生稲晃子
テンプレート:女性アイドル 生稲 晃子(いくいな あきこ、1968年4月28日 - )は、日本の歌手、女優。本名、佐山 晃子(さやま あきこ、旧姓:生稲)。 所属事務所はプロダクション尾木。
女性アイドルグループおニャン子クラブの元メンバーで、会員番号は40番。
Contents
来歴・人物
生い立ち
東京都[1]出身。小金井フットボールクラブに所属し、全国大会優勝した時のメンバーである。
小金井市立緑中学校→私立吉祥女子高等学校 → 恵泉女学園短期大学英文学科卒業[2]。高校は芸能活動禁止であったが、生稲の成績が非常に優秀であったため、「トップの成績を維持すること」と「大学を受験する事」の2つを条件に芸能活動が特別に許可された。
デビュー
1984年、『第9回ホリプロタレントスカウトキャラバン』の賞金(優勝者本人に100万円、推薦者に50万円)に惹かれ、兄を推薦者にして「もし優勝したら150万円山分けしようという事で」応募したことが発端[3]。3次落選となったものの、ホリプロの系列モデル事務所からスカウトされて所属することになり[3]、以後複数のオーディションを受けた。(それ以前にも、アイドル雑誌ザ・シュガーの「今月のセーラー服美人」というコーナーで紹介記事が計3ページにわたって掲載されている)[4]。
1986年3月、「これでダメなら大学受験に向けた勉強に専念しよう」と決めて『タッチ』ヒロイン・浅倉南のイメージガールを選ぶ「ミス南ちゃんコンテスト」に出場。原作者のあだち充が生稲を推したこともあり大会関係者から「たぶん優勝は君になる」と優勝内定を知らされていたが、発表当日になってこの話は流れてしまった[5]。このとき居合わせたレコード会社の関係者から「おニャン子クラブのオーディションを受けてみますか?」と声を掛けられる。優勝内定から一転、落選したショックから直ぐに次に繋がる話に飛びつく思考に切り替えることが出来ず、即答は避けて一旦保留とする返答のみをして帰宅した。
おニャン子クラブのファンだった兄はオーディションの話に乗り気だったが、当の本人である生稲は、通常夕方は部活動をしていたので、夕方からの生放送番組の出演となれば退部を余儀なくされるために乗り気ではなかった。また、フジテレビ系放映『夕やけニャンニャン』の放送をほとんど見たことが無く、雑誌や音楽番組などで見聞きしていた程度の認識であった。生稲が憧れていたアイドル歌手やおニャン子クラブのように大勢のアイドルが所属していたモモコクラブのメンバーと比較し、「おニャン子はブスが多いから、入るのは嫌だ」と兄に漏らした[6]。
二の足を踏んでいた生稲であったが、当時生稲がファンだった「トシちゃんのレコードをあげるから」とレコード会社の人から言われたため、ためしに受けてみる事になった[7]。また「(夕やけニャンニャンに出演時は)時給5千円」の一言にも魅力を感じたという[8]。
おニャン子入りと大学受験
1986年6月、『夕やけニャンニャン』内オーディションコーナーを経て、1986年6月13日に、おニャン子クラブの会員番号40番としてデビュー[3]。10月、渡辺満里奈のデビュー曲「深呼吸して」で工藤静香と共に「with おニャン子クラブ」としてバックコーラスで参加[3]。11月1日、おニャン子クラブの6枚目のシングル「恋はくえすちょん」で、フロント4人の中に入る。12月、ローソンのからあげクンのCMに単独で出演。おニャン子クラブ4枚目のアルバム『SIDE LINE』に収録されている「ハートに募金を」がBGMとして使用される(CM用に生稲のみのボーカルアレンジ)。
高校での成績は優秀だったものの、芸能活動をしているという理由で大学入試の際に学校からの推薦が得られなかった。1987年になると、芸能活動を控え、『夕やけニャンニャン』にも約1ヶ月ほど出演せず受験勉強に専念した。1987年4月に恵泉女学園短期大学(英文学科)に入学。
受験を終えて芸能活動を再開。復帰初日、(自身が)休んでいる間に新ユニットうしろ髪ひかれ隊のメンバーに工藤静香・斉藤満喜子と共に抜擢され、既に決定事項としてプロジェクトが進んでいることを知らされ面食らう。しかし、自分の立場では異議を申し立てることも断ることも出来ず、成り行きに任せざるを得なかったという。
