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{{Otheruses|アイルランド島のイギリス領地域|アイルランド島の北部|アルスター}}
 
 
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'''北アイルランド'''(きたアイルランド、{{lang-en|Northern Ireland}}、{{lang-ga|Tuaisceart Éireann}}<ref>[http://www.justice.ie/ga/JELR/Pages/WP07000106 An Roinn Dlí agus Cirt agus Comhionannais : Tuaisceart Éireann]. Justice.ie. Retrieved on 2013-07-23.</ref>{{IPA-ga|ˈt̪ˠuəʃcəɾˠt̪ˠ ˈeːɾʲən̪ˠ}}、[[:en:Ulster Scots dialects|アルスター・スコットランド語]]: {{lang|sco|Norlin Airlann}})は、[[イギリス|グレートブリテンおよび北アイルランド連合王国]](イギリス)の[[アイルランド島]]北東部に位置する[[イギリスのカントリー|構成要素]]の一つである。北アイルランドについては、イギリスの[[国家|カントリー]]、[[プロヴィンス]](州)、[[地域]]など様々な表現がされている<ref name="alphabeticalNI">{{citation|author1=S. Dunn|author2=H. Dawson|year=2000|title=An Alphabetical Listing of Word, Name and Place in Northern Ireland and the Living Language of Conflict|publisher=Edwin Mellen Press|location=Lampeter|quote=One specific problem - in both general and particular senses - is to know what to call Northern Ireland itself: in the general sense, it is not a country, or a province, or a state - although some refer to it contemptuously as a statelet: the least controversial word appears to be jurisdiction, but this might change.}}</ref><ref name="interpretingNI">{{citation|author1=J. Whyte|author2=G. FitzGerald|year=1991|title=Interpreting Northern Ireland|publisher=Oxford University Press|location=Oxford|quote=One problem must be adverted to in writing about Northern Ireland. This is the question of what name to give to the various geographical entities. These names can be controversial, with the choice often revealing one's political preferences. ... some refer to Northern Ireland as a 'province'. That usage can arouse irritation particularly among nationalists, who claim the title 'province' should be properly reserved to the four historic provinces of Ireland-Ulster, Leinster, Munster, and Connacht. If I want to a label to apply to Northern Ireland I shall call it a 'region'. Unionists should find that title as acceptable as 'province': Northern Ireland appears as a region in the regional statistics of the United Kingdom published by the British government.}}</ref><ref name="placeApart">{{citation|author=D. Murphy|year=1979|title=A Place Apart|publisher=Penguin Books|location=London|quote=Next - what noun is appropriate to Northern Ireland? 'Province' won't do since one-third of the province is on the wrong side of the border. 'State' implies more self-determination than Northern Ireland has ever had and 'country' or 'nation' are blatantly absurd. 'Colony' has overtones that would be resented by both communities and 'statelet' sounds too patronizing, though outsiders might consider it more precise than anything else; so one is left with the unsatisfactory word 'region'.}}</ref>。
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'''北アイルランド'''(きたアイルランド、{{lang-en|Northern Ireland}}
  
[[アイルランド島]]北東に位置する[[アルスター]]地方9州の内の6州からなるためアルスター6州とも称されている。
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[[イギリス]][[アイルランド島]]北東部を占める地域。[[イングランド]][[ウェールズ]][[スコットランド]]とともにイギリスを構成する。首都[[ベルファスト]]。地形は中部東寄りにあるイギリス最大の湖[[ネー湖]]を底面とした深皿にたとえられ,縁にあたる部分は北東部のアントリム高原,南東部のモーン山地,北西部のスペリン山地などからなる。最高峰はモーン山地のスリーブドナード山(852m)。[[氷河作用]]による浸食で山容は全体に穏やかで,低地には漂礫土による[[ドラムリン]]が発達。気候は暖流である[[北大西洋海流]]と[[偏西風]]の影響で,夏涼しく冬暖かい[[西岸海洋性気候]]を示す。経済はイギリス本土と密接に関連し,基本的に農業国である南の[[アイルランド]]に比べて工業が発達,輸出品の大半は工業製品である。主要工業は機械,造船,自動車,繊維,食品,化学などで,ベルファストを中心に立地する。17世紀頃スコットランドなどからの移住者によって始められたリンネル工業は世界的に有名であったが,安価な化学繊維に押されて需要が減少した。全体の約 4分の3が農地となっており,農業も盛ん。混合農業が中心であるが,特に牧草地が広く,畜産に重点がおかれ,農業生産の 80%以上が畜産物による。ネー湖周辺と南東部の低地では酪農が発達。
[[2015年]]に6州を廃止し、新たに11行政区が設置された。
 
