めて異例なことである。
 
 
 
=== 神道との関係 ===
 
麻生の信仰宗教は[[キリスト教]]([[カトリック教会|カトリック派]])であるが、[[神道政治連盟]]([[神社]]関係者などの[[神道]]の[[政治団体]])から支援を受けている。[[2009年]](平成21年)[[12月9日]]には、神道政治連盟国会議員懇談会の[[名誉顧問]]に就任している(これは[[カトリック教会]]が政治活動をしないためであり、公職である政治家を[[司教]]や教会などが応援すると、カトリック教会の教義にあたる[[教会法]]第285条に抵触する為である)。
 
 
 
=== 麻生グループ ===
 
[[麻生グループ]]関連会社「麻生」(福岡県飯塚市)から、2002年4月30日付で麻生が支部長を務める自民党支部が総額650万円の[[政治献金]]を受けていた。前年度中に「麻生」は国から補助金1458万円を交付されており[[政治資金規正法]]違反の疑いを指摘された。同社は県から間接的に受給していたので問題ないとの認識であった。報道後に同社は返金を求めることを表明した<ref> {{Cite web
 
|date=2004-08-06
 
|url=http://www.47news.jp/CN/200408/CN2004080601001272.html
 
|title=補助金受け650万献金 麻生総務相関連会社
 
|publisher=共同通信
 
|accessdate=2008-09-14
 
}}</ref><ref>{{Cite web
 
|date=2004-08-06
 
|url=http://www.47news.jp/CN/200408/CN2004080601005853.html
 
|title=違法ではないが返金受ける 麻生総務相関連会社
 
|publisher=共同通信
 
|accessdate=2008-09-14
 
}}</ref>。
 
 
 
=== 電力会社からの献金 ===
 
[[東京電力]]や関連企業が[[政治資金パーティー|パーティー券]]購入額の目安として、東京電力が政治家の電力業界での重要度を査定しランク付けしていた上位10議員の内の1人であったことが朝日新聞に報じられた<ref>{{Cite news | url = http://www.asahi.com/national/update/0107/TKY201201070496.html | title = 東電、10議員を「厚遇」 パーティー券を多額購入 | newspaper = [[朝日新聞]] | date = 2012-01-08 | accessdate = 2012-03-28 }}</ref>。
 
 
 
=== 政治資金パーティ ===
 
外務大臣だった2007年6月、大規模な[[政治資金パーティー]]を自粛すると定めた[[国務大臣、副大臣及び大臣政務官規範|大臣規範]]に反し、[[資金管理団体]]のパーティを開催して約8470万円の収入を得ていたことが、[[政治資金収支報告書]]で分かった<ref>産経新聞 2008年9月12日</ref>。
 
 
 
=== 衆議院議員初当選後 ===
 
==== 2001年以降 ====
 
* [[2003年]][[9月11日]]の麻生も同席した[[自民党総務会]]において、「大勇会の会合で[[被差別部落]]出身の[[野中広務]]に対する差別発言をした」と会合の出席者から聞いたとして、野中は麻生を強く批判した<ref>[[魚住昭]]『[[野中広務 差別と権力]]』</ref><ref>[[角岡伸彦]]『はじめての[[部落問題]]』</ref>。麻生は発言を否定している。{{See|野中広務#麻生太郎への批判}}
 
* [[総務大臣]]在任中の[[2005年]][[10月15日]]、この日に開館した[[九州国立博物館]]の開館記念式典での来賓祝辞の中で「一文化、一文明、一民族、一言語の国は日本のほかにはない」と発言。同博物館は[[選挙区]]は異なるものの麻生の地元である[[福岡県]]内にあり、展示内容は「日本文化の形成をアジア史的観点から捉える」である<ref>東京新聞 2008年9月26日 朝刊1面</ref>。<!--問題発言ですか?-->
 
 
 
==== 2006年 ====
 
* [[2006年]][[1月9日]]、[[福岡県]][[飯塚市]]で開いた集会で、[[シドニー]]で予定されていた日米豪閣僚級安全保障対話が延期されたことに関連し「([[イスラエル]]の)[[アリエル・シャロン|シャロン]]首相の容態が極めて悪く、会議途中でそのままお[[葬式]]になると意味がないので延期ということになった」と述べ、配慮を欠くとの批判を浴びた<ref>共同通信 2008年1月19日配信記事</ref>。
 
 
 
==== 2007年 ====
 
* [[2007年]][[7月19日]]、[[富山県]][[高岡市]]内で講演会において、国内外の米価を比較する例えとして「7万8000円と1万6000円はどちらが高いか。[[アルツハイマー型痴呆|アルツハイマー]]の人でもわかる」と発言。これについては野党からの反発だけでなく、与党からも[[第21回参議院議員通常選挙|参院選]]に悪影響だと懸念され、官房長官(当時)の[[塩崎恭久]]からも「適格性を欠く」と批判された。麻生は翌[[7月20日]]に謝罪したうえで撤回した<ref>「麻生外相が陳謝――アルツハイマー発言」『朝日新聞』[[2007年]][[7月21日]] 34面。</ref>。
 
* [[7月20日]]、アルツハイマー発言の翌日に[[鳥取県]][[倉吉市]]での演説で「酒は『きちがい水』だとか何とか皆言うもんだから、勢いとかいろんなことありますよ」と発言した<ref>『毎日新聞』 2007年7月20日</ref>
 
 
 
==== 2008年・内閣総理大臣就任前 ====
 
* [[8月]]、首相(当時)の[[福田康夫]]は国会審議で民主党の協力が得られず、支持率も低迷し行き詰っていたことで[[内閣改造]]を行った。その際、福田政権発足時には入閣・党役員就任を固辞していた麻生も、党の危機であることから[[自由民主党幹事長|幹事長]]に就任した([[福田康夫内閣改造内閣]])。[[8月4日]]、参議院議長の[[江田五月]]を表敬訪問した際、ドイツで[[ヴァイマル共和政#世界恐慌と共和政の崩壊|ヴァイマル共和政]]末期に、ナチスが台頭した経緯に触れて危機感を示した。江田は麻生の見通しを否定し、互いにそうならないようにしなければならないと返した<ref>{{Cite web
 
|date=2008-08-04
 
|url=http://www.jiji.com/jc/zc?k=200808/2008080400890|rel=y|g=pol
 
|title=「自民・麻生氏、ナチス引用し審議促す=「民主を冒涜」鳩山氏反発」
 
|work=[http://www.jiji.com/ 時事ドットコム]
 
|publisher=時事通信
 
|accessdate=2008-10-13 }} {{リンク切れ|date=2009年1月}}</ref>。
 
* [[9月14日]]、[[東海旅客鉄道|JR]][[名古屋駅]]前での[[2008年自由民主党総裁選挙|自民党総裁選]]の街頭所見発表会の発言の中で、前月に[[岡崎市]]など[[愛知県]]内で3人の死者を出した[[平成20年8月末豪雨]]に関して、「岡崎の豪雨は1時間に140ミリだった。[[安城市|安城]]や岡崎だったからいいけど、[[名古屋市|名古屋]]で同じことが起きたら、この辺全部洪水よ」と対策の不十分さに言及したが、これに対し被災地域を軽視しているとして岡崎・安城の両市と岡崎市議会は麻生側に抗議文を郵送<ref>{{Cite news|url=http://www.chunichi.co.jp/article/politics/news/CK2008091602000068.html|title=「豪雨、岡崎だったからいいけど」麻生氏、名古屋駅前の演説で発言|archiveurl=http://web.archive.org/web/20080928091535/http://www.chunichi.co.jp/article/politics/news/CK2008091602000068.html|archivedate=2008-09-28|accessdate=2012-05-16|newspaper=[[中日新聞]]|date=2008-09-16}}</ref><ref>{{Cite news|url=http://www.chunichi.co.jp/article/aichi/20080917/CK2008091702000040.html|title=「豪雨が安城や岡崎だったからいいけど」 麻生氏失言 怒り渦巻く|archivedate=2008-09-18|archiveurl=http://web.archive.org/web/20080918124846/http://www.chunichi.co.jp/article/aichi/20080917/CK2008091702000040.html|newspaper=中日新聞|accessdate=2008-09-17}}</ref>。同17日、麻生側は「不用意な発言で不快な思いをさせたことをお詫びし、復旧についてできる限りのことをする」との趣旨の謝罪文を、岡崎・安城の両市に送付した<ref>{{Cite news|url=http://www.asahi.com/politics/update/0917/NGY200809170001.html|title=麻生氏から岡崎市に謝罪文 豪雨めぐる発言で|archiveurl=http://web.archive.org/web/20080920013709/http://www.asahi.com/politics/update/0917/NGY200809170001.html|archivedate=2008-09-20|newspaper=朝日新聞|accessdate=2008-09-17|date=2008-09-17}}</ref>。なお、[[平成23年台風第15号]]の豪雨で、名古屋市は河川が氾濫して洪水となり、88万人に対する避難指示が出される事態となった。
 
 
 
=== 内閣総理大臣在任中 ===
 
==== 2008年9月 ====
 
* [[9月24日]]、『[[毎日新聞]]』が「とてつもない金持ちに生まれた人間の苦しみなんて普通の人には分からんだろうな」と発言したと報道した<ref>毎日新聞 2008年9月24日 東京朝刊</ref>。
 
 
 
==== 2008年11月 ====
 
* [[11月14日]]のワシントンでの同行記者団との懇談で、[[定額給付金]]について「給付なんておれはいらない、というプライドもある人もいっぱいいる」と発言した。多くの報道機関からは「定額給付金を受け取る国民はプライドが無いとも取れる」と解釈され、批判的な報道がなされた<ref>[http://www.nikkansports.com/general/news/f-gn-tp3-20081115-429731.html 「給付なんていらない人、いっぱいいる」]{{リンク切れ|date=2017年10月}}</ref>。また、2008年[[12月6日]][[長崎県]][[諫早市]]で自民党長崎県連が主催した首相の演説会で演説し、定額給付金について「私はそんな金をもらいたくないという人はもらわなきゃいい。(年収が)1億円あっても、さもしく1万2000円が欲しいという人もいるかもしれない」と発言した<ref>{{Cite news|url=http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20081207-OYT1T00088.htm|title=「さもしく1万2千円欲しい人も…」定額給付金で首相発言|archiveurl=http://web.archive.org/web/20081207192910/http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20081207-OYT1T00088.htm|archivedate=2008-12-07|date=2008-12-07|accessdate=2012-05-16}}</ref>。
 
* [[11月20日]]、全国知事会議で「自分が病院を経営しているから言うわけじゃないけれど、大変ですよ。はっきり言って([[医師]]は)社会的[[常識]]がかなり欠落している人が多い」「(医師不足の)責任はおたくら(医師)の話ではないですか」と発言した。会議後、記者団に発言の真意を問われ、「まともなお医者さんが不快な思いしたっていうんであれば、申し訳ありません」と謝罪した。[[厚生労働大臣]]の[[舛添要一]]や、自民党の[[国会対策委員長]]の[[大島理森]]、元副総裁の[[山崎拓]]、[[税制調査会]]会長の[[津島雄二]]などに苦言を呈されたほか、内閣官房長官の[[河村建夫]]も不適切との認識を示した。中でも山崎は「『社会的に非常識だ』と社会的非常識な人(麻生)に言われたくない」と強い口調で批判した。翌日、[[日本医師会]]会長の[[唐沢祥人]]が、抗議のために首相官邸を訪れた。これに対して麻生は「誤解を与えているようで、不適切であり、撤回する」と述べた。日本医師会会員からは日本医師会執行部に対して「自民党支持をやめるべきだ」との抗議が続々と寄せられており、日本医師会は、次期衆院選への影響は避けられないとの見方を示した。その他に[[全国保険医団体連合会]]も声明を発表し、「麻生総理は行政府の長として失格」と痛烈に批判。[[茨城県]]医師会も「政治家として、いや社会人として持つべき常識すら欠如している」との抗議文を首相あてに送付した。[[民主党 (日本 1998-2016)|民主党]]代表代行の[[菅直人]]からも「常識がないのは発言している総理の方では」と皮肉られた<ref>毎日新聞 2008年11月19日 東京朝刊</ref>。
 
