「二子」の版間の差分

提供: miniwiki
移動先:案内検索
(1版 をインポートしました)
 
37行目: 37行目:
 
| footnotes =  
 
| footnotes =  
 
}}
 
}}
'''二子'''(ふたご)は[[神奈川県]][[川崎市]][[高津区]]の地名である。現行行政地名は二子一丁目から二子六丁目。[[住居表示]]実施済み区域<ref>{{Cite web |url=http://www.city.kawasaki.jp/kurashi/category/16-16-10-10-0-0-0-0-0-0.html|title=区別町名一覧表|publisher=川崎市|accessdate=2018-02-15}}</ref>。[[郵便番号]]は213-0002<ref name="postal" />。
+
'''二子'''(ふたご)
  
==地理==
+
[[神奈川県]][[川崎市]][[高津区]]の地名。
北東部は[[多摩川]]に接する。町内をかつての官道「'''[[大山街道]]'''」および「'''[[国道409号|府中街道]]'''」が東西および南北に貫き、隣接する[[溝口 (川崎市)|溝口]]とともに交通の要衝として栄えた。
 
  
現在は、[[川崎市]]北部の中核商業都市、および[[高津区]]の中心としての機能は隣接する溝口が担っており、二子町内は閑静な住宅街となっている。
+
現行行政地名は二子一丁目から二子六丁目。[[住居表示]]実施済み区域<ref>{{Cite web |url=http://www.city.kawasaki.jp/kurashi/category/16-16-10-10-0-0-0-0-0-0.html|title=区別町名一覧表|publisher=川崎市|accessdate=2018-02-15}}</ref>。[[郵便番号]]は213-0002<ref name="postal" />。
  
==歴史==
 
<!--
 
以下、見出しと本文冒頭で○○時代が被って冗長になりますが、[[WP:MOS#見出し|見出しにリンクを設定すべきでない]]ようなので次のような書き方をしています。
 
-->
 
===律令時代===
 
[[律令制|律令時代]]に[[武蔵国]]の[[国衙]]が置かれた[[府中市_(東京都)|府中]]と各地を結ぶ[[府中街道]](現・[[国道409号]])が当町の南部を通っており、[[久良岐郡]](現在の[[横浜市]]の一部)・[[橘樹郡]](現在の[[川崎市]]の大部分および[[横浜市]]の一部)より武蔵国[[国府]]、および [[8世紀]]以前の主要街道であった[[東山道#道路|東山道(中山道、甲州街道)]]へ至る道として活発に利用された。
 
 
この当時、二子村の中心は府中街道沿いにあり、府中街道周辺の[[小字|字名]]に「元居村」の名を残している。
 
 
===江戸時代===
 
 
1641年(寛永18年)、多摩川の洪水に悩まされていた光明寺が、[[矢倉沢往還]]が整備されるとともに、周辺の住民とともに街道沿いに移動した。これが二子村の起こりと言われる。
 
 
[[江戸時代]]中期には、[[江戸]]と[[上方]]を結ぶ[[足柄道]]として、また[[大山_(神奈川県)|大山]][[山岳信仰|信仰]]の[[参詣]]道として、矢倉沢往還は[[大山街道]]と呼ばれるようになった。すると、かつては[[国道409号|府中街道]]沿いに立地していた中心街が、おのずと大山街道沿いに移ってゆくこととなる。
 
 
また、江戸時代に[[多摩川]]は江戸護衛の観点より架橋が制限されていたこともあり、[[大正時代|大正]]年間に[[二子橋]]が架かるまで大山街道は[[渡船]]「[[二子の渡し]]」で多摩川を越えていた。このため、渡船の着発する二子および隣の溝口町内の大山街道沿いは宿場町として栄えた。
 
 
=== 二子橋架橋以降 ===
 
{{右|
 
[[画像:Futago_Tamagawanashi_06z0968s.jpg|thumb|none|かつて盛んに栽培されていた「[[多摩川梨]]」。<small>現在は環境保全型農業としての役割も担い、一部地域で栽培されている。(2006年 7月28日撮影)</small>]]
 
[[画像:Futago_06x2045s.jpg|thumb|none|極僅かに残る農地は今も減り続けている<small>(2006年 5月14日撮影、この[[畑]]も 2ヶ月後には[[マンション]]建設予定地となった。)</small>]]
 
