3年B組金八先生
『3年B組金八先生』(さんねんビーぐみ きんぱちせんせい)は、1979年(昭和54年)から2011年(平成23年)までの32年間[1][注 1]にわたって、TBS系で断続的に制作・放送されたテレビドラマシリーズ。日本の学園ドラマの金字塔と称される作品である。
概要
1979年からTBSで放送されていた学園ドラマ『桜中学シリーズ』のメインとなる作品。東京都の区立桜中学校[注 2](第3シリーズとスペシャル7・8のみ区立松ヶ崎中学校。いずれも架空)を舞台に、中学校の教員である坂本金八が、学級担任をしている3年B組内に起こる様々な問題を体当たりで解決していく。そんな彼の姿に心を打たれた生徒たちが考えを改め、人間として成長していく様子を描く。
歴代の作品は中学3年時、特に本放送時と同じ時期である2学期中盤[注 3]から卒業時までを取り上げてきた。その中で高校受験、学習発表会での演劇や文化祭での合唱コンクール、ソーラン節の他、中学校での学校行事も取り上げているが、修学旅行と体育祭は作中において一度も取り上げられなかったものもあるが、撮影開始前に名前を覚え、交流を深めるためのホームルーム合宿は行われている。
『金八』の舞台が中学校になった理由について、1978年に他局で高校ドラマを色々とやっており、『熱中時代』は小学校を舞台にしていたため、結果消去法で中学校にした」と述べている[2]。
当初は主人公を岸田智史が演じる予定であったが、「きみの朝」のヒットによりコンサート活動などで多忙となったため、同じ芸能事務所所属の武田鉄矢が出演することが決定。武田が演じた役柄の中で1番のはまり役として有名となる。岸田は次番組『1年B組新八先生』の主人公・新田八郎太で出演することとなり、第1シリーズの最終回に新人教師の紹介として出演している。
主人公の坂本金八の名は、武田が尊敬しているという坂本龍馬と初期の放送枠であった「金曜夜八時」からきている。柳井によると、当時裏番組で『太陽にほえろ!』や『ワールドプロレスリング』が放送されており、この強力な裏番組のために放送された番組がことごとく低視聴率に終わったため、1979年初夏に編成部で「金八[注 4]をどうにかしろ」という合言葉が広がっていたことが発端である[3]。なお、番組上の設定では8人兄弟の8番目だからということになっている[4]。
企画段階では苗字が「坂本」ではなく「阪本」で、さらに英語担当の教員という設定だった。英語の筆記体が書かれた黒板をバックに、右手でチョークを持ちながら人差し指を指す金八を写したスチル写真がTBSに残されている[5]。武田本人によれば「編成と制作の間で行き違いがあって編成は英語教師と思い込んでいた」という[6]。 生徒役は、第1・第2シリーズでは、制作側から指名した役者[注 5]のほか、芸能事務所や児童劇団からの推薦を受けた子役が出演していたが[注 6]、第3シリーズからプロダクションや劇団に所属する役者の中からオーディションで選抜された[注 7]。第4シリーズでは天野ひろゆきと松村邦洋が生徒役オーディションを受けている。特に「金八」人気が再燃した第5シリーズ以降、生徒役を目指す役者が多く集まり、第6シリーズ以降でのオーディション倍率は40 - 43倍となった[注 8][注 9]。「金八先生」の生徒役を演じた役者が、この作品を出世作として、現在も著名人として活躍しているケースは多く、警察沙汰になって有名になった者もいる。
オープニングは毎回俯瞰のアングルで映っている坂本金八が「3年B組ー!」と叫んだ後、出演している生徒たちが「金八先生ー!」と叫びながら金八の周りに駆け寄り、全員で金八を胴上げするといった演出をとっている。また、タイトルバックもシリーズ毎に異なるが、幼稚園児、柔道部やボート部の生徒、ジョギングをしている外国人女性に金八が挨拶する場面は定番として登場した。第1シリーズから32年間、一切これらの演出は改変されなかったため、番組終了後の現在でもパロディにされることが多い。
