大淀区

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テンプレート:日本の行政区 (廃止) 大淀区(おおよどく)は、大阪府大阪市にかつて存在した行政区の一つ。現在の北区の北部にあたる。

概要

区役所の跡地は、2018年時点では民間の特別養護老人ホームとなっている。

警察の管轄は大阪府警察大淀警察署で、消防の管轄は大阪市消防局北消防署(当時の北区と大淀区の2区を管轄)だった。1944年に大淀区を管轄する消防署として大淀消防署が北消防署から分離設置されたが、翌1945年に戦災で被災して再び北消防署に統合されている。

町名

1977年2月1日住居表示実施から1989年合区直前まで

隣接していた行政区

歴史

江戸時代までは大坂市街地の北西側に位置する農村地帯で、摂津国西成郡に属し、いくつかの村に分かれていた。

1889年4月1日の町村制施行に伴い、後の大淀区の区域には西成郡豊崎村1912年1月1日の町制施行により豊崎町)・中津村1911年2月1日の町制施行により中津町)・鷺洲村(1911年2月1日の町制施行により鷺洲町)の3村が成立した。

1925年4月1日に実施された大阪市第2次市域拡張において、西成郡の全町村が大阪市に編入された。豊崎町・中津町の区域は東淀川区、鷺洲町の地域は西淀川区となった。当時の東淀川区役所は旧豊崎町役場に設置された。

1943年4月1日には、大阪市の22区への分増区および行政区の境界見直しが実施された。その際に東淀川区のうち新淀川南岸の地域(旧:豊崎町・中津町の大半)と、西淀川区浦江地区・大仁(だいに)地区(いずれも現在の大淀地区、旧:鷺洲町の一部)、北区の一部、此花区上福島の一部の区域をもって大淀区が成立した。大淀区役所は旧東淀川区役所庁舎を転用して設置された。

分区の際、淀川北岸の地域が引き続き旧名の「東淀川区」を名乗ることが先に決まっていたため、淀川南岸にあたるこの地域では新しい区名を選定する必要があった。地域からは「豊崎区」「長柄区」「中津区」などの案が出された。しかしいずれの案も、区内の一つの地域の名称に過ぎないとして他の地域からの反対に遭い、新区名の議論は平行線をたどっていた。中津に地盤を持っていた市会議員が、当時淀川に近接している地域から選出されていた市会議員のグループの名称が「大淀会」だったことにヒントを得て「大淀区」はどうかと町内連合会に提案した。連合会役員らは「『大』の字が入っているのが良い」などとして提案を支持・承認し、区名が「大淀区」と決定した[1]

大阪市編入前後から第二次世界大戦前は人口密集地帯となっていたが、大阪大空襲で甚大な被害を受けて区内の人口は減少した。戦後は梅田に連なるオフィス街として発展したこともあって人口の減少傾向があり、1970年代に大阪市の行政区の再編構想の中で北区との合区構想が打ち出されていたが、1970年代の合区構想は撤回され実現しなかった。その後、1989年2月13日に旧:北区との合区により本区が廃止されることになった。

交通

1989年合区直前の時点で現存していたもの

鉄道

バス

道路

1988年までに廃止されたもの

教育

1989年合区直前の時点で大淀区内に存在していた教育施設

大学

高等学校

中学校

小学校

特殊教育諸学校

大淀区の区域(区制施行前も含む)にあったが、1988年までに廃校や郊外移転などを行なった教育施設

名所

1989年合区直前の時点で現存していたもの

参考文献

  • 『大淀区史』大阪都市協会編、大淀区コミュニティ協会・大淀区史編集委員会発行、1988年。

脚注

  1. 『大淀区史』による。
  2. 後に2008年(平成20年)5月19日福島区福島1丁目に移転。

関連項目