* [[11月20日]]の経済財政諮問会議において「67、68歳になって同窓会に行くと、よぼよぼしている、医者にやたらかかっている者がいる。彼らは、学生時代はとても元気だったが、今になるとこちらの方がはるかに医療費がかかってない。それは毎朝歩いたり何かしているからである。私の方が税金は払っている。たらたら飲んで、食べて、何もしない人の分の金を何で私が払うんだ」と発言した。この発言は「だから、努力して健康を保った人には何かしてくれるとか、そういうインセンティブがないといけない。[[予防医学|予防]]するとごそっと減る」と続き<ref>{{PDFlink|[http://www.keizai-shimon.go.jp/minutes/2008/1120/shimon-s.pdf 平成20年第25回経済財政諮問会議議事要旨]}}</ref>、予防の奨励によって[[医療費]]の削減が期待できるとしたが、前半部分が「病気になるのは本人の不摂生([[自己責任]])のため」と受け止められ、また[[国民健康保険]]制度の概念を軽視する発言でもあるとして批判された。後に麻生は「[[病気|病]]にある人の[[気分]]を害したなら、その点はおわびする」と陳謝した<ref>2008年11月27日 読売新聞</ref>。[[山崎拓]]、税制調査会長の[[津島雄二]]、前幹事長の[[伊吹文明]]、[[中山泰秀]]、[[渡辺喜美]]などが苦言を呈した。[[公明党]]代表の[[太田昭宏]]は不適切な発言との認識を示した。また、菅直人は「国民が、自国の首相を恥ずかしいと思う状況になっている」、[[国民新党]]の[[亀井静香]]は「[[社会保障]]とは何かということを根底からわかっていない。やっぱり太郎ちゃん、なっちゃいけなかったんだな」と批判した。[[河村建夫]]も「首相はああいう性格。いろんな発言はこれからもあるだろう」と発言した。
 
* [[11月22日]]、訪問先の[[ペルー]]・[[リマ]]で、民主党代表の[[小沢一郎]]が、[[11月17日]]の党首会談で第2次[[補正予算]]案の審議・採決に応じる約束をほごにしたら「辞める」と発言したのに、後に否定したとして「この人の話、危ない。信用できなくなった」と発言、今国会提出を見送る考えを示した。小沢は「(会談後の記者会見で)『議員辞職するか』と聞かれたから『そんなことは言ってません』と言った」と説明。党首会談では「党内を説得できずに結果が違ったとしたら、[[党首]]としての責任を取ると言った」と反論した。さらに小沢は、麻生が「信用できない」と第2次補正予算案の今国会提出を見送る考えを示したことに対し、「僕の話で決めるレベルのことではない。厳しくなっている国民生活を政府がどうするかの問題だ」と批判し、「本当に首相として情けないというか、あまりにレベルが低い」と述べている<ref>産経新聞 2008年11月23日 朝刊</ref>。
 
 
 
==== 2008年12月 ====
 
* [[12月14日]]、『毎日新聞』は[[北九州エコタウン]]([[北九州市]])を視察し、「民間で銭にしちゃおう、『しのぎ』にしようというのがすごい」と発言し、暴力団の資金集めなどを指す時に使われることが多く品位に欠けるとの指摘もありうる問題発言として報道した<ref name="mainichi20081216">[http://web.archive.org/web/20081219043518/http://mainichi.jp/select/seiji/aso/news/20081216ddm005010145000c.html 麻生首相:また「問題発言」](2008年12月19日のアーカイブ) 毎日新聞 2008年12月16日</ref>。
 
* [[12月15日]]、参院決算委員会で健康増進策に関する質問に対して、自身の朝の散歩を挙げ「いい年こいて朝歩いているなんて、徘徊老人と間違われたりする時代があった。呼び止められたことが何回もありますから」と答弁したところ、[[首相官邸]]に詰めている記者団から「配慮に欠ける発言ではないか」と質問を受けると「どうして?何かよく分からない、言っている意味」と発言した<ref name="mainichi20081216"/>。
 
* [[12月19日]]、[[ハローワーク]][[渋谷]](東京都[[渋谷区]])を視察した。この際、失業し、再就職の相談に来て、「とにかく六本木などで働きたい」と発言していた若者に「今まで何してたんだ?新しい仕事というのは『これがやりたい』と言わないと、相談される方も『何かないですか』と言われても困る。何がやりたいか目的意識をはっきり出すようにしないと、就職というのは難しい」といったメッセージを送った。しかし、相談者は麻生の言葉を受け、「“何でもいいから仕事がほしい”というのが普通のこと。首相がそういうことを言うのはどうかと思う」、「職があれば良いというレベルです、私の場合は」、「今の不況の中では仕事を選べないところもあるから」とインタビューで答えた<ref>[http://news.tbs.co.jp/20081219/newseye/tbs_newseye4021564.html 麻生首相、ハローワークを視察News i TBS]{{リンク切れ|date=2009年1月}}</ref> ほか、鳩山由紀夫は麻生の言葉に対し、「誠に的はずれだ」「なかなか自分の思い通りの仕事が見つからない状況だからこそ[[ハローワーク]]で探そうとしている」と批判した<ref>[http://web.archive.org/web/20081222020412/http://www.asahi.com/politics/update/1219/TKY200812190363.html 「就職は目的意識ないと」 首相、ハローワークで若者に] 朝日新聞 2008年12月20日</ref>。
 
* [[12月25日]]夜、[[首相官邸]]で行われた閣僚との[[忘年会]]の席で、「わたしの発言でご迷惑をお掛けした。若干、発言に問題があったなあ」と照れながら陳謝したという<ref>『時事通信』2008年12月25日22時53分配信</ref>。
 
 
 
==== 2009年 ====
 
* [[1月6日]]の会見において、[[定額給付金]]に関して「個人に給付されるものにもらえとかもらうなとか言えない。ぜひみなさんに使っていただきたい」と、所得制限を設けず全国民に受け取ってもらいたいという趣旨の発言をした。また、政府・与党としても「[[国会議員]]も積極的に受け取るべき」との見解を示した。前年に「12,000円もらう人はさもしい」などと高額所得者は受け取りを辞退するよう呼び掛けていただけに、今回正反対の考えを示したことには「コロコロ意見が変わる」と批判の声が出た<ref>[http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20090106-OYT1T00634.htm 給付金「皆さんに使ってほしいな」首相が辞退期待から転換(2009年1月6日 読売新聞)]{{リンク切れ|date=2009年1月}}</ref>。
 
* [[2月5日]]の予算委員会で「(小泉)内閣の一員として最終的に賛成したが、[[郵政民営化]]は賛成ではなかった」と発言し、野党だけでなく自民党内にも大きな波紋を広げた。
 
* 2009年[[3月23日]] - 麻生の相次ぐ失言に対し、河村建夫が記者会見にて「医者や株屋の話もあった。相手を傷つけない配慮はされるべきだ」<ref name="asahi20090324">「失言癖の首相に『相手を傷付けない配慮を』――釈明続き官房長官苦言」「朝日新聞」No.44155、2009年3月24日、4p。</ref>「バランス感覚を持って発言してもらうことは必要だ」<ref name="asahi20090324"/> と批判した。
 
* [[6月7日]]、[[2009年東京都議会議員選挙|東京都議会議員選挙]]での党勢の拡大を図り、麻生が各候補者への訪問や街頭演説を開始。麻生は東京都議会議員選挙を[[サッカー]]に喩えて党への支援を訴えたが「[[日本]]には(元日本代表の)[[中田英寿]]みたいな[[スーパースター]]はいない」<ref name="sankei20090607">「『日本のスーパースターは天皇陛下だけ』麻生首相が『?』発言」『[http://web.archive.org/web/20090610052225/http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/090607/plc0906071932004-n1.htm 「日本のスーパースターは天皇陛下だけ」麻生首相が「?」発言 - MSN産経ニュース]』[[産経デジタル]]、[[2009年]][[6月7日]]、2009年6月10日のアーカイブ。</ref>「日本のスーパー(スター)は[[明仁|天皇陛下]]ぐらい」<ref name="sankei20090607"/> と発言。[[6月9日]]には立候補予定者の事務所を訪れた際、立候補予定者の子息に対して「おまえも後を継ぐのか。[[世襲]]頑張れ。親の後を継いで悪いことは何もない」<ref>「『世襲がんばれ』首相が都議選応援で立候補予定者の子供に持論?」『[http://web.archive.org/web/20090612220129/http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/090609/plc0906092152021-n1.htm 「世襲がんばれ」首相が都議選応援で立候補予定者の子供に持論? - MSN産経ニュース]』[[産経デジタル]]、[[2009年]][[6月9日]]、2009年6月12日のアーカイブ。</ref> と発言。[[6月20日]]の立候補予定者事務所での挨拶では、[[2009年東京都議会議員選挙]]について「必勝を期して」と言うべきところを「惜敗を期して」<ref name="yomiuri20090620">「『惜敗期して』麻生首相、都議選応援で言い間違え」『[http://www.yomiuri.co.jp/feature/20090608-145088/news/20090620-OYT1T00748.htm 「惜敗期して」麻生首相、都議選応援で言い間違え :東京都議選2009 :特集 :YOMIURI ONLINE(読売新聞)]』[[読売新聞]]、[[2009年]][[6月20日]]。</ref> と発言し、驚いた[[東京都第2区|東京2区]]の自民党支部長[[深谷隆司]]が「必勝です」<ref name="yomiuri20090620"/> と指摘するが、訂正せず<ref>「都議選に『惜敗を期す』?=『必勝』を言い間違え-麻生首相」『[http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30|k=2009062000229 時事ドットコム:都議選に「惜敗を期す」?=「必勝」を言い間違え-麻生首相]』[[時事通信社]]、[[2009年]][[6月20日]]。</ref>。深谷が麻生に耳打ちするなど再三指摘したため「再び勝って、必勝を」<ref>「麻生首相『都議選は惜敗を期して』――あいさつ言い間違え」『[http://web.archive.org/web/20090623033002/http://www.asahi.com/politics/update/0620/TKY200906200245.html asahi.com(朝日新聞社):麻生首相「都議選は惜敗を期して」 あいさつ言い間違え - 政治]』[[朝日新聞社]]、[[2009年]][[6月20日]]、6月23日のアーカイブ。</ref> と発言内容を修正。[[静岡県知事]]選挙では麻生側が党推薦候補に対し応援を申し入れてきたため、選挙対策本部が[[富士市]]での演説を打診したところ、麻生側が[[浜松市]]や[[静岡市]]など人口の多い都市での開催を要求してきたため、選挙対策本部が麻生の来県を拒否した<ref>{{Cite news|url=http://hochi.yomiuri.co.jp/topics/news/20090621-OHT1T00057.htm|title=静岡知事選では麻生首相の応援断る|date=2009-06-21|archiveurl=http://web.archive.org/web/20090622110346/http://hochi.yomiuri.co.jp/topics/news/20090621-OHT1T00057.htm|archivedate=2009-06-22|newspaper=スポーツ報知|accessdate=2012-05-16}}</ref>。
 
