「16区 (パリ)」の版間の差分

提供: miniwiki
移動先:案内検索
(1版 をインポートしました)
(内容を「thumb|right|300px|パリ・16区の位置 パリの'''16区 ''' (16く、:{{lang|fr|''16<sup>e</sup> a...」で置換)
(タグ: Replaced)
 
1行目: 1行目:
 
[[ファイル:Paris 16e arr jms.gif|thumb|right|300px|パリ・16区の位置]]
 
[[ファイル:Paris 16e arr jms.gif|thumb|right|300px|パリ・16区の位置]]
  
[[パリ]]の'''16区 ''' (16く、[[フランス語|仏]]:{{lang|fr|''16<sup>e</sup> arrondissement de Paris''}}) は、[[フランス]]の[[首都]]・パリ市を構成する[[パリの行政区|20の行政区]]のひとつである <ref>[[フランス語]]の 「''16<sup>e</sup>'' 」 = 「{{lang|fr|''seizième''}} 」 は、[[英語]]の「''sixteenth'' 」 に相当する[[序数詞|序数]]。「第16の」 「16番目の」を意味する。したがって、原語の「''16<sup>e</sup> arrondissement'' 」を直訳し
+
[[パリ]]の'''16区 ''' (16く、[[フランス語|仏]]:{{lang|fr|''16<sup>e</sup> arrondissement de Paris''}})  
 +
 
 +
[[フランス]]の[[首都]]・パリ市を構成する[[パリの行政区|20の行政区]]のひとつである <ref>[[フランス語]]の 「''16<sup>e</sup>'' 」 = 「{{lang|fr|''seizième''}} 」 は、[[英語]]の「''sixteenth'' 」 に相当する[[序数詞|序数]]。「第16の」 「16番目の」を意味する。したがって、原語の「''16<sup>e</sup> arrondissement'' 」を直訳し
 
すると「第16区」となる。</ref>。第16区、パリ16区ともいう。市の西部に位置しており、[[ブローニュの森]]を含む。南北に蛇行する[[セーヌ川]]に挟まれた区域であり、区の東西でセーヌ川に接している。
 
すると「第16区」となる。</ref>。第16区、パリ16区ともいう。市の西部に位置しており、[[ブローニュの森]]を含む。南北に蛇行する[[セーヌ川]]に挟まれた区域であり、区の東西でセーヌ川に接している。
 
== 概要 ==
 
[[パリ]]の16区は、市の西部にある[[パリの行政区|行政区]]。「パッシー区 ({{lang|fr|''Arrondissement de Passy''}})」と呼ばれることもある<ref>[[レジフランス]] ({{lang|fr|''Légifrance''}}). “[[地方自治一般法典]] ({{lang|fr|''Code Général des Collectivités Territoriales (CGCT)''}})”  [http://www.legifrance.gouv.fr/affichCode.do?idArticle=LEGIARTI000006396737&idSectionTA=LEGISCTA000006192700&cidTexte=LEGITEXT000006070633&dateTexte=20080404 R2512-1条]. 2008年6月26日閲覧.</ref>。[[セーヌ川]]が南北に蛇行する区域にあり、区の東西はセーヌ川に面している。[[ペリフェリック]](パリ環状道路)が区の中央部を縦断しており、その西側が[[ブローニュの森]]となっている。20区のうちでは[[12区 (パリ)|12区]]に次いで2番目に大きい。人口は、161,773人 (1999年。人口の推移等詳細については[[#住民|後述]])。区の名称は、市の中央部から[[時計回り]]に[[螺旋]]を描くようにして各区に付けられた番号を基にしており、当区はその16番目にあたることから、「16区」と名づけられた。
 
 
セーヌ川を挟んで[[エッフェル塔]]の対岸にあたる16区東側(北側)地域一帯は「[[パッシー]](''PASSY'')」と呼ばれ<ref>元々、西側(南側)地域一帯は「[[オートゥイユ]](''AUTEUIL'')」と呼ばれ、「[[パリ改造]]」の流れの中で1860年にパッシー及びオートイユの二つの[[コミューン|コミューヌ]]が合併して「16区」が設立された。</ref><!--英語版 en:16th arrondissement of Paris、フランス語版 fr:Passy (seine)、fr:Auteuil などより-->、“貴族街”と呼ばれる[[アンバリッド|アンヴァリッド]]地区、あるいは[[サンジェルマン|フォーブール・サンジェルマン]]界隈([[7区 (パリ)|7区]])と並んで旧貴族や富裕層が住む[[高級住宅街]]として有名である<ref>{{仮リンク|リセ・ジャンソン=ド=サイイ|fr|Lycée Janson-de-Sailly}}の[[:en:Lycée Janson-de-Sailly|英語版記述]]によると、当校が"パリの最名門校の一校"とされている理由としては、"高級な16区"に居住する[[上流階級]]や[[貴族]]階級の子弟が通っているからだと、社会学者の{{仮リンク|ミシェル・パンソン|fr|Michel Pinçon}}と{{仮リンク|モニーク・パンソン=シャルロ|fr|Monique Pinçon-Charlot}}らは言う。<!--英語版 en:06:06, 29 July 2016 WhisperToMe の版より参照引用。但し、英語版にも脚注はついておらず。-->また、フランスの人気[[お笑いトリオ]]「レ・ザンコンニュ ([[:fr:Les Inconnus|Les Inconnus]])」は、 [[ラップ]]調の曲『Auteuil Neuilly Passy (Rap B.C.B.G.)』(1991年)で、''"[[オートゥイユ]] [[ヌイイ=シュル=セーヌ|ヌイイ]] パッシー、コレが深窓のお坊ちゃまの[[ゲットー]]"''と[[シニカル]]に[[ウイット]]たっぷりに表現した。</ref><!--一例に、http://blogs.yahoo.co.jp/happy_and_lucky_come_come/36856003.html-->。
 
 
[[File:Métro Passy.jpg|thumb|right|230px|メトロ パッシー駅, [[ビル・アケム橋|ビラケム橋]]]]
 
16区の主要な施設としては、[[シャイヨ宮]]、[[トロカデロ・11月11日広場]](トロカデロ広場)、[[パリ市立近代美術館]]、[[パルク・デ・プランス]]などのほか、[[8区 (パリ)|8区]]、[[17区 (パリ)|17区]]との境界に[[エトワール凱旋門]]がある。また、[[ブローニュの森]] には、[[バガテル庭園]]、[[ダクリマタシオン庭園|ダクリマタシオン遊園地]]、[[ロンシャン競馬場]]、[[スタッド・ローラン・ギャロス]]などがある。
 
 
なお、セーヌ川に沿った地域のうち、[[イエナ橋]]より上流は「[[パリのセーヌ河岸]]」として[[世界遺産]]に登録されている。
 
 
== 地理 ==
 
<!-- [[画像:Paris 16th.png|thumb|right|300px|パリ・16区の詳細地図]] ※ 現在、画像無し。-->
 
[[File:Paris 16th arrondissement map with listings.png|thumb|right|260px|パリ・16区の概略図]]
 
16区は、パリの西部に位置している。南北に蛇行する[[セーヌ川]]に挟まれた区域にあり、東西でセーヌ川に接している。市内では、セーヌ川の北岸地域にあたり <ref>セーヌ川の右岸にあたる。</ref>、[[エッフェル塔]]のある[[シャン・ド・マルス公園]]の対岸にある。[[ペリフェリック]] (パリ環状道路)が、区のほぼ中央部を縦断しており、その西側の地域は[[ブローニュの森]]となっている。面積は16.31 平方キロメートルで、20区のうちでは[[12区 (パリ)|12区]]に次いで2番目に大きい。ブローニュの森を除くと7.85 平方キロメートルとなる。[[画像:Passy et Bois du Boulogne.jpg|thumb|right|280px|[[エッフェル塔]]から[[パッシー]]を望む。奥に[[ブローニュの森]]、下は[[シャイヨ宮]]。]]
 
 
北は、同じ[[パリの行政区]]である[[8区 (パリ)|8区]]と[[17区 (パリ)|17区]]に接しているが、ペリフェリック以西は[[オー=ド=セーヌ県]]の[[コミューン|自治体]]である[[ヌイイ=シュル=セーヌ]]に接している。南は、同じくオー=ド=セーヌ県の[[ブローニュ=ビヤンクール]]に接している。東は、セーヌ川を挟んで[[7区 (パリ)|7区]]と[[15区 (パリ)|15区]]に接している。西は、南から蛇行してきたセーヌ川を挟んで、北西は[[ピュトー]]、西は[[シュレンヌ]]、南西は[[サン=クルー]]の各自治体に接している。
 
<!--
 
※ 20区共通のフォーマットを使用しています。
 
-->
 
[[File:Rue la fontaine 19-21, 07.JPG|thumb|right|270px|[[:fr:Rue Agar|Rue Agar]]]]
 
 
=== 地形 ===
 
* [[アンフェリウール湖]] ({{lang|fr|''Lac Inférieur''}}) – [[ブローニュの森]]東部にある。
 
* [[シュペリウール湖]] ({{lang|fr|''Lac Supérieur''}}) – ブローニュの森南東部にある。
 
<!--
 
主な地形(山、丘など)について、種別ごとに、その名称を箇条書きします(五十音順)。
 
数が少ない場合には、種別(「山地・丘陵」「河川・水路」など)を省略することができます。
 
* 山地・丘陵
 
** [[○○山]] ({{lang|fr|''''}})
 
** [[○○丘]] ({{lang|fr|''''}})
 
* 河川・水路
 
** [[○○川]] ({{lang|fr|''''}})
 
** [[○○運河]] ({{lang|fr|''''}})
 
* 河岸
 
** [[○○河岸]] ({{lang|fr|''''}})
 
* 湖沼
 
** [[○○湖]] ({{lang|fr|''''}})
 
** [[○○池]] ({{lang|fr|''''}})
 
* 海岸・湖岸
 
** [[○○海岸]] ({{lang|fr|''''}})
 
** [[○○浜]] ({{lang|fr|''''}})
 
* 坂
 
** [[○○坂]] ({{lang|fr|''''}})
 
=== 気候 ===
 
-->
 
=== 隣接する自治体(行政区) ===
 
* [[パリの行政区]]のうち、以下の区。
 
**  [[7区 (パリ)|7区]]、[[8区 (パリ)|8区]]、[[15区 (パリ)|15区]]、[[17区 (パリ)|17区]]。
 
* [[オー=ド=セーヌ県]]のうち、以下の[[コミューン|自治体]]。
 
** [[サン=クルー]]、[[シュレンヌ]]、[[ヌイイ=シュル=セーヌ]]、[[ピュトー]]、[[ブローニュ=ビヤンクール]]。
 
<!--=== 範囲 ===
 
-->
 
=== 地区(カルチェ) ===
 
[[File:Paris 16e arrondissement - Quartiers.svg|thumb|right|220px|カルティエ区分図]]
 
パリの[[行政区]]は、それぞれ4つの地区(カルチェ)に区分されている。16区を構成する4地区のコードと名称は、次のとおりである。
 
* 61 - [[オートゥイユ地区]] ({{lang|fr|''Quartier d'Auteuil''}})
 
* 62 - [[ラ・ミュエット地区]] ({{lang|fr|''Quartier de la Muette''}}) - <!-- laより大文字の La、ゆえに"ラ・ミュエット"と通称される-->
 
* 63 - [[ポルト=ドーフィーヌ地区]] ({{lang|fr|''Quartier de la Porte-Dauphine''}})
 
* 64 - [[シャイヨ地区]] ({{lang|fr|''Quartier de Chaillot''}})
 
[[File:View from the Eiffel Tower, April 2011 001.jpg|thumb|right|260px|エッフェル塔から見るシャイヨ地区]]
 
 
== 住民 ==
 
=== 人口 ===
 
16区の人口は、1962年に227,418人となり、ピークに達した。しかし、その後は減少を続け、1999年にはピーク時の7割程度の161,773人となった。2005年の推計では146,900人と見積もられており、人口の更なる減少が見込まれている。
 
 
また、人口の減少とともに人口密度も減り続けており、1999年の人口密度(区の面積から[[ブローニュの森]]を除いて算出)は、ピーク時の7割程度の20,619人となっている。人口の推移の詳細は、次のとおりである。
 
 
{| class="wikitable" style="width:90%; margin:0 auto"
 
! 年 !! 区人口 !! 市人口 !! 区人口/市人口 !! 区人口密度 !! 市人口密度 !! 備考
 
 
|- style="text-align:right; background-color:#FFFFFF"
 
! style="width:4em; text-align:right" | [[1872年]]
 
| style="width:6em" | 43,332 || style="width:6em" | 1,851,792 || style="width:5em" | 2.34% || style="width:6em" | 5,523 || style="width:6em" | 21,303 || style="text-align:left" |
 
 
|- style="text-align:right; background-color:#EEEEEE"
 
! style="text-align:right; background-color:#EEEEEE" | [[1954年]]
 
| 214,042 || 2,850,189 || 7.51% || 27,280 || 32,788 || style="text-align:left" |
 
 
|- style="text-align:right; background-color:#FFFFFF"
 
! style="text-align:right" | [[1962年]]
 
| 227,418 || 2,790,091 || 8.15% || 28,985 || 32,097 || style="text-align:left" | 人口がピークに達する。
 
 
|- style="text-align:right; background-color:#EEEEEE"
 
! style="text-align:right; background-color:#EEEEEE" | [[1968年]]
 
| 214,120 || 2,590,771 || 8.26% || 27,290 || 29,804 || style="text-align:left" |
 
 
|- style="text-align:right; background-color:#FFFFFF"
 
! style="text-align:right" | [[1975年]]
 
| 193,590 || 2,299,830 || 8.42% || 24,674 || 26,457 || style="text-align:left" |
 
 
|- style="text-align:right; background-color:#EEEEEE"
 
! style="text-align:right; background-color:#EEEEEE" | [[1982年]]
 
| 179,446 || 2,176,243 || 8.25% || 22,871 || 25,035 || style="text-align:left" |
 
 
|- style="text-align:right; background-color:#FFFFFF"
 
! style="text-align:right" | [[1990年]]
 
| 169,863 || 2,152,423 || 7.89% || 21,650 || 24,761 || style="text-align:left" |
 
 
|- style="text-align:right; background-color:#EEEEEE"
 
! style="text-align:right; background-color:#EEEEEE" | [[1999年]]
 
| 161,773 || 2,125,246 || 7.61% || 20,619 || 24,449 || style="text-align:left" |
 
 
|- style="text-align:right; background-color:#FFFFFF"
 
! style="text-align:right" | [[2005年]]
 
| 146,900 || 2,166,200 || 6.78% || 18,723 || 24,920 || style="text-align:left" | 人口は推計。
 
 
|}<small>
 
* 注意
 
** [[人口密度]]は、1平方キロメートルあたりの[[人口]]。区人口密度は、16区の面積を、森林部([[ブローニュの森]])を除いた7.846平方キロメートルとして算出した。また、市人口密度は、森林部(ヴァンセンヌの森、[[ブローニュの森]])を除くパリ市全体の面積(86.927平方キロメートル)をもとに算出した。
 
** 1962年から1999年までの区人口及び市人口は、[[フランス国立統計経済研究所]]の[http://www.insee.fr/fr/themes/detail.asp?ref_id=poplog-com&reg_id=99 データ ({{lang|fr|''Île-de-France''}} )]を参考とした。
 
</small>
 
<!--
 
・人口の推移・密度・地域別・年齢別・所得層・学歴・治安
 
・少数民族・移民・外国人
 
=== 言語 ===
 
・公用語・言語・方言・使用者の比率
 
-->
 
 
== 歴史 ==
 
{{節スタブ}}
 
<!--
 
=== 年表 ===
 
* [[XXXX年]][[XX月XX日]] ○○○
 
-->
 
 
== 政治・行政・司法 ==
 
<!--
 
=== 区政 ===
 
* 区長(任期)
 
** ○○ ○○ (第2期: [[XXXX年]] – [[XXXX年]])
 
** ○○ ○○ (第1期: [[XXXX年]] – 現職)
 
* 議会
 
* 選挙
 
* 行政機構
 
* 財政
 
* 施策
 
** ○○政策 (○○に関する施策。特色は・・・。)
 
** ○○条例 (○○に関しては、全国初の条例。特徴は・・・、)
 
=== 姉妹都市 ===
 
* 国内
 
** [[○○市]]([[○○県]])- [[XXXX年]][[XX月XX日]]姉妹都市提携。
 
* 海外
 
* {{flagicon|国名}} [[○○市]] ([[国名]]・[[州名など]]) - [[XXXX年]][[XX月XX日]]姉妹都市提携。
 
=== 国・地域圏・県の行政 ===
 
* 国
 
* 地域圏
 
* 県
 
=== 司法 ===
 
司法について、特記事項があれば、記述します。
 
-->
 
=== 主な官公庁・公共機関 ===
 
* 経済社会環境会議(経済社会環境評議会, [[:fr:Conseil économique, social et environnemental|''Conseil économique, social et environnemental'']])
 
** パレ・イエナ (パレ・ディエナ, [[:fr:Palais d'Iéna|Palais d'Iéna]]) 内に置かれている経営者・労働組合・団体間による[[国民議会 (フランス)|国民議会]]の諮問機関。[[元老院 (フランス)|元老院]]への統合も検討されている。パレ・イエナには、[[国際商業会議所]]本部も置かれている。
 
* [[第16区役所 (パリ)|第16区役所]]({{lang|fr|''Mairie du 16<sup>e</sup> arrondissement''}})
 
** トロカデロ・11月11日広場(トロカデロ広場)の西方、アンリ=マルタン大通り沿いにある。
 
<!--
 
* [[○○省]] ({{lang|fr|''''}})
 
・国の機関(司法機関を含む)
 
・地域圏の機関
 
・市・区の機関
 
・警察・消防は、後述の「安全」節に記述。
 
・郵便局・電話・通信・ライフライン関連は後述の「生活」節に記述。
 
 
== 軍事 ==
 
区内にある軍事関連施設について、記述します。ただし、省庁(国防省など)は、「政治・行政」に記述します。
 
* ○○○(駐屯地名)
 
* ○○士官学校
 
-->
 
 
== 国際機関 ==
 
[[File:Paris chateau muette.jpg|thumb|250px|OECD本部(旧ラ・ミュエット宮殿)]]
 
* [[経済協力開発機構|経済協力開発機構本部]](OECD本部, {{lang-fr-short|''Organisation de Coopération et de Développement Économiques (OCDE)''}})
 
** 本部を置く{{仮リンク|ラ・ミュエット宮殿|fr|Château de la Muette (Paris)}}は、[[ルイ16世 (フランス王)|ルイ16世]]、[[マリー・アントワネット]]が新婚生活を送った地。[[フランス革命]]で破壊されたが、1912-1922年にかけて、[[ナサニエル・ド・ロスチャイルド|ナタニエル・ド・ロチルド]]の孫{{仮リンク|アンリ・ド・ロチルド|fr|Henri de Rothschild}}(実業家、[[フィランソロピー|フィランソロピスト]])が再建し、その後居住した。<!--アンリ・ド・ロチルドのフランス語版より-->
 
* [[国際商業会議所]]({{lang|fr|''Chambre de commerce internationale''}})
 
** パレ・イエナ (パレ・ディエナ, {{lang-fr-short|''Palais d'Iéna''}}) 内に置かれている国際通商組織。
 
<!--* ○○○(国際機関名)-->
 
 
== 外国の施設 ==
 
<gallery mode="packed" caption="" heights="160">
 
Turkish embassy in Paris-Erd1.jpg|ランバル館の駐仏トルコ大使館
 
Plaque Nerval-Gounod-Maupassant, 16 avenue de Lamballe, Paris 16.jpg|ランバル大通りの[[プラーク]] « ランバル館に、[[ジェラール・ド・ネルヴァル]]は1853-1854年の間, [[シャルル・グノー]]は1857年、[[ギー・ド・モーパッサン]]は1892年に療養し翌年死去 ».
 
