「相模原市」の版間の差分

提供: miniwiki
移動先:案内検索
ja>さかおり
(対処確認、{{即時版指定削除確認待ち}}タグ除去)
 
 
(同じ利用者による、間の3版が非表示)
1行目: 1行目:
 
{{日本の市
 
{{日本の市
|画像 = Sagamihara montage.jpg
+
|画像 =  
|画像の説明 = <table style="width:280px; margin:2px auto; border-collapse:collapse">
 
<tr><td style="width:50%">[[丹沢山地]]<td rowspan="2" style="vertical-align: middle">[[相模湖]]</tr>
 
<tr><td>[[相模総合補給廠]]</tr>
 
<tr><td>[[橋本 (相模原市)|橋本地区]]<td>[[小田急電鉄|小田急]][[相模大野駅]]</tr>
 
<tr><td>[[JAXA]][[相模原キャンパス (JAXA)|相模原キャンパス]]<td>市民桜祭り</tr>
 
</table>
 
|市旗 = [[ファイル:Flag of Sagamihara, Kanagawa.svg|125px|center]]
 
|市旗の説明 = 相模原[[市町村旗|市旗]]
 
|市章 = [[ファイル:神奈川県相模原市市章.svg|75px|center]]
 
|市章の説明 = 相模原[[市町村章|市章]]
 
 
|自治体名 = 相模原市
 
|自治体名 = 相模原市
 
|都道府県 = 神奈川県
 
|都道府県 = 神奈川県
39行目: 29行目:
 
|鳥など = 市の鳥:[[ヒバリ]]<br />市の色:[[緑]]<br />市の歌:[[相模原市民の歌]](1958年制定)
 
|鳥など = 市の鳥:[[ヒバリ]]<br />市の色:[[緑]]<br />市の歌:[[相模原市民の歌]](1958年制定)
 
|郵便番号 = 252-5277
 
|郵便番号 = 252-5277
|所在地 = 相模原市中央区中央二丁目11番15号<br /><small>{{ウィキ座標度分秒|35|34|17.1|N|139|22|23.3|E|region:JP-14_type:adm2nd|display=inline,title|name=相模原市}}</small><br />[[ファイル:Sagamihara city hall.jpg|center|250px|相模原市役所]]
+
|所在地 = 相模原市中央区中央二丁目11番15号<br /><small>{{ウィキ座標度分秒|35|34|17.1|N|139|22|23.3|E|region:JP-14_type:adm2nd|display=inline,title|name=相模原市}}</small>
 
|外部リンク = [http://www.city.sagamihara.kanagawa.jp/ 相模原市]
 
|外部リンク = [http://www.city.sagamihara.kanagawa.jp/ 相模原市]
 
|位置画像 = {{基礎自治体位置図|14|150}}
 
|位置画像 = {{基礎自治体位置図|14|150}}
 
|特記事項 =
 
|特記事項 =
 
}}
 
}}
'''相模原市'''(さがみはらし)は[[神奈川県]]北部にある[[政令指定都市]]である。[[緑区 (相模原市)|緑区]]、[[中央区 (相模原市)|中央区]]、[[南区 (相模原市)|南区]]の3区で構成される。
+
'''相模原市'''(さがみはらし)
  
== 概要 ==
+
[[神奈川県]]北西部,[[相模原台地]]北部と[[丹沢山地]]北部を占める市。
相模原市は、[[神奈川県]]内では[[横浜市]][[川崎市]]についで第3位の人口規模を擁しており、2007年3月11日の2町の編入合併により人口は70万人を超え、[[日本の市の人口順位|全国の市で第18位]]である。相模原市が市制施行されたのは[[1954年]](昭和29年)だが、[[戦後]]に純粋に市制施行された都市の中では最も人口が多い([[さいたま市]]、[[北九州市]]が誕生したのは[[戦後]]だが、これら2市は複数の自治体の新設合併により誕生した都市であり、合併時に戦前に市制施行された都市が含まれる)。2010年3月末までの[[政令指定都市]]移行と、[[九都県市首脳会議|首都圏サミット]]への参加を目指していたが、2009年10月2日に[[原口一博]][[総務大臣]]が必要な作業に入るよう指示し、その後、10月23日の閣議で相模原市を2010年4月1日を以て政令指定都市に昇格させることが決定された<ref>[http://mainichi.jp/select/seiji/news/20091023dde007010028000c.html 相模原市を政令指定都市に決定]{{リンク切れ|date=2010年3月}}毎日新聞 2009年10月23日</ref>。非道府県庁所在地では5番目、戦後に市制施行された都市では初の政令指定都市の誕生となり、2009年4月1日に移行した[[岡山市]]に次ぐ19番目の政令指定都市([[緑区 (相模原市)|緑区]]・[[中央区 (相模原市)|中央区]]・[[南区 (相模原市)|南区]]の3区制)へ移行した。これにより、神奈川県は全国で唯一の3つの政令指定都市を持つ都道府県となる。[[2017年]]現在は[[鳥取県]]・[[島根県]]・[[高知県]]の人ロを上回る72万人。
 
  
経済面や鉄道・[[道路]]などの地理上、県内他市よりも[[東京都]]、特に[[多摩地域]]とのつながりが強い。また、[[首都圏 (日本)|首都圏]]南西部の核として国から位置づけられている(首都圏[[業務核都市]]指定都市)。市では首都圏南西部をリードする広域交流拠点都市となるべく、「さがみはら新都心」の形成を目指している<ref>[http://www.kanaloco.jp/article/75457 相模補給廠17ヘクタール返還 15年度まで整備計画 在日米軍再編08年合意実現](神奈川新聞:カナロコ 2014年10月1日)</ref>。しかし、[[東京|東京都心]]([[新宿駅]])まで電車で35-40分程度([[相模大野駅|相模大野]]より[[小田急小田原線]]の[[快速急行]]あるいは[[橋本駅 (神奈川県)|橋本]]より[[相模原線|京王相模原線]]経由[[京王線]]の[[特急列車|特急]]の場合)であり、産業構造の転換により大型工場の撤退が相次いだことで、[[ベッドタウン]]としての面が一層強まっており、業務機能の集中は弱いのが現状である。そのため、[[中心市街地の活性化に関する法律|中心市街地法]]で都市核が複数([[橋本 (相模原市)|橋本]]・[[相模大野]])認められている都市である。当市以外で複数の都市核が認められているのは[[静岡市]]、[[北九州市]]、[[熊本市]]の3市のみである。また、旧市域は概ね3地区に分けられている([[橋本 (相模原市)|橋本]]を中心とした北部地区<[[相模原北警察署]]管内>、[[相模原|相模原駅付近・中央地区]]を中心とした中部地区<[[相模原警察署]]管内>、[[相模大野]]を中心とした南部地区<[[相模原南警察署]]管内>)。
+
北で[[東京都]],西で[[山梨県]]に接する。1954年市制。2003年[[中核市]]に移行。2006年[[津久井]]町と[[相模湖]]町を,2007年[[藤野]]町と[[城山]]町をそれぞれ編入。2010年[[政令指定都市]]に移行し,[[緑区]][[中央区]][[南区]]の 3区を置いた。[[相模川]]の[[河岸段丘]]崖下や,[[境川]]沿いには古くから集落があったが,上位段丘面は近世以後に開かれ,おもに桑園であった。日中戦争後は,軍関係施設の進出が著しく,第2次世界大戦後も多くはアメリカ軍基地に引き継がれた。中部の[[当麻]][[上溝]][[橋本]]などは中世からの集落であるが,相模原の市街地は軍施設の拡充とともに国鉄横浜線沿いに形成された。1950年代後半から国道16号線に沿って自動車,機械,金属,電機,食品などの工場が進出し,橋本,田名などには工業団地が造成された。小田急電鉄小田原線沿線を中心に宅地化が急速に進み,特に相模大野駅周辺では商店街の形成とともに文化施設なども整備された。また,橋本は京王電鉄相模原線の開通により市中北部の中心地として開発が進められている。農業は野菜栽培,畜産などが行なわれているが,兼業化,転廃業が著しい。藤野の石井家住宅は国指定重要文化財。国の史跡の[[勝坂遺跡]],寸沢嵐石器時代遺跡,川尻石器時代遺跡,田名向原遺跡がある。南西部は[[丹沢大山国定公園]]に,北西部の[[相模湖]]周辺は[[陣馬相模湖県立自然公園]]に属する。JR横浜線,相模線,中央本線,小田急電鉄江ノ島線および小田原線,京王電鉄相模原線,中央自動車道,国道16号線,20号線,129号線,412号線,413号線が通る。
 
 
== 地理 ==
 
[[ファイル:相模原市衛星写真050.jpg|thumb|旧津久井郡編入前の市域の{{ランドサット}}]]
 
 
 
[[2006年]]3月の合併以前の旧相模原市域は、隣接する[[町田市]]との[[経済]]的・[[地理]]的・[[文化]]的関わりが深く、共に[[業務核都市]]に一つの都市として指定されていた。近年、東京都心([[新宿駅]])へ旧市域南部の[[相模大野駅|相模大野]]から30分程、旧市域北部の[[橋本駅 (神奈川県)|橋本]]から40分程で行けるその交通の利便性から、東京の[[ベッドタウン]]として人口が増加している。
 
 
 
市内には[[相模原公園]]・[[相模原麻溝公園]]や相模原北公園をはじめとした大規模な公園が点在していることや、比較的自然とふれあえる環境が近いことなどから若年世帯を中心とした人口の流入が続いている。市内に[[大学]]が多いことや、周辺都市の大学も相模原市内の駅を最寄とする場合が多く、更に多数の大学を抱える[[八王子市]]への交通が便利なため、学生の街としての顔も併せ持つ。また、市内には[[宇宙航空研究開発機構]](JAXA)[[宇宙科学研究所]][[相模原キャンパス (JAXA)|相模原キャンパス]](開所時は[[文部省]][[宇宙科学研究所]])があり、日本の[[宇宙科学]]の研究拠点として知られる。
 
 
 
また編入した旧[[津久井郡]]4町のうち、旧城山町と旧津久井町は[[橋本駅 (神奈川県)|橋本駅]]を最寄り駅として利用しており、[[国道413号]]([[津久井街道]])や路線バス([[神奈川中央交通西・津久井営業所|神奈中バス]])を介して合併以前の相模原市域との結びつきが強いのに対し、旧相模湖町と旧藤野町は相模原市中心部よりも、JR[[中央本線]]や[[国道20号]]([[甲州街道]])を介して隣接する[[八王子市]](東京都)や[[上野原市]](山梨県)との結びつきの方が強い。
 
 
 
=== 地形 ===
 
[[相模川]]左岸の'''[[相模原台地]]'''上に位置する平坦な'''東部・旧相模原市域'''(中央区・南区および緑区東部)と、南の[[丹沢山地]]と北の[[高尾山]]・[[陣馬山]]などの間に広がる山地を相模川などが刻み、河岸段丘上にわずかな平坦面が散在する'''西部・津久井地域'''(旧[[津久井郡]]、緑区の大半)とに分けることができる。人口は東部に集中している。ただし、津久井地域のうち旧城山町東部は地形的に連続する旧相模原市域と合わせて'''相模原台地'''の一部として理解するのが適当である。直下には[[伊勢原断層]]が所在している。
 
 
 
==== 相模原台地 ====
 
[[ファイル:Sagamiharadaiti 1.jpg|thumb|新昭和橋付近(厚木市上依知)から望む相模原台地]]
 
 
 
'''相模原台地'''(相模野台地とも呼ばれる)は相模川が作った[[扇状地]]が[[隆起]]して形成された[[洪積台地]]である。西側の相模川に沿って、気候変動や海水面の変化によって形成された[[河岸段丘]]が発達している。
 
 
 
大きく3段に分けられる段丘面のうちでは'''上段(相模原面)'''が最も広く、旧市域の半分以上を占め、旧城山町東部の大半もこの段丘面上に広がる。緑区川尻(旧城山町)の川尻八幡宮付近の標高約180[[メートル|m]]を最高点に南東へ向かって徐々に高度を下げ、緑区橋本六丁目の神明大神宮付近で約140m、南区東大沼二丁目の大沼神社付近で約100m、南区相南三丁目の[[東海大学付属相模高等学校・中等部|東海大学付属相模高等学校]]付近で約85mとなり、南の大和市や座間市に続く。段丘面上は平坦ではあるが水に乏しく、利用が進まずに原野が広がっていた。'''相模原'''または'''相模野'''とは、主にこの[[原野]]について呼んだものである。
 
 
 
[[江戸時代]]以降に行われた[[新田]]開発によって畑と[[雑木林]]の広がる景観となった。
 
 
 
[[日中戦争]]下、[[1930年代]]に[[新興工業都市]]の政策により、軍事施設(当市域では主に[[大日本帝国陸軍|陸軍]])が相次いで進出し、北部では「[[相模原市#軍都計画|軍都計画]]」と呼ばれる大規模な[[都市計画]]に基づく[[土地区画整理事業]]が当時の[[内務省 (日本)|内務省]]神奈川[[都市計画地方委員会]]([[野坂相如]]、浅野英ら)によって行われた。[[1945年]]の敗戦によって都市建設は中断したが、戦後しばらく経ってから区画整理事業は再開し、完成した。そして[[1960年代]]以降急速な都市化が進行した。
 
 
 
現在では旧軍都計画区域を中心とする北半部および南東部の[[小田急電鉄|小田急線]]沿線はほぼ完全に市街化しているが、南区麻溝台・新磯野地区には農地が広がっている。なお、旧軍施設の中には戦後米軍に接収されたものも多く、現在も返還されていない区域が旧相模原市域の面積の約5%を占める。
 
 
 
緑区久保沢から下九沢、中央区[[上溝]]を経て南区下溝まで上段と'''中段(田名原面)'''の境をなす段丘崖は「横山」と呼ばれる。「[[ハケ]]」とも呼ばれる段丘崖の[[湧水]]を水源に[[鳩川]]、[[姥川]]、道保川が段丘崖に並行して南東へ流れるが、これはかつて相模川がこの堆積面上を流れていたときの流路跡であると考えられている。
 
'''下段(陽原'''[みなばら]'''面)'''は3段の中では最も面積が狭く、主に中央区[[田名]]地区内の一部(陽原・望地・塩田)を占める。
 
 
 
これらの段丘面の下に現在の相模川による[[沖積平野|沖積低地]]が形成されているが田名よりも上流側では幅が狭く、川が南へ向きを変える南区当麻から磯部よりも下流側でようやく広がりを見せる。田名の望地河原や当麻、磯部地区が当市域内では数少ない水田地帯となっている一方、上流側の小倉橋、大島河原から水郷田名(田名久所[ぐぞ]地区)にかけての区域は[[大正]]期から風光明媚な景勝地として知られている。
 
 
 
当市域の北から東にかけて[[東京都]][[町田市]]との境界となっている[[境川 (東京都・神奈川県)|境川]]は[[多摩丘陵]]を刻む小河谷である「[[谷戸|ヤト]]」(谷戸)や、[[鳩川]]などと同じくハケの湧水を水源としているが、これも元の相模川の流路であったと考えられている。以前は激しく蛇行していたために、わずかの大雨ですぐに洪水を起こす川だった。そのために戦後徐々に河川改修が進められて橋本付近より下流では川幅が広げられて流路も直線化された。しかし蛇行していた旧流路によって定められていた都県境の変更は、特に町田市との間でほとんど進まず、相互に「川向こうの[[飛地]]」を多く抱えている。
 
 
 
==== 津久井地域 ====
 
[[ファイル:Tanzawa-shumyaku from Sagamihara 01-3.jpg|thumb|緑区川尻より望む[[丹沢山地]]([[蛭ヶ岳]] - [[丹沢山]])の山並み]]
 
[[ファイル:Lake Sagami-ko in Japan.jpg|thumb|相模川上流に位置する[[相模湖]]。[[1947年]]に完成し、戦後にできたダム湖としては日本初である。]]
 
[[ファイル:Lake miyagase from yamabiko bridge 06-Oct.JPG|thumb|[[宮ヶ瀬ダム]]建設に伴って形成された[[宮ヶ瀬湖]]。周囲の景観の調和、歴史的価値などの観点から評価され、「[[ダム湖百選]]」に認定されている。]]
 
緑区の中・西部で区全体の面積の9割以上を占める津久井地域は、相模原台地の北西端に位置する旧[[城山町 (神奈川県)|城山町]]東部を除くと、ほぼ全域を南の[[丹沢山地]]や北の[[秩父山地]]に連なる山地が占め、両山地の境界をなす[[相模川]]と、[[道志川]]をはじめとするその支流沿いに河岸段丘が散在するのみの平地の少ない地域である。
 
 
 
道志川の南側、旧[[津久井町]]南西部の青根、青野原、鳥屋(とや)地区は、[[丹沢山地]]の北部によって占められ、[[大室山 (丹沢)|大室山]]から同山地最高峰の[[蛭ヶ岳]]を経て[[丹沢山]]に連なる[[丹沢主稜|主稜]]線で南の[[足柄上郡]][[山北町]]と境を接する。また、[[丹沢主脈|主脈]]と呼ばれる蛭ヶ岳から[[焼山 (丹沢)|焼山]]へ至る稜線は北西側の道志川流域と南東側の[[中津川 (相模川水系)|中津川]]支流の早戸川流域(いずれも相模川水系)を分ける尾根となっている。標高は低いながらも険しい壮年期の山地であり、平坦地は道志川南岸の高位に散在する狭小な河岸段丘と、[[串川 (神奈川県)|串川]]上流にわずかに伸びる[[谷底平野]]が分布するのみである。前者の河岸段丘群を貫通する[[国道413号]]に沿って青根、青野原の集落が、後者の谷底平野に鳥屋の集落とわずかな耕地が分布する外は山林に覆われている。
 
 
 
深い谷をうがち谷底平野をほとんど持たない道志川の北側では、[[石老山]]、[[石砂山]]を経て[[山梨県]][[上野原市]]と[[道志村]]の境をなす尾根筋が大きく道志川の側に偏って伸び、北の[[相模川]]の河谷へ向かって徐々に高度を下げる丘陵によって占められる。なお、山梨県側とは、道志川にかかる[[両国橋 (神奈川県・山梨県)|両国橋]]を通じてつながっている<ref>{{cite web|url=http://www5.nikkansports.com/sports/cycling/course/2009/11/post_2.html|format=|title=vol.11 紅葉の道志みちから山中湖へ|publisher=[[日刊スポーツ新聞社]]|date=2009-11-21|accessdate=2016-01-16}}</ref>。
 
 
 
旧[[藤野町]]南部の牧野(まぎの)地区の集落は主にこの丘陵地の緩斜面に散在する。西に隣接する[[上野原市]]秋山地区からは[[秋山川 (相模川水系)|秋山川]]が流入し、日連(ひづれ)大橋付近で相模川に合流する。
 
 
 
一方、[[相模川]]の北側では[[和田峠 (東京都・神奈川県)|和田峠]]、[[陣馬山]]、[[景信山]]、[[小仏峠]]、[[城山 (東京都・神奈川県)|城山]](小仏城山)、[[大垂水峠]]と連なる尾根筋によって北の東京都[[八王子市]]および[[檜原村]]と境を接し、西隣の[[山梨県]](上野原市)との境界をなして南流する境川と東側の[[沢井川]]のつくる河谷に旧藤野町北部の佐野川、沢井の集落が分布する。
 
 
 
これらの山地の間を東西に貫流するのが[[相模川]]である。一般に山梨県内では「桂川」と呼ばれ、神奈川県に入って「[[相模川]]」と呼ばれるようになるとされているが、旧[[相模湖町]]では北岸の与瀬、小原(おばら)両地区を合わせて「桂北地区」と呼んだり、さらに下流側の千木良、若柳地区間に架かる橋を「桂橋」と呼んでいる例も見られる。上流の上野原市と接する小淵、名倉(旧藤野町)から下流側の中沢、城山、谷ヶ原(旧城山町)にかけて、[[相模川]]の両岸には相模原台地と同時期に形成された数段の河岸段丘が発達している。この平坦面を連ねて[[甲州街道]]([[国道20号]])、JR[[中央本線]]、[[中央自動車道]]が通過し、[[東京]]([[江戸]])と[[甲信地方]]を結ぶ重要な交通路となっている。
 
 
 
[[津久井町]]北東部では相模川南岸に比較的面積の広い段丘面が広がり、この段丘上に位置する中野地区は津久井地域の主邑として行政の中心となっている。焼山から[[道志川]]・[[相模川]]と串川に挟まれて伸びる尾根筋の末端の[[城山 (東京都・神奈川県)|城山]]は[[相模川]]を隔てて[[相模国]]中央部の広大な平坦地を見下ろす要害の地に位置し、[[鎌倉時代]]に[[三浦氏]]支族の津久井氏によって築城されたことからこの名があるとされている。
 
 
 
段丘上の平坦地に対して[[相模川]]の谷底の平坦地(谷底平野)の発達は悪い。この地形を利用して[[1947年]](昭和22年)に[[相模ダム]]が、また[[1965年]](昭和40年)には[[城山ダム]]が建設され、それぞれのダムによる人造湖として[[相模湖]]および[[津久井湖]]が形成された。道志川には[[1955年]](昭和30年)に[[道志ダム]](奥相模湖)が建設され、また[[2000年]](平成12年)に完成した中津川の[[宮ヶ瀬ダム]]のダム湖([[宮ヶ瀬湖]])の一部は[[津久井町]]にかかっている。これらのダム湖、および川尻地区北部(旧城山町)のヤト(谷戸)の奥に[[城山湖|本沢ダム]]を築いて津久井湖から汲み上げた水を貯めて作られた[[城山湖]]との間は導水路で結ばれ、一体的な水資源管理が行われている。
 
 
 
== 歴史 ==
 
[[相模国]]の北部に位置し、旧相模原市域は[[高座郡]]に属した。津久井地域の大部分は[[中世]]まで[[愛甲郡]]に属し「奥三保」と呼ばれていたが(相模川左岸の津久井町三井および城山町北部は高座郡)、[[江戸時代]]には同郡から分離して'''津久井県'''と称し、明治3年([[1870年]])に'''津久井郡'''と改称された。
 
 
 
