都はるみ

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都 はるみ
出生名 李 春美(1948年 - 1966年)[1]
北村 春美(1966年 - )
別名 ミヤコ
生誕 (1948-02-22) 1948年2月22日(76歳)
出身地 日本の旗 日本京都府京都市
学歴 洛陽女子高等学校中退
ジャンル 演歌
職業 演歌歌手音楽プロデューサー
担当楽器
活動期間 1964年 - 1984年
1989年 - 2015年
レーベル 日本コロムビア
事務所 コロムビア音楽芸能
サンミュージック
プロデュースハウス都
共同作業者 市川昭介吉岡治阿久悠
公式サイト 都はるみ Sun Music Group Official Web Site
美空ひばり島倉千代子

都 はるみ(みやこ はるみ、1948年昭和23年)2月22日 - )は、日本女性演歌歌手。本名・北村 春美(きたむら はるみ)。京都市生まれ。レコード会社日本コロムビアに所属。所属事務所は「コロムビア音楽芸能」、「サンミュージックプロダクション」、「プロデュースハウス都」を経て再びサンミュージックに所属。血液型B型「はるみ節」と呼ばれる独特の力強い歌唱法を持ち、昭和後期を代表する国民的演歌歌手として数多くのヒット曲を世に送った。

略歴

京都市出身。芸能好きの母親が、はるみが5歳の時から日本舞踊バレエを習わせ、6歳の6月6日から母親自ら浪曲と民謡を教え始める。洛陽女子高等学校の当時の学校長の話によればいきなり「歌手になります!」と言って中退したそうである。当時似たような若者は多く、そのうちの一人としか思っていなかったが大成功した。在学当時から歌ばかり歌っていて成績はかんばしくなかったと言われている。

1964年、「困るのことヨ」で、デビュー。同年「アンコ椿は恋の花」がミリオンセラーになる大ヒット、第6回日本レコード大賞・新人賞を獲得する。「はるみ節」と呼ばれる、うなり声のような力強いこぶし回しや、波打つような深いビブラートが独特で、昭和40年代〜50年代にかけて数多くのヒット曲を生み、名実ともに日本を代表する女性演歌歌手となった。

1973年、「サンミュージックプロダクション」に移籍[2]

1976年、「北の宿から」で第18回日本レコード大賞FNS歌謡祭最優秀グランプリなど数々の音楽大賞を受賞する。1980年、「大阪しぐれ」で第22回日本レコード大賞・最優秀歌唱賞を受賞。なお、当時の日本レコード大賞で大賞・新人賞(現・最優秀新人賞)・最優秀歌唱賞の三冠を達成したのは、都が初の快挙だった(その後細川たかし北島三郎氷川きよし近藤真彦も日本レコード大賞・三賞全てを獲得)。

1984年3月、人気・実力ともに絶頂だった36歳において「普通のおばさんになりたい」と突然の歌手引退を宣言[3]。この年の『第35回NHK紅白歌合戦』出場を最後に一旦引退。都の引退に際して各種メディアが特集番組を組むなど、一種の社会現象となった。一時引退までの20年間のレコード・テープの総売り上げは日本コロムビア調べで630億円に達し、1984年12月の1か月だけで4億5000万円を売り上げた[4]

1987年音楽プロデューサーとして活動再開。新人女性演歌歌手大和さくらキム・ヨンジャのプロデュースを担当する。1989年、『サンデープロジェクト』(テレビ朝日)に「普通のおばさん代表」として登場。コメンテーターおよびスポーツコーナーのレポーターを務めるが、この頃同年6月に52歳で亡くなった美空ひばりの訃報に触れ、印象的なコメントを番組内で発表。これを機に歌手復帰を決心する。またこの年の『第40回NHK紅白歌合戦』に出場し、「アンコ椿は恋の花」を歌唱。引退後、丸5年ぶりのステージだったが、以前と変わらぬ歌声を披露し、復帰の声が一層高まる。翌1990年、歌手活動の完全復帰を発表。従来の演歌にとらわれない幅広い作品も歌うようになる。

2008年、新東京国際空港2期工事予定地内にある反対派農家の庭で開かれた「三里塚の星空コンサート」に出演した[5]。このコンサートは反対派(三里塚芝山連合空港反対同盟旧熱田派)だけでなく周辺市町や新東京国際空港公団等も支援して開催された。当日は曇り空で星は見えなかったものの、「涙の連絡船」「アンコ椿は春の恋」「ふたりの大阪」「好きになった人」等20曲近くを熱唱した[6]。(→成田空港問題の年表