アイルランド島で[[アイルランド|アイルランド共和国]]と[[国境]]を接している。
 
面積は1万4139km{{sup|2}}、首都は東岸に位置する[[ベルファスト]]である。
 
 
 
== 歴史 ==
 
1920年に成立した[[アイルランド統治法 (1920年)|アイルランド統治法]]によって[[アイルランド島|アイルランド]]は南北に分割され、それぞれに自治権が付与された。その後に発生した[[アイルランド独立戦争]]の講和条約である[[英愛条約]]に基づいて、南部26州により[[アイルランド自由国]]が建国され、[[グレートブリテン及びアイルランド連合王国]]より分離した際は北アイルランドも自由国の管轄内に含まれていた。しかしアイルランド自由国で[[アイルランド内戦|内戦]]が始まったため、英愛条約の条項に基づいて北アイルランド議会は自由国からの離脱を表明して連合王国にとどまることになった。
 
 
 
19世紀にアイルランドが[[グレートブリテンおよびアイルランド連合王国]]へと併合されて以来、アイルランドにおいては[[ユニオニスト]](イギリスとの連合維持を主張)と[[ナショナリスト]](イギリスからの独立を主張)の対立が続いていた。アイルランド全土がイギリスに支配されていた時代から、北アイルランド地域は[[グレートブリテン島]]からの植民者が多数を占めており、ユニオニストの勢力が強かった。{{要出典|範囲=また、必ずしもアイルランド人即ちナショナリストではなく、経済的に考えると英国に帰属した方が有利であると考える者も多かった。このようなことが考慮されて、北アイルランドはイギリス統治下に残留することになった|date=2017年6月}}。
 
 
 
1960年代後半になると、[[アメリカ合衆国]]の[[公民権運動]]の影響を受けて、社会的に差別を受けていた[[カトリック教会|カトリック]]の「一人一票」を要求する社会運動が活発になったが、[[プロテスタント]]主体であった北アイルランド政府はこれを抑圧、情勢は緊迫化し、深刻な分断と対立が発生した。以降、1990年代前半まで[[IRA暫定派]]を始めとするナショナリストとユニオニスト双方の[[私兵]]組織と、政府当局([[イギリス陸軍|英陸軍]]、[[北アイルランド警察]])とが相争う抗争が続き、[[血の日曜日事件 (1972年)|血の日曜日事件]]など数多くの武力弾圧やテロによって数千名にものぼる死者が発生するなど、「[[北アイルランド問題|北アイルランド紛争]]」と呼ばれる事態が生じ、社会と経済の混乱は極めて苛烈なものとなった。
 
 
 
1990年代になると和平への道が模索されはじめ、1998年になるとユニオニストおよびナショナリスト政党、私兵組織とイギリス、アイルランド両政府によって[[ベルファスト合意]]が形成され、これに基づいて全政党が参加する北アイルランド議会が設置された。この功績によって、穏健派政党の党首である[[デヴィッド・トリンブル]]と[[ジョン・ヒューム]]に[[ノーベル平和賞]]が授与されている。過激派によるテロが収まったことを受け、[[シティグループ]]や[[富士通]]など、外国企業による新たな直接投資が相次ぎ、経済成長を遂げている。
 
 
 
== 政治 ==
 
[[File:StormontGeneral.jpg|thumb|[[ベルファスト]]の[[北アイルランド議会|議会]][[w:Parliament Buildings (Northern Ireland)|議事堂]]]]
 
1960年代に北アイルランド問題が発生する以前、本土の[[政党]]との関係で言うと、[[アルスター統一党]][[保守党 (イギリス)|保守党]]に代わり、[[アルスター自由党]]が[[自由党 (イギリス)|自由党]]に代わり、それぞれ[[北アイルランド議会#旧議会|ストーモント議会]]({{en|The Parliament of Northern Ireland}}・旧議会)を支配していた。[[北アイルランド労働党]]については、本土の[[労働党 (イギリス)|労働党]]と強い協力関係を有していなかった。この他、アイルランド統一を掲げる[[ナショナリスト党]]と[[シン・フェイン党|シン・フェイン]]が活動していた。
 
 
 
