「御嶽山」の版間の差分

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(火山・地勢)
 
 
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|種類=[[成層火山]]<br />[[活火山]]ランクB<ref name="岐阜地方気象台">{{Cite web |url=http://www.jma-net.go.jp/gifu/katsukazan.html |title=岐阜県の活火山 |publisher=[[岐阜地方気象台]] |accessdate=2013-02-12}}</ref><ref>{{Cite web |url=http://www.jma.go.jp/jma/press/0301/21a/yochiren.pdf |title=火山噴火予知連絡会による活火山の選定及び火山活動度による分類(ランク分け)について |publisher=[[気象庁]] |format=PDF |date=2003-01-21 |accessdate=2013-02-15}}</ref>、[[噴火警戒レベル]]1(活火山であることに留意)<ref name="jma_20170821_lv1"></ref><!--[[噴火警戒レベル]]1(平常)-->
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|地図={{Embedmap|137.480222|35.892748|300}}御嶽山の位置{{日本の位置情報|35|53|34|137|28|49|御嶽山(飯田)|35.892748,137.480222|御嶽山}}
 
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'''御嶽山'''<ref name="tizu-kokudo">{{Cite web |url=http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.html?longitude=137.47451083333&latitude=35.894789055556 |title=地図閲覧サービス・御嶽山(岐阜県下呂市)|publisher=国土地理院 |accessdate=2013-02-25}}</ref>(おんたけさん)は、[[長野県]][[木曽郡]][[木曽町]]・[[王滝村]]と[[岐阜県]][[下呂市]]・[[高山市]]にまたがり、[[東日本火山帯]]の西端に位置する[[標高]]3,067 [[メートル|m]]の複合[[成層火山]]である<ref name="日本山名辞典 (1992)、116頁">[[#日本山名辞典|日本山名辞典 (1992)、116頁]]</ref><ref name="新日本山岳誌 (2005)、972-973頁">[[#新日本山岳誌|新日本山岳誌 (2005)、972-973頁]]</ref>。大きな裾野を広げる[[独立峰]]である<ref name="深田久弥 (1982)、227-230頁">[[#深田久弥|深田久弥 (1982)、227-230頁]]</ref><ref name="地質ニュースv306">{{Cite journal ja-jp |date=1980 |url=http://www.gsj.jp/data/chishitsunews/80_02_01.pdf |title=御岳山1979年噴火 |author=曽屋龍典、近藤善教、下坂康哉 |format=PDF |journal=地質ニュース |volume=306 |issue=1980年2月号 |pages=6-13 |publisher=産業技術総合研究所 |accessdate=2013-02-13}}</ref>。
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(おんたけさん)
  
2014年9月27日に7年ぶりに[[噴火]]。山頂付近にいた登山客が巻き込まれ、[[雲仙岳#1991年6月3日の火砕流|1991年雲仙普賢岳の火砕流]]による犠牲者数を上回る事態となった<ref name="sankei201409290003">{{Cite web|url=http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/140929/dst14092900030001-n1.htm|title=海外メディアも人的被害の大きさ速報|publisher=産経新聞社|date=2014-09-29|accessdate=2014-09-30 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20150122010400/http://www.sankei.com/affairs/news/140929/afr1409290001-n1.html |archivedate=2015-01-22 }}</ref><ref>[http://www.nikkei.com/article/DGXLASDG01H1L_R01C14A0MM8000/ 御嶽山噴火、47人の死亡確認 戦後最悪の火山災害に ]2014年10月2日閲覧</ref>
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[[長野県]][[岐阜県]]の県境,[[乗鞍火山帯]]の南端にそびえる[[複式火山]]。[[活火山]]で,[[常時観測火山]]。木曾御嶽ともいう。
{{Main2|2014年の噴火の詳細|2014年の御嶽山噴火}}
 
  
== 概要 ==
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最高峰は中央火口丘の剣ヶ峰で,標高 3067m。ほかに[[外輪山]]の摩利支天山(2959m),継母岳(2867m),[[寄生火山]]の継子岳(2859m)などがある。
[[File:Ontake Volcano Relief Map, SRTM-1.jpg|thumb|200px|御嶽火山の地形図]]
 
[[ファイル:御嶽山三ノ池.JPG|thumb|200px|継子岳と三ノ池([[火口湖]])]]
 
[[ファイル:Mount Ontake (Morgenrot zoom).JPG|thumb|200px|[[おんたけ2240]]から望む御嶽山の[[朝焼け|モルゲンロート]]]]
 
'''木曽御嶽山'''、'''御嶽'''、王嶽<ref name="新日本山岳誌 (2005)、972-973頁" />、王御嶽<ref name="現代日本名山図会 (2003)、146-149頁">[[#現代日本名山図会|現代日本名山図会 (2003)、146-149頁]]</ref>とも称する。また嶽の[[字体]]を[[新字体]]で表記し'''御岳山'''や、単に'''御岳'''<ref name="深田久弥 (1982)、227-230頁" />と表記されることもある。[[日本の山一覧 (3000m峰)|標高3,000mを超える山]]としては、[[日本]]国内で最も西に位置する。日本には[[御嶽山 (曖昧さ回避)|同名の山(御嶽山・御岳山)]]が多数あり、その最高峰である<ref group="注釈">厳密には御嶽山の最高点である剣ヶ峰の西北に位置する外輪山に、3,053.4mの小ピークがある(1:5,000国土基本図(火山基本図)御岳山-国土地理院発行)。</ref>。山頂には[[一等三角点]](3,063.<small>61</small> m、点名「御岳山」)<ref name="kijyun">{{Cite web |url=http://sokuseikagis1.gsi.go.jp/ |title=基準点成果等閲覧サービス |publisher=国土地理院 |accessdate=2015-02-14}}</ref>と[[御嶽神社]]奥社がある。
 
  
古くから[[信仰]][[]]として[[信者]]の畏敬を集めてきた巨峰で、いくつもの[[]]を連ねてそびえる[[活火山]]である。[[民謡]]の[[木曽節]]では「木曽の御嶽夏でも寒い[[袷]]やりたや[[足袋]]添えて」、[[伊那節]]では「わしが心と御嶽山の胸の氷は 胸の氷はいつとける」と歌われており、神聖な信仰の山であるとともに[[木曽谷|木曽]]を代表する山として親しまれている<ref name="日本三百名山 (1997)、148頁">[[#日本三百名山|日本三百名山 (1997)、148頁]]</ref>。[[東海地方]]特に[[尾張]]地方ではほとんどの場所からその大きな山容を望めることから、「木曽のおんたけさん」として[[郷土富士]]のように親しまれている山である<ref>[[#木曽のおんたけさん―その歴史と信仰|木曽のおんたけさん―その歴史と信仰(2009)、125頁]]</ref>。[[日本百名山]]<ref name="深田久弥 (1982)、227-230頁" />、[[新日本百名山]]<ref>[[#新日本百名山|新日本百名山 (2006)、49-51頁]]</ref>、[[花の百名山]]<ref name="花の百名山 (1997)、274-277頁">[[#花の百名山|花の百名山 (1997)、274-277頁]]</ref>、[[ぎふ百山]]<ref>[[#ぎふ百山|ぎふ百山 (1987)]]</ref>のひとつに選定されている。旧[[開田村]]を代表する山として飛騨頂上、旧[[三岳村 (長野県)|三岳村]]を代表する山として[[剣ヶ峰]]が「信州ふるさと120山」のひとつに選定されている<ref>[[#信州ふるさと120山|信州ふるさと120山 (2011)]]</ref>。[[1927年]](昭和2年)に、[[大阪毎日新聞社]]と[[東京日日新聞社]]などにより[[日本二十五勝]]のひとつに選定されている。
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噴火口跡は一ノ池から五ノ池まであり,二ノ池は湖面標高 2905mで,日本では最高所にある湖。山腹には[[ヒノキ]][[サワラ]]などの美林があり,2500m以上は一面[[ハイマツ]]に覆われ,[[高山植物]]が見られる。近年まで記録に残る噴火活動はなかったが,1979年に剣ヶ峰の地獄谷の谷頭 2900mの高所で[[水蒸気爆発]]が起こった。1984年には長野県西部地震により南南東斜面で[[山体崩壊]]が起こり,29人の死者を出した。
  
[[国立公園]]に指定されている[[飛騨山脈]][[赤石山脈]]と異なり、[[木曽山脈]]とともに[[国定公園]]にさえも指定されていない。長野県の[[御岳県立自然公園]]<ref name="Nagano-shizenkouen">{{Cite web |url=https://www.pref.nagano.lg.jp/shizenhogo/kurashi/shizen/koen/syoukai.html |title=長野県の自然公園の紹介 |publisher=長野県 |accessdate=2016-11-17 }}</ref>および岐阜県の[[御嶽山県立自然公園]]<ref name="Gifu-shizenkouen">{{Cite web |url=http://www3.e-reikinet.jp/gifu-ken/houkishu/41190250027300000000/41190250027300000000/41190250027300000000.html |title=県立自然公園の指定(平成11年4月1日告示第273号) |publisher=岐阜県 |accessdate=2013-02-17}}</ref>には指定されているものの、国立・国定公園に指定されなかったのは、木曽[[ヒノキ]]を主とする[[林業]]の盛んな地域であるという事情がある。山腹は深い森で覆われ多くの[[滝]]があり、[[木曽川]][[水系]]の源流部の山であり、その下流部である[[中京圏]]の水がめとなっている。
+
また 2014年9月27日には 7年ぶりに噴火し,1991年の長崎県の[[雲仙岳]]での被害を上回る 60人以上の死者・行方不明者を出し,戦後最悪の[[火山災害]]となった。古くから山岳信仰([[御岳信仰]])の対象で,頂上付近にある御嶽神社は奈良時代末に信濃国司がオオナムチノカミ(大己貴神),スクナヒコナノミコト(少名彦名命)をまつったのが初めとされる。
  
以前は[[死火山]]や[[休火山]]であると思われていた山であるが、[[1979年]](昭和54年)[[10月28日]]に突如噴火した<ref name="地質ニュースv306" />。[[気象庁]]は[[2008年]](平成20年)3月31日に[[噴火警戒レベル]]1(平常)と[[噴火予報]]を発表した<ref name="御嶽山の火山活動解説資料">{{Cite web |url=http://www.data.jma.go.jp/svd/vois/data/tokyo/STOCK/monthly_v-act_doc/tokyo/13m01/312_13m01.pdf |format=PDF |title=御嶽山の火山活動解説資料(平成25 年1月) |publisher=気象庁 |date=2013-01 |accessdate=2013-02-12}}</ref>。
+
近世後期まで[[修験者]]以外の登山は禁止されたが,天明2(1782)年から各地の御嶽講が 7月10日から 9月15日までの山開きの期間中のみ登山を許された。ふもとの木曽町[[三岳]]の黒沢地区,[[王滝村]]王滝は[[里宮]]のある信仰集落で,登山者の宿泊所や神主の家が多い。長野県側のおもな登山口は王滝,三岳,[[開田]]の 3方面があるが,王滝からはバスで 7合目まで登れる。一帯は[[御岳県立自然公園]]に属する.
[[2014年]](平成26年)[[9月27日]]に噴火、南側斜面を[[火砕流]]が流れ下り、噴火警戒レベルが3(入山規制)に引き上げられた<ref name="jma_20140927_lv3">{{cite web|url=http://www.jma.go.jp/jp/volcano/forecast_03_20140927123646.html|title=噴火警報・予報: 御嶽山 平成26年9月27日12時36分 |accessdate=2014/09/27 |author=[[気象庁]]地震火山部}}</ref>。これに伴い、火口から概ね4kmの範囲が立入禁止区域に指定された。
 
2015年6月、火山性地震は続くものの2014年10月中旬以降噴火が観測されていないため、噴火警戒レベルが2(火口周辺規制)に引下げられた<ref name="jma_20150626_lv2">{{cite web|url=http://www.data.jma.go.jp/svd/vois/data/tokyo/STOCK/volinfo/VJ20150626170002_312.html|title=噴火警報・予報: 御嶽山 平成27年6月26日17時00分|accessdate=2017/10/10 |author=[[気象庁]]地震火山部}}</ref>。これに伴い、立入禁止区域は火口から概ね1kmの範囲に変更された。
 
2017年8月、噴煙活動や山頂直下付近の地震活動は緩やかな低下が続いており2014年10月中旬以降噴火の発生がないため、噴火警戒レベルが1(活火山であることに留意)に引下げられた<ref name="jma_20170821_lv1">{{cite web|url=http://www.data.jma.go.jp/svd/vois/data/tokyo/STOCK/volinfo/VJ20170821150000_312.html|title=噴火警報・予報: 御嶽山 平成29年8月21日17時00分|accessdate=2017/10/10 |author=[[気象庁]]地震火山部}}</ref>。ただし現在も、火口から概ね1kmの範囲は立入禁止区域であり、「岐阜県北アルプス地区及び活火山地区における山岳遭難の防止に関する条例<ref name="Gifu Pref Regulations for Mountaineer">{{cite web|url=http://www.pref.gifu.lg.jp/kurashi/bosai/sangaku/11115/jourei.html|title=岐阜県北アルプス地区及び活火山地区における山岳遭難の防止に関する条例|accessdate=2017/10/10 |author=[[岐阜県庁]]}}</ref>」により、御嶽山の火口から4km以内に立ち入る場合に[[登山届]]の提出が義務づけられている。
 
 
 
== 山名の由来 ==
 
遠く[[三重県]]からも望め「王御嶽」(おんみたけ)とも呼ばれていた<ref name="御岳山霊なる山の素顔 12-14頁">[[#御岳山霊なる山の素顔|御岳山霊なる山の素顔(2010)、12-14頁]]</ref>。古くは坐す神を王嶽蔵王権現とされ<ref>[[#よみがえる木曽人の物語|よみがえる木曽人の物語 (1996)、117頁]]</ref>、修験者がこの山に対する[[尊称]]として「王の御嶽」(おうのみたけ)称して、「王嶽」(おうたけ)となった<ref name="新日本山岳誌 (2005)、972-973頁" /><ref>[[#御岳の信仰と登山の歴史|御岳の信仰と登山の歴史 (1988)、7頁]]</ref><ref name="いちどは行ってみたい日本の聖地(2010)、36-37頁">[[#いちどは行ってみたい日本の聖地|いちどは行ってみたい日本の聖地(2010)、36-37頁]]</ref><ref group="注釈">室町時代中期に「王嶽」(おうたき)が「おんたけ」に変わったとす説がある。</ref>。その後「御嶽」に変わったとされている<ref name="hinoseiyaku">{{Cite web |url=http://hino-seiyaku.com/try/020.html |title=御嶽山整備事業 |publisher=[[日野製薬]] |accessdate=2011-10-05}}</ref>。[[修験者]]の総本山の[[金峰山 (山梨県・長野県)|金峯山]]は「金の御嶽」(かねのみたけ)と尊称され、その流れをくむ[[甲斐駒ヶ岳|甲斐の御嶽]]、[[御岳山 (東京都)|武蔵の御嶽]]などの「みたけ」と称される山と異なり「おんたけ」と称される<ref>[[#御岳の信仰と登山の歴史|御岳の信仰と登山の歴史 (1988)、5頁]]</ref><ref name="花かおる御嶽山 (2000)、4頁">[[#花かおる御嶽山|花かおる御嶽山 (2000)、4頁]]</ref>。日本全国で多数の山の中で、「山は[[富士山|富士]]、嶽は御嶽」と呼ばれるようになった<ref name="いちどは行ってみたい日本の聖地(2010)、36-37頁" /><ref>[[#よみがえる木曽人の物語|よみがえる木曽人の物語 (1996)、118頁]]</ref>。
 
 
 
== 火山・地勢 ==
 
[[ファイル:Mount Ontake from Nomugitoge ski resort 2008-04-25.jpg|thumb|right|240px|[[信州松本野麦峠スキー場]]から望む雲海に浮かぶ山頂部が広い御嶽山、右端が「日和田富士」と呼ばれる継子岳]]
 
御嶽山は[[日本の山一覧 (高さ順)|日本の山の標高順]]で14位の山であり、火山としては[[富士山]]に次いで2番目に標高が高い山である<ref group="注釈">3番目に標高が高い火山は[[乗鞍岳]](3,026m)、火山以外も含めた2番目に標高が高い山は[[北岳]](3,193m)である。なお、日本の活火山で3,000mを超えるのは、富士山・御嶽山・乗鞍岳の3つである。</ref>。剣ヶ峰を主峰にして、摩利支天山(2,959.2 m)、継子岳(2,858.9 m)、継母岳(2,867 m) などの[[カルデラ#外輪山|外輪山]]があり、南北約3.5 [[キロメートル|km]]の山頂部による[[台形]]の山容である。北端の継子岳は比較的新しい山体の成層火山で、北側山麓から見ると、他の峰が隠れて見えないためきれいな[[円錐]]形をしており、郷土富士として「日和田富士」とも呼ばれている<ref>[[#ふるさとの富士200名山|ふるさとの富士200名山 (1996)、52頁]]</ref>。なお、長野県側に[[寄生火山]]として三笠山(2,256 m)、小三笠山(2,029 m)がある。最高点の剣ヶ峰は長野県に位置し、王滝口登山道の外輪山との合流部が「王滝頂上」(標高点2,936 m)<ref>{{Cite web |url=http://portal.cyberjapan.jp/site/mapuse4/?crs=1&lon=137.4825056&lat=35.88869167&z=16#crs=1&lon=137.48251&lat=35.88869&z=16&zoom=16&layers=BTTT |title=地理院地図(王滝頂上) |publisher=国土地理院 |accessdate=2014-09-27}}</ref>、小坂口との合流部が「飛騨頂上」(標高2,811 m)である。[[火山灰]]の堆積した裾野は広く、長野県側の麓の傾斜地では濃い色の火山灰が耕地を覆っていて、高地の[[開田高原]]は[[蕎麦]]の産地として知られている<ref name="新日本山岳誌 (2005)、972-973頁" />。岐阜県側の地形は長野県側と比較して複雑で、平坦地が少なく、尾根筋が屈曲している<ref name="新日本山岳誌 (2005)、972-973頁" />。2007年(平成19年)[[5月10日]]に、日本の地質百選選定委員会により「[[日本の地質百選]]」の第1期選定(全国83箇所)のひとつに選定された<ref>[[#日本列島ジオサイト地質百選|日本列島ジオサイト地質百選 (2007)、90-91頁]]</ref>。
 
 
 
{| class="wikitable"
 
!山容
 
!山名
 
![[標高]]<br />([[メートル|m]])<ref name="kokudo" /><ref name="kijyun" /><ref group="注釈" name="2014-03">基準点の標高は、国土地理院による2014年3月の改定値を反映。</ref>
 
![[三角点]]等級<br />基準点名<ref name="kijyun" />
 
!剣ヶ峰からの<br />方角と[[距離]]([[キロメートル|km]])
 
!所在地
 
|-
 
|[[ファイル:Mount Mamako from Mount Marishiten.jpg|80px|摩利支天山から望む継子岳、手前に五ノ池と五の池小屋、遠景の左側は乗鞍岳(2013年7月9日)]]
 
|'''継子岳'''
 
|2,859.<small>14</small>
 
|三等<br />「継子岳」
 
|{{Direction2|N}} 2.7
 
|高山市<br />木曽町
 
|-
 
|[[ファイル:Mount Marishiten and Sainokawara 2014-09-06.JPG|80px|南側から望む摩利支天山と賽ノ河原(2014年9月6日)]]
 
|'''摩利支天山'''
 
|2,959.<small>45</small>
 
|三等<br />「御岳」
 
|{{Direction2|NNW}} 1.4
 
|下呂市<br />木曽町
 
|- style="background-color:#ccc;"
 
|[[ファイル:Ontakesan from OtakiTop 2010-8-27.JPG|80px|王滝頂上から望む剣ヶ峰、山頂部に御嶽神社頂上奥宮本宮と山小屋(2010年8月27日)]]
 
|'''[[剣ヶ峰]]'''<br /><small>(最高点)</small>
 
|3,067
 
|(一等)<br />「御岳山」<br />(3,063.<small>61</small>m)
 
|{{Direction2|O}} 0
 
|木曽町<br />王滝村
 
|-
 
|[[ファイル:Mount Mamahaha from east.JPG|80px|東方から望む継母岳(2013年7月9日)]]
 
|'''継母岳'''
 
|2,867
 
|&nbsp;
 
|{{Direction2|W}} 1.4
 
|下呂市<br />王滝村
 
|-
 
|[[ファイル:Mount Mikasa 2011-09-18.jpg|80px|三笠山、登山口の田ノ原には駐車場と田ノ原山荘、遠景は牧尾ダムの御岳湖(2011年9月18日)]]
 
|'''三笠山'''
 
|2,256.<small>1</small>
 
|三等<br />「三笠山」
 
|{{Direction2|SE}} 3.2
 
|王滝村
 
|}
 
[[ファイル:Ontakesan from Okunoin 1995-6-25.jpg|thumb|right|200px|王滝頂上方面から望む御嶽山<br />1995年6月25日の噴煙の状況]]
 
[[ファイル:Mount Ontake from Otaki top 2011-09-18.jpg|thumb|right|200px|王滝頂上方面から望む御嶽山<br />2011年9月18日の噴煙の状況]]
 
[[ファイル:Jigokudani in Mount Ontake.jpg|thumb|right|135px|御嶽山の南面の木曽川水系王滝川の支流である赤川最上流部の地獄谷の火山ガスを噴出する噴気孔<br />2011年9月18日の噴煙の状況]]
 
 
 
=== 火山活動 ===
 
御嶽山は東日本火山帯の西端(旧区分による[[火山帯#乗鞍火山帯|乗鞍火山帯]]の最南部)に位置し、古生層と[[中生代]]の濃飛[[流紋岩]]類を基盤(基底部は17 km四方の広さ)とし、基盤からの高さが1,400-1,900 mの[[カンラン石]]、複輝石、[[安山岩]]などで構成される成層火山である<ref name="日本山名辞典 (1992)、116頁" /><ref name="地質ニュースv306" /><ref name="砂防と治水・第199巻">{{Cite journal |date=2011-03-20 |author=山岡耕春 |url=http://www.mlit.go.jp/common/001017612.pdf |title=日本の活火山(12) 御嶽山 |format=PDF |journal=砂防と治水 |issue=第199巻 |pages=109-110 |publisher=[[国土交通省]] |accessdate=2016-11-17 }}</ref>。各方向に[[溶岩流]]を流れ出しているが、西に流れた摩利支天山第6溶岩流は、最も延長が長く約17kmに及ぶ。末端には安山岩の大岩壁[[巌立]]がある<ref name="ganndate">{{Cite web |url=https://www.pref.gifu.lg.jp/kyoiku/bunka/bunkazai/17768/tennen/ganndate.html |title=巌立 |publisher=岐阜県[[教育委員会]]社会教育文化課 |date=1957-12-19 |accessdate=2016-11-17 }}</ref>。一ノ池を中心として、摩利支天山、継母岳、王滝頂上を結ぶ[[外輪山]]の内側が[[カルデラ]]であると推測され、カルデラ形成前の姿は、[[富士山]]に匹敵する高さの成層火山であったと推測される。大爆発によって崩壊した土砂は[[土石流]]となって川を流れ下った岐阜県[[各務原市]]付近の[[各務原台地]]には御嶽山の土砂が堆積しており、水流によってできた[[火山灰]][[堆積物]]が[[地層]]となっている。この大爆発によって剣ヶ峰、摩利支天山、継母岳の峰々が形成された[[火山#地形による分類|複成火山]]であり、その山容は[[アフリカ]]の[[キリマンジャロ|キリマンジャロ山]]に似ている<ref name="日本の名山 161-165頁">[[#日本の名山|日本の名山(1998)、161-165頁]]</ref><ref name="日本200名山 (1987)、166頁">[[#日本200名山|日本200名山 (1987)、166頁]]</ref>。
 
 
 
1970年代以前の認識では、最後のマグマ噴火は約2万年前で以降は水蒸気爆発と考えられていたが、[[2006年]](平成18年)に行われた岐阜県の調査および2008年(平成20年)に行われた[[国土交通省]]多治見砂防国道事務所や[[産業技術総合研究所]]の調査によれば、約5200年前の火砕流を伴う噴火を含め、2万年間に4回(約1万年前以降、約1万年前、約9000年前、約5200年前、約5000年前)の[[マグマ]]噴火を起こしている<ref name="砂防と治水・第199巻" /><ref name="kazanyochiren103">{{Cite web |url=http://vivaweb2.bosai.go.jp/v-hazard/sabo/53ontake_sabo.pdf |title=御嶽山火山噴火緊急減災対策砂防計画検討会 |publisher=御嶽山火山噴火緊急減災対策砂防計画検討会 |format=PDF |date=2011-07 |accessdate=2013-02-15}}</ref><!-- <ref>{{Cite news
 
|url=http://www.shinmai.co.jp/news/20091006/KT091005SJI090014000022.htm |title=御岳山、マグマ噴火は1万年で計4回 減災対策見直しも|publisher=[[信濃毎日新聞]] |date=2009-10-06 |accessdate=2009-10-07}}</ref>{{リンク切れ|date=2011年3月}} -->。[[信濃毎日新聞]]の[[2007年]](平成19年)[[4月30日]]の紙面に掲載された記事によると、[[岐阜県]]の調査によって、剣が峰北西6キロの下呂市[[小坂町 (岐阜県)|小坂町]]内において、約5200 - 6000年前の[[火砕流]]が[[堆積]]してできた地層が発見され、五ノ池火口からの噴出物と考えられる火砕流の痕跡が確認された。最近の2万年以降の活動は水蒸気爆発と限定していた岐阜県・長野県それぞれにおいて、火砕流も想定しての、[[ハザードマップ]]など防災に関する見直しが行われた。
 