なお、この項では2006 - 2007年の旧津久井郡4町との合併までは主に旧相模原市域について述べる。津久井地域の歴史については[[津久井郡]]の項を参照。
 
 
 
=== 先史・古代から中世 ===
 
*[[相模川]]沿いの段丘上には古くからの人々の生活の痕跡が認められるが、市域でも[[後期旧石器時代]]末の建物跡とされる[[田名向原遺跡]]や、[[縄文時代]]中期の大規模集落跡である[[勝坂遺跡]]や[[川尻石器時代遺跡]]、[[寸沢嵐石器時代遺跡]]が分布する。
 
*文献資料においては、[[平安時代]]中期に編纂された『[[和名類聚抄]]』(『和名抄』)で相模国高座(たかくら)郡に設置されたと記載されている13[[郷]]1[[駅家|駅]]のうち'''塩田郷'''(読みはシホタ)が旧市域内に位置していると比定されている。現在、旧市域南西部の[[田名]]地区内の集落名「塩田」が、古代の郷名を継承するものであると考えられている。
 
*平安時代後期から鎌倉時代にかけて、市域は[[武蔵国]][[多摩郡]]に成立した[[横山荘]]を本拠に同国西南部から相模国北部にかけて割拠した同族的[[武士団]]である[[横山党]]の勢力下にあり、同武士団の中には粟飯原(相原)、小山、矢部、田名など旧市域北部の地名に由来する[[名字]]が見られる。また、旧市域南部は高座郡[[渋谷荘]]を本拠とする[[渋谷氏]]の勢力下にあった。
 
*[[鎌倉時代]]後期には、当麻に[[時衆]]教団(時宗)の道場([[無量光寺 (相模原市)|無量光寺]])が開かれた。
 
*[[室町時代]]には[[上杉氏]]、[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]には[[後北条氏|北条氏]]の支配下であった。
 
 
 
=== 近世 ===
 
==== 幕藩支配 ====
 
[[江戸時代]]初期の[[寛永]]10年([[1633年]])には旧市域西部の[[相模川]]沿いの村が[[武蔵国|武蔵]][[忍藩]]の[[飛地]]領とされ、残りの村は[[江戸幕府|幕府]]直轄領([[天領]])または[[旗本]]の支配地とされたが、時代が下るにつれて支配が細分化されて非常に錯綜したものになっていった。旗本領とされた村の多くは2家以上が支配する[[相給]]とされ、幕府あるいは藩との相給とされる村もあった。[[幕末]]の段階で1藩単独の支配となっていたのは、旧市域では[[下野国|下野]][[烏山藩]]領の上矢部村、大島村、田名村の3村のみである。また、[[清兵衛新田]]が幕府単独の、上九沢村が旗本佐野家のみの支配を受けていた。
 
 
 
[[慶応]]3年[[10月14日 (旧暦)|10月14日]]([[1867年]][[11月9日]])の[[大政奉還]]時点での旧市域各村の支配は以下の通りである。
 
*相原村 - 旗本領(佐野家、藤沢家)
 
*橋本村 - 旗本領(藤沢家、別所家、石野家、高木家)
 
*小山村 - 幕府領、烏山藩領
 
*清兵衛新田 - 幕府領
 
*上矢部村 - 烏山藩領
 
*矢部新田村 - 烏山藩領、旗本領(鈴木家)
 
*淵野辺村 - 幕府領、烏山藩領、旗本領(岡野氏2家)
 
*鵜野森村 - 幕府領、旗本領(永井家)
 
*上鶴間村 - 幕府領、旗本領(大岡家)
 
*上九沢村 - 旗本領(佐野家)
 
*下九沢村 - 旗本領(佐野家、加藤家)
 
*大島村 - 烏山藩領
 
*田名村 - 烏山藩領
 
*上溝村 - 幕府領、烏山藩領、旗本領(石野家、森川家、戸田家、高木家、佐野家)
 
*下溝村 - 幕府領、烏山藩領、[[荻野山中藩]]領
 
*当麻村 - 幕府領、旗本領(千葉家、大久保家)
 
*新戸村 - 幕府領、旗本領(土屋家、岡部家)
 
*磯部村 - 幕府領、旗本領(町野家、大津家、大久保家)
 
 
 
これらのうち、幕府領および旗本領は、[[慶応]]4年/[[明治]]元年[[6月17日 (旧暦)|6月17日]]([[1868年]][[8月5日]])に'''[[神奈川府]]'''(のち[[神奈川県]])が設置されると、その管轄となった。また、明治4年[[7月14日 (旧暦)|7月14日]]([[1871年]][[8月29日]])の[[廃藩置県]]によって、烏山藩領は[[烏山県]]、荻野山中藩領は[[荻野山中県]]の管轄となったが、同年11月の府県再編によって神奈川県に編入された。
 
 
 
==== 新田開発 ====
 
原野の広がった台地上段の開発は[[17世紀]]半ば以降、境川沿いの村を親村とする[[新田]]開発によって始まった。最も代表的なものが小山村の豪農である原清兵衛によって[[天保]]14年([[1843年]])に着手され、[[安政]]3年([[1856年]])までに49名が入植して200[[ヘクタール|ヘクタール (ha) ]]余りが開拓された'''[[清兵衛新田]]'''である。ほかに'''[[矢部新田]]'''、'''淵野辺新田'''、'''大沼新田'''、'''溝境新田'''が開かれた。水が乏しいためにこれらの新田は水田ではなく畑地としての開拓であり、新田集落のまわりには薪炭供給のための雑木林が作られた。相模原に広がる雑木林はこうして植林された[[人工林]]である。
 
 
 
台地上の開拓は[[明治]]以降も進められた。この時期の開拓地は'''新開'''と呼ばれ、橋本新開、下溝新開、谷口新開、篠原新開、中村新開、中和田新開がこれにあたる。
 
また、戦後も日本国外からの引揚者や帰農者、戦災者などを入植者として受け入れて旧軍用地の麻溝台や新磯野を中心に開拓が行われた。
 
 
 
新田のうち、「清兵衛新田」と「矢部新田」の地名は合併後も[[大字]]として残された。「矢部新田」は[[住居表示]]の対象区域とならなかった米軍相模総合補給廠内に現存する。「清兵衛新田」は[[1974年]](昭和49年)に最後まで残った区域に住居表示が実施されて消滅するが、新町名である「清新」はこれに由来するものである。
 
 
 
=== 明治以降 ===
 
==== 相模原市発足までの沿革 ====
 
*[[1889年]]([[明治]]22年)[[4月1日]] - 町村制施行により'''[[高座郡]][[相原村]]・[[麻溝村]]・[[新磯村]]・[[大沢村 (神奈川県)|大沢村]]・[[大野村 (神奈川県)|大野村]]・[[上溝町|溝村]]'''が誕生する。この際、旧田名村は単独で他村とは合併せずに町村制による[[田名村]]となった。
 
**相原村、橋本村、小山村、清兵衛新田の合併により'''相原村'''が誕生する。
 
**当麻村、下溝村の合併により'''麻溝村'''が誕生する。
 
**新戸村、磯部村の合併により'''新磯村'''が誕生する。
 
**大島村、下九沢村、上九沢村の合併により'''大沢村'''が誕生する。
 
**上矢部村、矢部新田村、淵野辺村、鵜野森村、上鶴間村の合併により'''大野村'''が誕生する。
 
**上溝村が'''溝村'''と名称変更する。
 
*[[1926年]]([[大正]]15年)[[1月1日]] - 溝村に町制が施行され、'''上溝町'''が誕生する。
 
*[[1941年]]([[昭和]]16年)[[4月29日]] 相原村、麻溝村、新磯村、大沢村、大野村、上溝町、[[座間市|座間町]]、田名村の新設合併により'''相模原町'''が誕生する。
 
**町役場を淵野辺に置く。人口3万9,718、面積107.99[[平方キロメートル|km<sup>2</sup>]]。合併当時は「全国一面積の広い町」であった。
 
*[[1941年]](昭和16年)[[9月1日]] 町役場を[[上溝]](旧上溝町役場)に移転
 
*[[1948年]](昭和23年)9月1日 '''[[座間市|座間町]]'''が分立する。面積90.77km<sup>2</sup>となる。
 
*[[1954年]](昭和29年)[[4月29日]] 町役場を清兵衛新田(現在地)に移転。
 
 
 
==== 相模原市発足以降の沿革 ====
 
;昭和40年代まで
 
*[[1954年]]([[昭和]]29年)[[11月20日]] 市制が施行され、'''相模原市'''となる。人口8万0,374(全国で453番目、県下で10番目)。
 
*[[1955年]](昭和30年)[[7月11日]] 工場誘致条例を制定する([[1961年]](昭和36年)3月1日廃止)。
 
*[[1957年]](昭和32年)[[11月24日]] 市立体育館が開設される。
 
*[[1958年]](昭和33年)[[1月1日]] 消防本部を設置する。
 
*[[1958年]](昭和33年)[[1月15日]] 「[[相模原市民の歌]]」を制定する。
 
*[[1958年]](昭和33年)[[8月1日]] 首都圏整備法による市街地開発区域の指定を受ける。
 
*[[1960年]](昭和35年)[[6月1日]] [[人口]]が10万を超える。
 
*[[1961年]](昭和36年)[[1月1日]] 市営工業用水道が完成する。
 
*[[1962年]](昭和37年)[[2月20日]] 交通安全都市宣言を制定する。
 
*[[1962年]](昭和37年)[[6月14日]] 相模原市開発公社(現:(公財)相模原市まち・みどり公社)が設立される。
 
*[[1962年]](昭和37年)[[12月13日]] 清掃事業所(現:東清掃事業所)が開設される。
 
*[[1963年]](昭和38年)[[7月18日]] [[消防署]]に[[日本の救急車|救急車]]を配備、救急業務を開始する。
 
*[[1963年]](昭和38年)[[10月18日]] [[相模原市農業協同組合]]が設立される。
 
*[[1964年]](昭和39年)[[1月30日]] [[日本電信電話公社]](当時)相模原電報電話局が開設される。
 
*[[1964年]](昭和39年)[[3月16日]] [[相模原郵便局]]が開設される(市内初の普通郵便局)。
 
*[[1964年]](昭和39年)[[5月1日]] 住居表示を開始する。
 
*[[1964年]](昭和39年)[[11月20日]] 市制10周年事業として相模原市史発刊を開始する([[1972年]](昭和47年)全7巻で完了)。
 
*[[1965年]](昭和40年)[[3月1日]] 市営火葬場が開設される。
 
*[[1965年]](昭和40年)[[11月20日]] 市立市民会館(相模原市民会館)が開設される。
 
*[[1967年]](昭和42年)[[6月15日]] 相模原商工会館が開設される。
 
*[[1967年]](昭和42年)[[8月28日]] 人口が20万を超える。
 
*[[1967年]](昭和42年)[[8月]] 公共下水道事業を開始する。
 
*[[1968年]](昭和43年)[[3月1日]] 市の木「けやき」を制定する。
 
*[[1968年]](昭和43年)[[5月1日]] 市立青年の家が開設される。
 
*[[1968年]](昭和43年)[[6月26日]] 第1次相模原市総合計画を策定する。
 
*[[1968年]](昭和43年)[[7月1日]] 市民[[プール]]が開設される。
 
*[[1969年]](昭和44年)[[7月31日]] 座間小銃射撃場が[[日本国政府|日本政府]]に全面返還される。
 
*[[1969年]](昭和44年)[[8月31日]] [[相模原市役所|市役所本庁舎]](現庁舎)が完成する。
 
*[[1970年]](昭和45年)[[7月1日]] [[給食]]施設のない小中学校のため、南部学校給食センターが開設される。
 
*[[1971年]](昭和46年)[[7月5日]] 人口が30万を超える。
 
*[[1971年]](昭和46年)[[7月26日]] 北里大学病院が開院する。
 
*[[1972年]](昭和47年)[[2月21日]] 相模大野駅周辺土地区画整理事業が始まる。
 
*[[1972年]](昭和47年)[[5月]] 米軍戦車搬出阻止運動が起こる(〜11月)。
 
*[[1972年]](昭和47年)[[7月1日]] 消防本部新庁舎が完成する。
 
*[[1972年]](昭和47年)[[9月1日]] 市立老人福祉センター「渓松園」が開設される。
 
*[[1973年]](昭和48年)[[5月1日]] 保存樹林第1号を指定する。
 
*[[1973年]](昭和48年)[[7月20日]] 相模原メヂカルセンター(急病診療所)が開設される。
 
*[[1974年]](昭和49年)[[3月]] 第2次相模原市総合計画を策定する。
 
*[[1974年]](昭和49年)[[4月6日]] 市制施行20周年を記念して、第1回市民桜まつりが開催される(〜7日)。
 
*[[1974年]](昭和49年)[[11月20日]] 市立図書館が現在地に開設される。
 
*[[1974年]](昭和49年)11月20日 市の花「あじさい」、市の鳥「ひばり」を制定する。
 
*[[1974年]](昭和49年)[[11月30日]] [[キャンプ淵野辺]]が日本政府に全面返還される。
 
 
 
;昭和50・60年代
 
*[[1975年]]([[昭和]]50年)[[3月31日]] 市財政白書「こども急増びんぼう白書」を発行する。
 
*[[1975年]](昭和50年)[[4月1日]] 市立療育センター「陽光園」(心身障害者訓練センター)が開設される。
 
*[[1976年]](昭和51年)[[6月19日]] 夜間急患診療を開始する。
 
*[[1977年]](昭和52年)[[6月6日]] 人口が40万を超える。
 
*[[1977年]](昭和52年)[[11月1日]] 人口が[[横須賀市]]を抜き、人口規模で県内第3位になる。
 
*[[1979年]](昭和54年)[[4月13日]] いきがい事業団が発足する。
 
*[[1979年]](昭和54年)[[4月27日]] 県立相模原公園が開設される。
 
*[[1979年]](昭和54年)[[5月13日]] 市のシンボルカラー「みどり」を制定する。
 
*[[1979年]](昭和54年)[[7月1日]] 公共下水道処理を開始する。
 
*[[1979年]](昭和54年)[[11月18日]] 市民憲章を制定する。
 
*[[1980年]](昭和55年)[[9月27日]] [[日本国有鉄道]](当時)[[横浜線]]の複線化が市内全区間で完成する。
 
*[[1980年]](昭和55年)[[12月6日]] 南清掃工場が完成する。
 
*[[1981年]](昭和56年)[[4月1日]] [[相武台陸軍病院|米陸軍医療センター]]が日本政府に全面返還される。
 
*[[1981年]](昭和56年)[[4月10日]] 市立市民福祉会館(相模原市立あじさい会館)が開設される。
 
*[[1981年]](昭和56年)[[5月1日]] 行政用同報防災無線「ひばり放送」が開始される。
 
*[[1981年]](昭和56年)[[11月1日]] 市立総合体育館が開設される。
 
*[[1982年]](昭和57年)[[4月9日]] 相模原市が障害者福祉都市に指定される。
 
*[[1982年]](昭和57年)[[12月5日]] 買物公園道路「グリーンプラザさがみはら」が完成する。
 
*[[1983年]](昭和58年)[[8月29日]] 市域南部の行政拠点となる市南合同庁舎が完成する。
 
*[[1983年]](昭和58年)[[11月18日]] 市立市民健康文化センターが開設される。
 
*[[1984年]](昭和59年)[[4月1日]] 市みどりのまちづくり基金と緑地保全基金を制定する。
 
*[[1984年]](昭和59年)[[6月1日]] [[長野県]]に「市民たてしな自然の村」が開村される。
 
*[[1984年]](昭和59年)[[12月3日]] 核兵器廃絶平和都市を宣言する。
 
*[[1985年]](昭和60年)[[2月]] 第3次相模原市総合基本計画を策定する。
 
*[[1985年]](昭和60年)[[9月18日]] 市立けやき会館、市立けやき体育館が開設される。
 
*[[1985年]](昭和60年)[[10月6日]] 中国・無錫市と友好都市を締結する。
 
*[[1985年]](昭和60年)[[11月16日]] 国民年金保養センター「さがみの」が開設される。
 
*[[1985年]](昭和60年)[[11月17日]] 市立相模原麻溝公園が開設、ふれあい動物広場が利用開始される。
 
*[[1986年]](昭和61年)[[7月1日]] 公文書公開制度が開始される。
 
*[[1986年]](昭和61年)[[10月18日]] 市立教育会館が開設される。
 
*[[1987年]](昭和62年)[[1月5日]] 住民登録オンラインが開始される。
 
*[[1987年]](昭和62年)[[3月]] 市営工業用水道が廃止される。
 
*[[1987年]](昭和62年)[[4月1日]] 市立ひばり球場、県立相模原球場が開設される。
 
*[[1987年]](昭和62年)[[8月10日]] 人口が50万を超える(全国で22番目)。
 
*[[1987年]](昭和62年)[[11月8日]] 友好都市関係として[[銀河連邦]]をつくり、サガミハラ共和国が建国する。
 
*[[1987年]](昭和62年)[[11月15日]] [[相模川ふれあい科学館|市立相模川ふれあい科学館]]が開設される。
 
*[[1988年]](昭和63年)[[3月13日]] [[東日本旅客鉄道|JR東日本]][[横浜線]][[古淵駅]]が開業する。
 
*[[1988年]](昭和63年)[[10月1日]] 複合都市「ロビーシティ相模大野」が発足する。
 
*[[1988年]](昭和63年)[[11月1日]] 初めての有料市営[[駐車場]]、相模大野立体駐車場が完成する。
 
 
 
;[[1989年]](平成元年)以降
 
*[[1989年]]([[平成]]元年)[[4月1日]] 文部省(当時)宇宙科学研究所が移転する。
 
*[[1989年]]([[平成]]元年)[[4月28日]] (財)市民文化財団が発足する。
 
*[[1989年]]([[平成]]元年)[[10月26日]] (財)相模原市体育協会が発足する。
 
*[[1989年]]([[平成]]元年)[[12月1日]] 相模原南メヂカルセンター(急病診療所)が[[グリーンホール相模大野]]内に開設される。
 
*[[1990年]](平成2年)[[1月8日]] 市立文化会館が[[グリーンホール相模大野]]内に開設される。
 
*[[1990年]](平成2年)[[1月9日]] 市立相模大野図書館がグリーンホール相模大野内に開設される。
 
*[[1990年]](平成2年)[[3月30日]] [[京王帝都電鉄]](当時)[[相模原線]]が、部分開業していた[[南大沢駅]]より延伸し、[[京王相模原線]][[橋本駅 (神奈川県)|橋本駅]]が開業する。
 
*[[1990年]](平成2年)[[5月14日]] 消防指令センターが完成する。
 
*[[1990年]](平成2年)[[9月25日]] 市内初の百貨店、[[伊勢丹]]相模原店が開店する。
 
*[[1991年]](平成3年)[[1月20日]] 市立淵野辺公園アイススケート場・水泳プール(銀河アリーナ)が開設される。
 
*[[1991年]](平成3年)[[3月16日]] [[東日本旅客鉄道|JR東日本]][[相模線]]が電化完成する。
 
*[[1991年]](平成3年)[[5月31日]] カナダの旧[[スカーバロー (オンタリオ州)|スカボロ]]市(現[[トロント]]市)と友好都市提携。
 
*[[1991年]](平成3年)[[9月8日]] 市立北総合体育館が開設される。
 
*[[1991年]](平成3年)[[12月1日]] 北清掃工場が完成する。
 
*[[1992年]](平成4年)[[7月4日]] さがみはら男女平等憲章を制定する。
 
*[[1992年]](平成4年)[[8月19日]] (財)みどりの協会が発足する。
 
*[[1992年]](平成4年)[[8月21日]] (財)産業振興財団が発足する。
 
*[[1992年]](平成4年)[[10月3日]] [[全国都市緑化フェア|第9回全国都市緑化神奈川フェア]]が開催される(グリーンウェーブ・相模原'92)。
 
*[[1992年]](平成4年)[[10月26日]] 市営斎場が完成する。
 
*[[1992年]](平成4年)[[11月20日]] 相模原市環境宣言を制定する。
 
*[[1993年]](平成5年)[[4月5日]] 粗大ごみの戸別収集を開始する。
 
*[[1993年]](平成5年)[[4月12日]] 市立産業会館が開設される。
 
*[[1995年]](平成7年)[[11月20日]] 市立博物館が開設される。
 
*[[1996年]](平成8年)[[4月20日]] 市立相模川自然の村公園が開設される。
 
*[[1997年]](平成9年)[[5月20日]] [[相模原市立総合水泳場|市立総合水泳場]](さがみはらグリーンプール)が開設される。
 
*[[1997年]](平成9年)[[8月1日]] 市公式Webサイトが開設される。
 
*[[1997年]](平成9年)[[11月1日]] [[相模原市民ギャラリー]]が開設される。
 
*[[1998年]](平成10年)[[9月12日]] さがみはらグリーンプールを会場に、かながわ・ゆめ国体夏季大会が開幕する(〜15日)。
 
*[[1998年]](平成10年)[[11月3日]] [[電話番号]]の逼迫対策に伴い、市内(磯部、新磯野1丁目、3丁目 - 5丁目、新戸、相武台及び相武台団地を除く)の[[市外局番]]が「0427」から「042」に、市内局番が「XX」から「7XX」に変更される。
 
*[[1999年]](平成11年)[[5月3日]] 市立北市民健康文化センター(さがみはら北の丘センター)が開設される。
 
*[[1999年]](平成11年)[[7月20日]] 電話番号の逼迫対策に伴い、市内(磯部、新磯野1丁目、3丁目 - 5丁目、新戸、相武台及び相武台団地)の市外局番が「0462」から「046」に、市内局番が「XX」から「2XX」に変更される。
 
*[[1999年]](平成11年)[[12月1日]] [[境川 (東京都・神奈川県)|境川]]の河川改修に伴い、東京都町田市及び神奈川県大和市との境界の一部を変更し、市面積が90.41km<sup>2</sup>に減少する。
 
*[[2000年]](平成12年)[[4月1日]] [[保健所政令市]]に指定されたことから、相模原市保健所が開設される。
 
*[[2000年]](平成12年)[[5月29日]] 人口が60万を超える。
 
*[[2000年]](平成12年)[[7月8日]] さがみはら男女共同参画都市宣言を制定する。
 
*[[2000年]](平成12年)[[10月28日]] さがみはら健康都市宣言を制定する。
 
*[[2000年]](平成12年)[[11月20日]] 市が事務事業に「[[ISO 14000|ISO14001]]環境マネジメントシステム」を導入、認証される。
 