2008年、デビュー45年目を迎え、「3大劇場座長公演」を行った。個人事務所の社長で長年私生活でもパートナーであった中村一好が死去[7]2009年、個人事務所の「プロデュースハウス都」から、古巣の「サンミュージックプロダクション」へ復帰した。

2005年芸術選奨文部科学大臣賞を受賞。2010年紫綬褒章を受章。

2015年11月24日東京国際フォーラムでの全国ツアー最終日に、翌2016年の1年間単独コンサート活動を休業することを発表[8]。また同年12月16日には、五木ひろし司会の音楽番組「日本の名曲 人生、歌がある“3時間スペシャル 都はるみトリビュート”」(BS朝日)への登場をもって、テレビ出演も当面見合わせている[9]

翌2016年2月18日TBSラジオ大沢悠里のゆうゆうワイド」にゲスト出演したものの、都は充電中の近況を「精神的にスッキリした感じ」と報告ののち「この歌でもういいかなと思うこともある。いい詞に出会えばいいけど、なかなか巡り会わない」など、具体的な活動復帰には否定的なコメントを残した[10]2017年の現時点で、都がマスメディアに登場したのは当番組が最後となり、現在歌手業も含めて芸能活動は完全休止の状態となっている。

エピソード

父は在日韓国人で、このことは1969年に週刊平凡において、はるみの母がインタビューに答える形で公表[11]。だが反響が大きく取材が殺到、仕事に影響が出ると考えた母はこれ以降、取材を受けなくなった[12]。それから7年後、レコード大賞を受賞した際にはそういった出自の人間がレコ大をとっていいのかというバッシングも一部では見られ、賞を辞退しようかとも悩んだという[12]

京都出身であることにちなんで当初は「京はるみ」という芸名でのデビュー予定だったが、既に他社で同名の歌手がいると分かり「都はるみ」に変更された[13][14]

有田芳生とは、有田の『歌屋都はるみ』(1994年刊行)の取材および執筆を機に親しくなり、都の公式サイトでは有田を「都はるみの大親友」としている[15]中村一好の死去の際、有田は中村を「兄のような存在だった」と述べている[16]

当時西郷輝彦のマネージャーをしていた相澤秀禎は「アンコ椿は恋の花」が大ヒットし、レコード大賞に出演していた都を見て、今まで味わったことのない「気」、「オーラ」を感じ、是非ともマネージメントしたいと思ったという。都の母に毎晩電話するなどしてアプローチしたこともあり、約9年後に都は相澤の「サンミュージック」に所属することになった[2]

タイヘイトリオの贔屓だった母に連れられて幼少期から歌謡浪曲ショウに親しみ、「アンコ椿は恋の花」の歌唱に際しては、母からタイヘイ夢路のくどい節回し・拳回しを参考にするよう指導された結果、これを大ヒットさせた。

実妹も「野川明美」という芸名で歌手デビューしたが、ヒット曲には恵まれず引退している。

これまでは、演歌の場合は“ちりめんビブラート”と呼ばれる細かく、振れ幅の狭いビブラートが主流だったが、彼女は長2度以上、4Hz前後のややゆっくりとした振れ幅が広いビブラートで歌い、聴衆に衝撃を与えた。

2010年3月15日放送の『SMAP×SMAP』(関西テレビフジテレビ)では、コント「スマザン・ボイル」の準決勝篇に「きたむらはるみ」として出演、岩崎良美の「タッチ」をコブシたっぷりに熱唱した。

