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(モータースポーツブーム期)
 
 
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| 設計者 = [[ヘルマン・ティルケ]]
 
| 設計者 = [[ヘルマン・ティルケ]]
 
| レイアウト1 = 国際レーシングコース(四輪)
 
| レイアウト1 = 国際レーシングコース(四輪)
| レイアウト画像1 = FujiSpeedway.gif
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| レイアウト画像1 =  
 
| 使用期間1 = 1966年 - 2003年
 
| 使用期間1 = 1966年 - 2003年
 
| コース長1 = 4.400km
 
| コース長1 = 4.400km
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| レコードカテゴリ1 = [[フォーミュラ1|F1]]
 
| レコードカテゴリ1 = [[フォーミュラ1|F1]]
 
| レイアウト2 = 国際レーシングコース(四輪)
 
| レイアウト2 = 国際レーシングコース(四輪)
| レイアウト画像2 = Circuit Fuji.png
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| 使用期間2 = 2005年 -
 
| 使用期間2 = 2005年 -
 
| コース長2 = 4.563km
 
| コース長2 = 4.563km
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| レコード樹立年3 =
 
| レコード樹立年3 =
 
}}
 
}}
{{基礎情報 会社
+
'''富士スピードウェイ'''(ふじスピードウェイ、''Fuji International Speedway'' )
|社名 = 富士スピードウェイ株式会社
 
|英文社名 = Fuji International Speedway Co.,Ltd
 
|ロゴ =
 
|画像 =
 
|画像説明 =
 
|種類 = 株式会社
 
|市場情報 = 非上場
 
|略称 = FSW(旧略称FISCO)
 
|国籍 = {{JPN}}
 
|本社郵便番号 = 410-1307
 
|本社所在地 = 静岡県駿東郡小山町中日向694
 
|本店郵便番号 =
 
|本店所在地 =
 
|設立 = 1963年12月19日
 
|業種 = サービス業
 
|統一金融機関コード =
 
|SWIFTコード =
 
|事業内容 = 各種レースの主催・共催などの運営<br />レース場及びレース場の付帯設備の貸し出し<br />ドライビングスクールの経営<br />看板広告・プログラム広告など広告に関する業務<br />その他各項に関する業務
 
|代表者 = 代表取締役社長 原口英二郎<br />
 
|資本金 = 10,086,825,000円
 
|発行済株式総数 =
 
|売上高 =
 
|営業利益 =
 
|純利益 =
 
|包括利益 =
 
|純資産 =
 
|総資産 =
 
|従業員数 =
 
|支店舗数 =
 
|決算期 =
 
|主要株主 = [[トヨタ自動車]]株式会社 93.4%<br />[[三菱地所]]株式会社 4%<br />[[大成建設]]株式会社 2.6%
 
|主要子会社 =
 
|関係する人物 =
 
|外部リンク = http://www.fsw.tv/
 
|特記事項 =
 
}}
 
'''富士スピードウェイ'''(ふじスピードウェイ、''Fuji International Speedway'' )は、[[静岡県]][[駿東郡]][[小山町]]にある[[サーキット]]である。略称は「'''FSW'''」。かつては運営会社の「富士スピードウェイ株式会社」の英文社名"'''F'''uji '''I'''nternational '''S'''peedway '''Co'''.,Ltd"にちなみ'''FISCO'''と表記されていたこともあり、今も一部で併用されている。[[2000年]]より[[トヨタ自動車]]の傘下に入る。
 
 
 
== 歴史 ==
 
=== サーキット建設のいきさつ ===
 
[[File:Ichiro Kono.jpg|thumb|河野一郎]]
 
富士スピードウェイの建設は、[[1960年代]]初頭に[[丸紅]]副社長[[森長英]]から[[河野一郎]]([[建設大臣]])に話があった事から始まる。その頃河野は[[名神高速道路]]の建設を担っており、長時間高速走行可能な国産車を開発する必要があり、また自動車の輸入自由化のこともあり、外国車の性能と比較しても遜色ない国産車を開発するには、サーキットの存在は大きな意味があった<ref>『サーキット燦々』(p320, p321)より。</ref>。
 
 
 
