西牟婁郡

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ファイル:Wakayama NishiMuro-gun.png
和歌山県西牟婁郡の範囲(1.白浜町 2.上富田町 3.すさみ町 薄緑:後に他郡から編入した区域 薄黄:後に他郡に編入された区域)

西牟婁郡(にしむろぐん)は、和歌山県。西牟娄郡と表記される場合もある。

人口39,782人、面積432.8km²、人口密度91.9人/km²。(2018年4月1日、推計人口

以下の3町を含む。

郡域

1879年明治12年)に行政区画として発足した当時の郡域は、上記4町1村に田辺市の一部(龍神村各町・本宮町各町を除く)、東牟婁郡串本町の一部(鬮野川、二色以西)を加え、すさみ町の一部(佐本各町)を除いた区域にあたる。

歴史

郡発足までの沿革

知行 村数 村名
藩領 紀伊和歌山藩 75村
12浦
瀬戸鉛山村、近露村、高原村、北郡村、西谷村、真砂村、野中村、道湯川村、和田村(現・田辺市)、下川上村、下川下村、平瀬村、大内川村、深谷村、小谷村、市鹿野村、小房村、大村、久木村、向平村、中島村、寺山村、安居村、口ヶ谷村、田野井村、矢田村、安宅村、大野村、日置浦、古屋村、塩野村、大谷村(現・すさみ町)、熊野村、面川村、上木守村、下木守村、原村、五味村、伏菟野村(現・田辺市東伏菟野)、長瀬村(現・田辺市長瀬)、九川村、串村、谷野口村、竹ノ平村、合川村、下露村、古屋村、佐田村、中野俣村、上露村、竹垣内村、大瀬村、北谷村、柿垣内村、矢ヶ谷村、矢野口村、大附村、小附村、城村、小川村、太間川村、周参見浦、口和深村、和深川村、小河内村、見老津村、江住浦、里野浦、里川村、和深浦、田子浦、田並上村、田並浦、江田浦、吐生村、有田上村、有田浦、東雨村、二部村、二色村、鬮野川村、串本浦、出雲浦、上野浦、大鎌村、防己村、大谷村(現・田辺市)
紀伊田辺藩[1] 68村 堅田村、才野村、高井村、溝端村、吉田村、中村、朝来帰村、高瀬村、芝生村、十九淵村、平村、庄川村、内ノ川村、保呂村、朝来村、生馬村、岩崎村、岩田村、岡村、市ノ瀬村、鮎川村、神宮寺村、宇津木村、玉伝村、里谷村、向山村、栗栖川村、石船村、大川村、福定村、兵生村、小松原村、温川村、内井川村、小皆村、熊野川村、沢村、小野村(現・田辺市中辺路町水上)、下万呂村、中万呂村、上万呂村、下三栖村、中三栖村、上三栖村、長瀬村(現・田辺市上長瀬)、馬我野村、伏菟野村(現・田辺市伏菟野)、下秋津村上秋津村秋津川村、伊作田村、糸田村、湊村、神子浜村、新庄村西ノ谷村、東山村、西山村、日向村、小野村(現・田辺市中芳養)、林村、境村、田中村、芋村、稲生村、田尻村、西野々村、平野村
  • 明治初年 - 大野村・古屋村が合併して大古村となる。(1町142村12浦)
  • 明治4年
  • 明治8年(1875年)(1町139村12浦)
    • 高井村・溝端村・吉田村が合併して栄村となる。
    • 伊作田村・糸田村が合併して稲成村となる。
  • 明治9年(1876年) - 東雨村・二部村が合併して高富村となる。(1町138村12浦)
  • 明治11年(1878年) - 上木守村・下木守村が合併して木守村となる。(1町137村12浦)