音楽

シングル

# 発売日 タイトル 作詞 作曲 編曲
1960年代
1 1964年
3月10日
困るのことヨ 西沢爽 遠藤実 安藤実親
2 1964年
8月20日
てれちゃう渡り鳥 森山としはる 市川昭介
3 1964年
10月5日
アンコ椿は恋の花[17] 星野哲郎 市川昭介
4 1965年
1月5日
さすらい小鳩 石本美由起 市川昭介
5 1965年
3月5日
巡礼小鳩 石本美由起 市川昭介
6 1965年
3月20日
アンコ岬 石本美由起 市川昭介
7 1965年
5月20日
ド根性節 石本美由起 市川昭介
8 1965年
6月20日
馬鹿っちょ出船 石本美由起 市川昭介
9 1965年
7月10日
よさこい鳴子踊り 武政英策 市川昭介
10 1965年
9月20日
あんこ船 古野哲哉 市川昭介
11 1965年
10月5日
涙の連絡船 関沢新一 市川昭介
12 1966年
1月5日
アラ見てたのね 関沢新一 市川昭介
13 1966年
2月5日
まんまる音頭 丘灯至夫 市川昭介
14 1966年
3月5日
初恋りんごっこ 西沢爽 市川昭介
15 1966年
5月20日
潮来子守唄 青木一徳 市川昭介
16 1966年
5月25日
ふるさと音頭 宮田隆 古賀政男 伊藤祐春
17 1966年
6月5日
さよなら列車 関沢新一 市川昭介
18 1966年
6月20日
みかんの故郷から 石本美由起 市川昭介
19 1966年
9月20日
東京渡り鳥 中大介 市川昭介
20 1966年
11月1日
白樺に涙あり 関沢新一 市川昭介
21 1966年
12月10日
逢いたい人は海の鳥 石本美由起 市川昭介
22 1967年
1月5日
飛んで来てきっと来て 西沢爽 市川昭介
23 1967年
3月1日
待ち呆け港 関沢新一 市川昭介
24 1967年
3月5日
富士山ばやし 関沢新一 市川昭介
25 1967年
3月5日
おろち太鼓 宮田隆 市川昭介
26 1967年
5月1日
恋と涙の渡り鳥 関沢新一 市川昭介
27 1967年
8月1日
金四郎お江戸若衆 石本美由起 市川昭介
28 1967年
9月1日
初恋の川 関沢新一 市川昭介
29 1967年
10月15日
栃木エレジー 白鳥朝詠 市川昭介
30 1967年
12月1日
レモン月夜の散歩道 西沢爽 市川昭介
31 1968年
1月9日
すまんだ人生 香川登志緒 市川昭介
32 1968年
3月1日
霧笛の波止場 関沢新一 市川昭介
33 1968年
3月25日
世界平和音頭 五井昌久 古賀政男 佐伯亮
34 1968年
4月1日
新おはら節 石本美由起 山本丈晴 河村利夫
35 1968年
5月25日
お別れ海峡 三上博司
石本美由起
市川昭介
36 1968年
7月1日
涙のバラ 三浦康照 市川昭介
37 1968年
9月1日
好きになった人 白鳥朝詠 市川昭介
38 1968年
12月15日
霧に泣く恋 石本美由起 市川昭介
39 1969年
4月1日
はるみの三度笠 市川昭介
40 1969年
7月15日
惚れちゃったんだヨ 吉岡治 市川昭介
41 1969年
11月25日
ゆうがおの丘 金井さち子 市川昭介
1970年代
42 1970年
1月25日
ふるさとが泣いた 藤原テルコ 市川昭介 小谷充
43 1970年
3月25日
みんなの願い 関根ふみと
石本美由起
市川昭介
44 1970年
5月10日
きっと、きっと、また来てネ 石本美由起 市川昭介
45 1970年
7月10日
愛して候 吉岡治 市川昭介
46 1970年
11月25日
男が惚れなきゃ女じゃないよ 金井さち子 市川昭介
47 1971年
3月25日
愛しちゃって馬鹿みたい 吉田旺 市川昭介
48 1971年
4月10日
銀杏城 藤浦洸 古賀政男 佐伯亮
49 1971年
6月25日
さいはての唄
〜ノサップ岬〜
星野哲郎 船村徹 田辺信一
50 1971年
7月10日
男は黙って勝負する なかにし礼 市川昭介
51 1971年
10月10日
港町 石本美由起 猪俣公章 竹村次郎
52 1972年
2月25日
哀愁の旅路 石本美由起 和田香苗 佐伯亮
53 1972年