1987年5月、「うしろ髪ひかれ隊」は「時の河を越えて」でレコードデビュー[3]。同曲及びc/wは、アニメ『ハイスクール!奇面組』の主題歌とエンディング曲に起用された。1987年5月18日付のオリコンシングルヒットチャートで初登場第1位を獲得。音楽番組にも多く出演し、順風満帆なスタートを切った。これを期に、メンバー3人揃って芸能プロダクション「プロダクション尾木」に移籍。
おニャン子解散後以降
もともと生稲は長く芸能活動を続ける意向は強くなく、将来的に堅実な学校教諭になる道を考えていた。そのため学業を疎かにせず、大学進学後も意欲的に講義を受けていた[3]。「うしろ髪ひかれ隊」としての活動はおニャン子クラブの活動終了とともに終える青写真であり、生稲もその心積もりでいた。しかし、スタッフの「やめようと思っていたけど、売れたことだしこのまま続けるから」の一言で、1987年9月20日のおニャン子クラブ解散後も「うしろ髪」としての活動はしばし続行された[7]。
それだけにおニャン子解散時の精神状態は不安定であった。解散特番のラジオの終盤では夕ニャンのスタッフに「もう「深呼吸して」は3人じゃ歌えないんだな…」としみじみ言われたことを涙ながらに語っていたが、聞き役の渡辺満里奈に「何泣いてんのよ!」と叱責され我に返っていた。
1988年4月をもってうしろ髪ひかれ隊の活動が休止。5月21日に「麦わらでダンス」(フジテレビ系放映アニメ『ついでにとんちんかん』主題歌)でソロデビュー[3]。7月にはフジテレビ系ドラマ『あそびにおいでョ!』で連続ドラマに初出演。以後ドラマやバラエティ番組など多数出演。
2001年4月、永らく所属していたプロダクション尾木より独立。女優としてCBC制作のドラマ『キッズ・ウォー』シリーズに長く主演したほか、テレビ朝日の人気時代劇『暴れん坊将軍』にはVIIシリーズからVIIIシリーズ第1話は魚屋兼岡引・おぶん、VIIIシリーズ第2話から800回スペシャルは江戸町火消しめ組の頭長次郎(山本譲二)の妻・おぶんとして出演していた。
古典芸能に造詣を持ち、NHKの『日本の古典芸能』『芸能花舞台』の司会も務めた(毎回和服姿で番組を進行。下記の理由により降板した)。
2003年にCM制作会社プロデューサー・佐山智洋と結婚(現在、鉄板焼き店経営)[3]。2005年10月、妊娠していることが判明、「思っていたよりつわりがひどかった」とのこと。2006年3月に第1子(長女)を出産。
2006年からは芸能事務所・株式会社ポートレーブに所属。家事の都合や子育てに支障が出ないスケジュールを組んでもらい[3]、主に女優やレポーターなどの仕事を中心にしている。近年は、夫婦で鉄板焼き屋を経営し、生稲も時間がある時には女将として店に出ている。
テレビ朝日系『ちい散歩』や『三波豊和の日本が元気です[9]』等司会やレポーターの仕事を中心に活動。
2009年よりプロダクション尾木に復帰。2010年7月、ハートフルライフカウンセラー学院[10]にて認知行動療法を学び、心理カウンセラーとして活動を始める[11]。2010年9月、AKB48Team Ogiが開催した音楽イベント「Team Ogi祭り」に城之内早苗らとゲスト出演。『麦わらでダンス』を当時の衣装、ダンスとともに披露した。
がんとの闘い
2011年4月28日、43歳の誕生日に乳がんが発見される。5月6日に腫瘍のある部分を切除する乳房温存手術を受け、放射線照射と薬による治療を続けた。2012年の夏、再発が判明。がんのできた部分を切除する再手術を受ける。2013年10月に3度目の切除手術、同年12月27日に右胸の全摘手術を受けた。2015年10月27日、右乳房の再建手術を受ける。同年11月、自らのがんを公表[12]。
2016年9月に「働き方改革実現会議」の有識者委員に選出される[13]。
エピソード
- 中学時代は50m走を6.8秒で走るなど運動には自信があり、1980年代の中ごろまで正月恒例の特番だった『オールスター紅白大運動会』の短距離走でいつも活躍する石川秀美と競走してみたいと思っていた。この大運動会は、所属レコード会社ごとに組分けして対決する形式で行なわれていたので、出場するためにはレコードデビューをしなければならないと思っていたことも芸能界に入りたかった理由のひとつとして挙げている。しかし、実際に自らがレコードデビューを果たした時には、この形式の大運動会は企画が終了してしまった直後だったため、出場は叶わなかった。