郡発足以降の沿革

  • 明治12年(1879年)(1町128村12浦)
    • 1月20日 - 郡区町村編制法の和歌山県での施行により、牟婁郡のうち田辺城下ほか1町137村12浦に行政区画としての西牟婁郡が発足。郡役所を田辺城下に設置。
    • 東山村・西山村・日向村が合併して上芳養村となる。
    • 小野村(現・田辺市中芳養)・林村・田尻村・西野々村・平野村が合併して中芳養村となる。
    • 境村・田中村・芋村・稲生村が合併して下芳養村となる。
    • 2ヶ所ずつ存在した大谷村、伏菟野村、長瀬村のうち1村が西大谷村(現・田辺市)、東伏菟野村(現・田辺市東伏菟野)、上長瀬村(現・田辺市上長瀬)にそれぞれ改称。
  • 明治20年(1887年) - 高瀬村・芝生村が合併して富田村となる。(1町127村12浦)
ファイル:Wakayama NishiMuro-gun 1889.png
1.湊村 2.西ノ谷村 3.稲成村 4.新庄村 5.瀬戸鉛山村 6.下芳養村 7.中芳養村 8.上芳養村 9.秋津川村 10.万呂村 11.三栖村 12.長野村 13.栗栖川村 14.二川村 15.近野村 16.富里村 17.三川村 18.豊原村 19.川添村 20.大都河村 21.潮岬村 22.富二橋村 23.有田村 24.田並村 25.和深村 26.江住村 27.周参見村 28.日置村 29.三舞村 30.東富田村 31.西富田村 32.南富田村 33.北富田村 34.生馬村 35.朝来村 36.市ノ瀬村 37.鮎川村 38.田辺町 39.下秋津村 40.上秋津村 41.串本村 42.岩田村(紫:田辺市 桃:白浜町 赤:上富田町 橙:すさみ町 緑:東牟婁郡串本町 +は佐本村)
  • 明治22年(1889年4月1日 - 町村制の施行により、以下の町村が発足。郡役所の所在地が田辺町となる。特記以外は全域が現・田辺市。(1町41村)
    • 湊村 ← 湊村[大部分]、神子浜村[大部分]、田辺城下[新屋敷町の一部]
    • 西ノ谷村(西ノ谷村の大部分が単独村制)
    • 稲成村(単独村制)
    • 新庄村 ← 新庄村、神子浜村[一部]
    • 瀬戸鉛山村(単独村制。現・白浜町)
    • 下芳養村(単独村制)
    • 中芳養村(単独村制)
    • 上芳養村(単独村制)
    • 秋津川村(単独村制)
    • 万呂村 ← 下万呂村、中万呂村、上万呂村
    • 三栖村 ← 下三栖村、中三栖村、上三栖村
    • 長野村 ← 上長瀬村、馬我野村、伏菟野村
    • 栗栖川村 ← 西谷村、真砂村、北郡村、石船村、栗栖川村、小皆村、熊野川村、沢村、水上村、内井川村
    • 二川村 ← 高原村、大川村、福定村、兵生村、小松原村、温川村
    • 近野村 ← 近露村、野中村、道湯川村
    • 富里村 ← 大内川村、平瀬村、和田村、下川上村、下川下村
    • 三川村 ← 合川村、下露村、古屋村、佐田村、中野俣村、竹ノ平村、向山村、深谷村、小谷村、谷野口村、串村、九川村、長瀬村、東伏菟野村、原村、五味村
    • 豊原村 ← 面川村、熊野村、西大谷村、木守村
    • 川添村 ← 市鹿野村、小房村、玉伝村、大村、宇津木村、小川村、城村、里谷村、上露村、北谷村、大瀬村、竹垣内村(現・白浜町)
    • 大都河村 ← 小河内村、大附村、小附村、大鎌村、大谷村、防己村、矢野口村、矢ヶ谷村、柿垣内村(現・すさみ町)
    • 潮岬村 ← 上野浦、出雲浦(現・東牟婁郡串本町)
    • 富二橋村 ← 鬮野川村、二色村、高富村(現・東牟婁郡串本町)
    • 有田村 ← 有田浦、有田上村、吐生村(現・東牟婁郡串本町)
    • 田並村 ← 田並浦、田並上村(現・東牟婁郡串本町)
    • 和深村 ← 和深浦、里川浦、田子浦、江田浦(現・東牟婁郡串本町)
    • 江住村 ← 見老津浦、江住浦、里野浦(現・すさみ町)
    • 周参見村 ← 周参見浦、口和深村、和深川村(現・すさみ町)
    • 日置村 ← 日置浦、塩野村、矢田村、安宅村、大古村(現・白浜町)
    • 三舞村 ← 安居村、寺山村、中島村、向平村、神宮寺村、久木村、田野井村、口ヶ谷村(現・白浜町)、太間川村(現・すさみ町)
    • 東富田村 ← 十九淵村、富田村、朝来帰村(現・白浜町)
    • 西富田村 ← 才野村、堅田村(現・白浜町)
    • 南富田村 ← 栄村、中村(現・白浜町)
    • 北富田村 ← 平村、保呂村、内ノ川村、庄川村(現・白浜町)