* [[7月25日]] - 日本青年会議所の会合で「元気な高齢者をいかに使うか。この人たちは皆さんと違って、働く事しか才能が無いと思って下さい。働く事に、絶対の能力がある。80歳過ぎて遊びを覚えても遅い。働ける才能をもっと使い、その人たちが働けば、その人たちは納税者になる」と発言し、[[毎日新聞]]系のマスコミから高齢者侮辱発言として批判された<ref>{{cite news
 
|url = http://megalodon.jp/2009-0725-1415-10/mainichi.jp/select/seiji/aso/archive/news/2009/07/25/20090725k0000e010033000c.html
 
|title = 麻生首相:高齢者「働くことしか才能がない」…会合で発言
 
|newspaper = 毎日新聞
 
|date = 2009-07-25
 
|accessdate = 2010-05-21
 
}}</ref><ref>{{cite news
 
|url = http://web.archive.org/web/20090726231342/http://www.sponichi.co.jp/society/news/2009/07/26/01.html
 
|title = 麻生首相言っちゃった“キョ〜烈高齢者侮辱発言”
 
|newspaper = [[スポーツニッポン]]
 
|date = 2009-07-26
 
|accessdate = 2010-05-21
 
}}</ref>。
 
* [[8月23日]] - 学生との対話集会にて、結婚生活には多額の費用がかかるため若年層が結婚するのが難しくそれが[[少子化]]の一因ではないか、との質問が出た。その質問に対し、麻生は「金がないなら結婚はしないものだ。うかつにしない方がいい」<ref>「『金ないなら結婚しない方がいい』=麻生首相が発言、河村官房長官は釈明」『[http://www.jiji.com/jc/zc?k=200908/2009082400776 時事ドットコム:「金ないなら結婚しない方がいい」=麻生首相が発言、河村官房長官は釈明]』[[時事通信社]]、[[2009年]][[8月24日]]。</ref> と回答した。麻生発言の真意を問われ、河村は「表現は直截(ちょくせつ)的だが、むしろ若者の就職対策を進めなければいけないという裏返しの表現」<!--括弧は原文ママ--><ref>「首相『金ないなら結婚勧めず』発言――官房長官が釈明」『[http://web.archive.org/web/20090827130646/http://www.nikkei.co.jp/news/seiji/20090824AT3S2400924082009.html NIKKEI NET(日経ネット)]2009年8月27日のアーカイブ』[[日本経済新聞社]]、[[2009年]][[8月24日]]。</ref> と説明した。またこの発言は[[英国放送協会|BBC]]<ref>[http://news.bbc.co.uk/2/hi/asia-pacific/8218731.stm Japan PM in gaffe on poor couples]</ref>、[[オーストラリア放送協会]]<ref>[http://www.abc.net.au/news/stories/2009/08/24/2665514.htm Japan's PM makes poor marriage gaffe]</ref>[[フランス通信社|AFP通信]]<ref>[http://web.archive.org/liveweb/http://www.google.com/hostednews/afp/article/ALeqM5j1iGAkNerQ6Rry3uUK96WOTNwtig Aso on the defensive again with gaffe ahead of vote]</ref> 等の各国のマスコミに「失言」と報道された。
 
 
 
=== 副総理在任中 ===
 
==== 2013年 ====
 
* [[1月21日]]、社会保障制度改革国民会議第3回会合で終末期医療に関して、「チューブの人間だって、私は遺書を書いて『そういう必要はない。さっさと死ぬから』と手渡しているが、そういうことができないと死にませんもんね、なかなか」「いいかげんに死にたいと思っても生きられる。しかも、政府のお金で(終末期医療を)やってもらうのは、ますます寝覚めが悪い。さっさと死ねるようにしないと」と発言し、すぐに適当でなかったとして発言を撤回した<ref>[http://www.jiji.com/jc/zc?k=201301/2013012100359 延命治療「死にません、なかなか」=麻生副総理が発言、すぐに撤回]</ref>。与野党から「TPOというものがある」「社会保障について本当に温かいまなざしで国民を見ているのか」などと批判された。23日には全日本年金者組合京都府本部が「政府が自立・自助を唱えてすすめている本音がでた」などとして抗議と要請の緊急決議を行った<ref>[http://www.kyoto-minpo.net/archives/2013/01/25/post_9294.php 「さっさと死ねるように」暴言に抗議 京都年金者組合]</ref>。
 
* [[7月29日]]、[[国家基本問題研究所]]の開いた憲法改正についてのセミナーで、「最近は左翼じゃないかと言われる」と前置きした上で、「憲法改正なんていう話は熱狂の中で決めてもらっては困る。ワァワァ騒いでその中で決まったなんていう話は最も危ない」という趣旨の発言を5度繰り返すなど、終始、改憲に消極的な発言を行った<ref>産経新聞「朝日が日本を国際社会の笑い物に…歪曲された麻生発言」(2013.8.5)[http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130805/plc13080517300007-n1.htm] </ref>。その中で改憲積極派に向けて、[[国家社会主義ドイツ労働者党|ナチス政権]]を引き合いに出し、「[[ワイマール憲法]]もいつの間にかナチス憲法<ref group="注釈">ドイツのヒトラー政権は[[全権委任法]]などの制定によってワイマール憲法を死文化していったため、事実上破棄したに等しいが、同憲法そのものを形式上は破棄していない。また、それに代わる新たな成文憲法を制定することもなかった。したがって、史上「ナチス憲法」なる名称の成文憲法が存在した事実はない。ただ、憲法は英国のように不文法の形で成立することもあり、当時のナチス体制および、全権委任法を始めとするナチス法全体をもって「ナチス憲法」への改変と表現する{{要出典|date=2013年8月|title=そのようなもの全体を「ナチス憲法」と定義している出典は何か}}ことはできる。{{Main|ナチ党の権力掌握}}</ref>に変わっていた。あの手口を学んだらどうか。騒がないで、納得して変わっている。喧騒の中で決めないでほしい」<ref>[http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20130730-OYT1T00050.htm ナチスの手口学んだら…憲法改正で麻生氏講演]</ref>と発言した。
 
 
 
:セミナーでナチスに関連する発言をしたことを、読売新聞のWeb版<ref>[http://archive.is/0PSWx 『ナチスの手口学んだら・・・憲法改正で麻生氏講演』]</ref>という見出し記事で報じた。ただしその後、『改憲「狂騒、狂乱の中で決めるな」…麻生副総理』<ref>[http://archive.is/hmdQU 『改憲「狂騒、狂乱の中で決めるな」・・・麻生副総理』]</ref><ref>[http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20130730-OYT1T00050.htm 『改憲「狂騒、狂乱の中で決めるな」・・・麻生副総理』]</ref>と共同通信<ref>[http://www.47news.jp/47topics/e/244250.php?__from=mixi 『憲法改正でナチス引き合い/麻生副総理、都内の講演で』]</ref>が報じた。ナチスに関連した部分のみを見出しにした報道を端緒に、この発言は海外の一部メディア・ユダヤ系人権団体らが一斉に批判することになった<ref>[http://www.bbc.co.uk/news/world-asia-23527300 Japan Deputy PM Taro Aso retracts Nazi comments]</ref><ref>[http://blogs.wsj.com/japanrealtime/2013/07/31/japan-finance-ministers-weimar-constitution-comment-draws-fire/ Japan Minister’s ‘Weimar Constitution’ Comment Draws Fire]</ref><ref>[http://world.time.com/2013/08/02/japans-aso-refuses-to-resign-over-nazi-comment/ Japan’s Aso Refuses to Resign Over Nazi Comment]</ref><ref>[http://www.huffingtonpost.com/2013/07/31/taro-aso-nazis-japan_n_3682801.html Taro Aso, Japan's Deputy Prime Minister, Says Tokyo Could Learn From Nazis' Tactics]</ref>。7月30日、ユダヤ系人権団体[[サイモン・ウィーゼンタール・センター]]が『Which 'Techniques' of the Nazis Can We 'Learn From'"?(一体どんな手口をナチスから学べると言うのか)』と題した声明を発表し、発言の真意を説明するよう促した<ref>2013年7月30日 Simon Wiesenthal Center to Japanese Vice Prime Minister: Which 'Techniques' of the Nazis Can We 'Learn From'"?[http://www.wiesenthal.com/site/apps/nlnet/content2.aspx?c=lsKWLbPJLnF|b=4441467|ct=13229277#.UgOJDZJM-8A]</ref><ref>[http://www.asahi.com/politics/update/0801/TKY201307310603.html 『ナチスの憲法改正「手口学んだら」 麻生副総理が発言』]</ref>。また、同日、韓国外務省報道官は定例記者会見で、「侵略の被害を受けた周辺国の国民にどう映るかは明らかであり、多くの人を傷つける」と批判した<ref>[http://www.nikkei.com/article/DGXNASFS3004J_Q3A730C1PP8000/ 日韓、閣僚発言巡り非難合戦]</ref><ref>[http://www.fukuishimbun.co.jp/nationalnews/CO/world/733849.html 韓国、麻生副総理の発言を批判「多くの人を傷つける」]</ref>。翌31日には中国外務省の洪磊副報道局長が、「日本がどこに向かおうとしているのか、アジアの近隣諸国や国際社会の懸念と警戒を引き起こす」と批判した<ref>[http://www.nikkei.com/article/DGXNASDE31001_R30C13A7PP8000/ 中国外務省、麻生氏発言を批判]</ref>。
 
 
 
:これらの批判や報道を受け、セミナーの主催者兼司会者でもあったジャーナリストの[[桜井良子]]は「[[朝日新聞|朝日]]が日本を国際社会の笑い物に…歪曲された麻生発言」(産経新聞2013.8.5「美しき勁き国へ」)[http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130805/plc13080517300007-n1.htm]において、「朝日新聞はこのようにして事柄を歪曲していくのか。麻生発言を朝日新聞が報じる手口を眼前にしての、これが私自身の率直な感想である」と述べ、「(麻生は)改正論議の熱狂を戒めたが、私はそれを、改正を急ぐべしという国基研と自分は同じではないというメッセージと受けとめた」とした上で、「有り体に言って一連の発言は、『ワイマール体制の崩壊に至った過程からその失敗を学べ』という反語的意味だと受けとめた」と述べた。そして「憲法改正に後ろ向きの印象を与えた麻生発言だったが、[[朝日新聞]]は全く別の意味を持つものとして報じた」として、同紙天声人語が麻生が改憲に積極的だという前提で、「素直に聞けば、粛々と民主主義を破壊したナチスのやり方を見習えということになってしまう」と書いたことや、朝日社説が「ある日気づいたら(中略)あの手口に学んだらどうかね」の部分だけを引用し、「普通に聞けば、ナチスの手法に学ぶべきだと言っているとしか受け止められない」と書いたことなどを、「朝日は前後の発言を省き、全体の文意に目をつぶり、失言部分だけを取り出して、麻生氏だけでなく日本を国際社会の笑い物にしようとした」と朝日新聞を批判した。ナチスに関連した発言は多くの国内外のメディアが批判することとなったが、桜井は「8月1日と2日、朝日の紙面は麻生発言で『熱狂』した。日によって1面の天声人語、社会面、社説を動員し、まさに全社あげてといってよい形で発言を批判した」と朝日の報道のみに言及した。
 
 
 
:8月1日、麻生は「同研究会においては喧騒にまぎれて十分な国民的理解及び議論のないまま進んでしまった悪しき例として、ナチス政権下のワイマール憲法に係る経緯をあげたところである。私がナチス及びワイマール憲法に係る経緯について、極めて否定的にとらえていることは、私の発言全体から明らかである。ただし、この例示が、誤解を招く結果となったので、ナチス政権を例示としてあげたことは撤回したい」<ref>{{Cite web|url=http://www.nikkei.com/article/DGXNASFS0100C_R00C13A8000000/|title=麻生副総理談話全文 ナチス政権発言「撤回したい」  |publisher=[[日本経済新聞]]|language=|date=2013-08-01|accessdate=2016-07-29}}</ref>
 
と述べた。
 
 
 
:野党側は[[8月7日]]に閉会する臨時国会中に、予算委員会での集中審議を求めていたが、与党側は「一応の決着をみた」として審議を拒否した<ref>[http://www.jcp.or.jp/akahata/aik13/2013-08-07/2013080702_02_1.html 麻生氏ナチス肯定発言の集中審議 野党が改めて求める]</ref>。
 
 
 
:なお、ミュンヘンの公立現代史研究所のマグヌス・ブレヒトケン博士は「麻生氏の例えは驚くべき発言だ」と述べたうえで「ナチスが政権を握った1933年以降も、公式にはワイマール憲法は存続した。だがこの年、議会承認を経ずにヒトラーが法律を制定できる全権委任法が成立し、ナチス独裁体制が固まったことで、ワイマール憲法は事実上の効力を失った。ナチス自身は特に憲法を定めていない」と説明。麻生による「ワイマール憲法はいつの間にか変わっていた」との発言は事実誤認と述べている<ref>[http://mainichi.jp/select/news/20130802k0000m030066000c.html 麻生副総理:ナチス発言、ドイツで批判]</ref>。{{Main|ナチ党の権力掌握}}
 
 
 
==== 2014年 ====
 
 
 
