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征韓論

征韓論(せいかんろん)

明治初期,維新政府内部で唱えられた政策。維新政府は成立以来朝鮮国王に日鮮修好を求めたが,朝鮮政府は鎖国政策をとり続け,交渉拒絶を回答した。これをとらえ,政府内部には国辱にかかわるものであるという意見が強まった。板垣退助らは強硬出兵論を唱え,西郷隆盛は,まず自分が使節として朝鮮に渡り,交渉決裂後出兵すべきだとした。 1873年8月 17日に閣議は,いったん西郷派遣を決定したが,同9月 13日欧米視察から急遽帰国した岩倉具視大久保利通らは,内治優先などを理由に強硬に反対,閣内対立は決定的なものとなった。両派対立の間に立って三条実美は病に倒れ,同 10月 24日太政大臣代行についていた岩倉の要請を天皇が勅裁するという体裁をとり,先の閣議決定は無期延期され,同日西郷が参議,近衛都督を辞任,続いて翌 25日板垣,副島種臣,後藤象二郎,江藤新平が下野。佐賀の乱西南戦争国会開設運動,自由民権運動にいたる明治前期政治を左右する出来事の発端となった。



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