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ジョージ・ワシントン

ジョージ・ワシントン英語: George Washingtonグレゴリオ暦1732年2月22日 - 1799年12月14日ユリウス暦1731年2月11日生まれ))

アメリカ建国期の軍人,政治家。初代大統領 (在任 1789~97) 。バージニア北部の富裕なプランター (大農場主) の家に生れ,17歳でカルペッパー郡の公認測量士となった。 1753年に先住民族インディアンの鎮撫工作にあたり,54年にはバージニア民兵軍 150人を率いてオハイオ川流域地方に進軍しフランス軍と交戦して敗北。 55年イギリスの E.ブラドック将軍の指揮下にデュケーヌ要塞に拠るフランス軍の攻撃に参加し敗退。 58年には J.フォーブス将軍に協力してデュケーヌ要塞攻略に成功。 59年バージニアの富裕な未亡人 M.カスティスと結婚,プランテーション経営に精を出した。 65年の印紙税法施行以後反英的立場を強め,73年の枢密院令と翌 74年のケベック法により西方への土地投機の機会を奪われて憤慨し,独立を決意。アメリカ植民地は 74年イギリス本国の圧政に対し大陸会議を組織し,第2回大陸会議によって 75年6月 15日全植民地軍総司令官に任命。同年7月4日にはアメリカ独立宣言を公布。翌 76年春ボストンからイギリス軍を追出すことに成功。ニューヨークへ転戦し連敗しながらニュージャージーへ退却。 76年 12月トレントンとプリンストンの奇襲に成功し,勝利への転機をつかんだ。一方 77年冬のフォージ渓谷の越冬宿営などで批判を受け更迭の陰謀もめぐらされた。

81年8~10月アメリカ=フランス連合軍を指揮してヨークタウンを攻略,イギリスの C.コーンウォリス将軍を降伏させた。 82年彼を国王に擁立しようとする動きを断固拒否,83年アメリカ軍を率いてニューヨーク市に凱旋し,軍務を退いた。その後マウントバーノンの農園に戻り,4年間を所有地の管理に過した。 85年に彼の自邸で開かれたポトマック川航行権に関する会議をきっかけに,強力な中央政府設立の動きがにわかに高まり,87年にはフィラデルフィアで合衆国憲法制定会議が開かれ,その議長に選出された。 89年4月初代大統領に就任し,財務長官に A.ハミルトン,国務長官に T.ジェファーソンを据えて,公債の償還,財政の安定,イギリス軍基地の撤去,ミシシッピ川航行権の確保,インディアンの制圧などの国内問題やフランス革命をめぐる複雑な外交問題に取組んだ。 97年三選出馬を辞退してマウントバーノンに引退,所有地の管理に専念した。 98年フランスとの戦争の危機に際して再び臨時編成軍の総司令官に任命されそうになったが運よく危機は回避された。 99年悪性喉頭炎で死去。

公職
新設 アメリカ合衆国大統領
1789年4月30日 – 1797年3月4日
次代:
ジョン・アダムズ
軍職
先代:
ジェームズ・ウィルキンソンEnglish版准将
アメリカ陸軍最先任士官
1798年7月13日 – 1799年12月14日
次代:
アレクサンダー・ハミルトン少将
新設 大陸軍司令官
1775年6月15日 – 1783年12月23日
次代:
ヘンリー・ノックス少将
アメリカ陸軍最先任士官
名誉職
新設 最長寿のアメリカ合衆国大統領
1789年4月30日 – 1799年12月14日
次代:
ジョン・アダムズ
先代:
リチャード・テリック
ウィリアム・アンド・メアリー大学総長
1788年 – 1799年
次代:
ジョン・タイラー




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