文明堂

提供: miniwiki
2018/8/11/ (土) 01:18時点におけるAdmin (トーク | 投稿記録)による版 (1版 をインポートしました)
移動先:案内検索

文明堂(ぶんめいどう)とは、カステラ和菓子商号商標1900年(明治33年)に長崎中川安五郎が創業し、実弟の宮崎甚左衛門が東京に進出させ、製造革新と斬新な販売、広告によって全国的に知られる暖簾となった。現在、複数の「文明堂」を冠する企業がある。

歴史

ファイル:中川安五郎01.jpg
創業者,中川安五郎の銅像。
  • 1900年明治33年) - 長崎市丸山町72番地で創業
  • 1922年大正11年) - 東京府上野黒門町(現・東京都台東区上野)に東京支店を開設
  • 1923年(大正12年) - 関東大震災で東京支店を焼失し長崎に帰る。再び麻布箪笥町(現・東京都港区六本木)に出店。
  • 1928年昭和3年) - 文明堂合資会社(現在の株式会社文明堂総本店)を設立し、大波止店を新築し本店とした。
  • 1930年(昭和5年) - 神戸店を開店。
  • 1933年(昭和8年) - 横浜店を開店。新宿店を開店。
  • 1939年(昭和14年) - 銀座店を開店。
  • 1945年(昭和20年) - 疎開による撤去や、原爆の被害を受けるなどして経営が一時中断。
  • 1946年(昭和21年) - 経営が再開、東京・横浜・神戸等の地方支店は経営を分離。
  • 1946年(昭和26年) - 日本橋文明堂を設立。
  • 1967年(昭和42年) - 浜松文明堂を設立。
  • 2010年(平成22年) - 新宿文明堂と日本橋文明堂が合併し、文明堂東京設立。
  • 2014年(平成26年) - 文明堂東京・文明堂銀座店がグループ化。

第二次世界大戦後に経営が再開されて以降文明堂は、根は同じ長崎の文明堂であるが、別々の会社となる。長崎には文明堂合資会社から改称した株式会社文明堂総本店神戸には株式会社文明堂神戸店浜松には株式会社浜松文明堂横浜には株式会社文明堂新宿には株式会社文明堂東京銀座には株式会社文明堂銀座店六本木には株式会社麻布文明堂と、現在7社の文明堂が存在している。

複数の『文明堂』

文明堂の扱う商品は、カステラ・カステラ巻きと三笠山(どらやき)は菓子製造から撤退した麻布文明堂を除いた6社すべてが製造するものの、地域性から会社ごとにカステラの味が違っていたり、別商品を扱っている点も特徴的で、その特徴ゆえに、会社を間違えて欲しい商品が買えなかったという話も存在する。具体的には以下の会社が独自の商品展開を行っている。

会社特有の商品展開
会社名 商品
文明堂総本店 桃カステラ、レモンケーキ、合わせ最中、ようかん、さざれ菊
文明堂神戸店 爛華カステラ、栗饅頭、半月最中
浜松文明堂 ハニーカステラ、「お茶みかん」・「花絵巻」(タルト
文明堂(横濱文明堂) 極上金かすてら、サブレ、クッキー、羊羹
文明堂東京 ハニーカステラ、最中、小巻(タルト) 、パイポルト
文明堂銀座店(銀座文明堂) ブッセ、バームクーヘン、マドレーヌ(ボワイヤージュ)

文明堂各社では創業を1900年(明治33年)、初代を中川安五郎としており、東日本を中心にTVCMも共同で放映している(後述)。このため、先述どおり根は同じ長崎であることがわかる。社紋についてはかつて日本橋と浜松は丸文の紋を掲げていたが、現在は全社が中川の紋で統一されている。

株式会社文明堂銀座店が発売している商品には「銀座文明堂」、株式会社文明堂(横浜)が発売している商品には「横濱文明堂」と表示されている。また、株式会社文明堂銀座店の東銀座店は、「文明堂銀座店東銀座店」となるのではなく、「銀座文明堂東銀座店」となる。「文明堂銀座店」はあくまで会社名であり、店の屋号は「銀座文明堂」である。

2008年(平成20年)、日本橋文明堂と新宿文明堂は共同持株会社「文明堂東京ホールディングス」を設立し、2010年(平成22年)10月にその下で合併して文明堂東京となった。なお日本橋文明堂時代から「ハニーカステラ」の商標を持ち、販売されている。ちなみに創業者が日本橋文明堂と同じく宮崎甚左衛門である浜松文明堂でも「ハニーカステラ」は販売されている。

文明堂東京は横浜駅西口・港南台では横濱文明堂と、大阪梅田では神戸文明堂とお互い競合関係にある。また、横濱文明堂と浜松文明堂も浜松市内で競合関係にある。

麻布文明堂2003年(平成15年)にカステラを含めた菓子類の製造販売を休止し、アロマテラピー商品やオーガニック商品などの販売を行うショップ、「ABJOY(エービージョイ)」を運営している。