P1250278 Paris XVI rue de Berton maison de Balzac rwk.jpg|オテル・ド・ランバルとメゾン・ド・[[オノレ・ド・バルザック|バルザック]]との間を走るベルトン通り ([[:fr:Rue Berton|Rue Berton]]) 24番地界隈
 
Rue Berton.JPG|現在のベルトン通り
 
Borne limitative des seigneuries d'Auteuil et de Passy - Vue générale de la rue - Paris 16 - Médiathèque de l'architecture et du patrimoine - APMH00037917.jpg|1901年のベルトン通り ([[ウジェーヌ・アジェ]]撮影)
 
P1250285 Paris XVI rue Berton rwk.jpg|アンカラ通りからベルトン通りへの入り口 (Entrée de la rue, côté [[:fr:Rue d'Ankara|rue d'Ankara]])
 
</gallery>
 
{{message galerie}}
 
16区内には各国[[大使館]]等が多く所在する。[[モナコ]]、[[トルコ]]、[[ボリビア]]・・など90ヶ国以上の駐仏大使館が16区内にあり、[[フランス]]駐在大使館の約4割が集中する。
 
* トルコ大使館
 
** "ランバル公邸 ([[:fr:Hôtel de Lamballe]])"ないしランバル館として知られている。セーヌ川沿いの{{仮リンク|ランバル大通り|fr|Avenue de Lamballe}}に位置する。元は王妃[[マリー・アントワネット]]の女官総監の地位を一旦追われた[[ランバル公妃マリー・ルイーズ]]が居住した邸宅だった。1846年からブランシュ精神科療養所ないし病院に用いられた。作曲家[[シャルル・グノー]]、[[ナポレオン3世]]の愛人カスティリオンヌ伯爵夫人[[ヴィルジニア・オルドイーニ]]、詩人[[ジェラール・ド・ネルヴァル]]、画家[[ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ]]らが患者として療養していた。作家[[ギー・ド・モーパッサン]]はこの療養所で亡くなった。建物自体は[[第一次世界大戦|第一次]]-[[第二次世界大戦]]間に壊されたが、すぐに精密に再建された。第二次大戦後から駐仏トルコ大使館に用いられている。
 
<!--* 領事館
 
** ○○領事館
 
-->
 
 
== マスコミ ==
 
[[File:Chateau-de-passy.tiff|thumb|250px|旧ブーランヴィリエ城([[:fr:Château de Boulainvilliers|fr]]、現ラジオ・フランス)。または "パッシー城"]]
 
 
<!--
 
=== 新聞社 ===
 
* [[○○新聞社|○○新聞本社]]
 
-->
 
=== 放送局(テレビ・ラジオ) ===
 
* [[ラジオ・フランス|ラジオ・フランス本社]] ({{lang|fr|''Radio France''}})
 
** [[メゾン・ド・ラジオ・フランス]]([[:fr:Maison de la Radio (France)|Maison de la Radio (France)]])内にある[[ラジオ放送局]]。かつてこの一帯は{{仮リンク|ブーランヴィリエ城|fr|Château de Boulainvilliers}}が建っていた。徴税請負人の新興貴族かつ音楽等のパトロンだったアレクサンドル・ル・リシュ・ド・ラ・プーピリニエール([[:fr:Alexandre Le Riche de La Pouplinière|fr]])の死後の1762年、[[ルイ・ジャン・マリー・ド・ブルボン|パンティエーヴル公]]が所有。その後、[[フランス革命]]期もお城や庭園に損傷もなく乗り切ったが、[[ワーテルローの戦い]]のあった1815年にイギリス人が購入。1826年に三分割した上で投機家らに売却したため荒廃してしまった。<!--:fr:Château de Boulainvilliers 参照-->
 
<!--
 
=== その他 ===
 
* [[○○出版社]]
 
-->
 
== 経済 ==
 
<!--=== 産業 ===
 
* 第一次産業
 
* 第二次産業
 
* 第三次産業
 
=== 主な繁華街 ===-->
 
=== 主な企業 ===
 
* [[グループPSA]]本社 ({{lang|fr|''Groupe PSA''}})
 
** [[プジョー]]を中心とする[[持株会社]]。グランダルメ大通り (avenue de la Grande-Armée) 75番地に所在する。
 
* [[NRJグループ]] ({{lang|fr|''NRJ Group''}})
 
** 1981年創業の[[マルチメディア]]事業会社。ボイロー通り ([[:fr:Rue Boileau (Paris)|Rue Boileau]]) 22番地に所在する。
 
<!--=== 主な工場 ===
 
-->
 
 
=== 主な店舗・商業施設 ===
 
* パッシー・プラザ({{lang|fr|''Passy Plaza''}})
 
** パッシー通り ({{lang|fr|''Rue de Passy''}}) 53番地にある[[ショッピングセンター]]。スーパーマーケットのモノプリ ([[:fr:Monoprix (France)|Monoprix]]) 等がある。
 
* フランク・エ・フィス({{lang|fr|''Franck et Fils''}})
 
** パッシー通り80番地にあったプチ高級百貨店だったが2016年7月閉店。跡には、[[7区 (パリ)|7区]]セーヴル通り ({{lang|fr|''Rue de Sèvres''}}) 38番地にあり、[[ボン・マルシェ百貨店]]隣り、かつ同系列の高級食品店ないしスーパーの「ラ・グランド・エピスリー・ド・パリ ({{lang|fr|''La Grande Epicerie de Paris''}})」2号店が2017年秋にオープン。
 
* [[セリーヌ]]({{lang|fr|''Celine''}})
 
** [[エトワール凱旋門]]至近ヴィクトル・ユーゴー大通り ({{lang|fr|''Avenue Victor Hugo''}}) 3番地にある。他の路面店ないし[[旗艦店]]は、[[8区 (パリ)|8区]]モンテーニュ大通り ({{lang|fr|''Avenue Montaigne''}}) 53番地、高級ブランド店が集積する[[サン=ジェルマン=デ=プレ]]界隈7区グルネル通り ({{lang|fr|''Rue de Grenelle''}}) 16番地等にある。
 
* [[バカラ (ガラス)|バカラ]]・メゾン・パリ({{lang|fr|''Baccarat''}})
 
** 2003年に開館した[[クリスタルガラス]]のバカラのブティックや美術館。[[エトワール凱旋門]]から凡そ500m南側、イエナ大通り沿い合衆国広場 (エタ=ジュニ広場, {{lang|fr|''Place des Étas-Unis''}}) 11番地にある。ブティックの他、レストラン&バー (クリスタルルーム・バカラ・パリ)、バカラ美術館 (ギャルリー=ミュゼ・バカラ) がある。建物自体は、芸術関連の[[メセナ]]や、建築上「[[ノアイユ子爵夫妻邸]] ([[ヴィラ]]・ノアイユ)」で知られるシャルル・ド・ノアイユ ([[:fr:Charles de Noailles (1891-1981)|fr]])の妻マリ=ロール・ド・ノアイユ ([[:fr:Marie-Laure de Noailles|fr]]) が[[社交]]や居住に用いた館であった。その他、8区フォーブール=サントノレ通りや百貨店等に店舗がある。<!--http://boutique.baccarat.fr/cristal/fr/paris 参照-->
 
<!--* [[複合施設・大型施設名]] ({{lang|fr|''''}})
 
* [[金融機関名]] ({{lang|fr|''''}})
 
* [[店舗名]] ({{lang|fr|''''}})
 
=== 主な商店街 ===
 
* [[○○商店街]] ({{lang|fr|''''}})
 
* [[○○・パサージュ]] ({{lang|fr|''''}})
 
 
== 安全 ==
 
=== 警察等 ===
 
統括機関(例 パリ警視庁)は、「政治・行政・司法」節に記述します。
 
* [[○○警察署]] ({{lang|fr|''''}})
 
* [[○○刑務所]] ({{lang|fr|''''}})
 
=== 消防 ===
 
* [[○○消防署]] ({{lang|fr|''''}})
 
=== その他 ===
 
* [[○○防災センター]] ({{lang|fr|''''}})
 
* [[○○遊水地]] ({{lang|fr|''''}})
 
-->
 
 
== 健康・福祉 ==
 
=== 保健・医療 ===
 
* [[サント=ペリーヌ病院]] ({{lang|fr|''Hôpital Sainte-Périne''}})
 
<!--
 
* [[○○保健センター]] ({{lang|fr|''''}})
 
=== 福祉 ===
 
数が多い場合は、「高齢者福祉」「児童福祉」「障害者福祉」「社会福祉」に分割した方がわかりやすいかもしれません。
 
* [[○○高齢者センター]] ({{lang|fr|''''}})
 
* [[○○児童福祉センター]] ({{lang|fr|''''}})
 
=== その他 ===
 
* [[○○施設]] ({{lang|fr|''''}})
 
 
== 生活 ==
 
=== 郵便 ===
 
統括機関(例 中央郵便局)は、「政治・行政・司法」節に記述します。
 
* [[○○郵便局]] ({{lang|fr|''''}})
 
=== 電話・通信 ===
 
* [[○○電話局]] ({{lang|fr|''''}})
 
=== 電気・ガス ===
 
* [[○○電気△△支店]] ({{lang|fr|''''}})
 
* [[○○ガス△△支社]] ({{lang|fr|''''}})
 
=== 上水道 ===
 
* [[○○水道局△△出張所]] ({{lang|fr|''''}})
 
=== 下水道 ===
 
* [[○○下水道局△△出張所]] ({{lang|fr|''''}})
 
* [[○○下水処理場]] ({{lang|fr|''''}})
 
-->
 
=== 墓地等 ===
 
* [[パッシー墓地]] ({{lang|fr|''Cimetière de Passy''}})
 
<!--
 
* [[○○葬儀場]] ({{lang|fr|''''}})
 
=== その他 ===
 
* [[○○清掃局△△支所]] ({{lang|fr|''''}})
 
* [[○○センター]] ({{lang|fr|''''}})
 
-->
 
 
== 学術・研究 ==
 
=== 研究施設 ===
 
* [[フランス国立科学研究センター]](CNRS、{{lang|fr|''Centre national de la recherche scientifique''}}) - フランス各地の大学など[[高等教育機関]]とも調査研究・教育で提携している。
 
<!--* [[○○研究所]] ({{lang|fr|''''}})
 
-->
 
 
== 教育 ==
 
=== 大学等 ===
 
* [[パリ第9大学]] (パリ・ドーフィーヌ) ({{lang|fr|''Université Paris IX (Paris Dauphine)''}})
 
<!--
 
* [[国立○○学校]] ({{lang|fr|''''}})
 
* [[○○大学校]] ({{lang|fr|''''}})
 
* [[○○大学]] ({{lang|fr|''''}})
 
* [[○○短期大学]] ({{lang|fr|''''}})-->
 
=== 高等学校 ===
 
<!--* ○○公私立○○高等学校
 
* 私立○○高等学校
 
* 私立○○高等専門学校-->
 
※ 以下、区内の主な[[リセ]]をピックアップ。{{main|fr:Liste des collèges et lycées de Paris}}
 
*{{仮リンク|リセ・ジャンソン=ドゥ=サイイ|fr|Lycée Janson-de-Sailly}}(公立)
 
** パリの最名門校の一つ。卒業生ないし出身者については「[[:fr:Catégorie:Élève du lycée Janson-de-Sailly|Catégorie:Élève du lycée Janson-de-Sailly]] (仏語版)」を参照。
 
*{{仮リンク|リセ・ジャン=ドゥ=ラ=フォンテーヌ|fr|Lycée Jean-de-La-Fontaine (Paris)}}(公立)
 
*{{仮リンク|リセ・モリエール|fr|Lycée Molière (Paris)}}(公立)
 
*{{仮リンク|リセ・サン=ルイ=ドゥ=ゴンザーグ|fr|Lycée Saint-Louis-de-Gonzague}}(私立)
 
*{{仮リンク|リセ・サン=ジャン=ドゥ=パッシー|fr|Lycée Saint-Jean-de-Passy}}(私立)
 
<!--
 
=== 中学校 ===
 
* ○○市町村立○○中学校
 
=== 小学校 ===
 
* ○○市町村立○○小学校
 
=== 幼稚園・保育園 ===
 
* [[○○保育園]] ({{lang|fr|''''}})
 
* [[○○幼稚園]] ({{lang|fr|''''}})
 
=== その他 ===
 
* [[○○盲学校]] ({{lang|fr|''''}})
 
* [[○○料理学校]] ({{lang|fr|''''}})
 
* [[○○市民カレッジ]] ({{lang|fr|''''}})
 
-->
 
 
== 宿泊施設 ==
 
=== 主な宿泊施設 ===
 
<!--* [[○○ホテル]] ({{lang|fr|''''}})
 
-->
 
* [[シャングリ・ラ・ホテルズ&リゾーツ|シャングリ・ラ・オテル・パリ]]({{lang|fr|''Shangri-La Hôtel Paris''}}) - イエナ大通り10番地に所在する。
 
* [[香港&上海ホテルズ|オテル・ペニンシュラ・パリ]]({{lang|fr|''Hôtel The Peninsula Paris''}}) - クレベール大通り19番地に所在する。
 
* [[ウォルドルフ=アストリア|オテル・ウォルドーフ・トロカデロ・パリ]]({{lang|fr|''Hôtel Waldorf Trocadéro Paris''}}) - ロリストン通り97番地に所在する。
 
 
== 文化施設 ==
 
<gallery mode="packed" caption="" heights="160">
 
File:Paris arrondissement XVI.jpg|パリ16区の建築群
 
File:Musée Galliera, Paris 21 July 2017.jpg|スクアール・ブリニョル・ガリエラ, パリ市立モードと衣装の美術館 ''(ガリエラ美術館, Square Brignole Galliera et [[:fr:Musée Galliera|Musée Galliera]])'', 2017年7月
 
File:Le musée Galliera à Paris.jpg|ガリエラ美術館, 2010年4月
 
File:Paris - panoramio (492).jpg|バカラ美術館 ([[:fr:Musée Baccarat (Paris)|Musée Baccarat]]), 2014年9月
 
File:Paris - panoramio (487).jpg|バカラ美術館, 2014年9月
 
File:Expo-afrique-musee-dapper.jpg|『''アフリカの香水''』展, ダッペール美術館, 2005年 ''(Exposition "Afrique en parfums au [[:fr:Musée Dapper|Musée Dapper]] à Paris,  en 2005)''
 
File:Le jardin japonais (musée Guimet) (5422097133).jpg|[[ギメ東洋美術館]]の[[日本庭園]], 2011年2月
 
File:Le Musée Guimet vu de la rue Boissière.JPG|ボワシエール通りから見るギメ東洋美術館, 2015年4月
 
File:P1180768 Paris XVI square Charles-Dickens rwk.jpg|ワイン博物館 ([[:fr:Musée du Vin|Musée du Vin]]), 2013年6月
 
File:Scène Champagne.jpg|『[[シャンパーニュ]]の製造シーン』ワイン博物館, 2008年4月
 
File:Paris 2014 - Visita à exposição de obras impressionistas.jpg|[[マルモッタン美術館]], 2014年5月
 
File:Paris.- Musée Marmottan Monet (1).jpg|マルモッタン美術館中庭
 
File:Musée d'Art moderne de la Ville de Paris.jpg|[[パリ市立近代美術館]], 2006年9月
 
File:Robert Delaunay, 1926, Tour Eiffel, oil on canvas, 169 × 86 cm, Musée d'Art Moderne de la ville de Paris.jpg|『[[エッフェル塔]]』(1926年, [[ロベール・ドローネー]]作, パリ市立近代美術館)
 
File:Fondation Singer-Polignac.jpg|シンガー=ポリニャック財団, 2017年6月
 
</gallery>
 
{{message galerie}}
 
 
=== 美術館・博物館 ===
 
* [[海洋博物館 (パリ)|海洋博物館]] ({{lang|fr|''Musée National de la Marine''}}) - [[シャイヨ宮]]内にある。
 
* [[ガリエラ美術館]] ({{lang|fr|''Musée Galliera''}}) - 正式名称は、パリ市立モードと衣装の美術館。ガリエラ宮と呼ばれる。
 
* [[贋造博物館]] ({{lang|fr|''Musée de la Contrefaçon''}})
 
* [[ギメ東洋美術館]] (ギメ美術館) ({{lang|fr|''Musée National des Arts Asiatiques-Guimet (Musée Guimet)''}})
 
* [[クレマンソー博物館]] ({{lang|fr|''Musée Clémenceau''}}) - 元首相[[ジョルジュ・クレマンソー]]が、1895年からその死まで居住した建物と庭が当時のまま保存してある。ベンジャマン=フランクラン通り8番地にあり、[[メトロ (パリ)|メトロ]]のパッシー駅と[[トロカデロ駅]]が最寄り駅。
 
* [[国立民俗民芸博物館]] ({{lang|fr|''Musée National des Arts et Traditions Populaires''}}) - [[ブローニュの森]]北部にある。
 
* [[人類博物館]] ({{lang|fr|''Musée de l'Homme''}}) - シャイヨ宮内にある。
 
* [[ダッペール美術館]] ({{lang|fr|''Musée Dapper''}}) - [[セネガル]]などのアフリカ関係の美術館。
 
* [[テニス博物館]] ({{lang|fr|''Tenniseum''}}) - あるいは、テニス博物館 (Musée du Tennis), ローラン=ギャロス博物館 (Musée de Roland-Garros)。
 
* [[バカラ美術館]] ({{lang|fr|''Musée Baccarat''}}) - [[メゾン]]やレストラン&バー等と共に、イエナ大通り界隈合衆国広場にある[[バカラ (ガラス)|バカラ]]の複合施設内にある美術館 (ギャルリー=ミュゼ・バカラ)。建物自体は、芸術関連の[[メセナ]]や、建築上「[[ノアイユ子爵夫妻邸]] ([[ヴィラ]]・[[ノアイユ]])」で知られるシャルル・ド・ノアイユ ([[:fr:Charles de Noailles (1891-1981)|fr]])の妻マリ=ロール・ド・ノアイユ ([[:fr:Marie-Laure de Noailles|fr]]) が社交や居住に用いた館であった。
 
* [[パリ市立近代美術館]] ({{lang|fr|''Musée d'Art Moderne de la Ville de Paris''}}) - [[パレ・ド・トーキョー]]内にある。
 
* [[バルザック記念館]] ({{lang|fr|''Maison de Balzac''}}) - [[オノレ・ド・バルザック|バルザック]]の旧宅を記念館として使用している。メトロのパッシー駅、トロカデロ駅等が最寄り駅。
 
* [[マルモッタン美術館]] ({{lang|fr|''Musée Marmottan''}})
 
* [[ラジオ・フランス博物館]] ({{lang|fr|''Musée de Radio France''}}) - [[ラジオ・フランス|メゾン・ド・ラジオ・フランス]]内にある[[博物館]]。
 
* [[ワイン博物館]] ({{lang|fr|''Musée du Vin''}})
 
* [[フォンダシオン・ルイ・ヴィトン|ルイ・ヴィトン美術館]] ({{lang|fr|''Foundation Louis Vuitton''}}) - ブローニュの森北東部に位置する。
 
* [[ピエール・ベルジェ=イブ・ サンローラン財団]] ({{lang|fr|''Fondation Pierre Bergé - Yves Saint Laurent''}}) - [[8区 (パリ)|8区]]至近マルソー大通り ([[:fr:Avenue Marceau|Avenue Marceau]]) 5番地にある[[イヴ・サン=ローラン]]の[[オートクチュール]]専用[[メゾン]](店舗)だった。2002年に[[公施設法人]]の財団となり、2017年10月に同マルソーと[[マラケシュ]]に美術館が開館する。
 
 
=== 動物園・水族館 ===
 
* [[シネアクア]] ({{lang|fr|''CinéAqua''}}) – トロカデロ庭園内にある[[水族館]]。
 
 
=== 映画館・劇場 ===
 
* シャイヨ劇場 ({{lang|fr|''Théâtre National de Chaillot''}}) - [[シャイヨ宮]]内にある。
 
* マジェスティック・パッシー ({{lang|fr|''Majestic Passy''}}) - パッシー通りにある映画館。
 
<!--
 
* [[○○劇場]] ({{lang|fr|''''}})
 
=== その他 ===
 
* [[○○図書館]] ({{lang|fr|''''}})
 
-->
 
 
=== その他 ===
 
* シンガー・ポリニャック財団 ({{lang|fr|''Fondation Singer-Polignac''}}) - [[ポリニャック公爵夫人ヨランド・ド・ポラストロン|ポリニャック公爵夫人]]の孫 {{仮リンク|エドモン・ド・ポリニャック|fr|Edmond de Polignac}}の妻[[ウィナレッタ・シンガー]]が1943年に亡くなった後、"ポリニャック公妃館"は芸術から学術まで[[メセナ]]を行う[[公施設法人]]財団になり現在に至る。トロカデロ界隈の{{仮リンク|ジョルジュ=マンデル大通り|fr|Avenue Georges-Mandel}}43番地から同地裏手{{仮リンク|シェフェール通り|fr|Rue Scheffer}}46番地界隈にある。
 
 
== 体育施設 ==
 
[[File:Ladies at Longchamp 1908.jpg|thumb|190px|right|''[[ロンシャン競馬場|ロンシャン]]の[[淑女]]たち (Mesdames à Longchamp)'', 1908年]]
 
 
=== 陸上競技場・体育館など ===
 
* [[ジャン・ブーアン競技場 (パリ)|ジャン・ブーアン競技場]] ({{lang|fr|''Stade Jean-Bouin''}})
 