=== 誤読 ===
 
麻生はマスコミに対して「質問に乗ってまた言うと、それをまた挑発のネタにされる。そっち(メディア)の飯の種になるかもしれないが、こっちはそういうことにならないから」と嘆いたが<ref group="注釈">[[11月23日]]、ペルー・リマでの記者会見</ref>、この発言も問題発言として紹介される状況であった<ref>{{Cite episode |title = 「予算を国会に出せない内閣」 〜選挙も断念。政策も断念〜 |series = [[時事放談]] |network = [[TBSテレビ]] |airdate = 2008-11-30 |url = http://www.tbs.co.jp/jijihoudan/last/081130.html }}</ref>。
 
 
 
妻・[[麻生ちか子|千賀子]]は「米国発の金融危機が来て主人は景気対策のため本当に頑張りました。でも政策ではなく、政権交代という作られた流れの中で政局を問題視されました」「口が曲がってるとか、[[漢字]]が読めないとか。それと変な話をしたと。全体を見ればきちんとした話でも一つの単語が極端だったり、不用意だったり、そんなことだけが取り上げられました。[[人間失格]]のような印象すら作られ、私は本当に辛く、主人を可哀想に思いました。」と述懐している<ref name="麻生夫人が漏らした悲しみ">{{Cite journal|和書|date = 2009-09-07|title = 麻生夫人が漏らした悲しみ|journal = [[AERA]]|volume = 22|issue = 39|pages = 21|publisher = [[朝日新聞社]]}}</ref>。
 
 
 
「麻生前首相が資質を問われ始めたのは[[漢字]]の誤読が発覚してからだ([[毎日新聞]]論説副委員長・[[与良正男]])<ref>毎日新聞 2010年5月9日 東京朝刊「[http://web.archive.org/web/20100513072918/http://mainichi.jp/select/opinion/hansya/news/20100509ddm004070017000c.html 反射鏡:今再び、首相公選制への誘惑]」
 
[http://mainichi.jp/select/opinion/hansya/news/20100509ddm004070017000c.html オリジナル]の2010年5月13日のアーカイブ</ref>」といわれるように、麻生が国会答弁の中で、踏襲を『ふしゅう』と読み間違えたことを[[朝日新聞]]が報じた<ref>朝日新聞 2008年11月10日22時9分 「村山談話をフシュウ?」首相誤読 議事録は「踏襲」(藤田直央)[http://www.asahi.com/politics/update/1110/TKY200811100225.html]{{リンク切れ|date=October 2012}}</ref>。
 
 
 
こうした報道について、自民党の[[細田博之]]幹事長は「麻生総理が字が読めないらしいと言って楽しんでいる。日本国の程度を表している。国民の程度かもしれない」と発言したが、この発言も非難の対象となり、細田は発言を謝罪した<ref>[[共同通信]] 2009/07/24 23:34 「国民の程度」低い? 細田幹事長発言、直後に謝罪 [http://www.47news.jp/CN/200907/CN2009072401001012.html]</ref>。
 
 
 
マスコミなどの報道機関は、麻生の原稿の読み間違いについて批判し<ref>[http://news.livedoor.com/article/detail/3911455/ 肥留間正明の芸能斜め斬り 麻生首相原稿に仮名を振ってもらえ] 内外タイムス 2008年12月24日 閲覧</ref><ref>[http://www.data-max.co.jp/2008/12/post_3767.html 地元議員からも首相批判 選挙区の地盤沈下]</ref><ref>[http://www.data-max.co.jp/2008/12/post_3732.html 小学校の太郎ちゃん]</ref><ref>2009年4月12日 [[中日新聞]] 社説 リーダー不在の不幸 週のはじめに考える</ref>、2009年1月20日の参院予算委員会では、麻生の漢字力を質すため、民主党の[[石井一]]副代表が『就中(なかんずく)』など12個の漢字を並べたボードを用意したが、麻生から「『窶し(やつし)』以外は普通に読める」と返された。
 
 
 
一方、2009年4月10日、麻生首相が皇室主催の祝賀会で読み上げた祝辞で「弥栄」を「いやさかえ」として読み上げたことが誤読としてマスコミ各社で報道された<ref>ZAKZAK 「弥栄」を「いやさかえ」…祝賀で首相、やっちゃった〜 [http://www.zakzak.co.jp/top/200904/t2009041038_all.html]</ref>が、「弥栄」には「いやさか」「いやさかえ」と2通りの読み方があるため、マスコミ側の誤読ではないかと話題となり、新聞各社が慌ててネットの掲載した記事を削除する騒動となった(特に「歴史的な誤読」と報じた[[TBSテレビ|TBS]][[NEWS23|WEB多事争論]]は、編集委員の吉岡弘行が謝罪文を掲載する事態にまでなった)。(なお、麻生本人のブログでは、「弥栄」を「いやさか」と書いている<ref>麻生太郎オフィシャルサイト "靖国に弥栄(いやさか)あれ" [http://www.aso-taro.jp/lecture/talk/060808.html]</ref>。)
 
 
 
=== 日常生活・金銭面に関する逸話 ===
 
総理在任中の麻生は、マスコミから「[[庶民]]感覚がない」と批判的な報道が繰り返し行われた<ref>{{Cite news|url=http://mainichi.jp/select/seiji/news/20081023k0000m010091000c.html|title=麻生首相:就任1カ月 有名ホテルなどで連夜の会合|archiveurl=http://web.archive.org/web/20081025044738/http://mainichi.jp/select/seiji/news/20081023k0000m010091000c.html|archivedate=2008-10-23|newspaper=毎日新聞|date=2008-10-22}}</ref>。
 
 
 
麻生は政財界の要人と[[帝国ホテル]]のバーなどで会合を行っていたが、メディアからは「庶民の感覚と懸け離れた贅沢をしている」と非難の対象となった<ref>[http://web.archive.org/web/20081029133544/http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/ronsetu/CK2008102602000093.html 東京新聞:あのホテルにも行っては:私説・論説室から](2008年10月26日) [http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/ronsetu/CK2008102602000093.html オリジナル]の2008年10月29日のアーカイブ</ref>。
 
 
 
=== 自宅 ===
 
[[渋谷区]][[神山町 (渋谷区)|神山町]]に、敷地面積2400平方メートルの邸宅を所有している<ref>{{Cite news|url=http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2008092902000245.html|title=別世界「麻生御殿」 敷地2400平方メートル 地価は50億円|date=2008-09-29|newspaper=東京新聞|archiveurl=http://web.archive.org/web/20081001003656/http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2008092902000245.html|archivedate=2008-10-01|accessdate=2012-05-16}}</ref>。マスコミから「麻生御殿」と呼称されることがある<ref>[http://www.47news.jp/news/2008/09/post_2395.html "麻生御殿"は別世界 一等地の高台に洋館] 47NEWS 2008年10月28日</ref>。
 
 
 
麻生の自宅を非難する団体が無届デモを行い、逮捕される事件も発生した(不起訴)。
 
{{Main|麻生邸見学ツアー逮捕事件}}
 
 
 
=== その他 ===
 
* 毎日新聞の[[金子秀敏]]は、[[小沢一郎]]が「今円高だから、[[済州島]]を買っちまえ。」と発言し、韓国から非難を受けた件<ref>小沢氏「済州島買っちまえ」発言に韓国、非難ごうごう 2009/03/13(金) 12:35:11 [[サーチナ]] [http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2009|d=0313|f=politics_0313_004.shtml]</ref> について、麻生が「こういう発想はとてもじゃないけど私には出てこない」と発言したことについて「もしかして麻生首相は、済州島の領有権を買うと勘違いしているのではないか。だとすると、発言した方より勘違いした方のレベルが気になる。[[小学生]]レベルの常識もないのではないか」と批判している<ref>毎日新聞 2009年3月19日 東京夕刊 早い話が:(済州島)妄言批判という佞言=金子秀敏</ref>。
 
* [[中央日報]]によると、民主党の[[藤田幸久]]は[[麻生鉱業]]が戦時中に連合国捕虜を虐待したと主張し、麻生に同意を求めたが、麻生が「当時4〜5歳で認識するには早すぎる」と返答したため、藤田は国会議員会館で『麻生鉱業捕虜使役問題に関する報告会』を開き、「麻生首相は“当時、4歳だった自分は何も知らない”と事実の確認を拒否してきたが、生存者(捕虜労働者の)と遺族は麻生首相の謝罪と個人賠償を望んでいる」と謝罪と賠償を要求した<ref>中央日報 - 麻生首相の父、炭鉱で朝鮮人を強制労働させる [http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=111013|servcode=A00§code=A00]</ref>。
 
 
 
== その他・逸話 ==
 
=== 学生時代 ===
 
* アメリカの[[スタンフォード大学]]で大学院に在籍していた時、祖父の吉田茂が[[ダグラス・マッカーサー|マッカーサー]]将軍の葬儀に参列し、その帰途[[サンフランシスコ]]にいる麻生の所に赴いた。その時、[[アングロファイル]](英国偏愛家)であった吉田は、麻生の[[カリフォルニア]]訛りの[[アメリカ英語]]が気に入らなかったらしく、東京に戻った際、吉田の娘であり、麻生の母にあたる和子に厳命し、直ちに[[スタンフォード大学]]から引っこ抜くように言いつけたという。その結果、もうすぐ修士号を取得しそうだったにも関わらず、イギリスのLSE([[ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス]])へ送り出された。イギリスに送り出されたために、カリフォルニア訛りのアメリカ英語が、[[イギリス英語]]の[[コックニー]]訛りに変わったという<ref>『[[自由と繁栄の弧]]』{{要ページ番号|date=2018年4月1日}}</ref>。
 
 
 
=== 外務大臣時代 ===
 
* 漫画好きであることは外国の首脳にも知られており、[[ポーランド]]の外務大臣から現地([[ポーランド語]])版の『[[犬夜叉]]』を寄贈されている<ref>自著『とてつもない日本』p.168(新潮新書、2007)</ref>。
 
* [[2006年]](平成18年)、[[自衛隊イラク派遣]]の際、[[イラク]]での復興支援活動に『[[キャプテン翼]] (Captain Majed・[[:ar:كابتن ماجد|كابتن ماج]])』の[[イラスト]]を[[サマーワ]]に展開する[[日本]]の[[給水車]]に貼ることを支援したこともある<ref>{{cite press release
 
|title = 在サマーワ連絡事務所より サマーワ「キャプテン翼」大作戦 -給水車が配る夢と希望- その1
 
|publisher = [[外務省]]
 
|date = 2006-04-12
 
|url = http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/iraq/renraku_j_0412a.html
 
|accessdate = 2010-03-24
 
}}</ref>。
 
* [[2007年]](平成19年)[[5月22日]]には、麻生の肝入りで海外の漫画家を対象にした[[国際漫画賞]]を創設することを発表<ref>{{cite press release
 
|title = 外務省:「国際漫画賞」の創設について
 
|publisher = [[外務省]]
 
|date = 2007-05-22
 
|url = http://www.mofa.go.jp/Mofaj/press/release/h19/5/1173498_804.html
 
|accessdate = 2010-04-09
 
}}</ref>、麻生は「今や世界各国に現れつつある若きマンガの旗手たちに、マンガの本家本元である日本から、権威のある賞、いわば[[漫画|マンガ]]の[[ノーベル賞]]のようなものをあげたい。日本との絆を、それによって意識していただきたいものです」と述べ、[[7月2日]]には「マンガは愛。マンガは友情。マンガは人の成長。マンガはすべてを表します。得られる賞はプライスレス。その人は、とこしえの名前をマンガ界に刻むことになります」と述べた<ref>{{cite press release
 
|title = 国際漫画賞―国際漫画賞発足に寄せて―
 
|publisher = [[国際漫画賞]]
 
|date = 2007-05-02
 
|url = http://www.manga-award.jp/index2.htm
 
|accessdate = 2010-04-09
 
}}</ref>。
 
* 同年[[5月30日]]から、[[ウィーン]]で開催された[[核拡散防止条約]] (NPT) 運用検討会議の第1回準備委員会では、日本政府代表団が[[広島市]]での[[広島市への原子爆弾投下|原爆投下による被曝体験]]を描いた漫画『[[はだしのゲン]]』の英訳版を加盟国に配布することになったが、これは麻生の肝入りで実現したものである。[[外務省]]が[[英語]]版30冊を出版社から譲り受け、今後も「漫画外交」を活発に展開させることを予定している<ref>[[時事通信]] 2007年4月29日</ref>。
 