- 前述の理由でレコードデビューしたいと思ってはいたものの、歌唱力そのものには自信がなく、「うしろ髪の3人で一番ヘタなのが私なので、私のソロパートは必ず1番じゃなくて2番にあるんです。それだとTVで歌う時には(TVサイズでは2番は歌わないので)私はソロパートが無くても済むので」と語っていた[6]。
- 血液型は生まれてから不明であったが、1986年11月24日の日本テレビ『歌のトップテン』におニャン子クラブの一員として出演した際に血液検査され、B型と判明した。
- 「生稲」という苗字を「いくいな」と正しく読まれたことが少なかったという。デビュー後も雑誌や記事などで、間違ったルビを付けられることが多かった。
- アイドル時代には、「いくいな」にちなんで「1917」という表記がグッズなど様々な形で使われることがあった。1917年はロシア革命の年であるため、「生稲晃子がロシア革命」という語呂合わせが成立する[6]。『夕やけニャンニャン』内でも紹介され、ドランクドラゴンのコントの中でも使われている。
- TIMのレッド吉田が『内村プロデュース』内で「友達の友達が生稲晃子!」というフレーズを独特のイントネーションで発する(NO PLANのアルバム内の一曲『内P"COCO JAPAN"Remix』にレッドの「生稲晃子!」が収録されている)。
- 「麦わらでダンス」の替え歌が1988年にプロ野球の広島東洋カープに在籍していたランス、アレンの応援ソングに使われ、現在でも他のプロ野球選手や高校野球の応援で使われる事もある。またJリーグのFC東京の応援ソングにも、長年同曲の替え歌が使われていた。
- 仲が良かったおニャン子メンバーとしてよく名前を挙げるのは立見里歌、永田ルリ子、白石麻子、高畠真紀など。ほかに芸能界では島崎和歌子、小林千絵などと仲が良いと公言したことがある[14][15]。
- 『夕やけニャンニャン』の投稿はがきに書かれていた「おいなりさん」を恥ずかしそうに読んで、とんねるずにからかわれていたが、担当していたラジオ番組『おニャン子のあぶない夜だよ』では、下ネタ投稿も臆せずに読みこなす等、気さくな一面があった。
- 共演者の伊藤政則からは番組中たびたび「生稲ドピュさん」と呼ばれることが多かった。これは生稲の「イク」にかけて、射精の瞬間を表現した「ドピュ」と付けられたと思われる。
作品
シングル
- 麦わらでダンス (1988年5月21日)
- Virgin少年に接吻を (1988年9月21日)
- 作詞: 売野雅勇、作曲・編曲: 後藤次利
- c/w: Shadow Of Palm Tree
- ファンファーレが聴こえる (1989年1月25日)
- 作詞: 高柳恋、作曲・編曲: 後藤次利
- c/w: わたしだけのリバティー
- Japanese Girl (1989年5月24日)
- 作詞: 売野雅勇、作曲・編曲: 後藤次利
- c/w: 夕映えの橋
- 後藤次利作曲としては最後の作品である。
- 忘れたいのに (1989年9月27日)
- 日曜日はいらない (1990年3月7日)
- 作詞: 原真弓、作曲: 松本俊明、編曲: 西平彰
- c/w: 海になりたい
- LUNA Great (1991年2月21日)
- ファンキーララバイ (1995年6月10日) - L・リーグ シロキFCセレーナ イメージソング
- 作詞: 三浦徳子、作曲・編曲: 羽田一郎
- c/w: ファンキーララバイ -Long Version-
- Oh!散歩日和 (2008年10月8日) - 地井武男とのデュエット。
オリジナルアルバム
- 「生稲」De-Dance(1988年11月21日)
- おとといおいで
- 鍵穴の熱帯
- 麦わらでダンス(ターンテーブル・ミックス)
- 今はすべての途中だから
- チェイス チェイス チェイス
- ティラノザウルスロック
- Virgin少年に接吻を
- 恋のルフラン
- 日本「生稲」紀行(1989年8月2日)
- Jealousy In The Night
- 北斗七星の一夜
- 忘れたいのに
- オ・メ・デ・ト・ウ!