 
 
1979年以降は断続的(1991年、2007年)に小規模な噴気活動が続いている<ref name="kazan" /><ref name="及川輝樹" />。2014年現在、気象庁により「火山防災のために監視・観測体制の充実等が必要な火山」に指定されていて<ref>{{Cite web |url=http://www.data.jma.go.jp/svd/vois/data/tokyo/STOCK/kaisetsu/CCPVE/hyoka/hyoka_houkoku.pdf |format=PDF |title=中長期的な噴火の可能性の評価について |publisher=[[火山噴火予知連絡会]]火山活動評価検討会 |pages=7 |date=2009-06 |accessdate=2013-02-12}}</ref>、山頂周辺には火山活動の観測のための[[地震計]]、空振計、[[傾斜計]]、火山ガス検知器、[[グローバル・ポジショニング・システム|GPS]]観測装置、[[監視カメラ]]などの[[観測装置|観測機器]]が設置されている<ref>{{Cite web |url=http://www.cbr.mlit.go.jp/tajimi/sabo/ontake/data/ontake_kazan05.pdf |format=PDF |title=御嶽山火山防災だよりvol.5 |publisher=国土交通省[[中部地方整備局]]多治見砂防国道事務所 |date=2011-02 |accessdate=2011-03-24}}</ref><ref name="御岳山霊なる山の素顔 58頁">[[#御岳山霊なる山の素顔|御岳山霊なる山の素顔(2010)、58頁]]</ref>。2001年から[[名古屋大学]]大学院環境学研究科が、「岐阜・長野両県における火山噴火警戒避難対策事業」として噴火の前兆現象を観測する地震計による御岳火山災害観測を行っている<ref>{{Cite web |url=http://ngypub.seis.nagoya-u.ac.jp/INTRO/report/jishinyochiren/167_1.pdf |title=御嶽山近傍における地震活動の推移 |publisher=名古屋大学大学院環境学研究科 |format=PDF |date=2006-02-28 |accessdate=2016-11-17 }}</ref>。1979年の水蒸気爆発の6ヶ月前の三ノ池が白濁し池の中から泡が噴き出す音が発生した現象と6時間前の火口直下での地震は、その[[噴火予知#噴火の前兆現象|前兆現象]]であったとみられている<ref name="ontake_kazan04">{{Cite web |url=http://www.cbr.mlit.go.jp/tajimi/sabo/ontake/data/ontake_kazan04.pdf |title=御嶽山火山防災だよりvol.4 |publisher=国土交通省中部地方整備局多治見砂防国道事務所 |date=2010-12 |accessdate=2013-02-15}}</ref>。[[2011年]](平成23年)7月27日に「御嶽山火山噴火緊急減災対策砂防計画検討会」が開催され、御嶽山火山噴火緊急減災対策砂防計画が策定された<ref name="kazanyochiren103" />。王滝頂上直下西面(八丁ダルミ付近)と地獄谷の噴気孔から[[硫化水素]]などの火山ガスを噴出し続けていて<ref name="Ontakesan kazan" />、噴気孔から発生する火山ガスの轟音が聴こえることがある。
 
 
 
==== 活火山の定義を見直すきっかけとなった有史以来の水蒸気爆発 ====
 
1979年(昭和54年)の水蒸気爆発以前において、御嶽山は火山学者の多くと一般大衆から[[死火山]]と認識されていた。実際、当該爆発を伝える新聞見出しも『'''死火山大爆発'''』などと報道された<ref>[http://dx.doi.org/10.5026/jgeography.89.4_247 諏訪彰:1965〜79年の本邦火山活動と観測・研究の発展] 地学雑誌 Vol.89 (1980) No.4 P247-255</ref>。このことから、この時点において御嶽山は死火山であるとの認識が一般的であった。ところがこれは不正確な認識が一般的となっていたことを示しているにすぎない。例えば19世紀前半の文献には実際に噴気活動の証拠を示す現象が記録されている<ref name="及川輝樹" />。また 気象庁も、[[1968年]](昭和43年)刊行の「火山観測指針」 において御嶽山を「御岳山」として63座の活火山の一つとして掲載しており、直前の[[1975年]](昭和50年)刊行の『日本活火山要覧』の77活火山にも包含されていた<ref>{{PDFlink|[http://www.jma.go.jp/jma/kishou/books/kenshin/vol71p043.pdf 活火山カタログの改訂と火山活動度による活火山の分類(ランク分け)について]}} 林豊・宇平幸一 験震時報71巻 pp.43-57</ref>。
 
 
 
1979年当時は、定常的な観測体制が整備されていなかったため明確な前兆現象が観測されず、また活動自体も山麓から噴気が観察できる規模ではないまま同年10月28日に[[水蒸気爆発]]を起こし、約1,000  mの高さにまで噴煙を噴出した<ref name="kazan">{{Cite web |url=http://www.data.jma.go.jp/svd/vois/data/tokyo/312_Ontakesan/312_history.html |title=御嶽山 記録に残る火山活動 |publisher=[[気象庁]] |date=2007-06-21 |accessdate=2011-03-24}}</ref><ref name="気象研究所研究報告12">{{Cite journal |date=1984 |url=http://www.mri-jma.go.jp/Publish/Technical/DATA/VOL_12/12_172.pdf |title=御岳山の1979年噴火による降灰分布と川水のpH分布 |format=PDF |journal=気象研究所研究報告 |issue=第12号 |pages=172-178 |publisher=[[気象研究所]] |accessdate=2011-03-24}}</ref>。同日5時頃に発生した噴火は14時に最大となり、その後衰退した。噴出物の総量は約二十数万トン。噴煙は北東方向に流れ[[軽井沢町]]や[[群馬県]][[前橋市]]にまで降灰が観測された<ref name="地質ニュースv306" /><ref name="Ontakesan kazan">{{Cite web |url=http://www.data.jma.go.jp/svd/vois/data/tokyo/312_Ontakesan/312_index.html |title=火山・御嶽山 |publisher=気象庁 |accessdate=2013-02-12}}</ref><ref name="気象研究所研究報告12" /><ref>[[#中部・近畿・中国の火山|中部・近畿・中国の火山 (2000)、59頁]]</ref>。
 
 
 
この噴火をきっかけとして、日本国内における火山の分類(死火山、[[休火山]]、活火山の定義)そのものが見直されるに至った<ref name="地質ニュースv306" /><ref name="及川輝樹" />。現在では「活火山」以外の用語は使用されない<ref>{{Cite web |url=http://www.data.jma.go.jp/svd/vois/data/tokyo/STOCK/kaisetsu/katsukazan_toha/katsukazan_toha.html |title=活火山とは |publisher=気象庁 |accessdate=2013-02-15 }}</ref>。
 
 
 
==== 火山史 ====
 
[[ファイル:Kuragoekogen Mount Ontake.JPG|thumb|right|200px|御嶽山の東山腹にある倉越高原]]
 
[[ファイル:Gandate01.JPG|thumb|right|200px|御嶽山の西山腹にある[[巌立]]の柱状節理]]
 
御嶽火山の活動史は休止期を挟み古期と新期の2つの活動期<ref name="geosoc.110.158">{{Cite web |url=http://www.gsi.go.jp/common/000109851.pdf |format=PDF |title=1:25,000火山土地条件図解説書(御嶽山地区)|date=2012-03 |publisher=国土地理院 |accessdate=2016-11-17 }}</ref><ref name="Takeshita">{{Cite journal |date=2004 |url=https://www.jstage.jst.go.jp/article/geosoc/110/3/110_3_158/_article/-char/ja |doi=10.5575/geosoc.110.158 |title=中部日本,中期更新世古期御岳火山の火山活動史—テフラ層序学と記載岩石学に基づいて— |author=[[竹下欣宏]] |accessdate=2017-12-25 |journal=地質学雑誌 |volume=110 |issue=3 |pages=158-174}}</ref>と新期以降から現在までの静穏期の3つに分けられる<ref name="地質ニュースv306" />。なお、各々の始まりと終わりの年代に関しては研究者により5万年程度の差違がある。また、最後のマグマ噴火は三ノ池を埋めた五ノ池のスコリア噴火と考えられているが噴火年代は不明である。
 
 
 
; 古期御嶽火山(78万年前以前から39万年前)
 
古期御嶽火山は現在と同じ位置に噴火口を有する中心火山により形成された、標高3,200-3,400 mほどの[[玄武岩]]、[[安山岩]]、[[デイサイト]]により構成される[[複成火山]]群<ref>[https://staff.aist.go.jp/nakano.shun/Jap/Ontake/history.html 御嶽火山の概略] 産総研 中野俊</ref>。古期御岳火山は、溶岩層の年代値と岩石学的特徴から、約78万年前以前から64万年前の降下テフラが卓越するステージと、約64万年前から39万年前の溶岩流が卓越するステージに大きく区分される<ref>{{Cite journal |date=1998 |url=https://www.jstage.jst.go.jp/article/agcjchikyukagaku/52/6/52_KJ00004411309/_article |doi=10.15080/agcjchikyukagaku.52.6_464 |title=K-Ar chronology of the Middle Pleistocene lavas at Ontake volcano, central Japan |author=Kiota et al. |accessdate=2017-12-26 |journal=Earth Science |volume=52 |issue=6 |pages=464-474}}</ref>。降下テフラが卓越するステージは更に3つのサブステージに細分される<ref name="Takeshita"/>。また、溶岩層の年代値と分布から4つの火山体が推定されている<ref>{{Cite journal |date=1999 |url=https://www.jstage.jst.go.jp/article/kazan/44/1/44_KJ00001052618/_article/-char/ja/ |doi=10.18940/kazan.44.1_1 |title=御嶽火山, 古期御嶽火山噴出物のK-Ar年代に基づく火山活動史の再検討 |author1=[[松本哲一]] |author2=[[小林武彦]] |accessdate=2017-12-25 |journal=火山 |volume=44 |issue=1 |pages=1-12}}</ref>。広域テフラとして、湯川テフラ5と、上浦沢テフラがそれぞれ、[[上総層群]]中の白尾テフラ(約77万年前<ref name="Suganuma">{{Cite journal |date=2015 |url=https://pubs.geoscienceworld.org/gsa/geology/article-abstract/43/6/491/131868/age-of-matuyama-brunhes-boundary-constrained-by-u?redirectedFrom=fulltext |doi=10.1130/G36625.1 |title=Age of Matuyama-Brunhes boundary constrained by U-Pb zircon dating of a widespread tephra |author=Suganuma et al. |accessdate=2017-12-25 |journal=Geology |volume=43 |issue=6 |pages=491-494}}</ref>)と、笠森12テフラ(60-58万年前)に対比される<ref>{{Cite journal |date=2014 |url=http://jglobal.jst.go.jp/public/20090422/201402296237202641 |doi= |title=上総層群白尾テフラと古期御岳テフラYUT5の対比とYUT5のLA‐ICP‐MS法によるFT年代およびU‐Pb年代 |author=[[加藤茂弘]]ほか |accessdate=2017-12-26 |journal=日本第四紀学会講演要旨集 |volume=44 |issue= |pages=38}}</ref><ref>{{Cite journal |date=2005 |url=https://www.jstage.jst.go.jp/article/geosoc/111/7/111_7_417/_article/-char/ja |doi=10.5575/geosoc.111.417 |title=古期御岳火山起源の中期更新世テフラと房総半島上総層群中のテフラとの対比 |author1=竹下欣宏 |author2=[[三宅康幸]] |author3=[[酒井潤一]] |accessdate=2017-12-25 |journal=地質学雑誌 |volume=111 |issue=7 |pages=417-433}}</ref>。このうち、白尾テフラは[[松山‐ブリュンヌ逆転]]の直下に存在し、[[地磁気逆転]]の年代を高精度で決定するのに役立った<ref name="Suganuma"/>。
 
* 78万年前から65万年前 - 東部火山群
 
* 68万年前から57万年前 - 土浦沢火山
 
** 64万年前 - 東山腹に倉越溶岩を噴出した。周りの地層が浸食されて、堅い溶岩がレリーフ状に残り現在の倉越高原を形成。
 
* 54万年前から52万年前 - 上俵山火山
 
* 44万年前から42万年前 - 三笠山火山
 
** 東山腹に安山岩質溶岩の三笠山溶岩を噴出。
 
 
 
; 休止期(約39万年前から10万年前)
 
約10万年前まで約30万年の活動休止期間が続く。山体は浸食を受け深い谷と和村泥流を形成。
 
 
 
; 新期御嶽火山(約10万年前から2万年前)
 
活動域からは摩利支天火山群と西側の継母岳火山群に分類される<ref name="ontakesan-jyoukenzu">{{Cite web |url=http://www.cbr.mlit.go.jp/tajimi/sabo/ontake/gensai/ontakesan-jyoukenzu.jpg |title=火山土地条件図(御嶽山 1:25,000) |publisher=国土地理院 |format=[[JPEG]] |accessdate=2013-02-15}}</ref><ref>{{Cite web |url=https://staff.aist.go.jp/nakano.shun/Jap/Ontake/history2.html |title=新期御嶽火山 |publisher=産総研 中野俊 |accessdate=2013-02-15 }}</ref>。
 
* 継母岳火山群 - 約9万年前の爆発的な噴火により、御嶽第1軽石層や塩尻軽石層、Pm-Iテフラを噴出し、広域[[テフラ]]を[[関東地方]]まで降らせた<ref>{{Cite journal |date=1967 |url=https://www.jstage.jst.go.jp/article/geosoc1893/73/6/73_6_291/_article/-char/ja/ |doi=10.5575/geosoc.73.291 |title=御嶽火山第一浮石層:御嶽火山第一浮石層の研究 その1 |author=[[小林国夫]]ほか |accessdate=2017-12-25 |journal=地質学雑誌 |volume=73 |issue=6 |pages=291-308}}</ref>。この活動は、[[プリニー式噴火]]で古期御嶽火山の中央部に直径5-6kmのカルデラ形成する活動であり、[[流紋岩]]からデイサイトのシン谷溶岩層、湯ノ谷溶岩層、濁滝火砕流堆積物、三浦山溶岩層などを形成。総見かけ噴出量 50 km<sup>3</sup>(30 km<sup>3</sup> DRE)。
 
* 摩利支天火山群 - カルデラが形成された後の約8万年前から約2万年前の活動では摩利支天火山群の濁河火山、金剛堂火山、奥の院火山、草木谷火山、継子岳火山、およびほぼ南北方向に並ぶ小火山群として四ノ池火山、一ノ池火山、三ノ池火山などの火口から安山岩質の溶岩・火砕物などを噴出<ref name="ontake_kazan11">{{Cite web |url=http://www.cbr.mlit.go.jp/tajimi/sabo/ontake/data/ontake_kazan11.pdf |format=PDF |title=御嶽山火山防災だよりvol.11 |publisher=国土交通省中部地方整備局多治見砂防国道事務所 |date=2012-03 |accessdate=2013-02-15}}</ref>。噴出量は四ノ池火口由来が最大で、一ノ池火口と二ノ池火口は山頂の小カルデラ内に形成された。また、現在の御嶽山の最高点の剣ヶ峰の火口丘と南北に並ぶ山頂群が形成された。
 
* 約6万年前 - 摩利支天溶岩を噴出した。摩利支天第6溶岩が濁河川の支流の大俣川に沿って流下して形成された[[柱状節理]]である「[[巌立]]」(所在地が下呂市小坂町落合中サキ平)は、[[1957年]](昭和32年)に岐阜県の[[天然記念物]]の指定を受けている<ref name="ganndate" />。
 
* 約5万年前 - 大規模な山体崩壊を起こし崩壊した土砂は東山麓の西野川から王滝川、木曽川流域を埋め約200km下流の[[愛知県]][[犬山市]]にもその泥流の堆積物が残された。
 
 
 
;約2万年前から現在までの静穏期
 
2000年代以前は、約2万年前からはマグマを噴出しない活動が主体で静穏な期間と考えられていたが、近年の研究では最近1万年間で4回のマグマ噴火と10数回の水蒸気爆発が起きたと考えられているほか東山腹で山腹割れ目噴火も生じている<ref>{{PDFlink|[http://www2.jpgu.org/meeting/2009/program/session/pdf/J237/J237-005.pdf 鈴木雄介、千葉達朗、岸本 博志、ほか(2009):御嶽山の新期活動に関する新知見- マグマ噴火を中心として]}} 日本地球惑星科学連合2009年大会予稿集 セッションJ237</ref>。
 
* 約1万年前 - カラ谷火砕流で1740万 [[立方メートル|m{{sup|3}}]]の[[軽石]]を中規模に降下した<ref name="kazanyochiren103" /><ref name="ontake_kazan07">{{Cite web |url=http://www.cbr.mlit.go.jp/tajimi/sabo/ontake/data/ontake_kazan07.pdf |title=御嶽山火山防災だよりvol.7 |publisher=国土交通省 中部地方整備局 多治見砂防国道事 |date=2011-08 |accessdate=2013-02-15 }}</ref>。
 
* 約9,000年前 - 三ノ池溶岩で5億 m{{sup|3}}の大規模な噴出をした<ref name="kazanyochiren103" /><ref name="ontake_kazan11" />。
 
* 約6,000年前 - 五ノ池火口が形成された<ref name="ontake_kazan07" />。
 
* 約5,200年前 - 女人堂スコリアで140万 m{{sup|3}}の小規模な噴出をした<ref name="kazanyochiren103" />。
 
* 約5,000年前 - 濁滝スコリアで35-75万 m{{sup|3}}の小規模な噴出をした<ref name="kazanyochiren103" />。
 
 
 
; 有史以降
 
[[ファイル:Mount Ontake from Kurakake Pass.JPG|thumb|right|200px|[[2014年の御嶽山噴火]]後の火山活動(2014年10月11日)]]
 
『御嶽山 地質と噴火の記録』千村出版によれば、[[774年]]と[[1892年]]に噴火活動があったとされているが、後の研究によりこの2回の噴火は発生していなかったことが明らかとなっている<ref name="及川輝樹">{{Cite journal |date=2008 |author=及川輝樹 |url=http://www.gsj.jp/data/bulletin/59_05_01.pdf |title=御岳火山の歴史噴火記録の再検討と噴気活動の歴史記録 |format=PDF |journal=地質調査報告 |issue=第59巻、第5/6号 |pages=203-210 |publisher=[[気象研究所]] |accessdate=2011-03-24}}</ref><ref>{{PDFlink|[http://www2.jpgu.org/meeting/2009/program/session/pdf/J237/J237-006.pdf 及川輝樹、奥野充:御嶽火山の最近の火山活動史]}} 日本地球惑星科学連合2009年大会予稿集 セッションJ237</ref>。有史以降最も活発な活動は1979年に始まった。
 
* 19世紀前半 小規模な噴気活動を示す記録が残る。
 
* 1968年 気象庁「火山観測指針」 の63活火山に掲載。
 
* 1975年 気象庁「日本活火山要覧」 の77活火山に掲載。
 
* 1979年(昭和54年)<br />地獄谷上部の標高2,700 m付近を西端とし東南東に並ぶ10個の火口群が形成され<ref name="地質ニュースv306" /><ref name="kazan" />、噴出量は18万トンから20数万トンほどの小規模な噴出量であった<ref name="kazanyochiren103" /><ref name="kobayashi1980">[http://ci.nii.ac.jp/naid/110007091618/ 小林武彦:1979年御岳山火山活動] 地学団体研究会 地球科學 33(6), ii-iib, 1979-11-25</ref>。最大降灰深度は溫田原で 3cmと報じられた<ref>{{PDFlink|[http://dil-opac.bosai.go.jp/publication/nied_natural_disaster/pdf/16/16.pdf 1979年御岳山噴火による災害現地調査報告] }}1980/3 国立防災科学技術センター(現:防災科学技術研究所)</ref>。なお、噴出当初の火山灰は湿り気を帯び[[ハロイサイト]]、[[カオリナイト]]、[[モンモリロン石]]などを主成分とする 2 - 3mmkの粒状であった。また、モンモリロン石を含むことから山頂地表下の浅い場所に[[泥漿]]溜まりが存在し、その泥漿溜まりが深いところからの高温ガスによって熱せられ爆裂的に噴出したと考えられている<ref>小坂丈予ほか(1983)、[http://ci.nii.ac.jp/naid/110002990816/ 木曾御岳火山 1979 年噴火後の活動状況と地球化学的研究] 日本火山学会 火山. 第2集 28(1), 59-74, 1983-04-01</ref><ref>[http://dx.doi.org/10.2465/gkk1952.15.Special_223 小坂丈予、平林順一:火山活動に伴う粘土鉱物] 鉱物学雜誌 Vol.15 (1981-1982) No.Special P223-238</ref>。約50名の登山者がいたが負傷1名<ref name="地質ニュースv306" />。
 
** 4月頃から三ノ池の水の白濁化<ref name="ontake_kazan04" />。
 
** 10月28日
 
*** 噴火の6時間前頃から、山頂直下の地震増加<ref name="ontake_kazan04" />。
 
*** 5時頃 - 水蒸気爆発が起こり、王滝村役場の職員が頂上付近で高さ150 mの噴煙を確認した<ref name="地質ニュースv306" /><ref name="気象研究所研究報告12" />。
 
*** 5時15分頃 - 王滝頂上から山頂へ向かった登山者が硫黄臭に気付き、15分後に降灰を受けた<ref name="地質ニュースv306" />。
 
*** 6時頃 - 王滝口7合目の登山口(田の原)で登山者、頂上付近で黒煙が上昇するのを目撃し、頂上にいた登山者は[[ジェット機]]に似た音やかなりの煙に気付いた<ref name="地質ニュースv306" />。
 
*** 9時頃 - [[三岳村 (長野県)|三岳村]]から白煙が1箇所から上昇しているのが確認され、田の原では白煙が茶色に変わるのが確認された。
 
*** 9時30分 - [[飛行機]]から山頂の山小屋が黒い火山灰に覆われて、高さ1,000 mの噴煙が東北東に流れているのが確認された。
 
*** 11時 - 定期航空便が高さ1,800 mの噴煙と下部で灰色の火山灰が上がっているのを目撃し、三岳村では降灰のため暗くなった。
 
*** 12時 - [[長野地方気象台]]、臨時火山情報第1号発表。
 
*** 12時30分頃 - [[キノコ雲]]状の噴煙が確認された。八合目付近まで噴石が飛ぶ。噴火口付近では、直径1 m程の岩が飛ぶのが確認された。噴煙は、4000mから5000mまで。
 
*** 15時頃 - 三岳村では降灰が盛ん。[[開田村]]では降灰により視界が10-20 m程となり、道路照明自動点灯。
 
*** 16時頃 - 開田村での降灰徐々に弱まる。
 
*** 17時頃 - 王滝村から多量の黒い煙が確認され、王滝頂上の山小屋の裏の方では白い噴煙が確認された。王滝口村では多量の降灰が続いていた。
 
*** 18:45 - 長野地方気象台、臨時火山情報第2号発表。
 
** 10月29日 - 噴煙の量は減少して白色に変わり、火山灰の降灰も少なくなった<ref name="地質ニュースv306" /><ref name="気象研究所研究報告12" />。
 
** 10月31日 - 噴煙には火山灰が含まれなくなった。
 
[[image:Ontake_volcanic_earthquake2007.png|thumb|right|200px|御嶽山 火山性地震回数推移グラフ 2006-2007]]
 
** 11月4日 - 白色噴煙 100m、活動小康状態続く。
 
** 12月2日 - 深夜から山頂付近で微小地震と鳴動を観測。微小地震は数日間続く。
 
** 12月末 - 噴煙極めて少量。
 
* 1984年 気象庁「日本活火山総覧」の77活火山に掲載。
 
** 9月14日 [[長野県西部地震]]
 
* [[1991年]](平成3年)5月中旬 - 79-7火口でごく小規模な噴火が起きて、10トン程度の火山灰を噴出した<ref name="kazan" />。約1ヶ月前から火山性地震<ref>[http://ci.nii.ac.jp/naid/110003000057/ 木曽御岳火山における小規模な噴火(1991年 5月)] 日本火山学会講演予稿集 1991(2), 168, 1991-10-14</ref>。79火口群の一部の八丁ダルミ直下南と山頂直下南面の地獄谷の上部の噴気孔から噴気活動が続いている。粉体流(火砕流)が発生していたとする報告がある<ref name="kobayashi1980" />。
 
* 2004年 微弱な地震と噴気活動<ref>{{Cite web |url=http://www.seis.nagoya-u.ac.jp/kimata/2004ontake.html |title=2004年御嶽火山集中観測の成果とこれまでの研究成果 |pubilsher=名古屋大学 環境学研究科 地震火山・防災研究センター |accessdate=2014-10-13 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20141017133908/http://www.seis.nagoya-u.ac.jp/kimata/2004ontake.html |archivedate=2014-10-17 }}</ref>。
 
* [[2007年]](平成19年)3月16日頃<ref>山岡耕春:{{PDFlink|[http://jsnds.sakura.ne.jp/ssk/ssk_33_4_339.pdf 2014年御嶽山噴火] 日本自然災害学会 自然災害科学112 Vol.33,No.4}}</ref> - 79-7火口でごく小規模な噴火が起きた<ref>{{PDFlink|[http://www.data.jma.go.jp/svd/vois/data/tokyo/STOCK/monthly_v-act_doc/tokyo/07m03/312_07m03.pdf 御嶽山 火山活動解説資料(平成19年3月)]}} 気象庁</ref><ref name="kazan" />。約4ヶ月前から火山性地震と山体膨張、約2ヶ月前から低周波地震と火山性微動<ref name="ontake_kazan04" /><ref>{{Cite web |url=http://www.seis.nagoya-u.ac.jp/kimata/ontake2007.htm |title=2007年御岳山の活動 |publisher=名古屋大学 環境学研究科 地震火山・防災研究センター 木股文昭 |accessdate=2014-10-13 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20141017133651/http://www.seis.nagoya-u.ac.jp/kimata/ontake2007.htm |archivedate=2014-10-17 }}</ref>。
 
