捨 (仏教)
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テンプレート:波羅蜜 仏教用語の捨(しゃ)とは、パーリ語のウペッカー(巴: upekkhā、 梵: upekṣā: ウペクサー, 英: equanimity)に由来し、人々(生きとし生けるもの)に対して平静な心を持つこと[1]。
四無量心(四梵住)としてまとめられる4つの徳目「慈・悲・喜・捨」(じ・ひ・き・しゃ)の4つ目。
慈愛の瞑想
上座部仏教(テーラワーダ仏教)圏では、ウィパッサナーの基礎として、慈愛の瞑想(mettā bhāvanā, 慈悲の瞑想とも)と呼ばれる瞑想が行われる[2]。これは名称としては「慈(慈愛)」(メッター)のみが前面に出て来るが、内容的には四無量心の「慈・悲・喜・捨」全ての要素が含まれており[3]、「捨」の要素も含まれている。
日本テーラワーダ仏教協会のアルボムッレ・スマナサーラ長老によると、「捨」は「感情の波が立たない」平静な心であるが、それは「鈍感で、何も興味がない、気にしない、無関心、閉鎖的で自分の世界にだけ閉じこもっている」ということではなく、「人々・生命のことを、(直情的に反応するのではなく)どうすれば問題解決できる(できた)かを智慧を以て見守る気持ちで観る」ことだという[4]。
脚注
注釈
出典
- ↑ 四無量心とは - ブリタニカ国際大百科事典
- ↑ ウ・ジョーティカ 『自由への旅』 魚川祐司訳、新潮社、2016年12月、pp.121-124。
- ↑ 慈悲喜捨の冥想 - 日本テーラワーダ仏教協会
- ↑ 慈悲の冥想とヴィパッサナーの道筋 - 日本テーラワーダ仏教協会