** 16区の南の境界線付近にある[[競技場]]。[[ラグビー]]のプロクラブ「[[スタッド・フランセ・パリ]]」の本拠地である。
 
* [[スタッド・ローラン・ギャロス]] ({{lang|fr|''Stade Roland-Garros''}})
 
** [[ブローニュの森]]にある[[テニス]]競技場。テニスの[[グランドスラム (テニス)|四大大会]]の一つである[[全仏オープン]]などで世界的に有名である。
 
* [[パルク・デ・プランス]] ({{lang|fr|''Parc des Princes''}})
 
** 16区の南の境界線付近にある[[サッカー]]競技場。サッカークラブ「[[パリ・サンジェルマンFC]]」の本拠地である。
 
<!--
 
=== プール ===
 
* [[○○プール]] ({{lang|fr|''''}})
 
-->
 
=== その他 ===
 
* [[オートゥイユ競馬場]] ({{lang|fr|''Hippodrome d'Auteuil''}})
 
** [[ブローニュの森]]南東部にある。
 
* [[ロンシャン競馬場]] ({{lang|fr|''Hippodrome de Longchamp''}})
 
** ブローニュの森南西部にある。[[凱旋門賞]]などで世界的に名が知られている。
 
 
== 宗教施設 ==
 
<!--
 
※小節の分け方
 
複数の宗教がある場合は、宗教別に小節名を「キリスト教」「イスラム教」などとします。
 
(キリスト教で区別が可能であれば、小節名を「カトリック」「プロテスタント」などとします)
 
宗教が同一の場合は、建物の種類ごとに小節名を「教会・寺院」「その他」とします。
 
上記に当てはまらない場合は、小節名を「その他」とします。
 
以上の方法で分類がうまくいかない場合は、新たな小節名を考慮するなど臨機に対応してください。
 
-->
 
=== 教会・寺院 ===
 
[[File:Eglise d'Auteuil.jpg|thumb|right|200px|ノートル=ダム・ドートゥイユ教会]]
 
 
* [[ノートル=ダム・ド・グラス・ド・パッシー教会]] ({{lang|fr|''Notre-Dame de Grâce de Passy''}})
 
* [[ノートル=ダム・ド・ラソンプション・ド・パッシー教会]] ({{lang|fr|''Notre-Dame de l’Assomption de Passy''}})
 
* [[サントノレ・デイロー教会]] ({{lang|fr|''Saint-Honoré d’Eylau''}})
 
* [[サン=ピエール=ド=シャイヨ教会]] ({{lang|fr|''Église Saint-Pierre-de-Chaillot''}})
 
* [[サン=フランソワ=ド=モリトール教会]] ({{lang|fr|''Église Saint-François-de-Molitor''}})
 
* [[ノートル=ダム・ドートゥイユ教会]] ({{lang|fr|''Notre-Dame d’Auteuil''}})
 
* [[サント=ジャンヌ・ド・シャンタル教会]] ({{lang|fr|''Sainte-Jeanne de Chantal''}}) - 名称は[[シャイヨ宮|シャイヨ修道院]]を形成した[[聖母訪問会]]創始者の[[ジャンヌ・ド・シャンタル]]。
 
<!--
 
=== その他 ===
 
* [[○○イスラム寺院]] ({{lang|fr|''''}})
 
-->
 
 
[[File:Jardins du Trocadéro - 20150801 16h02 (10626).jpg|thumb|right|200px|[[エッフェル塔]]からトロカデロ庭園及びシャイヨ宮の眺め]]
 
 
== 観光・憩い ==
 
=== 自然 ===
 
* [[ブローニュの森]] ({{lang|fr|''Bois de Boulogne''}})
 
** ディネ・アン・ブラン(ホワイト・[[ディナー]] ([[:fr:Dîner en blanc|Dîner en blanc]])) - "真っ白な夕食"の意。全身を白い服でまとい、自分の食事から(白い)座席までを持ち寄って、[[フラッシュモブ]]的に公共の場所で突然始まるディナー。テーブルは、白いテーブルクロスで整えられている。1988年、ブローニュの森バガテル庭園で開催されて手狭になってから[[ポンデザール (パリ)|ポンデザール]]、[[シャン・ド・マルス公園]]、[[オテル・デ・ザンヴァリッド|アンヴァリッド]]、[[エトワール広場]]、[[シャンゼリゼ通り]]、[[ノートルダム大聖堂 (パリ)|ノートルダム大聖堂]]前広場、[[ルーヴル美術館]]広場、ヴォージュ広場、[[シャイヨ宮]]広場など・・[[パリ]]の至る公共場所で"突如"開催されてきた。現在では[[ロンドン]]、[[ミュンヘン]]、[[モントリオール]]、[[ニューヨーク]]、[[ラスベガス]]から[[サンパウロ]]、[[メルボルン]]、[[シンガポール]]、[[上海]]などに至る世界各地に拡がり、[[東京]]でも2015年から[[明治神宮外苑]]で初開催されている<ref>[https://tokyo.dinerenblanc.com/ ディネ・アン・ブラン 東京]</ref>。
 
<!--
 
=== 温泉 ===
 
-->
 
 
=== 建築 ===
 
* [[エトワール凱旋門|凱旋門]] ({{lang|fr|''Arc de triomphe de l'Étoile''}})
 
** [[8区 (パリ)|8区]]、16区、[[17区 (パリ)|17区]]の境界、[[シャルル・ド・ゴール広場]](エトワール広場)に位置している。
 
* [[シャイヨ宮]] ({{lang|fr|''Palais de Chaillot''}})
 
** [[パリ万国博覧会 (1937年)]] の際に建設された宮殿。[[セーヌ川]]を挟んで、[[エッフェル塔]]の真正面に位置している。[[海洋博物館 (パリ)|海洋博物館]]、[[人類博物館]]などがある。
 
* [[パレ・ド・トーキョー]] ({{lang|fr|''Palais de Tokyo''}})
 
** [[パリ万国博覧会 (1937年)]]の際、建設された建物。[[パリ市立近代美術館]]などがある。
 
* [[メゾン・ド・ラジオ・フランス]] (メゾン・ド・ラ・ラジオ) ({{lang|fr|''Maison de Radio France (Maison de la Radio)''}})
 
** [[グルネル橋]]の西側界隈にある円柱形の建物。[[ラジオ・フランス|ラジオ・フランス本社]]、[[ラジオ・フランス博物館]]などがある。
 
* [[ロンシャン城]]{{要検証|date=2016年10月}} ({{lang|fr|''Château de Longchamp''}})
 
<!--** [[ブローニュの森]]西部にある。→所在地はどこでしょうか? ベルギーのお城と、他にブローニュの森の「Longchamp Château」という「邸宅?」が競馬場側の旧修道院跡にある…との記述が検索でもかかりますが…。-->
 
* [[バガテル城]] ({{lang|fr|''Château de Bagatelle''}})
 
** ブローニュの森北西部、バガテル庭園内にある。
 
[[File:Jardin de Bagatelle-Mai 2010.JPG|thumb|270px|[[:fr:Parc de Bagatelle|バガテル庭園]]及び[[:fr:Château de Bagatelle (Seine)|バガテル城]]]]
 
=== 公園・緑地等 ===
 
* [[サント=ペリーヌ庭園]] ({{lang|fr|''Jardin Sainte-Périnne''}})
 
* [[オートゥイユ温室庭園]] ({{lang|fr|''Jardin des Serres d'Auteuil''}})
 
** [[ブローニュの森]]南東部にある。
 
* [[シェイクスピア庭園]] ({{lang|fr|''Jardin Shakespeare''}})
 
** ブローニュの森のほぼ中央にある。
 
* [[トロカデロ庭園]] ({{lang|fr|''Jardin du Trocadéro''}})
 
* [[バガテル庭園]] ({{lang|fr|''Jardin de Bagatelle''}})
 
** 特に[[バラ]]で有名な[[バガテル・バラ園]]がある。ブローニュの森北西部にある。
 
* [[ポエット庭園]] (詩人の庭園) ({{lang|fr|''Jardin des Poètes''}})
 
** ブローニュの森にある。
 
* [[ラヌラグ庭園]] ({{lang|fr|''Jardin du Ranelagh''}})
 
 
=== 名所・娯楽 ===
 
* [[アクリマタシオン庭園]] (ジャルダン・ダクリマタシオン、{{lang|fr|''Jardin d'Acclimatation''}})
 
** [[ブローニュの森]]北部にある子供向けの[[遊園地]]。[[ゴーカート]]、[[動物園]]、[[人形劇|人形劇場]]、[[ミニゴルフ|ミニゴルフ場]]などがある<ref>JTBパブリッシング編 『ワールドガイド ヨーロッパ2・パリ』、[[JTBパブリッシング]]、2006年、p.144.</ref>。
 
<!--
 
* [[○○遊園地]] ({{lang|fr|''''}})
 
* [[○○アミューズ・センター]] ({{lang|fr|''''}})
 
* [[○○カジノ]] ({{lang|fr|''''}})
 
=== 旧跡・記念碑等 ===
 
* [[○○跡]] ({{lang|fr|''''}})
 
* [[○○の碑]] ({{lang|fr|''''}})
 
=== 祭事・イベント ===
 
* [[xx月xx日]] - [[○○祭]] ({{lang|fr|''''}})
 
=== その他 ===
 
-->
 
 
== 交通 ==
 
<gallery mode="packed" caption="" heights="160">
 
File:P1080370 Paris VII-XV-XVI pont de Bir Hakeim rwk.JPG|パッシー側から望む[[ビル・アケム橋|ビラケム橋]]
 
File:P1040947 Paris XVI rue de l'Alboni metro Passy rwk.jpg|メトロ パッシー駅出入り口、アルボニ通り (ラルボニ通り, [[:fr:Rue de l'Alboni|Rue de l'Alboni]]) より
 
File:Paris 16 - Edicule Guimard Station Boissière -1.JPG|メトロ ボワシエール駅出入口の[[エクトール・ギマール|ギマール]]の[[アール・ヌーボー]]作品 ([[:fr:Édicule Guimard|Édicule Guimard]] - Station de métro Boissière)
 
</gallery>
 
{{message galerie}}
 
 
<!--
 
=== 空港 ===
 
-->
 
=== 鉄道 ===
 
* [[ファイル:Metro-M.svg|16px]] [[地下鉄]]・[[メトロ (パリ)|メトロ]] ([[パリ交通公団|RATP]]) ({{lang|fr|''Métro''}})
 
** [[File:Paris m 1 jms.svg|20px|1]]</span>[[パリメトロ1号線|1号線]]
 
*** [[ポルト・マイヨ駅]] – [[アルジャンティーヌ駅]] – [[シャルル・ド・ゴール=エトワール駅]]
 
** [[File:Paris m 2 jms.svg|20px|2]]</span>[[パリメトロ2号線|2号線]]
 
*** [[ポルト・ドーフィヌ駅 (パリ)|ポルト・ドーフィヌ駅]] – [[ヴィクトル・ユゴー駅]] – [[シャルル・ド・ゴール=エトワール駅]]
 
** [[File:Paris m 6 jms.svg|20px|6]]</span>[[パリメトロ6号線|6号線]]
 
*** [[シャルル・ド・ゴール=エトワール駅]] – [[クレベール駅]] – [[ボワシエール駅]] – [[トロカデロ駅]] – [[パッシー駅]]
 
** [[File:Paris m 9 jms.svg|20px|9]]</span>[[パリメトロ9号線|9号線]]
 
*** [[ポルト・ド・サン=クル駅]] – [[エグゼルマン駅]] – [[ミケランジュ=モリトール駅]] – [[ミケランジュ=オートゥイユ駅]] – [[ジャスマン駅]] – [[ラヌラグ駅]] – [[ラ・ミュエット駅]] – [[リュ・ド・ラ・ポンプ駅]] – [[トロカデロ駅]] – [[イエナ駅]]
 
** [[File:Paris m 10 jms.svg|20px|10]]</span>[[パリメトロ10号線|10号線]]
 
*** 北側の分岐線 (西方の[[ブローニュ=ポン・ド・サン=クル駅|ブローニュ=ポン・ド・サン=クル駅方面]](パリ市外)への一方通行) : [[ポルト・ドートゥイユ駅]] – [[ミケランジュ=オートゥイユ駅]] – [[エグリーズ・ドートゥイユ駅]]
 
*** 南側の分岐線 (東方の[[オステルリッツ駅|オステルリッツ駅方面]]への一方通行) : [[ミケランジュ=モリトール駅]] – [[シャルドン=ラガシュ駅]] – [[ミラボー駅]]
 
 
* [[ファイル:RER.svg|16px]] [[RER (イル=ド=フランス)|RER]] ([[フランス国鉄|フランス国鉄 (SNCF)]]/[[パリ交通公団|パリ交通公団(RATP)]]) ({{lang|fr|''Réseau Express Régional d'Île-de-France''}})
 
** [[File:Paris RER A icon.svg|20px|A]]</span>[[RER A線|A線]]
 
*** [[シャルル・ド・ゴール=エトワール駅]]のみ。
 
** [[File:Paris rer C jms.svg|20px|C]]</span>[[RER C線|C線]]
 
*** [[アヴニュー・フォッシュ駅]] - [[アヴニュー・アンリ・マルタン駅]] - [[ブランヴィリエ駅]] - [[アヴニュー・デュ・プレジダン・ケネディ駅]]
 
<!--
 
* 廃線
 
=== バス ===
 
* [[○○バス会社]] ({{lang|fr|''''}})
 
** [[○○線]] ({{lang|fr|''''}})
 
=== タクシー ===
 
=== 自転車 ===
 
-->
 
 
=== 高速道路・有料道路 ===
 
* [[ペリフェリック]] (パリ環状道路) ({{lang|fr|''Boulevard Périphérique''}})
 
** [[ポルト・ド・サン=クル]] - [[ポルト・モリトール]] - [[ポルト・ドートゥイユ]] - [[ポルト・ド・パッシー]] - [[ポルト・ド・ラ・ミュエット]] - [[ポルト・ドーフィーヌ]] - [[ポルト・マイヨ]]
 
 
<!--
 
* [[○○自動車道]] ({{lang|fr|''''}})
 
** [[○○インターチェンジ]] - [[○○ジャンクション]] - [[○○インターチェンジ]]
 
* [[○○自動車道]] ({{lang|fr|''''}}) - (通過のみ)
 
* [[○○自動車道]] ({{lang|fr|''''}}) - (計画中)
 
-->
 
=== 道路 ===
 
<gallery mode="packed" caption="" heights="160">
 
File:P1090926 Paris XVI chaussée de la Muette rwk.JPG|ラ・ミュエット通り ([[:fr:Chaussée de la Muette|Chaussée de la Muette]])
 
File:P1040957 Paris XVI avenue du Président-Kennedy rwk.jpg|プレジダン=ケネディ大通り ([[:fr:Avenue du Président-Kennedy|Avenue du Président-Kennedy]])
 
File:P1180754 Paris XVI rue des Eaux rwk.jpg|水通り ([[:fr:Rue des Eaux|Rue des Eaux]])。パッシー駅 ([[:fr:Passy (Paris Métro)|fr]]) 西側至近, ワイン博物館があるスクアール・[[チャールズ・ディケンズ|シャルル=ディケンス]] ([[:fr:Square Charles-Dickens|Square Charles-Dickens]]) とパッシー河岸プレジダン=ケネディ大通りとを結ぶ南北の短い路。同通り5番地は,「[[ラストタンゴ・イン・パリ]]」(1972) や[[ジャン=ポール・ベルモンド|ジャン-P・ベルモンド]]「プロフェッショナル」(1981) の映画ロケ地。
 
File:91 avenue Henri-Martin - Paris 16e.JPG|アンリ=マルタン大通り ([[:fr:Avenue Henri-Martin|Avenue Henri-Martin]]) 91番地
 
File:P1040936 Paris XVI rue Benjamin Franklin rwk.jpg|バンジャマン=フランクラン通り ([[:fr:Rue Benjamin-Franklin|Rue Benjamin-Franklin]])
 
File:P1040942 Paris XVI rue de Passy rwk.jpg|コスタリカ広場 ([[:fr:Place de Costa-Rica|Place de Costa-Rica]]) から見るパッシー通り ([[:fr:Rue de Passy|Rue de Passy]])
 
File:Rue de Passy April 2014.jpg|反対にパッシー通りから見るコスタリカ広場
 
File:École maternelle rue de Passy.jpg|パッシー通り25番地, 公立パッシー通り小(現在はパッシー通り幼稚園)。裏手に幼・小の公立[[エコール]]・シェルノヴィズ(シェルノヴィズ幼・小)がある。<!--http://lesecoles.fr/paris-75000/16eme/ 参照-->
 
File:Ancienne plaque d'assurance rues Passy-Chernovitz.jpg|シェルノヴィズ通り ([[:fr:Rue Chernoviz|Rue Chernoviz]]) との角にあるパッシー通りと保険会社の古い[[プラーク]] (Ancienne plaque d'assurance donnant sur la rue de Passy - immeuble du 15 rue Chernoviz, Paris, 16e.)
 
File:Paris 16 - Immeubles Agar - 10 rue Agar -1.JPG|アガー通り10番地のイムーブル (居住建物, [[:fr:Rue Agar|Immeubles Agar - 10 rue Agar]])
 
File:Avenue de Camoens.jpg|カモアン大通り ([[:fr:Avenue de Camoëns|Avenue de Camoëns]])
 
File:Plaque Victor Hugo, 124 avenue Victor-Hugo, Paris 16.jpg|[[ヴィクトル・ユーゴー]]が居住し亡くなった地 (Plaque au n°124 avenue Victor-Hugo, Paris)
 
File:Hotel Guimard.JPG|[[エクトール・ギマール|ギマール]]館 ([[:fr:Hôtel Guimard|Hôtel Guimard]]), 122 avenue Mozart
 
File:Paris villa scheffer entree.jpg|トロカデロ界隈シェフェール通りにあるヴィラ・シェフェール (L'entrée de la villa Scheffer depuis la [[:fr:Rue Scheffer|rue Scheffer]].)
 
File:Oreve2.JPG|ファサードが[[歴史的記念物 (フランス)|歴史的記念物]]に指定, 1911年築, 旧居住建物フルーリスト・オレーヴ (Fleuriste Orève, 25 [[:fr:rue de la Pompe|rue de la Pompe]], Paris)
 
File:Alcôve rue des Marronniers.jpg|マロニエ通りから引っ込んだ場所にある2つの[[レジデンス]] (Une des deux résidences en alcôve de la [[:fr:Rue des Marronniers (Paris)|rue des Marronniers]], Paris, 16e.)
 