* [[2008年]](平成20年)3月31日 - 気象庁は、[[噴火警戒レベル]]の導入に伴い、噴火予報([[噴火警戒レベル]]1、平常)を発表した<ref name="御嶽山の火山活動解説資料" />。
 
 
 
* [[2014年]](平成26年)
 
** 8月末より火山性地震を観測。
 
** 9月27日 - 11時52分に噴火<ref name="jma20140928">{{Cite web|url=http://www.data.jma.go.jp/svd/vois/data/tokyo/STOCK/monthly_v-act_doc/tokyo/14m09/20140928_312.pdf|title=御嶽山の火山活動解説資料|publisher=気象庁地震火山部 火山監視・情報センター|format=PDF|date=2014-09-28|accessdate=2014-09-30}}</ref>。
 
{{Main2|2014年の噴火の推移|2014年の御嶽山噴火}}
 
 
 
=== 長野県西部地震による大規模崩壊 ===
 
[[ファイル:Ontakesan from kohideyama.jpg|thumb|200px|[[小秀山]]から望む[[長野県西部地震]]による御嶽山の南面の大規模な[[山体崩壊]]]]
 
[[1984年]](昭和59年)9月14日8時48分49秒に南山麓で発生した長野県西部地震([[マグニチュード|M]]6.8)により、御嶽山南斜面で大規模な[[山体崩壊]]が発生した<ref name="砂防と治水・第199巻" />。地震によって崩壊した大量の土砂は木曽川水系の濁川上流部の支流伝上川をかけ下り8分間で王滝川にまで達した<ref name="砂防と治水・第199巻" /><ref name="ontakesan-jyoukenzu" /><ref name="日本登山図集 (1986)、54-57頁">[[#日本登山図集|日本登山図集 (1986)、54-57頁]]</ref>。平均80-100 [[キロメートル毎時|km/h]]、延長距離約3 kmで、「御岳崩れ」と呼ばれることがある<ref>{{Cite web |url=http://www.cbr.mlit.go.jp/tajimi/sabo/ontake/data/ontake_kazan09.pdf |format=PDF |title=御嶽山火山防災だよりvol.9 |publisher=国土交通省中部地方整備局多治見砂防国道事務所 |date=2011-10 |accessdate=2013-02-15}}</ref>。濁川温泉、住宅、[[営林署]]の建物を流失させ、15人が犠牲となった<ref name="砂防と治水・第199巻" />。
 
{{See also|長野県西部地震}}
 
 
 
=== 5つの火口湖 ===
 
{{Commonscat|Pond of Ontake|御嶽山の池}}
 
[[ファイル:Rokunoike and Sainokawara Ontake 2011-09-18.jpg|thumb|right|200px|二ノ池北西の斜面の下と賽の河原との間に水がたまった小さな窪地が「六ノ池」と呼ばれることがある。]]
 
{{座標一覧}}
 
 
 
[[1927年]](昭和4年)に[[京都大学]][[地理学者]]に[[田中阿歌麿]]が[[湖沼]]の調査を行った<ref name="日本の名山 246頁">[[#日本の名山|日本の名山(1998)、246頁]]</ref><ref name="御岳の信仰と登山の歴史 (1988)、272頁" />。御嶽山には、5つの[[湖#発生による分類|火口湖]]があり、一ノ池から五ノ池の名前が付けられている。常に水をたたえているのは、[[エメラルド]]色の二ノ池と三ノ池である。二ノ池は日本で最も高いところ (2,905 m) にある[[トレイ|お盆]]形状の水深3.5 mの[[湖沼]]で<ref name="日本の山1000 (1992)、350-351頁" />、集水面積は湖面の数倍あり、[[ミクリガ池]]などの飛騨山脈の火口湖と比べて水位の日変化が40 [[センチメートル|cm]]程と大きいのが特徴である<ref name="日本の名山 161-165頁" />。昼夜の気温差による雪解け量の差がその原因である。夏でも[[雪渓]]が残り北西斜面の雪渓の雪解け水・天水・伏流水を集め、水位が極端に上昇した場合には、東端にあるニノ池小屋付近から北東に排水される。1979年の噴火活動の際に、ニノ池に大量の硫黄が流れ込み池の水は[[酸性]]度が強くなった。周辺の山小屋ではこの湖水をポンプで送水して宿泊者のためのお風呂の水に利用している<ref name="tv-tokyo">{{Cite web |url=http://www.tv-tokyo.co.jp/sat/backnumber/110903.html |title=天空の宿へ 〜にっぽん山小屋物語〜 |publisher=[[テレビ東京]]・[[土曜スペシャル (テレビ東京)|土曜スペシャル]] |date=2011-09-03 |accessdate=2011-10-05}}</ref>。三ノ池は御嶽山で最大の池で<ref name="岐阜県の山 (2009)、79-81頁">[[#岐阜県の山|岐阜県の山 (2009)、79-81頁]]</ref>、湖盆の平均斜度14.4度、水深が13.3 m、8月初旬の平均水温が表面で9.7 [[セルシウス度|{{℃}}]]低層で9.5 {{℃}}である<ref name="日本の名山 161-165頁" />。三ノ池畔には[[荒神]]と白龍王初春姫大神などの神々が祀られていて<ref name="木曽のおんたけさん―その歴史と信仰(2009)、97頁">[[#木曽のおんたけさん―その歴史と信仰|木曽のおんたけさん―その歴史と信仰(2009)、97頁]]</ref>、三ノ池の湖水は信者の御神水(ごしんすい)とされている<ref name="長野県の山 (1998)、88-89頁">[[#長野県の山|長野県の山 (1998)、88-89頁]]</ref><ref name="tisana tabi">{{Cite web |url=http://www.nhk.or.jp/kotabi/archive/2010/20100828.html |title=山の歌 祈りの峰 いまも 〜御嶽山〜 |publisher=[[日本放送協会|NHK]][[小さな旅]] |date=2010-08-28 |accessdate=2016-11-17 }}</ref>。王滝村御嶽神社里宮御神水とともに「信州の名水・秘水」の一つに選定されている<ref>{{Cite web |url=http://www.pref.nagano.lg.jp/mizutaiki/kurashi/shizen/mizukankyo/kankyo/mesui.html |title=信州の名水・秘水一覧 |publisher=長野県環境部 |date=2013-08-27 |accessdate=2016-11-17 }}</ref>。四ノ池は[[湿原|高層湿原]]となっていて、小川が流れており、[[高山植物]]の群生地となっている。なお、二ノ池北西の斜面の下、賽の河原との間に小さな窪地があり、多雨期には水がたまる。これを六ノ池と呼ぶことがある。賽の河原の西端、シン谷へ落ち込むところに日本最高所の滝 (2,800 m) がある。この谷は兵衛谷となり濁河川と合流し小坂川となって、[[飛騨川]]に注いでいる<ref group="注釈">よく、四ノ池から落ちる滝が日本最高所の滝と言われているが、四ノ池の標高は2,690 mであるため誤りである</ref>。三ノ池のみにオンダケ[[トビケラ]](学名:''Pseudostenophylax'' sp.)の幼虫が生息する<ref name="日本の名山 161-165頁" />。
 
 
 
{| class="wikitable"
 
!画像
 
!名称
 
!標高<br />(m)
 
!水深<ref name="日本の名山 161-165頁" /><br />(m)
 
!備考
 
!座標
 
|-
 
|[[ファイル:Ichinoike Ontake 2011-09-18.jpg|80px|西方から望む一ノ池と剣ヶ峰(2011年9月18日)]]
 
|'''一ノ池'''
 
|2,990
 
|&nbsp;
 
|涸れていることが多い
 
|({{ウィキ座標|35|53|42.9|N|137|28|42.4|E|region:JP-20|地図|name=一ノ池}})
 
|-
 
|[[ファイル:Ninoike (Mount Ontake).JPG|80px|山頂から望む二ノ池と畔にある二ノ池本館(2014年9月6日)]]
 
|'''二ノ池'''
 
|2,905
 
|style="text-align:right"|3.5
 
|日本の最高所の湖沼<br />北東岸にニノ池小屋
 
|({{ウィキ座標|35|53|51.4|N|137|28|52.0|E|region:JP-20|地図|name=ニノ池}})
 
|-
 
|[[ファイル:Sannoike (Mount Ontake).JPG|80px|摩利支天山方面から望む三ノ池(2014年9月6日)]]
 
|'''三ノ池'''
 
|2,720
 
|style="text-align:right"|13.3
 
|湖岸線の延長が705 m<br />湖盆平均斜度14.4度
 
|({{ウィキ座標|35|54|27.1|N|137|29|11.3|E|region:JP-20|地図|name=三ノ池}})
 
|-
 
|[[ファイル:Yonnoike and Mount Mamako.jpg|80px|三ノ池方面から望む四ノ池と継子岳(2013年7月9日)]]
 
|'''四ノ池'''
 
|2,690
 
|&nbsp;
 
|高層湿原から東に沢が流れる
 
|({{ウィキ座標|35|54|41.8|N|137|29|14.8|E|region:JP-20|地図|name=四ノ池}})
 
|-
 
|[[ファイル:Mount Ontake Gonoike 2014-09-06.JPG|80px|摩利支天山から望む五ノ池と五の池小屋(2014年9月6日)]]
 
|'''五ノ池'''
 
|2,790
 
|&nbsp;
 
|残雪期と降水後に水がある<br />池の北側に[[五の池小屋]]
 
|({{ウィキ座標|35|54|32.5|N|137|29|1.3|E|region:JP-21|地図|name=五ノ池}})
 
|}
 
 
 
=== 滝が非常に多い山 ===
 
「御嶽山は滝の山である」と言われるほど、御嶽山を源とする河川には滝が多い<ref>{{Cite web |url=http://www.kankou-kiso.com/miru/takimeguri.html |title=御嶽山に登ろう・滝めぐりコース |publisher=木曽町観光協会 |accessdate=2011-03-24 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20160304211757/http://www.kankou-kiso.com/miru/takimeguri.html |archivedate=2016-03-04 }}</ref>。地形が急峻で高低差が大きいこと、独立峰で山体が大きいこと、[[降水量]]が多いこと、豊かな[[森林]]を育んでいて水が涸れることがないことなどがその成因となっている。人が近づきにくいところにあるものが多いが、黒沢口から油木尾根の遊歩道沿いにある百間滝(西野川の支流の南俣川)、開田高原の尾ノ島滝、王滝口の滝・清滝、[[濁河温泉]]付近の仙人滝・緋の滝、[[日本の滝百選]]に選ばれた[[根尾の滝]]など、比較的簡単に目にすることができる滝もいくつかある。新滝と清滝は御嶽教の行場で、新滝には[[洞窟]]がありここに籠って[[断食]]を行い滝に打たれる行場となっている<ref name="木曽のおんたけさん―その歴史と信仰(2009)、97頁" />。冬に新滝(落差約30 m)と清滝は氷柱となる<ref>{{Cite news |title=厳冬氷の芸術 長野県王滝村の新滝 |page=1 | date=2013-02-20 |newspaper=[[中日新聞]] |location=[[愛知県]][[名古屋市]]}}</ref>。黒沢口四合目の霊神場周辺には、日ノ出滝、明栄滝、大祓滝、松尾滝などがあり[[不動明王]]などの神霊が祀られた行場となっている<ref name="木曽のおんたけさん―その歴史と信仰(2009)、107-108頁">[[#木曽のおんたけさん―その歴史と信仰|木曽のおんたけさん―その歴史と信仰(2009)、107-108頁]]</ref>。下呂市[[小坂町 (岐阜県)|小坂町]]には落差5 m以上の滝が200以上あり<ref name="ontake_kazan04" />、多数の小坂の滝めぐりコースが紹介されている<ref name="osaka-taki">{{Cite web |url=http://www.osaka-taki.com/about/index.html |title=小坂の滝めぐり |publisher=小坂の滝めぐり |accessdate=2013-02-15}}</ref>。
 
 
 
=== 御嶽山は飛騨山脈に含まれるのか ===
 
[[ファイル:Mount Ontake from Mount Norikura.jpg|thumb|200px|[[飛騨山脈]]南部の[[乗鞍岳]]から望む御嶽山]]
 
御嶽山は北アルプス([[飛騨山脈]])の延長線上にあり、北アルプスに含めるという説もあるが、北側の[[乗鞍岳]]との間には稜線らしき峰々はほとんどないため、一般的には御嶽山は飛騨山脈には含まれないというのが定説である(ただし、旧乗鞍火山帯には含まれる)。しかし、間を横切る河川は1本もないのも事実であり、明確な結論は出ていない。著名登山家でも意見は分かれている。なお、ガイドブック等で[[日本アルプス]]を3つに分けて紹介する場合、[[木曽山脈|中央アルプス]]の山数が少ないので御嶽山を中央アルプスと合わせて掲載されるケースが多々ある<ref>[[#中央アルプス 御嶽山・白山|中央アルプス 御嶽山・白山 (2009)]]</ref>。このため、御嶽山を中央アルプスの山と思いこんでいる人も数多く存在するが、中央アルプスとの間には木曽川が流れており、明らかに中央アルプスには属さない。[[国土地理院]]の日本の主な山岳標高の一覧では、[[鎌ヶ峰]]までが「飛騨山脈南部」、御嶽山は「御嶽山とその周辺」とされている<ref name="kokudo" />。御嶽山と鎌ヶ峰との鞍部には長峰峠(標高約1,350 m)がある<ref name="tizu-kokudo" />。
 
 
 
== 歴史・信仰 ==
 
御嶽山は[[山岳信仰]]の山である。通常は[[富士山]]、[[白山]]、[[立山]]で[[日本三霊山]]と言われているが、このうちの白山又は立山を御嶽山と入れ替えて三霊山とする説もある。日本の山岳信仰史において、富士山([[富士講]])と並び[[講|講社]]として庶民の信仰を集めた霊山である<ref>[[#御岳の信仰と登山の歴史|御岳の信仰と登山の歴史 (1988)、前書]]</ref><ref>[[#日本アルプスの登山と探検|日本アルプスの登山と探検 (1997)、285頁]]</ref>。[[教派神道]]の一つ[[御嶽教]]の[[信仰]]の対象とされている。最高点の剣ヶ峰には[[大国主|大己貴尊]]と[[えびす|えびす様]]を祀った[[御嶽神社#木曽御嶽神社を本社とする神社|御嶽神社]]奥社がある。[[鎌倉時代]]御嶽山一帯は修験者の行場であったが<ref name="新日本山岳誌 (2005)、972-973頁" />、その後衰退していった<ref name="御岳の信仰と登山の歴史 (1988)、95頁">[[#御岳の信仰と登山の歴史|御岳の信仰と登山の歴史 (1988)、95頁]]</ref>。[[室町時代]]中期に神沢杜口の[[随筆]]『翁草』巻162で{{Quotation|御山[[禅定道|禅定]]は百日精進せずしては上り得ず、其間は行場に入りて修行をなす、昼夜光明真言を誦し、[[垢離|水垢離]]をとるなり。其の料金三[[両]]二分百日間の行用とす。斯くのごとくなれば軽賦の者は登り得ず生涯大切の旨願ならねば籠らずとなり。|神沢杜口『翁草』巻162(室町時代中期)}}と記載されていて、山頂の御嶽神社奥社登拝に当たり麓で75日または100日精進潔斎の厳しい修行が必要とされ、この厳しい修行を行ったものだけに年1回の登拝が許されていた<ref name="日本三百名山 (1997)、148頁" /><ref name="御岳山霊なる山の素顔 12-14頁" />。この「道者」と呼ばれる[[木曽谷]]の人々による登拝が盛んとなった<ref name="御岳の信仰と登山の歴史 (1988)、95頁" />。[[1560年]]([[永禄]]3年)[[6月13日]]に[[木曾義昌|木曽義昌]]が、従者と共に武運を祈願するために御嶽神社の里宮で100日の精進潔斎を終え後登拝した<ref>[[#御岳の信仰と登山の歴史|御岳の信仰と登山の歴史 (1988)、128頁]]</ref>。江戸時代前期の行脚僧[[円空]]も登拝し、周辺の[[寺院]]で多くの[[彫刻|木彫]]の[[仏像]]を残している<ref>[[#御岳の信仰と登山の歴史|御岳の信仰と登山の歴史 (1988)、132頁]]</ref>。1785年(天明5年)に[[尾張国|尾張]][[春日井郡]]出身の覚明行者が、旧教団の迫害を退けて地元信者を借りて黒沢口の登拝道を築き<ref name="現代日本名山図会 (2003)、146-149頁" />、軽い精進登山を普及させるに成功し、厳しい修行をしなくても[[垢離|水行]]だけで登拝できるようになった<ref name="日本三百名山 (1997)、148頁" /><ref name="御岳の信仰と登山の歴史 (1988)、142頁">[[#御岳の信仰と登山の歴史|御岳の信仰と登山の歴史 (1988)、142頁]]</ref>。その後普寛行者が王滝口を開いた。江戸時代に、王滝口、黒沢口および小坂口の3つの道が開かれることにより、尾張や[[関東]]など全国で[[講|講中]]([[普寛講 (稲城市)|普寛講]]他)が結成され御嶽教が広まり、信仰の山として大衆化されていった<ref name="日本三百名山 (1997)、148頁" /><ref name="日本百名山地図帳(2005)、158-161頁">[[#日本百名山地図帳|日本百名山地図帳(2005)、158-161頁]]</ref>。江戸時代末期から明治初期にかけて毎年何十万人の御岳講で登拝され賑わっていた<ref name="日本の山1000 (1992)、350-351頁" />。江戸時代末期の『[[信濃奇勝録]]』で、{{Quotation|[[信州]]一の大山なり、嶽の形大抵[[浅間山|浅間]]に類して、清高これに過ぐ、毎年6月諸人潔斎して登る、福島より十[[里]]、全く[[富士山]]に登るが如し。|信濃奇勝録(江戸時代末期)}}と記載されている<ref name="日本の山1000 (1992)、350-351頁">[[#日本の山1000|日本の山1000 (1992)、350-351頁]]</ref>。1868年(明治元年)に黒沢口の8合目には「女人堂」が御嶽山で最初に山小屋としての営業を開始し、この上部への女性の立ち入りが禁止されていたが<ref name="日本百名山地図帳(2005)、158-161頁" />、1872年の太政官通達により他の国内の山と比較して早くから[[女人禁制]]が解かれた<ref name="新日本山岳誌 (2005)、972-973頁" />。[[ファイル:Ontake-tozando.jpg|thumb|200px|right|登山道沿いにある優覚講霊神場]]王滝口と黒沢口の参道には多数の霊場と修行場跡がある<ref name="日本山名辞典 (1992)、116頁" />。御嶽信仰では自然石に霊神(れいじん)の名称を刻印した「霊神碑」を建てる風習がある<ref>[[#御岳の信仰と登山の歴史|御岳の信仰と登山の歴史 (1988)、84頁]]</ref>。黒沢口の参道には登拝者を祀った約5,000基の霊神碑があり、王滝口の参道にも多数の霊神碑が並ぶ<ref name="日本200名山 (1987)、166頁" />。御嶽神社には[[蔵王権現]]が祀られていて、遠く離れた[[鳥居峠 (長野県)|鳥居峠]]や[[和田峠 (長野県)|和田峠]]などの遥拝所に御嶽信仰の[[石碑]]や[[祠]]が設置されている<ref name="新日本山岳誌 (2005)、972-973頁" />。江戸時代後期の絵師[[谷文晁]]が『日本名山図会』この山を描いて、名山として紹介した<ref name="現代日本名山図会 (2003)、146-149頁" />。林道黒石線と白崩林道の[[有料道路]]や[[御岳ロープウェイ]]の開業に伴い、ひのき笠と金剛杖の[[白装束]]の信者で埋め尽くされていた登拝道に、一般の登山者が混じるようになってきた<ref>[[#木曽のおんたけさん―その歴史と信仰|木曽のおんたけさん―その歴史と信仰(2009)、2頁]]</ref>。1985年(昭和60年)以降に山腹に4つの[[スキー場]]が建設された。
 
 
 
=== 御嶽神社 ===
 
御嶽大神と呼ばれる[[国之常立神|国常立尊]]、[[大国主|大己貴命]]、[[スクナビコナ|少彦名命]]を祭神とする<ref>[[#木曽のおんたけさん―その歴史と信仰|木曽のおんたけさん―その歴史と信仰(2009)、80頁]]</ref>。王滝口に里宮と黒沢口に里宮と若宮があり、[[木曽御嶽神社王滝口]]の奥社は王滝頂上、木曽御嶽神社黒沢口の奥社は山頂の剣ヶ峰にある<ref>[[#木曽のおんたけさん―その歴史と信仰|木曽のおんたけさん―その歴史と信仰(2009)、111頁]]</ref>。[[1882年]](明治15年)6月に、小谷分喜が『御嶽神社社略縁起』を出版した<ref name="御岳の信仰と登山の歴史 (1988)、271頁">[[#御岳の信仰と登山の歴史|御岳の信仰と登山の歴史 (1988)、271頁]]</ref>。1944年(昭和22年)に御嶽教などの教団と御嶽神社が「木曽御嶽山奉賛会」を設立し、その後「御嶽山奉賛会」と改称し[[神社]]の運営を行っている<ref>[[#木曽のおんたけさん―その歴史と信仰|木曽のおんたけさん―その歴史と信仰(2009)、91頁]]</ref>。1984年(昭和59年)9月14日の御嶽山直下を震源とした長野県西部地震で一合目の里宮の拝殿と末社が半壊し、行場の清滝は滝つぼが土砂に埋まった<ref>[[#御岳山霊なる山の素顔|御岳山霊なる山の素顔(2010)、47頁]]</ref>。御嶽神社黒沢口では[[太々神楽]]が奉納されている。
 
[[ファイル:Mount Ontake Shinto shrines on peak.jpg|thumb|200px|最高点の剣ヶ峰にある[[御嶽教]]総本山の御嶽神社黒沢口奥社本宮]]
 
* 木曽御嶽神社黒沢口
 
** 里宮 - 黒沢口、所在地は木曽町三岳6687、少彦名命を祭神とする。
 
** 若宮 - [[1385年]]([[至徳 (日本)|至徳]])黒沢口に再興された<ref name="御岳の信仰と登山の歴史 (1988)、267頁">[[#御岳の信仰と登山の歴史|御岳の信仰と登山の歴史 (1988)、267頁]]</ref>。に大己貴命を祭神とする。
 
** 頂上奥社本宮 - 御嶽山頂上(剣ヶ峰)、大己貴命と少彦名命を祭神とする<ref name="木曽御嶽信仰 (2002)、132頁">[[#木曽御嶽信仰|木曽御嶽信仰 (2002)、132頁]]</ref>。
 
* [[木曽御嶽神社王滝口]]
 
** 里宮 - 王滝口1合目にあり、1484年([[文明 (日本)|文明]]16年)に再建され、御嶽山登拝前の精進潔斎の参籠のための行場であった。古くは、「岩戸権現」と呼ばれ<ref>[[#御岳の信仰と登山の歴史|御岳の信仰と登山の歴史 (1988)、75頁]]</ref><ref name="日本百名山地図帳(2005)、158-161頁" />、明治以前は王御嶽岩戸座王権現が祀られていたが<ref name="木曽御嶽信仰 (2002)、132頁" />、現在は国常立尊、大己貴命、少彦名命を祭神とする。[[ファイル:Mount Ontake Shinto shrines on Otaki peak.jpg|thumb|200px|王滝頂上にある[[木曽御嶽神社王滝口]]頂上奥社本宮]]
 
** 頂上奥社本宮 - 頂上の剣ヶ峰、かつては日ノ権現が祀られていたが、現在は国常立尊、大己貴命、少彦名命を祭神とする<ref>[[#木曽御嶽信仰|木曽御嶽信仰 (2002)、133頁]]</ref>。
 
* 八海山神社 - 王滝口5合目、眼病平癒
 
* 三笠山神社 - 王滝口7合目の三笠山頂上、道中安全、[[交通安全]]
 
* 田ノ原大黒天 - 王滝口5合目の田の原、商売繁盛、開運
 
* 御嶽神社飛騨口里宮 - 濁河温泉登山口
 
{{See also|御嶽神社}}
 
 
 
=== 御嶽の四門 ===
 
遠方から御嶽の登拝にやってきて最初に御嶽山を望むことができる場所が「'''御嶽の四門'''」と呼ばれていて<ref name="よみがえる木曽人の物語 (1996)、70頁">[[#よみがえる木曽人の物語|よみがえる木曽人の物語 (1996)、70頁]]</ref>、鳥居などが設置された御嶽山の遥拝所がある<ref>松平君山『御嶽縁起』</ref><ref name="御岳の信仰と登山の歴史 (1988)、62-66頁">[[#御岳の信仰と登山の歴史|御岳の信仰と登山の歴史 (1988)、62-66頁]]</ref>。これらは[[仏教]]の四門として、岩郷村神戸が発心門、長峰峠が菩薩門、三浦山中が修行門、鳥居峠が涅槃門にたとえられていた<ref>[[#木曽御嶽信仰|木曽御嶽信仰 (2002)、130頁]]</ref>。木曽福島から黒沢口への古道の合戸峠や姥神峠などにも御嶽遥拝所があった<ref name="山と高原地図 (1993)、地図表面">[[#山と高原地図1993年版|山と高原地図 (1993)、地図表面]]</ref><ref>[[#よみがえる木曽人の物語|よみがえる木曽人の物語 (1996)、258頁]]</ref>。
 
