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自明


自明(じめい)とは、

こういった問題においては、主観的視点(客体)という部分を含み、何が自明であり何が自明でないかは、個人の感覚によって差があるため、より客観的な記述が求められる場合に於いて、より厳密な定義を必要とする。

見たまま

常識

自明の理

自明の理」という言葉がある。推論論理学の範疇であるが、説明しなくても当然至極の結論として導き出されるものが「自明の理」である。

具体的な例を挙げると、「自動車の運転をしている際、前(進行方向)を見ていないと危険である」は、自動車の性質の上で、運転免許を持つ者には、説明の必要が無いくらい当然の理屈である。同時に、「運転中によそ見をすることは危険である」も同じく、自明の理であり、「運転中に携帯電話でメールの遣り取りをすることも危険な行為である」も、やはり説明する必要もないくらいに、当然至極の結論といえる。

自明と真

しかしながら、自明であることは、それがであることを保証するものではない。例えば、常識は文化に依存する。文化が異なれば判断は異なり得るが、このことは往々にして忘れられ、文化の異なる集団の対立の元となる。

科学の分野でもそうである。ガリレオ・ガリレイ以前には、重いものほど速く落ちるのは自明と考えられていた。実際に空気中ではこのことは往々にして間違いではない。したがって、これが物理法則ではないことを示すには多くの努力を要した。

また、数学では、ユークリッドは、いくつかの公準公理の下に、その幾何学の大系を築いた。その際、彼はこれらを自明のものとして取り扱ったが、それが本当に自明であるかの判断を追求することから、非ユークリッド幾何学が発展した。現在では、公理や公準は、その理論を成立させるための仮説であると考えられる。

関連項目