桜中学校の撮影には、主に東京都足立区立第二中学校(東京未来大学)が使用されていた。しかし第1シリーズ中盤より、話題が妊娠など過激であったため第二中学校側が撮影に難色を示したことから[7]、続編となる第2シリーズでは葛飾区立葛飾小学校、第4シリーズでは足立区立江南中学校が使用された。第5シリーズからは再び第二中学校が使用されていたが、第二中学校は同区立第十六中学校とともに2005年3月31日をもって足立区立千寿桜堤中学校に統合され、廃校となった[注 10]。このため、第8シリーズでは足立区立鹿浜中学校が、ファイナル『最後の贈る言葉』は旧足立区立新田小学校[8]がロケ地になった。第3シリーズでは、東京都立葛飾野高等学校が松ヶ崎中学校として使用されていた。その他、神奈川県立田奈高等学校や東京都立晴海総合高等学校の他、スーパーさくらは「田中屋スーパーZ-ONE東町店」(建替え前は「ニューマートごとう」)を使用。
製作本数はスペシャルを含め185本。金八が定年となるのを理由に[注 11]、2011年3月27日放送のファイナルをもって物語の幕を閉じた。番組終了後は、赤坂サカスの「夏サカス2011〜笑顔の扉〜」イベントで3年B組の教室が再現され『金八』の歴史が展示されたほか、2012年1月、ユーキャンのCMで金八が出演している。ただし、教壇の名簿の生徒名はごくせんの人物になっていた。断続的ではあったが、放送期間32年間という歴史が物語るように、『水戸黄門』や『渡る世間は鬼ばかり』とともに、TBSを代表するドラマ作品となった。
注釈
- ↑ 実際は32学年、放送されていない年を除くと19学年。
- ↑ 第7シリーズ生徒が高校入試へ向かう際の受験票を確認するシーンには、中学校名に「足立区立桜中学校」と記載されているが、校門の門標や屋上の看板には「東京都区立桜中学校」と表示されている。
- ↑ 1クールの放送となった第3シリーズは2学期中盤から2学期末まで。2学期制が導入された第8シリーズでは後期を取り上げた。
- ↑ 金曜の夜八時枠の略称。
- ↑ 杉田や鶴見など。
- ↑ 第1・第2シリーズ内のオープニングで、生徒役の役者が当時所属していた複数の芸能事務所や児童劇団が協力としてクレジットされている。
- ↑ プロダクションや劇団等に所属していない人はオーディションを受けることができなかったが、一般の視聴者から「自分も生徒役で出演したい」との要望も多く寄せられたという(第7シリーズ公式ホームページより)。
- ↑ 生徒役オーディションの倍率は男女合計のもので、男女比に差があるため一定していない。
- ↑ オーディションの様子は各シリーズの公式ホームページ内でも紹介されている。
- ↑ 閉校式を行った2005年3月25日は、第7シリーズの最終回が放送された日である。閉校に先駆け、3月22日には同校において「さよなら二中コンサート」が開かれ、海援隊や3Bの生徒達が駆けつけ、ロケ等でお世話になった学校への名残を惜しんだ。
- ↑ 金八は昭和25年(1950年)8月8日生まれの設定で、定年の年齢(満60歳)に達したため。
出典
- ↑ “金八先生が勤続32年目で“定年” 〜「お別れするときが来た」”. ORICON STYLE (2011年1月22日). . 2016閲覧.
- ↑ 『テレビがくれた夢柳井満編』
- ↑ 古沢(2000)、124頁。
- ↑ 古沢(2000)、294頁、劇中においては第1シリーズ「さよなら金八先生」、第2シリーズ「腐ったミカンの方程式・その2」で兄弟の様子に触れている。
- ↑ 第1シリーズのVHSソフトやDVDソフトのジャケットに使用されている(ただし、英語の筆記体が消されたものもある)ほか、以下のウェブサイトでも確認できる。
- 3年B組の金八先生、定年退職へ 人気ドラマ3月で終了 - 写真ニュース 47NEWS(よんななニュース) 2011年1月21日付
- The History of TBS - TBS Global Site - TBSホームページ英語版に掲載された、社史ページ。
- ↑ 古沢(2000)、191頁。
- ↑ 古沢(2004)、166頁。
- ↑ 足立朝日No.290 2011年3月20日発行。
- 3年B組金八先生
- 桜中学シリーズ
- TBSのスペシャルドラマ
- TBS金曜8時枠の連続ドラマ
- TBS月曜9時枠の連続ドラマ
- TBS木曜9時枠の連続ドラマ
- TBS金曜ドラマ
- 1979年のテレビドラマ
- 1980年のテレビドラマ
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- 2007年のテレビドラマ
- 2011年のテレビドラマ
- 足立区を舞台とした作品
- 武田鉄矢
- 日本民間放送連盟賞優秀賞
- 近藤真彦
- 亀梨和也
- 増田貴久
- 加藤シゲアキ
- 上戸彩
- 薮宏太
- 八乙女光
- スーパーフライデー