* 岩郷村神戸 - [[中山道]]を[[京都|京]]方面から最初に御嶽山を望める箇所<ref name="御岳の信仰と登山の歴史 (1988)、62-66頁" />、現在の木曽町、山頂の東南東19.8 km。
 
* 長峰峠 - 鎌ヶ峰との鞍部 - 覚明行者系の空明行者によって再興された御嶽大権現の碑が設置されている<ref name="よみがえる木曽人の物語 (1996)、70頁" /><ref name="御岳の信仰と登山の歴史 (1988)、62-66頁" />。山頂の北北東10.4 km。
 
* 三浦山中 - 戦乱で焼失したと記録されている<ref name="御岳の信仰と登山の歴史 (1988)、62-66頁" />。阿寺山地の拝殿山、山頂の南西17.2 km。
 
* [[鳥居峠 (長野県)|鳥居峠]] - 中山道、山頂の東北東29.2 km。[[木曽義元]]が戦勝祈願のため、御嶽遥拝の鳥居を建造した。普寛行者系の一心行者の石像が設置されている。
 
 
 
=== 御嶽信仰を広めた行者 ===
 
==== 覚明行者 ====
 
[[ファイル:Kakumei gyoja.JPG|thumb|200px|黒沢口の登山道の九合半にある覚明行者の霊場。覚明行者は1785年(天明5年)に黒沢口を開き、翌年登山道の改修中にニノ池畔で病に倒れ、覚明堂(山小屋)の傍らにあるこの場所に埋葬された。]]
 
'''覚明行者'''(かくめいぎょうしゃ)は、[[1718年]]([[享保]]3年)[[3月3日]]に尾張国春日井郡牛山村<!--(田楽村)-->皿屋敷の農夫丹羽清兵衛(左衛門)と千代の子として生まれ、[[幼名]]は源助で後に仁右五衛門に改名、幼少期は新川村土器野新田の農家で養われていた<ref name="御岳の信仰と登山の歴史 (1988)、15頁">[[#御岳の信仰と登山の歴史|御岳の信仰と登山の歴史 (1988)、15頁]]</ref><ref name="木曽のおんたけさん―その歴史と信仰(2009)、27-28頁">[[#木曽のおんたけさん―その歴史と信仰|木曽のおんたけさん―その歴史と信仰(2009)、27-28頁]]</ref>。出身地の愛知県[[春日井市立牛山小学校]]の[[校歌]]で、「北に御岳見はるかす 覚明行者の産湯の街に」と歌い込まれている。[[1818年]]([[文政]]元年)10月の『連城亭随筆』で「[[医師]]の箱持ちをした後お梅と結婚し[[餅]]屋を開き商いをしていた」と記録されている<ref name="木曽のおんたけさん―その歴史と信仰(2009)、27-28頁" /><ref group="注釈">魚の[[行商]]をしていたとする説もある。</ref>。ある時予期せぬ出来事(盗みを働いたと疑われたことがきっかけとする説がある)が起こり、各地で[[巡礼]]修行を行い[[行者]]となった<ref name="木曽のおんたけさん―その歴史と信仰(2009)、27-28頁" />。木曽谷の村々で布教活動を行い信者を増やした<ref name="よみがえる木曽人の物語 (1996)、125頁">[[#よみがえる木曽人の物語|よみがえる木曽人の物語 (1996)、125頁]]</ref>。[[1782年]]([[天明]]2年)御嶽山を管轄する[[神職]]武居家と尾張藩木曽[[代官]]山村氏に登山許可の請願を行ったが、数百年に渡る従来の登拝型式(精進潔斎)を破ることになるため却下された<ref name="木曽のおんたけさん―その歴史と信仰(2009)、30-33頁">[[#木曽のおんたけさん―その歴史と信仰|木曽のおんたけさん―その歴史と信仰(2009)、30-33頁]]</ref>。しかし登山許可がないまま1785年(天明5年)6月8日に地元住民8名と、6月14日には尾張の38名の信者らと、6月28日には約80名を引き連れて強引に登拝を行った<ref name="木曽のおんたけさん―その歴史と信仰(2009)、30-33頁" />。登拝したものは罪を受け、覚明行者も21日間拘束を受けたとされている<ref name="木曽のおんたけさん―その歴史と信仰(2009)、30-33頁" />。[[1786年]]([[天明]]6年)にも多数の同志を引き連れて登拝を強行し黒沢の登山道の改修を行ったが、その最中の6月20日<ref group="注釈">7月23日とする説もある。</ref>にニノ池畔で病に倒れ、その直下にある黒沢口九合目の覚明堂の宿舎上の岩場に埋葬された<ref name="木曽のおんたけさん―その歴史と信仰(2009)、30-33頁" /><ref name="御岳の信仰と登山の歴史 (1988)、134-143頁">[[#御岳の信仰と登山の歴史|御岳の信仰と登山の歴史 (1988)、134-143頁]]</ref>。山小屋「覚明堂」の横に覚明行者の[[霊場]]が現存する。その後覚明行者の志を受け継いだ信者により黒沢口の登山道の改修が完結され、覚明行者が強行登拝したことによって事実上の「軽精進による登拝解禁」となった<ref name="木曽のおんたけさん―その歴史と信仰(2009)、30-33頁" />。信者が増加し[[福島宿 (中山道)|福島宿]]に[[経済効果]]が生まれるようになったこともあり[[1791年]](寛政3年)6月には麓の[[庄屋]]が連名で武居家に軽精進登拝の請願を提出し、[[1792年]](寛政4年)1月1日に許可が下された<ref name="木曽のおんたけさん―その歴史と信仰(2009)、30-33頁" /><ref name="御岳の信仰と登山の歴史 (1988)、134-143頁" /><ref name="よみがえる木曽人の物語 (1996)、125頁" />。6月14日から6月18日まで間に、入山料200文を徴収し、軽精進による登拝を認めるという規定が作られた<ref name="木曽のおんたけさん―その歴史と信仰(2009)、30-33頁" />。[[1850年]]([[嘉永]]3年)に上野東叡山日光御門主から菩薩号が授与された<ref name="御岳の信仰と登山の歴史 (1988)、270頁">[[#御岳の信仰と登山の歴史|御岳の信仰と登山の歴史 (1988)、270頁]]</ref>。覚明行者は麓の開田西野で村人に「[[アカマツ]]の苗が育てば必ず[[イネ|稲]]ができる」と教え、村人が苗を植えたら育ったことから開田の地名が生まれ、その由来が[[1806年]](文化3年)に設置された稗田の碑に刻まれている<ref name="よみがえる木曽人の物語 (1996)、125頁" />。御嶽山を[[中興]]開山させた先駆者とされている<ref>[[#木曽のおんたけさん―その歴史と信仰|木曽のおんたけさん―その歴史と信仰(2009)、25頁]]</ref>。
 
[[ファイル:Kiyotaki Otaki Nagano.jpg|thumb|135px|王滝口三合目の清滝、清滝不動明王が祀られ、登拝者が水行を行う行場となっている。]]
 
 
 
==== 普寛行者 ====
 
'''普寛行者'''(ふかんぎょうしゃ)は、[[1731年]](享保16年)に武蔵国[[秩父郡]][[大滝村 (埼玉県)|大滝村]]落合で生まれ(本名が本明院普寛)、青年期[[江戸]]に出て[[剣術]]を学び酒井雅楽頭家に仕えたと伝えられている<ref name="木曽のおんたけさん―その歴史と信仰(2009)、40-44頁">[[#木曽のおんたけさん―その歴史と信仰|木曽のおんたけさん―その歴史と信仰(2009)、40-44頁]]</ref>。[[1764年]]([[明和]]元年)[[三峯神社]]に入門した本山派の修験者となった<ref name="木曽のおんたけさん―その歴史と信仰(2009)、40-44頁" />。[[1792年]](寛政4年)5月に江戸などの信者を引き連れて開山にために旅立ち、6月8日から山に入り各地で御座(おざ)<ref group="注釈">「御座」は普寛行者が普及させた[[巫]]術による神降ろしの儀礼と[[祈祷]]。</ref>を行いながら6月10日に登拝し王滝口を開いた<ref name="木曽のおんたけさん―その歴史と信仰(2009)、40-44頁" />。その後江戸方面での御嶽講を組織し御嶽信仰を普及させた<ref name="木曽のおんたけさん―その歴史と信仰(2009)、40-44頁" />。[[1794年]](寛政6年)には[[上野国|上州]]の[[武尊山]]、[[1795年]](寛政7年)には[[八海山]]の開山を行い霊山の開山活動を続けた後、[[1801年]]([[享和]]元年)9月巡錫中に武州[[本庄宿]]で病に倒れた<ref>[[#木曽のおんたけさん―その歴史と信仰|木曽のおんたけさん―その歴史と信仰(2009)、47頁]]</ref><ref name="御岳の信仰と登山の歴史 (1988)、267頁" />。普寛行者は{{Quotation|なきがらは いつくの里に埋むとも 心御嶽に 有明の月|普寛行者の辞世の句}}の辞世の句を残している。王滝口3合目の清滝上の花戸には普寛行者の墓塔がある<ref name="木曽のおんたけさん―その歴史と信仰(2009)、108-110頁">[[#木曽のおんたけさん―その歴史と信仰|木曽のおんたけさん―その歴史と信仰(2009)、108-110頁]]</ref>。1850年(嘉永3年)に上野東叡山日光御門主から菩薩号が授与された<ref name="御岳の信仰と登山の歴史 (1988)、270頁" />。[[1890年]](明治23年)王滝村で普寛行者百年祭が開催され記念碑が建立された<ref name="御岳の信仰と登山の歴史 (1988)、272頁">[[#御岳の信仰と登山の歴史|御岳の信仰と登山の歴史 (1988)、272頁]]</ref>。普寛行者の直[[師弟|弟子]]として広山行者、泰賢行者、順明行者などがいて、その後次々に有力な行者が現れて御嶽講が広まった<ref>[[#御岳の信仰と登山の歴史|御岳の信仰と登山の歴史 (1988)、182-193頁]]</ref>。
 
 
 
=== 御嶽講 ===
 
御嶽山の登拝は行者と信者が一緒にその聖地を巡礼する旅(御嶽参り<ref name="八ヶ岳・御岳と中央アルプス(1983)、164-165頁">[[#八ヶ岳・御岳と中央アルプス|八ヶ岳・御岳と中央アルプス(1983)、164-165頁]]</ref>)でもある<ref>[[#御岳の信仰と登山の歴史|御岳の信仰と登山の歴史 (1988)、113頁]]</ref>。講者ごとに先達(せんだつ)に導かれて集団で登拝されることが多い。普寛行者の没後有力な行者が次々と現れ、この信仰により病苦が救われると信頼され、最初に江戸など関東地方に普寛行者系の御嶽講社が開かれた<ref name="花かおる御嶽山 (2000)、4頁" />。その後普寛行者の弟子である儀覚行者(きかくぎょうじゃ、[[1769年|1769]]-[[1841年]])が東海地方に宮丸講を初めて開き、覚明行者系の講社が愛知県を中心に西日本へと広まった<ref>[[#木曽のおんたけさん―その歴史と信仰|木曽のおんたけさん―その歴史と信仰(2009)、127-131頁]]</ref>。濃尾平野の農民は木曽川の水源となる御嶽山を[[水分神]]の山として尊崇していた<ref name="よみがえる木曽人の物語 (1996)、119頁">[[#よみがえる木曽人の物語|よみがえる木曽人の物語 (1996)、119頁]]</ref>。木曽谷の地域でも普寛行者系の講社が次々と結成された<ref>[[#御岳の信仰と登山の歴史|御岳の信仰と登山の歴史 (1988)、19-22頁]]</ref>。各講の先達の魂は霊神として、その[[石碑|碑]]が御嶽山の登拝道に鎮められている<ref name="いちどは行ってみたい日本の聖地(2010)、36-37頁" />。この「死後我が御霊はお山にかえる」という信仰に基づく霊神碑が御嶽山信仰の特徴のひとつである<ref>[[#よみがえる木曽人の物語|よみがえる木曽人の物語 (1996)、76頁]]</ref>。江戸時代から関東や尾張から[[中山道]]が利用されていたが、[[1919年]](大正8年)の[[中央本線]]が全線開通すると[[木曽福島駅]]から御嶽山へ歩き始めるようになった<ref name="木曽のおんたけさん―その歴史と信仰(2009)、72頁">[[#木曽のおんたけさん―その歴史と信仰|木曽のおんたけさん―その歴史と信仰(2009)、72頁]]</ref>。[[1923年]](大正12年)に[[木曽森林鉄道]]が敷設された後、木曽福島駅から黒沢と王滝まで[[おんたけ交通]]の[[乗合バス]]が利用されるようになった<ref name="木曽のおんたけさん―その歴史と信仰(2009)、72頁" />。[[1966年]](昭和41年)に有料道路林道黒石線が全線開通すると[[観光バス|貸切バス]]で直接王滝口の田の原へ入ることができるようになり、[[1971年]](昭和46年)有料道路白崩林道が全線開通すると貸切バスで直接黒沢口の中の湯まで入ることができるようになった<ref>[[#木曽のおんたけさん―その歴史と信仰|木曽のおんたけさん―その歴史と信仰(2009)、74頁]]</ref>。現在は天気が安定している7月下旬から8月中旬頃に1泊2日または2泊3日で登拝が行われることが多い<ref name="御岳の信仰と登山の歴史 (1988)、115頁">[[#御岳の信仰と登山の歴史|御岳の信仰と登山の歴史 (1988)、115頁]]</ref>。黒沢口から8合目の女人堂を経て山頂を往復するか、黒沢口から山頂を経て王滝口へ下るルートで登拝されるか、王滝口から山頂を往復するか、王滝口から山頂を経て8合目の女人堂を経て黒沢口へ下るルートで登拝されることが多い<ref name="御岳の信仰と登山の歴史 (1988)、115頁" />。
 
 
 
=== 宗教教団 ===
 
[[ファイル:Mount Ontake from Tanohara.jpg|thumb|200px|王滝口7合目から望む御嶽山、御嶽大神と呼ばれる[[スクナビコナ|少彦名命]]、[[国之常立神|国常立尊]]、[[大国主|大己貴命]]の祭神。]]
 
[[御嶽教]]、[[木曽御嶽教]]、[[神進大教]]、[[神理教]]、[[禊教]]、[[大成教]]、[[神道修成派]]、[[丸山教]]、[[稲荷教]]、[[天台宗寺門派]]や古くは[[講社]]と呼ばれていた旧教派神道系の教団などの御嶽信仰の教団がある<ref>[[#御岳の信仰と登山の歴史|御岳の信仰と登山の歴史 (1988)、4頁]]</ref>。
 
 
 
==== 御嶽教 ====
 
'''御嶽教'''(おんたけきょう)は、[[奈良県]][[奈良市]]に教団本部(御嶽山大和本宮)を置く[[教派神道]]で、[[神道十三派]]の一つ<ref name="ontakekyo">{{Cite web |url=http://www.ontakekyo.or.jp/ |title=御嶽教 |publisher=御嶽教 |accessdate=2013-02-18}}</ref>。御嶽教の山の本部である木曽大教殿が長野県木曽町福島新満郡にある。[[1984年]](昭和59年)4月に、日本全国に御嶽教の教会、枝教会、布教所が978(愛知県263、岐阜県98、[[埼玉県]]47、長野県40など)ほどあった<ref>[[#御岳の信仰と登山の歴史|御岳の信仰と登山の歴史 (1988)、24-25頁]]</ref>。
 
{{Main|御嶽教}}
 
 
 
==== 木曽御嶽教 ====
 
'''木曽御嶽教'''(きそおんたけきょう)は、[[1946年]](昭和21年)に覚明行者系の講社などが結集して設立された御嶽信仰の宗教教団。総本庁と天昇殿事務所が木曽町三岳にある<ref name="木曽のおんたけさん―その歴史と信仰(2009)、72頁">[[#木曽のおんたけさん―その歴史と信仰|木曽のおんたけさん―その歴史と信仰(2009)、72頁]]</ref>。御嶽神社を宗祠とし、初代の管長は黒沢御嶽神社[[宮司]]の武居誠<ref name="木曽のおんたけさん―その歴史と信仰(2009)、72頁" />。
 
 
 
=== 御嶽山の年表 ===
 
* [[702年]]([[大宝 (日本)|大宝]]2年)6月 - [[役小角]]が開山し<ref name="日本山名辞典 (1992)、116頁" />、高根道基が山頂の剣ヶ峰に[[御嶽神社]]奥社を創建したとされている<ref name="いちどは行ってみたい日本の聖地(2010)、36-37頁" /><ref name="日本百名山地図帳(2005)、158-161頁" />。
 
* [[774年]]([[宝亀]]5年) - 信濃[[国司]]の石川望足 (石川朝臣)が[[勅命|勅]]を受けて登頂し、大己貴命と少彦名命の二神を祀り悪疫退散を祈願した<ref name="いちどは行ってみたい日本の聖地(2010)、36-37頁" /><ref name="御岳の信仰と登山の歴史 (1988)、267頁" />。
 
* [[925年]]([[延長 (元号)|延長]]3年) - 白河少将重頼が登拝し、御嶽神社奥社の神殿を建造したとされている<ref name="日本百名山地図帳(2005)、158-161頁" />。
 
[[ファイル:Ontake shirine satomiya.JPG|200px|サムネイル|右|黒沢御嶽神社里宮]]
 
* [[928年]](延長6年) - [[醍醐天皇]]の勅使により、黒沢口に御嶽神社里宮が建造された<ref name="御岳の信仰と登山の歴史 (1988)、267頁" />。
 
* [[1161年]]([[応保]]元年)- [[後白河天皇]]の勅使が登山参拝されたと伝えられている<ref name="御岳の信仰と登山の歴史 (1988)、267頁" />。
 
* [[1177年]]-[[1184年]]([[治承]]元年-[[寿永]]3年) - [[源義仲|木曾義仲]]が打倒平氏を祈願するために登ったと伝えられている<ref name="日本山名辞典 (1992)、116頁" />。
 
* [[室町時代]] - [[修験者]]の登拝が盛んになった。
 
<!-- * [[1484年]] ([[文明 (日本)|文明]]16年) - 御嶽神社里宮が建立された<ref name="いちどは行ってみたい日本の聖地(2010)、36-37頁" />。要検証-->
 
* [[1492年]]-[[1500年]]([[明応]]-[[大永]]年間) - [[木曾義元|木曽義元]]が[[小笠原氏]]を打倒し、藪原峠に御嶽遥拝の[[鳥居]]を建造した<ref name="御岳の信仰と登山の歴史 (1988)、267頁" />。
 
* [[1503年]]([[文亀]]3年) - 王滝村祚宜彦五郎が『王御嶽登山清女行法巻』の[[祭文]]を書写<ref name="御岳の信仰と登山の歴史 (1988)、267頁" />。
 
* [[1507年]]([[永正]]4年) - 王滝村祚宜彦五郎が『王御嶽蔵王権現祭祀祝詞』を書写<ref name="御岳の信仰と登山の歴史 (1988)、267頁" />。
 
* [[1560年]]([[永禄]]3年)6月13日 - [[木曾義昌|木曽義昌]]が従者と共に武運を祈願するために登頂した<ref name="日本の名山 246頁" /><ref name="御岳の信仰と登山の歴史 (1988)、267頁" /><ref group="注釈">木曽山行巻の下で「義昌登嶽本意事」として記録されている。{{Quotation|永禄三年木曽長政御嶽之登り山神を享祭すべきと、黒沢に百日斎して同月十三日登御なり。|木曽山行巻の下「義昌登嶽本意事」}}</ref>。
 
* [[1591年]]([[天正]]19年) - 王滝村祚宜滝六郎右ヱ門が『嶽由来記』を記す<ref name="御岳の信仰と登山の歴史 (1988)、267頁" />。
 
* [[1593年]]([[文禄]]元年) - 王滝村祚宜滝六郎右ヱ門が『御嶽山縁記』を書写<ref name="御岳の信仰と登山の歴史 (1988)、267頁" />。
 
* [[1716年]]-[[1735年]]([[享保]]年間) - [[本草学]]者の[[丹羽正伯]]らが山域で[[生薬]]の採集や調査を行った<ref name="hino-seiyaku">{{Cite web |url=http://hino-seiyaku.com/ |title=日野製薬株式会社 |publisher=日野製薬 |accessdate=2013-02-04}}</ref>。
 
* [[1719年]]([[享保]]4年)[[6月15日]] - 「山村家給人古畑助三郎以下四十一名」の道者が登拝したと記録されている<ref name="御岳の信仰と登山の歴史 (1988)、267頁" /><ref>[[#御岳の信仰と登山の歴史|御岳の信仰と登山の歴史 (1988)、109頁]]</ref>。
 
* [[1785年]]([[天明]]5年) - 尾張の覚明行者によって黒沢口が開かれた<ref name="日本百名山地図帳(2005)、158-161頁" />。御嶽信仰の山として[[江戸時代]]に、一般にも開放されるようになった<ref name="日本山名辞典 (1992)、116頁" /><ref name="目で見る日本登山史・日本登山史年表 (1995)、5頁">[[#目で見る日本登山史・日本登山史年表|目で見る日本登山史・日本登山史年表 (1995)、5頁]]</ref>。
 
* [[1791年]]([[寛政]]3年) - 小坂口が開かれた。
 
* [[1792年]](寛政4年) - [[代官]]山村良喬により御嶽山の軽精進登山が許可され、武居家から「登山に付谷中へ通達の事」が通達された<ref name="御岳の信仰と登山の歴史 (1988)、142頁" /><ref name="御岳の信仰と登山の歴史 (1988)、269頁">[[#御岳の信仰と登山の歴史|御岳の信仰と登山の歴史 (1988)、269頁]]</ref><ref name="目で見る日本登山史・日本登山史年表 (1995)、5頁" />。
 
**6月 - [[武蔵国|武蔵]]の普寛行者が王滝口を開いた<ref name="日本山名辞典 (1992)、116頁" /><ref name="日本百名山地図帳(2005)、158-161頁" />。
 
* [[1849年]]([[嘉永]]2年) - 普寛行者の弟子である寿光行者が御嶽山の霊草百種を採り集め、煎じて生薬としたと伝えられている<ref name="naganoken-seiyaku">{{Cite web |url=http://www.hyakuso.co.jp/ |title=長野県製薬株式会社 |publisher=長野県製薬 |accessdate=2013-02-04}}</ref>。
 
* [[1861年]]([[文久]]元年) - 剣ヶ峰の御嶽神社奥社の祠の石垣の改修が行われ、700枚ほどの大観通宝が出土した<ref>[[#御岳の信仰と登山の歴史|御岳の信仰と登山の歴史 (1988)、125頁]]</ref>。
 
* [[1872年]]([[明治]]5年) - [[太政官]]通達により神社仏閣地の[[女人禁制]]が解かれた。
 
* [[1907年]]([[明治]]40年) - 御嶽山上に御嶽夏季[[郵便局]]が開設された<ref name="御岳の信仰と登山の歴史 (1988)、272頁" />。
 
* [[1925年]]([[大正]]14年) - 御嶽自動車商会(現在の[[おんたけ交通]])が開業<ref name="御岳の信仰と登山の歴史 (1988)、272頁" />。
 
* [[1952年]](昭和27年)[[3月3日]] - 長野県側の山域が御岳県立自然公園に指定される<ref name="Nagano-shizenkouen" />。
 
* [[1954年]](昭和29年)3月 - 王滝口、自動車道路の建設開始。
 
** [[8月8日]] - 山頂直下の八丁ダルミに、御嶽教の[[斎場]]である「御嶽山頂上祭場」(日本で最高所の[[火葬場]])が造られ、毎年「御嶽山大御神火祭」が斎行されるようになった<ref name="ontakekyo" />。
 
* [[1961年]](昭和36年)- 南山麓に[[牧尾ダム]]が完成し[[中京圏]]の水がめとして[[上水道]]、[[工業用水]]、[[かんがい用水]]を供給している。
 
* [[1966年]](昭和41年)- 王滝口、[[有料道路]]林道黒石線(現在の村道41号線)が田の原まで全線開通。
 
[[ファイル:Volcanic gas of Mount Ontake.jpg|thumb|right|135px|1979年の水蒸気爆発でできた大ダルミ直下南の噴気孔からの噴煙(1990年10月10日)]]
 
* [[1971年]](昭和46年)- 黒沢口、有料道路白崩林道が中の湯まで全線開通。
 
* [[1979年]](昭和54年)[[10月28日]] - 南西側斜面で水蒸気爆発が発生し、有史以来の噴火となった<ref name="kazan" />。
 
* [[1984年]](昭和59年)[[9月14日]]8時48分49秒 - 御嶽山直下を[[震源]]とした[[マグニチュード|M]]6.8の[[長野県西部地震]]が発生し<ref name="Ontakesan kazan" />、剣ヶ峰[[南南東]]の伝上川上流で山体崩壊が発生し、岩屑なだれが流れ下った王滝川沿いの山麓に多大な被害をもたらした<ref>{{Cite web |url=http://nhk.jp/chronicle/?0001000000000000%400000000000000000000000060C-4A00000000000000000100 |title=クローズアップ 巨大山津波が襲った 〜長野県西部地震〜(NHK総合テレビ・1984年9月18日放送) |publisher=NHK |accessdate=2016-11-17 }}</ref>。この際、[[濁川温泉 (長野県)|濁川温泉]](現存せず)が流失し、経営者一家が行方不明になった。
 