当時国内に存在していたパーマネントサーキットは数少なく、[[三重県]]にある[[鈴鹿サーキット]]は[[ホンダ]]が所有するサーキットで他の自動車メーカーが自由に使用できず、また当時は二輪レース用のサーキットと思われており、四輪レースにも十分な幅員を持つサーキットが望まれていた<ref>『サーキット燦々』(p326)より。</ref>。また日本初のパーマネントサーキットで、当時は細々と草レースが行われていた[[神奈川県]][[川崎市]]の[[多摩川スピードウェイ]]は、すでに事実上廃止状態であり、また[[高度経済成長]]を受けて周辺に住宅が増えてきており、規模、拡張性ともに問題があった。
 
 
 
=== NASCARとの関係 ===
 
日本でサーキット建設の計画が進んでいることを聞きつけた[[アメリカ]]の[[NASCAR]]が、当時日本でレース活動を行っており、のちに[[フォーミュラ1|F1]]の[[シャドウ・レーシング・カーズ]]のオーナーとなるドン・ニコルズをエージェントに売り込みした結果、NASCAR形式のレース開催を目的として設立された、富士スピードウェイ株式会社の前身「日本ナスカー株式会社」は[[1963年]](昭和38年)12月に設立された<ref>『むかし、狼が走った』井出耕也著 P.186</ref>。
 
 
 
翌[[1964年]](昭和39年)1月にはNASCARとの間で、日本及び極東地域におけるNASCAR形式レースの独占開催権に関する契約を締結した。その後サーキット候補地の選定を開始し、同年6月にはサーキット候補地として[[静岡県]][[駿東郡]][[小山町]]大御神の150万坪の土地を選定し、地権者らとの契約にこぎつける。なお、富士スピードウェイの建設用地は99年間の借地権によるもので、建設費用は借入金によるところが大きいが、建設開始後の[[1965年]]に河野が逝去したため、日本ナスカー副社長となった息子の[[河野洋平]]は建設資金集めのために銀行や企業回りをし、非常に苦労する<ref>『サーキット燦々』(p322, p323)より。</ref>。
 
 
 
=== 設計と建設 ===
 
[[File:Jaguar Heritage Racing (7005535804).jpg|thumb|スターリング・モス(2012年)]]
 
コースレイアウトは、NASCARのレースが行われるアメリカの[[デイトナ・インターナショナル・スピードウェイ]]に似たトライアングル・[[オーバルトラック]]を予定しており<ref name="hondaindy">[http://www.honda.co.jp/F1-roots/indy/report3/index.html Honda F1ルーツ紀行 幻のHondaインディ計画 第三章] - 本田技研工業(2012年11月21日閲覧)。</ref>、1964年7月にはデイトナを設計したチャールズ・マネーペニーが来日し、原案の製作に取り掛かった。しかし、日本ナスカーの招聘によって現地を視察した[[スターリング・モス]]が「こんな地形でオーバルコースを作るとはナンセンスも甚だしい」と指摘した通り、山麓の傾斜地という立地条件からオーバルコースの建設が困難なことが判明した。
 
 
 
1965年(昭和40年)には、NASCARとの間の開催権契約を白紙還元することで合意した。河野洋平によると、コース設計には様々な案があり、結局日本のレースにも適した現在のコースに決まり建設を開始したという。河野のアメリカ視察は建設開始後であった。また、NASCARの契約料は高額で河野たちは不満を持っていたし、NASCARの経営方式が日本で通用するとも思っていなかったので、NASCARとの契約をやめることにしたという。
 
 
 
これを受けて、改めてヨーロッパ式のロードコースとしてサーキットを建設することとなり、社名を現在の「富士スピードウェイ株式会社」に改めた。「サーキット」ではなく「スピードウェイ」という名をつけたのはオーバル計画の名残である<ref name="hondaindy" />。それからサーキットの愛称について河野らは考えたが、呼びやすい愛称ということで、正式社名にはない「インターナショナル」を入れて「フジ・インターナショナル・スピードウェイ・カンパニー('''F'''uji '''I'''nternational '''S'''peedway '''CO'''mpany)」とした<ref>『サーキット燦々』(p329, p330)より。</ref>。
 
 
 
=== 三菱地所傘下へ ===
 
[[File:Omika, Oyama, Sunto District, Shizuoka Prefecture 410-1308, Japan - panoramio.jpg|thumb|冨士霊園]]
 
