操作

神聖ローマ帝国

しんせいローマていこく Heiliges Römisches Reich; Holy Roman Empire

962年ドイツ王オットー1世 (大帝) がローマ教皇から皇帝の冠を授けられて以来,1806年フランツ2世が退位するまで,ドイツ王たる皇帝によって統轄された諸領域の呼称。

理念上は,476年に滅亡した西ローマ帝国が,カルル1世 (大帝) のフランク帝国を経て,ドイツ王に継承されたものと考えられた。その範囲は,初めのうちイタリアにも及んでいたが,13世紀中頃ホーエンシュタウフェン朝の没落以後は,事実上ドイツ地域にのみ限られるようになる。厳密には「神聖ローマ帝国」の名称は 1254年以降用いられた。 11~12世紀の叙任権論争頃から帝国の封建化が強まり,諸侯はそれぞれ領邦の形成を進めて皇帝から政治的に独立し,帝位の継承は選帝侯と呼ばれる聖俗の有力諸侯の選挙によるものとなった。選帝侯会議が拡大されて 15世紀には帝国議会の制度ができ,17世紀中頃までは,帝国全体にかかわる重要案件について決定を行うため,その都度招集された。

15世紀末から 16世紀前半にわたる帝国改造運動によって,各領邦と自由都市 (帝国都市) の自立性に基づく連邦体制ができあがり,常置の機関として帝国 (最高) 法院が設けられたが,ウェストファリアの講和で諸侯がほとんど完全な国家主権を獲得してからは,その機能も大いに弱まった。またこの条約で,15世紀以来,事実上独立していたスイス連合諸州が正式に帝国から分離した。 18世紀にはプロシアオーストリア両大国の対立が深まり,ナポレオン支配のもとでの西部群小領邦の整理,統合,ライン同盟の形成が帝国の消滅を導いた。 15世紀初頭以来,オーストリアのハプスブルク家から代々の皇帝が選ばれたため,近代では皇帝の政策はオーストリアの利害を表現するものとなった。