* [[1985年]](昭和60年)- 東南東山腹におんたけスキー場(現在の[[おんたけ2240]])が開業。
 
* [[1989年]]([[平成]]元年) - [[御岳ロープウェイ]]が開業し、通年運行され、冬はスキー場、その他のシーズンは、観光客や登山者に利用されている。
 
* [[1996年]](平成8年) - 東山腹に[[開田高原マイアスキー場]]が開業。
 
* [[1997年]](平成9年)[[4月1日]] - 有料道路林道黒石線無料開放化。
 
* [[1998年]](平成10年)- 北岳山腹に[[チャオ御岳スノーリゾート]]が開業。
 
* [[1999年]](平成11年)[[4月1日]] - 岐阜県側の山域が御嶽山県立自然公園に指定される<ref name="Gifu-shizenkouen" />。
 
* [[2004年]](平成16年)[[3月1日]] - 麓の[[小坂町 (岐阜県)|小坂町]]及び[[萩原町 (岐阜県)|萩原町]]、[[下呂町]]、[[金山町 (岐阜県)|金山町]]、[[馬瀬村]]が合併して[[下呂市]]が誕生した。
 
* [[2005年]](平成17年)[[2月1日]] - 麓の[[朝日村 (岐阜県)|朝日村]]、[[高根村 (岐阜県)|高根村]]及び[[高山市]]、[[丹生川村 (岐阜県)|丹生川村]]、[[清見村]]、[[荘川村]]、[[宮村 (岐阜県)|宮村]]、[[久々野町]]、[[国府町 (岐阜県)|国府町]]、[[上宝村]]の1市2町7村が編入合併し新しい高山市となった。
 
** [[11月1日]] - 麓の[[開田村]]、[[三岳村 (長野県)|三岳村]]及び[[木曽福島町]]、[[日義村]]が合併し[[木曽町]]となる。
 
* [[2007年]](平成19年)[[11月13日]]-[[11月14日]] - 木曽町で日本山岳修験学会(木曽御嶽学術大会)が開催される<ref>[[#木曽のおんたけさん―その歴史と信仰|木曽のおんたけさん―その歴史と信仰(2009)、5頁]]</ref><ref>{{Cite web |url=http://www.sangakushugen.jp/conferencepast.html |title=これまでの学術大会 |publisher=日本山岳修験学会 |accessdate=2013-02-07}}</ref>。
 
* [[2014年]](平成26年)[[9月27日]] - 南東斜面で水蒸気爆発が発生し、多数の登山客が巻き込まれる。
 
 
 
== 御嶽山の環境 ==
 
[[1757年]]([[宝暦]]7年)に松平君山が『吉蘇志畧』を刊行し、御嶽山について
 
{{Quotation|その東の峰に三つの池有り、一の池は水涸る、一の池は水少し、一の池は水満る、その水は流れて西のに至る。この北を地獄谷と云う硫黄多し、その水流れて王滝に至る、濁川と云う、往々硫黄を取得す、その水甚だ臭し|松平君山『吉蘇志畧』}}
 
と記載し、ハイマツ、コマクサ、オンダテ、[[オコジョ]]などの解説とホシガラス、ライチョウなどの[[鳥類]]の詳細なスケッチを残している<ref>[[#御岳の信仰と登山の歴史|御岳の信仰と登山の歴史 (1988)、203-204頁]]</ref>。標高3,000 mを越える高山であり、木曽節では「木曽の御嶽夏でも寒い袷やりたや[[足袋]]添えて」と歌われている。1979年の噴火による荒廃で黒沢口登山道九合目の石室山荘周辺のハイマツが枯れたが、2002-2003年頃から若芽が確認されている<ref name="御岳山霊なる山の素顔 58頁">[[#御岳山霊なる山の素顔|御岳山霊なる山の素顔(2010)、58頁]]</ref>。御嶽山のコマクサの[[コマクサ#御嶽山のコマクサの昔話|昔話]]がある<ref name="日本の名山 192-193頁">[[#日本の名山|日本の名山(1998)、192-193頁]]</ref>。王滝口登山道にある田の原天然公園を中心に約830 [[ヘクタール|ha]]が、木曽御岳自然休養林に指定されている<ref name="tanohara" />。[[田中澄江]]は、『花の百名山』著書で代表する花に一つとして[[リンネソウ]]を紹介した<ref name="花の百名山 (1997)、274-277頁" />。標高1,500m以下の山麓では、[[ヒノキ]]、[[アスナロ]]などの[[木曽五木]]が見られる<ref name="新日本山岳誌 (2005)、972-973頁" />。[[1836年]]([[天保]]7年)に西山麓の下呂市小坂町赤沼田で植栽されたヒノキの人工林が、1993年(平成5年)に[[林野庁]]により「赤沼田天保ヒノキ植物群落保護林」の指定を受けた<ref>{{Cite web |url=http://www.rinya.maff.go.jp/chubu/gijyutu/gyomu/sikengero/gero29.html |title=赤沼田(あかんた)ヒノキ人工林成長試験地 |publisher=林野庁中部森林管理局 |accessdate=2013-01-31}}</ref>。木曽町三岳では「御嶽黒光真石」と呼ばれる安山岩が産出され、御嶽信仰の霊神碑にも利用されていた。現在も麓の田中石材店などで石材加工が行われている。
 
 
 
=== 御嶽山の動物 ===
 
3万年前の[[旧石器時代]]にオオツノシカが生息していて、東山麓の開田高原はその狩猟場であった<ref name="よみがえる木曽人の物語 (1996)、12頁">[[#よみがえる木曽人の物語|よみがえる木曽人の物語 (1996)、12頁]]</ref>。柳又遺跡からは[[石器]]や[[土器]]が出土している<ref name="よみがえる木曽人の物語 (1996)、12頁" />。山頂付近の登山道の高山帯に生息する[[ホシガラス]]、[[ライチョウ]]、[[クジャクチョウ]]などが見られる。ライチョウ(雷鳥)は日本で[[特別天然記念物]]に指定され<ref>{{Cite web |url=http://bunka.nii.ac.jp/db/heritages/detail/162818 |title=文化遺産データベース「らいちょう」 |publisher=[[文化庁]] |accessdate=2016-11-17 }}</ref>、環境省により[[レッドリスト]]の絶滅危惧IA類<ref>{{Cite web |url=http://www.env.go.jp/press/file_view.php?serial=20551&hou_id=15619 |title=【鳥類】環境省第4次レッドリスト(2012)<分類群順> |format=PDF |publisher=環境省 |date=2012-08-28 |accessdate=2013-01-31}}</ref>、岐阜県では絶滅危惧I類、長野県では絶滅危惧II類に指定され絶滅が危惧されている<ref>{{Cite web |url=http://jpnrdb.com/search.php?mode=map&q=02080010130 |title=日本のレッドデータ検索システム「ライチョウ」 |publisher=(エンビジョン環境保全事務局)|accessdate=2016-11-17 }} - 「都道府県指定状況を一覧表で表示」をクリックすると、出典元の各都道府県のレッドデータブックのカテゴリー名が一覧表示される。</ref>。1981年の調査で50箇所あったライチョウの縄張りが、2008年の調査で28箇所に減少している<ref name="御岳山霊なる山の素顔 119頁">[[#御岳山霊なる山の素顔|御岳山霊なる山の素顔(2010)、119頁]]</ref>。2012年12月に、西側の前衛峰である[[御嶽山系]]の御前山の標高1,500 m付近でライチョウ1羽(冬羽のメス)が確認され、冬期に尾根伝いに高山帯から移動してきたものと見られている<ref>{{Cite web |url=http://www.gifu-np.co.jp/news/kennai/20130123/201301230850_19177.shtml |title=低山帯にライチョウ 下呂・御前山で異例の目撃 |publisher=[[岐阜新聞]] |date=2013-01-23 |accessdate=2013-02-02 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20130330025529/http://gifu-np.co.jp/news/kennai/20130123/201301230850_19177.shtml |archivedate=2013-03-30 }}</ref>。山域には[[イタチ]]、[[イノシシ]]、[[タヌキ]]、[[ツキノワグマ]]、[[ニホンザル]]、[[ホンドギツネ]]などが生息し、[[アトリ]]、[[イカル]]、[[キジ]]、[[キバシリ]]<ref>{{Cite web |url=http://www.pref.gifu.lg.jp/kurashi/kankyo/shizenhogo/c11265/kibasiri.html |title=キバシリ |publisher=岐阜県 |accessdate=2016-11-17 }}</ref>、[[ヒガラ]]、[[ブッポウソウ]]などの[[鳥類]]も豊富である<ref name="日本山名辞典 (1992)、116頁" />。南東山麓の長野県木曽郡木曽町の「三岳のブッポウソウ繁殖地」は国の天然記念物の指定を受けている<ref>{{Cite web |url=http://bunka.nii.ac.jp/db/heritages/detail/161218 |title=文化遺産データベース「三岳のブッポウソウ繁殖地」 |publisher=文化庁 |accessdate=2016-11-17 }}</ref>。開田高原ではその産地であった[[木曽馬]]が飼育されていて、長野県の天然記念物の指定を受けている<ref>{{Cite web |url=https://www.pref.nagano.lg.jp/kyoiku/bunsho/bunka/rekishi/documents/15ken-tennenkinenbutu.pdf |title=【長野県】県指定等文化財 15 県天然記念物 |format=PDF |publisher=長野県 |accessdate=2016-11-17 }}</ref>。[[チョウ目]][[ヤガ科]]のオンタケクロヨトウ(学名:''Apamea ontakensis'' Sugi)の高山蛾は、御嶽山の高山帯のみに生息する<ref group="注釈">岐阜県で絶滅危惧I類の指定を受けている。</ref><ref>{{Cite web |url=http://www.pref.gifu.lg.jp/kurashi/kankyo/shizenhogo/c11265/ontakekuroyotou.html |title=オンタケクロヨトウ |publisher=岐阜県 |accessdate=2016-11-17 }}</ref>。[[本州]]の限られた山岳地帯に分布するチョウ目[[シャクガ科]]のウチジロナミシャク(学名:''Dysstroma truncata fusconebulosa'' Inoue)は、岐阜県では御嶽山のみで分布が確認されている<ref group="注釈">岐阜県で準絶滅危惧の指定を受けている。</ref><ref>{{Cite web |url=http://www.pref.gifu.lg.jp/kurashi/kankyo/shizenhogo/c11265/utizironamisyaku.html |title=ウチジロナミシャク |publisher=岐阜県 |accessdate=2016-11-17 }}</ref>。
 
<gallery>
 
ファイル:木曽駒 1.jpg|北東山麓の開田高原で飼育されている[[木曽馬]](長野県指定天然記念物)
 
ファイル:Macaca fuscata fuscata.JPG|山麓の[[ニホンザル]]
 
ファイル:Rock Ptarmigan in Mount Ontake 1996-08-10.jpg|国指定特別天然物の[[ライチョウ]](夏羽のメス)
 
ファイル:Inachis io and Solidago virgaurea in Ontakesan 2010-08-27.JPG|高山植物の[[ミヤマアキノキリンソウ]]を吸蜜する[[クジャクチョウ]]
 
</gallery>
 
 
 
=== 御嶽山の植物 ===
 
{{Commonscat|Plants on Mount Ontake|御嶽山の植物}}
 
[[ファイル:Protective zone of Dicentra peregrina.jpg|thumb|200px|御嶽山の山上の[[コマクサ]]保護活動区域、江戸時代末期に「御神草」として採集され多くの自生のものが消滅した。]]
 
江戸時代末期に御嶽山の高山植物は「御神草」として珍重され、山頂部の高山帯に自生する[[コマクサ]]は薬草として採集され多くの自生のものが消滅した<ref name="花かおる御嶽山 (2000)、58頁">[[#花かおる御嶽山|花かおる御嶽山 (2000)、58頁]]</ref><ref group="注釈">東隣の[[木曽駒ヶ岳]]では同様な採集が行われたことにより、自生していたものが消滅した。</ref>。山頂部のコマクサ群落の再生活動が行われている。1887年(明治20年)7月に[[植物学|植物学者]]の[[白井光太郎]]が登頂して高山植物を採集し、1889年(明治22年)には[[三好学]]らも採集し<ref name="御岳の信仰と登山の歴史 (1988)、271頁" />、1933年(昭和8年)に植物学者の中野治房が御嶽山の植物生態を調査した<ref name="日本の名山 246頁" /><ref name="御岳の信仰と登山の歴史 (1988)、272頁" />。山の上部の[[森林限界]]の高山帯には、[[アオノツガザクラ]]、[[イワウメ]]、[[ウラジロナナカマド]]、[[オオヒョウタンボク]]、[[ガンコウラン]]、[[キバナシャクナゲ]]、[[クロマメノキ]]、[[コケモモ]]、[[コメバツガザクラ]]、[[タカネナナカマド]]、[[チングルマ]]、[[ハイマツ]]、[[ミネズオウ]]、[[ミヤマハンノキ]]などの樹木と[[イワギキョウ]]、[[イワツメクサ]]、[[オンタデ]]、[[クモマグサ]]<ref group="注釈">御嶽山と[[白馬岳]]に分布する希少な植物。</ref><ref>[[#日本の高山植物|日本の高山植物 (1988)、398頁]]</ref>、[[クロユリ]]、コマクサ、[[シラタマノキ]]、[[チシマギキョウ]]、[[トウヤクリンドウ]]、[[ハクサンイチゲ]]、[[ミヤマアキノキリンソウ]]、[[ミヤマキンバイ]]、[[ミヤマダイコンソウ]]、[[モミジカラマツ]]などの多くの[[高山植物]]が自生している<ref name="山と高原地図1993年版">[[#山と高原地図1993年版|山と高原地図 (1993)、地図裏面]]</ref><ref name="花かおる御嶽山">[[#花かおる御嶽山|花かおる御嶽山 (2000)]]</ref><ref>{{Cite web |url=http://www.vill.otaki.nagano.jp/ontake_tozan/kisoontakesan_no_plant/tozan03_plant_top.html |title=木曽御嶽山(王滝口)登山道の植物 |publisher=王滝村 |accessdate=2011-03-24}}</ref>。日本の[[固有種]]であるオンタデ(御蓼)の[[和名]]は、この山で最初に発見されたことによる<ref>[[#日本の高山植物|日本の高山植物 (1988)、502頁]]</ref><ref>[[#花かおる御嶽山|花かおる御嶽山 (2000)、63頁]]</ref>。ウラジロナナカマドとタカネナナカマドとの[[雑種]]のオンタケナナカマド(学名:''Sorbus'' x ''yokouchii'' {{AU|M.Mizush.}} ex {{AU|T.Shimizu}})が自生している<ref>[[#日本の高山植物|日本の高山植物 (1988)、388頁]]</ref>。中腹の[[亜高山帯]]では、[[オオシラビソ]]、[[オガラバナ]]、[[コメツガ]]、[[シラビソ]]、[[ダケカンバ]]、[[トウヒ]]、[[ナナカマド]]、[[ハリブキ]]、[[ミヤマザクラ]]などの樹木と[[オサバグサ]]、[[カニコウモリ]]、[[キソアザミ]]、[[キソチドリ]]、[[ゴゼンタチバナ]]、[[コバイケイソウ]]、[[サンカヨウ]]、[[セリバシオガマ]]、[[タケシマラン]]、[[ツバメオモト]]、[[バイカオウレン]]、[[マイヅルソウ]]、[[ムシトリスミレ]]、[[ユキザサ]]などの草花が自生している<ref name="日本山名辞典 (1992)、116頁" /><ref name="新日本山岳誌 (2005)、972-973頁" /><ref name="山と高原地図1993年版" /><ref name="花かおる御嶽山" />。下部の山地帯では、[[イヌブナ]]、[[カエデ|カエデ類]]、[[カツラ (植物)|カツラ]]、[[クリ]]、[[シラカンバ]]、[[シナノキ]]、[[ミズナラ]]などの落葉広葉樹と[[トチノキ]]、[[クロベ]]、[[サワラ (植物)|サワラ]]、[[ヒノキ]]などの[[自然林]]の針葉樹と[[カラマツ]]、[[スギ]]、ヒノキなどの[[人工林]]、[[イワカガミ]]、[[クガイソウ]]、[[ササユリ]]、[[ススキ]]、[[ツルアジサイ]]、[[トリアショウマ]]、[[ホタルブクロ]]、[[マツムシソウ]]、[[ヤナギラン]]などの草花が分布している<ref name="山と高原地図1993年版" /><ref name="花かおる御嶽山" />。「御岳オサバグサ」(面積18.39 ha)と「胡桃島ハイマツ等」が林野庁により、植物群落保護林の指定を受けている<ref>{{Cite web |url=http://www.rinya.maff.go.jp/chubu/policy/business/conservation/hogorin/syokubutu.html |title=植物群落保護林  |publisher=林野庁中部森林管理局 |accessdate=2013-02-01}}</ref>。「木曽ヒノキ」は、「秋田のスギ」と「津軽の[[ヒバ]]」とともに『[[日本三大一覧|日本三大]]美林』に選定されている<ref name="日本山名辞典 (1992)、116頁" />。南側は現在も火山活動中であり[[植物相]]は貧弱で、北側はコマクサの群生地など豊富な植物相となっている<ref name="岐阜県の山 (2009)、79-81頁" />。[[1910年]]に[[植物学|植物学者]][[小泉源一]]がこの山で[[トリカブト|トリカブト属]]のオンタケブシ(学名:''Aconitum metajaponicum'' {{AU|Nakai}})を採集しその和名の由来となっている<ref>{{Cite journal ja-jp |author=門田裕一 |year=1984 |title=東北地方におけるトリカブト属トリカブト亜属植物(キソポウゲ科)の形態的変異と分布 |publisher=[[国立科学博物館]] |journal=国立科学博物館専報 |volume=17 |pages=89}}</ref>。オンタケチブシは絶滅が危惧されていて、環境省の絶滅危惧IA類の指定を受けている<ref>{{Cite web |url=http://www.jpnrdb.com/search.php?mode=map&q=06030301395 |title=日本のレッドデータ検索システム「オンタケブシ」 |publisher=(エンビジョン環境保全事務局)|accessdate=2013-02-03 }}</ref>。
 
<gallery>
 
ファイル:Campanula lasiocarpa in Mount Ontake 2011-09-18.JPG|山頂部の高山帯に自生する[[イワギキョウ]]
 
ファイル:Aconogonon weyrichii var. alpinum in Mount Ontake 2010-08-27.jpg|山名が和名の由来となっている[[オンタデ]](御蓼)、高山帯の砂礫地に自生する。
 
ファイル:Saxifraga merkii var idsuroei.JPG|御嶽山と[[白馬岳]]に自生する希少種の[[クモマグサ]]
 
ファイル:Dicentra peregrina in Mount Ontake 2010-08-27.jpg|「高山植物の女王」と呼ばれている[[コマクサ]]
 
ファイル:Gentiana algida in Mount Ontake 2010-08-27.jpg|山頂部の高山帯に自生する[[トウヤクリンドウ]]
 
</gallery>
 
 
 
=== 御嶽山の生薬「百草丸」 ===
 
[[ファイル:Phellodendron amurense JPG1b.jpg|thumb|200px|御嶽山の山域に自生している[[キハダ (植物)|キハダ]]。生薬となるオウバクが麓の[[製薬会社]]が製造する[[百草丸]](御岳百草丸など)の主成分として利用されている。]]
 
多くの[[薬草|薬用植物]]が分布し江戸時代に[[本草学]]の研究が盛んに行われ、この地域を領有していた[[尾張藩]]が薬草の採取を行っていた<ref name="hino-seiyaku" />。1716年-1735年(享保年間)に本草学者の丹羽正伯らが山域で生薬の採集や調査を行った。[[1804年]]-[[1818年]]([[文化 (元号)|文化]]年間)に水谷豊文が山麓を中心とする『木曽採薬記』を刊行し<ref name="hino-seiyaku" />、山頂付近にコマクサが自生していることが記載されている<ref name="御岳の信仰と登山の歴史 (1988)、205頁">[[#御岳の信仰と登山の歴史|御岳の信仰と登山の歴史 (1988)、205頁]]</ref>。1844年(天保15年)に周辺の木曽谷の山域で採取された植物の[[押し花|おしば帳]]である『木曽産草花根皮類』が刊行され、アオノツガザクラ、[[オヤマリンドウ]]、クロユリ、[[スミレ]]、チングルマ、[[ミズバショウ]]など50種類などが[[図鑑]]型式にまとめられていた<ref name="御岳の信仰と登山の歴史 (1988)、201-202頁">[[#御岳の信仰と登山の歴史|御岳の信仰と登山の歴史 (1988)、201-202頁]]</ref>。そのうちの24種が現在の[[和名]]で記載されていた<ref name="御岳の信仰と登山の歴史 (1988)、201-202頁" />。[[本草学]]が進んでいた尾張藩に属していて、山村代官により薬草の調査、栽培、管理が行われていた <ref name="御岳の信仰と登山の歴史 (1988)、201-202頁" />。王滝口を開いた普寛行者により、『御嶽山の霊薬百種を採り集めよく煎じて薬を製せば霊験神の如し、これを製して諸人を救え。』と村人などに伝授された<ref name="花かおる御嶽山 (2000)、5頁">[[#花かおる御嶽山|花かおる御嶽山 (2000)、5頁]]</ref>。1849年(嘉永2年)に王滝口を開いた普寛行者の弟子である寿光行者が、御嶽山の霊草百種を採り集め煎じて生薬としたと伝えられていて<ref name="naganoken-seiyaku" />、王滝村には「百草元之碑」には同村の胡桃沢弥七と小谷文七が普寛行者の遺法を基に百草を製造したと記載されている<ref name="御岳山霊なる山の素顔(2010)、77-79頁">[[#御岳山霊なる山の素顔|御岳山霊なる山の素顔(2010)、77-79頁]]</ref>。御嶽信仰の広がりと共に木曽御嶽の「御神薬」の百草が各地に広まった<ref name="hino-seiyaku" />。百草は御嶽参りの[[土産|お土産]]とされていた<ref>[[#よみがえる木曽人の物語|よみがえる木曽人の物語 (1996)、126頁]]</ref>。南山麓では[[長野県製薬]](御岳百草丸)と[[日野製薬]](御嶽山日野百草丸)が、[[キハダ (植物)|キハダ]]の樹皮の内側の木の層の「オウバク」を主成分とした「[[百草丸]]」([[胃腸薬]])を製造している<ref name="hino-seiyaku" /><ref name="naganoken-seiyaku" /><ref name="御岳山霊なる山の素顔(2010)、77-79頁" />。この薬箱には「山三丸マーク」と呼ばれる御嶽信仰を象徴するマーク(御嶽神社や登山道の霊神碑の刻印などでも使用されている)が印刷されている。なおこの山三丸マークを使用する[[商標|商標権]]について製薬会社間で訴訟「平成9年(行ケ)213号 審決取消請求事件」が行われた<ref>{{Cite web |url=http://jitsuyou.hanrei.jp/hanrei/um/4071.html |title=平成9年(行ケ)213号 審決取消請求事件 |publisher=アスタミューゼ株式会社 |accessdate=2013-02-18}}</ref>。明治以降は[[兵士]]の常備薬として需要が高まり、山域のキハダは昭和初期には伐採し尽くされ、他の地域や海外から輸入する事態となり現在は大半を[[中国]]のから輸入に頼っている<ref name="御岳山霊なる山の素顔(2010)、77-79頁" />。百草には「御嶽山の五夢草」であるコマクサ、オンタケニンジン、[[オウレン]]、[[トウヤク]]、テングノヒゲが含まれ<ref name="hino-seiyaku" />、[[アキカラマツ|タカトウグサ]]と[[ゲンノショウコ]]なども利用されていた伝えられている<ref name="花かおる御嶽山 (2000)、5頁" />。
 
 
 
=== 御嶽山の国有林 ===
 
鎌倉時代から昭和初期まで山腹から山麓にかけての森林で木曽五木などが伐採され、その伐材は木曽川を利用して川流しが行われていた<ref name="八ヶ岳・御岳と中央アルプス(1983)、164-165頁" />。山域の森林は江戸時代には尾張藩により管理され、明治になると御料林となり、現在山域の多くは[[国有林]]となっている<ref name="八ヶ岳・御岳と中央アルプス(1983)、164-165頁" />。その大部分が[[水源かん養保安林]]に指定されている<ref name="飛騨川森林計画区の計画概要">{{Cite web |url=http://www.rinya.maff.go.jp/chubu/policy/business/sinrinkeikaku/pdf/gaiyouhidagawa.pdf |title=
 
飛騨川森林計画区の計画概要 |publisher=林野庁中部森林管理局 |format=PDF |accessdate=2013-01-31}}</ref>。御岳特定地理等保護林(旧御岳垂直森林帯植物群落保護林、面積1,540 ha)などで、自然環境の維持や動植物の保護ための国有林の保護管理が行われている<ref name="飛騨川森林計画区の計画概要" />。千間樽国有林と胡桃島国有林の一部が、「御岳自然休養林」に指定されている<ref>{{Cite web |url=http://www.rinya.maff.go.jp/chubu/policy/business/invitation/rekumori/ontake/pdf/ontakeitizu2.pdf |title=御岳自然休養林 |publisher=林野庁中部森林管理局 |format=PDF |accessdate=2013-02-01}}</ref>。
 
* 下呂地区(岐阜森林管理署管内)
 
** 落合国有林 - [[ウラジロカンバ]]、[[ミネカエデ]]などの落葉広葉樹と[[コメツガ]]、[[サワラ (植物)|サワラ]]、[[シラベ]]、[[トウヒ]]などの針葉樹林が分布し、[[ヒノキ]]が植林されている<ref>{{Cite web |url=http://www.rinya.maff.go.jp/chubu/gijyutu/sitemap/sub25.html |title=落合国有林 |publisher=林野庁中部森林管理局 |accessdate=2013-01-31}}</ref>。
 
