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天保の改革


天保の改革(てんぽうのかいかく)

江戸時代後期,天保年間 (1830~44) に行われた幕府,諸藩の政治改革。幕藩体制はこの時期に深刻な動揺をみせ,綱紀紊乱,財政の窮乏,武士の困窮,農村・都市生活の退廃など,多方面の政策転換を迫られていた。幕府は老中水野忠邦を首班として天保 12 (41) 年5月から改革に着手。享保,寛政の改革を目標とし,風俗矯正,質素倹約をはじめ生活全般にわたる統制を行い,農村人口を維持するため「人返し」政策をとった。また忠邦は株仲間を解散して物価の引下げをはかり,印旛沼 (いんばぬま) 開発 (印旛沼干拓 ) などにも着手したが,大名や旗本の抵抗を受けた上知令 (上知 ) によって失脚した。一方,西南雄藩の藩政改革は財政的な面で多くが成功し,明治維新の原動力となった。