寺尾豊
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寺尾 豊(てらお ゆたか、男性、1898年1月23日 – 1972年11月27日)は、昭和期の政治家、実業家。郵政大臣。1968年勲一等瑞宝章受章。
来歴・人物
高知県須崎町(現・須崎市)に、白石純成の三男として生まれる。後に寺尾英吉の養子となる。私立高知工業学校を卒業後、職工を経て上京し、1928年立正大学高等師範部を卒業。1934年に関東製作所を設立、同郷の永野修身に可愛がられ、海軍に魚雷用のジャイロスコープを納入していた。また高知県造船の社長にも就任し、中小型船舶の生産で財を成した。
1946年、第22回衆議院議員総選挙に日本自由党から高知全県1区にて立候補し当選する。翌1947年の総選挙では吉田茂に地盤を譲り、自身は同年の第1回参議院議員通常選挙に全国区から鞍替え出馬し当選(3年議員として2回当選)。その後1953年の第3回参議院議員通常選挙から高知県選挙区に移り、以後参院当選通算5回を数えた。
参院では松野鶴平の側近となる。快活・温厚な人柄で、野党との調整能力があった。地方財政政務次官、参院議会運営委員長、参議院副議長(1956年)を経て、1958年第2次岸内閣に郵政大臣として入閣する。在任中は資材の購入を巡る電電公社のお家騒動に遭遇したが、当時の梶井剛総裁・靱勉副総裁・中尾徹技師長を一挙に更迭するという荒療治を施し解決に導いた。その後は参院予算委員長などを務めた。1971年政界を引退。
1972年11月27日、脳出血のため逝去。享年74。
選挙歴
当落 | 選挙 | 施行日 | 選挙区 | 政党 | 得票数 | 得票率 | 得票順位 /候補者数 |
比例区 | 比例順位 /候補者数 | |
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当 | 第1回参議院議員通常選挙 | 1947年10月7日 | 全国区 | 日本自由党 | 116,027 | ' | 57/258 | - | - | |
当 | 第2回参議院議員通常選挙 | 1950年6月4日 | 全国区 | 自由党 | 144,524 | ' | 56/? | - | - | |
当 | 第3回参議院議員通常選挙 | 1953年4月24日 | 高知県地方区 | 自由党 | 196,580 | 59.5 | 1/2 | - | - | |
当 | 第5回参議院議員通常選挙 | 1959年6月2日 | 高知県地方区 | 自由民主党 | 231,637 | 62.5 | 1/2 | - | - | |
当 | 第7回参議院議員通常選挙 | 1965年7月4日 | 高知県地方区 | 自由民主党 | 227,309 | 60.2 | 1/3 | - | - | |
当選回数5回 (参議院議員5) |
議会 | ||
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先代: 小柳牧衛 |
参議院外務委員長 1965年 |
次代: 木内四郎 |
先代: 太田正孝 |
参議院予算委員長 1964年 - 1965年 |
次代: 平島敏夫 |
先代: 重宗雄三 |
参議院副議長 第5・6代:1956年 - 1958年 |
次代: 平井太郎 |
先代: 草葉隆圓 川村松助 |
参議院議院運営委員長 第12代:1954年 - 1955年 第10代:1952年 - 1953年 |
次代: 郡祐一 草葉隆圓 |
先代: 松野喜内 |
参議院電気通信委員長 1950年 - 1951年 |
次代: 鈴木恭一 |
公職 | ||
先代: 田中角栄 |
郵政大臣 第13代:1958年 - 1959年 |
次代: 植竹春彦 |
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