1960年代の後半から1990年代にかけ、宗教差別を発端としたユニオニスト、ナショナリスト両勢力の私兵組織が騒乱やテロを繰り返す、いわゆる「'''[[北アイルランド問題]]'''」が巻き起こり、[[1972年]]にストーモント議会が廃止されてイギリス政府による直接統治が始まった。この社会的混乱に各政党も強い影響を受けた。アルスター統一党は、[[サニングデール合意]]を批判して保守党との関係を断絶した。アルスター自由党は、自由民主党へと衣替えしたが支持を失い、現在、同盟党の姉妹政党に落ちついている。解党された北アイルランド労働党の一部の議員によって社会民主労働党が結党された。
 
 
 
近年になり、イギリスの主要政党が北アイルランドの選挙に参加しようとする動きが見られる。保守党は、1980年代の終わりから候補者を送り出しているが、ほとんど支持を得られていない。[[自由民主党 (イギリス)|自由民主党]]は、同盟党を支援している。
 
 
 
=== ベルファスト合意から現在まで ===
 
現在の[[北アイルランド政府]]は、[[1998年]]の[[ベルファスト合意]]によって設立が決定されたが、2002年から機能を停止している。同時に設置された[[北アイルランド議会#現議会|北アイルランド議会]]({{en|The Northern Ireland Assembly}})も、一時は、党派間の対立によって機能停止に追い込まれた。[[2003年]]の北アイルランド総選挙においては、強硬派のシン・フェインや民主統一党が穏健派以上の票を獲得するなど、政治的対立が先鋭化する傾向も見られる。[[2007年]][[3月26日]]には、シン・フェインと民主統一党との間で自治機能を同年[[5月8日]]より再開させることで合意が形成された。
 
 
 
北アイルランド議会における主要政党や、その議席数([[2007年]]3月時点)については、[[北アイルランド議会#現議会]]を参照。
 
 
 
[[庶民院 (イギリス)|イギリス下院]]の総選挙においては、人口比に従って全646議席の内の18議席が北アイルランドに割り当てられている。[[2017年イギリス総選挙]]によって決定した現在の議席数は、民主統一党が10議席、シン・フェインが7議席、無所属が1議席で、社会民主労働党とアルスター統一党は議席を失った。シン・フェインの議員は、女王への宣誓の拒否、統一アイルランドを正統政府と見なす、などの信念から議会に参加していない。2017年の総選挙の結果、どの党も過半数を得られなかった([[ハング・パーラメント]])ために、[[保守党_(イギリス)|保守統一党]]政権は民主統一党との[[閣外協力]]協議を始めた。シン・フェインに対しても、民主統一党に対抗して登院すべきという批判があがるなど、両党への注目は俄に高まっている。
 
 
 
{{main|北アイルランド議会}}
 
 
 
==行政区画==
 
[[File:NI11w.jpg|300px|right]]
 
{{seealso|北アイルランドの地方行政区画}}
 
次の11の行政区からなる。
 
*1.[[ベルファスト]]
 
*2.[[アーズ・アンド・ノース・ダウン]]
 
*3.[[アントリム・アンド・ニュータウンアベイ]]
 
*4.[[リスバーン・アンド・カースルレー]]
 
*5.[[ニューリー・モーン・アンド・ダウン]]
 
*6.[[アーマー・シティ・バンブリッジ・アンド・クレイガヴォン]]
 
*7.[[ミッド・アンド・イースト・アントリム]]
 
*8.[[コーズウェー・コースト・アンド・グランス]]
 
*9.[[ミッド・アルスター]]
 
*10.[[デリー・シティ・アンド・ストラバン]]
 
*11.[[ファーマナ・アンド・オマー]]
 
 
 
ベルファスト以外には[[ロンドンデリー]]、[[ニュリー]]、[[アーマー]]、[[リスバーン]]が主要都市として挙げられる。
 
世界遺産に登録されている[[ジャイアンツ・コーズウェー]]とコーズウェー海岸を始めとする観光地も多い。
 
 
 
== 経済 ==
 
北アイルランドの経済規模はイギリスの4地域中で最小である。主要産業は造船、ロープおよび繊維製造などであったが、次第にサービス業が占める比率が増加している。北アイルランド問題により長年の停滞を経験したが、近年ではイギリスとアイルランド共和国両国の好景気を受けて失業率が改善するなど落ち着きを取り戻しつつある。
 
 
 