[[画像:Futago_06b7656s.jpg|thumb|none|橋の名が昔を留める「二子塚」<small>(2006年 5月25日撮影)</small>]]
 
}}
 
1924年(大正13年)の[[二子橋]]架橋に先立って、二子橋の工事関係者のために、二子の船宿「亀屋」が[[二子神社]]裏に「新亀屋」を開業し、架橋をきっかけに芸者置屋、待合、料亭を合わせた三業地が形成された<ref name="s177">[[#鈴木2004|鈴木2004]], p177</ref>。芸妓屋や料理屋が高津警察署の許可を得て結成された二子三業組合員の数は1932年(昭和7年)には43にのぼり、最盛期には全体で100人の芸者がいた<ref name="s177" />。業者は渋谷や大森の人が多く、料理部屋5、6室の店を板前3人ほどで営業し、アユや鯉、マルタ、ナマズ、ウナギ、鮒の甘露煮などが客に提供された<ref name="s177" />。戦前まではそれぞれのお茶屋が持つ屋形船に七輪を持ち込んで、獲ったばかりのアユを料理していた<ref name="s177" />。
 
 
[[1927年|昭和2年]]には[[玉川電気鉄道#溝ノ口線|玉川電気鉄道溝ノ口線]](現在の[[東急田園都市線]])が開業し、町内の大山街道沿いに「[[二子新地駅|二子]]」(後に二子新地前、二子新地)<ref>町名は「ふた'''ご'''」と濁って読むが、駅名は「ふた'''こ'''しんち」と濁らない。</ref>、および府中街道沿いに「[[高津駅_(神奈川県)|高津]]」の 2駅が設けられた。
 
 
[[大山街道]]は[[大正時代|大正]]年間に[[都道府県道|県道]]1号線に指定され、後に[[国道246号]]線に指定されるが、[[一般国道|国道]]となった後に大規模な整備が行われ、[[久地#津田山(七面山)|津田山(七面山)]]を[[切通し]]と陸橋で越える[[東京・横浜バイパス]]が建設された。この[[バイパス道路]]が国道に指定されると、旧道は国道指定から外され一般市道となる(なお高津十字路以西の溝口町内は[[神奈川県道14号鶴見溝ノ口線|県道14号鶴見溝口線]])。以降、旧道は専ら「[[大山街道]]」または「旧大山街道」と呼ばれている。
 
 
[[昭和]]中期までは、町内でも周辺各町と同様に、[[多摩川]]の肥沃で平坦な[[扇状地]]を活用した[[農業]]が盛んであった。街道沿いに栄えた商店街から一歩入ると[[田]][[畑]]が広がり、また「多摩川[[ナシ|梨]]」の産地の一角でもあったが、近年の急速な宅地化に伴い、今では町内の農地はごく僅かに残るのみとなった。
 
 
近年まで、[[大山街道]]沿いには[[宿場町]]として栄えた時代の名家の蔵や商店などが建ち並んでいたが、[[1977年|昭和52年]]の東急新玉川線(現在の田園都市線の一部)開業後に東京都心への通勤圏に組み込まれて以降急速に宅地化が進み、しかも[[大山街道]]沿いは[[都市計画]]上では[[近隣商業地域]]に指定されていたことから建物の建築制限が緩く、現在は大きな[[マンション]]が乱立する光景へと急速に様変わりしつつある。
 
 
=== 町名の由来 ===
 
町内の元居村(現在の二子5丁目、二子6丁目付近)の近くに、かつて2つの古墳があり、それが「'''二子塚'''」(ふたごつか)と呼ばれていたことにちなむと言われている。
 
 
この二子塚は[[大正時代]]に地元有志の手により調査され、調査時の出土品が写った記録写真1枚だけが今も残っているが、その塚および出土品は、後の震災、戦争、宅地開発などの狭間で行方知れずとなった。今は、二子5丁目の[[二子塚公園]]に二子塚の碑が建つ他、この公園や[[二ヶ領用水]]に架かる橋のひとつ「二子塚橋」、周辺のマンションに辛うじて名前を留めるのみである。
 