- モノローグ…春
- あした元気になぁれ
- Japanese Girl
- さよならの岸辺から
企画シングル
- あっこのX'mas Calendar (1989年11月21日)
企画アルバム
- Myこれ!クション 生稲晃子BEST(2002年7月17日)
- 麦わらでダンス
- 夢に逢いたい
- Virgin少年に接吻を
- Shadow of Palm Tree
- ファンファーレが聴こえる
- わたしだけのリバティー
- Japanese Girl
- 夕映の橋
- オ・メ・デ・ト・ウ!
- あした天気になあれ
- 忘れたいのに
- 朝露の瞳
- 日曜日はいらない
- 海になりたい
- LUNA Great
- ファンキーララバイ
- 「生稲晃子」SINGLESコンプリート(2007年8月17日)
- 麦わらでダンス
- 夢に逢いたい
- Virgin少年に接吻を
- Shadow of Palm Tree
- ファンファーレが聴こえる
- わたしだけのリバティー
- Japanese Girl
- 夕映の橋
- 忘れたいのに
- 朝霧の瞳
- 日曜日はいらない
- 海になりたい
- LUNA Great
- ファンキーララバイ
- ファンキーララバイ (Long Version)
- LUNA
- 日本「生稲」紀行 + シングルコレクション(2008年7月16日)
- Jealousy In The Night
- 北斗七星の一夜
- 忘れたいのに
- オ・メ・デ・ト・ウ!
- モノローグ…春
- あした元気になあれ
- Japanese Girl
- さよならの岸辺から
- 麦わらでダンス
- 夢に逢いたい
- Virgin少年に接吻を
- Shadow of Palm Tree
- ファンファーレが聴こえる
- わたしだけのリバティー
- 夕映えの橋
- 朝露の瞳
- 日曜日はいらない
- 海になりたい
- Myこれ!Lite 生稲晃子(2010年4月21日)
- 麦わらでダンス
- 夢に逢いたい
- Virgin少年に接吻を
- ファンファーレが聴こえる
- わたしだけのリバティー
- Japanese Girl
- あした元気になぁれ
- 忘れたいのに
- 朝露の瞳
- 日曜日はいらない
- 海になりたい
- LUNA Great
おニャン子クラブのメインボーカル曲
- 恋はくえすちょん
- あんみつ大作戦
- 雨のメリーゴーランド
- ハートに募金を
- 誰のせいかな
- ワンサイド・ゲーム
- シンデレラのシューズ
- 雨のあやとり
- 風の物語
うしろ髪ひかれ隊のソロ曲
- 素敵なモーニングドライブ
- マーマレードの黄昏
出演
テレビドラマ
- あぶない少年II(1988年1月 - テレビ東京) - 生稲晃子 役
- あそびにおいでョ!(1988年7月 - 9月、フジテレビ) - 松坂ミキ 役
- 年末年始ホテル物語(1988年12月、TBS)
- ドラマ23・パパが私で私がパパで(1989年1月4日 - 1月12日、TBS) - 真理子 役
- ゴメンドーかけます(1989年7月 - 9月、フジテレビ) - 大川早苗 役
- ホテル物語・夏! 第5話(1989年8月、TBS)
- ドラマチック22(TBS)
- Y殺人事件-湯けむりスキーと女子大生!?-(1990年3月29日) - 夏目貴代 役
- 刑事犬カール 瀬戸内の追跡(1991年3月)
- 芸能界(秘)マネージャー物語(1990年4月、TBS)
- ぼくが医者をやめた理由(1990年5月 - 7月、テレビ東京)
- 月曜ドラマスペシャル お局さまはハイミス管理職2(1990年5月、TBS)
- 火曜ミステリー劇場 萩、津和野幽霊海岸殺人事件(1990年8月、テレビ朝日)
- 新春時代劇スペシャル 柳生十兵衛II・決闘!花の吉原(1991年1月、TBS)
- 水曜グランドロマン いつか、サレジオ教会で(1991年1月、日本テレビ)
- 月曜ドラマスペシャル 株式会社徳川家康(1991年3月、TBS)