*[[2001年]](平成13年)[[4月5日]] 児童数減少に伴う市内初の市立小学校の統廃合を実施する。
 
**市立北相武台小学校と市立磯野台小学校とが統合し、市立もえぎ台小学校が開校(校舎は北相武台小学校を使用)。
 
*[[2001年]](平成13年)[[4月21日]] 市立総合学習センターが開設される。
 
*[[2001年]](平成13年)[[6月30日]] 小児科医による[[休日]]・夜間急病診療が開始される。
 
*[[2001年]](平成13年)[[7月1日]] 市が外部監査制度を導入する。
 
*[[2001年]](平成13年)[[9月29日]] 市立杜のホールはしもと・市立橋本図書館が開設される。
 
*[[2003年]](平成15年)[[4月1日]] [[中核市]]に指定される。
 
*[[2003年]](平成15年)4月1日 「相模原メヂカルセンター」が「相模原メディカルセンター」に改称される。
 
*[[2003年]](平成15年)[[10月11日]] [[青山学院大学]]相模原キャンパスが淵野辺に開校する。
 
*[[2003年]](平成15年)[[12月1日]] 市内のバス路線が大幅に再編される。
 
**これに伴い、33系統・51バス停留所が廃止、4系統が新設、既存の6系統が大幅増発となる。
 
*[[2004年]](平成16年)[[2月1日]] [[鶴間|上鶴間]]地区の一部で[[住居表示]]を実施、上鶴間本町が新設される。
 
**これにより、米軍基地を除く市内の上段部分の住居表示は全て完了となった。
 
*[[2004年]](平成16年)[[11月1日]] 小田急線[[小田急相模原駅]]北口市街地再開発事業が着工する。
 
*[[2004年]](平成16年)[[11月20日]] 市制50周年。
 
*[[2004年]](平成16年)[[12月1日]] 境川の河川改修に伴い、東京都町田市との境界の一部を変更し、市面積が90.40km<sup>2</sup>に減少する。
 
**相模原市民16世帯41人が東京都町田市民となる。
 
*[[2005年]](平成17年)[[7月13日]] 市内公共施設(60ヶ所)に[[自動体外式除細動器|AED]](自動体外式除細動器)を配置する。
 
*[[2006年]](平成18年)[[1月30日]] コミュニティバス実証運行を開始する。
 
**交通不便地区における高齢者等、移動に制約のある市民の生活交通を確保するため、市が主体となって計画。運行業務は[[相模神奈交バス]]に委託し、2年間を期限として実験的に実施。経路は、[[東日本旅客鉄道|JR東日本]][[橋本駅 (神奈川県)|橋本駅]]南口 - 北の丘センター - 北総合体育館 - 相模川自然の村までの約7[[キロメートル|km]]で、所要時間は片道約30分。運行本数は、上り下りとも8時台 - 18時台まで、1時間に1本ずつ運行される。
 
*[[2006年]](平成18年)[[3月20日]] [[津久井郡]][[津久井町]]、津久井郡[[相模湖町]]を編入合併する。旧町の各区域に[[地域自治区]]を設置。市面積が244.04km<sup>2</sup>となり、面積規模で県内第2位になる。旧津久井町の姉妹都市であるカナダのトレイル市と継続して友好都市を提携する。
 
*[[2006年]](平成18年)4月1日 市立環境情報センターが開設される。
 
*[[2006年]](平成18年)4月1日 市が設置した文化施設・福祉施設・体育施設に[[指定管理者制度]]を本格的に導入する。
 
*[[2006年]](平成18年)[[5月1日]] 日米安全保障協議委員会で相模総合補給廠の一部返還等が基本合意される。
 
*[[2006年]](平成18年)[[10月1日]] 市コールセンターが開設される。
 
*[[2007年]](平成19年)[[3月11日]] 津久井郡[[藤野町]]、津久井郡[[城山町 (神奈川県)|城山町]]を編入合併する。旧町の各区域に[[地域自治区]]を設置。市面積が328.84km<sup>2</sup>となる。人口が合併特例の政令指定都市昇格要件70万人を超える。
 
*[[2007年]](平成19年)[[4月1日]] 政令指定都市移行を視野に入れて市組織に局制が導入される。
 
*[[2008年]](平成20年)[[4月23日]] さがみはら新都心整備構想を発表する(相模総合補給廠一部返還後の跡地利用計画)。
 
*[[2009年]](平成21年)[[10月23日]] 相模原市の政令指定都市昇格が[[閣議]]決定される。
 
*[[2009年]](平成21年)[[12月21日]] 区名が正式に決定(緑区、中央区、南区)。
 
*[[2010年]](平成22年)[[4月1日]] 政令指定都市に正式に移行(日本国内19番目)。それに伴い、市内全域において[[郵便番号]]が「228-08xx」及び「229-xxxx」から「252-0xxx」に変更。
 
*[[2010年]](平成22年)12月1日 境川の河川改修に伴い、東京都町田市との境界の一部を変更し、市面積が328.83km<sup>2</sup>に減少。
 
*[[2011年]](平成23年)5月15日 区ごとのシンボルカラーおよびシンボルマークを発表。
 
*[[2013年]](平成25年)12月1日 東京都町田市との境界の一部を変更。
 
*[[2016年]](平成28年)7月26日 放火以外の殺人事件では戦後最悪の犠牲者数となった[[相模原障害者施設殺傷事件]]が発生。
 
*[[2016年]](平成28年)7月31日 旧津久井町の姉妹都市であるカナダのトレイル市からの申し入れに同意し、友好都市提携を解消した。<ref>{{PDFlink|[http://www.city.sagamihara.kanagawa.jp/dbps_data/_material_/_files/000/000/034/125/20160729_02.pdf カナダ・トレイル市との友好都市提携の解消について]}} 相模原市発表資料</ref>
 
 
 
==== 軍都計画 ====
 
[[ファイル:Gate 1 of Sagami Genaral Depot in 2011.jpg|thumb|300px|right|相模総合補給廠の正門(西門)]]
 
相模原は東京から近く地価の安い平坦地が広がっていたことから、1930年後半以降、陸軍士官学校をはじめとする陸軍施設があいついで移転・開設されてきた。養蚕を主とする畑作農村から軍事都市への急速な変貌に対応するために[[神奈川県]]が主体となって区画整理事業に着手した。[[1939年]](昭和14年)にまとめられた'''相模原都市建設区画整理事業'''では、当時の'''[[相原村]]'''([[小山 (相模原市)|小山]]・[[清兵衛新田]]・[[橋本 (相模原市)|橋本]])、'''[[大野村 (神奈川県)|大野村]]'''([[上矢部 (相模原市)|上矢部]]・[[矢部新田]]・[[淵野辺]])、'''[[上溝町]]'''(上溝)、'''大沢村'''(下九沢)にまたがる535万坪(約17.7km<sup>2</sup>)の区域に10万人の人口を想定した壮大な[[都市計画]]が行われた。
 
 
 
'''造兵廠'''西門と'''上溝'''とを結ぶ街路を縦の軸とし、これと直交する幅の広い街路を横の軸として計画的に街路が配置され、両軸となる街路の交差点付近には中央公園が計画された。区域内は住居地域345万坪(約11.4km<sup>2</sup>²。1人当たり50坪)、商業地域35万坪(約1.2km<sup>2</sup>。1人当たり30坪)、工業地域(軍事施設を含む)175万坪(約5.8km<sup>2</sup>)に分けられ、推計人口10万のうち小学児童を約1万4千人弱と想定して小学校を14校、中等学校が3校整備されることとなっていた。また中央公園をはじめとして区域内の公園用地として約18万坪(約0.6km<sup>2</sup>)があてられていた。
 
:*[[相模陸軍造兵廠]]は本来、北側の境川をはさんで町田街道に面した門を正門として敷地内北部に管理機能を集中していた。戦後この施設を[[相模総合補給廠]]としている米軍は西門を事実上の正門として使用している。
 
 
 
この都市計画は若干の変更の上、[[1940年]](昭和15年)に[[内務省 (日本)|内務省]]から公示されて事業が着手されたが、間もなく始まった[[第二次世界大戦]]([[太平洋戦争]])により工事は停滞し、幹線街路網の整備が進んだところで敗戦を迎えた。一時中断された区画整理事業は戦後も継続されて[[1950年]](昭和25年)に完了した。また水道の整備も戦争末期の[[1945年]](昭和20年)春にはおおむね完了した。
 
 
 
敗戦によって軍都の建設には挫折したが、1960年代以降の急激な都市化の基盤となったのはこの事業によって整備された街路網と水道設備であった。計画の中で'''横の軸'''とされた街路は現在'''[[国道16号]]'''として市内を貫く幹線道路となっている。また'''縦の軸'''とされた街路は市役所前通りとして戦後桜並木が整備され、市を代表する顔となっている。これに対して南部の[[小田急線]]沿線はこの都市計画の対象区域とはならず、戦後の自然発生的な住宅の建設によって都市化が進行した。無計画に進められた宅地化によって狭く複雑な街路網を擁する区域も少なくなく、[[軍都|軍都計画]]の対象となった区域とは著しい対照を見せている。
 
 
 
相模原市の膨張や交通量の増大によって国道16号をはじめとする幹線街路での交通渋滞が目立つなど、1940年代に行われた都市計画の限界が現れてきているが、半世紀にわたって急激な都市化を支え続けてきた事実からして軍都計画による区画整理事業の先進性がうかがえる。
 
 
 
==== 相模原町の発足 ====
 
軍都計画の進展とともに、軍の強力な後押しもあって相模原一帯を合併して一大市を建設する気運が盛り上がった。その過程では、隣接する[[東京府]][[町田町]]との合併も話題に上った(陸軍では、上鶴間の[[相武台陸軍病院|原町田陸軍病院]](のち相模原陸軍病院と改称)や淵野辺の原町田憲兵隊など、相模原を原町田と一括りにすることが多かった)が、府県境を越えた合併は当時でも困難なことが多く、高座郡北部の9町村(相原村、上溝町、大野村、大沢村、田名村、麻溝村、新磯村、座間町、[[大和市|大和村]])が合併の対象となった。
 
 
 
対象地域内では軍都計画地域を中心とする北部(相原・上溝・大沢・田名)と陸軍士官学校を中心とする南部(麻溝・新磯・座間・大和)の間で意見が対立し、特に座間町と大和村では合併反対の意見が強かった。北部5町村と南部4町村による別個の合併も俎上に上ったが、北部の淵野辺地区が軍都計画地域に属する一方で南部の上鶴間地区に士官学校や通信学校、陸軍病院などをかかえる大野村(個別合併案では北部5町村に含まれた)は村が分断されることを恐れて9町村での合併を強く望んだ。軍の強い要請によって座間町は9町村合併の容認に傾いたが、大和村では意見の集約が間に合わず合併から離脱し、大和村を除いた8町村による合併となった。
 
 
 
合併後の新市名として「相武台市」「相武市」「相模市」「相模原市」などがあがった。このうち[[1937年]](昭和12年)に移転してきた[[陸軍士官学校 (日本)|陸軍士官学校]]にちなむ「[[相武台]]」は、士官学校移転に際して座間村(当時)が新磯村との合併を持ちかけたときに「座間町」への吸収となることを恐れた新磯村側が提案した呼称でもある(この合併は両村の意見が合わず、座間村が単独で町制を施行した)。「相武台」には陸軍士官学校が[[昭和天皇]]から士官学校に下賜された呼称であるとして反対し、最終的に選ばれたのが「相模原市」であった。
 
 
 
市とするにあたっては合併当時の対象地域に市街地がほとんど形成されていないことから[[内務省 (日本)|内務省]]の承認が得られず、将来の発展による市制施行を期待しながら、[[1941年]](昭和16年)4月29日に8町村の合併によって'''高座郡相模原町'''が発足した。
 
 
 
[[戦後]]、軍の圧力がなくなると当初から合併に消極的であった旧座間町では離脱の動きが強まり、[[1948年]](昭和23年)9月1日に旧座間町の区域が分立して[[座間市|座間町]]が再置された。残りの区域で「[[市町村合併|昭和の大合併]]」の最中の[[1954年]](昭和29年)11月20日に市制を施行して'''相模原市'''となった。すでに大規模合併を終えていた相模原市では「昭和の大合併」による市域拡張は行われていない。
 
 
 
==== 中核市昇格 ====
 
1994年(平成6年)に[[地方自治法]]が一部改正されて'''中核市'''制度が創設され、翌1995年(平成7年)の施行により中核市の指定が始まったが、相模原市は人口要件(30万人以上)は満たしていても面積要件(100km<sup>2</sup>)を満たさなかったため、長らく中核市指定を受けられなかった。しかし、2002年(平成14年)の改正で人口50万人以上の市の面積要件が削除されたため、2003年(平成15年)4月1日に中核市に指定された(なお、面積要件は2006年(平成18年)の改正で人口にかかわらず全面的に撤廃された)。
 
 
 
その後、2006年3月20日に[[津久井町]]と[[相模湖町]]を編入し、更に2007年3月11日に[[城山町 (神奈川県)|城山町]]と[[藤野町]]を編入したことにより、[[横浜市]]に次ぐ神奈川県2位の面積となった。
 
 
 
==== 平成の大合併 ====
 
[[ファイル:相模湖町地域自治区総合事務所.jpg|thumb|緑区[[相模湖町|相模湖]]総合事務所<br />(旧相模湖町役場)]]
 
 
 
2002年10月、[[津久井郡]]に属する全4町([[城山町 (神奈川県)|城山町]]・[[津久井町]]・[[相模湖町]]・[[藤野町]])において住民アンケートが実施され、4町全てで合併に肯定的な結果が出た。城山・津久井両町では相模原市との合併を望む回答が多かったのに対し、相模湖・藤野両町では[[東京都]][[八王子市]]との[[越境合併]]を望む回答が多かったが、八王子市は両町の打診に対し、合併特例法期限内の越境合併は困難と回答した。
 
 
 
2002年11月、公益社団法人津久井青年会議所が中心となり、住民発議による津久井郡4町による法定合併協議会の設置を求める署名運動を実施し、有権者の50分の1を大きく上回る6418人(4町合計)の署名を集め、2003年1月に各町に請求した。この請求は、県内初となる複数市町村からの同一内容の発議であったが、この法定協議会設置議案を城山・津久井両町議会が否決(相模湖・藤野両町は可決)し、この議決により、津久井郡4町での合併は事実上消滅した。
 
 
 
2003年7月、相模原市と4町が市町村合併に関する研究部会を設置、4町は相模原市に合併協議を申し入れた。
 
*なお、津久井地域4町の人口における年齢の比重(若年層が少なく、高齢者が多い)と開発しにくい土地柄から旧相模原市民には合併のメリットは合併特例を利用した[[政令指定都市]]移行が可能になる程度でほぼ無に近く、未だに合併に反対を唱える住民がいる。相模原市が2004年11月8日 - 11月17日に、旧市民1万人を対象にして郵送形式で実施した「相模原市と津久井地域の合併に関する市民アンケート」(有効回収率:35.8%)では、合併の是非は、「合併するべきである」15.3%、「合併することもやむをえない」30.5%で、「合併するべきでない」12.3%、「できれば合併するべきでない」18.8%と、合併反対は3割強であった。「どちらともいえない」は17.3%だった。[[小川勇夫]]市長は津久井地域との合併を巡り、住民投票を実施せず、このアンケート調査結果をもとに津久井郡4町との合併を推進した。
 
 
 
2003年12月になり、藤野町が[[市町村合併#合併協議会|任意合併協議会]]への不参加を表明したことから、4町は合併協議の申入れを撤回したが、翌2004年1月に城山・津久井・相模湖3町が相模原市に合併協議を申入れ、2004年4月に任意協議会の「相模原・津久井地域合併協議会」を設置した。
 
 
 
藤野町を除く3町は相模原市との合併を目指すこととなった。しかし城山町では町長が合併への慎重姿勢を見せたため、津久井・相模湖両町は先行して相模原市との「[[飛地|飛び地]]合併」を目指すこととなった。相模湖町では2004年11月に行われた5市町での合併の是非を問う住民投票の結果、反対票がわずかに賛成票を上回ったが、町長は合併協議の継続を表明し、2005年2月に3市町で法定協議会の「相模原市・津久井町・相模湖町合併協議会」を設置した。
 
 
 
2005年3月15日に3市町は合併協定書に調印し、各市町議会、神奈川県議会の可決、総務大臣の告示を経て、2006年3月20日に津久井町・相模湖町は相模原市に編入され、「平成の大合併」期における神奈川県内初の市町村合併となった。
 
 
 
一方、藤野町では2004年6月に行われた住民投票の結果、賛成多数となったことから、2004年8月に相模原市に合併協議を申入れ、2005年4月に相模原市と2市町での法定協議会「相模原市・藤野町合併協議会」を設置した。同町議会は合併に慎重姿勢であったが、2005年7月の町長選で合併推進派の町長が誕生したことで合併協議が加速し、合併方式を相模原市への編入、合併期日を2007年3月11日として、2006年1月26日に合併協定書に調印した。その後、両市町議会、神奈川県議会の可決を経て、2006年8月7日の総務大臣告示により合併が法的に確定した。
 
 
 
城山町も住民からの直接請求を受け、2005年4月に津久井町・相模湖町を含む枠組みでの法定協議会「相模原・津久井地域合併協議会」を設置したが、城山町長(当時)は2005年6月に議会答弁で単独町制の継続を表明し、さらに2005年7月の協議会では43対1で合併目標期日が設定された事に反発して協議会副会長職の辞任届を提出し退席した(反対者は城山町長1人で、辞任届は会長預かり)。その結果、協議会は2005年11月に休止へ追い込まれ、相模原市・津久井町・相模湖町の合併に合わせて廃止された。
 
 
 
2005年11月、城山町で合併推進を求める住民による解職請求が行われ、2006年2月19日に行われた住民投票の結果、賛成多数で町長の[[リコール (地方公共団体)|解職請求]]が成立、2006年2月26日には合併に関する住民投票で賛成票が多数となり、2006年3月19日の町長選では合併推進派の町長が当選した。2006年3月30日には城山町長より合併協議会設置の申し入れがあり、藤野町との同時合併を目標とする合意書に調印、両市町議会の可決を経て2006年4月12日に相模原市と2市町での法定協議会「相模原市・城山町合併協議会」を設置した。任意協議会での協議結果および他の合併協議会における協議内容を踏まえた上で迅速な議論を進めた。3回にわたる協議で協定内容が全て調ったことから2006年6月7日に合併協定書に調印、両市町議会、神奈川県議会の可決を経て2006年11月2日の総務大臣告示により合併が法的に確定した。
 
これにより藤野町と城山町は2007年3月11日に相模原市へ編入される事が確定し、紆余曲折を経た津久井郡4町との合併が完結することになった。
 
 
 
2006年11月2日には、相模原市・城山町・藤野町の公共施設等に、新市の地図が描かれたPR看板が設置された。キャッチフレーズは、「新・相模原市誕生 ともに築こう 新たな未来」である。「相模原市・城山町合併協議会」及び「相模原市・藤野町合併協議会」では、新市をPRすることを目的に、[[エコーはがき]]を5万枚作製し、相模原市・城山町・藤野町に所在する郵便局で2007年2月1日に発行した。また、[[日本郵政公社]]南関東支社では、2007年3月9日 - 6月8日の期間、オリジナルフレーム切手「新・相模原市誕生」を、市内に所在する郵便局で5,000部販売した。さらに、相模原市では、[[日比野克彦]]をビジュアルプロデューサーとして『新「相模原市」新宿メガキャンペーン』を2007年3月10日 - 3月25日の16日間、市の知名度の向上とイメージアップのため、[[新宿駅|新宿]]で実施した。[[新宿駅]]は鉄道3線(JR東日本・小田急・京王)で相模原市と都心との結節点であり、同駅は乗降客数が日本一である。
 
 
 
2007年3月11日に城山・藤野両町が相模原市に加わり、合併特例の政令市移行要件とみられる人口70万人を超えた為(法定人口:701,568人)、[[政令指定都市]]の候補市になった。
 
また、小川勇夫市長は政令指定都市を目指すことを表明したものの、2007年3月8日に体調不良を理由とする辞職願が助役の代読により表明され、2007年3月21日、肺炎のため逝去した。
 
 
 
2007年4月22日の選挙で、合併特例法の期限内での政令市移行を目指すことを公約とし、小川から後継指名を受けていた前助役の加山俊夫が市長に選出され、2010年3月までの政令市移行を目指すことになった。
 
 
 
==== 政令指定都市移行へ ====
 
{{Wikisource|地方自治法第二百五十二条の十九第一項の指定都市の指定に関する政令の一部を改正する政令 (平成21年政令第251号)|地方自治法第二百五十二条の十九第一項の指定都市の指定に関する政令の一部を改正する政令}}
 
*2006年10月23日 「2007年度予算編成方針」について[[記者会見]]を行う。
 
**2007年度重点施策に政令指定都市の調査、研究として、政令指定都市に関する調査委託が盛り込まれる。
 
**具体的には、民間のシンクタンクに調査委託するほか、他の政令指定都市を参考にしながら、市の実態、拠点としての都市機能など具体的に研究していく見通し。今後は、研究結果を定期的な会議を通して意見交換するなど、共同で検討していくという。
 
*2006年12月22日 相模原市自治会連合会が、「政令指定都市への移行実現について」の相模原市長への要望及び相模原市議会議長への陳情を行う。
 
*2006年12月22日 「2007年度行政組織について」報道提供を行う。
 
**政令指定都市への移行を視野に入れた局制の導入による庁内分権の推進等。
 
*2007年1月1日 市広報紙及び市Webサイトに掲載された、小川勇夫相模原市長の「年頭のごあいさつ『新市まちづくりスタートの年』」より
 
**「新しい総合計画の策定に向けた取り組みとともに、政令指定都市への移行に向けた検討を進めてまいります。」とのコメントあり。
 
*2007年1月24日 相模原商工会議所が、「政令指定都市の実現について」の相模原市長への要望及び相模原市議会議長への陳情を行う。
 
*2007年1月29日 「2007年度一般会計当初予算案」を発表する。
 
**政令指定都市移行に関する調査費2,635万円を盛り込む。目的は、市の都市形態や機能などを全国の自治体と比較し、自らの長所や課題を探る。調査は、国の外郭団体「地方自治研究機構」に委託し、都市の拠点性や商業施設の集積度、財政力といったデータを集積し、他都市と比較・検証する。
 