人口あたりのGDPは19,603ユーロであり、北西イングランド地方やウェールズよりも多い<ref>[http://europa.eu/rapid/pressReleasesAction.do?reference=STAT/05/13&format=HTML&aged=0&language=en&guiLanguage=en Regional GDP per capita in the EU25]. 25 January 2005. Eurostat. ''URL accessed 10 May 2006''.</ref>1986年に17.2%にも及んでいた失業率は現在4.5%にまで減少した<ref>[http://news.bbc.co.uk/1/hi/business/1402261.stm "Northern Ireland's economic fears"]. 22 June 2001. Orla Ryan, BBC. ''URL accessed 10 May 2006''.</ref>。労働者の特徴として、他の英国内地域に比べて長時間勤務をおこなっていること、収入について性差が少ないことなどが挙げられる<ref>[http://www.detini.gov.uk/cgi-bin/get_builder_page?page=2058&amp;site=4&amp;parent=48 Economic Overview]. 2006. Northern Ireland DETI. ''URL accessed 10 May 2006''.</ref>。
 
 
 
== 国民 ==
 
=== 宗教 ===
 
{{Main|en:Demographics of Northern Ireland|en:People of Northern Ireland|en:Religion in Northern Ireland}}
 
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|title= 北アイルランドの宗教
 
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{{bar percent|プロテスタント**|lightblue|42}}
 
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{{bar percent|[[無宗教]]または無回答|grey|17}}
 
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|caption=<small>*May not add to 100% due to rounding<br />** [[w:Church of Ireland|Church of Ireland]], [[w:Presbyterian Church in Ireland|Presbyterian Church in Ireland]] and others</small>
 
}}
 
2001年に行われた調査では、北アイルランドの住民のうち45.5%がプロテスタントであった。この中には[[長老派教会|長老派]]、[[アイルランド聖公会]]、[[メソジスト]]などが含まれている。それに対してカトリック教徒は40.3%であった。その他の13.9%の住民は特定の宗派、宗教を有していない<ref>[http://cain.ulst.ac.uk/ni/religion.htm#ni-rel-01 Population in Northern Ireland: breakdown by religious denomination, Census 2001]</ref>。
 
 
 
=== 帰属意識 ===
 
他の調査によると、住民の38%が自身をユニオニストであると規定し、同様に24%がナショナリスト、そして35%がどちらにも当てはまらないと回答している<ref>[http://www.ark.ac.uk/nilt/2003/Political_Attitudes/UNINATID.html Ark survey, 2003. Answer to the question "Generally speaking, do you think of yourself as a unionist, a nationalist or neither?"]</ref>。全体の59%は長期的な視野にたった英国による北アイルランド統治を是認すると述べ、22%が統一アイルランドの形成を支持している<ref>[http://www.ark.ac.uk/nilt/2004/Political_Attitudes/NIRELAND.html Ark survey, 2004. Answers to the question "Do you think the long-term policy for Northern Ireland should be for it to [one of the following<nowiki>]</nowiki>"]</ref>。態度が不明確な層が存在するのは、[[北アイルランド同盟党]]が一定の支持を受けていることからも裏付けられる。最近の選挙においては、54%が親プロテスタント政党に投票し、42%が親カトリック政党へ、残りの4%がそれ以外の政党に投票している。
 
 
 
=== アイルランド共和国国籍 ===
 
2005年以前に生まれた全ての住民には、アイルランド共和国の[[市民権]]が自動的に与えられていた。これはベルファスト合意を受けて2001年に制定されたアイルランド共和国の国籍法の条項によっている。ベルファスト合意においては、イギリスとアイルランド両国が北アイルランドの全ての住民にアイルランド人またはイギリス人となる権利を与えるとある。現在でもこれは大多数の住民に適用されている。
 
 
 
=== 教育 ===
 
{{main|イギリスの教育#北アイルランドの教育制度}}
 
 
 
== 言語 ==
 
[[File:Ulster Covenant Commemoration Parade, Belfast, September 2012 (010).JPG|thumb|right|[[w:Orange Order|オレンジ結社]]の行進]]
 
歴史的な経緯から、北アイルランドではイギリスとアイルランドの双方に由来する文化がみられる。言語は[[英語]]の他に[[アイルランド語]]と[[アルスター・スコットランド語]]{{enlink|Ulster Scots dialects|a=on}}が公用語として認められている。アイルランド共和国ではアイルランド語の復興運動により多くの国民がアイルランド語の知識を習得しているが、北アイルランドでは復興運動は乏しく、2011年の調査によるとアイルランド語の多少の知識がある人の割合は11%、読み書きが可能なレベルではわずか3.7%にとどまっている。また、アルスター・スコットランド語はさらに少数派で読み書きが可能なレベルの割合は0.9%に過ぎない。現在では中国系移民の増加を反映して[[中国語]]が2番目の母語集団となっている
 