    • 生馬村(単独村制。現・上富田町)
    • 朝来村 ← 朝来村、岩崎村(現・上富田町)
    • 市ノ瀬村(単独村制。現・上富田町)
    • 鮎川村(単独村制。現・田辺市、上富田町)
    • 田辺町 ← 田辺城下[2]、湊村[一部]、西ノ谷村[一部]
    • 下秋津村(単独村制)
    • 上秋津村(単独村制)
    • 串本村(串本浦が単独村制。現・東牟婁郡串本町)
    • 岩田村 ← 岩田村、岡村(現・上富田町)
  • 明治30年(1897年
  • 明治40年(1907年7月1日 - 東牟婁郡佐本村の所属郡が本郡に変更。(2町41村)
  • 大正12年(1923年)4月1日 - 郡会が廃止。郡役所は存続。
  • 大正13年(1924年
    • 2月11日(4町39村)
      • 日置村が町制施行して日置町となる。
      • 周参見村が町制施行して周参見町となる。
    • 6月30日 - 富二橋村が串本町に編入。(4町38村)
    • 7月1日 - 湊村・西ノ谷村が田辺町に編入。(4町36村)
  • 大正15年(1926年7月1日 - 郡役所が廃止。以降は地域区分名称となる。
  • 昭和4年(1929年)4月1日 - 豊原村が三川村に編入。(4町35村)
  • 昭和15年(1940年3月1日 - 瀬戸鉛山村が町制施行・改称して白浜町となる。(5町34村)
  • 昭和17年(1942年5月20日 - 田辺町・下芳養村が合併して田辺市が発足し、郡より離脱。(4町33村)
  • 昭和25年(1950年12月15日 - 万呂村・下秋津村・稲成村が田辺市に編入。(4町30村)
  • 昭和29年(1954年2月4日 - 新庄村が田辺市に編入。(4町29村)
  • 昭和30年(1955年
    • 3月15日(4町27村)
      • 西富田村が田辺市に編入。
      • 南富田村が白浜町に編入。
    • 3月31日 - 三舞村の一部(太間川)を周参見町に編入、周参見町・大都河村・佐本村が合併してすさみ町が発足。(4町25村)
    • 7月2日 - 串本町・田並村・有田村・潮岬村・和深村が合併し、改めて串本町が発足。(4町21村)
  • 昭和31年(1956年
    • 4月1日 - すさみ町の一部(大鎌)が江住村に編入。
    • 7月1日 - 川添村・三舞村・日置町が合併して日置川町が発足。(4町19村)
    • 9月30日(8町3村)
      • 中芳養村・上芳養村・秋津川村・上秋津村・三栖村・長野村が合併して牟婁町が発足。
      • 生馬村・朝来村が合併して富田川町が発足。
      • 鮎川村の一部(1 - 390番地の一部)が市ノ瀬村に編入、市ノ瀬村・岩田村が合併して上富田町が発足。
      • 富里村の一部(大内川)が栗栖川村に編入、栗栖川村・二川村・近野村が合併して中辺路町が発足。
      • 三川村および富里村の残部(平瀬・和田・下川上・下川下)・鮎川村の残部が合併して大塔村が発足。
      • 東富田村・北富田村が合併して富田村が発足。
  • 昭和33年(1958年
    • 1月15日 - 串本町が東牟婁郡大島村を編入。
    • 3月31日 - 上富田町・富田川町が合併し、改めて上富田町が発足。(7町3村)
    • 7月1日 - 富田村および田辺市の一部(堅田町・才野町)が白浜町に編入。(7町2村)
  • 昭和34年(1959年3月25日 - 江住村がすさみ町に編入。(7町1村)
  • 昭和39年(1964年10月15日 - 牟婁町が田辺市に編入。(6町1村)
  • 平成17年(2005年
    • 4月1日 - 串本町が東牟婁郡古座町と合併して東牟婁郡串本町が発足。(5町1村)
    • 5月1日 - 中辺路町・大塔村が田辺市・日高郡龍神村・東牟婁郡本宮町と合併し、改めて田辺市が発足。(4町)
  • 平成18年(2006年3月1日 - 白浜町・日置川町が合併し、改めて白浜町が発足。(3町)

変遷表

脚注

  1. 紀州藩附家老水野氏領が慶応4年1月24日1868年2月17日)に立藩。
  2. この時点では本町・栄町・北新町・南新町・今福町・福路町・片町・紺屋町・江川町・上屋敷町・中屋敷町・下屋敷町・新屋敷町が存在。

参考文献

関連文献

  • 『西牟婁郡勢一斑』 和歌山県西牟婁郡、1914年。NDLJP:906565

関連項目

先代:
牟婁郡
行政区の変遷
1879年 -
次代:
(現存)