「キリストの降誕」の版間の差分

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[[ファイル:キリストの降誕を主題とした作品『聖夜』油彩(15世紀後期)ヘールトヘン画,ロンドン・ナショナル・ギャラリー蔵.jpg|サムネイル]]
'''キリストの降誕'''(キリストのこうたん)とは、[[イエス・キリスト]]の誕生のこと。英語で大文字の Nativity は、キリストの降誕を指すことが多い。
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'''キリストの降誕'''(キリストのこうたん)
  
==福音書における記述==
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[[キリスト教美術]]の主題。超歴史的存在である神が,死すべき人間の現身をとり,人間の救済のためにこの世に生まれたという,いわゆる受肉の教義は,[[キリスト教]]信仰の中核である。そのため,救い主[[イエス・キリスト]]の降誕は教会で盛大に祝われ,無数の美術作品に描かれている。おもな典拠は『マタイによる福音書』1章 18~25および『ルカによる福音書』2章 1~20であるが,そのほかいわゆる外典の『ヤコブの福音書』『偽マタイの福音書』などに含まれた伝承が画像化された。一般に聖子イエスは馬小屋(東方では岩穴)の中に置かれた飼葉桶に横たえられ,ウシとロバがこれを見守る。聖母マリアはそのかたわらに座し,あるいは横たわり,養父ヨセフは憂い悩みつつ少し離れたところに腰を降ろす。聖子をたたえる天使の群れ,産湯の場面,不信仰な産婆の物語などがこれにつけ加えられることもある。13世紀以降は民衆の信仰運動が高まるにつれ,しだいに世俗的な要素が増加し,母子の情愛,ヨセフの家庭的役割などが強調されるようになった。中世末期の神秘主義者の幻想(偽ボナベントゥラ,スウェーデンの聖女[[ビルギッタ]])も強い影響を及ぼす。15世紀に入ってからは,夜景として描かれることが多くなった。羊飼いの告知,[[羊飼いの礼拝]],東方三博士の旅と礼拝([[東方三博士の礼拝]])など,隣接する福音書説話場面と組み合わせて表現することも多い。
イエスの降誕は『[[マタイによる福音書]]』と『[[ルカによる福音書]]』のみに書かれている。それによれば、イエスはユダヤの町[[ベツレヘム]][[処女]][[聖母マリア|マリア]]より生まれたという。
 
  
『マタイ福音書』では、[[ナザレのヨセフ|ヨセフ]]とマリアがベツレヘムに居た経緯の詳細は記述されていないが、『ルカ福音書』の場合は、住民登録のために[[イエスの母マリア|マリア]]とともに先祖の町ベツレヘムへ赴き、そこでイエスが生まれたとある。ベツレヘムは[[古代イスラエル]]の王[[ダビデ]]の町であり、[[メシア]]はそこから生まれるという預言(『[[ミカ書]]』5:1)があった。
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『ルカ福音書』では、ベツレヘムの宿が混んでいたために泊まれず、イエスを飼い葉桶に寝かせる。そのとき、[[天使]]が[[羊飼い]]に救い主の降誕を告げたため、彼らは幼子イエスを訪れる。
 
 
 
『マタイ福音書』では、[[東方の三博士]]が[[ベツレヘムの星|星]]に導かれてイエスを礼拝しに来る。
 
 
 
== 降誕の情景 ==
 
[[Image:Maiori Presepe Giardini Mezzacapo 2004 038.JPG|thumb|right|220px|キリスト降誕の情景を再現するイタリアのプレゼピオ(Presepio/[[:it:Presepe|Presepe]])]]
 
[[ファイル:MCB-icon12.jpg|thumb|right|180px|[[ギリシャ正教会]]:降誕祭(クリスマス)の[[イコン]]([[アテネ]]博物館所蔵)]]
 
『ルカ福音書』は「飼い葉桶に寝かせた」と書いている。
 
 
 