3月10日
たった一つの愛の星 浜口庫之助 小谷充
54 1972年
7月10日
長崎の恋は悲しい 石本美由起 猪俣公章 佐伯亮
55 1972年
10月10日
おんなの海峡 石本美由起 猪俣公章 竹村次郎
56 1973年
1月
島の恋唄 石本美由起 竹岡信幸 佐々永治
57 1973年
2月10日
旅の夕暮 吉岡治 鈴木邦彦
58 1973年
5月
ちょおうさじゃ 石本美由起 和田香苗
59 1973年
7月10日
国盗り音頭 石本美由起 古賀政男 佐伯亮
60 1973年
7月10日
新宿流れ唄 森山としはる 彩木雅夫 小谷充
61 1973年
10月25日
私の心の赤い馬車 金井さち子 市川昭介 竜崎孝路
62 1974年
2月25日
おぼろ月夜 柳沢和彦
石本美由起
平尾昌晃 竜崎孝路
63 1974年
7月1日
にごりえの町 横井弘 平尾昌晃 竜崎孝路
64 1974年
12月1日
あなたの港 山口洋子 平尾昌晃 竜崎孝路
65 1975年
3月1日
お願いします はるかあきと 市川昭介 甲斐靖文
66 1975年
5月25日
みれん節 阿久悠 浜圭介 小谷充
67 1975年
11月25日
泣き笑い 山川啓介 中村雅俊 萩田光雄
68 1975年
12月1日
北の宿から[18] 阿久悠 小林亜星 竹村次郎
69 1976年
7月1日
ただひとり ふかせかずお
中山大三郎
中山大三郎 若草恵
70 1977年
1月1日
雨やどり 阿久悠 小林亜星 竹村次郎
71 1977年
6月10日
サロベツ慕情 時雨音羽 八洲秀章 京建輔
72 1977年
7月1日
海鳴りの詩 阿久悠 浜圭介 若草恵
73 1977年
9月1日
品川音頭 小磯清明
石本美由起
服部良一
74 1977年
10月1日
しあわせ岬 たかたかし 岩久茂 高田弘
75 1978年
2月1日
のれん 遠藤幸三 四方章人 馬飼野俊一
76 1978年
5月10日
九十九里はたそがれて なかにし礼 中村泰士 馬飼野俊一
77 1978年
10月1日
なんで女に 千家和也 小林亜星 竹村次郎
78 1979年
2月1日
あゝ放浪 阿久悠 大野克夫 船山基紀
79 1979年
6月1日
大東京音頭 滝田常晴
緑爽嘉
藤田まさと
遠藤実 竹村次郎
80 1979年
8月1日
さよなら海峡 吉岡治 市川昭介 竹村次郎
81 1979年
11月1日
花あやめ 斉藤久 市川昭介 斉藤恒夫
1980年代
82 1980年
2月1日
大阪しぐれ[19] 吉岡治 市川昭介 斉藤恒夫
83 1981年
1月1日
浮草ぐらし 吉岡治 市川昭介 斉藤恒夫
84 1981年
9月1日
夜の博多は恋の町 吉岡治 市川昭介 斉藤恒夫
85 1981年
9月1日
ふたりの大阪[20] 吉岡治 市川昭介 斉藤恒夫
86 1981年
9月1日
みちのく風の宿 吉岡治 市川昭介 斉藤恒夫
87 1981年
11月1日
金沢の夜 吉岡治 市川昭介 斉藤恒夫
88 1981年
11月
海千鳥 大島マサエ 市川昭介
89 1982年
4月1日
東京セレナーデ たかたかし 小林亜星 高田弘
90 1983年
1月1日
裏町ごころ たかたかし 市川昭介 京建輔
91 1983年
5月21日
浪花恋しぐれ[21] たかたかし 岡千秋 斉藤恒夫
92 1983年
5月21日
札幌ふたりづれ[22] たかたかし 市川昭介 斉藤恒夫
93 1983年
5月21日
危険な関係[23] 吉岡治 中村泰士 高田弘
94 1984年
2月21日
道頓堀川 たかたかし 岡千秋 斉藤恒夫
95 1984年
7月1日
渡り鳥仁義 たかたかし 市川昭介 斉藤恒夫
96 1984年
9月30日
夫婦坂[24] 星野哲郎 市川昭介 斉藤恒夫
97 1984年
12月12日
ふたりのラブソング[25] 吉岡治 五木ひろし 斉藤恒夫
1990年代
98 1990年
6月27日
小樽運河 吉岡治 弦哲也 桜庭伸幸
99 1991年
2月21日
BIRTHDAY 阿木燿子 宇崎竜童 桜庭伸幸
100 1991年
7月1日
愛は花、君はその種子[26] 高畑勲 A.McBroom 星勝
101 1991年