* 同年[[8月18日]]にメキシコの[[日墨学院]]を訪問した際、在校生から[[メキシコ]]で人気が高い漫画「[[:en:Samurai X]](原題:[[るろうに剣心 -明治剣客浪漫譚-]])」について質問された場面もあった<ref>{{cite news
 
|url = http://megalodon.jp/?url=http://www.sankei.co.jp/seiji/seisaku/070818/ssk070818003.htm
 
|title = 漫画談議でたじたじ メキシコ訪問の麻生氏
 
|newspaper = 産経新聞
 
|date = 2007-08-18
 
|accessdate = 2010-01-07
 
}}{{リンク切れ|date=October 2012}}</ref>。(なお、『るろうに剣心』では麻生の高祖父にあたる[[大久保利通]]が登場する)
 
 
 
=== 内閣総理大臣就任前 ===
 
* [[2006年]](平成18年)
 
* [[9月17日]]、[[有楽町マリオン]]前での[[街頭演説]]では、熱心な麻生の追っかけに対して「女の子ならともかく、男に追いかけられるのは初めて。励みになるよ」と演説中に述べた<ref>{{cite web
 
|url = http://www.aso-taro.jp/report/060919-2.html
 
|title = 有楽町での街頭演説(2006年9月17日)
 
|author = 麻生太郎オフィシャルサイト
 
|date = 2006-09-19
 
|accessdate= 2010-05-18
 
}}</ref>。翌18日に[[浅草]]でおこなった街頭演説では、「[[来た、見た、勝った]]」の文字をもじった『来た、見た、笑った! 麻生太郎』の[[ゲートフラッグ]]を掲げた者もいた<ref>{{cite web
 
|url = http://www.aso-taro.jp/report/060919-3.html
 
|title = 浅草での街頭遊説等(2006年9月18日)
 
|author = 麻生太郎オフィシャルサイト
 
|date = 2006-09-19
 
|accessdate = 2010-09-24
 
}}</ref>。
 
* [[11月]]、外務大臣(当時)[[ニューヨーク・タイムズ]]が太平洋戦争中における[[麻生太賀吉|麻生鉱業]]の[[捕虜]][[強制労働]]を報じた際に「事実が確認出来ない」と応え、在ニューヨーク総領事館にもウェブサイトでその旨反論させた。この反論はのちに[[2008年]][[12月18日]]、裏づけとなる[[第一復員省]]まとめの[[公文書]]が[[厚生労働省]]で発見された事を受け削除されている<ref>[http://kyushu.yomiuri.co.jp/news/national/20081219-OYS1T00212.htm 旧麻生鉱業炭坑に外国人捕虜、厚労省が公文書開示]{{リンク切れ|date=2009年1月}}[[讀賣新聞]]12月19日</ref>。
 
* 財務大臣(当時)の[[谷垣禎一]]との「[[安倍晋三]][[内閣総理大臣|首相]]に歯向かっても何もできない。だからオレと組め。その代わり、オレに総理を先にやらせろ」という会話があったと谷垣が述べたが、麻生はこれに対し、「こっちはまだ回答をもらっておらず、そういうこと(会話内容)を全然関係ないところでしゃべって、マナーとしていかがなもんか」と述べた<ref>{{cite press release
 
|title = 外務大臣会見記録(平成19年1月)
 
|publisher = 外務省
 
|date = 2007-01-16
 
|url = http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/kaiken/gaisho/g_0701.html#2-E
 
|accessdate = 2007-10-06
 
}}</ref>。
 
* [[大和田秀樹]]の[[漫画]]「[[ムダヅモ無き改革]]」では、麻生をモデルにした「麻生タロー」というキャラクターが登場している。アニメ版の[[声優]]は[[有本欽隆]]が担当。6巻の帯に写真付きで登場している等、作中唯一の公認キャラクターとなっている。
 
* [[2007年]](平成19年)
 
* [[10月6日]]、[[フジテレビジョン|フジテレビ]]系列の情報番組である[[ハッケン!!]]でのインタビューで「[[2ちゃんねる]]に時々書き込みをしている。新聞より核心を突いてくる」と公言。これは2ちゃんねるユーザーの間でも話題になった<ref>[http://web.archive.org/web/20071009231025/http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/071006/stt0710062210004-n1.htm 麻生太郎氏「2ちゃん、時々書き込む」]『[[産経新聞]]』2007年10月9日のアーカイブ</ref>。{{see also|渡邉哲也}}
 
* [[2008年]](平成20年)
 
* [[2008年自由民主党総裁選挙|自民党総裁選時]]に麻生が出馬する際、[[神奈川県]][[川崎市]][[麻生区]]の区役所など[[住民票]]等を請求する名前の記入例に『麻生太郎』と書いてあったが、区民からの指摘により、麻生区は急遽別の名前と差し替える『珍事』が発生した<ref>{{cite news
 
|url = http://www.47news.jp/CN/200809/CN2008090301000317.html
 
|title = 記入例「麻生太郎」変更へ 誤解招くと川崎市麻生区
 
|newspaper = 47NEWS
 
|publisher = [[共同通信社]]
 
|date = 2008-09-03
 
|accessdate = 2010-03-03
 
}}</ref>。
 
* [[9月16日]]、自民党総裁選で麻生以下5人の候補は、公開討論会でそれぞれ自己分析を披露した。その際に麻生は「ひと言多いこと」と発言した<ref>{{cite news
 
|url = http://web.archive.org/web/20080922154424/http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/080916/stt0809162123012-n1.htm
 
|title = 【自民総裁選】総裁候補が自己分析 「ひと言多い」麻生氏に、「太陽に吠えろ」の石原氏
 
|newspaper = 産経新聞
 
|date = 2008-09-16
 
|accessdate = 2008-12-13
 
}}</ref>。
 
=== 内閣総理大臣就任後 ===
 
[[ファイル:Aso taro 20160622.jpg|thumb|2016年6月撮影]]
 
* [[2008年]](平成20年)
 
* [[9月]]、「[[総理大臣公邸]]に入居するのは[[解散総選挙]]を行った後」としており、総理大臣任命後も自宅から通勤していた。総理が自宅([[東京都]][[渋谷区]])から官邸へ通勤するのは、[[宮沢喜一]]以来15年ぶり。
 
* [[10月26日]]、総理総裁として初の[[秋葉原]]での[[街頭演説]]後に[[秋葉原UDX]]で開かれた「秋葉原エンタまつり2008」の特別ステージに[[さいとうたかを]]、[[弘兼憲史]]と共にゲスト出演<ref name="ascii20081027a">{{cite web
 
|author = 伊藤真広
 
|date = 2008-10-27
 
|url = http://ascii.jp/elem/000/000/183/183270/
 
|title = エンタまつりに首相登場! 漫画家らとマンガ論を語る(1)
 
|publisher = [[アスキー・メディアワークス|ASCII.jp]]
 
|accessdate = 2011-06-29
 
}}</ref>。司会を兼任した弘兼からの「“わが青春のこの一冊”はなんですか?」との問いに対し「ここにいるお二方の作品を挙げるとアレなので」と前置きした上で[[本宮ひろ志]]の『[[男一匹ガキ大将]]』を挙げ、「7年間くらい毎週買ってましたね。そして単行本も集めたんですが、単行本を買って集めた初めての作品ですね」と返答した<ref name="ascii20081027a"/>。『ゴルゴ13』については、「冷戦が崩壊したときには物語は終わってしまうんじゃないかと思ったんですが、新しいシナリオがあってサラリーマンの意識の先を行っているので、大人が読めるマンガになっていると思います」と述べた<ref name="ascii20081027b">{{cite web
 
|author = 伊藤真広
 
|date = 2008-10-27
 
|url = http://ascii.jp/elem/000/000/183/183270/index-2.html
 
|title = エンタまつりに首相登場! 漫画家らとマンガ論を語る(2)
 
|publisher = ASCII.jp
 
|accessdate = 2011-06-29
 
}}</ref>。また、「いま、映画やドラマの原作はマンガ発のものが多くなってきていると思いますが、マンガのほうが発想が豊かだからでしょう。そんなマンガ産業をもっと育てていこうと[[二階俊博|二階]]氏とも話していますよ」と述べた<ref name="ascii20081027b"/>。
 
* 2008年11月に行われた日本とロシアの首脳会談にて、麻生は[[ロシア連邦大統領]]の[[ドミートリー・メドヴェージェフ]]に[[ドラえもん]]に登場する道具「[[タケコプター]]」を贈っている。メドヴェージェフは麻生の贈り物に喜び、「[[ロシア語]]の[[説明書]]はないのか」と尋ねたという<ref>{{Cite news
 
|url=http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30|k=2008112300120
 
|title=ドラえもん、日ロ友好に一役=大統領にラジコン贈呈-麻生首相
 
|newspaper=時事ドットコム
 
|publisher=時事通信社
 
|accessdate=2008-11-23
 
}}{{リンク切れ|date=October 2012}}</ref><ref>{{Cite news
 
|url=http://www.nikkansports.com/general/news/f-gn-tp3-20081123-432708.html
 
|title=麻生首相 メドベージェフ・ロシア大統領の息子にドラえもんの玩具を贈り日ロ友好を演出
 
|newspaper=nikkansports.com
 
|publisher=日刊スポーツ
 
|accessdate=2008-11-23
 
}}</ref>。{{要出典範囲|date=2018年4月1日 (日) 05:17 (UTC)|メドヴェージェフの妻である[[スヴェトラーナ・メドヴェージェワ]]と長男のイリヤは、ドラえもんが大好きだという}}。
 
 
 
* [[2009年]](平成21年)
 
* [[1月19日]]より[[総理大臣公邸]]にて居住を始めた。
 
* [[10月26日]]には総理総裁後初めて、[[秋葉原]]駅前にて自身3度目の[[街頭演説]]を行った際、2008年[[6月8日]]に起こった[[秋葉原通り魔事件|秋葉原無差別殺傷事件]]を取り上げ、「世の中が暗くなっている」と話し、「明るい世の中にしよう」と呼びかけた。また、麻生は中小企業、零細企業、[[地方銀行]]について触れ、[[従業員]]の[[最低賃金]]を上げることや、[[非正規雇用]]を[[正規雇用]]にし、その際の負担は[[政府]]が賄うということを話し、就任当時から語っている景気対策の必要性を主張した<ref>[http://www.youtube.com/watch?v=KE4lxOkwliI YouTube LDPchannel]</ref>。
 
* [[11月19日]]、都内のホテルで開かれた私立[[幼稚園]][[PTA]]の全国大会で挨拶した麻生は「[[家庭]]でしつける力がなくなってきた」と指摘したうえで、「じいさん、ばあさん、やかましいおやじさんの存在が薄くなってきたせいもあって、[[幼稚園]]で何とかしろと負担が掛かってきている。しつけるべきは母親だ」と批判した<ref>{{cite news
 
|title = しつけるべきは母親=幼稚園PTA大会で麻生首相
 
|newspaper = 時事通信社
 
|date = 2008-11-19
 
}}</ref>。麻生は大会を「幼稚園の教員による会合」と勘違いしていたとされ、会場に園児の母親が多数出席していることに気づくと、批判のトーンを弱めている<ref>{{cite news
 
|url = http://megalodon.jp/2008-1120-1900-00/www.sponichi.co.jp/society/flash/KFullFlash20081119066.html
 
|title = 首相 教員会合と勘違い?PTA大会で親批判
 
|newspaper = スポーツニッポン
 
|date = 2008-11-19
 
|accessdate = 2010-03-28
 
}}</ref><ref>{{cite news
 
|title = 先生と勘違い?保護者大会で首相「親で苦労してるでしょ」
 
|newspaper = 読売新聞
 
|date = 2008-11-20
 
}}</ref>。
 
* 動画サイト[[ニコニコ動画]]内の自民党公式チャンネルにおいて、ニコニコ動画のマスコットキャラクター「ニコニコテレビ君」を、麻生の顔文字である「(゜⊿゜)」に置き換えた「タロビ」というキャラクターが生み出され、ユーザー内で話題となった<ref>[http://akasaka.keizai.biz/headline/284/ 麻生自民党チャンネルのキャラクター「タロビ」人気に-麻生首相も対面] 赤坂経済新聞 2009年5月19日</ref>。{{要出典範囲|date=2018年4月1日 (日) 05:17 (UTC)|のちにユーザーからも使用され始めたほか、現在でも自民党公式チャンネルにて引き続き使用されている。また、麻生自身もニコニコ動画の自民党公式チャンネルの企画にてタロビと対面した}}。
 