*2007年1月30日 相模原市農業協同組合が、相模原市長に対し、政令指定都市の実現に向け取り組むよう要望書を提出する。
 
*2007年1月31日 小川勇夫相模原市長が市議会3月定例会の施政方針演説で、2010年3月末までの政令指定都市移行を目指すと正式に表明する。
 
**「政令市推進課」を2007年4月1日付で新設。
 
*2007年2月15日 相模原市が市議会3月定例会で、政令指定都市への移行には、少なくとも150 - 170人程度の職員増が必要との見通しを明らかにする。
 
**政令指定都市移行に伴い、児童相談所、精神保健福祉センター、国県道維持管理等の機能を県等から引き継ぐため。
 
*2007年2月15日 [[松沢成文]][[都道府県知事|神奈川県知事]]が県議会2月定例会の所信表明演説で、「相模原市長は去る1月31日に、今回の合併を契機に、平成22年3月までに政令指定都市への移行をめざすことを表明されました。これは、自らの地域のことは自らの意思で決定し、その財源、権限と責任も自らが持つという、地域主権の理念にかなったものであり、県といたしましても、市からの要請に応じて実現に向け協力をしてまいります。」と述べ、政令指定都市移行を支援する方針を表明する。
 
*2007年3月8日 市議会3月定例会の本会議第8日(最終日)、政令指定都市移行に関する陳情(相模原市自治会連合会、相模原商工会議所及び相模原市農業協同組合)が採択される。
 
*2007年4月23日 前日に行われた選挙の結果、故小川勇夫前市長より後継指名を受けていた加山俊夫が市長に当選し、引き続き2010年3月までの政令市移行を目指すことになった。
 
*2007年5月16日 加山俊夫市長が[[菅義偉]][[総務大臣]]と面会し、政令指定都市移行に関する理解と指導を求める。
 
*2007年5月22日 加山俊夫市長が松沢成文神奈川県知事に対し、政令指定都市移行への支援を正式に文書で要請する。
 
*2007年5月23日 市役所に政令指定都市推進本部会議を設置し、移行に向けた本格的な取り組みを開始する。
 
*2007年5月31日 加山俊夫市長が政令指定都市移行に向けた取り組みについて記者会見を行う。
 
**政令指定都市ビジョンを2007年度中に策定する。
 
**区制は、2007年度に行政区画、区名、区役所の位置・機能について庁内で検討のうえ、市民意見を反映させる。2008年度に行政区画等審議会から答申を受け、区画・区名を決定し、区役所設置の準備を開始する。
 
**神奈川県からの事務移譲に関する協議は、県市連絡会議を設置し、2008年春の基本協定締結を目指す。
 
*2007年7月26日 政令指定都市移行に関する県からの事務移管について協議を行うため、第1回神奈川県・相模原市政令指定都市移行連絡会議が開催される。
 
*2007年8月8日 産業経済団体をはじめ、教育・文化、保健・医療、福祉、労働など各分野からの民間団体を母体として相模原市政令指定都市推進市民協議会を設立する。
 
*2007年9月25日 相模原市が市議会9月定例会の政令指定都市に関する特別委員会で、行政区の区割り検討試案を明らかにし、3区制2案と、4区制2案の計4案を試案し区役所位置も想定している。
 
**3区制2案
 
***1-1 旧相模原市を南北へ2区に分け、旧津久井地域を1区とした区分け。
 
***1-2 橋本地区を除いた旧相模原市を南北へ2区に分け、旧津久井地域と橋本地区を加えた地区を1区とした区分け。
 
**4区制2案
 
***2-1 旧相模原市の3拠点を中心に3区に分け、旧津久井地域を1区とした区分け。
 
***2-2 橋本地区を除いた旧相模原市の2拠点を中心に2区に分け、橋本地区と旧津久井地域の旧[[城山町 (神奈川県)|城山町]]を加えた部分を1区に分け、残りの旧津久井地域(旧[[津久井町]]、旧[[相模湖町]]、旧[[藤野町]])を1区とした区分け。
 
*:(4区制の場合、旧相模原市の3拠点中心に3区に分ける時は、公共施設が集まる橋本、相模原、相模大野の3拠点を基準に区分けする場合である。)
 
*2007年11月12日 県市連絡会議幹事会議が開催される。
 
*2008年1月28日 - 2月9日 相模原市が「政令指定都市に関する市民説明会」を市内26ヶ所で開催する。
 
*2008年2月4日 第2回県市連絡会議が開催される。
 
*2008年3月25日 第3回県市連絡会議が開催される。
 
*2008年4月1日 - 21日 行政区画等審議会の委員を募集。
 
*2008年5月29日 第4回県市連絡会議が開催される。
 
*2008年5月31日 相模原市行政区画等審議会の初会合が開かれる。(審議会委員は、推薦委員、学識経験者、一般公募市民の計23名)
 
*2008年6月17日 第2回行政区画等審議会が開かれ、区割り案が1-2と2-2に絞られた。
 
*2008年7月1日 第3回行政区画等審議会が開かれ、区割り案1-2(3区制)を採用する事に決定した。
 
*2008年7月15日 第4回行政区画等審議会が開かれ、区割り案1-2(3区制)を採用する答申案の文章を一部修正のうえ答申する事を決めた。
 
*2008年7月18日 行政区画等審議会会長は、区割り案1-2(3区制)の採用を、加山市長へ正式に答申した。
 
*2008年9月2日 政令指定都市移行に係る県協議の状況及び財政収支の見通しについて発表される。
 
*2008年9月10日 第5回県市連絡会議が開催される。
 
*2008年9月19日 行政区画の編成案が決まる(区割り案1-2の3区制)。
 
**A区:橋本、大沢、城山町、津久井町、相模湖町、藤野町
 
**B区:大野北、田名、上溝、本庁
 
**C区:大野中、大野南、麻溝、新磯、相模台、相武台、東林
 
***各区の区域は旧相模原市域は本庁及び出張所の単位
 
<!--***これにより、例えば市立小山中学校の学区はA区とB区に跨ってしまう等の弊害も生じている。--教育行政の権限は市にあって区にはないのに何か弊害が生じるのでしょうか。横浜市でも小学校区が複数の区に跨る例はたくさんあります。-->
 
*2008年10月15日 区名案の募集を開始(2008年11月14日まで)
 
*2008年11月18日 政令指定都市移行に係る県市の基本協定を締結。
 
*2008年11月25日 第6回行政区画等審議会が開かれ、区名の候補が選定される。
 
**A区:北区、西区、緑区、けやき区、みどり区
 
**B区:中央区、中区、ひばり区、桜区、さくら区
 
**C区:南区、東区、あじさい区、ひばり区、光区
 
***「簡潔さ」「親しみやすさ」などを基準に、委員らが各区五候補を絞り込んだ。
 
***「橋本」「津久井」「大野」など、特定の地名を連想させる区名は候補から外された。
 
*2008年12月15日 相模原市民及び、相模原市内の勤務者・通学者を対象に、各区5候補の区名意向調査を開始。<br />(2009年1月14日まで)
 
*2008年12月20日 市議会12月定例会の本会議で、相模原市の政令指定都市の実現に関する意見書を可決する。
 
*2009年1月23日 区名意向調査の結果が明らかになり、最多得票がA区は北区、B区は中央区、C区は南区である。
 
*2009年1月26日 第7回行政区画等審議会が開かれ、A区は緑区、B区は中央区、C区は南区とする答申案をまとめる。
 
**A区の名称については、緑区とみどり区の合計数が北区の投票数を上回る事や、区内に水源地(津久井湖、宮ヶ瀬湖など)を有するため水源地としてふさわしい名称として選ばれる
 
*2009年2月4日 行政区画等審議会会長はA区を「緑区」B区を「中央区」C区を「南区」とする答申案を加山市長へ正式に答申した。
 
*2009年2月6日 市議会臨時会で、市民団体が制定を求めていた政令指定都市移行の是非を問う住民投票条例案を否決する。
 
*2009年3月24日 県議会2月定例会の本会議で、相模原市の政令指定都市の指定に関する意見書を可決する。
 
*2009年3月31日 県議会4会派が共同で、相模原市の政令指定都市への移行に慎重な対応を求める要望書を内閣総理大臣と総務大臣に提出する。
 
*2009年4月19日 当日付毎日新聞報道で、A区の名称について「緑区」ではなく「北区」にするよう、A区となる地域の住民からの陳情などが相次ぎ、A区の名称を市庁内で再検討していることが明らかとなった。<ref>[http://web.archive.org/20090421081308/mainichi.jp/area/kanagawa/news/20090419ddlk14010143000c.html 相模原市:政令市移行 「北区に」陳情続々 北部地域区名、市側対応に苦慮 /神奈川] 毎日新聞 2009年4月19日(2009年4月21日時点の[[インターネットアーカイブ]])</ref>
 
*2009年5月2日 当日付毎日新聞報道で、相模原市が市民団体「相模原市政令指定都市推進市民協議会」に対して補助金を支出していたことについて住民監査請求をしていた件について、「補助金支出に裁量権の逸脱、乱用があるような事実はうかがえない」として請求を棄却したことが報道された。<ref>[http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090502-00000009-mailo-l14 相模原市:市民協の補助金、住民監査請求を棄却 「裁量権逸脱の事実ない」 /神奈川]{{リンク切れ|date=2010年3月}} 毎日新聞 2009年5月2日</ref>
 
*2009年6月14日 当日付毎日新聞報道で、A区となる地域住民から出されている「A区を北区とすることについて」の陳情を不採択にし、審議会の答申通り「緑区」とする見通しが明らかとなった。<ref>[http://web.archive.org/20090619055306/mainichi.jp/area/kanagawa/news/20090614ddlk14010146000c.html 相模原市:政令市移行 新設行政区名、「北区」陳情不採択へ /神奈川] 毎日新聞 2009年6月14日(2009年6月19日時点の[[インターネットアーカイブ]])</ref>
 
*2009年7月3日 相模原市と[[総務省]]との事前協議がまとまったため、松沢成文知事が相模原市の政令指定都市移行実現を求める要望書を[[佐藤勉]]総務大臣宛てに提出する。(加山俊夫市長などが同行)
 
*2009年7月14日 政令指定都市推進本部会議で、行政区の名称(区名)を、行政区画等審議会の答申通り(A区は[[緑区 (相模原市)|緑区]]、B区は[[中央区 (相模原市)|中央区]]、C区は[[南区 (相模原市)|南区]])とする事や、津久井地域の地域自治区設置期間の変更及び、住所表記について決まった。(旧町名を冠した地域自治区の名称が住所表記から外れることになった。)
 
*2009年7月17日 [[市民団体]]が相模原市の政令指定都市の指定見送りを求める署名を総務大臣宛てに提出する。
 
*2009年10月2日 [[原口一博]]総務大臣が2010年4月1日より政令指定都市に移行することを市長と県知事に通知。
 
*2009年10月5日 市民団体が総務大臣の「相模原市の政令指定都市移行」指示に対する抗議文書を総務大臣宛てに提出する。
 
*2009年10月23日 [[鳩山由紀夫内閣]]がこの日の定例[[閣議]]で相模原市を2010年4月1日より政令指定都市に移行させる閣議決定を行った。
 
*2009年10月28日 当日付[[官報]]で、指定都市の指定に関する政令の一部を改正する政令(政令第251号)が公布され、政令指定都市への移行が正式に決まった。
 
*2009年12月21日 市議会12月定例会の本会議で、「相模原市区の設置等に関する条例」が可決され、区の名称(緑区・中央区・南区)・区域等が原案とおり決定する。
 
*2010年4月1日 政令指定都市に移行。
 
 
 
== 人口 ==
 
{{人口統計|code=14150|name=相模原市}}
 
*平均年齢 41.06歳(男性平均年齢:40.19歳、女性平均年齢:41.96歳)
 
*年少(0 - 14歳)人口比率 13.9%
 
*生産年齢(15 - 64歳)人口比率 70.0%
 
*老年(65歳 -)人口比率 16.0%
 
※全て2007年1月1日現在
 
 
 
{|class="sortable wikitable" style="text-align:right"
 
|+ 行政区の人口・面積と人口密度
 
|- style="font-size:small"
 
!class="unsortable"| 区名 ||  人口<br />(人) || 面積<br />(km<sup>2</sup>) || 人口密度<br />(人/km<sup>2</sup>)
 
|-
 
! [[緑区 (相模原市)|緑区]]
 
| {{formatnum:{{自治体人口/神奈川県|相模原市緑区}} }}
 
| {{formatnum:{{自治体面積/神奈川県|相模原市緑区}} }}
 
| {{formatnum:{{#expr: {{自治体人口/神奈川県|相模原市緑区}} / {{自治体面積/神奈川県|相模原市緑区}} round 2}} }}
 
|-
 
! [[中央区 (相模原市)|中央区]]
 
| {{formatnum:{{自治体人口/神奈川県|相模原市中央区}} }}
 
| {{formatnum:{{自治体面積/神奈川県|相模原市中央区}} }}
 
| {{formatnum:{{#expr: {{自治体人口/神奈川県|相模原市中央区}} / {{自治体面積/神奈川県|相模原市中央区}} round 2}} }}
 
|-
 
! [[南区 (相模原市)|南区]]
 
| {{formatnum:{{自治体人口/神奈川県|相模原市南区}} }}
 
| {{formatnum:{{自治体面積/神奈川県|相模原市南区}} }}
 
| {{formatnum:{{#expr: {{自治体人口/神奈川県|相模原市南区}} / {{自治体面積/神奈川県|相模原市南区}} round 2}} }}
 
|- class="sortbottom"
 
! 合計
 
| {{formatnum:{{自治体人口/神奈川県|相模原市}} }}
 
| {{formatnum:{{自治体面積/神奈川県|相模原市}} }}
 
| {{formatnum:{{#expr: {{自治体人口/神奈川県|相模原市}} / {{自治体面積/神奈川県|相模原市}} round 2}} }}
 
|- class="sortbottom"
 
|colspan="4" style="text-align:right;font-size:small" |({{自治体人口/神奈川県|source}}、{{自治体人口/神奈川県|date}})([http://www.gsi.go.jp/KOKUJYOHO/MENCHO-title.htm 全国都道府県市区町村別面積調] [[国土地理院]])
 
|}
 
 
 
== 市政 ==
 
市長と市議会については、従来[[統一地方選挙]]の後半日程において改選されてきたが、政令指定都市に移行したため、県知事・県議会と同じ前半日程で執り行うことになった。このため、[[第17回統一地方選挙|2011年の選挙]]から、神奈川県知事・県議会・市長・市議会が同日に投開票されるという全国的にも稀な'''[[ダブル選挙|カルテット選挙]]'''となり、市選挙管理委員会は、4つの選挙に関する事務を同時にこなすという難題を背負うことになった。なお、知事・市長が任期半ばで辞職(失職)、あるいは県議会・市議会が任期半ばで解散しない限り、この'''[[ダブル選挙|カルテット選挙]]'''は今後も続くことになる。
 
 
 
=== 歴代首長 ===
 
*相模原町長(町会議員による選挙)
 
**篠崎太一(1941年 - 1947年:2期)
 
**小林與次右ヱ門(1947年:1期)
 
*相模原町長(住民による直接選挙)
 
**小林與次右ヱ門(1947年 -1951年:1期)
 
**清水睦(1951年 - 1954年:1期)
 
*相模原市長(住民による直接選挙)
 
**清水睦(1954年 - 1955年:町長から継続、1期)
 
**小林與次右ヱ門(1955年 - 1959年:1期)
 
**山口茂治(1959年 - 1964年:2期途中で辞任)
 
**河津勝(1965年 - 1977年:3期)
 
**[[舘盛静光]](1977年 - 1997年:5期)
 
**[[小川勇夫]](1997年 - 2007年:3期途中の2007年3月21日逝去)
 
**[[加山俊夫]](2007年 - 現職)
 
 
 
=== 市組織 ===
 
*7局(総務局・企画市民局・健康福祉局・環境経済局・都市建設局・教育局・消防局)3区(緑区役所・中央区役所・南区役所)24部174課
 
**1977年8月1日から局制を導入したが、行政改革のため1986年4月1日に局制を廃止し、部制に移行した。
 
**2007年4月1日から政令指定都市移行を視野に入れ、再度、局制を導入した。
 
*職員定数:4,590人
 
 
 
=== 市議会 ===
 
{{main|相模原市議会}}
 
*[[議員定数]]:49人
 
{|class="wikitable"
 
|-
 
! cellpadding="5"|会派名
 
! cellpadding="5"|議席数
 
! cellpadding="5"|代表者
 
|-
 
|[[自由民主党 (日本)|自由民主党]]相模原市議団
 
!15
 
|久保田 義則
 
|-
 
|市民民主クラブ
 
!13
 
|岸浪 孝志
 
|-
 
|[[公明党]]相模原市議団
 
!8
 
|加藤 明徳
 
|-
 
|颯爽の会
 
!5
 
|長友 義樹
 
|-
 
|[[日本共産党]]相模原市議団
 
!5
 
|松永 千賀子
 
|}
 
※[[2015年]]([[平成]]27年)[[4月30日]]現在
 
 
 
*[[第16回統一地方選挙|2007年の統一地方選挙]]では、旧相模原市と津久井郡4町をそれぞれの選挙区として行われた。
 
**相模原選挙区(旧相模原市):定数46人
 
**津久井選挙区(旧津久井町):定数2人
 
**相模湖選挙区(旧相模湖町):定数1人
 
**藤野選挙区(旧藤野町):定数1人
 
**城山選挙区(旧城山町):定数2人
 
*[[2010年]]([[平成]]22年)[[4月1日]]に政令指定都市へ移行したため、区ごとに選挙区および選挙管理委員会が設けられた。
 
*[[第17回統一地方選挙|2011年の統一地方選挙]]から、市議会全体の定数を現行より3人減の49人に改めることとなり、各区(選挙区)の議員定数が定められた。
 
**緑区選挙区:定数12人
 
**中央区選挙区:定数18人
 
**南区選挙区:定数19人
 
 
 
== 国政・県政 ==
 
=== 国政 ===
 
衆議院議員選挙区(括弧内は各まちづくりセンター管内)
 
* [[神奈川県第14区]] 緑区東部(本庁・大沢)、中央区(全域)、南区東部(本庁・大野中・東林)
 
* [[神奈川県第16区]] 緑区西部(城山・津久井・相模湖・藤野)、南区西部(麻溝・新磯・相模台・相武台)【他では、厚木市・伊勢原市、愛甲郡】
 
** 政令指定都市移行前の出張所・総合事務所別による区割りは以下の通り。ただし、区割り自体に変更はない。
 
*** 第14区 - 本庁管内および橋本出張所・大野北出張所・大野中出張所・大野南出張所・大沢出張所・田名出張所・上溝出張所・東林出張所の管内
 
*** 第16区 - 麻溝出張所・新磯出張所・相模台出張所・相武台出張所・津久井総合事務所・相模湖総合事務所・城山総合事務所・藤野総合事務所の管内
 
** かつての[[中選挙区制]]の下では「[[神奈川県第3区 (中選挙区)|神奈川県第3区]]」に属した。[[1994年]]の[[公職選挙法]]改正による[[小選挙区制]]導入当初は当時の相模原市全域が単独で「神奈川県第14区」とされたが、[[2002年]]の区割り変更により南部の麻溝・新磯・相模台・相武台各出張所管内が「神奈川県第16区」に所属替えとなり、相模原市は2つの小選挙区に分割されることとなった。なお、旧津久井郡4町(現緑区西部)は、1994年当初から「神奈川県第16区」の所属である。
 
 
 
=== 県政 ===
 
神奈川県議会選挙区 (任期満了日[[2019年]]([[平成]]31年)[[4月29日]])
 
*[[緑区 (相模原市)|緑区]]選挙区(定数2人)
 
**自民(1)、民主(1)
 
*[[中央区 (相模原市)|中央区]](定数3人)
 
**自民(1)、公明(1)、民主(1)
 
*[[南区 (相模原市)|南区]](定数3人)
 
**自民(1)、民主(1)、共産(1)
 
※[[2015年]]([[平成]]27年)[[5月8日]]現在
 
*かつては、「相模原市選挙区」(定数8)及び、「津久井郡選挙区」(定数1)であったが、2町(津久井町・相模湖町)を編入した[[2006年]]([[平成]]18年)[[3月20日]]に、市町村の合併の特例に関する法律を適用し、「相模原市・津久井郡選挙区」(定数9)となったが、[[2007年]]([[平成]]19年)[[3月11日]]に残る2町(城山町・藤野町)も相模原市へ編入し、津久井郡が消滅した為、再び'''「相模原市選挙区」'''(定数9)となる。[[2010年]]([[平成]]22年)[[4月1日]]の政令指定都市移行に伴い、「相模原市選挙区」は区ごと(緑区:2、中央区:3、南区:4)に分割され、現職議員の所属選挙区も定められた。政令指定都市移行後、初めて実施された[[第17回統一地方選挙]]では、県議会の定数削減を受けて、南区の定数が4→3となった。
 
 
 
== 公共機関 ==
 
=== 警察 ===
 
[[ファイル:Sagamihara Police Station.JPG|thumb|相模原警察署]]
 
[[ファイル:Sagamihara Kita police station.jpg|thumb|相模原北警察署]]
 
*[[神奈川県警察]]
 
**[[相模原市警察部]]([[政令指定都市]]に移行した[[2010年]]4月に設置)
 
***[[相模原警察署]]([[1926年]]7月分署から昇格)
 
***[[相模原南警察署]]([[1974年]]8月開署)
 
***[[相模原北警察署]]([[2006年]]4月開署)
 
***[[津久井警察署]]([[1886年]]12月開署)
 
 
 
=== 消防 ===
 
*[[相模原市消防局]]
 