 
===明治以降の行政区画===
 
* [[1878年]](明治11年) - [[神奈川県]][[橘樹郡]]二子村。
 
* [[1889年]](明治22年) - [[溝口 (川崎市)|溝口村]]など近隣7ヶ村と合併し、高津村[[大字]]二子になる。
 
* [[1912年]](明治45年) - 多摩川左岸地域(現在の兵庫島公園、二子玉川緑地付近)が[[北多摩郡]][[砧村]][[大字]]鎌田(現在の[[世田谷区]][[鎌田 (世田谷区)|鎌田]]一丁目)へ編入される。
 
* [[1927年]](昭和3年) - 町制施行、神奈川県橘樹郡[[高津町 (神奈川県)|高津町]]大字二子になる。
 
* [[1937年]](昭和12年) - [[川崎市]]に編入、神奈川県川崎市大字二子になる。
 
* [[1972年]](昭和47年) - [[政令市|政令指定]]に伴い行政区が設置され、神奈川県川崎市[[高津区]]大字二子になる。
 
* [[1997年]]度(平成9年度) - [[住居表示]]実施(大字を廃し町を設置)。このとき[[溝口 (川崎市)|溝口]]、諏訪、[[瀬田 (世田谷区・川崎市)|瀬田]]、[[久地]]との町境を一部変更している。
 
<!--
 
http://www.city.kawasaki.jp/50/50hyouzi/index/gaiyou8/gaiyou8.htm
 
-->
 
{{clear}}
 
 
==町内の名所・催事==
 
{{右|
 
[[ファイル:Oyamakaido_06b7631cs.jpg|thumb|none|「大山街道」、裏面は「二子大通り」。<small>(2006年 5月25日撮影)</small>]]
 
[[ファイル:Futago_06b7623v.jpg|thumb|none|かつて「二子学舎」が置かれた光明寺<small>(2006年 5月25日撮影)</small>]]
 
[[ファイル:Oyamakaido_06z1096s.jpg|thumb|none|高津区民祭で[[大山街道]]を練り歩く[[盆踊り]]パレード<small>(2006年 7月30日撮影)</small>]]
 
}}
 
; [[大山街道]]
 
:「二子大通り」(ふたごおおどおり)とも呼ばれる。
 
: 隣接する溝口町内とともに、沿道の商店が[[江戸時代]]の旧街道にちなんで「口上」の立て看板や標示を掲げている。
 
: 沿道の名所・旧跡の前には[[川崎歴史ガイド]]の案内板が設置されている。
 
; [[二子神社]]
 
: 旧二子村[[村社]]。最初の[[鳥居]]と参道が大山街道に面しており、[[川崎歴史ガイド]]および大山灯籠の案内標は大山街道沿いに立てられている。境内には町内会の集会所が併設されている。かつては専属の[[宮司]]が居たが、現在は[[溝口神社]]が兼務している。
 
; [[岡本かの子]]文学碑「誇り」
 
: 二子神社境内に、[[1962年|昭和37年]]11月1日に建てられた。彫刻は[[岡本太郎]]による。文学碑建立を唱導したのは[[中野愚堂]]で、文学碑の設計は[[丹下健三]]。築山の歌碑は、かの子の「年々にわが悲しみは深くしていよよ華やぐ命なりけり」の歌がかの子自身の自筆で刻まれ、碑詞は[[亀井勝一郎]]の撰文で、それを[[川端康成]]が揮毫した<ref>[[#鈴木2004|鈴木2004]], p178</ref>。
 
; [[光明寺 (川崎市)|大悲山光明寺]]
 
: [[浄土真宗]][[真宗大谷派|大谷派]]。かつては元居村にあったが、江戸時代に住民の移動とともに[[大山街道]]沿いへ移された。明治時代には「二子学舎(ふたごがくしゃ)」が置かれ、地域の近代初等教育を担った。
 
: 構内に大きな[[クスノキ]](市指定保存樹木)があり、街に風情を添える。
 
; [[二子橋]]
 