* {{要出典範囲|date=2018年4月1日 (日) 05:17 (UTC)|携帯電話の着信メロディに[[君が代]]を登録しており、先述のニコニコ動画の企画にて麻生自身が紹介したほか、[[2009年]](平成21年)[[4月23日]]の[[衆議院]]・海賊対処・テロ防止特別委員会の際に[[新藤義孝]]が紹介した}}。
 
* 日本のソフトコンテンツ産業の向上のために、平成21年[[予算#日本|補正予算]]に「[[国立メディア芸術総合センター]]」の構想を練る<ref>{{cite press release
 
|title = メディア芸術の国際的な拠点の整備について(「国立メディア芸術総合センター(仮称)」構想について)
 
|publisher = [[文化庁]]
 
|date = 2009-05-14
 
|url = http://www.bunka.go.jp/oshirase_other/2009/mediageijutsu_090514.html
 
|accessdate = 2010-05-15
 
}}</ref>。{{要出典範囲|date=2018年4月1日 (日) 05:17 (UTC)|のちの[[民社国連立政権]]では、この構想や予算が消滅した}}。
 
 
 
=== 内閣総理大臣辞任後 ===
 
* [[2009年]](平成21年)
 
* 麻生の盟友である[[中川昭一]]が死去した際、[[10月16日]]に[[北海道]][[帯広市]]でおこなわれた「哀惜の会」にて弔辞を読み、「昭ちゃん。まさかあなたの弔辞を13歳も年上の私が読むことになろうとは…」と発言した<ref name="tokachi20091016">{{cite news
 
|url = http://www.tokachi.co.jp/news/200910/20091016-0003039.php
 
|title = 中川昭一氏 哀惜の会 “盟友”が弔辞
 
|newspaper = [[十勝毎日新聞]]
 
|date = 2009-10-16
 
|accessdate = 2012-10-11
 
}}</ref>。
 
* [[11月12日]]には、[[天皇陛下御即位二十年をお祝いする国民祭典]]に来賓として出席し、祝辞こそ述べなかったものの、ステージ上から[[明仁|天皇陛下]]をお祝いした。
 
  
* [[2010年]](平成22年)
+
政治家。[[内閣総理大臣]](首相。在任 2008~09)。元衆議院議員麻生太賀吉の長男として生まれた。
* [[4月19日]]放送の[[テレビ朝日]]の「[[ビートたけしのTVタックル]]」に出演した<ref>{{cite news
 
|url = http://sankei.jp.msn.com/entertainments/entertainers/100419/tnr1004191034003-n1.htm
 
|title = たけし、麻生前首相に同情「一番運が悪かった総理」
 
|newspaper = msn産経ニュース
 
|date = 2010-04-19
 
|accessdate = 2010-10-04
 
|archiveurl=http://web.archive.org/web/20101111015614/http://sankei.jp.msn.com/entertainments/entertainers/100419/tnr1004191034003-n1.htm
 
|archivedate=2010-04-22
 
}}</ref>。
 
* [[6月9日]]、自民党党本部8階で行われた、[[自民党ネットサポーターズクラブ]](J-NSC)の設立総会に出席。挨拶の際に『'''アサ ナマタロウ'''ではなくて、麻生太郎』と述べ、[[インターネット]]上の[[ハンドルネーム]]を『[[コードネーム]]』と発言し、会場は笑いの渦となった<ref>{{YouTube|H3O2MUr-0kE|J-NSC 設立総会 麻生太郎最高顧問就任挨拶(2010.6.9)}}・LDPchannel</ref>。
 
* [[9月28日]]、[[グランドプリンスホテル赤坂]]で行われた、[[中川昭一]]の一周忌「偲ぶ会」に出席。式辞の際に「『[[国際通貨基金|IMF]]に10兆円を出す』という決断が、[[リーマン・ショック]]後の[[世界金融危機 (2007年-)|世界経済の混乱]]を相当食い止めた。良い仕事をした時は[[報道|マスコミ]]は評価すべきだ。[[尖閣諸島|尖閣]]の様な、ふざけた話が起きた時([[尖閣諸島中国漁船衝突事件]])は、『[[日本]]の[[売国|国を売る]]ようなことは止めるべきだ』と大きな声で批判すべき。中川氏が生きていたら、もっと大きな声で言っていたでしょう」と述べた<ref>{{cite news
 
|url = http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/100929/stt1009292109008-n1.htm
 
|title = 「売国やめよ」中川昭一さん偲ぶ会で菅政権に批判続々
 
|newspaper = [[夕刊フジ]]
 
|publisher = msn産経ニュース
 
|date = 2010-09-29
 
|accessdate = 2010-10-04
 
}}</ref>。
 
* [[9月29日]]、[[東京国際フォーラム]]で行われた映画『[[SP THE MOTION PICTURE]] 野望篇』完成披露試写会に、特別ゲストとして出席。映画で登場した[[セキュリティポリス|SP]]について「あれだけ長時間追いかけられる人は、私に実際に付いた人たちの中でも中々居ない。大したもんだなと思いましたよ。警護術はきちんとしてたし、簡単に[[拳銃]]を抜かないし。『オレだったらそこで撃ってしまうけどな』と、思う場面もありましたよ」と述べた<ref>{{cite news
 
|url = http://www.cinematoday.jp/page/N0027260
 
|title = 「オレだったらそこで撃つのにな!」と麻生太郎氏が上機嫌でマスコミ陣に語ったこととは?
 
|newspaper = シネマトゥデイ
 
|date = 2010-09-29
 
|accessdate = 2010-10-04
 
}}</ref>。
 
  
* [[2011年]](平成23年)
+
母方の祖父は[[吉田茂]]元首相,妻の父は[[鈴木善幸]]元首相,妹は三笠宮寛仁の妻。
* [[1月1日]]、[[ブラジル連邦共和国]]第36代[[ブラジル連邦共和国大統領|大統領]]、[[ジルマ・ルセフ]]の大統領就任式に、[[日本国]]政府特使として出席した<ref>{{cite press release
 
|url = http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/release/23/1/0104_03.html
 
|title = 麻生特派大使のブラジル大統領就任式参列(概要)
 
|publisher = [[外務省]]
 
|date = 2011-01-04
 
|accessdate = 2011-02-13
 
}}</ref>。
 
  
* [[2012年]](平成24年)
+
1963年[[学習院大学]]政経学部を卒業,1973年家業の麻生セメントの代表取締役社長に就任,1978年日本青年会議所会頭の座についた。この間の 1976年,モントリオール・オリンピック競技大会の射撃(クレー射撃。スキート)に日本代表選手として出場。
* 12月26日、新たに成立した第2次安倍内閣に[[副総理]]兼[[財務大臣]]兼[[金融担当大臣]]として入閣。
 
* [[2017年]](平成29年)
 
* 9月23日、栃木県宇都宮市内のホテルで講演中、朝鮮半島有事で日本に大量に押し寄せる可能性のある難民への対応について触れた上で、「武装難民かもしれない。警察で対応できるか、自衛隊の防衛出動か、射殺ですか。真剣に考えた方がいい」と発言した<ref>{{cite news
 
|url = http://www.yomiuri.co.jp/politics/20170923-OYT1T50148.html
 
|title = 麻生氏「武装難民の射殺」に言及…朝鮮半島有事
 
|newspaper = 読売新聞
 
|date = 2017-09-23
 
|accessdate = 2017-09-24
 
}}</ref>。
 
  
=== 漫画についてのエピソード ===
+
1979年衆議院議員に初当選し,1996年[[橋本龍太郎]]内閣で経済企画庁長官として初入閣した。その後,経済財政政策担当大臣,自由民主党政務調査会長,総務大臣,外務大臣を歴任,2007年安倍政権下で自民党幹事長となり,翌 2008年に福田政権下で再び幹事長を務めた。同年 9月,突然辞意を表明した[[福田康夫]]首相の後継者争いで圧勝し,第92代,59人目の首相に就任した。
* [[日本の漫画|漫画]]好きであり、マンガ・ポピュラー音楽・食べ物などの[[サブカルチャー]]文化の影響力が、日本国の[[安全保障]]、防衛にも繋がるとの持論がある<ref>[http://peacemedia.jp/topics/070203aso.html PeaceMedia 防衛シンポジウム2007in京都レポート]</ref>。特に好きな漫画として『[[ゴルゴ13]]』を挙げている。[[2005年]]の外務大臣就任後は[[文化政策|文化外交]]・[[価値観外交]]・[[自由と繁栄の弧]]を重視し、[[2007年]]には[[国際漫画賞]]を創設した<ref>{{cite press release
 
|title = 外務省:「国際漫画賞」の創設について
 
|publisher = [[外務省]]
 
|date = 2007-05-22
 
|url = http://www.mofa.go.jp/Mofaj/press/release/h19/5/1173498_804.html
 
|accessdate = 2010-04-09
 
}}</ref>。
 
  
=== その他 ===
+
2001年に自民党総裁選挙に初立候補して[[小泉純一郎]]に敗れて以来,4度目の挑戦で総裁・首相の座を手にした。
* 麻生の[[衆議院]][[議員会館]]事務所には、書棚に様々なジャンルの漫画の単行本が並べてあり、自分の車内には常に最新の[[漫画雑誌|週刊コミック誌]]を置いているという<ref>{{cite web
 
|url=http://www.chikuhou.or.jp/aso-taro/newspaper/030702-1.html
 
|title=麻生太郎 コミックを語る|work=ビッグコミックオリジナル 増刊号
 
|date=2003-07-02
 
|accessdate=2007-10-06|archiveurl=http://web.archive.org/web/20071005163709/http://www.chikuhou.or.jp/aso-taro/newspaper/030702-1.html|archivedate=2007-10-05}}</ref>。
 
* [[2006年]](平成18年)4月に[[デジタルハリウッド大学]]で行われた政策スピーチでは、主人公が交渉人として世界を股にかける漫画である[[勇午]]について触れ、「『勇午』を読んでない人は外交なんて語っちゃダメ」と論じた<ref>[http://www.gamenews.ne.jp/archives/2006/05/post_868.html 麻生太郎外相デジハリで講演、曰く「『勇午』読まずして外交を語るなかれ」] garbagenews.com 2006年5月13日</ref>。
 
* [[2008年]](平成20年)[[8月2日]]に死去した[[漫画家]]の[[赤塚不二夫]]について、「あの種の[[ギャグ漫画]]の草分け的存在で『[[シェー]]』をはじめ、よく笑った」とコメントした<ref>{{cite news
 
|url=http://www.jiji.com/jc/zc?k=200808/2008080200396|rel=y|g=soc
 
|title=「よく笑った。残念」=赤塚不二夫さん死去で-自民・麻生幹事長
 
|publisher=[[時事通信]]
 
|date=2008-08-02}}{{リンク切れ|date=2009年1月}}</ref>。
 
* [[東京国際空港|羽田空港]]の[[空港ラウンジ]]で『[[ローゼンメイデン]]』を読んでいたという、2005年7月23日の[[2ちゃんねる]]の[[匿名]]書き込みを根拠にした[[デマ]]が[[インターネット]]上で話題となった。「少女漫画」「女の子が読んでいる」という発言を残している<ref group="注釈"> 講談社『メカビ』 Vol.1 P.40</ref>。一部の[[自由民主党 (日本)|自民党]]を支持する[[おたく]]層から「ローゼン麻生」「ローゼン閣下」と呼ばれるようになり<ref>麻生太郎著 『自由と繁栄の弧』 P.296〜P.305 「やっぱり読んでいたんですね 直撃! ローゼンメイデン疑惑?」 (取材・構成 石塚良太) ISBN 978-4-3440-1333-9</ref>、2008年度版の『[[現代用語の基礎知識]]』には「ローゼン麻生」という項目が収録された。
 