**相模原消防署(1958年1月開署)
 
**南消防署(1975年4月分署から昇格)
 
**北消防署(1999年10月分署から昇格)
 
**津久井消防署(旧[[津久井郡広域行政組合]]消防署)
 
 
 
=== 国の機関 ===
 
* [[横浜地方裁判所]]相模原支部、[[横浜家庭裁判所]]相模原支部、[[相模原簡易裁判所]]
 
* [[法務省]]横浜[[地方法務局]]相模原支局
 
* 法務省[[東京矯正管区]][[横浜刑務所]]相模原[[拘置支所]]
 
* 法務省東京矯正管区神奈川[[医療少年院]]
 
* [[横浜地方検察庁]]相模原支部、[[相模原区検察庁]]
 
* [[外務省]]研修所
 
* [[国税庁]][[東京国税局]]相模原[[税務署]]
 
* [[厚生労働省]][[神奈川労働局]]相模原[[労働基準監督署]]
 
* 厚生労働省神奈川労働局相模原[[公共職業安定所]]
 
* [[防衛省]][[陸上自衛隊]][[座間駐屯地]]、[[中央即応集団]][[司令部]]
 
* [[防衛装備庁]]陸上装備研究所
 
 
 
=== 医療 ===
 
==== 救急指定病院 ====
 
*神奈川県厚生農業協同組合連合会 [[相模原協同病院]](緑区橋本2-8-18)
 
*医療法人財団明理会 相原病院(緑区相原5-12-5)
 
*医療法人社団哺育会 さがみリハビリテーション病院(中央区下九沢54-2)
 
*医療法人社団仁和会 相模原伊藤病院(中央区相模原4-11-4)
 
*社会福祉法人ワゲン福祉会 総合相模更生病院(中央区小山3429)
 
*医療法人社団徳寿会 相模原中央病院(中央区富士見6-4-20)
 
*梨本病院(中央区光が丘1-8-7)
 
*独立行政法人地域医療機能推進機構 相模野病院(中央区淵野辺1-2-30)
 
*医療法人社団相和会 渕野辺総合病院(中央区淵野辺3-2-8)
 
*[[北里大学病院]](南区北里1-15-1)
 
*[[北里大学東病院]](南区麻溝台2-1-1)
 
*[[国立病院機構相模原病院]](南区桜台18-1)
 
*医療法人社団仁恵会 黒河内病院(南区豊町17-36)
 
*東芝健康保険組合 東芝林間病院(南区上鶴間7-9-1)
 
*医療法人社団蒼紫会 森下記念病院(南区東林間4-2-18)
 
*丘整形外科病院(南区新磯野2-7-10)
 
*[[相模原赤十字病院]](緑区中野256)
 
*医療法人社団悠心会 森田病院(緑区三ケ木627)
 
 
 
==== 夜間・休日診療 ====
 
* 相模原メディカルセンター急病診療所(中央区富士見6-1-1 ウェルネスさがみはら1階)
 
* 相模原南メディカルセンター急病診療所(南区相模大野4-4-1 グリーンホール相模大野1階)
 
* 相模原北メディカルセンター急病診療所(緑区西橋本5-3-21 緑区合同庁舎1階)
 
* 休日急患歯科診療所(中央区富士見6-1-1 ウェルネスさがみはら2階)
 
* 相模原西メディカルセンター急病診療所(緑区中野1681-1)
 
 
 
=== その他 ===
 
*[[独立行政法人]][[宇宙航空研究開発機構]][[宇宙科学研究所]](旧宇宙科学研究本部)
 
*[[独立行政法人]][[国民生活センター]]
 
*[[東京国立近代美術館フィルムセンター]]相模原分館
 
 
 
== 軍事施設 ==
 
[[戦前]]、軍都計画のもと、軍施設が多数設置され、[[道路]]が整備された。敗戦により計画は中止されたが、軍施設は米軍に接収され、現在も[[相模総合補給廠]]や[[キャンプ座間]]、[[鶴間|上鶴間]]の[[アメリカ軍|米軍]][[相模原住宅地区]](Sagami Housing Area)が残っている。
 
 
 
市南部にはかつて陸軍士官学校があり、[[昭和天皇]]の行幸を仰いだ事がある。「[[相武台]]」はその際、昭和天皇によって命名された地名である。
 
 
 
また、[[横浜線]]原町田駅(現:[[町田駅]])と士官学校の間に整備された道路は現在も「'''行幸道路'''」と呼ばれている。
 
 
 
日米合意に基づき、2013年3月26日付をもって[[陸上自衛隊]]の機動運用部隊である[[中央即応集団]][[司令部]]が[[朝霞駐屯地]]より移駐、「[[座間駐屯地]]」が開庁した。
 
 
 
=== 終戦時の軍事施設 ===
 
{| class="wikitable"
 
!施設名!!開設年!!戦後の利用
 
|-
 
|[[陸軍士官学校 (日本)|陸軍士官学校]]||1937年||米軍キャンプ座間
 
|-
 
|rowspan="2"|陸軍士官学校相武台演習場||rowspan="2"|&nbsp;||[[麻溝台]]・新磯野入植地 →[[北里大学]]、麻溝台工業団地、県公社相武台団地、ほか
 
|-
 
|米軍座間小銃射撃場(1969年返還) →県立[[相模原公園]]
 
|-
 
|臨時東京第三陸軍病院||1938年||国立相模原病院(現[[国立病院機構相模原病院]])
 
|-
 
|相模原[[陸軍造兵廠]]||1938年||rowspan="2"|米軍相模総合補給廠
 
|-
 
|[[陸軍技術研究所]]||&nbsp;
 
|-
 
|相模原集団住宅<br />(造兵廠工員住宅)||&nbsp;||星が丘住宅地
 
|-
 
|[[陸軍兵器学校]]||1938年||[[麻布大学]]、市立大野北中学校、防衛庁技術研究本部(現防衛装備庁陸上装備研究所)ほか
 
|-
 
|電信第一聯隊||1939年||米軍相模原住宅地区
 
|-
 
|[[陸軍通信学校]]||1939年||[[相模女子大学]]、[[相模原市立大野南中学校]]、県立相模台工業高校(現県立神奈川総合産業高校)
 
|-
 
|[[相武台陸軍病院|相模原陸軍病院]]||1940年||米陸軍医療センター(1981年返還)<br />→[[グリーンホール相模大野]]、市営駐車場・駐輪場、相模大野中央公園、外務省研修所、国家公務員相模大野住宅、県立相模大野高校、住宅団地(ロビーシティ相模大野五番街)、伊勢丹相模原店
 
|-
 
|[[陸軍機甲整備学校]]||1943年||米軍キャンプ淵野辺(1974年返還)<br />→[[淵野辺公園]]、[[宇宙科学研究所]]、県立弥栄高校、相模原市立博物館、東京国立近代美術館フィルムセンター相模原分館ほか
 
|}
 
 
 
* 相模原陸軍病院は、当初「陸軍原町田衛戍病院」という呼称であった。
 
* '''星が丘'''という地名は陸軍[[徽章]]の星に由来するとされている。
 
 
 
== 旧跡・名所・文化施設・レジャー・その他 ==
 
=== 名所・旧跡 ===
 
*[[勝坂遺跡]](国の[[史跡]])
 
*[[田名向原遺跡]](国の史跡)
 
*[[川尻石器時代遺跡]](国の史跡)
 
*[[寸沢嵐石器時代遺跡]](国の史跡)
 
*[[石井家住宅]](国の史跡)
 
*[[無量光寺 (相模原市)|無量光寺]]
 
*[[津久井城]]址
 
 
 
=== 公園 ===
 
[[ファイル:Sagamihara Park.jpg|thumb|240px|相模原公園と一体に整備されている相模原麻溝公園の展望台]]
 
*[[相模原公園|県立相模原公園]]
 
*[[鹿沼公園|市立鹿沼公園]]
 
*[[相模原麻溝公園|市立相模原麻溝公園]]
 
**[[相模原麻溝公園競技場]](相模原ギオンスタジアム)
 
*市立相模原北公園
 
*[[淵野辺公園|市立淵野辺公園]]
 
**市立淵野辺公園アイススケート場・水泳プール([[銀河アリーナ]])
 
**[[相模原市立相模原球場|市立相模原球場]](サーティーフォー相模原球場)
 
*市立道保川公園
 
*[[相模原市立総合体育館]]
 
*[[相模原市立総合水泳場|市立総合水泳場]](さがみはらグリーンプール)
 
*[http://www.kanagawa-park.or.jp/tsukuikoshiroyama/index.html/ 県立津久井湖城山公園]
 
*県立相模湖公園
 
 
 
=== 緑道 ===
 
*相模緑道緑地
 
:[[灌漑]][[用水路]](畑かん水路)の「東幹線用水路」と「東幹線用水路大野支線」を[[歩行者]]と[[自転車]]のみ通行可能な遊歩道・緑道として[[神奈川県]]が整備(現在の管轄は相模原市)。隣接する[[大和市]]の[[大和市#緑道・自転車道|大和歩行者専用道]]から続いており、相模原市内では延長約10.5kmである。<ref>[http://www.city.sagamihara.kanagawa.jp/shisetsu/kouen_kankou/kouen_ryokuchi/005819.html 相模緑道緑地](相模原市)</ref>
 
*さがみの仲よし小道
 
:相模緑道緑地と同様に灌漑用水路「西幹線用水路」を遊歩道・緑道として整備。計画延長約5kmのうち[[2004年]]時点で約3.5kmが整備済みである。[[座間市]]にもまたがる。名称は一般公募による。<ref>[http://www.city.sagamihara.kanagawa.jp/shisetsu/kouen_kankou/kouen_ryokuchi/005813.html さがみの仲よし小道](相模原市)</ref>
 
 
 
=== 図書館 ===
 
*[[相模原市立図書館|市立図書館]]
 
**市立図書館相武台分館
 
*市立相模大野図書館
 
*市立橋本図書館
 
*その他公民館図書室等
 
 
 
=== 博物館・記念館 ===
 
[[File:Hayabusa-5.jpg|thumb|相模原市立博物館]]
 
*[[相模原市立博物館]]
 
*[[相模川ふれあい科学館|市立相模川ふれあい科学館]]
 
*[[相模の大凧センター|市立相模の大凧センター]]
 
*[[尾崎行雄|市立尾崎咢堂記念館]]
 
*[[相模原市民ギャラリー]]
 
 
 
=== ホール ===
 
*市立市民会館([[相模原市民会館]]・相模原南市民ホール)
 
*[[グリーンホール相模大野|市立文化会館]](相模原市文化会館)
 
*[[ミウィ|市立杜のホールはしもと]]
 
 
 
=== レジャー・自然 ===
 
[[ファイル:Carp streamer.jpg|thumb|240px|相模川に5本のワイヤーを渡し約1200匹の[[鯉のぼり]]が泳ぐ「およげ鯉のぼり相模川」]]
 
*[[相模川]]
 
*[[津久井湖]]
 
*[[宮ヶ瀬湖]]
 
*[[相模湖]]
 
*[[さがみ湖リゾート プレジャーフォレスト]]
 
*[[城山 (東京都・神奈川県)|城山]]
 
*市立自然の村(相模川自然の村)
 
*[[石老山]]
 
*[[陣馬山]]
 
*[[道志川]]
 
*[[早戸大滝]]([[日本の滝100選]])
 
 
 
== 祭事・催事 ==
 
=== 祭り ===
 
[[ファイル:Sakura Festival 2009 in Sagamihara 1.jpg|thumb|市民桜まつり]]
 
* 的祭 - 1月6日。田名八幡宮で開催される。市の無形民俗文化財に指定されている。
 
* 市民桜まつり - 4月上旬(2日間)。市役所さくら通りで開催される。統一地方選が行われる年は5月中旬に若葉まつりとして開催する。
 
* 相模の大凧 - 5月(節句)。新磯地区で14.4メートル四方の大凧があげられる。かながわのまつり50選に選定されている。
 
* 上溝夏祭り - 7月下旬。かながわのまつり50選に選定されている。
 
* さがみ湖湖上祭花火大会 - 8月1日。[[相模湖]]湖畔で開催される。打上玉数は5000発である<ref>[http://www.e-sagamihara.com/event/august/0705/index.html さがみ湖湖上祭花火大会]</ref>。
 
* 橋本七夕まつり - 8月上旬。かながわのまつり50選に選定されている。
 
* 人形浄瑠璃 - 8月中旬。大石神社で開催される。
 
* 藤野の祭り - 8月中旬。かながわのまつり50選に選定されている。
 
* 小倉橋灯ろう流し - 8月16日。相模川の[[小倉橋 (相模川)|小倉橋]]下の河原で開催される。
 
* 納涼花火大会 - 8月最終土曜日。相模川の高田橋付近で開催される。
 
* 城山夏祭り - 8月27日、28日。川尻八幡宮周辺で開催される。
 
* 相模原よさこいRANBU - 9月中旬。
 
* [[泳げ鯉のぼり相模川]]
 
上記の他に、橋本、相模原などでねぶたカーニバルやあんどん祭りなどが開催されている。
 
 
 
=== 伝統芸能 ===
 
下記は、いずれも[[1976年]](昭和51年)[[10月19日]]に[[神奈川県指定文化財一覧#無形民俗文化財|神奈川県の無形民俗文化財]]に指定されている。
 
* [[下九沢の獅子舞]] - 8月下旬に下九沢御嶽神社で開催される。
 
* [[大島の獅子舞]] - 8月下旬に[[諏訪明神 (相模原市)|諏訪明神]]で開催される。
 
* [[鳥屋の獅子舞]] - 8月第2土曜日に諏訪明神で開催される。
 
 
 
== 経済 ==
 
[[ファイル:Hashimoto, Sagamihara.jpg|thumb|240px|[[橋本 (相模原市)|橋本地区]]<br />国の[[都市再生特別措置法]]に基づく「[[都市再生緊急整備地域]]」の指定地域である。]]
 
相模原市の小売店舗数は、県下で第4位。年間販売額は、[[横須賀市]]を抜き、[[横浜市]]、[[川崎市]]に次いで第3位。
 
 
 
市民ニーズに対応できる多様で個性的な商業地を形成する目的で、橋本・相模原・相模大野各駅周辺地区が中心商業地に、淵野辺・上溝・小田急相模原・東林間・古淵各駅周辺の地区が地区中心商業地に位置付けられている。相模大野駅西側、小田急相模原駅東側では現在、再開発が計画されており、一部では事業が始まっている。また、再開発が一段落した橋本駅北側でも、さらに超高層マンションの計画や、南側が緊急都市再生地域に指定されたことによる再開発計画が検討されている。
 
 
 
=== 主な商業施設 ===
 
[[ファイル:Isetan sagamihara.JPG|thumb|240px|[[伊勢丹]]相模原店]]
 
[[ファイル:Bono-sagamiono.jpg|thumb|240px|ボーノ相模大野]]
 
*[[伊勢丹]]相模原店
 
*[[横浜岡田屋|相模大野岡田屋モアーズ]]
 
*[[イオン (店舗ブランド)|イオン]]橋本店、[[イオン相模原ショッピングセンター]]
 
*[[ザ・ビッグ]]相模原西橋本店、相模原東橋本店
 
*[[アリオ橋本]]
 
*[[イトーヨーカ堂|イトーヨーカドー]]古淵店、相模原店([[小田急相模原駅]]南口)、[[アリオ橋本]]店
 
*[[ヨークマート]]富士見店、田名店
 
*[[ダイエー]]上溝店、津久井店
 
*[[ダイエー|グルメシティ]]二本松店、光が丘店、淵野辺本町店
 
*[[ライフコーポレーション|ライフ]]相模原モール店、[[相模原駅]]ビル店、上鶴間店、[[相模大野駅]]前店([[ボーノ相模大野]]内)、相模原若松店
 
*[[三和]]東林間店、相模台店、麻溝店、西橋本店、豊町店、南橋本店、並木店、番田店、相模大野店、東林間西口店、上溝店、富士見店、相模原中央店(グッデイプレイス相模原<旧[[アイワールド]]>内)、上鶴間店
 
*[[三和|フードワン]]大野台店、下九沢店、矢部店、淵野辺店
 
*[[ロピア]]西橋本店、[[ミウィ橋本]]店
 
*[[スーパーアルプス]]城山店、塩田店、陽光台店、相模原インター店(コピオ相模原インター内)
 
*[[ヤオコー]]鹿沼台店、下九沢店、光が丘店
 
*[[ミロード#相模大野ステーションスクエア|相模大野ステーションスクエア]]
 
*[[ボーノ相模大野]]
 
*[[ニトリモール相模原]]
 
*[[ミウィ]]橋本
 
*[[松竹マルチプレックスシアターズ|MOVIX]]橋本
 
*[[カインズ|カインズホーム]]相模原塩田店、城山店
 
*[[ロイヤルホームセンター]]相模原橋本店
 
*[[コーナン|ホームセンターコーナン]]相模原西橋本店、相模原小山店
 
*[[コメリ]]原当麻店、津久井店
 
*[[ユニディ]]相模大野店
 
*[[島忠ホームズ]]相模原店
 
*[[ドン・キホーテ (企業)|ドン・キホーテ]]MEGA上鶴間店、SING橋本駅前店、MEGA古淵店
 
*[[ヨークマート]]富士見店、田名店
 
 
 
=== 金融機関 ===
 
*[[横浜銀行]] 上溝支店、古淵支店、相模大野支店、相模原駅前支店、橋本支店、東林間支店、淵野辺支店、中野支店、相模原駅前支店相模原市役所出張所
 
*[[みずほ銀行]] 相模大野支店、小田急相模原支店、相模原支店、橋本支店
 
*[[三菱UFJ銀行]] 相模大野支店、相模大野駅前支店、相模原支店、相模原中央支店、橋本支店
 
*[[三井住友銀行]] 相模大野支店(相模原支店は神奈川県座間市相模が丘に所在する)
 
*[[りそな銀行]] 相模大野支店、橋本支店
 
*[[静岡銀行]] 相模大野支店、橋本支店
 
*[[スルガ銀行]] 相模原支店、東林間支店
 
*[[三井住友信託銀行]] 相模大野支店
 
*[[東日本銀行]] 相模原支店
 
*[[神奈川銀行]] 相模台支店
 
*[[山梨中央銀行]] 相模原支店
 
*[[静岡中央銀行]] 番田支店
 
*[[きらぼし銀行]] 大沼支店、上溝支店、古淵支店、相模大野支店、相模台支店、相模原支店、田名支店、東林間支店、二本松支店、橋本支店、淵野辺支店、南淵野辺支店、城山支店
 
*[[ゆうちょ銀行]] 橋本店(正式名称はさいたま支店橋本出張所)(市内にあるその他の郵便局はゆうちょ銀行の代理店業務のみ)
 
** [[日本郵便]] 郵便局(直営店)55局。[[橋本郵便局 (神奈川県)|橋本郵便局]]を除く各局の貯金窓口
 
*[[平塚信用金庫]] 相模台支店、相模野支店、相模原中央支店
 
*[[西武信用金庫]] 橋本支店、矢部支店
 
*[[城南信用金庫]] 淵野辺支店
 
*[[山梨信用金庫]] 橋本支店、相模原中央支店、相模湖支店、津久井支店、城山支店、藤野支店
 
*[[神奈川県医師信用組合]] 相模原支店
 
*[[神奈川県歯科医師信用組合]] 相模原支店
 
*[[相愛信用組合]]<small>(旧:半原信用組合)</small> 相北支店、津久井湖支店、相模湖支店
 
*[[中央労働金庫]] 相模原支店、相模大野ローンセンター(預金業務等は一切行っていない)
 
*[[多摩信用金庫]] 相模原支店、橋本支店
 
 
 
== 産業 ==
 
=== 農業 ===
 
[[明治]]から[[昭和]]初期にかけて当市域では[[養蚕]]が農家の主要な収入源として盛んに行われた。この時期の[[地形図]]では台地上が「桑畑」の記号で埋め尽くされている(ただし、相模原周辺では防風などの目的で畑の周囲に桑を植えることが行われており、このような「畑」を地図上で「桑畑」としていることも多いようである。なお、このように畑の周囲に植えられた桑の木を'''マワリックワ'''などと呼ぶ)。'''相模原市'''が発足した[[1954年]]の市域内の桑園面積は約600ha超、養蚕戸数が約2,500戸で、繭の生産量について神奈川県の3分の1を占めていた。また、畑では麦類や芋類が中心に生産されていた。しかし、都市化の進行とともに養蚕は急速に衰退し、畑での栽培作物も野菜類と花卉類に主力が移っている。
 
 
 
一方で、東京や横浜という大消費地をひかえ、[[養豚]]や[[養鶏]]、[[酪農]]という[[畜産業]]も盛んに行われた。養豚は、相模原台地南部に続く旧高座郡下の他の各町村と共に[[大正]]期以降に盛んとなり、[[昭和]]初期に[[イギリス]]から導入された「中ヨークシャー種」の豚は'''[[高座豚]]'''の名で広く知られた。養鶏が特に盛んになったのは[[1960年代]]以降である。[[麻溝台]]には規模の大きな鶏舎が建てられ、[[1980年]]の市内の鶏卵生産額は31億円余りに達した。また1960年代には乳牛の飼育頭数が増え、乳業メーカーへの牛乳出荷が盛んになった。しかし都市化が進行するとともに[[悪臭]]の発生などによって経営が困難となり、いずれも衰退している。
 
 
 
市発足以前の[[1950年]]当時の農家戸数は総世帯数の約40%を占める約5,500戸で、うち約3,000戸が[[専業農家]]であった。しかし都市化の進行とともに農家数は減少を続け、[[2000年]]には1,600戸に満たず(総世帯数の1%にも満たない)、専業農家はわずかに155戸となっている。[[1954年]]に4,500haを超えた経営耕地面積は、2000年には700ha未満にまで減少している。
 
 
 
現在、旧相模原市域で農業が盛んに行われているのは西部の大沢・田名・麻溝・新磯地区であり、それ以外の区域では住宅や工場の進出が著しい。
 
 
 
=== 工業 ===
 
平らな土地が広がっているので、戦後は工場の進出が進み、内陸工業都市として発展を続けている。[[1955年]]に「工場誘致条例」が制定され、工場誘致が進められ、それまでの養蚕、製糸などの手工業から、電気機械、金属製品といった組立加工型工業が多く見られるようになった。内陸工業都市として知られていた相模原市も、昨今では、産業構造転換のあおりを受け、大型工場などの多くが廃業を余儀なくされ、大型マンションや商業地として生まれ変わりつつある。
 