- 水曜グランドロマン 女同士(1991年7月、日本テレビ)
- ひとりでみてネ「出ない…」(1991年10月、TBS)
- 七人の女弁護士 第2シリーズ 第1話「成田離婚殺人事件! 新妻レイプの秘密…」(1991年10月、テレビ朝日)
- 映画みたいな恋したい(テレビ東京)
- 愛は静けさの中に(1992年1月)
- アンタッチャブル(1992年1月)
- 告発の行方(1993年5月)
- サントリーミステリースペシャル 京都に死す(1992年2月、テレビ朝日)
- ネオドラマ みんなイッショ!!(1992年6月 - 7月、テレビ朝日)
- 豆腐屋直次郎の裏の顔(1992年7月 - 9月、ABC/テレビ朝日系) - 草野麻里 役
- 劇的空間 東京の恋人〜Tokyo lover〜(1992年8月 - 9月、中京テレビ)
- 吉本最後の日!?(1992年10月、YTV)
- 花王ファミリースペシャル ミスター天気予報本日快晴!2〜宮崎編(1992年11月、KTV/フジテレビ系)
- 柴門ふみセレクション「野望の女 好きなら好きと言いなさい!」(1992年12月、テレビ朝日)
- テレビ東京月曜9時枠の連続ドラマ#月曜・女のサスペンス 女子大生が消えた(1993年2月、テレビ東京)
- 月曜ドラマスペシャル キャメラマン健吾の旅情事件簿(1993年5月、TBS)
- サスペンス明日の13章 第12話「結婚不安症候群」(1993年6月、KTV/フジテレビ系)
- 水戸黄門 第23部 第8話(1994年9月19日、C.A.L/TBS系)
- さすらい刑事旅情編VII 第21話「大金入りカバン!女秘書の古傷」(1994年3月、テレビ朝日)
- 家族の条件〜優子の青春物語〜(1994年11月、テレビ大阪)
- 花王愛の劇場 あした家族になあれ(1995年6月 - 7月、TBS) - 奈津子 役
- 土曜ワイド劇場 事件3 死刑を求刑された女!(1995年6月、テレビ朝日)
- 月曜ドラマスペシャル 松島・蔵王殺人事件(1995年10月、TBS)
- 月曜ドラマスペシャル ミステリー列車が消えた!(1995年12月、TBS)
- 暴れん坊将軍VII (1996年7月- 1997年1月、テレビ朝日) - おぶん 役
- 暴れん坊将軍VIII(1997年7月 - 1998年3月)
- 暴れん坊将軍IX(1998年11月 - 1990年9月)
- ドラマ新銀河 コラ!なんばしよっと3(1997年10月 - 11月、NHK) - 立石京子 役
- ドラマ30 キッズ・ウォー(1999年 - 2002年、CBC/TBS系) - 今井春子 役 ※Part4まで出演(Part5では設定上亡くなってしまうため、写真のみ)
- はぐれ刑事純情派(テレビ朝日)
- 第16シリーズ 第5話「夫と子供を返して…完全犯罪トリックを崩せ!」(2003年4月) - 星野正美 役
- 第18シリーズ 第2話「安浦刑事を騙す女!?最後の新刑事、登場!」(2005年4月)
- 年末スペシャル(2005年・2006年) - 夏目刑事の妻 役
- 間寛平少年物語(2003年12月、KTV)
- 土曜ワイド劇場 温泉(秘)大作戦2(2005年1月15日、朝日放送/テレビ朝日系) - 北原志保 役
- 女と愛とミステリー 密会の宿3(2005年1月、テレビ東京)
- Sunny-Side-UP(2005年7月 - 9月、KBS京都) - 水谷礼子 役
- 金曜エンタテイメント 奥さまは警視総監(2006年7月、フジテレビ) - 綾小路弥生 役
- 連続テレビ小説 ちりとてちん(2007年10月 - 2008年3月、NHK) - 和田静 役
- 金曜プレステージ 山村美紗サスペンス・京都門司港殺人事件(2008年4月18日、フジテレビ系) - 中梅弥生 役
- ドラマ30 ママの神様(2008年5月 - 6月、CBC/TBS系) - 黒田藍子 役
- 月曜ゴールデン 自治会長・糸井緋芽子社宅の事件簿9(2009年2月16日、TBS) - 岸部里美役