* [[2012年自由民主党総裁選挙]]の際、当時総裁だった谷垣禎一が続投を表明していたが、これに造反する形で出馬した石原伸晃に対し、9月13日の会見で「[[下克上]]とか平成の[[明智光秀]](という)、ありがたくない冠をこの人は当分頂くことになる。私の人生哲学には合わない」「石原氏を支援する人の神経がよく分からない」と批判した<ref>{{cite news|url=http://jp.wsj.com/Japan/Politics/node_511691|title=石原氏を痛烈批判=麻生氏|publisher=[[ウォール・ストリート・ジャーナル]]|date=2012-09-14|accessdate=2012-10-01}}</ref>。
 
* [[麻生内閣メールマガジン]]「太郎ちゃんねる」を2008年10月2日から2009年[[9月3日]]まで配信し続けた。(最終号は第44号)。創刊号では[[景気]]対策の必要性を主張したほか、「麻生内閣の一員になったつもりで忌憚のない意見を」と呼びかけている。内閣としては初の動画も用意した。
 
*[[ポケモンGO]]に対し「海外での例を見ると、精神科医が対処できなかったオタク、自宅引きこもりが全部外に出てポケモンをするようになった」と語り「精神科医より漫画の方がよほど効果が出るのが一番大きいんじゃないか」とも評した<ref>{{Cite web|url=http://www.nikkansports.com/general/news/1682720.html|title=麻生氏、ポケモンGOで「引きこもりが外に出た」|work=日刊スポーツ|accessdate=2016-07-22}}</ref>。
 
  
== 家族・親族 ==
+
2009年8月の衆議院選挙で自民党が惨敗,野党に転落して総裁・首相職を辞した。
;先祖
 
*五世祖父 - [[立花種周]]([[筑後国|筑後]][[三池藩]]第6代藩主)
 
*五世祖父 - [[大久保利世]]([[薩摩藩]]士)
 
*高祖父 - [[麻生賀郎]]([[庄屋]])
 
*高祖父 - [[立花種道]]
 
*高祖父 - [[大久保利通]]([[政治家]])
 
*高祖父 - [[三島通庸]](政治家)
 
*曾祖父 - [[麻生太吉]]([[実業家]]、政治家)
 
*曾祖父 - [[加納久宜]](政治家)
 
*曾祖父 - [[竹内綱]](実業家、政治家)
 
*曾祖父 - [[牧野伸顕]](政治家)
 
*養曾祖父 - [[吉田健三]](実業家)
 
*祖父 - [[麻生太郎 (明治時代)|麻生太郎]](実業家)
 
*祖母 - 麻生夏子([[子爵]][[加納久朗]]の妹、子爵[[加納久宜]]の子)
 
*祖父 - [[吉田茂]](政治家、第45・48・49・50・51代[[内閣総理大臣]])
 
;両親
 
*父 - [[麻生太賀吉|太賀吉]](実業家、政治家)
 
*母 - [[麻生和子|和子]]([[吉田茂]]元[[首相]]の三女、[[自由民権運動]]の闘士[[竹内綱]]・[[牧野伸顕]][[伯爵]]の孫、[[明治]]の元勲[[大久保利通]]・元警視総監[[三島通庸]]子爵の曾孫)
 
;兄弟
 
*次郎([[1964年]]、ヨット練習中に事故死。詳細は「[[学習院大学ヨット遭難事故]]」を参照)
 
*雪子([[相馬氏#系譜|相馬和胤]]の妻)
 
*旦子([[荒船清彦]]の妻)
 
*米子
 
*[[寛仁親王妃信子|信子]]([[寛仁親王|寬仁親王]]の妃)
 
*[[麻生泰|泰]]([[麻生 (企業)|株式会社麻生]]会長及び[[麻生ラファージュセメント]]社長)
 
*:同妻 - 和子([[日本医師会]]の元会長[[武見太郎]]の娘)
 
*:同長男 - [[麻生巌|巌]]([[ドワンゴ]]取締役、[[麻生 (企業)|株式会社麻生]]社長)
 
*:同次男 - [[麻生健|健]] ([[学校法人]][[麻生塾]]の[[理事長]])
 
;妻子
 
*妻 - [[麻生ちか子|千賀子]]([[岩手県]]選出の政治家・[[鈴木善幸]]の三女)
 
*長男 - 将豊([[株式会社]]エクストーン[[取締役]])
 
*長女 - 彩子([[聖心女子学院]]を経て[[東京大学大学院人文社会系研究科・文学部|東京大学文学部]]卒業)
 
;他家
 
*従兄 - [[野田昌宏]]([[キャプテン・フューチャー]]の翻訳者として知られるSF作家、[[ひらけ!ポンキッキ]]の生みの親で[[ガチャピン]]のモデル)
 
*従兄 - 野田玲二郎(昌宏の弟、[[物理学者]]・[[菊池正士]]の娘婿)<ref>『歴史探偵』、21頁、「現代政治家閨閥百科」。</ref>
 
*:菊池正士の父・[[菊池大麓|大麓]]は[[箕作秋坪]]の次男であり<ref>『門閥』、479-481頁。</ref>、麻生家は野田家・菊池家を通じて[[箕作家]]ともつながる<ref name="門閥480-481">『門閥』、480-481頁。</ref>。
 
*再従兄弟 - [[大井廣介]]([[文芸]]・[[野球]][[評論家]]、[[本名]]麻生賀一郎)
 
;遠縁の親戚
 
*[[橋本龍太郎]](麻生の祖母夏子の兄で[[子爵]]の[[加納久朗]]の孫久美子が龍太郎の妻)
 
*[[安倍晋三]](麻生の祖父[[吉田茂]]の長女桜子の夫・吉田寛が[[岸信介]](安倍の祖父)の[[いとこ]]となるため)
 
*[[宮澤喜一]](麻生の義父鈴木善幸の長男[[鈴木俊一 (衆議院議員)|鈴木俊一]]の妻が宮澤喜一のいとことなるため)
 
*:宮澤家は[[ブリヂストン]]の石橋家と親戚であり、この石橋家を通して鳩山家ともつながる。また従兄弟・野田玲二郎の義伯母が[[鳩山秀夫]]に嫁いでいるため<ref name="門閥480-481"/>、麻生家は鳩山家と二重につながっている。
 
 
 
== 家系 ==
 
[[ファイル:Chigai kuginuki.svg|thumb|right|160px|麻生家の紋''[[家紋|違い釘抜き]]'']]
 
*[http://www.aso-group.jp/history/100years_03.html 麻生百年史 〈麻生グループ〉] によると、「麻生家は今では[[菩提寺]]の川島正恩寺が消失し、[[過去帳]]なども灰に帰したためその記録も残っていないのが残念だが、同家に伝わるところによると[[大化の改新]]([[645年|六四五]])で活躍した[[藤原鎌足]]の血筋を引き、[[藤原氏|藤原一族]]の流れをくんでいるといわれている。そして麻生家の名前の由来をたどると先祖が遠賀郡麻生郷に花の屋敷を築いた縁からその地名をとり麻生姓を名乗ったという。この地方には[[鎌倉時代|鎌倉]]、[[室町時代|室町]]のころから麻生の姓を名乗る一族がいる。このように麻生家は古い[[士族]]の末裔であったが、いつのころからか村を治める[[庄屋]](今でいう[[村長]])になっていった。」という。
 
*鈴木幸夫著『閨閥 <small>結婚で固められる日本の支配者集団</small>』(1965年)58頁によると、「もともと麻生家は、福岡の[[土豪]]である。[[麻生太賀吉|太賀吉]]の祖父・[[麻生太吉|太吉]]の代に、祖父伝来の土地から、[[石炭]]を発見、貝島炭鉱の[[貝島太助]]から事業上の手ほどきを受けた。また貝島の紹介で、[[井上馨]]候に接近、採掘権などの法的手続きを有利にした。学問、毛並み、幸運に恵まれなかった[[麻生太吉]]は、もっぱらそのタフな心臓と、負けん気で、ついに九州三大石炭[[財閥]]の一つにのしあがった。[[麻生太吉|太吉]]は徹底したワンマン型のつわものであり、[[麻生太賀吉|太賀吉]]はその三代目である。」という。
 
*[[神一行]]著『閨閥 <small>改訂新版</small> <small>特権階級の盛衰の系譜</small>』 39頁によると、「もともと麻生家は、福岡の大[[庄屋]]で、[[麻生太賀吉|太賀吉]]の祖父・[[麻生太吉|太吉]]の代に先祖伝来の土地から[[石炭]]が採掘され、九州三大石炭[[財閥]](他は貝島家、安川家)の一つにのしあがった。[[麻生太吉|太吉]]は石炭のみならず、[[鉄道]]、電気、[[金融]]まで手を広げ、それらは後の[[日本国有鉄道|国鉄]]、[[九州電力]]、[[福岡銀行]]の基となっている。」という。
 
 
 
 
 
{|class="wikitable" style="width:80%"
 
|-
 
|rowspan="8" align="center" style="background-color:#ddf;width:25%"|'''麻生太郎'''
 
|rowspan="4" align="center" style="background-color:#dfd;width:25%"|'''父:'''<br>[[麻生太賀吉]]
 
|rowspan="2" align="center" style="background-color:#dfd;width:25%"|'''祖父:'''<br>[[麻生太郎 (明治時代)|麻生太郎【先代】]]
 
|rowspan="1" align="center" style="background-color:#dfd;width:25%"|'''曾祖父:'''<br>[[麻生太吉]]
 
|-
 
|rowspan="1" align="center"|'''曾祖母:'''<br>麻生ヤス
 
|-
 
|rowspan="2" align="center"|'''祖母:'''<br>麻生夏子
 
|rowspan="1" align="center"|'''曾祖父:'''<br>[[加納久宜]]
 
|-
 
|rowspan="1" align="center"|'''曾祖母:'''<br>-
 
|-
 
|rowspan="4" align="center" style="background-color:#fdd"|'''母:'''<br>[[麻生和子]]
 
|rowspan="2" align="center" style="background-color:#dfd"|'''祖父:'''<br>[[吉田茂]]
 
|rowspan="1" align="center" style="background-color:#dfd"|'''曾祖父:'''<br>[[竹内綱]]
 
|-
 
|rowspan="1" align="center"|'''曾祖母:'''<br>竹内瀧子
 
|-
 
|rowspan="2" align="center"|'''祖母:'''<br>吉田雪子
 
|rowspan="1" align="center"|'''曾祖父:'''<br>[[牧野伸顕]]
 
|-
 
|rowspan="1" align="center"|'''曾祖母:'''<br>牧野峰子
 
|}
 
 
 
 
 
{{Familytree/start}}
 
{{Familytree|border=0|boxstyle=text-align:left|||||||||ND1|||||||||||ND1 = 野田勢三郎}}{{Familytree|border=0|boxstyle=text-align:left|||||||||}|-|-|ND2|||||||ND2 = 野田健三郎}}
 
{{Familytree|border=0|boxstyle=text-align:left|||||||||:||||}|-|-|-|ND3|||||ND3 = 野田宏一郎<br />([[野田昌宏]])}}
 
{{Familytree|border=0|boxstyle=text-align:left|||||||||:|||,|AS4|,|SZ2|||||AS4 = ツヤ子|SZ2 = [[鈴木俊一 (衆議院議員)|鈴木俊一]]}}
 
{{Familytree|border=0|boxstyle=text-align:left|||||||||:|||!|SZ1|^|SZ3|||||SZ1 = [[鈴木善幸]]<br />(首相)|SZ3 = [[麻生ちか子|千賀子]]}}
 
{{Familytree|border=0|boxstyle=text-align:left||KN1|v|KN2|:|||!|||||:||||||KN1 = [[加納久宜]]|KN2 = [[加納久朗]]}}
 
{{Familytree|border=0|boxstyle=text-align:left|||||)|-|-|-|KN3|!|||||:|||||KN3 = 八重子}}
 
{{Familytree|border=0|boxstyle=text-align:left|||||`|-|-|-|KN4|!||||,|AS6|||||KN4 = 夏子|AS6 = '''麻生太郎'''}}
 
{{Familytree|border=0|boxstyle=text-align:left|||||||||}|-|-|^|AS5|)|AS7|||||AS5 = [[麻生太賀吉]]|AS7 = 麻生次郎}}
 
{{Familytree|border=0|boxstyle=text-align:left|AS1|-|AS2|-|AS3||}|-|-|+|AS8|||||AS1 = 麻生賀郎|AS2 = [[麻生太吉]]|AS3 = [[麻生太郎 (明治時代)|麻生太郎]]|AS8 = 雪子}}
 