 
 
=== 市内の主な企業 ===
 
*[[ブックオフコーポレーション]](本社所在地・創業地、相模原市)
 
*[[デュプロ]](本社所在地が相模原市)
 
*[[AGCマテックス|AGCマテックス株式会社]](本社所在地が相模原市)
 
*[[アイダエンジニアリング]](本社所在地が相模原市)本社工場、津久井工場
 
*[[シュルンベルジェ]] (本社所在地が相模原市)淵野辺本社テクノロジーセンター<br />※米国シュルンベルジェ社100%出資日本法人、アジア地域開発・生産拠点
 
*[[住宅情報館]](本社所在地が相模原市)
 
*[[オハラ (ガラスメーカー)|オハラ]](本社所在地及び工場が相模原市)
 
*[[日本電気]] 相模原事業場、相模原研究所
 
*[[日産自動車]] 相模原部品センター
 
*[[東プレ]] 相模原事業所
 
*[[昭和電線ホールディングス]]
 
**昭和電線デバイステクノロジー 相模原事業所
 
**昭和電線ケーブルシステム 相模原事業所
 
*[[三菱重工業]] 汎用機・特車事業本部
 
*[[キャタピラージャパン]](旧社名:新キャタピラー三菱) 相模事業所、相模開発センター
 
*[[三菱電機]] 鎌倉製作所相模工場、システム基盤工場
 
*[[カルピス]] 商品開発研究所、健康・機能性食品開発研究所、基礎研究フロンティアラボラトリー(相模工場閉鎖により、物流センターのみ)
 
*[[凸版印刷]] 相模原工場
 
*[[マイクロンメモリジャパン]] 開発センター
 
*[[東急建設]] 技術研究所
 
*[[東横化学]] 相模原事業所
 
*[[ユニリーバ・ジャパン]] 相模原工場
 
*[[日本山村硝子]] 東京工場
 
*[[スリーエム ジャパン]] 相模原事業所
 
*[[横河電機]] 相模原事業所
 
*[[大和製罐]] 東京工場、総合研究所、技術開発センター
 
*[[KYB]] 相模工場(旧社名:カヤバ工業)
 
*[[ニコン]] 相模原製作所
 
*[[日本板硝子]] 相模原事業所
 
*[[すかいらーく]] 相模原マーチャンダイジングセンター
 
*[[アマノ]] 津久井事業所
 
*スリーボンド高分子株式会社 相模原工場
 
*[[富士工業]] 本社、相模原工場
 
*[[三栄ハウス]](本社所在地・創業地が相模原市)
 
*[[プライムデリカ]]本社・相模原工場
 
*[[わらべや日洋]]相模原工場・デザート工場
 
*[[ニッセイデリカ]]相模原工場
 
*[[スポーツクラブ相模原]]
 
 
 
=== 以前拠点を置いていた企業 ===
 
*[[日本金属工業]](現在はアリオ橋本などが進出している)
 
*[[帝人|帝人デュポンフィルム]](現在は[[コーナン]]相模原小山モールなどが進出している)
 
*[[日本マランツ]](現:株式会社ディーアンドエムホールディングス)本社及び工場が相模原市にあった。(解体されマンションが建っている)
 
*[[ティエムシー|ペイントハウス]]([[東京都]][[多摩市]]に移転)
 
*[[新日鉄エンジニアリング]] (現在は物流センターが建っている)
 
*[[セントラル自動車]]([[宮城県]][[大衡村]]に移転)
 
*[[XLRタイプコネクター|アイティティキャノン]](工場が相模原市にあり、音響機器用コネクタを生産していた。[[神奈川県]][[座間市]]に移転)
 
 
 
== 教育 ==
 
=== 大学 ===
 
* [[青山学院大学]]相模原キャンパス
 
* [[麻布大学]]
 
* [[桜美林大学]]PFC(プラネット淵野辺キャンパス)
 
* [[北里大学]]相模原キャンパス
 
* [[相模女子大学]]
 
* [[女子美術大学]]相模原キャンパス
 
* [[帝京大学]]相模湖キャンパス
 
 
 
=== 短期大学 ===
 
* [[相模女子大学短期大学部]]
 
* [[和泉短期大学]]
 
 
 
=== 高等学校 ===
 
相模原市では、[[学校教育法]]に規定する高等学校、中等教育学校後期課程、高等専門学校及び専修学校高等課程に在学する者を対象に、「相模原市奨学金条例」に基づく奨学金制度がある。なお、奨学金には返還義務がある。
 
;県立
 
*[[神奈川県立相原高等学校|相原高等学校]]
 
*[[神奈川県立麻溝台高等学校|麻溝台高等学校]]
 
*[[神奈川県立相模原青陵高等学校|相模原青陵高等学校]]
 
*[[神奈川県立神奈川総合産業高等学校|神奈川総合産業高等学校]]
 
*[[神奈川県立上鶴間高等学校|上鶴間高等学校]]
 
*[[神奈川県立上溝高等学校|上溝高等学校]]
 
*[[神奈川県立上溝南高等学校|上溝南高等学校]]
 
*[[神奈川県立相模原高等学校|相模原高等学校]]
 
*[[神奈川県立相模原総合高等学校|相模原総合高等学校]]
 
*[[神奈川県立相模田名高等学校|相模田名高等学校]]
 
*[[神奈川県立城山高等学校|城山高等学校]]
 
*[[神奈川県立相武台高等学校|相武台高等学校]]
 
*[[神奈川県立津久井高等学校|津久井高等学校]]
 
*[[神奈川県立橋本高等学校|橋本高等学校]]
 
*[[神奈川県立弥栄高等学校|弥栄高等学校]]
 
 
 
;私立
 
*[[麻布大学附属高等学校]]
 
*[[相模原高等学校 (私立)]]
 
 
 
=== 中高一貫校===
 
;県立
 
*[[神奈川県立相模原中等教育学校|相模原中等教育学校]]
 
 
 
;私立
 
*[[相模女子大学中学部・高等部]]
 
*[[東海大学付属相模高等学校・中等部]]
 
 
 
=== 幼稚園・小学校・中学校 ===
 
幼稚園・小学校・中学校については各区の記事を参照されたい。
 
*[[緑区 (相模原市)|緑区]]
 
*[[中央区 (相模原市)|中央区]]
 
*[[南区 (相模原市)|南区]]
 
 
 
=== インターナショナルスクール ===
 
*[http://www.lca-elementary.com/ LCA国際小学校]([[教育特区]]である相模原市に設立された日本初の株式会社立小学校)
 
 
 
=== 小中高一貫校 ===
 
*[[シュタイナー学園初等部・中等部・高等部]]
 
 
 
=== 認定こども園 ===
 
;幼稚園型認定こども園
 
*認定こども園田名幼稚園
 
*認定こども園ひばりっ子クラブ
 
 
 
=== 特別支援学校 ===
 
;公立(神奈川県立)
 
*[[神奈川県立相模原養護学校]]
 
*神奈川県立津久井養護学校
 
 
 
=== 学校教育以外の施設 ===
 
;自動車教習所
 
* [[相模中央自動車学校]]
 
* [[相模湖自動車教習所]]
 
* [[橋本自動車学校]]
 
* [[セパルライディングスクール橋本]]
 
;公立保育所(相模原市立)
 
<div style="float: left; vertical-align: top; white-space: nowrap; margin-right: 1em;">
 
*麻溝台保育園
 
*田名保育園
 
*南大野保育園
 
*相模原保育園
 
*東林保育園
 
*大沼保育園
 
*南上溝保育園
 
</div>
 
<div style="float: left; vertical-align: top; white-space: nowrap; margin-right: 1em;">
 
*陽光台保育園
 
*谷口保育園
 
*大沢保育園
 
*上矢部保育園
 
*相原保育園
 
*文京保育園
 
*古淵保育園
 
</div>
 
<div style="float: left; vertical-align: top; white-space: nowrap; margin-right: 1em;">
 
*麻溝保育園
 
*新磯保育園
 
*相武台保育園
 
*中野保育園
 
*津久井中央保育園
 
*串川保育園
 
*串川東部保育園
 
</div>
 
<div style="float: left; vertical-align: top; white-space: nowrap; margin-right: 1em;">
 
*青野原保育園
 
*青根児童保育園
 
*鳥屋児童保育園
 
*与瀬保育園
 
*内郷保育園
 
*千木良保育園
 
*城山中央保育園
 
</div>
 
<div style="float: left; vertical-align: top; white-space: nowrap; margin-right: 1em;">
 
*城山西部保育園
 
*日連保育園
 
</div>{{clear}}
 
 
 
== 交通 ==
 
=== 鉄道 ===
 
*中心となる駅:[[相模大野駅]]、[[橋本駅 (神奈川県)|橋本駅]]
 
*市役所最寄駅:[[相模原駅]]
 
[[File:橋本駅 - panoramio - くろふね (1).jpg|thumb|[[橋本駅 (神奈川県)|橋本駅]]は[[東日本旅客鉄道|JR]][[横浜線]]、[[相模線]]及び[[京王相模原線]]が通る。]]
 
[[File:相模大野駅駅ビル内.jpg|thumb|[[相模大野駅]]は[[小田急電鉄|小田急]][[小田急小田原線|小田原線]]及び[[小田急江ノ島線|江ノ島線]]が分岐する。]]
 
[[File:South Entrance of JR Sagamihara Station in 2008.jpg|thumb|[[東日本旅客鉄道|JR]][[横浜線]]が通る[[相模原駅]]は相模原市役所の最寄駅である。]]
 
;[[東日本旅客鉄道]](JR東日本)
 
* [[横浜線]]
 
** [[古淵駅]] - [[淵野辺駅]] - [[矢部駅]] - [[相模原駅]] - [[橋本駅 (神奈川県)|橋本駅]]
 
* [[相模線]]
 
** [[相武台下駅]] - [[下溝駅]] - [[原当麻駅]] - [[番田駅 (神奈川県)|番田駅]] - [[上溝駅]] - [[南橋本駅]] - 橋本駅
 
* [[中央本線]]
 
** [[相模湖駅]] - [[藤野駅]]
 
; [[京王電鉄]](京王)
 
* [[京王相模原線|相模原線]]
 
** 橋本駅
 
; [[小田急電鉄]](小田急)
 
* [[小田急小田原線|小田原線]]
 
** [[相模大野駅]] - [[小田急相模原駅]]
 
* [[小田急江ノ島線|江ノ島線]]
 
** 相模大野駅 - [[東林間駅]]
 
 
 
==== 主要部へのアクセス ====
 
日中の東京・横浜方面への所要時間は以下のとおりである。なお、朝夕の通勤時間帯には5〜25分程度所要時間が余計にかかる場合もある。なお、ここでは中心市街地と認定されている地区の駅である橋本駅と相模大野駅を取り上げる。
 
 
 
===== 橋本駅 =====
 
* 東京方面
 
** 橋本 - [[新宿駅|新宿]](京王線[[特急列車|特急]]で37分)
 
** 橋本 - [[明大前駅|明大前]]乗換 - [[渋谷駅|渋谷]](京王線特急+[[京王井の頭線]][[急行列車|急行]]で約40分 ※乗換時間を含む)
 
** 橋本 -新宿乗換- [[東京駅|東京]](京王線特急+JR[[中央線快速|中央線快速電車]]で約55分 ※乗換時間を含む)
 
** 橋本 - [[笹塚駅|笹塚]]乗換 - [[本八幡駅|本八幡]]・[[京成八幡駅|京成八幡]]乗換 - [[空港第2ビル駅|成田空港]](京王線準特急+京王新線・都営線急行+[[京成本線]]特急で約2時間20分 ※乗換時間を含む)
 
* 横浜方面
 
** 橋本 - [[新横浜駅|新横浜]](JR横浜線快速で約35分)
 
** 橋本 - [[横浜駅|横浜]](JR横浜線快速で約45分)
 
 
 
===== 相模大野駅 =====
 
* 東京方面
 
** 相模大野 - 新宿(小田急線快速急行で約35分)
 
** 相模大野 - [[下北沢駅|下北沢]]乗換 - 渋谷(小田急線快速急行+京王井の頭線急行で約35分 ※乗換時間を含む)
 
** 相模大野 - 新宿乗換- 東京(小田急線快速急行+JR中央線快速電車で約60分 ※乗換時間を含む)
 
* 横浜方面
 
** 相模大野 - [[町田駅|町田]]乗換 - 新横浜(JR横浜線快速で約35分 ※乗換時間を含む)
 
** 相模大野 - [[大和駅 (神奈川県)|大和]]乗換 - 横浜(小田急江ノ島線快速急行+相鉄線急行で約30分 ※乗換時間を含む)
 
 
 
==== 鉄道の計画 ====
 
*[[東海旅客鉄道]]
 
**[[リニアモーターカー|リニア]][[中央新幹線]]の[[品川駅|品川]][[名古屋駅|名古屋]]間が2027年に開業予定。2013年9月に詳細なルートが公表された。神奈川県内の駅が橋本駅の南側、[[神奈川県立相原高等学校]]の敷地内<ref>相原高校自体は[[職業能力開発総合大学校]]相模原キャンパス跡地に移転予定。</ref>に、車両基地が緑区鳥屋に設置される。相模原市内は車両基地付近、相模川([[小倉橋 (相模川)|小倉橋]])付近、道志川(緑区青山)付近を除いて全線地下で敷設されるが、深度40メートル以内のため、「[[大深度地下]]の公共的使用に関する特別措置法」は適用されない。リニア新駅設置と連動して東海道新幹線新駅を[[倉見駅]]に誘致する計画が神奈川県主導で行われている。なお、相模原駅周辺の二つの地区自治会連合会から米軍補給廠跡地を活用した相模原駅への誘致を求める要望書が提出されていたが、米軍補給廠は全面返還されるわけではないため非現実的であり<ref>{{Cite web|date=2009-04-13|url=http://www.sokeinp.com/2009/0413/|title=相模経済新聞 リニア中央新幹線駅 候補地巡り橋本と相模原が誘致合戦|publisher=相模経済新聞|accessdate=2009-06-11}}</ref>、相模原駅案は立ち消えとなっている<ref>リニア中央新幹線「相模原駅」橋本が有力 相模経済新聞 2011年6月20日</ref>。
 
*[[小田急電鉄]]
 
**[[小田急多摩線]]が、[[東京都]][[多摩市]]にある現在の多摩線の終着駅である[[唐木田駅]]から[[相模原駅]]を経由して、[[上溝駅]]まで延伸する計画がある。この計画が実現すれば、[[小田急小田原線]]、[[小田急江ノ島線]]、[[京王相模原線]]と共に都心西部に繋がる動脈になる。また、相模原駅で横浜線と交差する場合には[[在日]][[米軍基地]][[相模総合補給廠]]を縦貫しなければならないが、想定しているルート(旧県道上溝立川線)については2014年9月30日、日本に返還された。上溝から先、[[愛川町]]方面まで延伸する構想もある。小田急多摩線が延伸すると、小田急電鉄のすべての路線が相模原市を通ることになる。
 
*[[東日本旅客鉄道]]
 
**[[横浜線]]の橋本駅から[[矢部駅]]までのうち、相模原駅を中心とする3.7kmを対象とした連続立体交差化の計画がある<ref>[http://www.kanaloco.jp/article/79101 「相模原駅中心に3・7キロ」 JR横浜線連続立体交差化 相模原市長明らかに](神奈川新聞:カナロコ 2015年3月1日)</ref>。
 
**[[相模線]]で、[[上溝駅]]と[[南橋本駅]]との間に[[作ノ口駅]]、[[相武台下駅]]と[[下溝駅]]との間に上磯部駅の設置が検討されている。また、全線にわたる複線化と編成車両数の増強への要望があるが、橋本駅付近の立体交差(ふれあい立体)や上溝駅新駅舎は複線化を考慮しない構造で設計されるなど実現の目途は立っていない。
 
<!--***これに先行し、上溝駅の交換駅化が検討されており、これが実現すると橋本 - 原当麻間のすべての駅で列車の交換が可能となる--本当か? そのように設計されているようには見えないが。-->
 
*相模原新交通(仮称)
 
**相模原市が主体となって、[[相模大野駅]]を基点とし、[[麻溝台]]を経由し、[[原当麻駅]]に至る新交通システムの導入が検討されている<ref>[http://www.city.sagamihara.kanagawa.jp/toshikotsu/20803/27891/index.html 新しい交通システム導入の推進]</ref>。当初は[[バス・ラピッド・トランジット]](BRT)の導入を検討していたが、沿線住民の反対意見が多く撤回した。
 
** 上記の経緯を踏まえて相模原市は「新しい交通システム導入検討委員会」を新たに設置し、交通形態の選定について引き続き協議している。
 
 
 
==== 計画が中止になった鉄道路線 ====
 
*[[南津電気鉄道]]
 
**[[1924年]]、[[南多摩郡]][[多摩市|多摩村]]関戸(現在の[[聖蹟桜ヶ丘駅]])から[[絹の道]]鑓水地区を経由して津久井郡[[川尻村 (神奈川県)|川尻村]](旧・城山町)までを結ぶ南津電気鉄道(南津は「南多摩郡」の「南」と「津久井郡」の「津」の意)の敷設も計画された。東京都八王子市の『絹の道資料館』近くには「鑓水停車場」と書かれた石碑が建っている。
 
*[[相武電気鉄道]]
 
**[[1927年]]、相武電気鉄道が設立され、[[鶴川駅]]から淵野辺駅・上溝駅を経由して、田名方面まで鉄道を建設する免許を取得し、([[神奈川県道・東京都道57号相模原大蔵町線]]とほぼ並行している)第1期線である淵野辺 - 田名間で工事に着工したが、恐慌による資金難によって断念し、解散を余儀なくされてしまった。
 
*[[西武多摩川線]]
 
**1960年代に、西武多摩川線は、[[多摩ニュータウン]]へのアクセス路線として[[是政駅|是政]]から多摩川を渡り、多摩ニュータウンを経て橋本まで延長する計画があったが、都心との連絡に当時輸送力が逼迫した中央線を経由する必要があったため、この計画は中止となった。
 
*[[小田急多摩線]]城山中央延伸計画
 
**小田急多摩線は、当初多摩センターから京王線の北側を通り、橋本で横浜線と直交し、旧・城山町の城山中央駅(仮称)まで延伸する計画で、1966年に免許を取得したが、京王線と平行し、採算が取れない可能性が非常に高かったため、1987年に免許を失効させた。
 
*[[京王相模原線]]相模中野延伸計画
 
**京王相模原線は、[[橋本駅 (神奈川県)|橋本駅]]より旧・津久井郡方面の相模中野(緑区中野、計画当時は津久井町)周辺まで延伸する計画があり、小田急と同じく1966年に免許を取得し用地買収も進めていたが、建設を断念、1988年に免許を失効させた。なお、相模原市のウェブサイトには、合併後のマスタープランにこの計画に関する記事が掲載されていたが、その後削除されている({{PDFlink|[http://www.city.sagamihara.kanagawa.jp/profile/gappei/sts/main/05/pdf/new-plan.pdf 新市まちづくり計画]}})。また、[http://www.pref.kanagawa.jp/osirase/07/0716/kentetsu/index.htm 神奈川県鉄道輸送力増強促進会議]の要望書に対して、京王電鉄は上下分離方式での延伸に含みを残すものの「単独での建設は極めて困難」と回答しており、橋本駅開業時に京王帝都電鉄(当時)と共に用地買収を行った不動産業者も京王線橋本駅の延長線上に自社ビルを建てたり、京王も国道413号線沿いに路線用地として確保していた土地の大半を売却したため、京王電鉄単独での延伸計画は中止となった。代替として[[津久井広域道路]]を活用した急行バスを橋本駅から運行させる案が浮上している。
 
 
 
===バス===
 
;路線バス
 
[[File:橋本駅バス停 - panoramio.jpg|thumb|200px|[[橋本駅 (神奈川県)|橋本駅]]バスターミナル]]
 
[[File:Kanachu-Poncho-Seseragi.jpg|thumb|200px|相模原市コミュニティバスせせらぎ号]]
 
*[[神奈川中央交通東・相模原営業所]]
 
*[[神奈川中央交通多摩営業所]]
 
*[[神奈川中央交通町田営業所]]
 
*[[神奈川中央交通東・大和営業所]]
 
*[[神奈川中央交通東・厚木営業所]]
 
*[[神奈川中央交通東・橋本営業所]]
 
*[[神奈川中央交通西・津久井営業所]]
 
*[[京王バス南]][[京王バス南・南大沢営業所|・南大沢営業所]]
 
*[[富士急山梨バス]]上野原営業所
 
市内のほぼ全域を[[神奈川中央交通]](神奈中)および、神奈中の子会社である[[神奈川中央交通東・橋本営業所|神奈川中央交通東]]・[[神奈川中央交通西・津久井営業所|神奈川中央交通西]]がカバーしているが、[[橋本駅 (神奈川県)|橋本駅]]北口およびJR[[相模原駅]]北口に[[京王バス南]]が、[[藤野駅]]に[[富士急山梨バス]]が、どちらも僅かながら乗り入れている。[[公営交通]]の運行実績はないが、「市営バス」の運行実績も旧津久井町からの引継ぎである市営循環バス(根小屋方面循環線「やまびこ号」。神奈川中央交通西が受託運行)以外なく、今後も市の方針として新規の開設予定はない。なお、コミュニティバスは橋本地区で「せせらぎ号」(橋30系統 アリオ橋本 - 橋本駅南口‐北の丘センター‐相模川自然の村)が、淵野辺地区で「大野北地区コミュニティバス」(淵40系統 矢部駅・相模野病院前 - 淵野辺駅北口 - 大野北地区)が、いずれも神奈川中央交通東により運行されている。
 
 
 
市内路線の乗車方式は武相運賃地域の対キロ制で、周辺地域と同様にほとんどが運賃後払い・整理券方式の中乗り前降りであるが、一部に前払い(前乗り中降り)の路線がある。また、市内を走る路線バスでは非接触型[[ICカード]]である[[PASMO]]と[[Suica]]が使用できる。
 