馬はこの場には居らず、代わりに牛とロバが居る。福音書には根拠がなく、『[[イザヤ書]]』(1:3)から採られている。また、[[西方教会]]では小屋(日本語では「厩」もしくは「馬小屋」と書くが、家畜小屋と考えたほうが良い)としての伝承が通例であるが、[[正教会]]では洞窟と伝承され<ref>[http://www.orthodox-jp.com/liturgy/prayerbook/feast/0107Christmas.html ハリストス降誕祭の祈祷書]において、「洞(ほら)」で出産が行われた旨が詠われている。</ref>、[[イコン]]にもそのように描かれる。新約外典『ヤコブ原福音書』は洞窟で産まれたと書いている。
 
 
 
キリスト降誕の情景は上記を基本に描かれるが、[[カトリック教会]]やその影響の強い国々では人形で再現する。(これを「飼い葉桶」の意味で、イタリア語ではプレゼピオ、フランス語ではクレッシュ、ドイツ語ではクリッペ、英語ではクリブ、スペイン語ではベレンと言う。)多くは[[ミニチュア]]であるが、実物大の人形と小屋が仮設されるところもある。
 
 
 
東方の三博士は、[[救世主イエス・キリスト]]の降誕を見て拝み、[[乳香]]、[[没薬]]、[[金|黄金]]を贈り物としてささげたとされる。ローマ支配下で親ローマ政策をとったユダヤの[[ヘロデ大王]]は、新たなる王(救世主)の誕生を怖れ、生まれたばかりの幼子を見つけたら自分に知らせるようにと博士たちに頼むが、彼らは夢のお告げを聞いていたのでヘロデ王のもとを避けて帰ることができたといわれている。
 
 
 
== 降誕祭 ==
 
[[キリスト教徒]]の間では、イエス・キリストの[[主日]]として、毎年[[12月25日]]に『[[クリスマス]]』が祝われる。イエス・キリストの[[誕生日]]は『[[新約聖書]]』には記載されていないことから、元来は[[冬至]]祭でなかったか?と、研究者の間で言われている。
 
 
 
== 降誕の場面を描いた作品 ==
 
* 『[[ベン・ハー]]』 - 冒頭で、イエス・キリストの降誕が描かれている。その後劇中に何度かイエス・キリストが登場するが、顔は写されておらず、全て後姿である。
 
 
 
== 生まれた場所・系譜について ==
 
[[高等批評]]や[[自由主義神学]]の聖書学においては、ベツレヘムで生まれたという記述は、預言に適合させるために作られた伝説、神話であると考えられている。こうした立場からは、『[[ヨハネによる福音書]]』においては、イエスは[[ガリラヤ]]の[[ナザレ]]の出身であると記されており、『[[マルコによる福音書]]』『マタイ福音書』『ルカ福音書』のいずれにおいても、イエスが[[ダビデ]]王の子孫であることは否定されているとされる。この立場において、イエスは誕生物語以外の場面では一貫して「ナザレ人」「ナザレ出身者」の術語が用いられており、これはすべての福音書において一致していることを以て、実際に生まれた場所はベツレヘムではなかったことの証左とされることがある<ref>八木(1968)pp.84-85</ref><ref>荒井(1974)p.27</ref>。
 
 
 