コースの建設が進む中、同年7月には計画当初から中心的存在だった河野一郎が死去し、その後富士スピードウェイの副社長であった息子の河野洋平が、河野一郎の後を継いで政界に入るために同社を退職した。
 
 
 
その後10月には、富士スピードウェイに隣接する土地を所有しており、そこで[[冨士霊園]]の経営を行っていた[[三菱地所]]が同社に出資するという方向で、富士スピードウェイ社長の鈴木九平と三菱地所との間の交渉がまとまる。これを受けて計画当初から経営に関わっていた丸紅と[[毎日新聞社]]、[[富士急行]]も手を引き、以後は三菱地所に経営を託すことになる<ref>『サーキット燦々』(p330, p333 - p335)より。</ref>。なお、三菱地所は特に富士スピードウェイの借地内にある[[ゴルフ]]場「東富士カントリークラブ<ref>[http://www.fuji-golf.jp/higashifuji/ 東富士カントリークラブ]</ref>」にも関心を持っており、こちらの経営も引き継ぐことになる。
 
 
 
=== オープン ===
 
[[File:380916.JPG|thumb|第3回日本グランプリ(再現)]]
 
1966年(昭和41年)1月3日にオープン。最初のレースイベントは3月12日に開催された、アマチュアライダーによる2輪レースである「第7回全日本モーターサイクルクラブマンレース」だった。この時、まだ一部の観客席が建設中であったにもかかわらず、1万人の観客を集めた<ref>『富士スピードウェイ 最初の40年』(p.45)</ref>。3月27日に行われた4輪の開業イベント「第4回クラブマンレース富士大会」にはF1世界チャンピオンの[[ジム・クラーク (レーサー)|ジム・クラーク]]が来場し、[[フォーミュラ3|F3]]マシンで展示走行を行った。
 
 
 
さらに5月3日に開催された[[1966年日本グランプリ (4輪)|第3回日本グランプリ]]決勝には9万5千人の観客を集め、サーキット周辺には大渋滞が発生したが<ref>林 『富士スピードウェイ 最初の40年』 p49 - 50(『富士スピードウェイ年鑑第1集』より引用)</ref>、レースは日産、トヨタ、[[プリンス]]、[[いすゞ自動車]]のワークス対決で盛り上がった。
 
 
 
また、1966年の「インディアナポリス・インターナショナル・チャンピオンレース」(通称:[[インディカー|インディ]]富士200マイル)や1968年、1969年の「ワールドチャレンジカップ・富士200マイルレース」(通称:日本[[カナディアン-アメリカン・チャレンジカップ|Can-Am]])のような海外招待レースも企画されるなど、[[船橋サーキット]](1967年閉鎖)や[[筑波サーキット]]と並んで、関東、東海地方におけるモータースポーツの中心的な場所となった。
 
 
 
=== 富士GCとF1開催 ===
 
[[アメリカ]]で導入された「[[大気浄化法]](マスキー法)」対策のため自動車メーカーのモータースポーツ活動が停滞すると、富士は1971年(昭和46年)にプライベーター主体の「[[富士グランチャンピオンレース]](富士GC)」を創設して看板イベントに育てる。またこの頃にはサーキットの周辺にメンテナンスガレージが集まるようになり、「大御神レース村」と呼ばれるようになった。
 
 
 
しかし、1973年(昭和48年)と1974年(昭和49年)には富士GCで死傷事故が起こり、名物の30度バンクが閉鎖された。さらに同年に起きた「[[オイルショック]]」で自動車メーカーによるモータースポーツ活動が冷え込むが、1977年(昭和52年)には[[耐久レース]]の「[[富士ロングディスタンスシリーズ]](富士LDシリーズ)」もスタートする。
 
 
 