 
 
旧市内を走るバス路線の多くは[[相模大野駅]]、JR[[相模原駅]]、[[橋本駅 (神奈川県)|橋本駅]]、[[淵野辺駅]]、[[上溝駅|上溝]]、[[相模大野駅]]、[[小田急相模原駅]]、田名バスターミナル、[[相武台前駅]]([[座間市]]内)をターミナルとし、それぞれの駅相互間や市内中部域などへ路線を運行して鉄道の空白を補完している。また、[[北里大学病院]]・[[北里大学]]も各駅発着路線の結節点の機能を持つ。以前は旧上溝(現:上溝中央バス停)や[[国立病院機構相模原病院|国立相模原病院]]にもターミナル機能があったが、バス路線の再編によってターミナルとしての役割は大幅に低下した。一方で、橋本駅、JR相模原駅、淵野辺駅、古淵駅などからは[[東京都]][[町田市]]中部および西部や[[八王子市]]南部付近をエリアとする路線も発着しているほか、境川沿いを中心とした町田市との境界付近では、町田街道を走行する[[町田バスセンター|町田]] - 橋本駅・淵野辺駅などの町田駅発着路線や橋本駅 - 相原 - 法政大学・大戸などの路線も利用される。
 
 
 
市外への長距離路線としては、淵野辺駅から上溝・田名を経て愛川町の半原へ向かう路線や、橋本駅より八王子駅、本数は少ないものの相模原駅から[[南大沢駅]]を抜け[[聖蹟桜ヶ丘駅]]([[多摩市]])へ抜ける路線などが運行されている。以前はJR相模原駅および上溝、原当麻駅、相模大野などから[[本厚木駅]](座間経由および依知経由)や愛川町役場へ向かう路線も運行されていたが、数次の路線再編によって座間経由本厚木行きの路線や愛川町役場行きの路線は廃止、依知経由本厚木線は短縮されて[[原当麻駅]]からの発着となっている。
 
 
 
緑区の旧津久井郡地域では、橋本駅より旧城山町・津久井町への路線を数多く運行しているほか、緑区[[三ケ木]](みかげ)に置かれた営業所([[神奈川中央交通西・津久井営業所|津久井営業所]])をターミナルとして、[[相模湖駅]]、愛川町半原、清川村[[宮ヶ瀬]]などを結ぶ路線を運行している。また、旧藤野町域では藤野駅からの路線が主体となる。かつては三ヶ木から[[八王子駅]]、[[本厚木駅]]、[[平塚駅]]などへの長距離路線が運行されていた。
 
*[[1999年]]、不採算路線維持のために[[津久井神奈交バス]]が設立され、主に三ヶ木以西の路線が移管された。[[2002年]]以降、津久井営業所管内で数次にわたる路線の再編・廃止が進み、[[2004年]]9月には大幅な路線再編が行われた。[[2005年]]4月に神奈川中央交通は津久井営業所を[[神奈川中央交通相模原営業所|相模原営業所]]およびに統合、および津久井神奈交バスに全面受託し三ヶ木操車場・城山操車所に再編している。[[2017年]]1月には神奈川中央交通グループの乗合バス事業再編に伴い、津久井神奈交バスから神奈川中央交通西に変更となった。
 
 
 
=== 道路 ===
 
;高速道路
 
*[[中央自動車道]]:[[相模湖東出口]] - [[相模湖インターチェンジ|相模湖IC]] -([[藤野パーキングエリア|藤野PA]])([[中日本高速道路]])
 
*[[首都圏中央連絡自動車道|圏央道]]:[[相模原インターチェンジ|相模原IC]]、[[相模原愛川インターチェンジ|相模原愛川IC]]
 
;国道
 
*[[国道16号]](東京環状)※
 
*[[国道20号]]([[甲州街道]])※
 
*[[国道129号]](大山道)
 
*[[国道412号]](津久井道)
 
*[[国道413号]](津久井街道・道志みち)
 
*:※印のものは[[相武国道事務所]]の管轄である(そのほかは政令市である相模原市による管理)。
 
;県道
 
*[[山梨県道・神奈川県道35号四日市場上野原線|神奈川県道35号四日市場上野原線]]
 
*[[神奈川県道46号相模原茅ヶ崎線]]
 
*[[東京都道・神奈川県道48号鍛冶谷相模原線|神奈川県道48号鍛冶谷相模原線]]
 
*[[東京都道・神奈川県道51号町田厚木線|神奈川県道51号町田厚木線]](行幸道路)
 
*[[神奈川県道・東京都道52号相模原町田線|神奈川県道52号相模原町田線]](北里通り)
 
*[[神奈川県道54号相模原愛川線]]
 
*[[神奈川県道・東京都道57号相模原大蔵町線]](芝溝街道)
 
*[[神奈川県道60号厚木津久井線]]
 
*[[神奈川県道63号相模原大磯線]]
 
*[[神奈川県道64号伊勢原津久井線]](宮が瀬レイクライン)
 
*[[神奈川県道65号厚木愛川津久井線]](旧津久井街道)
 
*[[神奈川県道76号山北藤野線]]
 
*[[神奈川県道502号淵野辺停車場線]](こと座通り)
 
*[[神奈川県道・東京都道503号相模原立川線|神奈川県道503号相模原立川線]]
 
*[[神奈川県道504号相模原停車場線]](さがみ夢大通り)
 
*[[神奈川県道505号橋本停車場線]]
 
*[[東京都道・神奈川県道506号八王子城山線|神奈川県道506号八王子城山線]]
 
*[[神奈川県道507号相武台相模原線]](村富線)
 
*[[神奈川県道508号厚木城山線]](旧大山道、旧国道129号)
 
*[[神奈川県道509号相武台下停車場線]]
 
*[[神奈川県道510号長竹川尻線]]
 
*[[神奈川県道511号太井上依知線]]
 
*[[神奈川県道513号鳥屋川尻線]]
 
*[[神奈川県道514号宮ヶ瀬愛川線]]
 
*[[神奈川県道515号三井相模湖線]]
 
*[[東京都道・神奈川県道516号浅川相模湖線|神奈川県道516号浅川相模湖線]]
 
*[[神奈川県道517号奥牧野相模湖線]]
 
*[[神奈川県道518号藤野津久井線]]
 
*[[神奈川県道519号相模湖停車場線]]
 
*[[神奈川県道・山梨県道520号吉野上野原停車場線|神奈川県道520号吉野上野原停車場線]]
 
*[[神奈川県道・山梨県道521号佐野川上野原線|神奈川県道521号佐野川上野原線]]
 
*[[山梨県道・神奈川県道522号棡原藤野線|神奈川県道522号棡原藤野線]]
 
*[[神奈川県道523号藤野停車場線]]
 
*[[東京都道20号・神奈川県道525号府中相模原線|神奈川県道525号府中相模原線]]
 
;林道
 
*[[早戸川林道]]
 
*[[荒井林道]]
 
*[[奥野林道]]
 
*[[伊勢沢林道]]
 
*[[東南林道]]
 
*[[神の川林道]]
 
;建設中および計画中
 
*[[津久井広域道路]]
 
旧相模原市域と旧津久井郡4町を結ぶ道路で、国道412および413号線のバイパス機能も担う。圏央道(さがみ縦貫道路)のアクセス道路として建設が進められ、橋本五差路 - 根小屋(県道65号線との交点)間と勝瀬橋付近(旧勝瀬橋の架け替えに伴う)では既に部分供用されている。ルートは国道16号線橋本五差路から新小倉橋を通り、圏央道(さがみ縦貫道路)相模原ICにアクセスし、国道412号線、国道413号線と交差し、勝瀬橋を通って中央道相模湖IC付近に接続する予定となっている。しかし、都市計画道路城山津久井線を延長する形で区間に組み入れられた根小屋(県道65号線との交点) - 青山(国道412号線との交点)以西は都市計画決定されていない。
 
 
 
== 姉妹・提携都市 ==
 
=== 日本国内 ===
 
* [[銀河連邦]] - 当時の[[宇宙科学研究所]]の研究施設があった市町による友好都市。相模原市はサガミハラ共和国として登録。
 
**サンリクオオフナト共和国([[岩手県]][[大船渡市]])- 提携当時はサンリク共和国(岩手県[[気仙郡]][[三陸町]])
 
**ノシロ共和国([[秋田県]][[能代市]])
 
**サク共和国([[長野県]][[佐久市]])- 提携当時はウスダ共和国(長野県[[南佐久郡]][[臼田町]])
 
**ウチノウラキモツキ共和国([[鹿児島県]][[肝属郡]][[肝付町]])- 提携当時はウチノウラ共和国(鹿児島県[[肝属郡]][[内之浦町]])
 
*:[[1987年]][[11月8日]]友好都市提携(建国と称する)
 
**タイキ共和国([[北海道]][[広尾郡]][[大樹町]])2010年4月1日加盟
 
**カクダ共和国([[宮城県]][[角田市]])2016年4月1日加盟
 
* [[長野県]][[北佐久郡]][[立科町]]
 
**1984年、相模原市が立科町に市内在住者等が利用できる宿泊施設「相模原市民たてしな自然の村」を開村。双方の経済界や住民を中心とした相互交流が活発になってきたことから、2007年5月12日に「経済・観光に関わる交流協定書」を締結した。
 
 
 
=== 日本国外 ===
 
* 友好都市
 
** {{Flagicon|CAN}} [[トロント]]市([[カナダ]] [[オンタリオ州]]) - カナダ最大の都市
 
*** [[1998年]](平成10年)[[1月1日]]提携
 
** {{Flagicon|CHN}} [[無錫]]市([[中華人民共和国]] [[江蘇省]])
 
*** [[1985年]](昭和60年)[[10月6日]]提携
 
 
 
* 過去の友好都市
 
*:合併に伴う変更
 
** {{Flagicon|CAN}} [[スカーバロー (オンタリオ州)|スカボロ]]市([[カナダ]] オンタリオ州) - 現在のトロント市の一部
 
*** [[1991年]][[5月31日]]提携
 
*** [[1998年]][[1月1日]]トロント市と合併(以降はトロント市と友好都市)
 
*:提携解消
 
** {{Flagicon|CAN}} トレイル市(カナダ [[ブリティッシュコロンビア州]])
 
*** [[1991年]](平成3年)[[4月15日]]姉妹都市提携(旧津久井町)
 
*** [[2016年]](平成28年)[[7月31日]]提携解消
 
 
 
== メディア ==
 
;テレビ
 
*合併前の旧相模原市内と旧城山町内の大半で[[在京テレビジョン放送局|在京5局]]が[[東京スカイツリー]]からの電波で、[[テレビ神奈川|tvk]]が横浜局からの電波で受信可能、その他の地域でも各[[中継局]]からの電波で視聴可能である。 <ref>[http://apab-tv-area.jp/sp/map/?k=14&a=神奈川県相模原市中央区 放送エリアのめやす 相模原市中央区] - 放送サービス高度化推進協会(A-PAB)</ref>
 
;ケーブルテレビ
 
*[[ジュピターテレコム]]([[J:COM 相模原・大和]])
 
日本最大の[[ケーブルテレビ]]局である同社が、合併前の旧相模原市全域と城山町の一部をサービスエリアとしていたが、現在は相模原市全域にサービスエリアを拡大した。
 
;ラジオ
 
*[[中波放送|AM放送]]では[[NHKラジオ第1]]・[[NHKラジオ第2放送|第2]]・[[TBSラジオ]]・[[文化放送]]・[[ニッポン放送]]に加え[[アール・エフ・ラジオ日本|ラジオ日本]]が、[[超短波放送|FM放送]]では[[NHK-FM放送]]・[[エフエム東京|TOKYO FM]]・[[横浜エフエム放送|エフエム横浜]]・コミュニティFMである[[エフエムさがみ]](相模原市のコミュニティーFM、[[町田市]]を始め周辺各都市でも受信できる)が聴取可能である。
 
;新聞
 
*在京6紙([[朝日新聞|朝日]]、[[毎日新聞|毎日]]、[[読売新聞|読売]]、[[日本経済新聞|日経]]、[[産経新聞|産経]]、[[東京新聞|東京]])に加え、[[神奈川新聞]]、[[相模経済新聞]]などが購読できる。
 
 
 
== スポーツチーム ==
 
* [[三菱重工相模原ダイナボアーズ]]([[トップイーストリーグ]]) - ホームグラウンドは中央区の三菱重工相模原グラウンド
 
* [[相模原ライズ|ノジマ相模原ライズ]]([[Xリーグ]]) - ホームスタジアムは南区の相模原麻溝公園競技場
 
* [[SC相模原]]([[日本プロサッカーリーグ|Jリーグ]]) - 同上
 
* [[ノジマステラ神奈川相模原]]([[日本女子サッカーリーグ|なでしこリーグ]]) - 同上
 
 
 
== 相模原市出身の人物 ==
 
{{main|相模原市出身の人物一覧}}
 
 
 
== 相模原を舞台とする作品 ==
 
<!-- 実際に相模原を舞台あるいはモデルにした物を上部に、ロケを行っただけの物は下に追加してください -->
 
*[[デパート!夏物語]]、[[デパート!秋物語]]、[[夏!デパート物語]] - いずれも南区相模大野の伊勢丹相模原店が舞台。
 
* [[万引きGメン・二階堂雪]] - 中央区内にあるアイワールド相模原店が舞台。
 
*[[三太物語]] - 緑区青山が舞台。
 
*[[姿三四郎]] - 緑区三井の[[峰の薬師]]が果し合いの決戦場として登場する。峰の薬師には「姿三四郎決闘碑」がある。
 
*[[ホペイロの憂鬱]]シリーズ - 相模原を舞台に架空サッカークラブ「ビッグカイト相模原」を扱う[[井上尚登]]の小説。
 
*[[ただいま満室]] - 中央区内のホテル アイリーン・ドナンが舞台。
 
*[[School Days]]、[[Summer Days]] - 主人公の住む原巳浜(はらみはま)は相模原がモデル。作中にも相模原という地名が度々見受けられる。
 
*[[生徒会役員共]] - アニメにおいて、主人公の通う私立桜才学園は相模大野周辺として描写されており、相模大野駅が「桜才学園前駅」として登場する。
 
*[[向井荒太の動物日記 〜愛犬ロシナンテの災難〜]] - 主人公が通う大学は中央区内の麻布大学。
 
*[[オーバーレブ!]] - 横山峠のモデルが大垂水峠である。また、主人公の通っていた高校が橋本高校であったりと、作中には市内の描写を多数見ることができる。
 
*[[明日のよいち!]] - 作品の舞台である浅模川市(あさみがわし)のモデルは相模原市であり、JR[[相模原駅]]や市内各地の風景がほぼそのまま使用されている。
 
*[[未来日記 (漫画)]] - アニメにおいて、舞台の神奈川県桜見市(さくらみし)のモデルとして相模原市内の各所が描写されており、桜見駅はJR[[相模原駅]]がそのまま描かれている。
 
*[[リミット (漫画)]] - 相模原市内にある県立陽乃高校の学校行事である交流キャンプへと向かう途中、バスが崖下への転落事故を起こすところからストーリーが始まる。また、陽乃高校として中央区内の共和中学校が舞台として使われている。
 
*[[ツブ★ドル]] - 相模原市のご当地アイドル「つぶつぶ☆DOLL」をモデルとしたアニメ。
 
 
 
=== 相模原市内が舞台ではないがロケを行った作品 ===
 
* [[ストーカー・誘う女]] - 最終回は[[相模原麻溝公園]]が舞台。
 
* [[トリック劇場版]] - 佐野川鎌沢地区(架空の糸節村として使用)
 
* [[おそるべしっっ!!!音無可憐さん]] - 自宅、学校周辺として[[相模原公園]]、[[相模原麻溝公園]]が使用された。
 
* [[下北サンデーズ]] - [[上戸彩]]演じる里中ゆいかの実家として緑区内の陣場温泉の温泉宿(陣渓園)を使用(ちなみに、この旅館は[[ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!]]にて、2001年夏に松本人志[[罰ゲーム]]「[[松本vs浜田・対決シリーズ/罰ゲーム|一人ぼっちの廃旅館一泊二日]]」で[[肝試し]]の舞台としても使用された)。
 
* [[手の上のシャボン玉]]、[[しゃべれども しゃべれども]]、[[ROOKIES]]- 県立相模原球場にてロケを行う。
 
* [[一瞬の風になれ]] - 県立麻溝台高等学校陸上部がモデル。
 
* [[ラフ (漫画)|ラフ ROUGH]] - [[相模原高等学校 (私立)]]・[[相模女子大学]]・さがみはらグリーンプールなど。
 
* [[14才の母]]、[[拝啓、父上様]] - 相模原市役所が一部登場。
 
* [[仔犬のワルツ]] - 吉野イベントパークを使用。
 
* [[ゲロッパ!]] - 緑区の旧藤野町小渕小学校。
 
* [[ハコイリムスメ!]] - 緑区の旧牧郷小学校。
 
* [[放送禁止 (フジテレビ系列のテレビ番組)|放送禁止5「隠された〝しじんの村〟の戦慄の悲劇とは」]] - 緑区内のキャンプ場にて撮影。
 
* [[クローズド・ノート]] - 子供たちが記念写真を撮る公園 [[相模原麻溝公園]]
 
* [[正義の味方 (漫画)|正義の味方]] - 相模原市役所周辺を使用。
 
* [[ラブ★コン]] - 劇場版[[ラブ★コン]]で[[相模原麻溝公園]]を使用。
 
* [[DRIFT]] - シリーズ3作目と4作目で[[小倉橋 (相模川)|小倉橋]]で撮影。また、他のシリーズでもロケが行われた。
 
* [[ザ・クイズショウ]] - キャンプ場での回想シーンで、緑区内の青野原キャンプ場を使用。
 
* [[素顔のままで (テレビドラマ)]] - 相模大野中央公園を使用。ドラマ本放送中に[[ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!]]にてパロディとしてウンナンが中森明菜と安田成美役で同公園を使用。
 
 
 
== 町名・字名等 ==
 
:本庁・管轄出張所名等の後に続く町名・字名は市役所・管轄出張所等の庁舎の所在地を示す
 
:末尾の*は後述の厚木MAエリアを示す
 
:末尾の墨付括弧内に注意書きのある町名・字名は複数の出張所の管内にまたがる町名・字名であることを示す
 
 
 
=== 町名・字名及び郵便番号 ===
 
==== 緑区 ====
 
*'''緑区役所管内'''…区役所:橋本6丁目2-1
 
<div style="float: left; vertical-align: top; white-space: nowrap; margin-right: 1em;">
 
;*(〒252-0141)[[相原 (相模原市)|相原]][あいはら]1 - 6丁目
 
;*(〒252-0141)大字相原[あいはら]
 
;*(〒252-0146)大山町[おおやまちょう]
 
;*(〒252-0134)大字下九沢[しもくざわ] 【一部】
 
;*(〒252-0131)西橋本[にしはしもと]1 - 5丁目
 
</div>
 
<div style="float: left; vertical-align: top; white-space: nowrap; margin-right: 1em;">
 
;*(〒252-0137)二本松[にほんまつ]1 - 4丁目
 
;*(〒252-0143)[[橋本 (相模原市)|橋本]][はしもと]1 - 8丁目
 
;*(〒252-0132)橋本台[はしもとだい]1 - 4丁目
 
;*(〒252-0144)東橋本[ひがしはしもと]1 - 4丁目
 
;*(〒252-0142)元橋本町[もとはしもとちょう]
 
</div>{{clear}}
 
 
 
*'''大沢まちづくりセンター管内'''…まちづくりセンター:大島1776-5
 
<div style="float: left; vertical-align: top; white-space: nowrap; margin-right: 1em;">
 
;*(〒252-0135)大字大島[おおしま]
 
;*(〒252-0136)大字上九沢[かみくざわ]
 
</div>
 
<div style="float: left; vertical-align: top; white-space: nowrap; margin-right: 1em;">
 
;*(〒252-0134)大字下九沢[しもくざわ] 【大部分】
 
;*(〒252-0124)大字[[田名]][たな] 【一部】
 
</div>{{clear}}
 
 
 
'''城山地区'''(旧津久井郡[[城山町 (神奈川県)|城山町]],[[2007年]][[3月11日]]編入)…城山総合事務所:久保沢1丁目3-1
 
*'''城山まちづくりセンター管内'''
 
<div style="float: left; vertical-align: top; white-space: nowrap; margin-right: 1em;">
 
;*(〒252-0115)小倉[おぐら]
 
;*(〒252-0111)[[川尻 (相模原市)|川尻]][かわしり]
 
;*(〒252-0105)久保沢[くぼさわ]1 - 3丁目
 
;*(〒252-0116)城山[しろやま]1 - 4丁目
 
;*(〒252-0113)谷ケ原[たにがはら]1 - 2丁目
 
;*(〒252-0117)中沢[なかざわ]
 
;*(〒252-0114)葉山島[はやまじま]
 
</div>
 
<div style="float: left; vertical-align: top; white-space: nowrap; margin-right: 1em;">
 
;*(〒252-0102)[[原宿 (相模原市)|原宿]][はらじゅく]1 - 5丁目
 
;*(〒252-0103)原宿南[はらじゅくみなみ]1 - 3丁目
 
;*(〒252-0106)広田[ひろた]
 
;*(〒252-0101)町屋[まちや]1 - 4丁目
 
;*(〒252-0104)向原[むかいはら]1 - 3丁目
 
;*(〒252-0112)若葉台[わかばだい]1 - 7丁目
 
</div>{{clear}}
 
 
 
'''津久井地区'''(旧津久井郡[[津久井町]],[[2006年]][[3月20日]]編入)…津久井総合事務所:中野633
 
*'''津久井まちづくりセンター管内'''  (当センターの下部組織である串川・鳥屋・青野原・青根の各出張所を束ねる役目も兼ねる。)
 
<div style="float: left; vertical-align: top; white-space: nowrap; margin-right: 1em;">
 
;*(〒252-0152)太井[おおい]
 
;*(〒252-0157)中野[なかの]
 
;*(〒252-0158)又野[またの]
 
</div>
 
<div style="float: left; vertical-align: top; white-space: nowrap; margin-right: 1em;">
 
;*(〒252-0151)三井[みい]
 
;*(〒252-0159)[[三ケ木]][みかげ]
 
