肝属郡

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鹿児島県肝属郡の位置(1.東串良町 2.錦江町 3.南大隅町 4.肝付町 薄黄:後に他郡に編入された区域 薄緑・水色:後に他郡から編入された区域)

肝属郡(きもつきぐん)は、鹿児島県大隅国)の

人口35,457人、面積712.64km²、人口密度49.8人/km²。(2018年4月1日、推計人口

以下の4町を含む。

郡域

1879年明治12年)に行政区画として発足した当時の郡域は、下記の区域にあたる。「肝属地域」とする場合は両市を含む。

  • 鹿屋市の大部分(輝北町諏訪原・輝北町市成を除く)
  • 垂水市の一部(新城)
  • 東串良町・肝付町の全域

歴史

713年の大隅国設置当初から存在した4郡のひとつである。当時の郡域は大隅半島最南部(現・南大隅町、肝付町)にあたり、肝属川流域の大部分(現・鹿屋市、東串良町など)は姶羅郡大隅郡に属していた。

中世には肝付氏が高山(現在の肝付町)に拠点を置いた。姶羅郡は肝付氏の勢力拡大にともなって中世までに肝属郡に編入された。現在の姶良郡は江戸時代に設置された始羅郡(しらぐん)が起源であり、この姶羅郡との直接の関係はない。

近世以降の沿革

  • 明治初年時点では全域が薩摩鹿児島藩領であった。「旧高旧領取調帳」に記載されている明治初年時点での村は以下の通り[1]。特記以外は全域が現・鹿屋市。(41村)
    • 新城郷 - 新城村(現・垂水市)
    • 花岡郷 - 木谷村、白水村
    • 大姶良郷 - 野里村、西俣村、南村、獅子目村、横山村、浜田村、大姶良村
    • 姶良郷 - 上名村、麓村、下名村
    • 高山郷 - 前田村、後田村、新留村、波見村、野崎村、富山村、宮下村(現・肝付町)
    • 内之浦郷 - 北方村、南方村、岸良村(現・肝付町)
    • 串良郷 - 新川西村、川東村、川西村、岩弘村、池之原村(現・東串良町)、上小原村、下小原村、岡崎村、細山田村、有里村(現・鹿屋市)
    • 鹿屋郷 - 下名村、中名村、上名村、高須村
    • 百引郷 - 百引村、平房村
    • 高隈郷 - 上高隈村、下高隈村
  • 明治4年7月14日1871年8月29日) - 廃藩置県により鹿児島県の管轄となる。
  • 明治12年(1879年2月17日 - 郡区町村編制法の鹿児島県での施行により、行政区画としての肝属郡が発足。「垂水郡役所」が管轄。
  • 明治13年(1880年) - 下名村(鹿屋郷)が田崎村に、上名村(鹿屋郷)が祓川村にそれぞれ改称。
  • 明治17年(1884年) - 百引村が分割して上百引村・下百引村となる。(42村)
  • 明治18年(1885年) - 池之原村の一部が分立して豊栄町となる。 (1町42村)
  • 明治20年(1887年5月9日 - 「鹿屋郡役所」の管轄となる。

町村制以降の沿革

ファイル:Kagoshima Kimotsuki-gun 1889.png
1.鹿屋村 2.新城村 3.花岡村 4.百引村 5.姶良村 6.内之浦村 7.大姶良村 8.高山村 9.高隈村 10.西串良村 11.東串良村 21.垂水村 22.牛根村 23.佐多村 24.大根占村 25.小根占村 26.田代村(紫:鹿屋市 桃:垂水市 赤:錦江町 橙:南大隅町 黄:肝付町 青:合併なし)

変遷表

脚注

  1. 郷については「角川日本地名大辞典」による。
  2. 川東村のうち。本項では町数に数えない。
  3. 新川西村のうち。本項では町数に数えない。
  4. 鹿兒島縣下國界竝郡界變更及郡廢置(明治29年法律第55号、Wikisource-logo.svg 原文

参考文献