10月1日
夢でもいいから 谷村新司 桜庭伸幸
102 1991年
10月1日
想いのままに 森下林檎
井上ヨシマサ
井上ヨシマサ 桜庭伸幸
103 1991年
10月1日
飛べない鳥へのレクイエム 坂口照幸 佐瀬寿一 桜庭伸幸
104 1992年
4月1日
つくしんぼ 水木かおる 市川昭介 山田年秋
105 1993年
3月1日
あなたの隣りを歩きたい[27] 坂口照幸 三木たかし 桜庭伸幸
106 1993年
9月21日
桜時雨 星野哲郎 市川昭介 前田俊明
107 1994年
4月19日
古都逍遥 たかたかし 弦哲也 桜庭伸幸
108 1994年
8月1日
花の乱 阿木燿子 三枝成彰 千住明
109 1994年
8月1日
一番逢いたい人 田口俊 織田哲郎 桜庭伸幸
110 1995年
3月21日
草枕 吉田旺 徳久広司 前田俊明
111 1996年
2月21日
ふるさとよ 荒木とよひさ 浜圭介 川村栄二
112 1996年
8月21日
Dreaming On My Life 田口俊 佐瀬寿一 桜庭伸幸
113 1996年
10月4日
もういちど 佐藤よしお 佐瀬寿一 桜庭伸幸
114 1997年
4月19日
幻夢のえれじい 吉岡治 市川昭介 前田俊明
115 1997年
10月1日
海峡の宿 坂口照幸 南郷孝 桜庭伸幸
116 1998年
3月21日
邪宗門 道浦母都子 弦哲也 桜庭伸幸
117 1998年
11月21日
深夜劇場 田口俊 佐瀬寿一 桜庭伸幸
118 1999年
3月20日
ふたりの夫婦星 たかたかし 岡千秋 桜庭伸幸
119 1999年
5月15日
好きになった人
(ニュー・バージョン)
白鳥朝詠 市川昭介 桜庭伸幸
120 1999年
8月21日
大原絶唱 坂口照幸 弦哲也 桜庭伸幸
2000年代
121 2000年
3月18日
氷雪原野 坂口照幸 南郷孝 南郷達也
122 2000年
10月1日
散華 吉田旺 徳久広司 桜庭伸幸
123 2001年
4月21日
夕陽坂 坂口照幸 市川昭介 桜庭伸幸
124 2001年
11月1日
たそがれの橋 北山真如 弦哲也 桜庭伸幸
125 2002年
4月20日
晩秋の駅 坂口照幸 市川昭介 桜庭伸幸
126 2002年
11月21日
貴方の命 小椋佳 桜庭伸幸
127 2003年
1月1日
ムカシ 阿久悠 宇崎竜童 桜庭伸幸
128 2003年
4月4日
今ひとたびの
〜Vaya Con Dios〜
ちあき哲也 杉本眞人 桜庭伸幸
129 2003年
7月7日
運否天賦 星野哲郎 市川昭介 桜庭伸幸
130 2003年
10月10日
N.Y.すとーりー 伊藤薫 井上鑑
桜庭伸幸
131 2004年
4月21日
抱きしめて 坂口照幸 市川昭介 南郷達也
132 2005年
2月23日
命ゆきどまり[28] たかたかし 岡千秋 桜庭伸幸
133 2005年
9月7日
枯木灘 残照 道浦母都子 弦哲也 桜庭伸幸
134 2006年
4月5日
花はあなたの肩に咲く たかたかし 岡千秋 前田俊明
135 2007年
1月24日
風雪夫婦花 坂口照幸 杉本眞人 桜庭伸幸
136 2007年
9月26日
螢の宿 吉岡治 市川昭介 渡辺理
137 2008年
5月21日
螢の宿
〜シンフォニック・バージョン〜
吉岡治 市川昭介 若草恵
138 2009年
5月20日
小さな春 仁井谷俊也 徳久広司 前田俊明
2010年代
139 2011年
1月19日
大阪ふたり雨 喜多條忠 弦哲也 桜庭伸幸
140 2011年
10月26日
ふたつ星[29] 松井五郎 弦哲也 前田俊明
141 2012年
5月23日
たんぽぽの花 たかたかし 市川昭介 南郷達也
142 2013年
2月20日
エリカの花の咲く頃に 喜多條忠 弦哲也 矢野立美
143 2013年
10月23日
ありがとう おかげさん きたやまおさむ 筒美京平 鷺巣詩郎
144 2014年
8月20日
冬の海峡 さいとう大三 岡千秋 南郷達也
委託製作盤
  1. 仁淀音頭(作詞:川内登美子/作曲:清水勇/編曲:佐伯亮)1976年9月公表・非売品
    (c/w 仁淀村歌) 歌:美幌健