* 高山地区(岐阜森林管理署管内)
 
** 幕岩下国有林
 
** 千間樽国有林
 
** 胡桃島国有林 - 胡桃島ハイマツ等植物群落保護林がある。
 
** 幕岩下国有林
 
[[ファイル:Mount Ontake from Tanohara 1997-06-01.jpg|thumb|right|200px|王滝口にある田の原天然公園(木曽御岳自然休養林)から望む残雪を抱いた御嶽山]]
 
* 木曽谷地区(木曽森林管理署管内)
 
** 三浦国有林 - 古くからヒノキの山地として知られ、江戸時代初期に伐採されていて、痕地にチマキザサ(学名:''Sasa palmata'')などが分布する。[[阿寺山地]]上部の[[隆起準平原]]で濃飛[[流紋岩]]などで構成されている<ref>{{Cite web |url=http://www.rinya.maff.go.jp/chubu/gijyutu/gyomu/sikenkiso/kiso01.html |title=三浦国有林各種実験林 |publisher=林野庁中部森林管理局 |accessdate=2013-01-31}}</ref>。
 
** 王滝御岳国有林
 
** 樽沢国有林
 
** 浦沢国有林
 
** 障子沢国有林
 
** 御嶽国有林
 
** 黒沢御岳国有林 - 黒沢口の油木尾根沿いの百間滝道には江戸時代に尾張藩が植林した樹齢200年以上のヒノキの美林が広がり「油木美林」と呼ばれている<ref name="木曽のおんたけさん―その歴史と信仰(2009)、107-108頁" /><ref>[[#木曽御嶽信仰|木曽御嶽信仰 (2002)、131頁]]</ref>。
 
** 新高国有林
 
** ヤケノ国有林
 
** ヌカネ国有林
 
** ナガウ原国有林
 
 
 
== 登山 ==
 
[[ファイル:Hida Mountains from Mount Ontake.jpg|thumb|right|200px|御嶽山頂上(剣ヶ峰)、山頂からは北側に乗鞍岳や穂高岳が望める。]]
 
[[ファイル:Mount Ontake from Tanohara 2005-03-27.jpg|thumb|right|200px|残雪期の春先に王滝口の田の原から山頂に向かう登山者、独立峰であり稜線では強風で雪煙が舞っている。]]
 
[[ファイル:Fujimi-ishi in Mount Ontake.jpg|thumb|right|200px|王滝口上部の富士見石、この高さまで登ると富士山が前衛の中央アルプス越しに頭を出し始める。]]
 
古来より信仰の対象として少数の修験者によって登られ、江戸時代に覚明行者が黒沢口を開き、普寛行者が王滝口を開き全国各地に御嶽講が広まり信者による集団登拝が盛んに行われ、現在も[[白装束]]の登拝者が見られる山である。江戸時代の御嶽登山者の病気や凍死による死亡者の記録(御嶽山遭難者遺族差出証文など)が多数残されていて、[[1847年]]([[弘化]]4年)[[7月16日]]には山頂の強い風雨で7人中5人が凍死する[[遭難#山岳遭難|山岳遭難]]が起きた<ref>[[#御岳の信仰と登山の歴史|御岳の信仰と登山の歴史 (1988)、196頁]]</ref>。1868年(明治元年)に黒沢口8合目の「女人堂」が御嶽山で最初に山小屋としての営業を開始した<ref name="Nyonindo">{{Cite web |url=http://www.kiso.ne.jp/~ontake.85.kt/ |title=木曽御嶽山登山 黒沢口 山小屋 女人堂 2470m  |publisher=女人堂 |accessdate=2013-02-14}}</ref>。1872年(明治5年)に女人禁制が解かれるまでは、避難小屋などとして登拝者に利用されていた女人堂から上部への女性の立入りは禁じられていた<ref name="Nyonindo" /><ref>[[#日本アルプスの登山と探検|日本アルプスの登山と探検 (1997)、291頁]]</ref>。明治初期に外国人の登頂により近代登山が始まった<ref name="御岳の信仰と登山の歴史 (1988)、207頁">[[#御岳の信仰と登山の歴史|御岳の信仰と登山の歴史 (1988)、207頁]]</ref>。1894年に[[ウォルター・ウェストン]]が登頂して以降、一般の登山者にも登られるようになった<ref name="日本三百名山 (1997)、148頁" />。ウェストンと同時期に[[アメリカ合州国|アメリカ]]の[[天文学者]][[パーシヴァル・ローウェル]]が来訪した際に登頂し、『オカルト・ジャパン』(第1章「御嶽」)で当時の様子を記している<ref>[[#パーシヴァル・ローウェル|パーシヴァル・ローウェル (1895)、第1章「御嶽」]]</ref>。[[1907年]](明治40年)の[[ウマ|馬]]や[[駕籠|かご]]に乗る御嶽山登山者の写真が残されている<ref>[[#御岳の信仰と登山の歴史|御岳の信仰と登山の歴史 (1988)、222頁]]</ref>。御嶽山の登山口は[[木曽地域|木曽]]側から3つ(王滝口、黒沢口、開田口)、[[飛騨国|飛騨]]側から1つ(小坂口)が昔から利用されていたが、その後日和田口が比較的新しく開かれた。
 
 
 
1979年10月の噴火により、山頂から4合目までが入山規制された。1981年に山頂部の火口付近を除き入山規制が解除された<ref name="日本の名山 246頁" />。気象庁が発表する噴火警戒レベルにより入山が規制される場合がある<ref>{{Cite web |url=http://www.pref.nagano.lg.jp/police/mobile/sangaku/index.html |title=長野県警山岳情報 |publisher=モバイル[[長野県警察]] |accessdate=2016-11-17 }}</ref>。木の丸太などで整備された階段状の登山道は「木曽御嶽奉仕会」などによる地元の有志や御岳信仰の関係者によって修復整備がなされている<ref name="hinoseiyaku" /><ref>[[#御岳山霊なる山の素顔|御岳山霊なる山の素顔(2010)、11頁]]</ref>。3,000 mを越える高峰であるが登山口の標高が高いため日帰りで登山されることもある<ref name="長野県中信・南信日帰りの山 (2006)、87-91頁">[[#長野県中信・南信日帰りの山|長野県中信・南信日帰りの山 (2006)、74-78頁]]</ref>。麓の開田中学校や王滝中学校、下呂市の小学校などで学校登山が行われている<ref name="御岳山霊なる山の素顔 15頁">[[#御岳山霊なる山の素顔|御岳山霊なる山の素顔(2010)、15頁]]</ref>。黒沢口などでは御嶽講の先達を背負ったり、信者の荷物や、山小屋の物資を運ぶ[[歩荷|強力]]を担う人がいる<ref name="tisana tabi" /><ref name="御岳山霊なる山の素顔 24頁">[[#御岳山霊なる山の素顔|御岳山霊なる山の素顔(2010)、24頁]]</ref>。1954年(昭和29年)から8月8日に山頂直下(剣ヶ峰と王滝頂上の間)の八丁ダルミで、御嶽教の御嶽山大神火祭が行われている<ref name="日本山名辞典 (1992)、116頁" /><ref name="ontakekyo" />。大多数の信仰登山者が利用する黒沢口と王滝口の登拝道は、一般登山道としても利用されている<ref name="長野県の山 (1998)、88-89頁" />。積雪期の登山において難所はないものの、独立峰のため山頂付近が強風で[[アイスバーン]]となるため滑落に注意を要し、視界が悪い時にはルート判断が難しくなる山である<ref>[[#日本雪山登山ルート集|日本雪山登山ルート集 (1996)、158-159頁]]</ref><ref>{{Cite web |url=http://www.pref.gifu.lg.jp/kurashi/bosai/sangaku/11115/index.data/H28guidebook.pdf |title=岐阜県北アルプス登山ガイドブック(平成28年度版) |publisher=岐阜県防災課 |format=PDF |pages=9 |accessdate=2016-11-17 }}</ref>。百名山ブームもあって、[[旅行会社]]による登山ツアーが多数行われた。
 
 
 
2014年9月の噴火により、噴火警戒レベルが3(入山規制)に引き上げられたことに伴い、火口から概ね4kmの範囲が立入禁止区域に指定された<ref name="jma_20140927_lv3"></ref>。2015年6月、噴火警戒レベルが2(火口周辺規制)に引下げられたことに伴い、立入禁止区域は火口から概ね1kmの範囲に縮小された<ref name="jma_20170821_lv1"></ref>。2017年8月に噴火警戒レベルが1(活火山であることに留意)に引き下げられたが、現在も火口から概ね1kmの範囲は立入禁止区域であり、また「岐阜県北アルプス地区及び活火山地区における山岳遭難の防止に関する条例<ref name="Gifu Pref Regulations for Mountaineer"></ref>」により、御嶽山の火口から4km以内に立ち入る場合には登山届の提出が義務づけられている<ref name="jma_Mt.Ontake">{{cite web|url=http://www.data.jma.go.jp/svd/vois/data/tokyo/STOCK/activity_info/312.html|title=御嶽山の活動状況|accessdate=2017/10/10 |author=[[気象庁]]}}</ref>。
 
 
 
=== 近代登山史 ===
 
* [[1868年]](明治元年) - 黒沢口8合目の「女人堂」が御嶽山で最初に山小屋としての営業を開始した<ref name="Nyonindo" />。
 
* [[1873年]](明治6年) - [[ウィリアム・ゴーランド]]とエドワード・デイロンが外国人としての初登頂をした<ref name="日本の名山 246頁" /><ref name="御岳の信仰と登山の歴史 (1988)、271頁" />。
 
* [[1874年]](明治7年) - [[ヨハネス・ユストゥス・ライン]]と[[イギリス人]]のワイウイー・ハウス他2名が登頂<ref name="日本の名山 246頁" /><ref name="御岳の信仰と登山の歴史 (1988)、207頁" />。
 
* [[1881年]](明治14年) - [[アーネスト・サトウ]]がウィリアム・ゴーランドと登頂し、『中部及び北方日本旅行案内』を執筆した<ref name="日本の名山 246頁" />。
 
* [[1891年]](明治24年)8月 - ウォルター・ウェストンが登頂<ref name="日本アルプスの登山と探検 (1997)、372頁">[[#日本アルプスの登山と探検|日本アルプスの登山と探検 (1997)、372頁]]</ref><ref name="目で見る日本登山史・日本登山史年表 (1995)、9頁">[[#目で見る日本登山史・日本登山史年表|目で見る日本登山史・日本登山史年表 (1995)、9頁]]</ref>。
 
* [[1893年]](明治26年) - [[木暮理太郎]]が王滝口から御嶽講に加わり登頂<ref name="日本の名山 246頁" /><ref name="目で見る日本登山史・日本登山史年表 (1995)、9頁" />。
 
* [[1894年]](明治27年)8月14日 - ウォルター・ウェストンが黒沢口から再登頂し王滝口に下山、その後『日本アルプスの登山と探検』などの著書で御嶽山を含む日本の山々を世界に紹介した<ref name="御岳の信仰と登山の歴史 (1988)、272頁" /><ref name="目で見る日本登山史・日本登山史年表 (1995)、9頁" /><ref>[[#日本アルプスの登山と探検|日本アルプスの登山と探検 (1997)、283-305頁]]</ref>。
 
* [[1933年]](昭和8年) - [[三笠宮]]が登山を行った<ref name="御岳の信仰と登山の歴史 (1988)、272頁" />。
 
* [[1937年]](昭和11年)[[7月17日]] - [[英文学者]]と[[登山家]]である[[田部重治]]が、王滝口から再登頂し小坂口へ下山した<ref>[[#田部重治|田部重治 (1996)、385-393頁]]</ref>。
 
* [[1948年]](昭和23年) - 麓の[[木曽町立開田中学校]]の生徒による学校登山が始まる<ref name="tisana tabi" />。
 
* [[2006年]](平成18年)[[6月25日]] - 王滝村を中心とした御嶽山でOSJおんたけスカイレース([[トレイルランニング]]競技)が開催され、以降毎年同レースが開催されている<ref>{{Cite web |url=http://www.powersports.co.jp/osjtrail/index.htm |title=OSJトレイルランニングレースシリーズ |publisher=POWER SPORTS |accessdate=2011-03-24}}</ref>。
 
 
 
=== 登山道 ===
 
各方面から[[登山道]]が開設されている<ref name="tizu-kokudo" /><ref name="日本登山図集 (1986)、54-57頁" /><ref name="山と高原地図(2011)" /><ref>[[#東海・北陸の200秀山|東海・北陸の200秀山 (2009)、56-57頁]]</ref>。小坂口、日和田口利用者の中には、剣ヶ峰まで登らずに、飛騨頂上・継子岳あるいは、摩利支天山までの登山を目的とする登山者も多い。一ノ池を取り囲むの西側の稜線に登山道があり、剣ヶ峰からニノ池小屋へのルートの一つとなっている。以前は、[[王滝川]]の支流の濁川に沿って濁川温泉(現存せず)を経て、剣ヶ峰と継母岳の鞍部に登る松原新道があったが、[[1984年]]の長野県西部地震により発生した伝上崩れにより崩壊し、廃道となった<ref name="日本登山図集 (1986)、54-57頁" />。
 
[[ファイル:Brocken spectres in Mount Ontake.jpg|thumb|right|200px|王滝頂上から望む継母岳と[[ブロッケン現象]]]]
 
 
 
==== 王滝口 ====
 
車道で上がれる登山口は御嶽山で最も高い標高地点(田の原、標高2,160 m)であり、山頂の剣ヶ峰への最短ルートである。途中での眺望が優れており、登山口から王滝頂上までのコースが常に上から下まで見渡せる。登山口の田の原から王滝頂上までの間には8合目と9合目に避難小屋がある。[[山開き]]に相当する開山祭は7月1日に行われる。積雪期には登山口の田の原への道路が閉鎖されるが、春先におんたけ2240のスキー場のゴンドラを利用して、雪山登山を行う例がある。1合目に国常立尊、大己貴命、少彦名命を祀った御嶽神社里宮があり登拝口となっている<ref name="木曽のおんたけさん―その歴史と信仰(2009)、108-110頁" />。3合目には清滝と新滝があり、清滝には清滝不動明王が祀られ、登拝者が水行を行う行場となっている<ref name="木曽のおんたけさん―その歴史と信仰(2009)、108-110頁" />。5合目には子授け神霊である十二権現、6合目には眼の神様の八海山大神がある<ref name="木曽のおんたけさん―その歴史と信仰(2009)、108-110頁" />。標高約2,190 mの田の原には田ノ原山荘と木曽御嶽自然休養林田ノ原自然公園があり、登山シーズン中には自動車で上がることができる<ref name="山と高原地図 (1993)、地図表面" />。
 
* 田の原 - 7合目大江権現 - 金剛童子(8合目下) - 9合目石室 - 王滝頂上 - 剣ヶ峰<ref>{{Cite web |url=http://www.vill.otaki.nagano.jp/ontake_tozan/tozan04.html |title=木曽御嶽山(王滝口)登山道の紹介 |publisher=王滝村 |accessdate=2011-03-24}}</ref>
 
 
 
==== 黒沢口 ====
 
[[ファイル:Mount Ontake from Nyonindo.jpg|thumb|right|200px|黒沢口8合目の女人堂から望む御嶽山、金剛堂には多数の霊神碑が設置されている。]]
 
覚明行者によって開かれた最も古い登山道。[[御嶽教]]、[[木曽御嶽本教]]に最も関わりの深い登山道でもある。夏には「懺悔反省、[[六根清浄]]」を唱える白衣の登拝者が見られる<ref name="日本の山1000 (1992)、350-351頁" /><ref>[[#木曽のおんたけさん―その歴史と信仰|木曽のおんたけさん―その歴史と信仰(2009)、7頁]]</ref>。有人山小屋が合目ごとにある。現在は7合目付近に[[索道|ロープウェー]]の飯森駅(標高2,150 m)ができ、王滝口登山口の田の原とほぼ同じ標高まで歩かずに登ることができるようになったため、大半の登山者がロープウェイを利用するようになったが、6合目から歩く登山者は現在でも少なくない。山開きに相当する開山祭は王滝口と同じ7月1日に行われる。1合目に大己貴命を祀った御嶽神社若宮と少彦名命を祀った御嶽神社里宮があり登拝口となっている<ref name="木曽のおんたけさん―その歴史と信仰(2009)、107-108頁" />。登拝道場には多数の霊神碑が並べられていて、4合目の屋敷場には御嶽山で最大規模の霊神場があり講社単位で建てられた多数の霊神碑がある<ref name="木曽のおんたけさん―その歴史と信仰(2009)、107-108頁" />。松尾滝から油木尾根を経て百間滝から8合目の女人堂に至るルートは百間滝道と呼ばれている<ref name="山と高原地図 (1993)、地図表面" />。百間滝には百間滝小屋があり行場となっている<ref name="木曽のおんたけさん―その歴史と信仰(2009)、107-108頁" />。
 
* 中の湯(6合目)またはロープウェイ飯森駅 - 行場山荘(7合目) - 女人堂(8合目) - 石室山荘(9合目) - 覚明堂 - 剣ヶ峰<ref>{{Cite web |url=http://www.kankou-kiso.com/miru/index_3.html |title=御嶽山に登ろう・登山コース |publisher=木曽町観光協会 |accessdate=2011-03-24 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20160420163313/http://www.kankou-kiso.com/miru/index_3.html |archivedate=2016-04-20 }}</ref>
 
 
 
==== 開田口 ====
 
木曽側の3つの登山口のうち、唯一、信仰のためでなく作られた登山道。営林署(現・森林管理署)の作業道として開かれた。距離は長いが、大自然を満喫することが出来る。水場は4合目付近に湧き水があり、それ以外は三の池まで無し。登山口の標高が低く(1,500 m)標高差が大きいため、健脚向き。
 
* 開田口4合目 - 7合目避難小屋跡 - 三ノ池避難小屋 - 賽の河原 - 二ノ池 - 剣ヶ峰
 
[[ファイル:Hida peak of Mount Ontake.jpg|thumb|right|200px|飛騨頂上、この直下南に五の池小屋がある。]]
 
 
 
==== 小坂口 ====
 
剣ヶ峰へのアプローチが長いためか、現在は信仰登山者はほとんど見かけず、一般登山客が多い。このルートの[[開山祭|山開き]]は、毎年[[6月15日]]に御嶽神社飛騨口里宮で開催されている<ref>{{Cite web |url=http://www.city.gero.lg.jp/kankou/view.rbz?of=2&ik=0&pnp=14&cd=444 |title=御嶽山に夏を告げる!!御嶽山山開き |publisher=下呂市 |date=2009-06-12 |accessdate=2013-02-12 |deadlinkdate=2016-11 }}</ref>。下山時に[[温泉]]を楽しめるのが魅力のコース。なお、登山口を胡桃島とし、のぞき岩避難小屋下で濁河温泉からの道と合流するコースもあるが、このコースを特に胡桃島コースと称することもある。飛騨頂上の五の池小屋は、2010年に新館が増築され収容人数が100人に倍増した<ref>{{Cite web |url=http://gonoike.jp |title=御嶽山 飛騨頂上 五の池小屋 |publisher=五の池小屋 |accessdate=2016-11-17 }}</ref>。
 
* [[濁河温泉]] - 湯の花峠 - のぞき岩避難小屋 - 飛騨頂上([[五の池小屋]]) - 賽の河原 - 二ノ池 - 剣ヶ峰
 
 
 
==== 日和田口 ====
 
継子岳頂上を目指して登るコースで宗教登山に由来しないコースのひとつ。[[1998年]]の[[チャオ御岳スノーリゾート|チャオ御岳スキー場]]の開発に伴い、通年運行される[[索道|ゴンドラリフト]]の「フライングチャオ」を利用することが多くなり、旧来の登山口からの登山は減った。ゴンドラリフトを使用した場合は王滝口とほほ同じ標高(2,190 m)まで登ることができるが、継子岳から最高峰剣ヶ峰までの距離が長い。また、ルートは他のコースに比べてあまり手入れがされていない。2010年現在、フライングチャオはスキーシーズン(12月初旬 - 5月初旬)のみの運行となっており、春 - 秋の登山には利用できなくなっている。
 
* 日和田口またはゴンドラリフト山頂駅 - 継子岳 - 飛騨頂上(五の池小屋) - 賽の河原 - 二ノ池 - 剣ヶ峰
 
 
 
=== 山小屋 ===
 
{{Commonscat|Mountain huts on Mount Ontake|御嶽山の山小屋}}
 
[[ファイル:Ninoike huts Mount Ontake.jpg|thumb|right|200px|二ノ池畔にあるニノ池小屋、涸れることない池から水がポンプアップされ周辺の山小屋に送水されている。]]
 
御嶽山は宗教登山が盛んであるため、[[山小屋]]も宗教施設としての側面がある山小屋が多い。五の池小屋は近代的なアルペンスタイルの山小屋である<ref name="岐阜県の山 (2009)、79-81頁" />。各登拝道や山頂などに多数の山小屋と避難小屋がある<ref name="日本百名山地図帳(2005)、158-161頁" /><ref>{{Cite book|和書 |date=2010-12-15 |title=山と溪谷2011年1月号付録(山の便利手帳2011) |publisher=山と溪谷社 |pages=166-178 |asin=B004DPEH6G}}</ref>。登山道上に[[キャンプ]]指定地はないが、胡桃島口の登山口に「胡桃島キャンプ場」がある<ref name="日本百名山地図帳(2005)、158-161頁" />。それらの山小屋は大広間や客室内に御嶽神社の掛け軸などが祀られている。また、王滝口・黒沢口の開山祭の7月1日以降の営業開始となる小屋が多く、営業終了は山小屋によって差があるものの、8月末から9月末までの間が多い。御嶽神社・御嶽教・木曽御嶽本教は山開きを7月10日から9月10日までとしているため、その間は特に白装束の宗教登山者の宿泊利用や立ち寄り利用が多い。なお、五の池小屋は例外的に例年6月1日から10月15日までの営業と、長期間の営業を行っている。8合目と7合目の山小屋は紅葉シーズンも営業する。宗教施設としての側面が多い山小屋群の中で、五の池小屋は御嶽山では唯一アルプススタイルの山小屋である。
 
 
 
山頂地域に多くの有人山小屋があるが、黒沢口には途中にも合目ごとに有人山小屋が営業している。二ノ池の水を飲料水などの水源としている山小屋が多く、二ノ池から遠い「五の池小屋」や7合目以下の山小屋以外の山小屋は「二の池水組合」を設立し、共同で水道施設の設置・維持・撤去を行っている。また、日頃の水源ポンプ施設の操作は「二ノ池本館」のスタッフが行っている。豊富な水を使って「二ノ池本館」「二ノ池新館」「石室山荘」「覚明堂」では、宿泊者向けの風呂を毎日用意するほか、宿泊者が少ない時のみ宿泊者にスタッフ用の風呂を提供する山小屋もある。環境問題として[[トイレ]]の[[し尿処理施設]]の改善が必要な山小屋が多い<ref>{{Cite web |url=http://www.pref.nagano.lg.jp/kikaku/kensei/soshiki/yosan/kuniyobo/documents/07_26.pdf |title=山小屋トイレ等の改善推進について |publisher=長野県環境部 |format=PDF |date=2010-10 |accessdate=2016-11-17 }}</ref>。
 
 
 
==== 有人山小屋 ====
 
[[ファイル:Kengamine (Mount Ontake).JPG|thumb|right|200px|八丁ダルミ付近の登山道から望む御嶽山の最高点の剣ヶ峰、山頂部に御嶽神社、御嶽剣ヶ峰山荘、御嶽頂上山荘(2014年9月6日)]]
 
* 王滝口…田の原登山口2軒(田の原山荘および御嶽観光センター・ただし山小屋とされないことが多い)・王滝頂上(王滝頂上山荘)・剣ヶ峰山頂(御嶽剣ケ峰山荘・旧称「剣ヶ峰旭館」)
 
* 黒沢口…6合目(中の湯・近年はロープウェイ完成による利用者の減少により、平日は営業しない日もある)・7合目(行場山荘・旧称「一ノ又行者小屋」または「覚明行場小屋」)・8合目(女人堂・別称「金剛堂」)・9合目(石室山荘)・9合目半(覚明堂・「覚明堂休泊所」とも)・剣ヶ峰山頂(御嶽頂上山荘・王滝口の御嶽剣ケ峰山荘の隣)
 
* 小坂口…飛騨頂上(五の池小屋)
 
{{Main|五の池小屋}}
 
* 二ノ池周辺…池畔(二ノ池本館)・飛騨側(二ノ池新館)(なお、二ノ池本館と二ノ池新館は全くの別経営である)
 
{| class="wikitable"
 
|-
 
!画像
 
!名称
 
!所在地
 
![[標高]]<br />([[メートル|m]])
 
!御嶽山からの<br />方角と[[距離]] ([[キロメートル|km]])<br /><ref group="注釈">御嶽山からの山小屋までの距離は、登山経路上の距離ではなく、2地点の直線距離。</ref>
 