 
 
== 文化 ==
 
この地域を象徴するものの一つとして[[アマ (植物)|アマ]]の花がある。
 
 
 
食事には特に特有のものはないが、[[アルスター・フライ]]という朝食が著名である。[[ベーコン]]、[[目玉焼き]]、[[ソーダブレッド|ソーダパン]]または[[ポテトパンケーキ|ポテトパン]]からなる。
 
 
 
== スポーツ ==
 
盛んなスポーツとしては[[サッカー]]や[[ラグビーユニオン]]が挙げられるが、カトリック系住民の間では[[ゲーリック・ゲームズ]]([[ゲーリック・フットボール]]と[[ハーリング]])の人気も高い。[[サッカー北アイルランド代表]]はこれまで[[FIFAワールドカップ]]に3回、[[UEFA欧州選手権]]に1回出場しており、60~70年代に大活躍した名選手[[ジョージ・ベスト]]は北アイルランドの出身である。サッカーの少年向けの国際大会である[[ミルク・カップ]]も開催されている。[[ラグビーアイルランド代表]]は北アイルランドおよびアイルランド共和国との合同チームであり、世界的な強豪チームの一つである。
 
 
 
[[ゴルフ]]では、[[ローリー・マキロイ]]が2011年の[[全米オープン (ゴルフ)|全米オープン]]を皮切りに[[メジャー選手権]]を4度制した他、[[グレアム・マクダウェル]]が2010年の全米オープン、[[ダレン・クラーク]]が2011年の[[全英オープン (ゴルフ)|全英オープン]]でそれぞれ優勝している。[[スヌーカー]]では、[[アレックス・ヒギンズ]](1972年、1982年)と[[デニス・テイラー]](1985年)という2人の世界チャンピオンを輩出している。[[モータースポーツ]]では、[[ジョン・ワトソン (レーサー)|ジョン・ワトソン]](年間総合順位の最高は[[1982年のF1世界選手権|1982年]]の3位)と[[エディ・アーバイン]](同じく[[1999年のF1世界選手権|1999年]]の2位)という2人の有名[[フォーミュラ1|F1]]ドライバーを生んでいる。
 
  
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古くから[[アルスター]]と呼ばれる地方で,17世紀初め頃まではアイルランド島のほかの地域と同じ歴史をたどるが,17世紀半ばアルスターの反乱が鎮圧されたのち,この地方にイングランドやスコットランドからプロテスタントが入植するようになってから別個の道を歩みはじめ,カトリック系の南部に対してプロテスタント的色彩が濃くなった。1886年[[ウィリアム・E.グラッドストン]]がイギリス議会に[[アイルランド自治法案]]を提出して以降,アルスターのプロテスタントはカトリック多数派による支配を恐れ,1912年第3次自治法案が成立しそうになると決起し,アルスターを自治から除外することを要求。この第3次自治法案は 1914年に下院を通過したが,第1次世界大戦の勃発により実施されないまま,1920年アイルランドに南北二つの議会を設置することを定めた[[アイルランド統治法]]が成立。南アイルランドはその後,アイルランド自由国と呼ばれる自治領を経て,1949年イギリス連邦から離脱し独立した共和国となったが,アルスター 9県のうち 6県は「北アイルランド」としてイギリスの統治下にとどまった。しかしその後,北アイルランドでは住民の約 3分の2を占めるプロテスタント系住民による少数派のカトリック系住民に対する政治的,経済的差別が続いたため,カトリック系住民の不満を招いた。1960年代末に始まった両者の武力抗争は 1980年代に鎮静化をみせ,1990年代に入り終息に向かった([[北アイルランド紛争]])。行政的には 1973年に県が廃止され,26地区に改編された。面積 1万4135km<sup>2</sup>。人口 177万5000(2008推計)。([[アイルランド史]])
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== 脚注 ==
 
== 脚注 ==
 
{{reflist}}
 
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== 関連項目 ==
 
* [[北アイルランドの旗]]
 
* 北アイルランド問題に関する研究者
 
** [[南野泰義]]
 
** [[門倉俊雄]]
 
 
 
== 外部リンク ==
 
== 外部リンク ==
{{Commons&cat|Northern Ireland|Northern Ireland}}
 
{{Wiktionary}}
 
'''政府'''
 