出演

映画

テレビ

NHK紅白歌合戦出場歴

デビュー2年目の1965年第16回NHK紅白歌合戦に初出場[30]。以降、1984年第35回NHK紅白歌合戦での引退まで、20回連続で出場した。その間、1976年には「北の宿から」の大ヒットを背景に、それまで美空ひばり島倉千代子の独擅場となっていた紅組トリ(大トリ)の座を、12回目の出場で初めて射止めた。

1989年、第40回に出演したのをきっかけに、歌手業に本格的に復帰し、その後も9年連続で紅白に出場していたが、通算で29回目出場の1997年第48回NHK紅白歌合戦が、最後の紅白出場である。翌1998年に「紅白を卒業したい」と辞退してからは1度も出場していない。ただし都は実質「落選」だったが、番組側の配慮で「辞退」との形になったとする説もある[31]

実現には至らなかったものの、幾度となく紅組司会の候補にも挙がった。

2011年9月8日に開催した同期である五木ひろしとのジョイントコンサートの場で、五木から「紅白卒業を撤回すべき」との進言を受け、「紅白はいつも見ている」「私はもう卒業したので」と返すやりとりがあった[32][33](この年の紅白にも出場はなかった)。

年度/放送回 曲目 出演順 対戦相手 備考
1965年(昭和40年)/第16回 涙の連絡船 02/25 井沢八郎
1966年(昭和41年)/第17回 2 さよなら列車 18/25 三田明(1)
1967年(昭和42年)/第18回 3 初恋の川 21/23 北島三郎(1)
1968年(昭和43年)/第19回 4 好きになった人 01/23 三田明(2) トップバッター
1969年(昭和44年)/第20回 5 はるみの三度笠 22/23 北島三郎(2) トリ前(1)
1970年(昭和45年)/第21回 6 男が惚れなきゃ女じゃないよ 18/24 布施明
1971年(昭和46年)/第22回 7 港町 20/25 三波春夫
1972年(昭和47年)/第23回 8 おんなの海峡 19/23 橋幸夫
1973年(昭和48年)/第24回 9 涙の連絡船(2回目) 21/22 水原弘 トリ前(2)
1974年(昭和49年)/第25回 10 にごりえの町 13/25 渡哲也
1975年(昭和50年)/第26回 11 北の宿から 22/24 北島三郎(3)
1976年(昭和51年)/第27回 12 北の宿から(2回目) 24/24 五木ひろし(1) 大トリ(1)
1977年(昭和52年)/第28回 13 しあわせ岬 23/24 森進一(1) トリ前(3)
1978年(昭和53年)/第29回 14 なんで女に… 23/24 森進一(2) トリ前(4)
1979年(昭和54年)/第30回 15 さよなら海峡 22/23 北島三郎(4) トリ前(5)
1980年(昭和55年)/第31回 16 大阪しぐれ 18/23 北島三郎(5)
1981年(昭和56年)/第32回 17 浮草ぐらし 20/22 森進一(3)
1982年(昭和57年)/第33回 18 涙の連絡船(3回目) 22/22 森進一(4) 紅組トリ(2)
1983年(昭和58年)/第34回 19 浪花恋しぐれ 14/21 村田英雄 岡千秋と共演
1984年(昭和59年)/第35回 20 夫婦坂/好きになった人(2回目)[34] 20/20 森進一(5) 大トリ(3)
1989年(平成元年)/第40回 21 アンコ椿は恋の花 第1部に出演 (対戦相手なし) 5年ぶり復帰・前半トリ(1)
1990年(平成2年)/第41回 22 千年の古都 29/29 森進一(6) 紅組トリ(4)
1991年(平成3年)/第42回 23 王将一代 小春しぐれ 10/28 河島英五 前半トリ(2)
1992年(平成4年)/第43回 24 つくしんぼ 24/28 谷村新司
1993年(平成5年)/第44回 25 おんなの海峡(2回目) 25/26 森進一(7) トリ前(6)
1994年(平成6年)/第45回 26 古都逍遥(ことしょうよう) 25/25 五木ひろし(2) 大トリ(5)
1995年(平成7年)/第46回 27 草枕 24/25 森進一(8) トリ前(7)
1996年(平成8年)/第47回 28 好きになった人'96[35](3回目) 10/25 森進一(9) 前半トリ(3)
1997年(平成9年)/第48回 29 海峡の宿 22/25 細川たかし 現時点で最後の紅白出場
  • 対戦相手の歌手名の( )内の数字はその歌手との対戦回数、備考のトリ等の次にある( )はトリ等を務めた回数を表す。
    • 前半トリとは2部制が採用された1989年以降の紅白において、前半戦(ニュース中断まで)で両軍の締めくくりを務めたことを指す。
  • 曲名の後の(○回目)は紅白で披露された回数を表す。
  • 出演順は「(出演順)/(出場者数)」で表す。

