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ジェイムズ・ブルース (第8代エルギン伯爵)

第8代エルギン伯爵および第12代キンカーディン伯爵ジェイムズ・ブルースJames Bruce, 8th Earl of Elgin and 12th Earl of Kincardine1811年7月20日 - 1863年11月20日)は、スコットランド系の貴族でイギリス植民地行政官外交官

第7代エルギン伯爵兼第11代キンカーディン伯爵トマス・ブルースと、その2人目の妻メアリの間に第1子として生まれる。イートン・カレッジを経てオックスフォード大学クライスト・チャーチで学ぶ[1]

1841年イギリス総選挙ハンプシャーサウサンプトン選挙区から当選するが、異母兄と父が相次いで死去したため二男のジェイムズが伯爵位を継ぐことになり、庶民院の議席を失った。1842年ジャマイカ総督1847年カナダ総督就任。英系住民と仏系住民の暴力的対立を調停し、1848年には自治政府をたちあげた。アロー戦争(1856年 - 1860年)でも遠征軍司令官として大きな役割を果たし、1860年10月24日軍を破って、北京に入城し、北京条約に調印した。

エルギン伯には日本との通商条約を締結する役目も与えられていた。1858年7月30日上海を4隻の艦隊で出発、8月3日安政5年6月24日)に長崎に到着、8月12日(7月4日)には品川沖に停泊した。およそ1ヶ月前に日米修好通商条約が調印されていたこともあり、交渉は比較的スムーズに進み、8月26日(7月18日)に日英修好通商条約が調印された。このとき、ヴィクトリア女王の名で、艦隊の1隻であったエンペラー号を幕府に寄贈している。

1859年には、秘書のローレンス・オリファントが中国・日本滞在中の記録をまとめた本を出版した(日本の部分のみ『エルギン卿遣日使節録』として日本語訳されている)。

1861年インド総督に任命されたが、着任の翌年、心筋梗塞で同地で没した。

出典

関連項目

外部リンク

公職
先代:
サー・チャールズ・メトカーフ準男爵
30px ジャマイカ総督
1842年 - 1846年
次代:
ジョージ・バークリー
先代:
第2代キャスカート伯爵
30px カナダ総督
1847年 - 1854年
次代:
サー・エドムンド・ウォーカー・ヘッド準男爵
先代:
初代カニング伯爵
30px インド総督
1862年 - 1863年
次代:
サー・ロバート・ネイピア
スコットランドの爵位
先代:
トマス・ブルース
30px エルギン伯爵
1841年 - 1863年
次代:
ヴィクター・ブルース