!収容<br />人数
 
!備考
 
|-
 
|[[ファイル:Gonoike huts in Mount Ontake.jpg|70px]]
 
|[[五の池小屋]]
 
|小坂口飛騨頂上<br />五ノ池の北畔
 
|style="text-align:right;"|2,780
 
|{{direction2|N}} 1.8
 
|style="text-align:right;"|100
 
|2010年増築
 
|-
 
|[[ファイル:Nyonindo in Mount Ontake (2014-09-06).JPG|70px]]
 
|女人堂
 
|黒沢口8合目
 
|style="text-align:right;"|2,470
 
|{{direction2|E}} 1.6
 
|style="text-align:right;"|120
 
|別名が金剛堂
 
|-
 
|[[ファイル:Ishimuro hut in Mount Ontake.jpg|70px]]
 
|石室山荘
 
|黒沢口9合目
 
|style="text-align:right;"|2,800
 
|{{direction2|ENE}} 0.7
 
|style="text-align:right;"|80
 
|
 
|-
 
|[[ファイル:Ninoike shinkan.JPG|70px]]
 
|二ノ池新館
 
|二ノ池の北西傍
 
|style="text-align:right;"|2,900
 
|{{direction2|N}} 0.7
 
|style="text-align:right;"|250
 
|入浴施設あり
 
|-
 
|[[ファイル:Ninoike honkan in Mount Ontake.jpg|70px]]
 
|二ノ池本館
 
|二ノ池の東畔
 
|style="text-align:right;"|2,900
 
|{{direction2|NNE}} 0.6
 
|style="text-align:right;"|100
 
|入浴施設あり
 
|-
 
|[[ファイル:Kakumeido in Mount Ontake (2014-09-06).JPG|70px]]
 
|覚明堂
 
|黒沢口9合半
 
|style="text-align:right;"|3,000
 
|{{direction2|ENE}} 0.6
 
|style="text-align:right;"|100
 
|傍らに覚明行者の霊場
 
|-
 
|[[ファイル:Mount Ontake top huts.jpg|70px]]
 
|御嶽頂上山荘
 
|山頂直下南東
 
|style="text-align:right;"|3,040
 
|{{direction2|SE}} 0.03
 
|style="text-align:right;"|70
 
|
 
|-
 
|[[ファイル:Mount Ontake Kengamine huts.jpg|70px]]
 
|御嶽剣ヶ峰山荘
 
|山頂直下南東
 
|style="text-align:right;"|3,040
 
|{{direction2|SE}} 0.03
 
|style="text-align:right;"|150
 
|
 
|-
 
|[[ファイル:Mount Otaki huts.jpg|70px]]
 
|王滝頂上山荘
 
|王滝口頂上
 
|style="text-align:right;"|2,930
 
|{{direction2|SSE}} 0.5
 
|style="text-align:right;"|100
 
|王滝御嶽神社奥社と隣接
 
|-
 
|[[ファイル:Tanohara sanso.JPG|70px]]
 
|田ノ原山荘
 
|王滝口7合目
 
|style="text-align:right;"|2,200
 
|{{direction2|SE}} 3.0
 
|style="text-align:right;"|136
 
|御嶽観光センターに隣接
 
|}
 
 
 
==== 避難小屋 ====
 
[[阿蘇山]]に設置されているような火山活動による噴石から身を守るシェルターは設置されていない。
 
* 王滝口…8合目避難小屋、9合目避難小屋
 
* 開田口…7合目避難小屋(荒廃し倒壊)、三ノ池避難小屋、白竜避難小屋
 
 
 
==== 焼印 ====
 
多くの有人山小屋や山頂神社社務所では、宗教登山に使われる金剛杖に[[焼印]]を押印するサービスを有料で行っている。1891年(明治24年)に登山道の神社などで、「登山杖に記念の印を捺します」の看板が設置されこの焼印が行われていた<ref>[[#日本アルプスの登山と探検|日本アルプスの登山と探検 (1997)、284頁、287頁]]</ref>。[[富士山]]で特にポピュラーなサービスであるが、御嶽山でも実施する山小屋を少し減らしながらも現存しており、貴重な存在である。ただ、富士山ほど押印希望者は多くなく、希望者が現われてから焼印を加熱するところが多いため、焼印に時間がかかることが多い。また、押印の料金も富士山よりも割高になっている。
 
 
 
=== 登山者数の推計 ===
 
昭和中期までの木曽側からの御嶽山の登山者数は下表のように推計されている<ref>[[#御岳の信仰と登山の歴史|御岳の信仰と登山の歴史 (1988)、256-257頁]]</ref>。2010年頃の黒沢口から入山者は年間3万人を越える程度であった<ref>{{Cite web |url=http://www.town-kiso.com/dbps_data/_material_/localhost/4_top/H22-11-56.pdf |title=広報きそまち(2010年11月号) |publisher=木曽町 |format=PDF |pages=2 |date=2010-11 |accessdate=2013-02-28 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20140912112846/http://www.town-kiso.com/dbps_data/_material_/localhost/4_top/H22-11-56.pdf |archivedate=2014-09-12 }}</ref>。
 
 
 
{| class="wikitable"
 
!年度!!登山者数!!備考
 
|-
 
|[[1887年]](明治20年)||style="text-align:right"|8,000||故老の談話による
 
|-
 
|[[1914年]](大正3年)||style="text-align:right"|30,000||『木曽案内』による
 
|-
 
|[[1917年]](大正6年)||style="text-align:right"|50,000||丸山梓水『木曽』による
 
|-
 
|[[1929年]](昭和4年)||style="text-align:right"|37,900||rowspan="5"|木曽福島駅調査による
 
|-
 
|[[1936年]](昭和11年)||style="text-align:right"|41,999
 
|-
 
|[[1939年]](昭和14年)||style="text-align:right"|63,020
 
|-
 
|[[1951年]](昭和26年)||style="text-align:right"|26,900
 
|-
 
|[[1955年]](昭和30年)||style="text-align:right"|31,458
 
|}
 
 
 
== 地理 ==
 
[[木曽川]][[水系]]の源流の山であり、西側から[[飛騨川]]、東と南側から王滝川などの本流へと流れ[[太平洋]]側の[[伊勢湾]]へ流れる。剣ヶ峰の山頂には[[一等三角点]](点名が「御岳山」、標高3,063.<small>41</small> m)が設置されていて<ref name="kijyun" />、[[一等三角点百名山]]のひとつに選定されている<ref>[[#一等三角点百名山|一等三角点百名山 (1988)]]</ref>。最高点は御嶽神社の西側のある岩の標高点<ref name="kokudo" />。[[日本の山一覧 (高さ順)|日本で14番目に高い山]]<ref>{{Cite web |url=http://www.gsi.go.jp/KOKUJYOHO/MOUNTAIN/mountain.html |title=日本の主な山岳標高(標高別表示)|publisher=国土地理院 |accessdate=2013-02-02}}</ref>。南東中腹の王滝村の区域は「御岳高原」と呼ばれている。
 
 
 
=== 周辺の山 ===
 
[[ファイル:20101130木曽山脈.jpg|thumb|right|300px|手前・[[木曽山脈]]と左奥に御嶽山と右奥・[[飛騨山脈]]。間に稜線はない。]]
 
[[ファイル:Mt.Ontake and Mt.Norikuradake from Mt.Yatsugatake 01.jpg|thumb|right|300px|[[八ヶ岳]]から望む御嶽山(左)と[[乗鞍岳]](右)]]
 
独立峰であるため、周囲の多くの山からその山容を望むことができる。山頂部は広く、複数のピークから成る<ref name="山と高原地図(2011)">[[#山と高原地図|山と高原地図(2011)の付属図]]</ref>。[[濃尾平野]]からも北東にその大きな山容が望める。岐阜県側には前衛の山として、ぎふ百山の一つである御前山(1,646 m)と続ぎふ百山の一つである下呂御前山(1,412 m)がある。
 
 
 
{| class="wikitable"
 
!山容
 
!山名
 
!標高<br />(m)<ref name="kokudo" /><ref name="kijyun" /><ref group="注釈" name="2014-03" />
 
!三角点等級<br />基準点名<ref name="kijyun" />
 
!御嶽山からの<br />方角と距離(km)
 
!備考
 
|-
 
|[[ファイル:Mount Haku from Mount Ontake.JPG|80px|御嶽山の王滝頂上方面から望む白山(2013年7月9日)]]
 
|[[白山]]
 
|2,702.<small>14</small>
 
|一等<br />「白山」
 
|{{Direction2|WNW}} 70.2
 
|<small>日本百名山</small>
 
|-
 
|[[ファイル:Mount Norikura and Mount Yari from Mount Ontake.JPG|80px|御嶽山から望む乗鞍岳と槍ヶ岳(2014年9月6日)]]
 
|[[乗鞍岳]]
 
|3,025.<small>73</small>
 
|一等<br />「乗鞍岳」
 
|{{Direction2|NNE}} 24.6
 
|<small>日本百名山</small>
 
|-
 
|[[ファイル:Mount Kama from Nomugitoge ski resort 2009-04-19.jpg|80px|野麦峠スキー場から望む鎌ヶ峰(2009年4月19日)]]
 
|[[鎌ヶ峰]]
 
|2,121.<small>25</small>
 
|二等<br />「鎌ケ岳」
 
|{{Direction2|NE}} 18.3
 
|&nbsp;
 
|- style="background-color:#ccc;"
 
|[[ファイル:Ontakesan from Hachimoriyama 2008-4-25.JPG|80px|鉢盛山から望む御嶽山、右手前は継子岳(日和田富士)(2008年4月25日)]]
 
|'''御嶽山'''
 
|3,067
 
|(一等)<br />「御岳山」<br />(3,063.<small>61</small>m)
 
|{{Direction2|O}} 0
 
|<small>[[日本百名山]]</small>
 
|-
 
|[[ファイル:Atera Mountains around Mount Kohide.JPG|80px|御嶽山から望む小秀山周辺の阿寺山地の山並み(2014年9月6日)]]
 
|[[小秀山]]
 
|1,981.<small>86</small>
 
|二等<br />「小秀山」
 
|{{Direction2|SSW}} 14.1
 
|<small>[[日本二百名山]]</small>
 
|-
 
|[[ファイル:Mount Kisokoma from Mount Ontake.JPG|80px|御嶽山の王滝口登山道から望む中央アルプスの木曽駒ヶ岳と宝剣岳(2014年5月2日)]]
 
|[[木曽駒ヶ岳]]
 
|2,956.<small>14</small>
 
|一等<br />「信駒ケ岳」
 
|{{Direction2|ESE}} 31.4
 
|<small>日本百名山</small>
 
|-
 
|[[ファイル:Mount Ena from Mount Ontake.jpg|80px|御嶽山から望む雲海に浮かぶ恵那山(2012年10月17日)]]
 
|[[恵那山]]
 
|2,191
 
|(一等)<br />「恵那山」<br />(2,190.<small>28</small>m)
 
|{{Direction2|SSE}} 51.0
 
|<small>日本百名山</small>
 
|}
 
 
 
=== 源流の河川 ===
 
[[ファイル:Miure Dam lake survey.jpg|thumb|right|200px|南山腹の[[木曽川]]水系王滝川上流部にある[[三浦ダム]]]]
 
源流となる以下の[[河川]]は木曽川水系で伊勢湾へ流れる<ref name="tizu-kokudo" />。山頂の南東13.4 kmにある王滝川の[[牧尾ダム]]の'''御岳湖'''に貯水された水は[[愛知県]]などの[[上水道|飲料水]]、[[工業用水]]及び[[農業用水]]に利用されていて、その上流部には[[関西電力]]の水力発電用の[[三浦ダム]](山頂の南西11.0 km)がある。王滝川の[[支流]]の濁川上流部の赤川では浸食と崩落が激しく「地獄谷」と呼ばれている<ref name="山と高原地図(2011)" /><ref>{{Cite web |url=http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.html?longitude=137.4740333&latitude=35.88713611 |title=地図閲覧サービス・地獄谷(長野県木曽郡王滝村) |publisher=国土地理院 |accessdate=2011-10-05}}</ref>。南面の王滝川の支流の濁川は、1979年10月28日噴煙後地獄谷上部の火口から白いガスと火山灰で黒色となった温泉水が大量に流れ出て白く濁った<ref name="地質ニュースv306" />。
 
* 西野川、白川、王滝川(木曽川の支流)
 
* 飛騨川
 
* 秋神川、小坂川(飛騨川の支流)
 
 
 
=== 主な峠 ===
 
* [[野麦峠]] - 乗鞍岳との間に映画『[[あゝ野麦峠]]』などで有名となった[[峠]]がある。標高1,672 mで[[長野県道・岐阜県道39号奈川野麦高根線]]が通る。
 
* 長峰峠 - [[国道361号]]にある岐阜県と長野県との県境で、暮岩川(飛騨川の支流)と西野川(木曽川の支流)との[[分水界|分水嶺]]となっている。
 
* 九蔵峠 - 国道361号の[[開田村|開田高原]]にある峠で、九蔵峠展望台からは西南西に御嶽山を望むことができる。
 
* 濁河峠 - 秋神川と濁河川(小坂川の支流)との分水嶺となっている。
 
* 白巣峠 - 白川(王滝川の支流)と[[付知川]]との分水嶺となっていて、林道が通る。
 
* 鞍掛峠 - 水無川(王滝川の支流)と竹原川(飛騨川の支流)との分水嶺となっていて、林道が通る。
 
 
 
=== 交通・アクセス ===
 
南山麓の王滝川沿いには[[1923年]](大正12年)に竣工された[[木曽森林鉄道]]の王滝森林鉄道が敷設され、[[1975年]](昭和50年)5月30日まで[[国有林]]の材木の運搬に利用されていた<ref>{{Cite web |url=http://www.vill.otaki.nagano.jp/sinnrinntetudou/rintetu.html |title=第3回王滝森林鉄道フェスティバル開催 |publisher=王滝村 |accessdate=2013-01-31 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20160822114949/http://www.vill.otaki.nagano.jp/sinnrinntetudou/rintetu.html |archivedate=2016-08-22 }}</ref>。1925年(大正14年)に御嶽自動車商会(現在のおんたけ交通)が開業、おんたけ交通は山麓や御嶽山の登山口まで[[路線バス]]を運行している。1963年(昭和38年)に西山腹の名古屋営林局小坂営林署が運営する[[小坂森林鉄道]]濁河温泉線が開通し伐採した木材の運搬に利用されていたが、林道が敷設されトラックによる輸送への切り替えに伴い1971年(昭和46年)に廃止された。1966年(昭和41年)に山麓の王滝村の[[長野県道256号御岳王滝黒沢線]]から田の原までの「有料道路林道黒石線」が全線開通し、1997年(平成9年)4月1日に村道41号線(御岳スカイライン)として無料開放され、おんたけ2240のスキー場利用者、登山者、観光客などに利用されている<ref name="日本登山図集 (1986)、54-57頁" />。[[長野県道473号上松御岳線]]が南東の山麓から通じ無料化された白崩林道を経て中腹の中の湯まで通じている<ref name="日本登山図集 (1986)、54-57頁" />。東山麓を[[長野県道20号開田三岳福島線]]が通り、木曽町三岳の木曽温泉付近から御岳ロープウェイスキー場まで東山腹に「御岳ブルーライン」が通る。その鹿の瀬温泉から上部は冬期閉鎖されている<ref>{{Cite web |url=http://www.town-kiso.com/kurashi/douro/100070/100086/ |title=町道 冬期通行止め情報 |publisher=木曽町 |accessdate=2016-11-17 }}</ref>。南東山麓の県道20号開田三岳福島線沿いに[[道の駅三岳]]がある。北東山麓に[[国道361号]]が通り、北山腹に[[岐阜県道463号朝日高根線]]、北西山腹に[[岐阜県道435号御岳山朝日線]]が通る。西山麓の下呂市小坂町から濁河温泉まで[[岐阜県道441号濁河温泉線]]が通り、「御嶽パノラマライン」と呼ばれている。小三笠山(標高2,029 m)の南面には御岳林道と王滝林道が通る。
 
 
 
==== 主な交通機関 ====
 
* [[松本空港]]の南西50 kmに位置する。
 
* [[東海旅客鉄道|JR東海]][[中央本線]][[木曽福島駅]]の西北西20.0 kmに位置し<ref name="日本山名辞典 (1992)、116頁" />、JR東海[[高山本線]][[飛騨小坂駅]]の東南東21.2 kmに位置する。
 
* [[中部縦貫自動車道]](高山清見道路)[[高山インターチェンジ (岐阜県)|高山インターチェンジ]]の南東37.8 kmに位置し、[[中央自動車道]][[伊那インターチェンジ]]の西42.0 km、[[中津川インターチェンジ]]の北46.3 km、[[塩尻インターチェンジ]]の西南西51.4 kmに位置する。
 
 
 
==== 路線バス ====
 
岐阜県側のJR東海高山本線小坂駅及び[[高山駅]]から御嶽山の登山口である濁河温泉への[[濃飛乗合自動車|濃飛バス]]路線は2007年(平成19年)11月30日に廃止された。
 
* 王滝・田の原線(黒沢・王滝線) - 長野県木曽合同庁舎前 - 木曽福島駅前 - 王滝 - 田の原(御嶽山登山口)、2006年7月よりおんたけ交通から[[王滝村営バス]]に移管された。
 
* 御岳ロープウェイ線 - 木曽福島駅前から御岳ロープウェイまでの区間、2006年(平成18年)6月1日よりおんたけ交通から[[木曽町生活交通システム]]に移管された。
 
* チャオスノーリゾート線(おんたけ交通) - 木曽福島駅前 - チャオ御岳スノーリゾート - 濁河温泉
 
 
 
== 観光 ==
 
[[ファイル:Lake Shizenko.jpg|thumb|200px|1984年(昭和59年)9月14日に発生した長野県西部地震で王滝川が堰き止められて誕生した自然湖]]
 
[[ファイル:Nigorigo onsen.jpg|thumb|right|200px|[[濁河温泉]](岐阜県下呂市、御嶽山の濁河口の登山口)]]
 
 
 
=== 主な観光スポット ===
 
* 御嶽山資料館 - 王滝口の二合目の木曽郡王滝村大又にある。
 
* 田の原天然公園 - 御嶽山の登山道の王滝口標高約2,200m付近に広がる天然公園で、湿原、背の低い[[針葉樹林]]帯に[[遊歩道]]や展望台が整備されている<ref name="tanohara">{{Cite web |url=http://www.rinya.maff.go.jp/chubu/policy/business/invitation/rekumori/kisoontake/index.html |title=木曽御岳 |publisher=[[中部森林管理局]] |accessdate=2011-03-24}}</ref>。
 
* 御岳ロープウェイ - 御岳ロープウェイスキー場は2013年にスキー場の営業を休止していて、冬期の運行が行われていない<ref>{{Cite web |url=http://www.ontakerope.co.jp/ |title=御岳ロープウェイ |publisher=御岳ロープウェイ |accessdate=2013-02-14}}</ref>。
 
* 開田高原 - [[蕎麦]]の産地や[[木曽馬]]の里としても知られ、[[乗馬]]体験ができる施設がある。
 
* 自然湖 - [[長野県西部地震]]によりせき止められた[[木曽川]]の[[支流]]である王滝川上流の湖で、立ち枯れの木が湖の中に並んでいて夏季シーズンの[[カヌー]]が人気となっている<ref name="御岳山霊なる山の素顔 49頁">[[#御岳山霊なる山の素顔|御岳山霊なる山の素顔(2010)、49頁]]</ref>。
 
* [[牧尾ダム|御岳湖]] - 王滝川の牧尾ダムによりできた[[湖]]。
 
* おんたけ休暇村 - 御岳高原にある[[名古屋市]]の保険休養地、周辺には木曽御岳カントリークラブの[[ゴルフ場]]がある。
 
* [[濁河温泉]] - 御嶽山の濁河口の登山口にある[[温泉]]
 
* [[東京大学]][[天文台]]木曽観測所 - 東京大学大学院理学系研究科附属天文学教育研究センターの木曽観測所が木曽郡木曽町三岳10762-30にあり、[[1977年]](昭和55年)2月に[[香西洋樹]]と[[古川麒一郎]]が発見した[[小惑星]]がその場所にちなんで『[[御嶽 (小惑星)|御嶽]]』と命名された。
 
* [[飛騨御嶽高原高地トレーニングエリア]] - 北西山腹にある高地トレーニング施設。2007年(平成19年)に濁河温泉付近に下呂市が「御嶽パノラマグランド」を開設した。濁河温泉とチャオ御岳リゾートを結ぶ「飛騨御嶽[[高橋尚子|尚子]]ボルダーロード」が整備されている<ref>{{Cite web |url=http://www.hida-athlete.jp/training_c/nigorigo.html |title=トレーニングゾーン(濁河温泉) |publisher=飛騨御嶽高原高地トレーニングエリア |accessdate=2013-02-12}}</ref>。
 
* 小坂の滝めぐりコース - 西山腹の下呂市小坂町の飛騨川の支流の小坂川には落差5 m以上の滝が200以上あり<ref name="tizu-kokudo" /><ref name="ontake_kazan04" />、多数の滝めぐりコースが紹介されている<ref name="osaka-taki" />。滝によってはガイドが必要な箇所もある<ref name="osaka-taki" />。
 
:* 三ツ滝コース(椹谷) - 三ツ滝(上段の落差5 m、中段11 m、下段6 m)、あかがねとよ(落差14 m)、からたに滝(落差15 m)
 
:* 仙人滝コース(濁河川上流部) - 仙人滝(落差30 m)、無名の滝(落差15 m)、[[白糸の滝]](落差15 m)、緋の滝(落差20 m)[[ファイル:根尾滝.jpg|thumb|right|175px|[[根尾の滝]]<br />(落差 63m・幅 5m)]]
 
:* 根尾の滝コース(濁河川) - 根尾の滝(落差63 m、日本の滝百選)
 
{{Main|根尾の滝}}
 
:* 材木滝コース(兵衛谷) - 材木滝(落差23 m)、翡翠の滝(上段の落差10 m、下段8 m)
 
:* あまつばの滝コース(椹谷) - あまつばの滝(落差17 m)、二段の滝(上段の落差10 m、下段3 m)、孫八滝(落差15 m)、焼小屋の滝(落差17 m)
 
:* 観音滝コース(大洞川) - 観音滝(落差9 m)、立岩の滝(落差45 m)、塩滝(落差15 m)
 
:* 濁滝コース(濁河川) - 二段の滝(上段の落差10 m、下段10 m)、くの滝(落差15 m)、濁滝(落差27 m)
 
:* 岩折の滝コース(兵衛谷) - 岩折の滝(落差21 m)、屏風の滝(落差28 m)、吹上の滝(落差25 m)
 
:* 千畳の滝コース(真谷) - 千畳の滝(落差50 m)
 
:* しょうけ滝コース(兵衛谷) - しょうけ滝(落差23 m)、扇滝(落差6 m)
 
:* 龍門の滝コース(兵衛谷) - 龍門の滝(落差15 m)、袴滝(落差20 m)
 
:* 回廊の滝コース(椹谷) - 回廊の滝(落差40 m)、開門の滝(落差40 m)
 
:* 百間滝コース(兵衛谷) - パノラマの滝(上段の落差50 m、下段10 m)、百間の滝(落差60 m)
 
 
 
=== スキー場 ===
 
[[ファイル:KaidaKogenMIA 0001.jpg|thumb|right|200px|[[開田高原マイアスキー場]]から望む「日和田富士」と呼ばれる継子岳]]
 
北側と東側の山腹には以下の[[スキー場]]があり、[[標高]]の高い位置(上部は標高2,000 m以上)にあり雪質が良く、[[ゴールデンウィーク]]頃の遅い時期まで滑走が可能である。王滝村は、村営であった旧おんたけスキー場の[[負債]]により厳しい財政状況となっている<ref>{{Cite web |url=http://www.vill.otaki.nagano.jp/mura_keikaku/zaiseikennzenka_plan.html |title=王滝村財政健全化計画 |publisher=王滝村 |accessdate=2013-02-12}}</ref>。
 
* [[おんたけ2240]](旧おんたけスキー場)
 
* [[御岳ロープウェイスキー場]] - 平成22年度より冬季営業休止
 
* [[開田高原マイアスキー場]]
 
* [[チャオ御岳スノーリゾート|チャオ御岳スキー場]]
 
 
 
=== 眺望スポット ===
 
3,000mを越える高山であるが、奥深い山中にあるため、山体全体を眺められる場所は意外と少ない。高山市中切町の「中切町付近の山より望む御嶽山」、高山市久々野町無数河の「舟山山頂道路より望む御嶽山」、高山市朝日町西洞の「鈴蘭高原より望む御嶽山」、高山市朝日町胡桃島の「胡桃島キャンプ場近く展望台より望む御嶽山」と「秋神地域より望む継子岳」が、「新高山市100景」のひとつに選定されている<ref>{{Cite web |url=http://www.city.takayama.lg.jp/toshiseibi/100keiichiran.html |title=新高山市100景 |publisher=高山市 |accessdate=2013-02-28 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20140812140614/http://www.city.takayama.lg.jp/toshiseibi/100keiichiran.html |archivedate=2014-08-12 }}</ref>。
 
* 長野県側に、[[九蔵峠]]と[[地蔵峠 (木曽町)|地蔵峠]]などがある<ref name="山と高原地図 (1993)、地図表面" />。
 
* 岐阜県側に、[[御嶽パノラマライン]]、日和田高原、御嶽鈴蘭高原などがある。
 
 
 