{{Familytree|border=0|boxstyle=text-align:left||||||||||||,|YS2|!|:|||||||YS2 = [[麻生和子|和子]]}}
 
{{Familytree|border=0|boxstyle=text-align:left|||||TK1|-|YS1|)|YS3|!|SM1|SM2||TK1 = [[竹内綱]]|YS1 = [[吉田茂]]<br />(首相)|YS3 = [[吉田健一 (英文学者)|吉田健一]]|SM1 = 相馬和胤|SM2 = ([[相馬氏|相馬家]]第33代当主<br />ミングオブジャパン社長)}}
 
{{Familytree|border=0|boxstyle=text-align:left|||||||||}|-|-|+|YS4|)|AS9|||||YS4 = 吉田正男|AS9 = 旦子}}
 
{{Familytree|border=0|boxstyle=text-align:left||||||||,|MK2|)|YS5|!|:|||||||MK2 = 雪子|YS5 = 江子}}
 
{{Familytree|border=0|boxstyle=text-align:left|OKB|-|MK1|!||||`|YS6|!|AR1|AR2||OKB = [[大久保利通]]|MK1 = [[牧野伸顕]]|YS6 = 桜子|AR1 = 荒船清彦|AR2 = (駐スペイン大使)}}
 
{{Familytree|border=0|boxstyle=text-align:left|||||}|-|-|(||||||||)|A10|||||AK2 = 英子|A10 = [[寛仁親王妃信子|信子]]}}
 
{{Familytree|border=0|boxstyle=text-align:left|MS1|-|MS2|!||||||||!|}|-|-|v|AKK|MS1 = [[三島通庸]]|MS2 = 峰子|AKK = [[彬子女王]]}}
 
{{Familytree|border=0|boxstyle=text-align:left||||||||`|MK3|||||!|TMH|`|YOK|MK3 = 利武子|TMH = [[寛仁親王|寬仁親王]]|YOK = [[瑶子女王]]}}
 
{{Familytree|border=0|boxstyle=text-align:left|||||||||:|||||||`|A11|||||A11 = [[麻生泰]]<br />([[麻生 (企業)|麻生]]社長)}}
 
{{Familytree|border=0|boxstyle=text-align:left|||||||||}|-|-|-|AK2||:|||||||AK2 = 英子|TK1 = [[武見太郎]]<br />(日本医師会会長)}}
 
{{Familytree|border=0|boxstyle=text-align:left|||||||||:||||}|-|-|v|TK2|||||MK3 = 利武子 (1)|TK2 = 和子}}
 
{{Familytree|border=0|boxstyle=text-align:left|||||||||AK1||TK1|`|TK3|||||AK1 = [[秋月種英]]|TK1 = [[武見太郎]]<br />([[日本医師会|日医]]会長)|TK3 = [[武見敬三]]}}
 
{{Familytree/end}}
 
 
 
== 著作 ==
 
*『祖父・吉田茂の流儀』[[PHP研究所]] 2000年
 
*『麻生太郎の原点 祖父・吉田茂の流儀』[[徳間書店]] 2007年 ISBN 978-4198925819
 
*『[[自由と繁栄の弧]]』[[幻冬舎]] 2007年 のち文庫
 
*『[[とてつもない日本]]』[[新潮新書]]) 2007年 ISBN 978-4106102172
 
 
 
=== 共著 ===
 
*([[伊吹文明]]・他)『自民党の智恵』 [[シンクタンク2005・日本]]編集 [[成甲書房]] 2008年1月 ISBN 978-4880862279
 
*([[石破茂]]・[[平沼赳夫]]・[[与謝野馨]]・[[浜田和幸]])『「国力」会議』 [[祥伝社]] 2008年5月 ISBN 978-4396613075
 
 
 
== 論文 ==
 
* [http://ci.nii.ac.jp/author?q=%E9%BA%BB%E7%94%9F%E5%A4%AA%E9%83%8E|count=100|sortorder=3 CiNii収録論文] [[国立情報学研究所]]
 
 
 
== 脚注 ==
 
=== 注釈 ===
 
{{脚注ヘルプ}}
 
{{Reflist|group="注釈"}}
 
=== 出典 ===
 
{{脚注ヘルプ}}
 
{{Reflist|2}}
 
 
 
== 参考文献 ==
 
* 早川隆 『日本の上流社会と閨閥』 [[角川書店]] 1983年 224-227頁
 
* [[佐藤朝泰]] 著 『門閥 <small>旧華族階層の復権</small>』 [[立風書房]]、1987年4月10日第1刷発行、ISBN 4-651-70032-2
 
* [[広瀬隆 (作家)|広瀬隆]] 『私物国家 日本の黒幕の系図』 [[光文社]] 2000年 191、333頁
 
* 佐藤朝泰 『豪閥 <small>地方豪族のネットワーク</small>』 立風書房 2001年 451、500頁
 
* [[神一行]] 『閨閥 改訂新版 <small>特権階級の盛衰の系譜</small>』 角川書店 2002年 31、42-44頁
 
* [[魚住昭]] 『[[野中広務 差別と権力]]』 [[講談社]] 2004年06月29日 ISBN 4062123444
 
* [[角岡伸彦]] 『はじめての部落問題』 [[文藝春秋]] 2005年11月20日 ISBN 4166604783
 
* 『メカビ Vol.01』講談社 2006年06月02日 ISBN 4061795910
 
* 「野中広務元官房長官『山崎拓衆院議員は『[[週刊文春]]』を部落問題で恫喝した』」『[[週刊現代]]』49巻1号、講談社、2007年1月13日、46-47頁。
 
* 『麻生太郎の真実』 [[ダカーポ (雑誌)|ダカーポ]] 608 2007年6月20日号 第27巻第11号・[[マガジンハウス]]
 
* 麻生太郎 『祖父・吉田茂の流儀』 PHP研究所 2000年 ISBN 978-4569611112
 
* 麻生太郎 『麻生太郎の原点 祖父・吉田茂の流儀』 徳間書店 2007年 ISBN 978-4198925819
 
* 麻生太郎 『自由と繁栄の弧』 幻冬舎 2007年 ISBN 978-4344411975
 
* 麻生太郎 『とてつもない日本』 新潮社(新潮新書)2007年 ISBN 978-4106102172
 
* 麻生太郎 『自民党の智恵』麻生太郎・伊吹文明[他]共著 シンクタンク2005・日本編集 成甲書房 2008年1月 ISBN 978-4880862279
 
* 麻生太郎 『「国力」会議』麻生太郎・石破茂・平沼赳夫・与謝野馨・浜田和幸共著 祥伝社 2008年5月 ISBN 978-4396613075
 
* 西村明爾 「現代政治家閨閥百科」『歴史探偵』([[近代麻雀]]増刊)[[竹書房]]、2013年4月25日、20-24頁
 
  
 
== 関連項目 ==
 
== 関連項目 ==
946行目: 90行目:
 
*[[麻垣康三]]
 
*[[麻垣康三]]
 
*[[士志の会]]([[古賀誠]]、[[平沼赳夫]]、[[高村正彦]])
 
*[[士志の会]]([[古賀誠]]、[[平沼赳夫]]、[[高村正彦]])
*[[志公会]](マスコミ等では「麻生派」と呼ばれているが、こちらが正式な名称)
+
*[[志公会]](「麻生派」)
*[[安倍晋三]]([[閨閥]]によってつながった遠縁の親戚でもある)
+
 
  
 
== 外部リンク ==
 
== 外部リンク ==
{{Commonscat|Taro Aso}}
 
{{Wikiquote}}
 
 
*[http://www.aso-taro.jp/ 麻生太郎オフィシャルサイト]
 
*[http://www.aso-taro.jp/ 麻生太郎オフィシャルサイト]
*[http://www.kantei.go.jp/jp/asoprofile/index.html 麻生総理プロフィール]([http://www.kantei.go.jp/ 首相官邸] 公式ホームページ)
 
*[http://www.kantei.go.jp/jp/asospeech/2008/09/29housin.html 第170回国会における麻生内閣総理大臣 所信表明演説](2008年9月29日)
 
*[http://www.youtube.com/user/LDPchannel#grid/user/336D74DC6D932322 LDP ChannelアーカイブCM (麻生太郎総裁時)] - [[YouTube]]
 
*[http://asianbeat.com/ja/feature/issue_manga/selection_20080909_172751.html 麻生太郎さん『MANGA』を語る]
 
*[http://www.manga-award.jp/index2.htm 国際漫画賞―国際漫画賞発足に寄せて―外務大臣 麻生太郎] - [[国際漫画賞]]
 
*[http://www.itunes.com/Podcast?id=355815443 iTunes Store Podcast『麻生太郎を持ち歩こう!』]('''リンク先は、[[アップル (企業)|アップル]]のアプリケーション[[iTunes]]が必要''')
 
*{{Twitter|asa_namatarou}}{{リンク切れ|date=2016年5月}}
 
*[http://www.issf-sports.org/athletes/athlete.ashx?personissfid=SHJPNM0000000020 ISSF portrait of the athlete ASO, Taro] - [[国際射撃連盟]]の競技成績
 
 
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{{succession box
 
|title = {{Flagicon|JPN}} [[内閣総理大臣]]
 
|before = [[福田康夫]]
 
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|title = {{Flagicon|JPN}} [[総務大臣]]
 
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}}
 
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|title = {{Flagicon|JPN}} [[内閣府特命担当大臣(経済財政政策担当)|経済財政政策担当大臣]]
 
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|years = 第2代:2001年
 
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|title = {{Flagicon|JPN}} [[内閣府特命担当大臣(経済財政政策担当)|経済企画庁長官]]
 
|before = [[田中秀征]]
 
|years = 第53代:1996年 - 1997年
 
|after = [[尾身幸次]]
 
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|title = {{Flagicon|JPN}} [[文部省|文部]][[政務次官]]
 
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|years = 1988年 - 1989年
 
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|title = {{Flagicon|JPN}} [[外務委員会|衆議院外務委員長]]
 
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|title = [[自由民主党総裁]]
 
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|title = [[自由民主党幹事長]]
 
|before = [[中川秀直]]<br />[[伊吹文明]]
 
|years = 第40代:2007年<br />第42代:2008年
 
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|title = [[自由民主党政務調査会|自由民主党政務調査会長]]
 
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|years = 第44代:2001年 - 2003年
 
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| title = [[自由民主党青年局|自由民主党青年局長]]
 
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|title = [[日本会議国会議員懇談会|日本会議国会議員懇談会会長]]
 
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|years = 第2代:1997年 - 2003年
 
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|title = [[日本バスケットボール協会|日本バスケットボール協会会長]]
 
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|after = [[日本バスケットボール協会#歴代会長|深津泰彦]]
 
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{{日本国歴代内閣総理大臣
 
|当代=[[麻生内閣|92]]
 
|在任期間=2008年 - 2009年
 
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麻生 太郎(あそう たろう、1940年昭和15年〉9月20日 - )

政治家。内閣総理大臣(首相。在任 2008~09)。元衆議院議員麻生太賀吉の長男として生まれた。

母方の祖父は吉田茂元首相,妻の父は鈴木善幸元首相,妹は三笠宮寛仁の妻。

1963年学習院大学政経学部を卒業,1973年家業の麻生セメントの代表取締役社長に就任,1978年日本青年会議所会頭の座についた。この間の 1976年,モントリオール・オリンピック競技大会の射撃(クレー射撃。スキート)に日本代表選手として出場。

1979年衆議院議員に初当選し,1996年橋本龍太郎内閣で経済企画庁長官として初入閣した。その後,経済財政政策担当大臣,自由民主党政務調査会長,総務大臣,外務大臣を歴任,2007年安倍政権下で自民党幹事長となり,翌 2008年に福田政権下で再び幹事長を務めた。同年 9月,突然辞意を表明した福田康夫首相の後継者争いで圧勝し,第92代,59人目の首相に就任した。

2001年に自民党総裁選挙に初立候補して小泉純一郎に敗れて以来,4度目の挑戦で総裁・首相の座を手にした。

2009年8月の衆議院選挙で自民党が惨敗,野党に転落して総裁・首相職を辞した。

関連項目


外部リンク