; [[多摩川]]河川敷
 
: 休日になると[[サイクリング]]や各種行楽に訪れる人で大変賑わう。
 
; 高津区民祭
 
: 例年 7月の最終日曜日に二子・溝口の大山街道沿いで開催される。パレードや二ヶ領用水(大石橋付近)での[[灯籠]]流しなどが開催され多くの人が繰り出し賑わう。
 
: また、この期間に合わせて[[大山街道ふるさと館]]では地域にゆかりの著名人による展示が開催される。
 
; 川崎市制記念多摩川花火大会
 
: 例年 8月中旬頃の土曜日に、隣接する諏訪地先の多摩川河川敷を打ち上げ場所として開催される。[[二子新地駅|二子新地]]・[[高津駅_(神奈川県)|高津]]両駅が最寄駅となるため当日は大変賑わう。
 
: [[二ヶ領用水]]
 
: 町内には久地・二子堀、六ヶ村堀、川崎堀が流れていたが、現在は前 2者はほとんど[[暗渠]]化されており流路を辿るのは困難になっている。川崎堀は普通河川として管理されている。
 
; 大山街道フェスタ
 
; 高津スポーツセンター
 
 
===かつての名所・旧跡===
 
*二子塚(ふたごつか)
 
*[[二子の渡し]](ふたごのわたし)
 
*大貫(おおぬき)家の人々 - [[岡本かの子]]・[[岡本太郎|太郎]]両名ゆかりの地。かつては地域の中核医療施設・大貫病院があったが、現在は閉院しマンションが建っている。
 
* 二子ノ帰帆 - [[大山街道]]を通る人向けに販売された[[溝の口]]周辺の名所案内錦絵「[[武陽玉川八景之図]]」(1791年 寛政3年 発行)に記載された二子の見どころ。[[佐野渡]]の和歌『夕風を孕んで帰るむしろ帆に 月の生るゝ二子すずしき』が添えられ、紹介されている。
 
 
== 世帯数と人口 ==
 
[[2017年]](平成29年)[[12月31日]]現在の世帯数と人口は以下の通りである<ref name="population" />。
 
{| class="wikitable"
 
![[丁目]]!![[世帯|世帯数]]!![[人口]]
 
|-
 
|二子一丁目
 
|style="text-align:right"|2,562世帯
 
|style="text-align:right"|4,592人
 
|-
 
|二子二丁目
 
|style="text-align:right"|1,492世帯
 
|style="text-align:right"|2,305人
 
|-
 
|二子三丁目
 
|style="text-align:right"|1,446世帯
 
|style="text-align:right"|2,874人
 
|-
 
|二子四丁目
 
|style="text-align:right"|1,085世帯
 
|style="text-align:right"|1,759人
 
|-
 
|二子五丁目
 
|style="text-align:right"|918世帯
 
|style="text-align:right"|1,632人
 
|-
 
|二子六丁目
 
|style="text-align:right"|705世帯
 
|style="text-align:right"|1,295人
 
|-
 
|style="text-align:center"|計
 
|style="text-align:right"|8,208世帯
 
|style="text-align:right"|14,457人
 
|}
 
 
== 小・中学校の学区 ==
 
市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる<ref name="school_kawasaki_1">{{Cite web|url=http://www.city.kawasaki.jp/880/category/9-2-0-0-0-0-0-0-0-0.html|title=川崎市立小学校の通学区域|publisher=川崎市|date=2015-04-01|accessdate=2018-02-15}}</ref><ref name="school_kawasaki_2">{{Cite web|url=http://www.city.kawasaki.jp/880/category/9-3-0-0-0-0-0-0-0-0.html|title=川崎市立中学校の通学区域|publisher=川崎市|date=2015-04-01|accessdate=2018-02-15}}</ref>。
 
{| class="wikitable"
 
!丁目!!番地!!小学校!!中学校
 
|-
 
||二子一丁目||全域||rowspan=2|[[川崎市立高津小学校]]||rowspan=2|[[川崎市立西高津中学校]]
 
|-
 
||二子二丁目||全域
 
|-
 
||二子三丁目||全域||rowspan=2|[[川崎市立東高津小学校]]||rowspan=4|[[川崎市立高津中学校]]
 
|-
 
||二子四丁目||全域
 
|-
 
||二子五丁目||全域||rowspan=2|[[川崎市立坂戸小学校]]
 
|-
 
||二子六丁目||全域
 
|}
 
 
==周辺==
 
*[[溝口 (川崎市)|溝口]] - [[久地]] - [[瀬田 (世田谷区・川崎市)|瀬田]] - 諏訪 - 坂戸
 
*[[二子橋]]
 
