操作

太政官

だじょうかん

(1) 律令官制の中心で神祇官と並ぶ二官の一つ

「だいじょうかん」と読まれた。その任務は綱紀を惣持し,邦国を治むるにありとされた。太政大臣,左大臣,右大臣を長官,大納言を次官とし,そのもとに左右弁官局と少納言局がある。

太政官の事務を分掌するのは左大臣以下で,詔勅の施行を司る左右弁官局を設け,これに詔勅の審査覆奏を司る少納言局を付設した。左弁官局は中務,式部,治部,民部の4省を,右弁官局は兵部,刑部,大蔵,宮内の4省を管した。

少納言局は外記局を管轄し,詔勅宣下,内印,外印のことを司った。平安時代になると,その実権は太政大臣から分化した摂政,関白に移り,有名無実化された。

(2) 明治維新後にとられた,律令制とは異なる体制

慶応4 (1868) 年閏4月 21日付政体書が同 27日頒行され,「天下の権力すべてこれを太政官に帰す」と定められた。統治機構の総体である太政官は,立法 (議政官) ,行政 (行政官および神祇,会計,事務,外国官) ,司法 (刑法官) の3機関に分れ,三権分立のたてまえをとった。

翌明治2 (69) 年7月8日官制の改革が行われて2官 (神祇官,太政官) 6省となり,太政官には左右大臣,大納言,参議がおかれ,天皇を補佐し,国政全般にあたった。同4年太政官制を改めて太政官を正院,左院,右院に分け,その下に8省をおいた。

1875年大阪会議の結果,左院,右院が廃止されて元老院,大審院が設置され,元老院は立法機関,大審院は最高の司法機関となって三権分立がほぼ整ったが,元老院に議案発議権が認められなかったことや検視の制 (内閣修正の議案についてはただ形式的に審査し,元老院に修正権がない) などにみられるような行政機関の優位がみられた。さらに2年後には正院も廃止された。 81年,立憲政体への準備として太政官中に参事院が設けられた。

内閣という呼称は 73年5月以後官制上用いられたが,85年太政官制度は廃止され,新しい内閣制度が創設された。