1976年(昭和51年)には、[[フォーミュラ1|F1]]日本初開催となる「[[1976年F1世界選手権イン・ジャパン|F1世界選手権イン・ジャパン]]」、1977年には正式に「[[1977年日本グランプリ (4輪)|日本グランプリ]]」の名を冠して第2回大会を開催した。第2回は[[星野一義]]や[[高原敬武]]、[[高橋国光]]などの日本人ドライバーの活躍もあったものの、1コーナーで[[ロニー・ピーターソン]]([[ティレル]])のマシンと接触した[[ジル・ヴィルヌーヴ]]([[スクーデリア・フェラーリ|フェラーリ]])のマシンが宙を舞い、立ち入り禁止区域にいたカメラマンとそれを排除しようとしていた警備員に激突、あわせて2名が死亡する事故が起きた。運営の赤字やこの事故の影響により翌年の開催はキャンセルされ、1987年(昭和62年)に鈴鹿サーキットで開催されるようになるまで、F1の日本開催は中断することとなった。
 
 
 
=== 廃止の危機 ===
 
[[1979年]](昭和54年)7月、社団法人御殿場市青年会議所(御殿場JC)が富士スピードウェイの廃止を県に陳情したことがきっかけとなり、経営権を持ち大半の土地を所有する三菱地所によって、[[1980年代]]前半にサーキットの廃止と[[ゴルフ場]]などを中心にした[[レジャーランド]]への転用が検討された。
 
 
 
この陳情の背景には、富士GCの観戦を目的とした暴走族(グラチャン族)が、サーキット周辺で集会や暴走行為などを繰り返すことにより周辺環境が悪化するという問題や、1983年(昭和58年)に再び富士GCで起きた[[高橋徹 (レーサー)|高橋徹]]の死亡事故があった。また、当時の世間におけるモータースポーツの認知度の低さから、「モータースポーツ自体暴走行為を助長するものであり、好ましいものではない」との意見も一部には見られた。しかしながら、一方で地元で建設業に携わっていた者、つまりレジャーランドやゴルフ場の建設により利権を得る者たちが陳情の中心にあったという説もあり、実際に争議の後半においては陳情側がトーンダウンした状況が見られた。
 
 
 
これに対し1980年(昭和55年)には、レーシングドライバーやレーシングチーム、[[モータージャーナリスト]]などが「日本モータースポーツ振興会」を設立し廃止反対運動を開始。1985年(昭和60年)には「FISCO廃止問題連絡協議会」と改名し、サーキット廃止に反対する地権者達で構成される「富士スピードウェイ協力会」とタッグを組む形で反対運動を展開した。反対運動の中、[[高橋国光]]や[[星野一義]]、[[長谷見昌弘]]他レーシングドライバーやモータージャーナリスト、サーキット地権者等が都内で富士スピードウェイ廃止反対を訴えるデモ行進を行い、その後公開シンポジウムを開いたこともある<ref>[[漫画家]]の[[しげの秀一]]は『[[バリバリ伝説]]』(『[[週刊少年マガジン]]』)のタイトル頁で、主人公巨摩郡が「FISCOなくなったら困るぜ!みんなで反対しよう!」と呼びかける形で反対運動に賛同した。</ref>。
 
 
 
1986年(昭和61年)には、三菱地所が富士スピードウェイのある小山町長に対し調停を申し立てたが、同年7月30日「この件は白紙に戻す」という町長裁定が下り、正式にサーキットの存続が決定した。
 
 
 
=== モータースポーツブーム期 ===
 
[[File:XJR 11 SUNTEC2.jpg|thumb|220px|ピットを出る[[ジャガー・XJR-11]](1991年)]]
 
[[1980年代]]に入ると、世界選手権の開催や海外の有力チーム・ドライバーを招いた「輸入レース」の企画も増加した。1982年(昭和57年)には[[スポーツカー世界選手権|世界耐久選手権]]の日本ラウンド([[WEC-JAPAN]])、1985年(昭和60年)にはツーリングカーの[[インターTEC]]、1990年にはF3の[[インターナショナルF3リーグ]]といったイベントが創設され、それぞれが複数年開催され国内のレース関係者に刺激を与えた。
 
 
 
さらに1980年代後半から[[1990年代]]前半にかけては、[[バブル景気]]下でモータースポーツブームが起き、[[全日本F3000選手権]]や[[全日本F3選手権]]、[[全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権]]などの全日本選手権クラスのレースから下級カテゴリーに至るまで参戦台数、および観客数が増え隆盛を誇る一方、これらの全日本格式のカテゴリーの人気のあおりを受けて、バブル景気が頂点を迎えた1989年(平成元年)には富士GCが廃止された<ref>[http://gazoo.com/article/car_history/140905_1.html GAZOO「グラチャンの時代――ヤンキー文化の興隆(1971年)」]</ref>。
 