その一方、伝統的な信仰を保持する[[正教会]]、[[カトリック教会]]、保守的な[[聖書信仰]]の立場などにある[[プロテスタント]]など、聖書の記述を真実ととらえる立場もある<ref>[[日本ハリストス正教会]]教団『正教要理』46頁、昭和55年12月12日</ref><ref>[http://www.shimizu-catholic.jp/message-100100.html ベツレヘム:それは「パンの家」] カトリック清水教会</ref><ref>『新聖書辞典』[[いのちのことば社]]</ref><ref>ケアンズ『基督教全史』[[聖書図書刊行会]]</ref><ref>『聖書の権威』[[日本プロテスタント聖書信仰同盟]]</ref>。前述の高等批評の立場では『マタイ福音書』はダビデ王の子孫であることは否定しているとするが、伝統的な信仰を保持する立場からは、まずマタイ福音書の冒頭(1章1節)にある「ダビデの子」という表現を根拠に、イエスをダビデの子孫とする。[[ヨハネス・クリュソストモス|ヨハネス・クリュソストモス(金口イオアン)]]、[[ブルガリアのフェオフィラクト]]といった古代・中世の聖人達も、旧約における預言([[イザヤ書]]11章ほか)との整合性をもってこれを強調してきた。なお「子」という表現は新約聖書において「養子」「子孫」の意味にも用いられており、必ずしも文字通りの血縁・親等を示すものではない(聖書中でイエスは通常の夫婦関係によらず、[[聖霊]]によってみごもったとされている)<ref name="mikha">[[掌院]]ミハイル『馬太福音書註解 全』1頁 - 3頁、[[正教会]]編集局、原著1870年刊行、訳書:明治二五年版(再刊)</ref>
 
 
 
==脚注==
 
{{脚注ヘルプ}}
 
{{Reflist}}
 
 
 
== 参考文献==
 
* [[八木誠一]]『イエス——人と思想7』清水書院&lt;センチュリー・ブックス&gt;、1968年1月。ISBN 4389410075
 
* [[荒井献]]『イエスとその時代』[[岩波書店]]&lt;岩波新書&gt;、1974年10月。
 
 
 
== 関連項目 ==
 
{{Commons|Nativity scene|キリストの降誕}}
 
* [[処女懐胎]]
 
* [[降誕教会]]
 
* [[ベツレヘムの星]]
 
* [[幼児虐殺]]
 
* [[抱神者シメオン]]
 
 
 
== 外部リンク ==
 
*[http://www.sutv.zaq.ne.jp/osaka-orthodox/icon/koutansai.htm 主の降誕祭のイコン] - [http://www.sutv.zaq.ne.jp/osaka-orthodox/ 大阪ハリストス正教会]内のページ
 
 
 
{{キリストの生涯}}
 
{{イエス・キリスト}}
 
{{クリスマス}}
 
 
[[category:イエス・キリスト|こうたん]]
 
[[category:イエス・キリスト|こうたん]]

2019/6/12/ (水) 09:36時点における最新版

キリストの降誕を主題とした作品『聖夜』油彩(15世紀後期)ヘールトヘン画,ロンドン・ナショナル・ギャラリー蔵.jpg

キリストの降誕(キリストのこうたん)

キリスト教美術の主題。超歴史的存在である神が,死すべき人間の現身をとり,人間の救済のためにこの世に生まれたという,いわゆる受肉の教義は,キリスト教信仰の中核である。そのため,救い主イエス・キリストの降誕は教会で盛大に祝われ,無数の美術作品に描かれている。おもな典拠は『マタイによる福音書』1章 18~25および『ルカによる福音書』2章 1~20であるが,そのほかいわゆる外典の『ヤコブの福音書』『偽マタイの福音書』などに含まれた伝承が画像化された。一般に聖子イエスは馬小屋(東方では岩穴)の中に置かれた飼葉桶に横たえられ,ウシとロバがこれを見守る。聖母マリアはそのかたわらに座し,あるいは横たわり,養父ヨセフは憂い悩みつつ少し離れたところに腰を降ろす。聖子をたたえる天使の群れ,産湯の場面,不信仰な産婆の物語などがこれにつけ加えられることもある。13世紀以降は民衆の信仰運動が高まるにつれ,しだいに世俗的な要素が増加し,母子の情愛,ヨセフの家庭的役割などが強調されるようになった。中世末期の神秘主義者の幻想(偽ボナベントゥラ,スウェーデンの聖女ビルギッタ)も強い影響を及ぼす。15世紀に入ってからは,夜景として描かれることが多くなった。羊飼いの告知,羊飼いの礼拝,東方三博士の旅と礼拝(東方三博士の礼拝)など,隣接する福音書説話場面と組み合わせて表現することも多い。



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