*[[サンジェルマン_(製パン)|サンジェルマン]]多摩川工場
 
 
===公共交通===
 
* [[東急田園都市線]]
 
** [[二子新地駅]]、[[高津駅_(神奈川県)|高津駅]]
 
* [[東急バス]]
 
** [[東急バス高津営業所|溝02、溝03、川31各系統]]
 
** [[東急バス高津営業所#久地線|向02系統]]
 
** [[東急バス高津営業所#新道線|渋12系統(出入庫のみ)]]
 
* [[川崎市バス]]
 
** [[川崎市バス上平間営業所|溝05系統]]
 
 
== 注釈・出典 ==
 
{{脚注ヘルプ}}
 
{{Reflist}}
 
 
== 参考文献 ==
 
* {{Cite book|和書|author=鈴木穆|year=2004|month=1|title=高津物語 上巻|publisher=タウンニュース社|ref=鈴木2004}}
 
 
==関連項目==
 
*[[高津区]]
 
*[[川崎歴史ガイド#大山街道]]
 
*[[二子村]]
 
  
 
==外部リンク==
 
==外部リンク==
 
*[http://www.city.kawasaki.jp/takatsu/ 川崎市高津区]
 
*[http://www.city.kawasaki.jp/takatsu/ 川崎市高津区]
*[http://www.city.kawasaki.jp/880/page/0000000072.html 二子神社(川崎市教育委員会)]
 
*[http://www.city.kawasaki.jp/880/page/0000000066.html 光明寺(川崎市教育委員会)]
 
*[https://web.archive.org/web/20060822005844/http://www.city.kawasaki.jp/67/67tisin/home/ooyama/samitto/index.htm 大山街道サミット]<br /><small>二子・溝口地区を中心とし、[[大山街道]]の歴史を活かしての沿道地域の活性化を目的とする市民活動。</small>
 
*[http://www.futago.jp/ 二子大通り商和会]
 
*[http://www.mmjp.or.jp/mzkodrsk/ 溝口大山街道振興会]
 
*[http://furusatokan.web5.jp/ 川崎市大山街道ふるさと館]
 
*[http://www.taromuseum.jp/ 岡本太郎美術館]
 
*[http://www.pref.kanagawa.jp/osirase/tosiseibi/machi/keikan/50sen_100sen/machinami100/machinami100_index.htm かながわのまちなみ100選(神奈川県)]
 
  
{{高津区の町・字}}
+
{{テンプレート:20180815sk}}
 
{{DEFAULTSORT:ふたこ}}
 
{{DEFAULTSORT:ふたこ}}
 
[[Category:高津区の町・字]]
 
[[Category:高津区の町・字]]

2018/10/16/ (火) 23:49時点における最新版


二子
—  町丁  —
二子の位置
二子
二子の位置
座標: 東経139度37分12.45秒北緯35.6082667度 東経139.620125度35.6082667; 139.620125
日本の旗 日本
都道府県 Flag of Kanagawa Prefecture.svg 神奈川県
市町村 Flag of Kawasaki, Kanagawa.svg 川崎市
高津区
面積[1]
 - 計 0.7059km2 (0.3mi2)
人口 (2017年(平成29年)12月31日現在)[2]
 - 計 14,457人
等時帯 日本標準時 (UTC+9)
郵便番号 213-0002[3]
市外局番 044 (川崎MA)[4]
ナンバープレート 川崎

二子(ふたご)

神奈川県川崎市高津区の地名。

現行行政地名は二子一丁目から二子六丁目。住居表示実施済み区域[5]郵便番号は213-0002[3]


外部リンク



楽天市場検索:


  1. 町丁別面積(総務省統計局「地図で見る統計(統計GIS)」の数値)”. 川崎市 (2015年10月26日). . 2018閲覧.
  2. 町丁別世帯数・人口”. 川崎市 (2018年1月25日). . 2018閲覧.
  3. 3.0 3.1 郵便番号”. 日本郵便. . 2018閲覧.
  4. 市外局番の一覧”. 総務省. . 2018閲覧.
  5. 区別町名一覧表”. 川崎市. . 2018閲覧.