File:Atelier Quillivic (la maison aux statues) 1925 - panoramio.jpg|[[オートゥイユ]]地区モンモランシー大通り ([[:fr:Boulevard de Montmorency|Boulevard de Montmorency]]) 73番地、彫刻家ルネ・キリヴィック ([[:fr:René Quillivic (sculpteur)|René Quillivic]])のアトリエ
 
File:Cours privé Beauséjour.jpg|ボーセジュール大通り ([[:fr:Boulevard de Beauséjour|Boulevard de Beauséjour]]) 23番地界隈
 
File:Paris rue de presbourg.jpg|[[エトワール凱旋門]]至近のプレスブール通り ([[:fr:Rue de presbourg|Rue de presbourg]])
 
File:P1310287 Paris XVI rue Dufrenoy rwk.jpg|デュフレノワ通り ([[:fr:Rue Dufrenoy|Rue Dufrenoy]])
 
File:P1030835 Paris XVI rue Georges-Bizet rwk.JPG|ジョルジュ=ビゼー通り ([[:fr:Rue Georges-Bizet|Rue Georges-Bizet]])
 
File:Rue Benjamin Godard, Paris.jpeg|バンジャマン=ゴダール通り ([[:fr:Rue Benjamin-Godard|Rue Benjamin-Godard]])
 
</gallery>
 
{{message galerie}}
 
* [[アミラル=ブリュイ大通り]]({{lang|fr|''Boulevard de l'Amiral-Bruix''}})
 
* [[アンリ=マルタン大通り]]({{lang|fr|''Avenue Henri-Martin''}})
 
** [[シャイヨー宮]]前[[トロカデロ]]広場より走るジョルジュ=マンデル大通りから接続する、ラ・ミュエット地区とポルト=ドーフィーヌ地区との境界を走る通り。元はジョルジュ=マンデルやプレジダン=ウィルソンとひと続きの道路 "皇帝(陛下)大通り" (Avenue de l’Empereur) として、[[フランス第二帝政|第二帝政]]期[[パリ改造]]で整備された。[[ナポレオン3世]]追放後、トロカデロ大通り ([[:fr:Avenue du Trocadéro|Avenue du Trocadéro]]) と改称、1885年アンリ=マルタンと再改称した。そのうち[[第一次世界大戦]]後の1918年、現在のプレジダン=ウィルソンがアンリ=マルタンから分かれ、さらに1941年、アンリ=マルタンはジャン=シアップ (高級官僚, パリ市長やパリ警視総監歴任, [[:fr:Jean Chiappe|fr]]) と改められた。[[第二次世界大戦]]後の1945年、アンリ=マルタンに戻り、また現在のジョルジュ=マンデルとに分割された。
 
* [[イエナ大通り]]({{lang|fr|''Avenue d'Iéna''}})
 
** シャイヨ宮南側(東側)にある[[イエナ橋]]経由トロカデロ庭園内を走るナシオン・ユニ([[国際連合]])大通りと、東側(北側)イエナ広場とを結ぶ。同西側(南側)コスタリカ広場とを結ぶのは下記ドレセール大通り。16区内のグランダルメ、フォッシュ、ユーゴー、ポアンカレ、クレベール、マルソー大通りと共に[[シャルル・ド・ゴール広場]]([[エトワール凱旋門]])まで続く通り。名称は[[ナポレオン・ボナパルト|ナポレオン]]の「[[イエナの戦い]]」から。
 
* [[プレジダン=ウィルソン大通り]]({{lang|fr|''Avenue du Président-Wilson''}})
 
** シャイヨ宮前トロカデロ広場から、同宮東側(北側)のイエナ広場 ([[:fr:Place d'Iéna|Place d'Iéna]]) に接続し、区内東側[[8区 (パリ)|8区]]アルマ広場まで続く1キロ無い通り。上記のように元は皇帝大通りの一部であった。
 
* [[エグゼルマン大通り]]({{lang|fr|''Boulevard Exelmans''}})
 
** パリ郊外[[ブローニュ=ビヤンクール]]との境界線界隈を走る通り。[[セーヌ川]]を跨いだ[[15区 (パリ)|15区]]から[[オートゥイユ]]地区へ続く通りで、ミュラ、スーシェ、ランヌ、アミラル=ブリュイ大通りと共に"[[ブルヴァール・デ・マレショー]]"を構成する。
 
* [[エロー大通り]]({{lang|fr|''Avenue d'Eylau''}})
 
** シャイヨ宮前トロカデロ広場とメクシコ広場とを結ぶ通り。名称はナポレオン戦争期の「[[アイラウの戦い]]」から。
 
* [[オートゥイユ大通り]]({{lang|fr|''Boulevard d'Auteuil''}})
 
* [[オートゥイユ通り]]({{lang|fr|''Rue d'Auteuil''}})
 
* [[グランダルメ大通り]]({{lang|fr|''Avenue de la Grande-Armée''}})
 
** エトワール凱旋門から[[ラ・デファンス]]に向かって、[[17区 (パリ)|17区]]との境界線上を走る。名称はナポレオンの「[[大陸軍]]」から。
 
* [[クレベール大通り]]({{lang|fr|''Avenue Kléber''}})
 
** シャイヨ宮前トロカデロ広場とシャルル・ド・ゴール広場(エトワール凱旋門) とを最短で結ぶ通り。トロカデロ広場前の[[コンビニエンスストア|コンビニ]]のモノップ (Monop') や通り界隈にある[[カルフール]]・シティ (Carrefour City) から、カフェやレストラン、ファッションやインテリアのブティック、[[ソシエテ・ジェネラル]]や[[BNPパリバ]]、[[ゴールドマン・サックス]]、[[香港&上海ホテルズ|ペニンシュラホテル]] (Hôtel The Peninsula Paris)・・まである。
 
* [[ケ・サンテグジュペリ通り]](サンテグジュペリ河岸通り, {{lang|fr|''Quai Saint-Exupéry''}})
 
** 16区西側(南側)オートゥイユ地区のセーヌ川河岸沿いの通り。
 
* [[プレジダン=ケネディ大通り]]({{lang|fr|''Avenue du Président-Kennedy''}})
 
** 西側(南側)オートゥイユ方面へはヴェルサイユ大通り、東側(北側)シャイヨー方面へはニューヨーク大通りへと続く、セーヌ川沿い界隈を走る通り。
 
* [[ケ・ルイ=ブレリオ通り]](ルイ=ブレリオ河岸通り, {{lang|fr|''Quai Louis-Blériot''}})
 
* [[シェルノヴィズ通り]]({{lang|fr|''Rue Chernoviz''}})
 
** 旧公立パッシー通り小学校 (École primaire rue de Passy, 現在はパッシー通り幼稚園 École maternelle rue de Passy<!--http://m.equipement.paris.fr/ecole-maternelle-passy-241 などを参照-->) 裏手にある短い通り。同様に公立のシェルノヴィズ幼稚園・小学校 (École Chernoviz) があるのみ。通り先レヌアール通り方向は、[[ランバル公妃マリー・ルイーズ|ランバル公妃]]の館だった駐仏[[トルコ]]大使館や[[オノレ・ド・バルザック|メゾン・ド・バルザック]]、セーヌ川になる。
 
* [[シャルドン=ラガシュ通り]]({{lang|fr|''Rue Chardon-Lagache''}})
 
* [[ジョルジュ=ポンピドゥー道路]]({{lang|fr|''Voie Georges-Pompidou''}})
 
** [[セーヌ川]]右岸沿いを[[12区 (パリ)|12区]]方面まで走る高速路。
 
* [[ジョルジュ=マンデル大通り]]({{lang|fr|''Avenue Georges-Mandel''}})
 
** 通り中央分離帯は駐車スペースになっている、シャイヨー宮前トロカデロ界隈からアンリ=マルタン大通りに接続する、ラ・ミュエット地区とポルト=ドーフィーヌ地区との間を走る通り。上記アンリ=マルタンやプレジダン=ウィルソンと共に皇帝大通りとして整備された。第二次世界大戦後の1945年、アンリ=マルタンの一部から、現在のジョルジュ=マンデルに分割された。
 
* [[スーシェ大通り]]({{lang|fr|''Boulevard Suchet''}})
 
* [[テオフィル=ゴーティエ大通り]]({{lang|fr|''Avenue Théophile-Gautier''}})
 
* [[ドレセール大通り]]({{lang|fr|''Boulevard Delessert''}})
 
** シャイヨ宮南側(東側)にあるイエナ橋経由トロカデロ庭園内の東西を走るナシオン・ユニ大通りと、西側(南側)コスタリカ広場とを結ぶ。同東側(北側)イエナ広場とを結ぶのはイエナ大通り。メトロ [[パッシー駅]]入り口になるコスタリカ広場に接続する他の通りは、下記パッシー通り、レヌアール通り、西側[[ブローニュの森]]方面でアンリ=マルタン大通りと接続するトゥール通り。
 
* [[ニューヨーク大通り]]({{lang|fr|''Avenue de New-York''}})
 
** イエナ広場界隈[[パレ・ド・トーキョー]]南側を走る。元の名は「東京大通り」だったが、[[第二次世界大戦]]中の[[1945年]]改称<ref>[[山口昌子]] 『フランスよ、どこへ行く』、[[産経新聞社]]、2007年、p.315.</ref>。
 
* [[パッシー通り]]({{lang|fr|''Rue de Passy''}})
 
** メトロ パッシー駅の入り口になるシャイヨ宮西側(南側)のコスタリカ広場から西側へ伸びる。シャイヨ宮前トロカデロ広場からパッシー通りの北側を並走するポール=ドゥメール大通りや、セーヌ河岸[[ラジオ・フランス]]から北側へ伸びるブーランヴィリエ通り乃至ポンプ通り、ポール=ドゥメール大通り乃至ラ・ミュエット通り([[:fr:Chaussée de la Muette|fr]])等が交差するメトロ [[ラ・ミュエット駅]]界隈ジャンヌ=エヴラール広場 ([[:fr:Place Jane-Evrard|fr]]) 周辺まで続く。[[ブティック]]から食材店、いくつかの[[日本料理|和食]]店、[[スターバックス|スタバ]]・・まで立ち並ぶ高級住宅街にある生活感溢れる通り。[[ファッションブランド#ファッション分野におけるブランド|ファッションブランド]]では、[[ギャップ (企業)|GAP]]や[[H&M]]、ザディグ・エ・ヴォルテール (Zadig & Voltaire)、[[ラコステ]]ファム (Lacoste Femme)、[[アニエス・ベー]]、レディースプレタポルテのマージュ (Maje)、エル・ガンソ (El Ganso)、子供服のオカイディー (Okaïdi)、H&M系列の[[コス]] ([[COS]])、コスメのブランディ・メルビル (Brandy Melville) やキコ・ミラノ (Kiko Milano)、2017年開店のインテリアメゾン サラ・ラヴォワンヌ ([[:fr:Sarah Lavoine|Maison Sarah Lavoine]])<!--https://www.maisonsarahlavoine.com/article-nouvelle-boutique-passy-104.php 参照-->・・など、16区内では最も店舗が多い通りになる<ref>「[http://jp.france.fr/ja/information/70586 パッシー通り クラシックとカジュアルが同居する]」 [[フランス観光開発機構]]</ref>。旧パッシー通り小 (École primaire rue de Passy, 現在はパッシー通り幼) 向かいには映画館マジェスティック・パッシー ([[:fr:Majestic Passy|Majestic Passy]]) があり、同映画館隣やパッシー・プラザ (Passy Plaza)にあったスーパーマーケット「イノ (Inno)」が同グループの「モノプリ ([[:fr:Monoprix (France)|Monoprix]])」に代わった。裏通りの ボワ=ル=ヴァン通り ([[:fr:rue Bois-Le-Vent|Rue Bois-Le-Vent]]) には「パッシー (屋内常設) 市場 (Marché (couvert) de Passy)」がある。
 
* [[パルク=デ=プランス大通り]]({{lang|fr|''Avenue du Parc-des-Princes''}})
 
* [[ピエール=プルミエ=ド=セルビー大通り]]({{lang|fr|''Avenue Pierre-Ier-de-Serbie''}})
 
** イエナ広場から東側、ガリエラやギメ等があるシャイヨー地区界隈から、8区内へ続く通り。
 
* [[ヴィクトル=ユーゴー大通り]]({{lang|fr|''Avenue Victor-Hugo''}})
 
** 124番地(旧50番地)の旧[[リュジニャン家|リュジニャン公妃]]館は[[ヴィクトル・ユーゴー]]が1878年から亡くなる1885年まで愛人[[ジュリエット・ドルエ]]と居住した地。建物自体は1907年に取り壊された。また、トラクティル通り ([[:fr:Rue de Traktir|fr]]) との角の16番地は、かつてのフランス料理人アルフレッド・プルニエ ([[:fr:Alfred Prunier|Alfred Prunier]], 1848-1925) のレストランがある地。シャルル・ド・ゴール広場(エトワール凱旋門)からブローニュの森入り口のポルト・ド・ラ・ミュエット界隈アンリ=マルタン大通りまでを結ぶ通り。凱旋門傍の[[セリーヌ]]から[[ザラ (ファッションブランド)|ZARA]]、オーガニックコスメのイヴ・ロシェ(ール) (Yves Rocher)、マージュ、イザベル・マラン ([[:fr:Isabel Marant|Isabel Marant]] <ref>共に[[6区 (パリ)|パリ6区]]ジャコブ通りや東京の[[表参道 (原宿)|表参道]]界隈等にブティックを持ち、同じくファッションデザイナーのジェローム・ドレフュス ([[:fr:Jérôme Dreyfuss|Jérôme Dreyfuss]]) は夫。</ref>)、レストランやカフェ、[[スターバックス|スタバ]]、パッシー通りにもある回転寿司チェーンのマツリ (Matsuri)・・などが並ぶ通り。
 
* [[フェルディナン=ビュイソン大通り]]({{lang|fr|''Avenue Ferdinand-Buisson''}})
 
* [[フォッシュ大通り]]({{lang|fr|''Avenue Foch''}})
 
** エトワール凱旋門(ないしグランダルメ大通りの南側)から分かれて16区内を走るパリの代表的な"[[ブルジョワ]]通り"。[[ブローニュの森]]傍ポルト・ドーフィーヌ界隈マレシャル=ド=ラトル=ド=タシニー広場が終点。第二帝政期、[[ウジェニー・ド・モンティジョ|ウジェニー]]皇后に因み"皇后(陛下)大通り" (Avenue de l’Impératrice) と名付けられ整備された。第二帝政崩壊後は、ウリッシュ将軍 ([[:fr:Jean-Jacques Uhrich|fr]])、ブローニュの森大通りと変遷し、1929年[[フランス大元帥]][[フェルディナン・フォッシュ]]の名を採って改称された。
 
* [[ジャン・ド・ラ・フォンテーヌ通り]]({{lang|fr|''Rue Jean de La Fontaine''}})
 
** パッシーのレヌアール通りから続き、オートゥイユ方面を走り、オートゥイユ通りやミケランジュ通り等に接続する。略して「ラ・フォンテーヌ通り」。[[エクトール・ギマール|ギマール]]作[[アールヌーヴォー]]様式のモダンアパルトマン(イムーブル)「[[カステル・ベランジェ]]」がある<!--冠詞の「ラ」について、フランス語版でも、「ラ・フォンテーヌ通り」と冠詞をつけて呼称、略称しています。上記の「ラ・ミュエット駅」も同様。-->。同通りからアガール通り ([[:fr:Rue Agar|fr]]) 界隈にかけてアール・ヌーヴォー様式の建物が並ぶ<!--Category:Rue Jean-de-La-Fontaine (Paris) 参照-->。
 
* [[バンジャマン=フランクラン通り]]({{lang|fr|''Rue Benjamin-Franklin''}})
 
** シャイヨ宮前トロカデロ広場と、同宮西側(南側)のコスタリカ広場とを結ぶ短い通り。上記プレジダン=ウィルソン大通りと対の通り。
 
* [[ヴェルサイユ大通り]]({{lang|fr|''Avenue de Versailles''}})
 
* [[ボーセジュール大通り]]({{lang|fr|''Boulevard de Beauséjour''}})
 
* [[ポール=ドゥメール大通り]]({{lang|fr|''Avenue Paul-Doumer''}})
 
** シャイヨ宮前トロカデロ広場から、上記パッシー通りの北側を東西に並走する。通り西側メトロ ラ・ミュエット駅界隈ジャンヌ=エヴラール広場で、ラ・ミュエット通りに接続し、パッシー通りやブーランヴィリエ通り、同ブーランヴィリエから名を変えた下記ポンプ通りと交差する。ポンプ通りは、そのまま区内を横断(縦断)し、エトワール凱旋門から伸びるヴィクトル=ユーゴー大通り、同様に同凱旋門から伸びるフォッシュ大通りと交差する。また、パッシー通り北側、トゥール通りとの交差点界隈ポール=ドゥメール大通り58番地に[[ピエール・エルメ]]の店舗がある。
 
* [[ポルト=ドートゥイユ大通り]]({{lang|fr|''Avenue de la Porte-d'Auteuil''}})
 
* [[ポンプ通り]]({{lang|fr|''Rue de la Pompe''}})
 
** セーヌ河岸にあるラジオ・フランスから伸びるブーランヴィリエ通りがパッシー通りやポール=ドゥメール大通り乃至ラ・ミュエット通り等が交差するメトロ ラ・ミュエット駅界隈ジャンヌ=エヴラール広場でポンプ通りと名を変える。通り沿いには、25番地に[[ファサード]]が[[歴史的記念物 (フランス)|歴史的記念物]]指定1911年築, 居住建物フルーリスト・オレーヴ (fleuriste Orève) があり、現在は[[フィリップ・スタルク]]デザインによるレストラン等になっている。[[ヴァレリー・ジスカール・デスタン|ジスカール・デスタン]]元大統領が小学校課程で通った私立[[エコール]]・ジェルソン ([[:fr:Établissement Gerson|fr]])、[[マリー・テレーズ・シャルロット・ド・フランス|マダム・ロワイヤル]]設立カトリックの幼・小私立エコール・ド・ラ・プロヴィダンス、名門公立[[リセ]]・ジャンソン=ド=サイイ ([[:fr:Lycée Janson-de-Sailly|fr]])・・等がある。89番地には、[[フランソワ・モーリヤック]]、子供時分<!--子供時分は当通り英語版より。但し、出典先がリンク切れ-->の[[ブリジット・バルドー]]、[[ジャック・アタリ]]らが居住した。また、1857年には[[ヴィルジニア・オルドイーニ]]がナポレオン3世により通り沿いの小さな家を購入した<!--当通り英語版より。但し、出典は未記載-->。115番地には[[ジョゼフ・ジョフル]]<!--当通りフランス語版より-->、1919年から作家[[イレーヌ・ネミロフスキー]]<!--当通り英語版より。出典は、「The Life of Irene Nemirovsky」 by Olivier Philipponnat and Patrick Lienhardt-->が居住した。通りを進むと、エトワール凱旋門からそれぞれ伸びるヴィクトル=ユーゴー、フォッシュ大通りと交差する、区内東側(北側)一帯にあたる"パッシー"を横断(縦断)する通り。
 
* [[マラコフ大通り]]({{lang|fr|''Avenue de Malakoff''}})
 
** [[カフェ]]・ル・マラコフ (Café Le Malakoff) があるシャイヨ宮前トロカデロ広場から北西へ、ヴィクトル=ユーゴー広場経由で走るレーモン=ポアンカレ大通りがフォッシュ大通りとの交差点からマラコフと名を変え、さらに区内北西へ続く通り。フォッシュ同様エトワール凱旋門から伸びるグランダルメ大通り等との交点であり、かつ17区と[[ヌイイ=シュル=セーヌ]]との境界界隈にあたるポルト=マイヨ広場まで伸びる通り。
 
* [[マルソー大通り]]({{lang|fr|''Avenue Marceau''}})
 
** [[8区 (パリ)|8区]]との境界線上を走る通り。通り沿いを、上記[[サン=ローラン]]の美術館が2017年秋開館予定。
 
* [[ミケランジュ通り]]({{lang|fr|''Rue Michel-Ange''}})
 
* [[ミュラ大通り]]({{lang|fr|''Boulevard Murat''}})
 
** ヌイイ城 (現在の[[ヌイイ=シュル=セーヌ]]の街) にも居住したナポレオンの腹心[[ジョアシャン・ミュラ]]から名付けられた、上記"ブルヴァール・デ・マレショー"を構成する大通りの一つ。オートゥイユ地区を走る。
 
* [[モザール大通り]]({{lang|fr|''Avenue Mozart''}})
 
** 16区内側を走る"モーツァルト大通り"。セーヌ川沿い側を走るヴェルサイユ大通り等と共にラ・ミュエット地区からオートゥイユ地区の住宅街へと続く通り。
 
* [[モンモランシー大通り]]({{lang|fr|''Boulevard de Montmorency''}})
 
* [[ラヌラグ通り]]({{lang|fr|''Rue du Ranelagh''}})
 
* [[ランヌ大通り]]({{lang|fr|''Boulevard Lannes''}})
 
* [[レイモン=ポアンカレ大通り]]({{lang|fr|''Avenue Raymond-Poincaré''}})
 
* [[レヌアール通り]]({{lang|fr|''Rue Raynouard''}})
 
** 同通り47番地に[[:fr:Maison de Balzac|Maison de Balzac]]があり、また、同62番地に[[ベンジャミン・フランクリン]]が1777年に滞在し、彼の[[避雷針]]を取り付けた[[:fr:Hôtel de Valentinois|Hôtel de Valentinois]]がある。通りコスタリカ広場側界隈には、パリ・ワイン博物館がある。
 
* [[ロリストン通り]]({{lang|fr|''Rue Lauriston''}})
 
* [[ロンシャン通り]]({{lang|fr|''Rue de Longchamp''}})
 
** イエナ広場から西側へ走り、シャイヨ宮前トロカデロ広場から西側へ伸びるジョルジュ=マンデル大通りの北側に位置するメクシコ広場まで伸びる通り。
 
 
{{Triple image|center|Paris - panoramio (221).jpg|220|Paris 75016 Avenue d'Eylau 20170121.jpg|200|Place du Trocadéro-et-du-11-Novembre à Paris le 23 avril 2015 - 41.jpg|200|左から、メクシコ広場からトロカデロ広場へ走るエロー大通り (Avenue d'Eylau)、同大通りから見る[[エッフェル塔]]、トロカデロ広場から見るエッフェル塔}}
 
 
=== 橋梁 ===
 
16区は、南北に蛇行する[[セーヌ川]]に挟まれた区域であり、区の東西でセーヌ川に接している。そのため、橋梁については、区の東側と西側に分けて記述する。
 
 
==== 区東側 ====
 
{{message galerie}}
 
<gallery mode="packed" caption="" heights="160">
 
File:Viaduc de Passy - Paris - novembre 2005.jpg|夜のビラケム橋, 11月
 
File:P1040965 Paris XVI pont de Bir Hakeim rwk.jpg|ビラケム橋乃至パッシー高架橋とメトロパッシー駅界隈の[[パリ改造|オスマニアン建築群]], 11月 (Viaduc de Passy - Paris - novembre)
 
File:Viaduc de Passy.jpg|ビラケム橋のランプ装飾
 
File:Paris (34791521684).jpg|ビラケム橋でのある日の光景. 2017年
 
File:A_bride_in_Paris_-_Bir_Hakeim_bridge.jpg|花嫁, ビラケム橋, 2015年 (Une mariée sous le viaduc de Passy en 2015.)
 
