アルフレッド・テニスン
初代テニスン男爵アルフレッド・テニスン(Alfred Tennyson, 1st Baron Tennyson, 1809年8月6日 - 1892年10月6日)は、ヴィクトリア朝時代のイギリスの詩人。美しい措辞と韻律を持ち、日本でも愛読された。
生涯と作品
リンカンシャー州サマズビーに牧師の子として生まれる。1831年までケンブリッジ大学に学び、1827年兄のチャールズやフレデリクとともに詩集『Poems by Two Brothers』を出版したが、単独の詩集『Poems Chiefly Lyrical』(1830年)はジョン・キーツの影響を示している。次いで1833年『シャロットの妖姫 The Lady of Shalott』を発表したが酷評され、以来10年間沈黙する。
1832年に学友のハラム(Arthur Henry Hallam)と大陸を旅行するがその翌年にハラムが急死し、強い衝撃を受けて彼を弔う長詩『イン・メモリアム』In Memoriam A.H.H.を書き始め、十数年にわたる自己の思想の成長をも織りこんで1849年に完成させた。友人の死と進化論によって揺れ動く信仰をうたった詩であり、序詩は「つよき神の子、朽ちぬ愛よ」として讃美歌275番に収録されている[1][2]。1842年『Poems by Alfred Tennyson』で名をなし1845年に年金を授与された。1847年に叙事詩『The Princess』を発表し、1850年ウィリアム・ワーズワースの後継者として桂冠詩人となった。この年に結婚している。
1855年『Maud』、1859~64年にかけてアーサー王伝説に取材した『国王牧歌』や、哀れな水夫の物語詩『イノック・アーデン Enoch Arden』(1864年)、『Locksley Hall Sixty Years After』(1886年)を発表し、1884年にはテニスン男爵に叙せられた。1889年の短詩『砂州を越えて Crossing the Bar』は辞世の歌として名高い。
1892年に死去し、ウェストミンスター寺院に埋葬された。葬式では愛唱した讃美歌、「聖なる、聖なる、聖なるかな」が歌われた。次男ハラム(後の第2代オーストラリア総督)が爵位を継いだ。現在、テニスン男爵の爵位は6代目のデヴィッド・テニスン(1960年生まれ)が継承している。
邦訳
- 『アーサー王物語』菅野徳助、奈倉次郎訳註 三省堂
- 『イーノック・アーデン』長谷川康訳1925年
- イノック・アーデン 入江直祐訳 岩波文庫、1933
- 『イン・メモリアム』入江直祐訳 岩波文庫、1934
- 女子大学 深江種明訳.東西社,明40.12.
- イノックアーデン 長谷川康訳.建文館,明44.5.
- テニソンの詩 片上伸訳.隆文館,1920
- イノック・アーデン 幡谷正雄訳.交蘭社,1924
- テニスン小曲集 幡谷正雄訳.交蘭社,1925
- 皇后の告白 滝内秀綱訳.青生書院, 1926
- テニスン詩集 吉川則比古訳.文英堂書店, 1926
- テニスン詩集 井口正名訳.聚英閣, 1926
- イーノック・アーデン 田部重治訳.新潮社,1940 のち角川文庫
- イーノック・アーデェン 竹村覚訳.デパート旭屋出版部,1948.
- テニスン詩選 入江直祐訳.新月社,1948.
- イーノック・アーデン 漁村哀詩 酒井賢訳.堀書店,1949.
- テニソン新詩集 三浦逸雄訳.日本文芸社,1967.
- テニスン詩集 対訳 西前美巳編.2003.4.岩波文庫. イギリス詩人選
- イノック・アーデン 原田宗典訳.岩波書店,2006.10.
- イーノック・アーデン 原田俊孝訳.成美堂,2007.3.
- シャロットの姫 詩の絵本 ジュヌヴィエーヴ・コテ絵 長井芳子訳.バベルプレス,2009.10.
脚注
参考文献
外部リンク
- テニソン アルフレッド:作家別作品リスト - 青空文庫
- 幡谷正雄訳 イノック・アーデン - 物語倶楽部のインターネットアーカイブ。
- Biography & Works (public domain)
- Online copy of 'Locksley Hall'
- Selected Poems of A.Tennyson
- The Twickenham Museum - Alfred Lord Tennyson in Twickenham
宮廷職 | ||
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先代: ウィリアム・ワーズワース |
桂冠詩人 1850年–1892年 |
次代: アルフレッド・オースティン |
イギリスの爵位 | ||
新設 | 初代テニソン男爵 1884年–1892年 |
次代: ハラム・テニム |