CM

パチンコ・パチスロ

  • CR都物語(2005年)
  • やったネ!はるみちゃんシリーズ(2007年)

脚注

  1. 官報 第11826号 法務省告示第九百四十一号
  2. 2.0 2.1 相澤秀禎 『人気づくりの法則』(東洋経済新報社 1988年4月23日)ISBN 978-4492553091
  3. キャンディーズ解散時の有名な言葉を引用したが、都自らの発言ではなく、リポーターが都とのインタビューで発言した台詞である。
  4. 「歌謡界『アンコ椿』の夢よ再び──新人づくり四苦八苦(ニュースの周辺)」『日本経済新聞』1985年1月31日付夕刊、3頁。
  5. 千葉の歴史検証シリーズ28 成田国際空港「血と涙の歴史」 6”. 稲毛新聞 (2004年12月8日). . 2017閲覧.
  6. 原口和久『成田空港365日』崙書房、2000年、166頁。
  7. 都はるみの恋人、中村一好さん急死 - 芸能ニュース : nikkansports.com
  8. 都はるみ、コンサート活動休止…復帰25年の節目「一生懸命、充電」 - 芸能ニュース : Sponichi Annex
  9. 活動休止前に“戦友”と大合唱 『日本の名曲 人生、歌がある“3時間スペシャル 都はるみトリビュート”』」- 芸能ニュース : 夕刊フジ
  10. 充電中の都はるみ、復帰には消極的」- 芸能ニュース : デイリースポーツ
  11. 週刊平凡 11(45)
  12. 12.0 12.1 朴一 『僕たちのヒーローはみんな在日だった』 講談社 2011年 173頁 ISBN 9784062168854
  13. 有田芳生の『酔醒漫録』2008年3月30日付
  14. 後に映画男はつらいよ 旅と女と寅次郎では「京はるみ」役を演じている
  15. 都はるみホームページ「リンク」
  16. 有田芳生の『酔醒漫録』2008年4月8日付
  17. 第6回日本レコード大賞・新人賞受賞曲。
  18. 第18回日本レコード大賞受賞曲。
  19. 第22回日本レコード大賞・最優秀歌唱賞受賞曲。
  20. 宮崎雅とのデュエット。
  21. 岡千秋とのデュエット。第25回日本レコード大賞・特別金賞受賞曲。
  22. 渕野忠明とのデュエット。
  23. 梶原茂小林ジローとのデュエット。
  24. 第26回日本レコード大賞・特別大衆賞受賞曲。
  25. 五木ひろしとのデュエット。
  26. ベット・ミドラーの楽曲「The Rose」のカバー。アニメ映画おもひでぽろぽろ」の主題歌として使用された。
  27. TBS系情報番組「スーパーワイド」のEDテーマとして使用された。
  28. 岡千秋とのデュエット。
  29. 五木ひろしとのデュエット。
  30. 前年の時点で出場候補に挙がっていたが、前年は落選した(合田道人『紅白歌合戦の舞台裏』)。
  31. 合田道人『紅白歌合戦の真実』
  32. 『デイリースポーツ』2011年9月8日付
  33. [1],日刊スポーツ,2011年9月9日
  34. 引退のステージであり、本来は夫婦坂の一曲のみだったがアンコールが起こった為に急遽「好きになった人」を歌唱した。
  35. 「好きになった人」をロック調にアレンジしたもの

関連項目

外部リンク

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