File:Pont de Bir-Hakeim and view on the 16th Arrondissement of Paris 140124 1.jpg|夜のビラケム橋とパッシー駅界隈 (Le pont de Bir-Hakeim vu de la rive gauche de nuit avec en arrière plan des immeubles hausmanniens du 16e arrondissement.)
 
File:Tour_Eiffel,_July_1888.jpg|建設途上の[[エッフェル塔]]とイエナ橋 (Pendant la construction de la tour Eiffel.)
 
File:75-Paris-Entrée du Trocadéro-1905.JPG|旧トロカデロ宮(現[[シャイヨ宮]])とイエナ橋, 1905年
 
File:Paris pont iena.jpg|夜のイエナ橋 (Le pont d’Iéna de nuit.)
 
File:Paris Exposition Vieux Paris (Old Paris), Paris, France, 1900.jpg|[[パリ万国博覧会 (1900年)|1900年パリ万博]]時のセーヌ川上流から下流、アルマ橋とドゥビイ橋の間 (La Seine d'amont vers l'aval entre le pont de l'Alma (au premier plan) et la passerelle Debilly.)
 
File:Montmartre (35840382093).jpg|ドゥビイ橋と[[モンマルトル]]の[[サクレ・クール寺院]]
 
File:P1030485 Paris VII et XVI passerelle Debilly-ports Debilly et de La-Bourdonnais rwk.JPG|ドゥビイ橋とシャイヨ宮
 
</gallery>
 
 
16区の東側では、[[セーヌ川]]は北から南へ流れる。セーヌ川に架かる橋は、次のとおりである(上流から順に列挙)。
 
 
* [[アルマ橋]]({{lang|fr|''Pont de l'Alma''}})
 
* [[ドゥビリ橋]](ドゥビイ橋, {{lang|fr|''Passerelle Debilly''}})
 
** セーヌ川北岸にある[[パレ・ド・トーキョー]]の西側と南岸の[[ケ・ブランリ美術館]]付近とを結ぶ[[歩道橋]]。
 
* [[イエナ橋]]({{lang|fr|''Pont d'Iéna''}})
 
* [[ビル・アケム橋|ビラケム橋]]({{lang|fr|''Pont de Bir-Hakeim''}})
 
** [[白鳥の島 (パリ)|白鳥の島]]を挟んでセーヌ川両岸を結ぶ。[[メトロ (パリ)|メトロ]][[パリメトロ6号線|6号線]]の[[鉄道橋]]を兼ねている。
 
* [[ルーエレ橋|ルエル橋]]({{lang|fr|''Pont Rouelle''}})
 
** [[RER (イル=ド=フランス)|RER]] [[C線 (RER)|C線]]の[[鉄道橋]]。
 
* [[グルネル橋]]({{lang|fr|''Pont de Grenelle''}})
 
** 白鳥の島を挟んでセーヌ川両岸を結ぶ。
 
* [[ミラボー橋]]({{lang|fr|''Pont Mirabeau''}})
 
* [[ガリリアーノ橋|ガリグリアノ橋]]({{lang|fr|''Pont du Garigliano''}})
 
* [[アヴァル橋]]({{lang|fr|''Pont Aval''}})
 
** [[ペリフェリック]]の橋。セーヌ川に架かるパリ市内の橋では最も下流に位置する。
 
 
==== 区西側 ====
 
16区の東側からパリ市外に出た[[セーヌ川]]は蛇行して、南から北へ大きく方向を変え、16区の西側(すなわち、[[ブローニュの森]]の西側)で再び接する。橋は、次のとおりである(上流から順に列挙)。
 
 
* [[アーヴル歩道橋]]({{lang|fr|''Passerelle de l'Avre''}})
 
** セーヌ川東岸の16区及び[[オー=ド=セーヌ県]]の[[コミューン|自治体]][[ブローニュ=ビヤンクール]]と西岸の同じくオー=ド=セーヌ県の自治体[[サン=クルー]]を結ぶ[[水道橋]]兼[[歩道橋]]。
 
* [[シュレンヌ橋]]({{lang|fr|''Pont de Suresnes''}})
 
** セーヌ川東岸の16区と西岸の[[オー=ド=セーヌ県]]の自治体[[シュレンヌ]]を結ぶ。
 
* [[ピュトー橋]]({{lang|fr|''Pont de Puteaux''}})
 
** セーヌ川東岸の16区と西岸の[[オー=ド=セーヌ県]]の自治体[[ピュトー]]を結ぶ。
 
 
=== 広場・交差点 ===
 
<gallery mode="packed" caption="" heights="160">
 
File:Trocadéro as seen from the Eiffel Tower, 25 September 2010.jpg|[[エッフェル塔]]から見る[[シャイヨ宮]]前トロカデロ広場とエロー大通り
 
File:Trocadero and cemetery.jpg|エッフェル塔から見るトロカデロ広場と中央を走るエロー大通り、左斜めに走るジョルジュ=マンデル大通りと[[パッシー墓地]]
 
File:P1040934 Paris XVI place de Costa-Rica rwk.jpg|コスタリカ広場 ([[:fr:Place de Costa-Rica|Place de Costa-Rica]])
 
File:Place de Passy neige 2.JPG|パッシー広場 ([[:fr:Place de Passy|Place de Passy]])
 
File:Place Jane-Evrard, Paris 16.jpg|ジェーンヌ=エヴラール広場 ([[:fr:Place Jane-Evrard|Place Jane-Evrard]])。左がブーランヴィリエ通りで(画像に映らない右側)ポンプ通りへ、右がラ・ミュエット通りで(画像撮影地点側)ポール=ドゥメール大通りへと続く。
 
File:Paris - panoramio (245).jpg|メクシコ広場 ([[:fr:Place de Mexico|Place de Mexico]])
 
File:Place de Mexico - Rue de Longchamp, Paris 16.jpg|ロンシャン通りとメクシコ広場
 
File:Scenes around Paris - Arc de Triomphe, ca. 1920–35.jpg|フォッシュ大通りから見る[[シャルル・ド・ゴール広場|エトワール広場]]と[[エトワール凱旋門]], 1920年代
 
File:Paris 75016 Place du Maréchal de Lattre de Tassigny 20160925 Pavillon Dauphine.jpg|[[ブローニュの森]]から見るマレシャル=ド=ラトル=ド=タシニー広場界隈の建物パヴィヨン・ドーフィーヌ
 
File:ImmWalter.JPG|コロンビア広場界隈、1930年代に[[ティエールの城壁]]跡に建てられた[[田園都市]]構想と[[アール・デコ]]調の居住建物 イムーブル・ワルテール ([[:fr:Immeubles Walter|Immeubles Walter]])
 
</gallery>
 
{{message galerie}}
 
パリの「[[広場]] (プラス、{{lang|fr|''Place''}})」は、しばしば2以上の[[道路]]が交差する場所に位置し、中心の「島」を道路が周回する[[ロータリー交差点|ロータリー]]状の[[交差点]]となっている場合が多い。中心の「島」部分は、[[オベリスク]]や[[緑地]]等に利用されている場合もある。16区の広場や交差点には、次のようなものがある。
 
 
* [[アルマ広場]]({{lang|fr|''Place de l'Alma''}})
 
** [[8区 (パリ)|8区]]、16区の境界に位置している。[[ダイアナ (プリンセス・オブ・ウェールズ)|ダイアナ妃]]が亡くなったのはこの広場下のトンネルになる。
 
* [[イエナ広場]]({{lang|fr|''Place d'Iéna''}})
 
* [[ウルグアイ広場]]({{lang|fr|''Place de l'Uruguay''}})
 
* [[合衆国広場]](エタ=ジュニ広場, {{lang|fr|''Place des Étas-Unis''}})
 
* [[クレマン=アデール広場]]({{lang|fr|''Place Clément-Ader''}})
 
** [[グルネル橋]]の西側にある。
 
* [[コスタリカ広場]]({{lang|fr|''Place de Costa-Rica''}})
 
** パッシー駅至近にある。
 
* [[コロンビア広場]](プラス・ド・コロンビ、{{lang|fr|''Place de Colombie''}})
 
** [[経済協力開発機構|OECD本部]]が面している。
 
* [[シャルル・ド・ゴール広場]](エトワール広場、{{lang|fr|''Place Charles-de-Gaulle (Place de l’Étoile)''}})
 
** [[8区 (パリ)|8区]]、16区、[[17区 (パリ)|17区]]の境界に位置している。世界的に有名な[[エトワール凱旋門]]がある。
 
* [[ジェネラル=パットン広場]]({{lang|fr|''Place du Général-Patton''}})
 
** 16区、[[17区 (パリ)|17区]]の境界に位置している。
 
* [[ショパン広場]]({{lang|fr|''Place Chopin''}})
 
* [[東京広場]]({{lang|fr|''Place de Tokyo''}})
 
** [[パレ・ド・トーキョー]]の北側にある。
 
* [[トロカデロ・11月11日広場]]([[トロカデロ]]広場、プラス・デュ・トロカデロ=エ=デュ=オンズ=ノヴァンブル、{{lang|fr|''Place du Trocadéro-et-du-11-Novembre''}})
 
** 現在の[[シャイヨ宮]]の地に、かつて皇帝[[ナポレオン・ボナパルト|ナポレオン]]が、生まれてくる息子[[ナポレオン2世]]の為に「ローマ王宮殿 ([[:fr:Palais du roi de Rome|Palais du roi de Rome]])」を建設した事に因み、 [[フランス第二帝政|第二帝政]]期の1869年、ローマ王広場と名付けられたが、[[フランス第三共和政|第三共和政]]の1877年、トロカデロ広場と改称した ([[:fr:Réalisations urbaines du Second Empire à Paris|Réalisations urbaines du Second Empire à Paris]]も参照)。[[日本人学校]]もこの界隈にかつて設けられていた。「[[日仏文化学院パリ日本人学校]]」も参照。
 
* [[パッシー広場]]({{lang|fr|''Place de Passy''}})
 
* [[パラグアイ広場]]({{lang|fr|''Place du Paraguay''}})
 
** マレシャル=ド=ラトル=ド=タシニー広場の東に隣接している。
 
* [[バルセロナ広場]](プラス・ド・バルスロヌ、{{lang|fr|''Place de Barcelone''}})
 
** [[ミラボー橋]]の西側にある。
 
* [[ヴィクトル=ユゴー広場]]({{lang|fr|''Place Victor-Hugo''}})
 
* [[ボリビア広場]](プラス・ド・ボリヴィー、{{lang|fr|''Place de Bolivie''}})
 
* [[ポルト=ド=サン=クル広場]]({{lang|fr|''Place de la Porte-de-Saint-Cloud''}})
 
* [[ポルト=ドートゥイユ広場]]({{lang|fr|''Place de la Porte-d'Auteuil''}})
 
* [[ポルト=ド=パッシー広場]]({{lang|fr|''Place de la Porte-de-Passy''}})
 
* [[ポルト=マイヨ広場]]({{lang|fr|''Place de la Porte-Maillot''}})
 
** 16区、[[17区 (パリ)|17区]]の境界に位置している。エトワール凱旋門から[[ラ・デファンス]]に向かってグランダルメ大通りが走る。[[ヌイイ・シュル・セーヌ]]との境界に位置し、17区側に[[パレ・デ・コングレ・ド・パリ]]がある。[[ペリフェリック]]や[[ブールヴァール・デ・マレショー]]、グランダルメ大通り・・等が交差する。周辺界隈には、[[マクドナルド]]、[[モンブラン (ケーキ)|モンブラン]]で有名なパティスリー&[[ティールーム|サロン・ド・テ]]「[[アンジェリーナ|アンジュリーナ]]」、ブラッスリー「ル・コングレ・マイヨー (Le Congrès Maillot)」、「[[オーベルジュ]]・ダブ (Auberge Dab)」・・等がある。
 
* [[ポルト=モリトール広場]]({{lang|fr|''Place de la Porte-Molitor''}})
 
* [[マレシャル=ド=ラトル=ド=タシニー広場]]({{lang|fr|''Place du Maréchal-De-Lattre-De-Tassigny''}})
 
** [[ブローニュの森]]界隈ポルト・ドーフィーヌにある。エトワール凱旋門方面から走るフォッシュ大通りの終点。
 
* マルレーネ=ディートリッシュ広場({{lang|fr|''[[:fr:Place Marlène-Dietrich (Paris)|Place Marlène-Dietrich]]''}})
 
** 2002年に名付けられた、イエナ広場近くにある広場。名称は、1980-92年に亡くなるまで8区モンテーニュ大通り12番地<!--モンテーニュ12番地は、当広場フランス語版、他に外部サイトでは、https://www.ouest-france.fr/leditiondusoir/data/1001/reader/reader.html#!preferred/1/package/1001/pub/1003/page/18/phone/、動画では、  https://youtu.be/t9iKQcK_PT0 などを参照。-->に居住していた[[マレーネ・ディートリッヒ]]から。
 
* [[メクシコ広場]]({{lang|fr|''Place de Mexico''}})
 
** [[フランス語]]では、[[メキシコシティ]]を「{{lang|fr|''Mexico''}}(メクシコ)」と表記する。なお、[[メキシコ]]国の仏語表記は、「{{lang|fr|''Mexique''}}(メクシク)」である。
 
* [[ロダン広場]]({{lang|fr|''Place Rodin''}})
 
* [[ヴァルソヴィー広場]]({{lang|fr|''Place de Varsovie''}})
 
** [[イエナ橋]]の西側にある。
 
<!--
 
=== 立体交差 ===
 
* [[○○交差点|○○交差点の立体交差]] ({{lang|fr|''''}})
 
=== トンネル ===
 
** [[○○トンネル]] ({{lang|fr|''''}})
 
=== 船舶 ===
 
* [[○○船会社]] ({{lang|fr|''''}})
 
** [[○○航路]] ({{lang|fr|''''}})
 
*** [[○○発着場]] - [[○○発着場]] - [[○○発着場]]
 
=== 港湾 ===
 
=== その他 ===
 
 
== 著名な出身者 ==
 
=== 政治 ===
 
* [[人物名]] (元首相、政治家)
 
**
 
=== 財界 ===
 
=== 学者 ===
 
=== 文化 ===
 
=== 芸能 ===
 
=== スポーツ ===
 
=== その他 ===
 
-->
 
 
== 著名な居住者 ==
 
<!--居住者・出身者あわせてフランス語版など参照-->
 
=== 王侯貴族・軍人 ===
 
* [[シャルル9世 (フランス王)|シャルル9世]] - 狩猟用に{{仮リンク|ラ・ミュエット宮殿|fr|Château de la Muette (Paris)}}を建設した。
 
* [[マルグリット・ド・ヴァロワ]]([[王妃マルゴ]]) - ラ・ミュエット宮殿に居住<!-- 英語版:Bois de Boulogne#historyより-->
 
* [[ヘンリエッタ・マリア・オブ・フランス]]([[ブルボン朝]]始祖[[アンリ4世 (フランス王)|アンリ4世]]娘、かつイギリス王[[チャールズ1世 (イングランド王)|チャールズ1世]]王妃)
 
** [[清教徒革命]]([[イギリス革命]])最中、[[サン=ジェルマン=アン=レー城]]に身を寄せ王党派を糾合、また[[シャイヨ宮|シャイヨ修道院]] ([[:fr:Couvent des Visitandines de Chaillot|Couvent des Visitandines de Chaillot]]) を建造し、1651年から10年ほど当修道院に居住した。
 
* [[ヘンリエッタ・アン・ステュアート]](イギリス王女、ヘンリエッタ・マリアの末娘、[[オルレアン公]][[フィリップ1世 (オルレアン公)|フィリップ1世]]妃)
 
** 同上。母とおよそ10年間シャイヨ修道院に居住
 
* [[ポンパドゥール夫人]] - ラ・ミュエット宮殿に居住
 
* [[デュ・バリー夫人]] - 同上
 
* [[ルイ16世 (フランス王)|ルイ16世]] - マリー・アントワネットとラ・ミュエット宮殿で新婚生活を送った。
 
* [[マリー・アントワネット]] - 同上<!--以上、oecdのサイト http://www.oecd.org/general/historyofthechateaudelamuetteoecdheadquartersparis.htm も参照-->
 
* [[ランバル公妃マリー・ルイーズ]]
 
** セーヌ川沿いのパッシー{{仮リンク|ランバル公邸|fr|Hôtel de Lamballe}}ないしランバル館に居住。"親友"マリー・アントワネットもこの館を度々訪れたとのこと<!-- fr:Avenue de Lamballe を参照-->。[[フランス革命]]期以降には、気球乗りの[[ジャン=ピエール・ブランシャール]]がカフェに借りたりした。建物自体は[[第一次世界大戦|第一次]]-[[第二次世界大戦]]間に壊されたが、すぐに精密に再建された。<!-- 出典付きfr:Hôtel de Lamballe を参照-->
 
* [[ヴィルジニア・オルドイーニ|カスティリオーネ伯爵夫人ヴィルジニア・オルドイーニ]]
 
** [[イタリア統一]]の陰の功労者とされている。パッシー界隈に、晩年は[[ヴァンドーム広場]]界隈に居住
 
* [[ロラン・ボナパルト]]([[フランス第二帝政|第二帝政]]皇族)
 
** [[ナポレオン・ボナパルト]]の弟[[リュシアン・ボナパルト|リュシアン]]の孫。娘は精神分析学者[[マリー・ボナパルト]]。{{仮リンク|イエナ大通り|fr|Avenue d'Iéna}}10番地(現 シャングリ・ラ ホテル パリ、[[:fr:Shangri-La Hotel Paris|fr]])に居住<!--主に当通りフランス語版より-->
 
* {{仮リンク|エドモン・ド・ポリニャック|fr|Edmond de Polignac}}(1834年 - 1901年、ポリニャック公爵、作曲家)
 
** [[ポリニャック公爵夫人ヨランド・ド・ポラストロン|ポリニャック公爵夫人ヨランド]]の孫、[[フランス復古王政|復古王政]]期の[[フランスの首相|首相]][[ジュール・ド・ポリニャック|ジュール]]の子。[[七月王政]]期の1845年亡命先から[[サン=ジェルマン=アン=レー]]へ、1847年に[[8区 (パリ)|8区]]シャンゼリゼ至近ベリー通り ([[:fr:Rue de Berri|Rue de Berri]]) で育つ。[[サンジェルマン|フォーブール・サンジェルマン]]で教育を受け、またフォーブール・サンジェルマンの[[ロベール・ド・モンテスキュー]]のサークルで、グレフュール伯爵エリザベット・シメイや[[ガブリエル・フォーレ]]らと知己に。[[コンコルド広場]]コワラン館で「ロワイヤル通りサークル ([[:fr:Le Cercle de la rue Royale|fr]])<ref>のちに、8区ラブレ通り ([[:fr:Rue Rabelais|Rue Rabelais]]) 2番地の[[ジョッケクルブ賞|ジョッケクルブ]] ([[:fr:Jockey Club de Paris|fr]])に統合された。</ref>」を主宰。妻ウィナレッタ・シンガーと共に、[[シャイヨ宮]]至近トロカデロ界隈の{{仮リンク|ジョルジュ=マンデル大通り|fr|Avenue Georges-Mandel}}43番地に居住。<!--当人当通りフランス語版参照-->
 
* [[ウィナレッタ・シンガー]](エドモン・ド・ポリニャックの妻、ポリニャック公爵夫人)
 
** 音楽の[[パトロン]]として知られている。1943年に亡くなって後、ジョルジュ=マンデル43番地から裏手{{仮リンク|シェフェール通り|fr|Rue Scheffer}}46番地界隈までの居宅(ポリニャック公妃館)は、[[メセナ]]を行う[[公施設法人]]のシンガー・ポリニャック財団 ([[:fr:Fondation Singer-Polignac|Fondation Singer-Polignac]]) になり現在まで活動を行っている。<!--当通りフランス語版参照-->
 
* {{仮リンク|エリザベット・ド・グラモン|fr|Élisabeth de Gramont}}(クレルモン=トネール公爵夫人、作家)
 
** [[アンリ4世 (フランス王)|アンリ4世]]子孫ながら"La duchesse rouge (赤い公爵夫人)"と呼ばれた。作家[[ナタリー・クリフォード・バーネイ|ナタリー・バーネイ]]との同性愛が知られている。{{仮リンク|フェザンドリ通り|fr|Rue de la Faisanderie}}3番地に1954年に亡くなるまで居住。<!--主に当通りフランス語版より-->
 
*{{仮リンク|ショワズール=スタンヴィル公爵ジャック・フィリップ|fr|Jacques Philippe de Choiseul-Stainville}}(貴族・[[ショワズール|ショワズール公爵家]]、軍人・[[フランス元帥|仏元帥]])
 
** [[七年戦争]]の[[ランゲンザルツァの戦い (1761年)|ランゲンザルツァの戦い]]で敗れた指揮官。[[ルイ15世 (フランス王)|ルイ15世]]宰相[[エティエンヌ・フランソワ・ド・ショワズール|エティエンヌ・ド・ショワズール]]の弟。レヌアール通り [[:fr:Hôtel de Valentinois|Hôtel de Valentinois]]に居住。<!--主に当人フランス語版より-->
 
* {{仮リンク|ジャック=ドナシアン・ル・レイ・ド・ショーモン|fr|Jacques-Donatien Le Ray de Chaumont}}(貴族、[[オテル・デ・ザンヴァリッド|アンヴァリッド]]長官、[[ショーモン城]]主)
 
** ショーモン宅になっていた Hôtel de Valentinoisに支援依頼で来仏の[[ベンジャミン・フランクリン]]が数年間居住。[[アメリカ独立戦争|米独立戦争]]に巨額援助をし、[[ラファイエット|ラファイエット侯]]、[[ジャン=バティスト・ド・ロシャンボー|ロシャンボー伯]]らと共に"仏人の米独立の父"の一人。但し、[[フランス革命]]に反対し米移住。<!--主に当人フランス語版より-->
 
* [[アントワーヌ=アンリ・ジョミニ]](軍人)
 
*{{仮リンク|ギュスターヴ・ボルニ=デボルデ|fr|Gustave Borgnis-Desbordes}}(軍人、海兵少将) - [[フランス領スーダン|仏領スーダン]]成立の功労者。[[清仏戦争]]でも中心にいた一人。{{仮リンク|シェフェール通り|fr|Rue Scheffer}}61番地に居住。<!--主に当通りフランス語版より-->
 
* [[アルフレド・ドレフュス]](陸軍軍人、[[ドレフュス事件]]) - 1894年、{{仮リンク|プレジダン=ウィルソン大通り|fr|Avenue du Président-Wilson (Paris)}}6番地に居住<!--当通りフランス語版参照-->
 
* [[ジョゼフ・ジョフル]](軍人、[[フランス陸軍]]総司令官) - ポンプ通り ([[:fr:Rue de la Pompe|Rue de la Pompe]])115番地に10年ほど居住し<!--File:Plaque Maréchal Joffre, 115 rue de la Pompe, Paris 16.jpg のプラーク画像を参照-->、1909-1919年の間はミケランジュ通り ([[:fr:Rue Michel-Ange|Rue Michel-Ange]])6番地に、その後ランバル大通り ([[:fr:Avenue de Lamballe|Avenue de Lamballe]])17番地に亡くなるまで居住。3通りに[[プラーク]]が掲げられている。
 
* [[ロベール・ニヴェル]](軍人、フランス陸軍総司令官) - {{仮リンク|トゥール通り|fr|Rue de la Tour}}33-35番地に亡くなるまで居住<!--主に当通りフランス語版より-->
 
* [[フィリップ・ド・ゴール]](軍人、上院議員、[[シャルル・ド・ゴール]]の子)
 
* [[アルベール1世 (モナコ大公)|アルベール1世]]([[モナコ統治者の一覧|モナコ大公]]) - 16区プレジダン=ウィルソン大通り10番地、同ジョルジュ=マンデル大通り、8区{{仮リンク|フォーブール=サントノレ通り|fr|Rue du Faubourg-Saint-Honoré}}25番地に居住。プレジダン=ウィルソンの館は1923年から[[バチカン]]大使館が置かれ、1945年には[[ヨハネ23世 (ローマ教皇)|ヨハネ23世]]が大使だった。<!--各通りフランス語版参照-->
 
* [[レーニエ3世]](モナコ大公) - グレース・ケリーと{{仮リンク|フォッシュ大通り|fr|Avenue Foch (Paris)}}界隈に居住<!--同通りフランス語版、Avenue Fochドイツ語版、また、外部サイトは、http://www.royalfoibles.com/prince-rainiers-other-favorite-movie-star/ など多くある。-->
 
* [[グレース・ケリー]](モナコ大公妃・レーニエ3世妃) - 同上
 
* [[サルマーン・ビン・アブドゥルアズィーズ]](現在の第7代[[サウジアラビア]]国王) - フォッシュ大通り界隈に居住<!--同通りフランス語版や、外部サイト http://www.purepeople.com/article/famille-royale-saoudienne-une-princesse-ordonne-de-tuer-un-artisan-parisien_a203046/1 などより-->
 
* {{仮リンク|アントン・ビベスコ|fr|Antoine Bibesco}}(外交官、[[ワラキア]]公爵、妻は英首相[[ハーバート・ヘンリー・アスキス|アスキス]]次女) - 8区の[[:fr:Rue de Courcelles|69 Rue de Courcelles]]と、{{仮リンク|ヴィヌーズ通り|fr|Rue Vineuse}}20番地に居住。弟のEmmanuel Bibescoは同14番地に居住。<!--主にこれら当通りフランス語版より-->
 
* [[アンナ・ド・ノアイユ]](ノアイユ伯爵夫人アンナ=エリザベート、小説家・詩人)
 
** [[ルーマニア]]大貴族ビベスコ家出、嫁ぎ先は[[ノアイユ]]"公爵"家。[[17区 (パリ)|17区]]シテ・デ・フルー ([[:fr:Cité des Fleurs|Cité des Fleurs]]) に優美な[[オルガン|パイプオルガン]]付き[[サロン]]を造築。<!--フランス語版のCité des Fleursより-->[[7区 (パリ)|7区]]ラ・トゥール=モブール大通り ([[:fr:boulevard de La Tour-Maubourg|boulevard de La Tour-Maubourg]]) 界隈で出生し、1910年から1933年に亡くなるまで{{仮リンク|シェフェール通り|fr|Rue Scheffer}}40番地、スクワール・デュ・トロカデロ ([[:fr:Square du Trocadéro|Square du Trocadéro]])界隈に居住。<!--当人、当通りフランス語版より-->生没地にプラークが掲げられている<!--没地は、File:Plaque hôtel de Noailles rue Scheffer.JPG 生地は、File:Plaque Anna de Noailles, 22 bd de La Tour-Maubourg, Paris 7.jpg -->。
 
* [[フェリックス・ユスポフ]]([[ロマノフ朝]]ロシア帝国貴族ユスポフ公)
 
** [[グレゴリー・ラスプーチン]]殺害者。1940年以降16区内の[[:fr:Rue Agar|Rue Agar]]、[[:fr:Rue Jean-de-La-Fontaine (Paris)|65 Rue La-Fontaine]]、1943年から亡くなるまで[[:fr:Rue Pierre-Guérin|38 Rue Pierre-Guérin]]に居住。
 
* [[イリナ・アレクサンドロヴナ]](ロマノフ朝ロシア帝国公女、ユスポフ公の妻) - 同上<!--夫妻ともフェリックス・ユスポフのフランス語版より-->
 
* {{仮リンク|クロシュ・レザー・パフラヴィー|fr|Reza Pahlavi (1960)}}([[パフラヴィー朝]]イラン皇帝[[モハンマド・レザー・パフラヴィー]]の子) - フォッシュ大通り33番地に居住<!--主に当通りフランス語版より-->
 
 
=== 政治 ===
 
* [[ベンジャミン・フランクリン]] (米政治家) - 1776年12月以降数年間、[[アメリカ独立戦争]]への支援依頼で、レヌアール通りオテル・ド・ヴァレンティノワ ([[:fr:Hôtel de Valentinois|Hôtel de Valentinois]]) に居住<!--主に当通りフランス語版より-->
 
* [[ポール・バラス]](政治家、[[総裁政府]]総裁の筆頭) - 晩年、シャイヨ地区で死去
 
* [[シャルル・ド・フレシネ]](元首相) - {{仮リンク|フェザンドリ通り|fr|Rue de la Faisanderie}}123番地に居住<!--主に当通りフランス語版より-->
 
* [[パトリス・ド・マクマオン]](軍人、元大統領) - {{仮リンク|ヴィヌーズ通り|fr|Rue Vineuse}}49番地に居住
 
* [[アルフォンス・ド・ラマルティーヌ]](詩人、政治家)
 
* [[ポール・デシャネル]](元大統領, 1920年) - 1859年の少年期、一家で[[8区 (パリ)|8区]]パンティエーヴル通り34番地居住。晩年は{{仮リンク|エロー大通り|fr|Avenue d'Eylau (Paris)}}10番地に居住し死去。プラークが掲げられている<!--プラークは、File:Plaque Paul Deschanel avenue d'Eylau.jpg 参照-->。
 
* [[ジョルジュ・クレマンソー]](元首相) - 上記クレマンソー博物館参照
 
<!--* [[ジャン・ムーラン]]([[レジスタンス]]指導者、政治家)→ 16区やパッシー等のフランス語版・英語版を見直した結果、16区内のゲシュタポ本部に連行されただけ、、かもしれないです。ゆえに「ゆかりの人物に移動します(2016,10.20)。-->
 
* {{仮リンク|ジョルジュ・マンデル|fr|Georges Mandel}}([[レジスタンス]]指導者、政治家) - [[第二次世界大戦|第二次大戦]]期の内相。[[ロスチャイルド家]]の縁戚。{{仮リンク|ジョルジュ=マンデル大通り|fr|Avenue Georges-Mandel}}界隈、{{仮リンク|モザール通り|fr|Avenue Mozart}}等に居住<!--モザール通りフランス語版も参照-->
 
* [[アルベール・ルブラン]](元大統領・首相) - ボーセジュール大通り ([[:fr:Boulevard de Beauséjour|Boulevard de Beauséjour]]) 19番地で1945年から1950年に亡くなるまで居住<!--当通りフランス語版参照-->
 
* [[ヴァレリー・ジスカール・デスタン]](元大統領) - 青少年期も16区内の私立小やリセ・ジャンソン・ド・サイイ等に通っていた。
 
* [[エドゥアール・バラデュール]](元首相)
 
* [[ジャック・シャバン=デルマス]](元首相) - [[13区 (パリ)|13区]]オピタル大通り76番地生まれ。{{仮リンク|ヴィクトル=ユーゴー大通り|fr|Avenue Victor-Hugo (Paris)}}15番地に1994年まで居住<!--出典付いた当人、当通りフランス語版参照-->
 
* [[ニコラ・サルコジ]](元大統領) - ブッフレ伯爵夫人 ([[:fr:Marie-Charlotte Hippolyte de Campet de Saujon|fr]]) や[[モンモランシー公]]の所有邸宅跡にある[[ヴィラ]]ないし[[ゲーテッド・コミュニティ]]の"ヴィラ・モンモランシー ([[:fr:Villa Montmorency|Villa Montmorency]]) " に大統領退任後を通じて居住<!--出典が付いた当ヴィラフランス語版参照-->
 
* [[クリスティーヌ・ラガルド]](現[[国際通貨基金|IMF]]専務理事、元[[経済・財務省|経済・財政大臣]]) - パッシー駅の東側スクアール・アルボニ ([[:fr:Square Alboni|Square Alboni]]) に居住し、現在(2010年時点)は息子2人がそこに居住している<ref>「[http://www.elle.fr/People/La-vie-des-people/Une-journee-avec/Une-journee-avec-Christine-Lagarde-1130060 Une journée avec Christine Lagarde]」 [[ELLE (雑誌)|ELLE FRANCE]], 26 Janvier 2010</ref>。生まれは[[9区 (パリ)|パリ9区]]
 
* [[イグナツィ・パデレフスキ]](第3代(第2代)[[ポーランド第二共和国]]首相、ピアニスト・作曲家) - 1889-1906年の間、ヴィクトル=ユーゴー大通り94番地に居住<!--当通りフランス語版参照-->
 
* [[コンスタンディノス・カラマンリス]](元[[ギリシャ]]大統領・首相) - 1963-1974年の間、モンモランシー大通り ([[:fr:Boulevard de Montmorency|Boulevard de Montmorency]]) 37番地に居住<!--当通りフランス語版参照-->
 
* {{仮リンク|リシウス・サロモン|fr|Lysius Salomon}}(第13代[[ハイチ共和国]]大統領) - 1879年10月-1888年8月まで大統領、1888年10月にヴィクトル=ユーゴー大通り3番地で死去
 
* [[モブツ・セセ・セコ]](第2代[[コンゴ民主共和国|ザイール共和国]]大統領、[[独裁政治|独裁政権]]) - フォッシュ大通り界隈に居住<!--同通りフランス語版より-->
 
* [[アマニ・ディオリ]](初代[[ニジェールの大統領|ニジェール共和国]]大統領) - {{仮リンク|シェフェール通り|fr|Rue Scheffer}}39番地に居住 <!--当通りフランス語版には、要出典タグが付いていますが、、一応暫定的に記載しておきます-->
 
* [[フェリックス・ウフェ=ボワニ]](初代[[コートジボワール]]大統領・首相) - {{仮リンク|ジョルジュ=マンデル大通り|fr|Avenue Georges-Mandel}}40番地に居住<!--当通りフランス語版参照-->
 
 
=== 財界・富豪 ===
 
* [[ウィリアム・キッサム・ヴァンダービルト]](実業家)
 
* [[ルイ・ルノー]](実業家、[[ルノー]]創業者) - 8区内で生まれ、[[ブローニュ=ビヤンクール]]、フォッシュ大通り界隈に居住<!--fr:フォッシュ大通り、en:ルイ・ルノーなど参照-->
 
* [[カルースト・グルベンキアン]](実業家、石油マン '''「ミスター5%」''') - {{仮リンク|イエナ大通り|fr|Avenue d'Iéna}}51番地に居住<!--主に当通りフランス語版より-->
 
*{{仮リンク|アンリ・ド・ロチルド|fr|Henri de Rothschild}}(男爵、[[フィランソロピー|フィランソロピスト]]、[[ロスチャイルド家|パリ・ロチルド家]]) - 8区フォーブール=サントノレ通りの邸宅を第一次世界大戦の[[連合国]]の社交クラブ「[[:fr:Cercle de l'Union interalliée|Cercle de l'Union Interalliee]] (連合国クラブ)」に改装し、ラ・ミュエット宮殿を購入し居住。[[ナサニエル・ド・ロスチャイルド|ナタニエル・ド・ロチルド]]の孫、曾孫に[[フィリップ・ド・ロチルド]]がいる。
 
* {{仮リンク|マリー=アンネ・フォン・ゴルトシュミット=ロートシルト|de|Marie-Anne von Goldschmidt-Rothschild}}(女男爵、ドイツ[[ロスチャイルド家]](仏:ロチルド家)) - フェザンドリ通り33番地の邸宅のうち庭園別館を後に、パリ・ロチルド家出の女優・プロデューサー [[:fr:Nicole Stephane|Nicole Stephane]]に売却した。<!--主に当通りフランス語版より-->
 
* [[アリストテレス・オナシス]](実業家) - フォッシュ大通り界隈に居住。[[マリア・カラス]]や[[ジャクリーン・ケネディ・オナシス|ジャクリーヌ・ケネディ]]らと居住した<!--同通りフランス語版より、及び下記 Jackie kennedy参照-->
 
* {{仮リンク|エドアール=ジャン・アンパン|fr|Édouard-Jean Empain}}(男爵、[[シュナイダーエレクトリック]]CEO) - 1978年に誘拐事件に遭い人質になっている間、メディアに次々と賭博癖艶聞等を流され事件前後で人生が180度変わってしまった人物として知られている。フォッシュ大通り33番地に居住<!--主に当通りフランス語版より-->
 
* [[ルネ・ラコステ]]([[ラコステ]]創業者、テニス選手) - [[10区 (パリ)|10区]]生まれ。イムーブル・ワルテール ([[:fr:Immeubles Walter|Immeubles Walter]]) に居住していた<!--出典としては、https://www.challenges.fr/economie/les-wildenstein-vendent-un-joyau-de-l-immobilier-parisien_442931
 
-->
 
* {{仮リンク|ウジェーヌ・シュレール|fr|Eugène Schueller}}([[ロレアル]]創業者、[[リリアンヌ・ベタンクール]]の父) - イムーブル・ワルテール ([[:fr:Immeubles Walter|Immeubles Walter]]) に居住していた<!--出典としては、 https://www.challenges.fr/economie/les-wildenstein-vendent-un-joyau-de-l-immobilier-parisien_442931、 http://www.lepoint.fr/societe/le-prince-des-escroqueries-a-la-tva-cyril-astruc-s-est-volatilise-22-06-2017-2137320_23.php など-->
 
* {{仮リンク|セルジュ・ダッソー|fr|Serge Dassault}}([[ダッソー]]名誉会長、政治家)- イムーブル・ワルテール ([[:fr:Immeubles Walter|Immeubles Walter]]) に居住<!--出典としては、https://www.challenges.fr/economie/les-wildenstein-vendent-un-joyau-de-l-immobilier-parisien_442931-->
 
* {{仮リンク|ローラン・ダッソー|fr|Laurent Dassault}}(ダッソー社長、セルジュの子) - [[ヴィラ]]ないし[[ゲーテッド・コミュニティ]]の"ヴィラ・モンモランシー ([[:fr:Villa Montmorency|Villa Montmorency]]) " に居住<!--出典が付いた当ヴィラフランス語版参照-->
 
* ドミニク・ドゥセイニュ([[:fr:Dominique Desseigne|Dominique Desseigne]], [[カジノ]]経営者) - 1997年から妻のディアーヌ・バリエール ([[:fr:Diane Barrière|Diane Barrière]]) が2001年に亡くなるまで"ヴィラ・モンモランシー ([[:fr:Villa Montmorency|Villa Montmorency]]) " に居住<!--出典が付いた当ヴィラフランス語版参照-->
 
* ピエール・ガブリエル・ゲラン ([[:fr:Guerlain#Parfumeurs|Pierre Gabriel Guerlain]], 1872-1961年, [[ゲラン]]4代目[[調香師]]) - イムーブル・ワルテール ([[:fr:Immeubles Walter|Immeubles Walter]]) に居住<!--出典としては、 https://www.challenges.fr/economie/les-wildenstein-vendent-un-joyau-de-l-immobilier-parisien_442931-->
 
* パトリック・グレ=モーブッサン ([[:fr:Mauboussin|Patrick Goulet-Mauboussin]], [[モーブッサン]]6代目社長) - スイスの投資会社に2002年に買収され現在は退任。イムーブル・ワルテール ([[:fr:Immeubles Walter|Immeubles Walter]]) に居住<!--出典としては、https://www.challenges.fr/economie/les-wildenstein-vendent-un-joyau-de-l-immobilier-parisien_442931-->
 
 
=== 学者 ===
 
* [[エルヴェ・フェイ]](天文学者) - {{仮リンク|コルタンベール通り|fr|Rue Cortambert}}39番地に居住し、当地で亡くなる。
 
* [[アンリ・ベルクソン]](哲学者、[[ノーベル文学賞]]) -  [[ヴィラ]]ないし[[ゲーテッド・コミュニティ]]の"ヴィラ・モンモランシー ([[:fr:Villa Montmorency|Villa Montmorency]]) " と<!--出典が付いた当ヴィラフランス語版参照-->、ボーセジュール大通り ([[:fr:Boulevard de Beauséjour|Boulevard de Beauséjour]]) 21番地に1941年に亡くなるまで居住。同地にプラークが掲げられている。<!--当通りフランス語版参照-->
 
* [[ジョルジュ・ソレル]](社会思想家、社会主義者、革命的サンディカリストないし革命的組合主義者) - [[史的唯物論]]から離れ、[[時代精神]]ないし「[[神話]]」についてアンリ・ベルクソンらから影響を受けた。1895年、ミケランジュ通り ([[:fr:Rue Michel-Ange|Rue Michel-Ange]])23番地に居住<!--当通りフランス語版参照-->
 
* [[アルフォンス・ベルティヨン]](犯罪学者、科学捜査官) - {{仮リンク|プレジダン=ウィルソン大通り|fr|Avenue du Président-Wilson (Paris)}}5番地に居住<!--当通りフランス語版参照-->
 
* [[ジャクリーヌ・ド・ロミイ]](ジャクリーヌ・ド・ロミリ、[[ギリシャ文学]]者)
 
 
=== 文化 ===
 
* [[カミーユ・ピサロ]](画家)
 
* {{仮リンク|レオ・フォンタン|fr|Léo Fontan}}(画家) - [[:fr:Rue Beethoven|Rue Beethoven]]7番地に居住<!--当通りフランス語版より-->
 
* {{仮リンク|板東敏雄|fr|Toshio Bando}}(画家、[[エコール・ド・パリ]]) - 1924年頃、[[モンパルナス]]地区[[14区 (パリ)|パリ14区]]ラスパイユ大通り ([[:fr:Boulevard Raspail|Boulevard Raspail]]) 207番地に居住。その後、パッシー界隈ニコロ通り ([[:fr:Rue Nicolo|Rue Nicolo]]) 13番地に1940年から亡くなる1973年頃まで居住<!--ラスパイユ大通りフランス語版、及び出典付いてない当ニコロ通りフランス語版より-->
 
* {{仮リンク|アンリ・ファルジュ|fr|Henri Farge}}(画家) -  {{仮リンク|ヴェルサイユ大通り|fr|Avenue de Versailles}}に居住<!--当通りフランス語版より-->
 
* [[ポール・デュカス]](作曲家) - {{仮リンク|ラヌラグ通り|fr|Rue du Ranelagh}}84番地に居住<!--当通りフランス語版より-->
 
* [[グザヴィエ・ルルー]](作曲家) - {{仮リンク|コルタンベール通り|fr|Rue Cortambert}}64番地に居住<!--当通りフランス語版参照-->
 
* [[ピエール・バイヨ]](作曲家)
 
* [[ジャコモ・プッチーニ]](作曲家)
 
* [[ジョアキーノ・ロッシーニ]](作曲家)
 
* [[クロード・ドビュッシー]](作曲家) - [[17区 (パリ)|17区]]内や、1905年から亡くなる1918年にかけて、[[:fr:Place du Maréchal-de-Lattre-de-Tassigny|Place du Maréchal-de-Lattre-de-Tassigny]]に近い[[:fr:Square de l'Avenue-Foch|Square de l'Avenue-Foch]]24番地に居住<ref>[[地球の歩き方|地球の歩き方編集室]]編 『[[地球の歩き方|地球の歩き方A07・パリ&近郊の町 2007〜2008年版]]』、[[ダイヤモンド社]]、2007年、p.216.</ref>。<!--フォッシュ大通りフランス語版も参照-->
 
* [[ジャン=ピエール・ランパル]](フルート奏者) - モザール通り15番地に居住<!--当通りフランス語版より-->
 
* [[アルトゥール・ルービンシュタイン]](ピアニスト) - フォッシュ大通り22番地に居住<!--当通りフランス語版より-->
 
* [[エミール・ヴォードルメール]](建築家) - ジョルジュ=マンデル大通り27番地に居住<!--当通りフランス語版より-->
 
* [[エクトール・ギマール]](建築家、[[アールヌーヴォー]]の代表的人物) - 1913-1930年の間、モザール通り122番地に居住<!--当通りフランス語版より-->
 
* [[ル・コルビュジエ]](建築家) - 16区[[オートゥイユ]]界隈のメゾン・ラ・ロッシュ ([[:fr:Maison La Roche|Maison La Roche]])、メゾン・ジャヌレ ([[:fr:Maison Jeanneret|Maison Jeanneret]])や、隣接の[[ブローニュ=ビヤンクール]]に建築作品が残る。
 
* [[オーギュスト・ペレ]](建築家) - [[:fr:Rue Berton|Rue Berton]]に居住
 
* [[モリエール]](劇作家、俳優) - 生まれは現在の[[1区 (パリ)|1区]][[サントノーレ通り]]界隈<!--:en:Neuilly-Auteuil-Passy より-->
 
* [[ヴィクトル・ユーゴー]](作家、『[[レ・ミゼラブル]]』、『[[ノートルダム・ド・パリ]]』)
 
** 1873年に"ヴィラ・モンモランシー ([[:fr:Villa Montmorency|Villa Montmorency]]) " に3ヶ月程居住<!--出典が付いた当ヴィラフランス語版参照-->した他、晩年は[[4区 (パリ)|4区]]ヴォージュ広場界隈<!--:en:Neuilly-Auteuil-Passy より-->に、さらに1878年、{{仮リンク|ヴィクトル=ユーゴー大通り|fr|Avenue Victor-Hugo (Paris)}}124番地(旧50番地)の[[リュジニャン家|リュジニャン公妃]]館に愛人[[ジュリエット・ドルエ]]と居住し、1885年同館で死去。同地にプラークが掲げられている。<!--ユーゴー当人フランス語版、ユーゴー大通りフランス語版を参照。プラークは、File:Plaque Victor Hugo, 124 avenue Victor-Hugo, Paris 16.jpg 参照-->
 
* [[オノレ・ド・バルザック]](作家)
 
** 1836年頃、債権者から逃げるため[[パリ改造]]前の{{仮リンク|イエナ大通り|fr|Avenue d'Iéna}}12番地に当たる界隈に一時的に居住<!--主に当通りフランス語版より-->。晩年にあたる1840年から1847年にかけて、現在はバルザック記念館 ([[:fr:Maison de Balzac|Maison de Balzac]]) となっている建物で生活していた。この場所で、『従妹ベット』、『従兄ポンス』などが執筆された<ref>[[地球の歩き方|地球の歩き方編集室]]編 『[[地球の歩き方|地球の歩き方A07・パリ&近郊の町 2007〜2008年版]]』、[[ダイヤモンド社]]、2007年、pp.218-219.</ref>。
 
* [[ピエール=ジャン・ド・ベランジェ]](抒情詩人) - {{仮リンク|ヴィヌーズ大通り|fr|Rue Vineuse}}21番地、{{仮リンク|シェフェール通り|fr|Rue Scheffer}}4番地に居住<!--両通りフランス語版より-->
 
* [[ルネ・ゴシニ]](作家、『[[アステリックス]]』) - {{仮リンク|ブーランヴィリエ通り|fr|Rue de Boulainvilliers}}界隈に居住
 
* [[フランソワーズ・サガン]](作家、『[[悲しみよこんにちは]]』) - {{仮リンク|フォッシュ大通り|fr|Avenue Foch (Paris)}}界隈に居住<!--当人フランス語版等より-->
 
* [[パトリック・モディアノ]](作家)
 
* [[オクターヴ・ミルボー]](作家) - フォッシュ大通り界隈に居住<!--同通りフランス語版より-->
 
* [[マルセル・パニョル]](作家) - フォッシュ大通り界隈に居住<!--同通りフランス語版より-->
 
* [[ジェラール・ド・ヴィリエ]](作家) - フォッシュ大通り界隈に居住<!--同通りフランス語版より-->
 
* {{仮リンク|マルセル・プレヴォ|fr|Marcel Prévost}}(作家) - ヴィヌーズ通り49番地に居住
 
* {{仮リンク|アンドレ・ショメ|fr|André Chaumeix}}(批評家) - ヴィヌーズ通り49番地に居住
 
* {{仮リンク|ジャック・ド・ラクレテル|fr|Jacques de Lacretelle}}(作家) - ヴィヌーズ通り49番地に居住
 
<!--カミーユ・サン=サーンス、テオフィル・ゴーティエは、フランス語版ロンシャン通りに居住ないし死去地等と記述されているが、当人記事のフランス語版・英語版とも整合性がつかないので、保留-->
 
* [[ギヨーム・アポリネール]](詩人、[[キュビズム]]先導者、[[シュルレアリスム]]造語)
 
** [[:fr:Rue Berton|Rue Berton]]や"ヴィラ・モンモランシー ([[:fr:Villa Montmorency|Villa Montmorency]])"<!--出典が付いた当ヴィラフランス語版参照-->に居住。1913年1月に同オートゥイユから[[サンジェルマン大通り|サン=ジェルマン大通り]]202番地に居住し、1918年11月に同地で死去。[[プラーク]]が同建物に掲げられている。<!--出典付いたサンジェルマン大通りフランス語版参照。同通り202番地のプラーク参照 → File:P1260184 Paris VII bd St-Germain n202 Apollinaire rwk.jpg -->
 
* [[アンドレ・ジッド]](作家、[[ノーベル文学賞]]) - 1916年頃から"ヴィラ・モンモランシー ([[:fr:Villa Montmorency|Villa Montmorency]])"に居住<!--出典が付いた当ヴィラフランス語版参照-->
 
* [[エドモン・ド・ゴンクール]](作家、[[ゴンクール賞]])
 
** [[ベル・エポック]]の19世紀後半当時、モンモランシー大通り ([[:fr:Boulevard de Montmorency|Boulevard de Montmorency]]) 67番地の居宅に、[[オーギュスト・ロダン|ロダン]]、[[エミール・ゾラ|ゾラ]]、[[オクターヴ・ミルボー]]、[[ギュスターヴ・ジェフロワ]]、[[ウジェーヌ・カリエール]]、[[モーリス・バレス]]らが集っていた。<!--当通りフランス語版参照-->
 
* [[ハインリッヒ・ハイネ]](詩人) - パッシー界隈ニコロ通り ([[:fr:Rue Nicolo|Rue Nicolo]]) 64番地に1848年頃に居住<!--出典付いてない当通りフランス語版より-->
 
* [[クリスチャン・ディオール]](ファッションデザイナー、[[ディオール]]創業者) - 青少年期を16区で過ごした<!--出典付いた当人日本語版より-->
 
* [[アンリ・ブシャール]](彫刻家) - 晩年[[オートゥイユ]]界隈で過ごした[[アトリエ]]が当人の美術館になっている<!--当人フランス語版参照-->
 
 
=== 芸能 ===
 
* {{仮リンク|オルタンス・シュネデール|fr|Hortense Schneider}}(19世紀半ばの歌手、女優) - {{仮リンク|ヴェルサイユ大通り|fr|Avenue de Versailles}}123番地に居住
 
* [[ジョヴァンニ・マリオ]](オペラ歌手)
 
* [[フョードル・シャリアピン]](オペラ歌手) - {{仮リンク|エロー大通り|fr|Avenue d'Eylau (Paris)}}22番地に居住し1938年に同地で死去。プラークが掲げられている。<!--プラークは、File:Plaque Feodor Chaliapine, 22 avenue d'Eylau, Paris 16 x.jpg 参照-->
 
* [[ロイ・フラー]](米ダンサー) - {{仮リンク|コルタンベール通り|fr|Rue Cortambert}}24番地に居住<!--当通りフランス語版参照-->
 
* [[クロード・フランソワ]](歌手)
 
* [[マリア・カラス]](オペラ歌手) - 上記オナシスとフォッシュ大通りに、その後ジョルジュ=マンデル大通り36番地に居住。<!--各通り各人フランス語版より-->当通りに並んで「[[:fr:Allée Maria-Callas|Allée Maria-Callas]](マリア・カラスの並木道)」がある。
 
* {{仮リンク|ジャック・ドュトロン|fr|Jacques Dutronc}}、[[フランソワーズ・アルディ]](歌手夫妻) - {{仮リンク|フォッシュ大通り|fr|Avenue Foch (Paris)}}界隈に居住<!--同通りフランス語版より-->
 
* [[アベル・ガンス]](映画監督、俳優) - [[18区 (パリ)|パリ18区]]生まれ。[[8区 (パリ)|8区]]の[[リセ]]・シャプタルに通った。晩年、居住し亡くなった地は16区で、墓所はオートゥイユ墓地<!--出典付いた当人フランス語版参照-->
 
* [[フェルナンデル]](喜劇俳優) - フォッシュ大通り界隈に居住<!--同通りフランス語版より-->
 
* [[ジャン=ルイ・バロー]]、[[マドレーヌ・ルノー]](俳優・舞台([[コメディ]])俳優夫妻) - 1940-1994年の間、{{仮リンク|プレジダン=ウィルソン大通り|fr|Avenue du Président-Wilson (Paris)}}18番地に居住。同地にプラークが掲げられている。マドレーヌ・ルノーは16区生まれ<!--プラーク画像もある当通りフランス語版参照-->
 
* [[オリヴィア・デ・ハヴィランド]](女優、『[[風と共に去りぬ (映画)]]』) - 東京(現在の[[港区 (東京都)|港区]])生まれ<!--当人フランス語英語日本語版参照。16区居住については、存命の方ですが、Olivia De Havilland house で検索 -->
 
* [[アルレッティ]](女優) - [[クールブヴォワ]]生まれ。1966-1992年の間、16区[[オートゥイユ]]のレミュザ通り ([[:fr:Rue de Rémusat|Rue de Rémusat]]) に居住。<!--当人フランス語版参照-->
 
* [[バルバラ (歌手)|バルバラ]](歌手) - [[17区 (パリ)|パリ17区]]に生まれ、17区内を転々とし、1937年以降、[[マルセイユ]]や[[オーヴェルニュ]]地方[[ロアンヌ]]へ。父がユダヤ系[[アルザス人]]の為、1941年以降、[[ナチス・ドイツによるフランス占領|ナチス・ドイツ仏占領軍]]から逃げるため、[[ピレネー]]地方[[タルブ]]、[[アンドル県]]、オーヴェルニュ地方[[イゼール県]]等を転々とした。戦後1945年以降は、[[イヴリーヌ県]]や[[18区 (パリ)|パリ18区]]、[[9区 (パリ)|9区]]へ。1946-1959年の間は[[20区 (パリ)|20区]]、1961-1968年の間、16区オートゥイユのレミュザ通り (Rue de Rémusat) 居住。''"Rémusat"''は、1967年に亡くなった同居の母を歌った曲の題名に。[[ヌイイ=シュル=セーヌ]]の病院で[[エイズ]]により死去。<!--当人フランス語版参照-->
 
* [[フランソワーズ・アルヌール]](女優)<!--フランス語版によると16区居住、リセ・モリエール進学-->
 
* [[セルジュ・ゲンスブール]](作曲家、映画監督) - [[ロシア]]([[ウクライナ]])移民の一家で、青少年期は[[20区 (パリ)|20区]]、[[9区 (パリ)|9区]]、[[リモージュ]]、[[パリの解放|パリ解放]]少し前に16区居住。<!--当人フランス語版より-->
 
* [[ジーン・セバーグ]](女優)<!--英語版 en:Jean Seberg に記載--> - {{仮リンク|ロンシャン通り|fr|Rue de Longchamp}}125番地に居住し、その界隈で自殺した。
 
* [[ジェーン・バーキン]](女優)
 
* [[アラン・ドロン]](男優) - デビュー前、[[モンマルトル]]界隈で仕事を転々ブラブラしていたが、のち{{仮リンク|ブリジット・オベール|fr|Brigitte Auber}}と[[サンジェルマン・デ・プレ]]界隈に身を置き、[[ジャン=クロード・ブリアリ]]とも知り合う。<!--アラン・ドロンのフランス語版より-->大成して後、[[ロミー・シュナイダー]]らと16区プレジダン=ケネディ大通り ([[:fr:Avenue du Président-Kennedy|Avenue du Président-Kennedy]]) 沿い等に居住<!--http://www.purepeople.com/article/alain-delon-et-romy-schneider-un-nid-d-amour-a-46-millions-d-euros_a97150/1 より-->
 
* [[プリンス (ミュージシャン)|プリンス]](歌手) - フォッシュ大通り60番地に邸宅があった。<!--当通りフランス語版より-->
 
 
*; ヴィラ・モンモランシー ([[:fr:Villa Montmorency|Villa Montmorency]]) 居住者<!--出典が付いた当ヴィラフランス語版参照-->
 
{{See also|[[ヴィラ]]|[[ゲーテッド・コミュニティ]]}}
 
* [[サラ・ベルナール]]([[舞台女優]]・[[コメディ|コメディエンヌ]])
 
* [[キャロル・ブーケ]](女優) - 1994-2006年の間居住
 
* [[シルヴィ・ヴァルタン]](歌手)、[[ジョニー・アリディ]](歌手) - 1978年から2017年12月にアリディが亡くなるまでヴィラ・モンモランシーに同居。
 
* [[イザベル・アジャーニ]](歌手)
 
* [[セリーヌ・ディオン]](歌手)
 
* [[ジェラール・ドパルデュー]](男優) - 納税問題でロシア国籍に変えるまで居住
 
* [[ミレーヌ・ファルメール]](シンガーソングライター、歌手) - 1994年から2004年の間、[[:fr:Avenue Pierre-Ier-de-Serbie|Avenue Pierre-Ier-de-Serbie]]に居住<!--出典が付いた当通りフランス語版より-->。また、ヴィラ・モンモランシーにも居住
 
 
=== スポーツ ===
 
* [[アンドレ・ルデュック]](自転車レーサー、[[ツール・ド・フランス]]区間優勝歴代3位)
 
** [[サン=トゥアン]]生まれ、[[19区 (パリ)|パリ19区]][[ベルヴィル]]育ち。[[オートゥイユ]]のミケランジュ通り ([[:fr:Rue Michel-Ange|Rue Michel-Ange]]) 19番地に居住しプラークが掲げられている。その他、[[メゾン=ラフィット]]でカフェ食料品店を営んだり、オペラ大通りに居住したりした。[[マルセイユ]]の病院で死去。<!--ミケランジュ通りフランス語版、当人フランス語版参照-->
 
* [[サミュエル・エトオ]](サッカー選手、[[カメルーン]]代表)
 
** イムーブル・ワルテール ([[:fr:Immeubles Walter|Immeubles Walter]]) に居住<!--出典としては、http://www.lepoint.fr/societe/le-prince-des-escroqueries-a-la-tva-cyril-astruc-s-est-volatilise-22-06-2017-2137320_23.php-->
 
 
=== その他 ===
 
* {{仮リンク|モナ・フォン・ビスマルク|fr|Mona von Bismarck}}([[ソーシャライト]]、ファッションアイコン)
 
** [[シャネル]]や[[マドレーヌ・ヴィオネ]]、[[ランバン]]等による"ザ・ベスト・ドレッスド・ウーマン"にアメリカ人では最初に選ばれ、雑誌「[[:en:Vanity Fair (magazine)|Vanity Fair]]」の"[[:en:International Best Dressed List|International Best Dressed List]]" 等にも掲載。[[サン=ルイ島]]のランベール館 ([[:fr:Hôtel Lambert|Hôtel Lambert]]) の一室([[アパルトマン]])、その後[[5番街 (マンハッタン)|5番街]]や[[イエナ橋]]近く16区ニューヨーク大通り34番地、イタリア[[カプリ島]]等に居住。1983年の死後、16区の[[タウンハウス]]は米人アーティスト等のパリ居住を支援する財団になり、さらに米文化紹介のモナ・ビスマルク・アメリカン・センター ([[:fr:Mona Bismarck American Center|Mona Bismarck American Center]]) になる。<!--当人フランス語版英語版参照-->
 
* [[ジャクリーン・ケネディ・オナシス]] ([[ジョン・F・ケネディ]]及び[[アリストテレス・オナシス]]の妻) - フォッシュ大通り界隈に居住<!--Avenue Foch  → http://www.cbsnews.com/pictures/jacqueline-kennedy-onassis-first-lady/48/    https://www.newspapers.com/newspage/53418700/ -->。[[パリ大学|ソルボンヌ大学]]に遊学していた頃は{{仮リンク|モザール通り|fr|Avenue Mozart}}に友人[[:fr:Alice Kaplan|Alice Kaplan]]らとも居住<!--モーツァルト通りフランス語版より-->
 
* [[リー・ラジヴィル]] ([[ソーシャライト]]、ファッションアイコン、ジャクリーン・ケネディの実妹)<!--本人記事中、"パリ16区"脚注参照 -->
 
* [[カーラ・ブルーニ]] ([[ニコラ・サルコジ]]前大統領の妻) - ニコラ・サルコジと[[:fr:Rue Pierre-Guérin|40 Rue Pierre-Guérin]]に居住していた。<!--当通りフランス語版より-->
 
* [[グリナラ・カリモヴァ]]([[イスラム・カリモフ]]元[[ウズベキスタン]]大統領の長女、ウズベク外務次官など) - イムーブル・ワルテール ([[:fr:Immeubles Walter|Immeubles Walter]]) に居住していた<!--出典としては、https://www.challenges.fr/immobilier/l-incroyable-appartement-de-la-fille-karimov-mis-aux-encheres_459067-->
 
*[[徳川昭武]] - フランス留学中慶応3年5月(1867年)から3か月間、ペルゴレーズ街(Rue Pergolèse)53番地のロシア貴族邸を借り住居とした<ref>[http://www.city.matsudo.chiba.jp/tojo/rekishikan_shoukai/rekishi/nenpyou/1837-1869.html 徳川慶喜・昭武関係年表]松戸市教育委員会 生涯学習部 戸定歴史館</ref>。
 
*[[栗本鋤雲]] - 幕府派遣公使として慶応3年9月(1867年)から9か月間滞仏した際、シャルグラン街(rue Chalgrin)30番地に居住した<ref>[https://ci.nii.ac.jp/els/contents110008425418.pdf?id=ART0009676463 栗本鋤雲の函館]井田進也、大妻比較文化 : 大妻女子大学比較文化学部紀要 12, 146-139, 2011</ref>。
 
 
== 著名な出身者 ==
 
=== 政治 ===
 
* [[サー]]・{{仮リンク|エドワード・スピアーズ|en|Edward Spears}}(将軍・軍人) - パリ16区生まれ。[[第一次世界大戦]]及び、[[第二次世界大戦]]中は[[ウィンストン・チャーチル]]から英仏政府連絡員としてパリに派遣されていた。
 
* [[ピエール・ブロソレット]]([[レジスタンス活動]]家) - [[オートゥイユ]]のミケランジュ通り ([[:fr:Rue Michel-Ange|Rue Michel-Ange]]) 77番地bis生まれ<!--当通りフランス語版参照-->
 
* [[ローラン・ファビウス]]([[フランスの首相|首相]])
 
* [[ベルナデット・シラク]]([[ジャック・シラク]]の妻)
 
* [[フレデリック・ミッテラン]](文化相、テレビ司会者、俳優、[[フランソワ・ミッテラン]]の甥)
 
* [[ロベール・バダンテール]](法相)
 
<!--=== 財界 ===-->
 
 
=== 学者 ===
 
* [[エリック・オルセナ]](経済学者・作家)
 
* [[フランソワーズ・ドルト]](女性精神分析家)
 
* [[レジス・ドゥブレ]](哲学者)
 
 
=== 文化 ===
 
* [[マルセル・プルースト]](小説家、『[[失われた時を求めて]]』) - 16区[[オートゥイユ]]界隈生まれ。8区マルゼルブ大通り9番地、オスマン大通り102番地に居住<!--フランス語版 102 Boulevard Haussmann, Paris, France 参照-->。晩年1919-22年の間亡くなるまで、[[プラーク]]が掲げられている16区ラミラル=アムラン通り ([[:fr:Rue de l'Amiral-Hamelin|Rue de l'Amiral-Hamelin]]) 44番地に居住。<!--プラークは、File:Plaque Marcel Proust 44 rue de l'Amiral-Hamelin.jpg 参照。-->
 
* [[ジャン=ポール・サルトル]](哲学者、小説家) - 16区で生まれ育ち、[[シモーヌ・ド・ボーヴォワール]]と6区[[サン=ジェルマン=デ=プレ|サンジェルマン・デ・プレ]]界隈に居住。<!--当人記事より-->
 
* [[ルイ・アラゴン]](小説家、批評家)
 
* [[クロード・サロート]](女性ジャーナリスト) - [[サン=ルイ島]]に居住。
 
 
=== 芸能 ===
 
* [[カトリーヌ・ドヌーヴ]]、[[フランソワーズ・ドルレアック]](女優姉妹) - 両人とも出生は[[17区 (パリ)|17区]]内のクリニック<!--フランス語版17区シテ・デ・フルール参照-->、育ちは{{仮リンク|ミュラ大通り|fr|Boulevard Murat}}界隈<!--Ses interviews / Presse 1960-79 / L'Express 1966 (http://toutsurdeneuve.free.fr/Francais/Pages/Interviews_Presse6079/Express66.htm) , フランス語版 fr:Boulevard Muratより-->。ドヌーヴは16区ラ・ミュエット西側のイムーブル・ワルテール ([[:fr:Immeubles Walter|Immeubles Walter]]) に居住<!--出典としては、http://www.lepoint.fr/societe/le-prince-des-escroqueries-a-la-tva-cyril-astruc-s-est-volatilise-22-06-2017-2137320_23.php-->
 
* [[ジャック・フランソワ]](男優)
 
* [[フランソワ・ベルレアン]](男優)
 
* [[ブリジット・バルドー]](女優)<!--http://m.elle.co.jp/culture/celebgossip/Brigitte-Bardot-May-Quit-France-Over-Elephants-13_0108--> - 出生は[[15区 (パリ)|15区]]内
 
* [[イザベル・ユペール]](女優)
 
* [[クリストフ・ドゥシャヴァンヌ]](番組司会者)<!--フランスの"みのもんた"というところの人-->
 
* [[エマニュエル・セニエ]](女優)
 
* [[ケブ・アダム]](男優・コメディアン)
 
<!--=== スポーツ ===-->
 
 
=== その他 ===
 
* [[ジャンヌ・ドゥメルグ]]([[ガストン・ドゥメルグ]]の妻)
 
 
== その他ゆかりのある人 ==
 
<!--  en:Passy  16:52, 14 September 2016 Aklein62、fr:Passy (Seine) 15 juillet 2016 à 00:07 Kaoh  などを参照-->
 
=== 王侯貴族・軍人 ===
 
* [[マリー・マンチーニ]]([[マザリネット]]の一人) - [[シャイヨ宮|シャイヨ修道院]] ([[:fr:Couvent des Visitandines de Chaillot|Couvent des Visitandines de Chaillot]]) に身を寄せたりした。<!--fr:Couvent des Visitandines de Chaillot 等を参照-->
 
* [[ルイーズ・ド・ラ・ヴァリエール]]([[ルイ14世 (フランス王)|ルイ14世]]の[[公妾]]) - シャイヨ修道院に2度駆け込み、身を寄せた。<!--当人記事や、fr:Couvent des Visitandines de Chaillot 等を参照-->
 
* [[マリー・ヴィクトワール・ド・ノアイユ|トゥールーズ伯爵夫人マリー・ヴィクトワール・ド・ノアイユ]] ([[ルイーズ・マリー・ド・ブルボン=パンティエーヴル|マドモワゼル・ド・パンティエーヴル]]の祖母)<!--ドイツ語版 Marie-Victoire de Noailles 00:14, 18. Okt. 2015 Alan の版より-->
 
* [[シーモア・フレミング]](ワースリー第七代准男爵夫人シーモア・ドロシー・フレミング) - [[コモン・ロー]]の[[姦通罪]]に関連して英国で知られる。
 
* [[アレクサンドル・ル・リシュ・ド・ラ・プーピリニエール]](18世紀の音楽の[[パトロン]]新興貴族、徴税請負人)
 
* [[ルイ=グレグワール・デシャン・デトゥルネル]]([[フランス革命]]期の政治家)
 
* [[シャルル=エドアール・ジェニングス・キルメーヌ]](フランス革命期のアイルランド人[[志願制度|志願軍人]])
 
* {{仮リンク|セプティム・ド・ファイ (トゥール=モブール伯)|fr|Septime de Faÿ de La Tour-Maubourg}}(貴族・外交官、[[7月王政|フランス王国]]駐ローマ大使 1831-1845年) - パッシー生まれ
 
* {{仮リンク|フェリックス・アントワーヌ・アペール|fr|Félix Antoine Appert}}(軍人・陸軍中将、[[フランス第三共和政|フランス共和国]]駐帝政ロシア大使 1882年- ) - [[露仏同盟]]の下準備期間の大使。1891年パッシーで死去
 
* [[ダイアナ (プリンセス・オブ・ウェールズ)|ダイアナ妃]](元イギリス皇太子妃) - 1997年、[[8区 (パリ)|8区]]モンテーニュ大通り至近、8区と16区境界上のアルマ広場([[:fr:Place de l'Alma|Place de l'Alma]])下のトンネルで亡くなる。
 
 
=== 政治 ===
 
* [[ジャン=フレデリック・ポソーズ]](政治家) - パッシーに居住
 
* [[ジョゼフ・マリー・ポルタリス]](政治家・マルティニャック内閣外務大臣、[[アルマン・エマニュエル・ド・ヴィニュロー・デュ・プレシ|リシュリュー]]内閣司法次官) - パッシーで死去
 
* [[ピエール・ジョゼフ・プルードン]]([[社会主義]]者・[[アナキズム|無政府主義指導者]]) - 1865年、パッシー通り12番地で死去。[[プラーク]]が掲げられている。<!--プラークは、File:Plaque Proudhon rue de Passy.jpg 参照-->
 
* [[ジャン・ムーラン]]([[レジスタンス]]指導者、官僚)<!--16区内のゲシュタポ本部に捕われていただけかもしれないので、「居住者」から移動(2016,10.20)-->
 
* [[ジャン・ミュルトン]](レジスタンス活動家、対独協力者)
 
* [[ポルフィリオ・ルビロサ]]([[ドミニカ共和国]]の外交官、F1ドライバー、[[セレブリティ]]、[[ソーシャライト]]) - [[ブローニュの森]]で激突死
 
* [[エドゥアール・フィリップ]](現フランス首相) - 16区内の[[リセ]]・ジャンソン=ドゥ=サイイに通った
 
* [[ニコラ・ユロ]](現[[エコロジー・持続可能開発・エネルギー省|エコロジー移行・連帯省]]大臣、環境ジャーナリスト) - 少年時代、パッシー駅の東側スクアール・アルボニ ([[:fr:Square Alboni|Square Alboni]]) に居住し、同16区内のカトリック系私立リセ・サン=ジャン=ド=パッシー ([[:fr:Lycée Saint-Jean-de-Passy|fr]]) の小学校に通っていた。中学校から[[ニース]]のコレージュ・サッセルノ (collège Sasserno à Nice) を経て[[パリ大学|バリ第6大学]]へ。<!--当人フランス語版、スクアール・アルボニフランス語版より-->
 
 
=== 財界 ===
 
* [[ジュール・ポール・バンジャマン・ドゥルセール]](銀行家、実業家、[[博物学者]]) - 1812年、プレジダン=ケネディ大通り ([[:fr:Avenue du Président-Kennedy|Avenue du Président-Kennedy]]) 沿いに初めて[[砂糖]]の精錬工場を設けた。<!--当通りフランス語版、当人日本語版等より-->
 
* [[アントワーヌ・ブルートス・ムニエ]]([[ショコラ・ムニエ]]創業者) - パッシーで死去
 
 
=== 文化 ===
 
* [[ジャック・エミール・ブランシュ]](画家)
 
* {{仮リンク|アンヌ=ルイーズ・ボイヴァン・ダドンクール・ブリヨン・ド・ジュイ|fr|Anne Louise Boyvin d'Hardancourt Brillon de Jouy}}([[フォルテピアノ|フォルテピアニスト]]・作曲家) - [[ベンジャミン・フランクリン]]のパッシー滞在時代の友人。米独立の際に曲を起草
 
* [[カルロ・マロチェッティ]](彫刻家) - パッシーで死去
 
* [[ベルト・モリゾ]](画家) - パッシーで死去
 
* [[ポリーヌ・ドラクロワ・ガニエ]](画家) - パッシー生まれ
 
* [[カロリーヌ・ブランシュ]](オペラ歌手) - パッシーで死去
 
* [[ジャック・ゴデ]](スポーツジャーナリスト、[[レキップ]]創業者、[[ツール・ド・フランス]]2代目ディレクター) - [[パッシー墓地]]に埋葬<!--http://www.findagrave.com/cgi-bin/fg.cgi?page=gr&GRid=13707209-->
 
* [[ポール・ド・コック]](大衆小説家) - パッシー生まれ
 
* [[マルク・ボナシェ]](オペラ歌手) - パッシーで死去
 
* [[ピエール・ブルトノー]](フランスの著名な医師)
 
* [[ウジェーヌ・デメ]](フランスの著名な音楽編集者)
 
* [[ジョエル・ロブション]]([[フランス料理]]人) - 対岸15区の[[:fr:Hôtel Novotel Paris Tour Eiffel|ホテル日航]]料理長から{{仮リンク|ロンシャン通り|fr|Rue de Longchamp}}32番地に1981年「Restaurant Jamin」を独立開店した。<!--主に当通りフランス語版より-->
 
 
=== 芸能 ===
 
* [[フィリップ・ノワレ]](俳優、[[舞台俳優]] ([[コメディ]]俳優)) - 16区内の名門リセ・ジャンソン=ド=サイイに通っていたが、[[バカロレア]]に3度落第した。<!--当人日本語版フランス語版、、fr:Catégorie:Élève du lycée Janson-de-Sailly など参照-->
 
* [[マリオン・コティヤール]](女優) - 16区内のリセ・モリエールに通っていた。
 
 
=== その他 ===
 
* [[セシリア・アティヤス]]([[ニコラ・サルコジ]]元フランス大統領の前妻) - 16区の私立アンスティチュ・ド・ラソンプション ([[:fr:Institut de l'Assomption|fr]]) に通っていた。隣接する[[ブローニュ=ビヤンクール]]出身。
 
* [[ジュリエット・ドルエ]] ([[ビクトル・ユーゴー]]の愛人) - 1833年から亡くなる1883年まで{{仮リンク|ラ・フォンテーヌ通り|fr|Rue Jean-de-La-Fontaine (Paris)}}57番地に居住し死去<!--当人、ラ・フォンテーヌ通りフランス語版より-->。また、ユーゴーが晩年1878年から亡くなる1885年の間に居住した16区ヴィクトル=ユーゴー大通り124番地(旧50番地)の[[リュジニャン家|リュジニャン公妃]]館にも居住した。但し、リュジニャン館自体は1907年に取り壊された。<!--ユーゴー大通り、ユーゴー当人フランス語版参照-->
 
 
== 16区を舞台にした作品 ==
 
<!--=== 絵画 ===
 
* [[画家]] 『邦題』- {{lang|fr|''''}} (XXXX年)
 
* [[画家]] - {{lang|fr|''''}} (XXXX年)
 
=== 音楽 ===
 
* [[作者]] 『邦題』- {{lang|fr|''''}} (XXXX年)
 
* [[作者]] - {{lang|fr|''''}} (XXXX年)
 
=== 小説・詩 ===
 
* [[著者]] 『邦題』- {{lang|fr|''''}} (XXXX年)
 
* [[著者]] - {{lang|fr|''''}} (XXXX年)
 
=== 漫画 ===
 
* [[著者]] 『邦題』- {{lang|fr|''''}} (XXXX年)
 
* [[著者]] - {{lang|fr|''''}} (XXXX年)-->
 
=== 映画 ===
 
* [[エルンスト・ルビッチ]] 『[[天使 (1937年の映画)|天使]]』 - {{lang|fr|''Angel''}} (1937年)
 
** [[マレーネ・ディートリッヒ]]ほか主演映画。亡命ロシア貴族の生活をパッシー・トゥール通り([[:fr:Rue de la Tour|Rue de la Tour]])の居宅を舞台に描いた作品。日本公開は1946年。
 
* {{仮リンク|ジャック・ポワトルノー|fr|Jacques Poitrenaud}}、[[ミシェル・ボワロン]]、{{仮リンク|クロード・バルマ|fr|Claude Barma}}、{{仮リンク|マルク・アレグレ|fr|Marc Allégret}} 『パリジェンヌ』 - {{lang|fr|''Les Parisiennes''}} (1962年)
 
** {{仮リンク|ダニー・サヴァル|fr|Dany Saval}}、[[ダニー・ロバン]]、[[フランソワーズ・アルヌール]]、[[カトリーヌ・ドヌーヴ]]ら各主演4話のオムニバス映画。ダニー・ロバンが16区のレジャーマダムを演じている。
 
* [[ジェラール・ウーリー]] 『[[大進撃]]』 - {{lang|fr|''La Grande Vadrouille''}} (1966年)
 
** [[ルイ・ド・フュネス]]ほか主演映画。16区の[[贋造博物館]]が舞台の一つとなっている。日本公開は1967年。
 
* [[ベルナルド・ベルトルッチ]] 『[[ラストタンゴ・イン・パリ]]』 - {{lang|fr|''Le Dernier Tango à Paris''}} (1972年)
 
** [[マーロン・ブランド]]、[[マリア・シュナイダー]]主演映画。パッシーの[[ビル・アケム橋|ビラケム橋]]など16区が舞台となっている。日本公開は1973年。
 
* {{仮リンク|イヴ・ロベール|fr|Yves Robert (cinéaste)}} 『象はよく人を騙す(仮邦題)』 - {{lang|fr|''Un éléphant ça trompe énormément''}} (1976年)
 
** 16区ではリセ・ジャン=ド=ラ=フォンテーヌ([[:fr:Lycée Jean-de-La-Fontaine (Paris)|fr]])などが舞台([[:fr:Un éléphant ça trompe énormément|フランス語版]]より)。日本未公開作品。
 
* {{仮リンク|イルマル・ラーグ|fr|Ilmar Raag}} 『クロワッサンで朝食を』 - {{lang|fr|''Une Estonienne à Paris''}} (2012年)
 
** [[ジャンヌ・モロー]]が16区の(気難しい)高級マダムを演じている。日本公開は2013年。
 
<!--=== ドラマ ===
 
* テレビ
 
** [[監督]] 『邦題』- {{lang|fr|''''}} (XXXX年)
 
** [[監督]] - {{lang|fr|''''}} (XXXX年)
 
* ラジオ
 
=== アニメ ===
 
* [[監督]] 『邦題』- {{lang|fr|''''}} (XXXX年)
 
* [[監督]] - {{lang|fr|''''}} (XXXX年)
 
=== 演劇 ===
 
演劇について、その名称を箇条書きします(年代順)。
 
* [[監督]] 『邦題』- {{lang|fr|''''}} (XXXX年)
 
* [[監督]] - {{lang|fr|''''}} (XXXX年)
 
=== ゲーム ===
 
ゲームについて、その名称を箇条書きします(年代順)。
 
* [[製作会社]] 『邦題』- {{lang|fr|''''}} (XXXX年)
 
* [[製作会社]] - {{lang|fr|''''}} (XXXX年)
 
=== その他 ===
 
 
== その他 ==
 
上記の節にあてはまらない事項について、具体的に記述します。
 
-->
 
 
== 脚注 ==
 
{{脚注ヘルプ}}
 
 
{{Reflist|2}}
 
 
== 参考文献 ==
 
* [[ミシュラン|MICHELIN]]編、『{{lang|fr|''Plan Atlas 56 – Paris du Nord au Sud – ''}}』、ISBN 978-2-06-710591-1、MICHELIN、2007年 (仏語。パリ市内の詳細地図。)
 
 
== 関連項目 ==
 
* [[パリ]]
 
* [[パリの行政区]]
 
* 高級住宅街
 
** [[ケンジントン・アンド・チェルシー王立区|ケンジントン&チェルシー王立区]]
 
** [[アッパー・イースト・サイド]]
 
* [[:en:Neuilly-Auteuil-Passy|Neuilly-Auteuil-Passy]](英語版)<!--フランス語版にはない、デュマの「モンテクリスト伯」の話といい、英語版などの独特の記述ゆえ、リンク先に入れました。但し、当該記事には出典が出ていません。-->
 
** [[:fr:Les Inconnus|Les Inconnus]] - フランスの人気お笑いトリオ。『Auteuil Neuilly Passy (Rap B.C.B.G.)』(1991年)で、''"オートゥイユ ヌイイ パッシー、コレが深窓のお坊ちゃまの[[ゲットー]]"''と[[シニカル]]に[[ウイット]]たっぷりに表現した。
 
  
 
== 外部リンク ==
 
== 外部リンク ==
{{Commonscat|Paris XVIe arrondissement|パリ・16区}}
 
 
* [http://www.paris.fr/portail/accueil/Portal.lut?page_id=1 パリ市役所公式サイト] (仏語・英語・スペイン語)
 
* [http://www.paris.fr/portail/accueil/Portal.lut?page_id=1 パリ市役所公式サイト] (仏語・英語・スペイン語)
 
* [http://www.mairie16.paris.fr/mairie16/jsp/site/Portal.jsp パリ・第16区役所公式サイト] (仏語)
 
* [http://www.mairie16.paris.fr/mairie16/jsp/site/Portal.jsp パリ・第16区役所公式サイト] (仏語)
1,119行目: 23行目:
 
|Northwest = [[ピュトー]]
 
|Northwest = [[ピュトー]]
 
|image    = }}
 
|image    = }}
{{パリとその周辺}}
 
{{France-stub}}
 
  
 +
{{テンプレート:20180815sk}}
 
[[Category:パリの行政区| 16]]
 
[[Category:パリの行政区| 16]]
 
[[Category:パリ16区|*]]
 
[[Category:パリ16区|*]]

2018/10/28/ (日) 20:22時点における最新版

パリ・16区の位置

パリ16区 (16く、16e arrondissement de Paris)

フランス首都・パリ市を構成する20の行政区のひとつである [1]。第16区、パリ16区ともいう。市の西部に位置しており、ブローニュの森を含む。南北に蛇行するセーヌ川に挟まれた区域であり、区の東西でセーヌ川に接している。

外部リンク




楽天市場検索:


  1. フランス語の 「16e 」 = 「seizième 」 は、英語の「sixteenth 」 に相当する序数。「第16の」 「16番目の」を意味する。したがって、原語の「16e arrondissement 」を直訳し すると「第16区」となる。