- ゴーストタウンの花(2009年3月20日、テレビ朝日) - 武田秀美 役
- 霊能力者 小田霧響子の嘘 最終話(2010年12月5日、テレビ朝日) - 白井奈緒子 役
- 生まれる。 第4話(2011年5月13日、TBS) - 八坂朋子 役
- ハガネの女 season2 最終話(2011年6月16日、テレビ朝日) - 秋葉雪子 役
- 大奥〜誕生[有功・家光篇](2012年10月13日 - 、TBS) - 松平信綱の妻 役
- 49 第7話(2013年11月17日、日本テレビ) - 依田恵子 役
映画
- ギャッツビー ぼくらはこの夏ネクタイをする!(1990年、ビックバン=ジャパンホームビデオ 監督:磯村一路)
- 億万長者になった男。(1994年、エンドレスジャパン=ヒーロー 監督:高瀬昌弘) - 笠井和美 役
- 手のひらの幸せ(2010年、ゴー・シネマ 監督:加藤雄大) - 竹林郁子 役
- ライヴ(2014年、KADOKAWA 監督:井口昇) - 田村陽子 役
オリジナルビデオ
- ハイヒールGANG(1991年、松竹)
- ジャック パチスロ闇の帝王(1993年、ケイエスエス)
- 新・どくだみ荘2(1995年、松竹)
- 松方弘樹の名奉行金さん2009(2009年、GPミュージアムソフト)
バラエティ
- 夕やけニャンニャン(1986年6月 - 1987年8月、フジテレビ) - おニャン子クラブのメンバーとして活動
- 象印クイズ ヒントでピント(1990年1月14日(第511回) - 1991年12月22日(第597回)、テレビ朝日) - 4枠[16][17]
- クイズ仕事人(1990年5月 - 1991年3月、ABC) - 島田紳助とともに司会
- 料理天国(1991年4月 - 1992年9月、TBS) - アシスタント
- 快体新書(1991年4月 - 1992年3月、TBS)
- KATO&KENテレビバスターズ(1992年4月 - 1992年9月、TBS)
- クイズ地球まるかじり - 食キングクイズ時代にレギュラー出演。
- とびっきり!(TOKYO MX) - 毎週土曜日放送のレギュラー期を経て、2007年以降は年4回のスペシャルに出演
- ニノさん 日本テレビ 番組中の サウナのドラマ「サウナと私」に OL 主役で登場。
その他のテレビ番組
- 芸能花舞台( - 2006年2月NHK教育テレビ、)
- アナウンサーの古谷敏郎とのコンビで進行役。この番組では和服姿で臨月ぎりぎりまで出演したが、出産直前に降板。
- 古谷が直後、松山局へ異動となったため、そのまま完全降板した。なお、古谷はその後、東京に異動し、現在、芸能花舞台の司会を担当している。なお、2010-2011年の正月番組「こいつぁ春から〜初芝居生中継〜」で、再び、古谷と司会進行を務めている。
- ちい散歩(2007年4月 - 2012年5月、テレビ朝日) - スタジオMC、「商店街散歩 生稲がいく」、通販コーナーMC。
- 若大将のゆうゆう散歩(2012年5月 - 2015年9月、テレビ朝日) - 通販コーナーMC
- 生稲晃子のひかりバラエティ(インターネットテレビ&掲示板連動型casTY)
ラジオ
- おニャン子のあぶない夜だよ(1986年 - 1987年、ニッポン放送) - 渡辺満里奈とコンビで番組担当
- 関根勤のTOKYOベストヒット(1987年 - 1988年、ニッポン放送)
- 生稲晃子デートはこれから(1989年、ニッポン放送)
- 生稲晃子の野猪の血抜き(2015年、TBS) - 有吉弘行のドッ喜利王でくっきー(野性爆弾)の回答により実現した。
CM
- マクドナルド (1985年)
- ローソン からあげクン(1987年 - 1989年)
- 花王 リーゼ、ケープ、ケープソフト(1990年 - 1996年)
- キャスコ(1996年 - )
- 日本食肉消費総合センター Jビーフ(1997年 - 1998年)
- サントリー BOSS贅沢微糖(2010年)
舞台
- がしんたれ(1994年7月 - 8月)
- 浪花恋ごよみ(1996年1月、帝国劇場)