</div>{{clear}}
 
*'''串川出張所管内'''…出張所:青山1012
 
<div style="float: left; vertical-align: top; white-space: nowrap; margin-right: 1em;">
 
;*(〒252-0156)青山[あおやま]
 
;*(〒252-0154)長竹[ながたけ]
 
</div>
 
<div style="float: left; vertical-align: top; white-space: nowrap; margin-right: 1em;">
 
;*(〒252-0153)根小屋[ねごや]
 
</div>{{clear}}
 
*'''鳥屋出張所管内'''…出張所:鳥屋1064
 
;*(〒252-0155)鳥屋[とや]
 
*'''青野原出張所管内'''…出張所:青野原1619
 
;*(〒252-0161)青野原[あおのはら]
 
*'''青根出張所管内'''…出張所:青根1331
 
;*(〒252-0162)青根[あおね]
 
 
 
'''相模湖地区'''(旧津久井郡[[相模湖町]],[[2006年]][[3月20日]]編入)…相模湖総合事務所:与瀬896
 
*'''相模湖まちづくりセンター管内'''
 
<div style="float: left; vertical-align: top; white-space: nowrap; margin-right: 1em;">
 
;*(〒252-0173)小原[おばら]
 
;*(〒252-0176)[[寸沢嵐]][すわらし]
 
;*(〒252-0188)寸沢嵐新戸[すわらししんと]
 
;*(〒252-0174)千木良[ちぎら]
 
</div>
 
<div style="float: left; vertical-align: top; white-space: nowrap; margin-right: 1em;">
 
;*(〒252-0171)与瀬[よせ]
 
;*(〒252-0172)与瀬本町[よせほんちょう]
 
;*(〒252-0175)若柳[わかやなぎ]
 
</div>{{clear}}
 
 
 
'''藤野地区'''(旧津久井郡[[藤野町]],[[2007年]][[3月11日]]編入)…藤野総合事務所:小渕2000
 
*'''藤野まちづくりセンター管内'''
 
<div style="float: left; vertical-align: top; white-space: nowrap; margin-right: 1em;">
 
;*(〒252-0184)小渕[おぶち]
 
;*(〒252-0181)佐野川[さのがわ]
 
;*(〒252-0182)澤井[さわい]
 
;*(〒252-0187)名倉[なぐら]
 
</div>
 
<div style="float: left; vertical-align: top; white-space: nowrap; margin-right: 1em;">
 
;*(〒252-0185)日連[ひづれ]
 
;*(〒252-0186)牧野[まぎの]
 
;*(〒252-0183)吉野[よしの]
 
</div>{{clear}}
 
 
 
==== 中央区 ====
 
*'''中央区役所管内'''…区役所:中央2丁目11-15
 
<div style="float: left; vertical-align: top; white-space: nowrap; margin-right: 1em;">
 
;*(〒252-0235)相生[あいおい]1 - 4丁目
 
;*(〒252-0224)青葉[あおば]1 - 3丁目
 
;*(〒252-0205)[[小山 (相模原市)|小山]][おやま]1 - 4丁目
 
;*(〒252-0205)[[小山 (相模原市)|大字小山]][おやま]
 
;*(〒252-0214)向陽町[こうようちょう]
 
;*(〒252-0217)小町通[こまちどおり]1 - 2丁目
 
;*(〒252-0231)[[相模原]][さがみはら]1 - 8丁目
 
;*(〒252-0254)大字下九沢[しもくざわ] 【一部】
 
;*(〒252-0213)すすきの町[すすきのちょう]
 
;*(〒252-0216)清新[せいしん]1 - 8丁目
 
;*(〒252-0221)高根[たかね]2 - 3丁目
 
;*(〒252-0239)中央[ちゅうおう]1 - 6丁目
 
;*(〒252-0237)千代田[ちよだ]1 - 7丁目
 
;*(〒252-0228)並木[なみき]1 - 4丁目
 
</div>
 
<div style="float: left; vertical-align: top; white-space: nowrap; margin-right: 1em;">
 
;*(〒252-0027)光が丘[ひかりがおか]1 - 3丁目
 
;*(〒252-0215)氷川町[ひかわちょう]
 
;*(〒252-0236)富士見[ふじみ]1 - 6丁目
 
;*(〒252-0238)星が丘[ほしがおか]1 - 4丁目
 
;*(〒252-0223)松が丘[まつがおか]1 - 2丁目
 
;*(〒252-0225)緑が丘[みどりがおか]1 - 2丁目
 
;*(〒252-0253)南橋本[みなみはしもと]1 - 4丁目
 
;*(〒252-0212)宮下[みやしも]1 - 3丁目
 
;*(〒252-0211)宮下本町[みやしもほんちょう]1 - 3丁目
 
;*(〒252-0229)弥栄[やえい]1 - 3丁目
 
;*(〒252-0232)[[矢部 (相模原市)|矢部]][やべ]1 - 4丁目
 
;*(〒252-0226)陽光台[ようこうだい]1 - 7丁目
 
;*(〒252-0242)横山[よこやま]1 - 6丁目【大部分】
 
;*(〒252-0241)横山台[よこやまだい]1 - 2丁目
 
</div>{{clear}}
 
 
 
*'''大野北まちづくりセンター管内'''…まちづくりセンター:鹿沼台1丁目10-20
 
<div style="float: left; vertical-align: top; white-space: nowrap; margin-right: 1em;">
 
;*(〒252-0251)大野台[おおのだい]3丁目 【一部】
 
;*(〒252-0233)鹿沼台[かぬまだい]1 - 2丁目
 
;*(〒252-0201)[[上矢部 (相模原市)|上矢部]][かみやべ]1 - 5丁目
 
;*(〒252-0201)[[上矢部 (相模原市)|大字上矢部]][かみやべ]
 
;*(〒252-0234)共和[きょうわ]1 - 4丁目
 
;*(〒252-0221)高根[たかね]1丁目
 
</div>
 
<div style="float: left; vertical-align: top; white-space: nowrap; margin-right: 1em;">
 
;*(〒252-0203)東淵野辺[ひがしふちのべ]1 - 5丁目
 
;*(〒252-0206)[[淵野辺]][ふちのべ]1 - 5丁目
 
;*(〒252-0202)淵野辺本町[ふちのべほんちょう]1 - 5丁目
 
;*(〒252-0207)矢部新町[やべしんちょう]
 
;*(〒252-0208)大字[[矢部新田]][やべしんでん]
 
;*(〒252-0222)由野台[よしのだい]1 - 2丁目
 
</div>{{clear}}
 
 
 
*'''上溝まちづくりセンター管内'''…まちづくりセンター:上溝7丁目7-17
 
<div style="float: left; vertical-align: top; white-space: nowrap; margin-right: 1em;">
 
;*(〒252-0243)[[上溝]][かみみぞ]1 - 7丁目
 
;*(〒252-0243)大字上溝[かみみぞ] 【大部分】
 
</div>
 
<div style="float: left; vertical-align: top; white-space: nowrap; margin-right: 1em;">
 
;*(〒252-0244)大字田名[たな] 【一部】
 
;*(〒252-0242)横山[よこやま]5丁目 【一部】
 
</div>{{clear}}
 
 
 
*'''田名まちづくりセンター管内'''…まちづくりセンター:田名4834
 
<div style="float: left; vertical-align: top; white-space: nowrap; margin-right: 1em;">
 
;*(〒252-0243)大字上溝[かみみぞ] 【一部】
 
;*(〒252-0246)水郷田名[すいごうたな]1 - 4丁目
 
</div>
 
<div style="float: left; vertical-align: top; white-space: nowrap; margin-right: 1em;">
 
;*(〒252-0244)大字[[田名]][たな] 【大部分】
 
;*(〒252-0245)田名塩田[たなしおだ]1 - 4丁目
 
</div>{{clear}}
 
 
 
==== 南区 ====
 
*'''南区役所管内'''…区役所:相模大野5丁目31-1
 
<div style="float: left; vertical-align: top; white-space: nowrap; margin-right: 1em;">
 
;*(〒252-0304)旭町[あさひちょう]
 
;*(〒252-0301)[[鵜野森]][うのもり]3丁目 【一部】
 
;*(〒252-0302)[[上鶴間]][かみつるま]1 - 3丁目・6丁目 【一部】
 
;*(〒252-0318)[[上鶴間本町]][かみつるまほんちょう]1 - 9丁目
 
;*(〒252-0306)栄町[さかえちょう]
 
</div>
 
<div style="float: left; vertical-align: top; white-space: nowrap; margin-right: 1em;">
 
;*(〒252-0303)[[相模大野]][さがみおおの]1 - 9丁目
 
;*(〒252-0307)文京[ぶんきょう]1 - 2丁目
 
;*(〒252-0317)御園[みその]1 - 3丁目
 
;*(〒252-0305)豊町[ゆたかちょう]
 
;*(〒252-0334)若松[わかまつ]2・3・5丁目 【一部】
 
</div>{{clear}}
 
 
 
*'''大野中まちづくりセンター管内'''…出張所:古淵3丁目21-1
 
<div style="float: left; vertical-align: top; white-space: nowrap; margin-right: 1em;">
 
;*(〒252-0301)[[鵜野森]][うのもり]1 - 3丁目 【大部分】
 
;*(〒252-0331)大野台[おおのだい]1 - 8丁目 【大部分】
 
;*(〒252-0344)[[古淵]][こぶち]1 - 6丁目
 
</div>
 
<div style="float: left; vertical-align: top; white-space: nowrap; margin-right: 1em;">
 
;*(〒252-0332)西大沼[にしおおぬま]1 - 5丁目
 
;*(〒252-0333)東大沼[ひがしおおぬま]1 - 4丁目
 
;*(〒252-0334)若松[わかまつ]1 - 6丁目 【大部分】
 
</div>{{clear}}
 
 
 
*'''麻溝まちづくりセンター管内'''…出張所:当麻1324-2
 
<div style="float: left; vertical-align: top; white-space: nowrap; margin-right: 1em;">
 
;*(〒252-0328)[[麻溝台]][あさみぞだい]1・7丁目 【一部】
 
;*(〒252-0328)大字[[麻溝台]][あさみぞだい] 【大部分】
 
;*(〒252-0329)北里[きたざと]1丁目
 
</div>
 
<div style="float: left; vertical-align: top; white-space: nowrap; margin-right: 1em;">
 
;*(〒252-0335)大字下溝[しもみぞ]
 
;*(〒252-0336)大字当麻[たいま]
 
</div>{{clear}}
 
 
 
*'''新磯まちづくりセンター管内'''…出張所:磯部916-3
 
<div style="float: left; vertical-align: top; white-space: nowrap; margin-right: 1em;">
 
;*(〒252-0325)新磯野[あらいその]2・5丁目 【一部】*
 
;*(〒252-0325)大字新磯野[あらいその] 【大部分】*
 
</div>
 
<div style="float: left; vertical-align: top; white-space: nowrap; margin-right: 1em;">
 
;*(〒252-0327)大字磯部[いそべ]*
 
;*(〒252-0326)大字新戸[しんど]
 
</div>{{clear}}
 
 
 
*'''[[相模台]]まちづくりセンター管内'''…出張所:相模台1丁目13-5
 
<div style="float: left; vertical-align: top; white-space: nowrap; margin-right: 1em;">
 
;*(〒252-0328)[[麻溝台]][あさみぞだい]1 - 8丁目 【大部分】
 
;*(〒252-0328)大字[[麻溝台]][あさみぞだい] 【一部】
 
;*(〒252-0325)新磯野[あらいその]2丁目 【一部】*
 
;*(〒252-0325)大字新磯野[あらいその] 【一部】*
 
;*(〒252-0302)大字上鶴間[かみつるま]
 
;*(〒252-0329)北里[きたざと]2丁目
 
</div>
 
<div style="float: left; vertical-align: top; white-space: nowrap; margin-right: 1em;">
 
;*(〒252-0321)[[相模台]][さがみだい]1 - 7丁目 *
 
;*(〒252-0322)相模台団地[さがみだいだんち]
 
;*(〒252-0315)桜台[さくらだい]
 
;*(〒252-0316)双葉[ふたば]1 - 2丁目
 
;*(〒252-0317)御園[みその]4 - 5丁目
 
;*(〒252-0314)南台[みなみだい]1 - 6丁目
 
</div>{{clear}}
 
 
 
*'''[[相武台]]まちづくりセンター管内'''…出張所:新磯野3丁目29-13
 
<div style="float: left; vertical-align: top; white-space: nowrap; margin-right: 1em;">
 
;*(〒252-0325)新磯野[あらいその]1 - 5丁目 【大部分】*
 
;*(〒252-0324)[[相武台]][そうぶだい]1 - 3丁目 *
 
</div>
 
<div style="float: left; vertical-align: top; white-space: nowrap; margin-right: 1em;">
 
;*(〒252-0323)相武台団地[そうぶだいだんち]1 - 2丁目 *
 
</div>{{clear}}
 
 
 
*'''東林まちづくりセンター管内'''…出張所:相南1丁目10-10
 
<div style="float: left; vertical-align: top; white-space: nowrap; margin-right: 1em;">
 
;*(〒252-0302)[[上鶴間]][かみつるま]4 - 8丁目 【大部分】
 
;*(〒252-0312)相南[そうなん]1 - 4丁目
 
</div>
 
<div style="float: left; vertical-align: top; white-space: nowrap; margin-right: 1em;">
 
;*(〒252-0311)東林間[ひがしりんかん]1 - 8丁目
 
;*(〒252-0313)松が枝町[まつがえちょう]
 
</div>{{clear}}
 
 
 
=== 郵便番号 ===
 
<!---
 
*〒'''229-01xx'''(相模湖町地域自治区)は[[相模湖郵便局|郵便事業相模原橋本支店相模湖集配センター]]の担当
 
:(2007年2月5日から郵便番号の上3桁が「199」から「229」に変更)
 
*〒'''229-02xx'''(藤野町地域自治区)は[[吉野郵便局|郵便事業相模原橋本支店吉野集配センター]]の担当
 
:(同局は〒229-0211の相模湖町寸沢嵐新戸も担当,2007年2月5日から郵便番号の上3桁が「199」から「229」に変更)
 
*〒'''220-02xx'''、〒'''220-04xx'''(津久井町地域自治区)は[[津久井郵便局|郵便事業相模原橋本支店津久井集配センター]]の担当
 
*〒'''229-11xx'''、〒'''229-12xx'''(相模原地区北部)は[[橋本郵便局 (神奈川県)|郵便事業相模原橋本支店]]の担当
 
:(同局は〒'''220-01xx'''の城山町地域自治区も担当,〒229-12xxは事業所のみ)
 
*〒'''228-08xx'''(相模原地区南部)は[[座間郵便局|郵便事業座間支店]]の担当
 
:(同局は[[座間市]]にあり、もともとは〒228-00xxである座間市の担当)
 
*上記以外は〒'''229-00xx'''であり[[相模原郵便局|郵便事業相模原支店]]の担当 --->
 
 
 
* [[座間郵便局]]:252-00xx・252-85xx・252-86xx・252-87xx・252-03xx
 
* [[橋本郵便局 (神奈川県)|橋本郵便局]]:252-01xx・252-51xx
 
* [[相模原郵便局]]:252-02xx・252-52xx
 
 
 
*[[政令指定都市]]移行に伴い、[[2010年]]([[平成]]22年)[[4月1日]]より相模原市内全域と座間市において郵便番号が変更となった。
 
**252-00xx 座間市       (例)座間市緑ヶ丘     変更前:228-0021 → 現行: 252-0021
 
**252-01xx [[緑区 (相模原市)|相模原市緑区]]   (例)緑区橋本           変更前:229-1103 → 現行: 252-0143
 
**252-02xx [[中央区 (相模原市)|相模原市中央区]] (例)中央区中央    変更前:229-0039 → 現行: 252-0239
 
**252-03xx [[南区 (相模原市)|相模原市南区]]   (例)南区相模大野  変更前:228-0803 → 現行: 252-0303
 
 
 
=== 電話番号の市外局番及びMA ===
 
*相模原[[単位料金区域|MA]] 042(042-700〜716、718〜730、732〜780、782〜799、810〜816、818〜819、850〜869)相模原市の大半
 
*八王子MA 042(042-680、682〜689)相模湖町・藤野町地域自治区
 
*厚木MA 046(046-251〜259、266、298)相模原地区南部の一部(町名等のリストで末尾に*を付けた地域)
 
:相模原MAの地域から厚木MAの地域への通話は県内市外通話
 
:相模原MA・厚木MAの地域から八王子MAの地域への通話は県間通話
 
:なお、相模原MAには[[東京都]][[町田市]]も含まれる(三輪町及び三輪緑山を除く)ことから、相模原市の大半のエリアから町田市の大半のエリアへの通話は市内通話となる
 
:天気予報は042-78-177となる
 
:郵便番号・電話ともに一部例外有り
 
*大月MA 0554 藤野町小渕地区のごく一部であるが、該当する建物の住所が、[[山梨県]][[上野原市]]にあると示している場合がある
 
 
 
=== 住所表記の変遷 (2006年以降) ===
 
{| class="wikitable"
 
|- style="word-break:keep-all"
 
!地域
 
!- 2006年3月19日
 
!2006年3月20日 -<br />2007年3月10日
 
!2007年3月11日 -<br />2010年3月31日
 
!2010年4月1日 -<br />現在
 
|-
 
|'''[[津久井町|旧津久井町域]]'''
 
|津久井郡津久井町○○
 
|相模原市津久井町○○
 
|同左
 
|相模原市緑区○○
 
|-
 
|'''[[相模湖町|旧相模湖町域]]'''
 
|津久井郡相模湖町○○
 
|相模原市相模湖町○○
 
|同左
 
|相模原市緑区○○
 
|-
 
|'''[[藤野町|旧藤野町域]]'''
 
|津久井郡藤野町○○
 
|同左
 
|相模原市藤野町○○
 
|相模原市緑区○○
 
|-
 
|'''[[城山町 (神奈川県)|旧城山町域]]'''
 
|津久井郡城山町○○
 
|同左
 
|相模原市城山町○○
 
|相模原市緑区○○
 
|-
 
|'''旧相模原市域(北西部)'''
 
|相模原市○○
 
|同左
 
|同左
 
|相模原市緑区○○
 
|-
 
|'''旧相模原市域(中心部)'''
 
|相模原市○○
 
|同左
 
|同左
 
|相模原市中央区○○
 
|-
 
|'''旧相模原市域(南東部)'''
 
|相模原市○○
 
|同左
 
|同左
 
|相模原市南区○○
 
|}
 
 
 
== その他 ==
 
*[[日本の音風景100選]]:道保川公園のせせらぎと野鳥の声
 
*[[小惑星]]上の地名「相模原」:2005年に行われた探査機[[はやぶさ (探査機)|はやぶさ]]による科学観測の結果にもとづき、[[イトカワ (小惑星)|小惑星イトカワ]]上にある小石の平原を、[[宇宙科学研究所]]の所在地にちなみ「相模原」(Sagamihara Regio)と命名。[[国際天文学連合]](IAU)承認地名として登録された。
 
 
 
== 脚注 ==
 
{{脚注ヘルプ}}
 
{{Reflist}}
 
 
 
== 関連項目 ==
 
<!-- 関連するウィキリンク、ウィキ間リンク -->
 
{{Multimedia|相模原市の画像}}
 
{{Sisterlinks|commons=相模原市|commonscat=Sagamihara, Kanagawa|q=no|v=no|voy=Sagamihara}}
 
{{See also|Category:相模原市}}
 
*[[神奈川県の軍事遺跡一覧]]
 
*[[株ネギ]]
 
  
 
== 外部リンク ==
 
== 外部リンク ==
1,658行目: 58行目:
 
{{神奈川県の自治体}}
 
{{神奈川県の自治体}}
 
{{日本の政令指定都市}}
 
{{日本の政令指定都市}}
{{Navboxes
+
 
|title=相模原市各区の町名
+
{{テンプレート:20180815sk}}
|titlestyle=background-color:#FFE4C4
+
 
|list1=
 
{{相模原市緑区の町・字}}
 
{{相模原市中央区の町・字}}
 
{{相模原市南区の町・字}}
 
}}
 
{{相模原・町田大学地域コンソーシアム}}
 
{{Normdaten}}
 
 
{{デフォルトソート:さかみはらし}}
 
{{デフォルトソート:さかみはらし}}
 
[[Category:神奈川県の市町村]]
 
[[Category:神奈川県の市町村]]

2018/8/22/ (水) 21:02時点における最新版

相模原市(さがみはらし)

神奈川県北西部,相模原台地北部と丹沢山地北部を占める市。

北で東京都,西で山梨県に接する。1954年市制。2003年中核市に移行。2006年津久井町と相模湖町を,2007年藤野町と城山町をそれぞれ編入。2010年政令指定都市に移行し,緑区中央区南区の 3区を置いた。相模川河岸段丘崖下や,境川沿いには古くから集落があったが,上位段丘面は近世以後に開かれ,おもに桑園であった。日中戦争後は,軍関係施設の進出が著しく,第2次世界大戦後も多くはアメリカ軍基地に引き継がれた。中部の当麻上溝橋本などは中世からの集落であるが,相模原の市街地は軍施設の拡充とともに国鉄横浜線沿いに形成された。1950年代後半から国道16号線に沿って自動車,機械,金属,電機,食品などの工場が進出し,橋本,田名などには工業団地が造成された。小田急電鉄小田原線沿線を中心に宅地化が急速に進み,特に相模大野駅周辺では商店街の形成とともに文化施設なども整備された。また,橋本は京王電鉄相模原線の開通により市中北部の中心地として開発が進められている。農業は野菜栽培,畜産などが行なわれているが,兼業化,転廃業が著しい。藤野の石井家住宅は国指定重要文化財。国の史跡の勝坂遺跡,寸沢嵐石器時代遺跡,川尻石器時代遺跡,田名向原遺跡がある。南西部は丹沢大山国定公園に,北西部の相模湖周辺は陣馬相模湖県立自然公園に属する。JR横浜線,相模線,中央本線,小田急電鉄江ノ島線および小田原線,京王電鉄相模原線,中央自動車道,国道16号線,20号線,129号線,412号線,413号線が通る。

外部リンク





楽天市場検索: