競輪

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競輪(けいりん)とは、自転車競技法という特別法に基き指定された自治体自転車競走を開催、この結果を賭けの対象としてパリミュチュエル方式により勝者投票券(車券)を販売する公営競技の一つであり、日本(北九州市)を発祥の地とする賭博である。

開催・運営

主催者は地方自治体である[1]。監督官庁は経済産業省製造産業局車両室)[2]で、運営統括は財団法人JKA。運営を補佐する団体として全国競輪施行者協議会日本競輪選手会がある[2]

地方自治体は所管省庁の経済産業省へ競走の開催を届け出、競輪選手と呼ばれるプロの選手達と「競輪場」と呼ばれる自転車競技場における競走出場に関する契約を交わす。番組編成、選手管理、審判など[3]、実際の自転車競走の運営については競輪場の存在する各地域のJKA競輪競技実施事業本部(旧・日本自転車競技会)の支部へ委託している。審判の方法など、受け持つ支部によって運営手法に違いがある[4]

競輪選手の登録・斡旋、育成については中央団体である公益財団法人JKAが行ない、2014年4月からは審判および番組編成・選手管理・検車の4つの業務もJKAが管掌している(経済産業省はJKAを通して競輪選手、競技会、施行者などの監督指導を行う) 。

投票券(車券)の売り上げ金のうち75%は払戻金に充て[1]、残り25%から一定額を選手賞金などの経費やJKAへの交付金(約3.3%)、公営企業金融公庫への納付金(約1.1%)を差し引いた額が純益として地方自治体の歳費となる。

競輪の収益金は、監督するJKAに納付される売上を元に各種の補助事業が行われ社会に還元されただけでなく、主催者として運営する自治体に多額の収入をもたらしたことで自治体財政を健全化し、戦災復興や公共施設の建設などに貢献することになった。収益金の使途として最も多かったのは主として土木事業費であるが、競輪のイメージ向上への期待も込めて、教育、福祉関連事業にも多くの費用が投入された。通産官僚の佐橋滋らによる発案で、当時資金調達が困難だった国産トランジスタ計算機の研究開発に競輪収益をあてたエピソード[† 1]もある。

日本のプロスポーツでは選手数が最も多い競技とされ、およそ2,300人より構成される。また初期には女性選手による「女子競輪」が1964年昭和39年)まで開催されたほか、2012年(平成24年)7月1日から女子選手による「ガールズケイリン」が開催されている。

創設以来、日本独自のものであったが、現在は日本側による技術指導の下、韓国で独自の施行者が国内3つの競輪場で開催している。なお、過去には、1949年5月にタイとの間で競輪輸出契約がまとまり日本以外で初の競輪が開催される予定であったが、直後の政変によりご破算となった(競輪二十年史では「ピブン政権の失脚により」との記述があるが、史実ではピブン政権の失脚は1957年[5]。このほか、アメリカ占領下にあった沖縄でも競輪開催の動きがあったが結局立ち消えになっている[5]

選手

概要

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いわき平競輪場で練習中の競輪選手

競輪選手は、日本競輪学校において1年間研修を受けて競輪に関する知識と技能を習得し[6]、競輪選手資格検定に合格[7]して同校を卒業し、選手登録された者である[8]。選手の権利を守る団体として日本競輪選手会があり[9]、各選手は各都道府県にある日本競輪選手会の支部に所属している[9]

競輪学校の入学試験には一般試験と特別選抜試験があり、後者は各種スポーツ競技における成績優秀者を対象としている[6]。特別選抜試験の受験資格は非常に厳しく、ほとんどの受験生は一般試験を受験する[10]。一般試験には「自転車の競技経験者が対象で自転車の走力を測る」技能試験と「自転車の競技経験がない者が対象で運動能力を測る」適性試験があり、いずれについても一次試験と二次試験が課される[11]。合格率は、109期以降では、男子は5倍程度[12]、女子は2〜3倍程度[13]である。男子は受験1回目での合格率は約3割で、合格者の多くは複数回の受験を経験している[14]。入学希望者は自転車競技愛好会や高校・大学の自転車部に所属して練習を積むケースが多い[15]

デビュー直後は、男子はA級3班に所属し[16]、その後はS級戦(S級S・1・ 2班戦)・A級1・2班戦・A級チャレンジ戦(A級3班戦)に分けられた3クラス戦制の中で、2級6班制による半年毎の格付け入れ替えを経て[† 2]、最上位のS級S班(9名)を目指す体系となっている[18]。南関東公営競馬の予想屋で競輪ファンでもある佐々木洋祐は、最上位クラスの選手と最下級クラスの選手との実力差は、一緒に走ればほぼ100%最上位クラスの選手が勝つといえるほど絶対的なものであると述べている[19]。なお、女子は現状では昇降級の制度はないため、全員がL級1班の所属[20]である。

男子選手の所属する級および班は、競走得点および評価点に基づいて決められる。まず競走成績に応じて競走得点が算出される[18]。競走得点は着順が良いほど、また格の高いレースほど高く設定されている[21]。さらに競走得点をもとに評価点[† 3]が計算され[22]、それをもとに選手の所属する級および班が決められる[22]。ちなみに、男子選手のランクはレーサーパンツの下地とラインの色から判断することができ、A級は黒地に緑のライン[23][17]、S級は黒地に赤のライン[23][17]、S級S班は赤地に黒のラインとなっている[23]

選手は月に2つないし3つの開催に出場する[24]。出場レース数に換算すると、平均して月に6ないし9レースである[24]。出場は、JKAのあっせんに対し選手が意思表示を行うことによって決められる[24]。出場が決まった選手は開催前日、指定時間までに競輪場へ入らなければならず[25]。競輪場に到着した選手は参加登録および健康診断を受け[25]、さらに分解してバッグに入れて持ち込んだ[26]自転車を組み立てて検査を受ける[25]。検査に合格した選手は3日ないし4日間宿舎(主に4人部屋[25])に滞在し、外部との連絡を絶つ[27]。開催当日は午前中に再度自転車の検査を受けた後で練習を行い、レースに備える[28]

レースへの出場がないとき、多くの競輪選手は練習漬けの日々を過ごすといわれている[29]。競輪選手にはシーズンオフがない。そのためレースへの出場が続き、したがって練習のできない期間が長くなった選手は脚力に衰えが出る(「貯金がなくなる」と表現する)ようになる[30]。各選手の過去の出場履歴は車券予想におけるファクターの一つである[30]

選手の収入源は賞金や出走手当で[31]、実力下位であっても一般的なサラリーマンよりも高額の収入を得ているといわれている[32]。JKAが公表した、2017年の全選手の賞金総額及び平均取得額によると、2017年12月31日時点での全登録選手2,339名の平均取得額は9,788,191円で、うちS級678名では16,534,196円、A級1,552名では7,155,176円、L級(女子)109名では6,666,809円であった[33]

なお、「競輪に係る業務の方法に関する規程」第83条第1項第3号には競走成績不良による登録消除の基準が定められており、一定期間、連続して成績の振るわない選手は斡旋を保留され[34]選手登録を消除される(強制的に引退させられる)[17][35]

歴代賞金王

※は当年のKEIRINグランプリ優勝者とは異なるケース(第1回が開催された1985年以降。但し1989年は開催中止)。

1949年 小林源吉(埼玉) 1,921,000円
1950年 高橋澄(兵庫) 2,425,250円
1951年 (資料毀損のため集計せず)
1952年 高倉登(埼玉) 3,743,000円
1953年 山本清治(大阪) 3,532,100円
1954年 中井光雄(滋賀) 3,795,530円
1955年 松本勝明(京都) 3,793,780円
1956年 松本勝明(京都) 4,118,150円
1957年 西村公佑(大阪) 4,338,200円
1958年 石田雄彦(和歌山) 4,592,500円
1959年 山本清治(大阪) 5,010,370円
1960年 石田雄彦(和歌山) 5,796,080円
1961年 吉田実(香川) 4,876,590円
1962年 吉田実(香川) 6,160,800円
1963年 高原永伍(神奈川) 10,875,660円
1964年 石田雄彦(和歌山) 12,304,940円
1965年 白鳥伸雄(千葉) 12,101,480円
1966年 稲村雅士(群馬) 12,384,020円
1967年 平間誠記(宮城) 19,093,920円
1968年 吉川多喜夫(神奈川) 16,923,220円
1969年 高原永伍(神奈川) 17,899,460円
1970年 福島正幸(群馬) 16,866,540円
1971年 太田義夫(千葉) 17,642,200円
1972年 福島正幸(群馬) 23,799,720円
1973年 阿部道(宮城) 35,937,630円
1974年 阿部道(宮城) 40,595,800円
1975年 福島正幸(群馬) 39,613,900円
1976年 藤巻昇(北海道) 56,742,000円
1977年 中野浩一(福岡) 66,139,600円
1978年 中野浩一(福岡) 82,385,200円
1979年 中野浩一(福岡) 92,186,200円
1980年 中野浩一(福岡)111,410,600円
1981年 中野浩一(福岡)107,685,711円
1982年 井上茂徳(佐賀)108,267,311円
1983年 中野浩一(福岡)109,093,600円
1984年 井上茂徳(佐賀) 98,545,100円
1985年 滝澤正光(千葉) 96,287,600円※
1986年 滝澤正光(千葉)100,883,000円※
1987年 滝澤正光(千葉)131,285,100円
1988年 滝澤正光(千葉)129,654,000円※
1989年 坂本勉(青森) 99,305,700円
1990年 坂本勉(青森)121,627,000円
1991年 鈴木誠(千葉)118,745,700円
1992年 吉岡稔真(福岡)190,028,133円
1993年 神山雄一郎(栃木)156,129,100円※
1994年 吉岡稔真(福岡)158,604,533円※
1995年 神山雄一郎(栃木)185,597,533円※
1996年 吉岡稔真(福岡)178,409,511円※
1997年 神山雄一郎(栃木)228,571,400円※
1998年 神山雄一郎(栃木)183,822,500円※
1999年 神山雄一郎(栃木)180,272,200円※
2000年 児玉広志(香川)170,820,200円
2001年 伏見俊昭(福島)203,315,600円
2002年 山田裕仁(岐阜)244,348,500円(歴代最高賞金獲得額)
2003年 山田裕仁(岐阜)215,344,600円
2004年 小野俊之(大分)183,537,300円
2005年 加藤慎平(岐阜)186,102,000円
2006年 有坂直樹(秋田)191,489,111円
2007年 伏見俊昭(福島)185,159,999円
2008年 井上昌己(長崎)167,933,900円
2009年 海老根恵太(千葉)224,791,000円
2010年 村上博幸(京都)237,938,200円
2011年 山口幸二(岐阜)197,653,511円
2012年 村上義弘(京都)158,590,868円
2013年 金子貴志(愛知)189,569,722円
2014年 武田豊樹(茨城)220,921,000円
2015年 浅井康太(三重)189,633,600円
2016年 村上義弘(京都)229,204,000円
2017年 浅井康太(三重)182,787,400円

女子(賞金女王)はこちらを参照。

グランドスラム

2018年時点では6つあるGIカテゴリ競走(グレード制が制定される以前は「特別競輪」と呼ばれた競走)を全て制覇すれば、「グランドスラム(グランドスラマー)」と称される。

現時点では、日本選手権(競輪ダービー)、高松宮記念杯寛仁親王牌全日本選抜オールスター競輪祭の6つ全てを優勝することが条件である。なお、KEIRINグランプリはGPのカテゴリであり、GIではないため含まれない。

過去に達成したのは僅か3人。但し、井上と滝澤は共に寛仁親王牌がGI競走となる前の出来事[† 4]であるため、現在でもそのままグランドスラムとして扱われている。ちなみに、井上と滝澤は共にKEIRINグランプリも制覇したが、神山は未制覇である。

  • 井上茂徳(1988年・5冠)
  • 滝澤正光(1990年・5冠)
  • 神山雄一郎(1999年・6冠)[† 5]

2018年6月時点で、現役選手の中で最もグランドスラムに近いのは山崎芳仁新田祐大で、山崎はあと日本選手権のみ、新田はあと寛仁親王牌のみである。山崎・新田に次ぐのは武田豊樹で、残り2つ(全日本選抜、寛仁親王牌)である。

なお、昭和期の女子競輪では、田中和子が1955年に全ての特別競輪制覇(全国争覇競輪高松宮妃賜杯競輪全国都道府県選抜競輪、競輪祭)を達成しており、また女子では唯一の全冠制覇選手であった[† 6]

ガールズケイリン」の名称で行われている平成期以降の女子競輪では、ガールズグランプリガールズケイリンコレクションガールズケイリンフェスティバルの3つの特別レース[36]を全て制覇したのは、小林優香(2015年)、石井寛子(2018年)の2人である。

競輪用自転車

競輪で用いられる自転車は「ピスト(レーサー)」と通称される、規格に基づいた専用仕様の一人乗りの競技用自転車である。固定ギアであり、ペダルを逆回転させることによって速度を制御するためブレーキはない。競輪の関係法令においては『競走車』(単式競走車)と呼称されており、この自転車はNJS規格(Nihon Jitensha Shinkoukaiの略。現在のJKAに改称後もこの呼称が継続している)に適合する部品により製作されることが義務づけられており、なおかつ組み立て後の車体検査に合格しなければレースに使用することができない。また、別途ブレーキを付けない限り公道での走行は道路交通法により禁止されている(ノーブレーキピストも参照)。

競輪用の自転車は、ここ十数年ほど、ほとんど規格や素材が変更される事のないまま現在まで用いられている。おおむね半世紀前のピストレーサーも同然といって良く、現在他のトラックレースで用いられるピスト競技用車とは大きな性能差がある。これは公営競技としての公正さが念頭にあることが大きいが、他にも規格緩和による部品代高騰の抑制、横方向への移動における操縦安定性の維持、落車事故時における衝撃吸収性、車両性能の向上に伴う過度の高速化による重大事故発生の防止など様々な要因が絡んでいる。なお部品によってはタイヤ(SOYO=ダイワボウプログレス)やリム(新家工業)など製造数や品質などの観点から事実上のワンメイクとなっているものもある。フレームだけで10数万円以上の製作費が必要となるが、その他の部品は規則上の自転車における制限が存在するため、車体総額で50万円を超える事は稀である[† 7]

なお2012年7月から開催されているガールズケイリン(女子競輪)および2014年1月から開催されているKEIRIN EVOLUTIONにおいてはカーボンフレームにスポーク以外のホイールが使用されており、他のトラック競技で使われている車両の仕様に近いものとなっている。

ちなみに競輪草創期には実用車軽快車タンデム式(複式競走車)の自転車でも競走が行われていた。

部品全般

ハンドルサドルクランクペダルギアチェーンなどの部品は、規格に基づいて製作されたもの中から選択して使用する。

サドルは、一般の自転車と比べ細くて堅い[37]。サドルを支える心棒(シートポスト)は、設定する高さが1,2mm違うだけでペダルを踏み込む際のバランスが変わるとされる[38]。サドルを高くすると加速しやすくなる半面、横から力がかかった際にバランスを崩しやすくなり、落車の危険が増す[39]

ハンドルは、乗る選手の体型や脚質によって幅や湾曲、材質が異なる[† 8][† 9]。フレームとハンドルの固定部分(ハンドルポスト)は、身長や腕が長い選手ほど長く設定する傾向にある[41]

ペダルはクリップ・アンド・ストラップモデル。選手が履く専用シューズの底には「サン」(桟)と呼ばれる溝の入った金属プレートが釘で打ちつけられており、このサンにペダルプレートを噛み合わせ[42]、さらに靴の爪先をトウクリップで固定、足(脚ではない)をストラップベルトでペダルに縛り付ける。これにより、ペダルを踏み込む力だけでなく引き上げる力も加速に利用することができる[43]。1980年代に登場しロードレースやトラックレースでお馴染みのビンディングペダルにNJS基準適合品はない。“位置につく”と足を着くことは出来なくなるので、スタートラインには号砲で飛び出すとロックが外れそのまま走り出せる専用のスタンドがあり、これに自転車をセットしてから乗る。

車輪は直径が27インチ[44]と決められており、金属スポークおよびリムにより構成され、タイヤは外径675mm[45][† 10]のチューブラー(チューブ一体型)タイヤを使用するが、コースコンディションや脚質による選択は出来ない。

フレーム

車体となるフレームはクロムモリブデン鋼のパイプ(鋼管)を素材とした「クロモリフレーム」と呼ばれるもので、使用者の体格に合わせて完全オーダーメイド[46]で製作されたものである。フレームのうち、サドルを支える心棒(タテパイプ)の角度は乗る選手の脚質によって異なり、具体的には先行選手は後ろに重心をかけて乗る傾向にあるためタテパイプの角度も後ろに寝ている。捲りの選手はチェーンの長さを短くし、踏み込む力が伝わりやすいようタテパイプの角度を立たせている[41]。競輪選手は、前輪軸と後輪軸を結んだ線よりもクランク軸がどの程度下げるか(ハンガー下がり)[† 11]に気を神経をとがらせる[47]。ハンガー下がりが大きいと安定感が増す反面、力の伝わりが悪くなるためペダルの踏み込みが重く感じられるようになり、小さいと踏み込みを軽く感じるようになる[48]

ギア(ギヤ)

ギアは空回りのない固定ギアで、クランク側と後輪ハブ側のスプロケットの歯数を選手が自分で判断し交換する(下記に詳細)。ブレーキは装着しておらず[49]、減速したい時にはギアが空回りしないことを利用して後ろへペダルを踏む(「バックを踏む」という)[49]。ファンの車券作戦においてポイントとして結びつく重要なルールの一つに「ギヤ[† 12]倍数」がある。ギヤ倍数とは、自転車についている前後2枚のギア(スプロケット)のうち、ペダルについているギヤ(大ギヤ)の歯車の数と後輪のギヤ(小ギヤ)の比率をいい[50]、「大ギヤの歯車の数を小ギヤの歯車の数で割ること」で求めることができる。各選手はレース前にギヤ倍数を申告し、数値は出走表に記載される[50]。出走表掲載後に急遽変更する場合もあり、その際は場内で告知される。

大ギヤの歯車の数は44から55、小ギヤの歯車の数は12から16と決められており、かつては最大倍数の4.58まで使用できていた[51]が、2015年の開催からは男子は4.00未満(実質最大3.93)・女子は3.80未満(実質最大3.79)という規制[52]も加えられ、その制限のもとでギヤ倍数が決められる[50]

従来の競輪における一般的なギヤ倍数は3.5ないし3.6で[50]。ギヤ倍数が低いほど漕ぐ力が軽くなりダッシュ力に優れる。その逆では当然重くなることからダッシュ力は弱いがスピードに乗れば速くなり、高速を維持しやすくもなる。一般の自転車のギヤ倍数は2倍強であるが、競輪で使用する自転車の場合は3倍強から4倍弱である[53]。ギヤ倍数が大きいとペダル1回転で進む距離が長い反面加速にしにくく、小さいと加速はしやすいがペダル1回転で進む距離が短い[54]

「先行選手がギヤ倍数を普段より落とせば先行・逃げ切り狙い」「先行選手がギヤ倍数を上げれば捲り狙い」などが読み取れる。なお近年は周回中における先頭誘導員(後述)の誘導スピードが速くなったっことによる体力の消耗防止や、勝負どころにおいてトップスピードで走れる距離を伸ばすため「大ギヤ」を選択する選手が近年は増えており、かつて脚力が衰えたベテラン選手が先行選手についていくためにギヤ倍数を上げるのとは異なる傾向にあるため、個々の選手の「ギヤ倍数」には注意を払う必要がある。

なお2015年の開催より使用できるギヤ比の最大比率が制限されたのは、従前から重いギヤ比では、前方の選手の急減速に対応・反応しづらく、バランスを崩して落車に至ることが起きやすいという指摘[55]があり、実際の事故件数そのものは増加していなかったが[56]、「速度の増加による事故の重大化」と「レースの単調化」を理由として実施されている[57]

競輪場

競走路(バンク)

競輪が行われる競走路(バンク)は、コンクリートまたはアスファルトで舗装され、形状はすり鉢状である[44]。コーナー部分はおよそ30度、直線が2ないし4度内側に傾斜している[58]。この傾斜カントといい[58]、カントの傾斜はコーナー部分をバンクに対し垂直に立った状態で左右にヨレることなく走るには、時速60キロで走らなければならないように設定されている(時速60キロよりも速いと外側に、遅いと内側にヨレてしまう)[59][† 13]。なお、コーナーだけでなく直線部分も内側に傾斜しているのが一般的である[60]。直線部分のうち、ゴール側をホームストレッチ、ゴールと反対側をバックストレッチという[60]。残り半周となった時のバックストレッチを最終バックという[60]

1周の長さは、以下のように3種類ある(多くの競輪場が400mを採用[61][58])。

  • 333m (333バンク[62]、33バンク[62]、小回りバンク[62]) - 直線が短く、捲りにくいことから先行有利といわれる[62]。各選手のスパートのタイミングが早く、ルーレットにたとえられるスピード感がある[62]。なお前橋競輪場のみ335m走路となっている。
  • 400m(400バンク[61]) - 日本競輪学校にある競走路に近い形状[63]。円形のものと楕円形のものがあり、前者は直線が短く333バンクと同様先行有利とされる[63]
  • 500m(500バンク[62]) - 「実力がなければ勝てない」といわれ[62]、スタミナや後半の粘りが要求される[64]

競走距離は1,500mから3,000mで、競走格や周長により異なる。男子は2,000mが基本となっているが、A級チャレンジ戦は1,600mが基本であり、またGIレースの決勝やKEIRINグランプリでは2,400〜2,800m走る。女子は1,600mが基本(333mないし335m走路では1,670m程度)で500m走路のみ1,500mである。競技規則上の25mを端数算入する競輪場もあれば、ゴール線からスタートするために端数が出ないところもある。

ファイル:Shonanbank.jpg
左側の赤い部分から、退避路、内圏線、外帯線、イエローライン

バンクには様々なラインが引かれており、基本的に幅は3cmだが、判定の基準位置はラインごとに異なる[65]

  • ホーム・ストレッチ・ライン - 正面スタンド前に引かれた、スタートとゴールを示すライン[66]。スタートに関しては、ホーム・ストレッチ・ラインの手前25mの位置からの場合もある[66]
  • 25メートルライン - スタート位置から25m先の位置に引かれたライン[66]。スタート後、25メートルライン到達までに落車やスタート不揃いがあった場合、再スタートとなる[66]
  • 30メートルライン - ゴールの手前30mの位置に引かれたライン[66]。最終周回においてこのラインに到達した後は、落車などが原因で自転車に乗らず手で引いてゴールに到達したとしても完走したものとされる[66]
  • バック・ストレッチ・ライン - バックストレッチ側に引かれた、ゴールまで残り半周であることを示すライン[66]。このラインからゴールまでにかかった時間が「上がりタイム」として計測される[66]
  • 内圏線(ないけんせん) - 周回に沿ってバンク全体に引かれた線[66]。衝突・接触を避けるための一時的なものを除き、この線より内側を走行する「踏切り」は禁止される(ライン上の走行は禁止されていない)[66]
  • 外帯線(がいたいせん) - 内圏線内側より70cmの位置から外側に引かれた線[66]。外帯線より内側を走る選手を、その選手よりも内側を通って追い抜くことは禁止されている[66]。この線はライン上に入った時点で外に出たと判定される。
  • イエローライン - 過度の牽制行為を防ぐため[67]、内圏線内側より3mの位置が外側となるよう引かれた黄色い線。先頭を走る選手がこのラインよりも外を走ることは禁止されている[67]。この線は外側への「踏切り」が判定基準となる。2003年12月31日実施の競走より追加された。

なおバンク上には表示されていないが、内圏線内側から30cmかつ外帯線内側から40cmの位置が「測定線」となっており、一周の周長はこれが基準となっている。

バンクを走る選手を取り巻く環境は、立地条件の影響を受ける。たとえば海沿いにある競輪場(富山、四日市、玉野、別府、佐世保)では海風の影響が大きい[68]。また、ドーム式の前橋と小倉では、観客が増えるに従って場内の温度が上昇し、バンクが乾燥する[69]

自転車競技場

自転車競技が行われる国体が開催された関係から、滋賀県を除く全ての都道府県には競輪場または自転車競技場のいずれか(ないしは両方)が設置されており、競輪場がない県でも自転車競技場を拠点に選手の本拠所属地とする事ができる。滋賀県は大津びわこ競輪場が閉鎖・解体され、自転車競技場は元々なくその代替施設も建設されないため、全国で唯一自転車競技場が存在しない県となった[† 14]沖縄県にも自転車競技場があるため沖縄県を本拠所属地にしている選手もいるが、島根県が本拠所属地の選手は菅井孝治(60期)が2002年10月31日に引退したのを最後に、また鳥取県が本拠所属地の選手も齋尾大丈夫(69期)が2014年1月14日に引退したのを最後に、それぞれいなくなった。なお、稀に競輪場や自転車競技場を拠点とせず街道を主体に練習している選手も存在する[† 15]

投票券(車券)

種類

現在発売できる車券の種類は以下の「7賭式」(2001年開始)[70][71]と重勝式である。7賭式のうち枠番2種はミッドナイト競輪、A級チャレンジ戦およびガールズケイリンでは発売されない。また重勝式は一部の競輪場での会員制のみ、またはインターネット限定での販売となる

  • 枠番二連勝複式(2枠複) - 1着と2着の枠番の組み合わせを予想。最大18通り[72]
  • 枠番二連勝単式(2枠単)1着と2着の枠番を着順通りに予想。最大33通り[72]。2車単登場前の主流車券[72]
  • 車番二連勝複式(2車複)1着と2着の車番の組み合わせを予想。最大36通り[73]
  • 車番二連勝単式(2車単)1着と2着の車番を着順通りに予想。最大72通り[74]
  • 車番拡大二連勝複式(ワイド) - 3着以内の車番2つの組み合わせを予想。最大36通り[75]
  • 車番三連勝複式(3連複) - 1着から3着までの車番の組み合わせを予想。最大84通り[75]
  • 車番三連勝単式(3連単) - 1着から3着までの車番を着順通りに予想。最大504通り[76]
  • 重勝式 - 最高で4,782,969通り

かつて単勝式・複勝式は本場で発売されていたが、規則上上記から重勝式を除く7賭式を発売する場合は発売しなくてよいとされているため、その導入と共に事実上廃止となっている。

元来から単勝式・複勝式の売り上げは微々たるものであり、レースによっては「的中者なし」で購入金額の30%を控除して購入者全員に払い戻すこと(特払い)も多々あった。このため、電話投票でも取り扱いをしたことはない。なお他の公営競技と同様に20歳未満の車券購入は禁止されている(2007年の法改正で20歳以上の学生は解禁)。

高額配当

全賭式を通じての最高配当は2010年10月21日平塚競輪場で行われた第6-12競走で発売されたチャリロト(重勝式)で、払戻金は905,987,340円。これは日本の公営競技史上最高配当記録である。

上記の重勝式を除いた最高配当は2006年9月21日奈良競輪場で行われた第10競走で、三連勝単式の払戻金は4,760,700円。

なお、最新の情報については、Keirin-Dataplaza 高配当ランキングを参照されたい。

場外発売

電話投票では1991年から各地の記念競輪 (GIII) 以上の競走を対象に全国発売されるようになり、現在では電話投票のほかインターネット投票を用いて全国全競走を購入できる。マークシート方式の導入は同年9月の京王閣が初だった[77]

また場外発売でもGIII以上は場間場外発売を行っている他、S級シリーズ (FI)一般戦 (FII) でも地方都市を中心にしてサテライトなどの専用場外で発売する場合もある。なお、1998年11月に開設された東京都港区にあるラ・ピスタ新橋と、2004年10月に開設された神奈川県横浜市中区サテライト横浜2007年3月に開設されたサテライト大阪2012年4月に開設された愛知県名古屋市中区サテライト名古屋、同年8月に開設された福岡県福岡市博多区サテライト中洲は原則として有料会員制となっている。詳細については競輪場外車券売場を参照のこと。

競輪をテーマにした作品

漫画

ドラマ

映画

脚注

注釈

  1. TBSテレビ2009年に放送された官僚たちの夏・第5話で、競輪の収益金を計算機開発資金の一部に回すよう、佐橋滋のモデルとなった、主人公の風越信吾が働きかけるシーンが放送された。
  2. A級の選手については、半年毎の入れ替えの他にも完全優勝(出場全レースを勝っての優勝)を3開催続けることでS級2班に昇級する特別昇級、年に2回開催されるレインボーカップで優勝戦に進出することによる特別昇級の制度がある[17]
  3. 平均競走得点(出走1回あたりの競走得点)から失格点を引いて算出[22]
  4. 滝澤は「準特別競輪」(現在のGIIに相当)扱いであった第2回寛仁親王牌を制覇している。
  5. グランドスラムを達成した当年の日本選手権では、ゴール直後に2着選手がガッツポーズと雄たけびを挙げてしまったため、神山自身はその時大きく喜ぶことができなかった。
  6. 但し、競輪祭が毎年開催されるようになったのは1963年からであり、そのことを踏まえ、実質的に3つという観点に立つと、渋谷小夜子石村美千代も該当する。
  7. 一般のトラックレース用機材では、カーボン製の最高級パーツを使うと100万円を超えることもある。
  8. 追い込みの選手は競り合った時に左右の動きに対応しなければならない場面があることから、ハンドル幅を広めにしている[40]
  9. 腕力が強い選手は軽合金のハンドルを曲げてしまうため、鉄製のものを使う[40]
  10. 実際には27x1-1/8インチ・有効リム径615mmのホイールに28インチ22ミリ(700x22cサイズ相当)のタイヤを装着している。
  11. 一般の自転車のクランク軸はほぼ線上にある[47]
  12. 競輪ではJIS規格との関係から「ギヤ」が公式表記となっている。
  13. ただし2013年現在、自転車競技場においては時速75km以上で均衡がとれるように設計する規則がある。
  14. それまで滋賀県を本拠所属地としていた三谷典正などは、大津びわこ競輪場の閉鎖後、奈良県など他府県に活動拠点を移した。
  15. 小豆島を生活拠点としていた児玉広志など。

出典

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  2. 2.0 2.1 野呂2008、29頁。
  3. 野呂2008、32頁。
  4. 野呂2008、33頁。
  5. 5.0 5.1 競輪二十年史、66 - 67頁。
  6. 6.0 6.1 野呂2008、35頁。
  7. 野呂2008、38頁。
  8. 野呂2008、34-35頁。
  9. 9.0 9.1 野呂2008、34頁。
  10. 中野2004、114-115頁。
  11. 日本競輪学校入学案内
  12. 日本競輪学校第113回(男子)生徒入学試験(一般試験)応募者状況 (PDF) - KEIRIN.JP(2016年9月15日配信)
  13. 日本競輪学校第114回(女子第7回)生徒入学試験(一般試験)応募者状況 (PDF) - KEIRIN.JP(2016年9月15日配信)
  14. 中野2004、116頁。
  15. 中野2004、113-114頁。
  16. 野呂2008、139頁。
  17. 17.0 17.1 17.2 17.3 中野2004、70頁。
  18. 18.0 18.1 野呂2008、139-140頁。
  19. 競輪マクリ読本、116-117頁。
  20. ガールズケイリンの平成29年度の取組みについて - ガールズケイリン情報配信サイト、2017年3月24日配信
  21. 中野2004、69頁。
  22. 22.0 22.1 22.2 野呂2008、140-141頁。
  23. 23.0 23.1 23.2 野呂2008、133頁。
  24. 24.0 24.1 24.2 中野2004、66頁。
  25. 25.0 25.1 25.2 25.3 野呂2008、79頁。
  26. 中野2004、64頁。
  27. 中野2004、75頁。
  28. 野呂2008、80-81頁。
  29. 野呂2008、75-77頁。
  30. 30.0 30.1 野呂2008、70-71頁。
  31. 中野2004、96頁。
  32. 公営ギャンブルの窮地、122頁。
  33. 2017年級班別賞金総額及び平均取得額 (PDF) - keirin.jp,2018年1月12日
  34. 広報KEIRIN第106号 - 4ページ目に、該当選手に関する記載あり。
  35. 野呂2008、140頁。
  36. ガールズケイリン特別レースの実施及び名称について (PDF)
  37. 野呂2008、94頁。
  38. 野呂2008、94-95頁。
  39. 野呂2008、103頁。
  40. 40.0 40.1 野呂2008、95頁。
  41. 41.0 41.1 野呂2008、96頁。
  42. 野呂2008、101-102頁。
  43. 野呂2008、102頁。
  44. 44.0 44.1 野呂2008、87頁。
  45. 財団法人JKA・競走車安全基準
  46. 野呂2008、97頁。
  47. 47.0 47.1 野呂2008、98頁。
  48. 野呂2008、98-99頁。
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  50. 50.0 50.1 50.2 50.3 中野2004、65頁。
  51. 山崎、超大ギアで全冠制覇だ ◆競輪のギア倍数 - スポーツ報知、2013年3月24日(このギヤではペダル1回転で約9.89m進む)
  52. ギヤ倍数の範囲設定(男子・女子)について (平成27年1月開催から実施) - KEIRIN.JP・2014年12月30日
  53. 野呂2008、99頁。
  54. 野呂2008、100頁。
  55. サンデー毎日』 2013年9月1日号 p.32 「大ギア化でトンデモ“副作用” 競輪“落車続出”にファン激怒」 (奥岡幹浩)
  56. ギア4倍未満に規制 JKA - 西日本スポーツ西日本新聞)・2014年4月25日
  57. ギヤ倍数の範囲設定について(平成27年1月開催から実施) - KEIRIN.JP・2014年4月25日
  58. 58.0 58.1 58.2 中野2004、53頁。
  59. 中野2004、54頁。
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  61. 61.0 61.1 野呂2008、147頁。
  62. 62.0 62.1 62.2 62.3 62.4 62.5 62.6 野呂2008、149頁。
  63. 63.0 63.1 野呂2008、148頁。
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  65. 取手市営自転車競走競技規則・別表
  66. 66.00 66.01 66.02 66.03 66.04 66.05 66.06 66.07 66.08 66.09 66.10 66.11 中野2004、55頁。
  67. 67.0 67.1 中野2004、56頁。
  68. 野呂2008、151頁。
  69. 野呂2008、153-154頁。
  70. 野呂2008、45頁。
  71. 競輪事業の再興に向けて-新生競輪の確立-(案) - 平成13年12月 産業構造審議会車両競技分科会 競輪小委員会
  72. 72.0 72.1 72.2 野呂2008、46頁。
  73. 野呂2008、48頁。
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  77. 門司競輪の歴史 - 小倉けいりん

参考文献

  • 中野浩一 『中野浩一の競輪へ行こう。』 ゴマブックス、1999年。ISBN 978-4-907710-36-1。
  • 中野浩一 『競輪選手になるには』 ぺりかん社〈なるにはBOOKS 122〉、2004年。ISBN 978-4-8315-1078-5。
  • 野呂修次郎 『よくわかる競輪のすべて 推理・スピード・スリル・快感 初級中級向き 新編』 三恵書房〈サンケイブックス〉、2008年。ISBN 978-4-7829-0373-5。
  • 「競馬・ボート・競輪・オートレース 公営ギャンブルの窮地」、『週刊ダイヤモンド 2011年10月1日号』第99巻第39号、2011年10月1日、 116-123頁、 NAID 40018994659
  • 『競輪マクリ読本』 宝島社別冊宝島 270〉、1996年。ISBN 978-4-7966-9270-0。
  • 『競輪十年史』 日本自転車振興会競輪十年史編纂委員会、日本自転車振興会、1960年。
  • 『競輪二十年史』 日本自転車振興会、日本自転車振興会、1971年。
  • 『競輪三十年史』 日本自転車振興会、日本自転車振興会、1978年。
  • 『競輪四十年史』 日本自転車振興会、日本自転車振興会、1990年。
  • 『競輪五十年史』 日本自転車振興会、日本自転車振興会、1999年。
  • 『競輪60年史』 JKA、JKA、2009年。
  • 『近畿競輪二十年史』 近畿競輪運営協議会、近畿競輪運営協議会、1968年。
  • 清水一行 『新人王』 集英社、1999年。ISBN 4087470040。

関連項目

外部リンク