== 御嶽山の風景 ==
 
独立峰である御嶽山の大きな山容を、[[濃尾平野]](尾張や美濃)や遠方の山からなどの各方面から望むことができる<ref name="よみがえる木曽人の物語 (1996)、119頁" />。東海地方の多くの[[小学校|小]][[中学校|中]][[高等学校]]の校歌で山名が歌い込まれている<ref group="注釈">一例として「みはるかす尾張の平野独り立つ御岳」([[愛知県立一宮北高等学校]])、「朝あけの山なみ越えて空かぎる御岳はるか」([[愛知県立小牧南高等学校]])、「御嶽の峰に雲たなびきて」([[北名古屋市立師勝中学校]])、「雪の御岳[[伊吹山|伊吹]]や[[多度山|多度]]の山なみ遠く望む時」([[稲沢市立大里東小学校]])</ref><ref>[[#木曽のおんたけさん―その歴史と信仰|木曽のおんたけさん―その歴史と信仰(2009)、126-127頁]]</ref>。木曽谷では開田高原以外に麓から御嶽山を望める箇所は少ない<ref name="よみがえる木曽人の物語 (1996)、119頁" />。5月中旬ごろ、東面の9合目付近に残雪の白い背景に黒色の種をまくお爺さんの姿の[[雪形]](ネガ型)が見られる<ref>{{Cite web |url=https://www.city.azumino.nagano.jp/soshiki/32/10310.html |title=雪形・長野県中部 |publisher=[[安曇野市]] |date=2015-12-28 |accessdate=2016-11-17 }}</ref>。[[深田久弥]]は1965年(昭和39年)に第16回[[読売文学賞]](評論・伝記賞)を受賞した『日本百名山』の著書で御嶽山の山容を{{Quotation|この傾斜がみごとである。厖大な頂上を支えるには十分な根張りをもって、御岳全体を均整のとれた美しい山にしている。|深田久弥『日本百名山』}}と表現している<ref name="深田久弥 (1982)、227-230頁" />。
 
 
 
=== 各方面からの山容 ===
 
{| class="wikitable"
 
|[[ファイル:14 Ontakesan from kazakoshiyama 2002-5-6.jpg|x110px]]
 
|[[ファイル:Ontakesan from kohideyama 2002 10 30.jpg|x110px]]
 
|[[ファイル:Ontakesan from Kuraiyama 2005-3-21.JPG|x110px]]
 
|[[ファイル:Kiso_Ontake.jpg|x110px]]
 
|-
 
|<small>東の[[風越山 (木曽)|風越山]]より</small>
 
|<small>南の[[小秀山]]より</small>
 
|<small>西の[[位山]]より</small>
 
|<small>北の[[国道361号]]より</small>
 
|}
 
 
 
=== 御嶽山からの展望 ===
 
山上部からは東に[[八ヶ岳]]、中央アルプス、南アルプス、富士山、南に小秀山などの[[阿寺山地]]、濃尾平野、西に白山などの[[両白山地]]、北にニノ池、乗鞍岳などの北アルプスが望める<ref>[[#木曽のおんたけさん―その歴史と信仰|木曽のおんたけさん―その歴史と信仰(2009)、95頁]]</ref>。
 
{| class="wikitable"
 
|[[ファイル:Lenticular clouds on Mount Fuji from Mount Ontake.jpg|x115px]]
 
|[[ファイル:Yatsugatake and sunrise.JPG|x115px]]
 
|[[ファイル:Mount Mamahaha and Mount Haku from Okunoin.jpg|x115px]]
 
|[[ファイル:Hida Mountains and Ninoike from Mount Ontake (wide).jpg|x115px]]
 
|-
 
|<small>[[木曽山脈|中央アルプス]]越しの[[富士山]]</small>
 
|<small>[[八ヶ岳]]とご来光</small>
 
|<small>継母岳と[[白山]]</small>
 
|<small>ニノ池と[[飛騨山脈]](北アルプス)</small>
 
|}
 
 
 
== メディア ==
 
=== 古文書 ===
 
* 『御嶽登山社礼伝祝詞巻』 - [[1576年]]([[天正]]4年)の古祭文
 
* 『御嶽縁起』 - 室町時代の中期[[1592年]](天正20年)に書写された御嶽の神を祀る祝詞、祭文、縁起などの巻物
 
* 『御嶽蔵王権現登山次第』 - [[1704年]]-[[1710年]]([[宝永]]年間)の筆写本で道者の王滝口での登拝の方法などが記載されている<ref name="御岳の信仰と登山の歴史 (1988)、96-104頁">[[#御岳の信仰と登山の歴史|御岳の信仰と登山の歴史 (1988)、96-104頁]]</ref>。
 
* 『登山古例之事』 - 道者の黒沢口での登拝の方法などが記載されている<ref name="御岳の信仰と登山の歴史 (1988)、96-104頁" />。
 
* 『御嶽由来伝記』
 
* 『御嶽登山案内』
 
* 『御嶽一山記録』
 
* 『木曽採薬記』 - 1804年-1818年(文化年間)に水谷豊文が刊行<ref name="御岳の信仰と登山の歴史 (1988)、205頁" />。
 
[[ファイル:Kisokaido35 Yabuhara.jpg|thumb|200px|『[[中山道六十九次|木曾街道六拾九次]] [[藪原宿|藪原]]』([[渓斎英泉]]画)に[[鳥居峠 (長野県)|鳥居峠]]から望む御嶽山が描かれている。]]
 
* 『[[中山道六十九次]]』の[[藪原宿]]と[[奈良井宿]] - 1835-1837年(天保6-8年)頃に、[[渓斎英泉]]により鳥居峠からの御嶽山の風景が描かれた。
 
* 『木曽産草花根皮類』 - [[1844年]]([[天保]]15年)に周辺の木曽谷の山域で採取された植物の「おしば帳」<ref name="御岳の信仰と登山の歴史 (1988)、201-202頁" />
 
* 『御嶽山総図』 - [[1848年]]([[嘉永]]元年)
 
* 『日本名山図会』 - 江戸後期、江戸[[南画]]の[[谷文晁]]が、旅人と鳥居峠からの御嶽山の風景を描写している<ref>{{Cite book|和書 |author=谷文晁 |date=1970-05 |title=日本名山図会 |publisher=[[国書刊行会]] |isbn=4336034133}}</ref>。
 
 
 
=== 新聞 ===
 
* 大型写真企画「御岳山」 - 信濃毎日新聞で2009年(平成21年)7月から2010年(平成22年)4月まで39回の連載<ref>[[#御岳山霊なる山の素顔|御岳山霊なる山の素顔(2010)、6頁]]</ref>
 
 
 
=== 写真集 ===
 
* {{Cite book|和書 |author=宮原卓司 |date=2001-12 |title=信州木曽御嶽 山麓逍遙 |publisher=遊人工房 |isbn=4946562346}}
 
 
 
=== 関連書籍 ===
 
* {{Cite book|和書 |author=[[青木保]] |date=1994-10 |title=御岳巡礼―現代の神と人 |publisher=[[講談社]] |isbn=4061591487}}
 
* {{Cite book|和書 |author=上野ミチオ |date=1994-11-15 |title=御嶽山 |publisher=近代文藝社 |isbn=4773322586}}
 
* {{Cite book|和書 |author=三浦清吉 |year=1999 |month=7 |title=木曽御岳山 |series=登山・ハイキング(5) |publisher=[[ゼンリン]] |isbn=4432901535}}
 
* {{Cite book|和書 |author=久山喜久雄 |date=2007-01 |title=御岳の風に吹かれて―開田高原への招待 |publisher=ナカニシヤ出版 |isbn=4888487111}}
 
* {{Cite book|和書 |author=中山郁 |date=2007-07-09 |title=修験と神道のあいだ―木曽御嶽信仰の近世・近代― |publisher=[[弘文堂]] |isbn=978-4335100826}}
 
* {{Cite book|和書 |author=木股文昭 |year=2010 |month=6 |title=御嶽山―静かなる活火山 |publisher=[[信濃毎日新聞社]] |pages= |isbn=9784784071395}}
 
* {{Cite book|和書 |author=飛騨山岳会 |year=2010 |month=11 |title=飛騨の山 研究と案内 |publisher=ナカニシヤ出版 |pages=160-161 |isbn=9784779505041}}
 
* {{Cite book|和書 |author=菅原壽清 |year=2012 |month=10 |title=木曽御嶽信仰とアジアの憑霊文化 |publisher=岩田書院 |isbn=978-4872947687}}
 
* [[#参考文献|参考文献も参照]]
 
 
 
=== テレビ番組 ===
 
* 『こころの時代 宗教・人生 山の信仰 霊山御嶽』 [[NHK教育テレビジョン]]、1985年9月8日放送<ref>{{Cite web |url=http://nhk.jp/chronicle/?0001000000000000%40000000000000000000000007072D00000000000000000100 |title=NHKアーカイブス保存番組詳細 こころの時代(1985年9月8日放送) |publisher=[[日本放送協会|NHK]] |accessdate=2016-11-17 }}</ref>
 
* 『日本百名山 御嶽』 [[NHK衛星第2テレビジョン]]、1994年11月3日放送<ref>{{Cite web |url=http://nhk.jp/chronicle/?0001000000000000%40000000000000000000000013-435100000000000000000200 |title=NHKアーカイブス保存番組詳細 日本百名山 御嶽(1994年11月3日放送) |publisher=NHK |accessdate=2016-11-17 }}</ref>
 
* 『いのち輝く山 〜四季・御嶽〜』 [[NHK総合テレビジョン]]、2005年1月1日放送<ref>[[菅原文太]]が出演。{{Cite web |url=http://nhk.jp/chronicle/?0001000000000000%4000000000000000000000003A41-2E00000000000000000100 |title=NHKアーカイブス保存番組詳細 いのち輝く山 〜四季・御嶽〜(2005年1月1日放送) |publisher=NHK |accessdate=2016-11-17 }}</ref>
 
* 『週刊 日本の名峰 御嶽山』 [[NHKデジタル衛星ハイビジョン]]、2007年6月11日放送<ref>{{Cite web |url=http://www.nhk.or.jp/meihou/osusume/ontakesan.html |title=お勧めの山・御嶽山 |publisher=NHK |accessdate=2011-03-24 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20120117031743/http://www.nhk.or.jp/meihou/osusume/ontakesan.html |archivedate=2012-01-17 }}</ref>
 
* 『絶景!夏の御嶽山 〜御嶽山〜 』 総合テレビ([[NHK名古屋放送局]])、[[ウイークエンド中部]]、2010年8月21日放送<ref>{{Cite web |url=http://www.nhk.or.jp/nagoya-we-blog/2010/08/ |title=生中継・絶景!夏の御嶽山 〜御嶽山〜 |publisher=NHK |accessdate=2011-03-24 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20120117031516/http://www.nhk.or.jp/nagoya-we-blog/2010/08/ |archivedate=2012-01-17 }}</ref>
 
* 『小さな旅 山の歌 祈りの峰 いまも〜御嶽山〜』 NHK総合テレビジョン、[[小さな旅]]、2010年8月28日放送<ref name="tisana tabi" />
 
* 『天空の宿へ 〜にっぽん山小屋物語〜』 [[テレビ東京]]、[[土曜スペシャル (テレビ東京)|土曜スペシャル]]、2011年9月3日放送<ref name="tv-tokyo" />
 
* 『にっぽん百名山 御嶽山』 [[NHK BSプレミアム]]、[[にっぽん百名山]]、2012年9月10日放送<ref>{{Cite web |url=http://nhk.jp/chronicle/?0001000000000000%40000000000000000000000068783500000000000000000200 |title=NHKアーカイブス保存番組詳細 にっぽん百名山 御嶽山(2012年9月10日放送) |publisher=[[日本放送協会|NHK]] |accessdate=2016-11-17 }}{{リンク切れ|date=2017年9月}}</ref>
 
  
 
== 脚注 ==
 
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
+
{{Reflist}}
=== 注釈 ===
 
{{Reflist|group=注釈}}
 
=== 出典 ===
 
{{Reflist|2}}
 
 
 
== 参考文献 ==
 
* {{Cite book|和書 |author=[[パーシヴァル・ローウェル]] |year=1895 |title=Occult Japan Or the Way of the Gods |url=http://library.uoregon.edu/ec/e-asia/read/ocjap.pdf |ref=パーシヴァル・ローウェル}}
 
* {{Cite book|和書 |author=[[深田久弥]] |year=1982 |month=7 |title=[[日本百名山]] |publisher=[[朝日新聞社]] |isbn=4-02-260871-4 |ref=深田久弥}}
 
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* {{Cite book|和書 |editor=[[宮家準]](編) |year=1985 |month=2 |title=御岳信仰 |series=民衆宗教史叢書 (第6巻) |publisher=[[雄山閣]] |isbn=4639004613 |ref=御岳信仰}}
 
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* {{Cite book|和書 |author=深田クラブ |year=1987 |title=[[日本二百名山|日本200名山]] |publisher=[[昭文社]] |pages= |isbn=4398220011 |ref=日本200名山}}
 
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* {{Cite book|和書 |author=生駒勘七 |year=1988 |month=4 |title=御岳の信仰と登山の歴史 |publisher=[[第一法規出版]] |isbn=4474000900 |ref=御岳の信仰と登山の歴史}}
 
* {{Cite book|和書 |author=豊国秀夫 |year=1988 |month=9 |title=日本の高山植物 |series=山溪カラー名鑑 |publisher=[[山と渓谷|山と溪谷社]] |isbn=4-635-09019-1 |ref=日本の高山植物}}
 
* {{Cite book|和書 |author=一等三角点研究会 |year=1988 |month=11 |title=[[一等三角点百名山]] |publisher=山と溪谷社 |pages= |isbn=9784635330008 |ref=一等三角点百名山}}
 
* {{Cite book|和書 |author= |year=1992 |month=8 |title=日本の山1000 |publisher=山と溪谷社 |isbn=4635090256 |ref=日本の山1000}}
 
* {{Cite book|和書 |editor=徳久球雄(編集) |date=1992-10 |title=コンサイス日本山名辞典 |publisher=[[三省堂]] |isbn=4-385-15403-1 |edition=修訂版 |ref=日本山名辞典}}
 
* {{Cite book|和書 |author=島田靖 |year=1993 |title=御嶽山 |series=[[山と高原地図]]1993年版 |publisher=[[昭文社]] |isbn=4398751076 |pages= |ref=山と高原地図1993年版}}
 
* {{Cite book|和書 |author=中村成勝 |year=1996 |title=日本雪山登山ルート集 |publisher=山と溪谷社 |isbn=4-635-18003-4 |ref=日本雪山登山ルート集}}
 
* {{Cite book|和書 |author=[[田部重治]] |year=1996 |month=2 |title=わが山旅五十年 |publisher=[[平凡社]] |isbn=4582761348 |ref=田部重治}}
 
* {{Cite book|和書 |author=吉野晴朗 |year=1996-08 |title=ふるさとの富士200名山 |publisher=[[東方出版]] |isbn=488591499X |ref=ふるさとの富士200名山}}
 
* {{Cite book|和書 |author=[[ウォルター・ウェストン]] |translator=青木枝朗 |year=1997 |month=6 |title=日本アルプスの登山と探検 |publisher=[[岩波文庫]] |isbn=4003347412 |ref=日本アルプスの登山と探検}}
 
* {{Cite book|和書 |date=1997-03 |title=[[日本三百名山]] |publisher=[[毎日新聞社]] |isbn=4620605247 |ref=日本三百名山}}
 
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* {{Cite book|和書 |author=[[串田孫一]]、[[今福龍太]]、[[今井通子]] |year=1998 |month=11 |title=日本の名山11 御岳山  |series=日本の名山 |publisher=博品社 |pages= |isbn=4938706571 |ref=日本の名山}}
 
* {{Cite book|和書 |editor=[[高橋正樹 (火山学者)|高橋正樹]]、[[小林哲夫 (地球科学者)|小林哲夫]](編) |year=2000 |month=04 |title=中部・近畿・中国の火山 |series=フィールドガイド日本の火山⑥ |publisher=[[築地書館]] |isbn=4806711993 |ref=中部・近畿・中国の火山}}
 
* {{Cite book|和書 |author=小谷宗司、岩本義行、木曽御岳観光連盟 |year=2000 |month=06 |title=花かおる御嶽山 |series=ビジター・ガイドブック |publisher=ほおずき書籍 |isbn=443400221X |ref=花かおる御嶽山}}
 
* {{Cite book|和書 |author=近藤紀巳 |year=2002 |month=4 |title=ぐるり御岳 とっておきの自然 |publisher=[[中日新聞社]] |pages= |isbn=4806204447}}
 
* {{Cite book|和書 |author=菅原寿清 |year=2002 |month=7 |title=木曽御嶽信仰―宗教人類学的研究 |publisher=岩田書院 |isbn=487294254X |ref=木曽御嶽信仰}}
 
* {{Cite book|和書 |author=三宅修 |year=2003 |month=7 |title=現代日本名山図会 |publisher=[[実業之日本社]] |isbn=4408007862  |ref=現代日本名山図会}}
 
* {{Cite book|和書 |author=島田靖 |year=2005 |month=7 |title=日本百名山地図帳 |publisher=山と溪谷社 |isbn=4-635-92203-0 |ref=日本百名山地図帳}}
 
* {{Cite book|和書 |author= |year=2005 |month=10 |title=目で見る日本登山史・日本登山史年表 |publisher=山と溪谷社 |isbn=4635178145 |ref=目で見る日本登山史・日本登山史年表}}
 
* {{Cite book|和書 |editor=[[日本山岳会]] |year=2005 |month=11 |title=新日本山岳誌 |publisher=[[ナカニシヤ出版]] |isbn=4-779-50000-1|ref=新日本山岳誌}}
 
* {{Cite book|和書 |author=[[岩崎元郎]] |year=2006 |month=3 |title=[[新日本百名山]]登山ガイド〈下〉 |publisher=山と溪谷社 |isbn=4635530477 |ref=新日本百名山}}
 
* {{Cite book|和書 |author=伊部高夫 |year=2006 |month=09 |title=長野県中信・南信日帰りの山―120山/188コース |publisher=章文館 |isbn=4901742051 |ref=長野県中信・南信日帰りの山}}
 
* {{Cite book|和書 |author=田中欣一 |date=2006-12-26 |title=木曽路大紀行―よみがえる木曽人の物語 |series=「信州の大紀行」シリーズ (2) |publisher=一草舎出版 |isbn=978-4902842272 |ref=よみがえる木曽人の物語}}
 
* {{Cite book|和書 |editor=全国地質調査業協会連合会、地質情報整備活用機構 |date=2007-10 |title=日本列島ジオサイト地質百選 |publisher=[[オーム社]] |isbn=978-4274204609 |ref=日本列島ジオサイト地質百選}}
 
* {{Cite book|和書 |author=津野祐次、島田靖、栂典雅 |year=2009 |month=6 |title=アルペンガイド11 中央アルプス 御嶽山・白山  |series=ヤマケイ・アルペンガイド |publisher=山と溪谷社 |isbn=9784635013598 |ref=中央アルプス 御嶽山・白山}}
 
* {{Cite book|和書 |editor=菅原壽清、中山郁、時枝務 |year=2009 |month=8 |title=木曽のおんたけさん―その歴史と信仰 |publisher=岩田書院 |isbn=978-4872945690 |ref=木曽のおんたけさん―その歴史と信仰}}
 
* {{Cite book|和書 |author=日本山岳会東海支部 |year=2009 |month=10 |title=東海・北陸の200秀山 |series=上(東海・北陸編) |publisher=中日新聞社 |isbn=978-4806205982 |ref=東海・北陸の200秀山}}
 
* {{Cite book|和書 |author=島田靖、堀井啓介 |year=2009 |month=12 |title=改訂版 岐阜県の山 |series=新・分県登山ガイド・改訂版 |publisher=山と溪谷社 |isbn=9784635023702 |ref=岐阜県の山}}
 
* {{Cite book|和書 |author= |date=2012-05-12 |title=御岳山―霊なる山の素顔 新版 |publisher=[[洋泉社]] |isbn=9784784071470 |ref=御岳山霊なる山の素顔}}
 
* {{Cite book|和書 |author= |year=2010 |month=10 |title=いちどは行ってみたい日本の聖地 新版 |publisher=[[信濃毎日新聞社]] |isbn=978-4862485809 |ref=いちどは行ってみたい日本の聖地}}
 
* {{Cite book|和書 |author= |year=2011 |month=3 |title=御嶽山 小秀山・奥三界岳 |series=山と高原地図2011年版 |publisher=昭文社 |isbn=9784398757791 |ref=山と高原}}
 
* {{Cite book |和書 |year=2011 |month=11 |title=信州ふるさと120山 |editor=長野県山岳協会120山委員会 |publisher=信濃毎日新聞社 |isbn=9784784071821 |ref=信州ふるさと120山}}
 
  
 
== 関連項目 ==
 
== 関連項目 ==
{{Commons&cat|Mount Ontake|Mount Ontake}}
 
 
* [[御嶽山県立自然公園]]
 
* [[御嶽山県立自然公園]]
 
* [[御岳県立自然公園]]
 
* [[御岳県立自然公園]]
* [[日本百名山]]、[[新日本百名山]]、[[花の百名山]]、[[一等三角点百名山]]、[[ぎふ百山]]
 
* [[日本の山一覧 (高さ順)]]・第14位、[[日本の山一覧 (3000m峰)]]
 
* [[御嶽山系]]
 
* [[活火山]]、[[火口湖]]
 
* [[高山植物]]、[[コマクサ]]、[[ライチョウ]]
 
* [[牧尾ダム|御岳湖]]、[[木曽川]]
 
* [[日本二十五勝]]
 
* [[日本の地質百選]]
 
* [[濁河温泉]]
 
* [[長野県道256号御岳王滝黒沢線]]、[[長野県道473号上松御岳線]]、[[岐阜県道435号御岳山朝日線]]
 
* [[おんたけ2240]]、[[御岳ロープウェイ]]、[[開田高原マイアスキー場]]、[[チャオ御岳スノーリゾート]]
 
* [[長野県西部地震]]
 
* [[木曽御嶽神社王滝口]]
 
* [[山岳信仰]] - [[修験道]]
 
* [[御嶽山 (曖昧さ回避)|同名の山(御嶽山・御岳山)]]
 
* [[御嶽海久司]]
 
 
== 外部リンク ==
 
* 気象庁
 
** [http://www.data.jma.go.jp/svd/vois/data/tokyo/312_Ontakesan/312_index.html 御嶽山・火山]
 
** {{PDF|[http://www.data.jma.go.jp/svd/vois/data/tokyo/STOCK/souran/main/53_Ontakesan.pdf 日本活火山総覧(第4版)Web掲載版 御嶽山]}}
 
* [http://gbank.gsj.jp/volcano/Quat_Vol/volcano_data/E66.html 日本の火山 御嶽山] - 産業技術総合研究所 地質調査総合センター
 
* [http://www.cbr.mlit.go.jp/tajimi/sabo/ontake/gensai/ontakesan-jyoukenzu.jpg 火山土地条件図(御嶽山 1:25,000)] - 国土地理院
 
* [http://portal.cyberjapan.jp/site/mapuse4/?crs=1&b=355334&l=1372849&z=16#crs=1&b=355334&l=1372849&z=16&zoom=16&lat=35.89278&lon=137.48028&layers=BTTT 地理院地図(剣ヶ峰)] - 国土地理院
 
* 防災関連
 
** {{PDF|[http://vivaweb2.bosai.go.jp/v-hazard/L_read/53ontakesan/53ontake_1m02-L.pdf 御嶽山火山防災ハンドブック(岐阜県)]}} - 防災科学技術研究所
 
** {{PDF|[http://vivaweb2.bosai.go.jp/v-hazard/L_read/53ontakesan/53ontake_2h03-L.pdf 御嶽山火山防災ハンドブック(長野県)]}}
 
** {{PDF|[http://www.pref.nagano.lg.jp/sabo/infra/sabo/dosha/documents/ontake1.pdf 御嶽山火山防災マップ ]}} - 長野県
 
** [http://www.town-kiso.com/bousai/bousai/100204/ 土砂災害・洪水防災マップ(ハザードマップ)] - 木曽町
 
** [http://www.cbr.mlit.go.jp/tajimi/sabo/ontake/index.html 御嶽山を見てみよう!(ライブカメラ)] - 国土交通省中部地方整備局多治見砂防国道事務所
 
* [http://www.vill.otaki.nagano.jp/ontake_tozan/tozan04.html 木曽御嶽山登山道(王滝口)の概要] - 王滝村
 
  
 
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2018/8/11/ (土) 19:10時点における最新版

御嶽山.jpg


(おんたけさん)

長野県岐阜県の県境,乗鞍火山帯の南端にそびえる複式火山活火山で,常時観測火山。木曾御嶽ともいう。

最高峰は中央火口丘の剣ヶ峰で,標高 3067m。ほかに外輪山の摩利支天山(2959m),継母岳(2867m),寄生火山の継子岳(2859m)などがある。

噴火口跡は一ノ池から五ノ池まであり,二ノ池は湖面標高 2905mで,日本では最高所にある湖。山腹にはヒノキサワラなどの美林があり,2500m以上は一面ハイマツに覆われ,高山植物が見られる。近年まで記録に残る噴火活動はなかったが,1979年に剣ヶ峰の地獄谷の谷頭 2900mの高所で水蒸気爆発が起こった。1984年には長野県西部地震により南南東斜面で山体崩壊が起こり,29人の死者を出した。

また 2014年9月27日には 7年ぶりに噴火し,1991年の長崎県の雲仙岳での被害を上回る 60人以上の死者・行方不明者を出し,戦後最悪の火山災害となった。古くから山岳信仰(御岳信仰)の対象で,頂上付近にある御嶽神社は奈良時代末に信濃国司がオオナムチノカミ(大己貴神),スクナヒコナノミコト(少名彦名命)をまつったのが初めとされる。

近世後期まで修験者以外の登山は禁止されたが,天明2(1782)年から各地の御嶽講が 7月10日から 9月15日までの山開きの期間中のみ登山を許された。ふもとの木曽町三岳の黒沢地区,王滝村王滝は里宮のある信仰集落で,登山者の宿泊所や神主の家が多い。長野県側のおもな登山口は王滝,三岳,開田の 3方面があるが,王滝からはバスで 7合目まで登れる。一帯は御岳県立自然公園に属する.

脚注

関連項目