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足利義政

あしかがよしまさ

[生] 永享8(1436).1.2. 京都 [没] 延徳2(1490).1.7. 京都

室町幕府8代将軍 (在職 1449~73) 。義教の次男。母は日野重子。初名は義成。嘉吉3 (1443) 年兄の将軍義勝病死ののち,管領畠山持国その他の大名らの決により将軍継嗣と定められた。宝徳1 (49) 年元服し,征夷大将軍となる。享徳2 (53) 年義政と改名。寛正5 (64) 年弟の僧義尋を還俗させて義視と改名させ,継嗣と定めたが翌年,妻日野富子が男子 (義尚) を出産し,富子が義尚の将軍襲職を望んだことから応仁の乱の一因となった。文明5 (73) 年将軍職を義尚に譲り,のち京都東山に山荘を造って隠居したので,世人は東山殿と呼んだ。延徳1 (89) 年将軍義尚病死ののち再び政務をとったが,翌年病死した。 (東山文化 )