- 雪の夢 花のゆめ(1996年11月、明治座)
- 付馬屋おえん〜恋は未練よ紅牡丹〜(1996年12月、明治座)
- 裸足で散歩(1997年9月、六本木俳優座劇場)
- 雪の花見小路(1998年1月、名鉄ホール)
- 劇団若獅子公演・宮本武蔵(1999年8月)
- 天翔ける虹〜長州を破った男〜(1999年11月、明治座)
- 人生はガタゴト列車に乗って(2000年2月、帝国劇場)
- 北大路欣也特別公演・赤ひげ(2000年9月、御園座ほか)
- 佐久間良子特別公演・女の一生(2000年11月、芸術座ほか)
- 喜劇ちょっといい女(2002年6月、名鉄ホール)
- 西郷輝彦40周年記念公演・江戸を斬る(2003年10月、明治座)
- 吉本人情喜劇 花より大好き★夢絵巻(2004年5月 - 6月、名鉄ホール)
ゲーム
- VENUS PROJECT(2015年4月、GALAT)[18] - 稲岡亜希子 役
著書
脚注
- ↑ “公式プロフィール”. プロダクション尾木. . 2015閲覧.
- ↑ 週刊現代 1989年9月30日号 p.213 - 215
- ↑ 3.0 3.1 3.2 3.3 3.4 3.5 3.6 3.7 3.8 引用エラー: 無効な
<ref>
タグです。 「19ina
」という名前の引用句に対するテキストが指定されていません - ↑ 「今月のセーラー服美人」、『ザ・シュガー』1984年6月号、考友社出版、1984年、 86-87頁。
- ↑ 優勝者となったのは浅倉亜季。コンテストからの帰路は、ショックでずっと泣きながら帰宅した。
- ↑ 6.0 6.1 6.2 BOMB 1988年10月号「生稲晃子特集」より
- ↑ 7.0 7.1 吉田豪 『元アイドル!』 ワニマガジン社、2005年。ISBN 978-4-89829-792-6。
- ↑ “10月11日(土) 第182回: 振分親方×生稲晃子”. 極上空間. BS朝日. . 2016閲覧.
- ↑ 三波豊和の日本が元気です
- ↑ ハートフルライフカウンセラー学院
- ↑ 大場久美子も同校の卒業生。
- ↑ “生稲晃子 5度の手術も…初めて明かす乳がん闘病4年8カ月”. 女性自身. 光文社 (2015年11月10日). . 2015閲覧.
- ↑ “生稲晃子「働き方改革実現会議」の民間議員に正式決定”. スポニチアネックス. (2016年9月16日) . 2016閲覧.
- ↑ “生稲晃子ポツリ「悪いことしたかな…」”. デイリースポーツ (2015年11月11日). . 2016閲覧.
- ↑ “幸せな食事会”. オフィシャルブログ「AKKO REVOLUTION」 (2015年12月2日). . 2016閲覧.
- ↑ 司会の土居まさるには指名の際「アッコ」と呼ばれていた。
- ↑ 1994年1月30日(第681回)放送分にゲスト出演。
- ↑ “【速報】『魔法少女大戦』のガラットが贈るアイドルコンテンツ企画『VENUS PROJECT』が発表!”. 電撃オンライン. . 2015閲覧.
- ↑ “乳がん公表の生稲晃子、副作用に悩み「汗で突然起こされる」”. ORICON STYLE. (2016年5月17日) . 2016閲覧.
外部リンク
- 公式プロフィール - プロダクション尾木
- 生稲晃子オフィシャルブログ「AKKO REVOLUTION」 - Ameba Blog{{#invoke:WikidataCheck|wikidatacheck|property=P3502|value=akiko-ikuina|category=Ameba Blog ID|namespaces=0}}(2010年6月25日 - 2016年9月15日)
- 生稲晃子 公式ブログ Powered by LINE(2010年6月25日 - )
- 鉄板焼 佐吉 - 夫婦で経営する鉄板焼屋
- 日本元気レポート - レポーター
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