 
* [http://www.niassembly.gov.uk/ 北アイルランド議会] {{en icon}}
 
* [http://www.niassembly.gov.uk/ 北アイルランド議会] {{en icon}}
* [http://www.nio.gov.uk/ 英国政府北アイルランド担当省] {{en icon}}
 
 
'''観光'''
 
 
* [http://www.discovernorthernireland.com/ 北アイルランド政府観光庁] {{en icon}}
 
* [http://www.discovernorthernireland.com/ 北アイルランド政府観光庁] {{en icon}}
* [http://www.visitbritain.jp/destinations/northern-ireland/index.aspx 英国政府観光庁 - 北アイルランド] {{ja icon}}
 
  
 
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2018/9/6/ (木) 01:20時点における最新版

北アイルランド
Northern Ireland英語
Tuaisceart Éireannアイルランド語
Norlin Airlannアルスター・スコットランド語
地域の標語:Dieu et mon droit
フランス語神と私の権利
公用語 英語アイルランド語
アルスター・スコットランド語
主都 ベルファスト
最大の都市 ベルファスト

面積

総計 13,843km2N/A
水面積率 不明

人口

総計(2011年 1,810,900人(N/A
人口密度 131人/km2
GDP (PPP)

合計(2002年332億ドル(N/A
1人あたり 19,603ドル
発足アイルランド統治法 (1920年)
通貨 UKポンド (£) (GBP)
時間帯 UTC GMT (UTC+0)(DST:UTC+1)
ISO 3166-1 GB (GB-NIR)
ccTLD .ie, .uk
国際電話番号 353 48, 44 28

国花シャムロック
守護聖人聖パトリック

北アイルランド(きたアイルランド、英語: Northern Ireland

イギリスアイルランド島北東部を占める地域。イングランドウェールズスコットランドとともにイギリスを構成する。首都ベルファスト。地形は中部東寄りにあるイギリス最大の湖ネー湖を底面とした深皿にたとえられ,縁にあたる部分は北東部のアントリム高原,南東部のモーン山地,北西部のスペリン山地などからなる。最高峰はモーン山地のスリーブドナード山(852m)。氷河作用による浸食で山容は全体に穏やかで,低地には漂礫土によるドラムリンが発達。気候は暖流である北大西洋海流偏西風の影響で,夏涼しく冬暖かい西岸海洋性気候を示す。経済はイギリス本土と密接に関連し,基本的に農業国である南のアイルランドに比べて工業が発達,輸出品の大半は工業製品である。主要工業は機械,造船,自動車,繊維,食品,化学などで,ベルファストを中心に立地する。17世紀頃スコットランドなどからの移住者によって始められたリンネル工業は世界的に有名であったが,安価な化学繊維に押されて需要が減少した。全体の約 4分の3が農地となっており,農業も盛ん。混合農業が中心であるが,特に牧草地が広く,畜産に重点がおかれ,農業生産の 80%以上が畜産物による。ネー湖周辺と南東部の低地では酪農が発達。

古くからアルスターと呼ばれる地方で,17世紀初め頃まではアイルランド島のほかの地域と同じ歴史をたどるが,17世紀半ばアルスターの反乱が鎮圧されたのち,この地方にイングランドやスコットランドからプロテスタントが入植するようになってから別個の道を歩みはじめ,カトリック系の南部に対してプロテスタント的色彩が濃くなった。1886年ウィリアム・E.グラッドストンがイギリス議会にアイルランド自治法案を提出して以降,アルスターのプロテスタントはカトリック多数派による支配を恐れ,1912年第3次自治法案が成立しそうになると決起し,アルスターを自治から除外することを要求。この第3次自治法案は 1914年に下院を通過したが,第1次世界大戦の勃発により実施されないまま,1920年アイルランドに南北二つの議会を設置することを定めたアイルランド統治法が成立。南アイルランドはその後,アイルランド自由国と呼ばれる自治領を経て,1949年イギリス連邦から離脱し独立した共和国となったが,アルスター 9県のうち 6県は「北アイルランド」としてイギリスの統治下にとどまった。しかしその後,北アイルランドでは住民の約 3分の2を占めるプロテスタント系住民による少数派のカトリック系住民に対する政治的,経済的差別が続いたため,カトリック系住民の不満を招いた。1960年代末に始まった両者の武力抗争は 1980年代に鎮静化をみせ,1990年代に入り終息に向かった(北アイルランド紛争)。行政的には 1973年に県が廃止され,26地区に改編された。面積 1万4135km2。人口 177万5000(2008推計)。(アイルランド史

脚注

外部リンク




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