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コミューン

commune

11世紀末から 13世紀初めにかけて西・南ヨーロッパで発展した都市の自治的共同体。コミューンにはさまざまの類型があり,その特徴としては,市民が互いに誓約し,相互防衛と相互扶助のために団結したことがあげられる。こうした共同体が可能であった理由として,都市は早い時期から経済的発展を成し遂げ,また時代的にも強力な中央集権的政治権力が存在していなかったことがあげられる。その結果,ある程度の自治を獲得し,市政上の諸問題も処理することができた。しかしコミューンの構成員は,都市の全住民を含むものでなく,実質的に支配したのは,富裕かつ有力な市民 (都市貴族) たちであり,寡頭政治が一般的な形態であった。北イタリアでは 12~13世紀に都市国家が形成され,有力な市民による政治が発達した (コムーネ ) 。一方,11世紀末から 13世紀頃北フランスとフランドルでは,都市司教君主に対する市民の反乱が起こり,誓約共同体が結ばれて国王特許状による自治権を確立した。さらに 12~13世紀初め頃の北ドイツ (ライン川流域,北海・バルト海沿岸) の諸都市では,君主権力が衰えるに及んで都市連合を結成するにいたり,領主権力と対抗した。しかしイタリアを除き,中世のコミューンは 13世紀以降王権による中央集権政策の干渉が強まり,百年戦争の混乱のうちに衰退していった。「パリ・コミューン」などの革命的コミューンは,この概念の近代的転用であり,以後は,左翼の間で一種の政治的シンボルとなった。シンボル化の最大の契機は,カルル・ハインリヒ・マルクスがパリ・コミューンを社会主義国家の現実態ととらえて高く評価し,ウラジーミル・イリイッチ・レーニンがそれを継承してソビエトをコミューン論によって位置づけたことによる。しかし 1960年代に登場した,いわゆるニュー・レフト (新左翼) の思想においては,むしろソビエト連邦や東欧の社会主義国家に対立するシンボルとして掲げられている。これにはマルクスのコミューン論に依拠してソ連型国家を批判するものと,直接それには依拠せず,「管理社会論」に基づいて疎外の回復を自由な小共同体のなかに求める傾向とがある。