のれん分け

大阪銀装や、東京・千歳船橋文栄堂は文明堂からのれん分けされた企業である。

CM

関東地方

関東地方では、カンカンダンスを踊るクマの操り人形のテレビコマーシャル(文明堂豆劇場)と、そのCMで流れるジャック・オッフェンバックオペレッタ地獄のオルフェ(邦題「天国と地獄」)」の序曲にのせたひばり児童合唱団による「カステラ一番、電話は二番、三時のおやつは文明堂」というCMソングが有名である。このCMは関東地方の日本橋文明堂を除く文明堂数社が共同で制作したもので、1960年代からモノクロで放映開始。その後1990年代からはリメイクされたカラー版が放映されている。最後のマークは中川の紋である。日本橋文明堂のCMを含む歴代のCMは文明堂東京のサイトで視聴可能。

マリオネットを操っているのは、NHK私の秘密』に出演していた、オーストラリアから来たノーマン・バーグナンシー・バーグ夫妻で、80年代放映のCMでは映像中に登場し実演を行っている。このクマの人形は夫人の手作りで、クマの割には尻尾が長めに設定されている。これは、欧米で人気のあった猫のキャンキャンキャットを想定して作ったためであり、後で会社の意向によりクマに変更されたときの名残である。

スクウェア・エニックスのSRPGである『半熟英雄VS 3D』のシナリオ間のCMデモとしてモノクロバージョンのこのCMが採用されており、実際に流れる演出がある。

人形が歌う「電話は二番」というフレーズだが、これは、文明堂の加入者番号が2番(2000 - 2999番を全て文明堂で使用し、下3桁のダイヤルを不要とした。)だからで、当時の電話交換機は交換台を経由する時代であったため、交換手に局の名前と2番(例として赤坂局の2番)と告げれば文明堂に繋げた事から1937年(昭和12年)に文明堂が電話帳の裏に載せていた「カステラは一番、電話は二番」というキャッチフレーズに由来する。

文明堂は現在でも加入者番号を0002番にしたり、20番、222番など、電話番号に2を入れる傾向がある。なお、北海道など一部地域のCMでは最後のフレーズが「三時のおやつは」ではなく、「カステラ一番」に変更されている。

兵庫県

文明堂神戸店はかつて、「文明堂・神戸店」名義でフラメンコを踊る女性と共に「カステラ一番、電話は二番、神戸のカステラ文明堂」とのフレーズが流れる独自のCM(旋律も異なる)を、地元兵庫県のサンテレビで頻繁に流していた。宣伝看板も緑と黄の独特のものが、現在も県内あちこちにある。このため、以前の兵庫県下には文明堂を「(モロゾフゴンチャロフ製菓のような)神戸固有の洋菓子店の一つ」と、CMの音声のみから判断し思い込んでいる子供が多かった。兵庫県では踊る操り人形バージョンのCMが流れていないため、大人でも件のCMを知らないことがあった。現在でもフレーズは「♪文明堂のカステラ」。カステラの部分は音楽が消え台詞のみのCMがラジオ関西で流れる。

長崎県

長崎県内では昔から、文明堂総本店が「ぶんぶぶぶん、ぶんぶんぶん、文明堂のかすてーら♪」という歌い出しで始まるもの、「カステラ一番、電話は二番、文明堂のカステーラ」、別のBGM版では「文明堂の、かすてらー♪」という旋律もフレーズも首都圏版や神戸版とも違うCMを流すなど独自の傾向が見られる。この為、東日本で知られている上記のカンカンダンスを踊る操り人形バージョンのCFは全国ネット番組の同時ネット時間帯で東日本版が長崎でも流れたことはあるが、存在を知らない人も多数存在する。また、長崎県ではカンカンダンスとは違う「デキシーパンダ」なるパンダの人形によるバンド演奏をするCMもあり(楽曲は前述のぶんぶぶぶんのもの)、他にも1984年(昭和59年)頃からは、長崎県の童歌を用いた「でん出らりゅう編」、「赤っかとばい編」のものも放映されている。

1969年(昭和44年)頃には『ひみつのアッコちゃん』や『リボンの騎士』のキャラクターを用いたCMがあり、1973年(昭和48年)頃からは、午後3時の時報を兼ねた東映動画製作によるアニメーションCM「3時のおやつ編」をテレビ長崎で『3時のあなた』→『タイム3』、並びにNBCテレビで『アフタヌーンショー時差ネット)』の直前に流していた。

その他

東海地方京都府など、「カステラ一番、電話は二番」というフレーズを使わないCMを最近まで流していた地域もある。

屋号の意匠

現在の、銀座・東京・麻布の文明堂の屋号の文字は、文人としても知られた歌舞伎役者の中村吉右衛門(初世)の筆によるもの。

関連項目

  • 銀装(大阪心斎橋にある文明堂から暖簾分けされて作られた店)
  • 千なり - 両口屋是清から販売されているどら焼きの一種。三笠山から触発されて作成された。

外部リンク