 
 
なお、前述のサーキット廃止の話は、廃止騒動終結とほぼ同時に始まったバブル景気と、またバブル景気と同時に始まったモータースポーツブームによる隆盛を受けて、その後一度も話題に上ることはなくなった。
 
 
 
これを受けて[[1992年]]には、[[1987年]]に全面改修された鈴鹿サーキットや、[[1990年]]にオープンした[[岡山国際サーキット|TIサーキット英田]](現岡山国際サーキット)などの、他の国際格式のサーキットに比べて施設の旧退化、老朽化が目立っていただけでなく、安全性にも問題があると指摘されていたピットおよびパドックエリア、コントロールタワーなどが初めて改修されたほか、汲み取り式の和式[[トイレ]]しかなかったパドック内のトイレなども刷新されてようやく近代的な設備が整った。しかし、グランドスタンドや駐車場、トイレをはじめとする観客用の施設は旧態依然としたままであった。
 
 
 
=== リニューアル・オープン ===
 
1992年にピットガレージやコントロールタワーなどが改修されたとはいえ、施設の全体的な老朽化は否めず、1997年(平成9年)の[[横山崇]]と[[光貞秀俊]]、1998年(平成10年)の[[太田哲也]]、2002年(平成14年)の[[道上龍]]の大事故にも繋がるソフト、ハード両面の旧態化が進行し、FIAの基準を満たしていない施設が幾つも存在していたなど安全性の面でも懸念が高まっていた。
 
 
 
さらに上記のように、屋根部分が少なくコンクリートむき出しのグランドスタンド席や汲み取り式トイレ、老朽化したレストランなど観客用施設はオープン当時のままで、バブル期のモータースポーツブームが終わり集客に苦心していた中、子供連れや女性客の獲得だけでなく、[[バリアフリー]]の観点からも早急な改修を望む声が観客やエントラント側からも多く上がっていた。しかし、バブル景気崩壊後にモータースポーツブームが去っただけでなく、親会社の三菱地所も地価の下落に苦しんでいたこともあり、大幅改修は行われないままであった。
 
 
 
[[File:Fisco hairpin1.jpg|thumb|220px|新たに舗装されたランオフエリア(100Rからヘアピン)]]
 
[[ファイル:Fisco pit.jpg|thumb|220px|新築されたピットガレージ]]
 
2000年(平成12年)、[[トヨタ自動車]]が三菱地所から同社株式を買収して正式に傘下に収め、2003年(平成15年)9月から営業を停止して改修工事を開始し、2005年(平成17年)4月10日にリニューアルオープンした。なおこの際にトヨタ自動車の研修施設なども敷地内に設けられた。
 
 
 
新コースは[[セパンサーキット]]([[マレーシア]])や[[上海インターナショナルサーキット]]([[中華人民共和国]])など、1990年代後半から2000年代にかけて新規にF1を開催している[[サーキット]]のほとんどでそのコースのデザインを担当している[[ヘルマン・ティルケ]]の手によるものである。
 
 
 
旧コースの特徴の一つだった約1.5kmの直線は残されつつ、コースが現代的に改良された。大きな変更点としては、旧コースでは最終コーナーから直線にスムーズにつながっていた部分が、新コースでは急勾配のつづら折れとなって入り組んだ複合コーナーの連続に直されており、難易度が増している。ドライバー側はコーナーのイン側が見通しが悪い事が指摘されており、スピンしたマシンに後続車が接触する事故も見られる。
 
 
 
この他、ピットロード出口が以前と比べ1コーナー寄りに改められ、ピットアウト時のスピードを下げる工夫がなされている。また、ランオフエリアはほとんどが舗装され、安全性が向上した上、コース脇には緊急車両用の通路が設けられた。これらの改修により同サーキットはF1開催に必要な資格のグレード1を取得した。さらに、オープン当時から変わっていないグランドスタンドや、グランドスタンドとパドックを結ぶ地下通路、1992年に建て替えられたばかりのピットガレージを含み、ほとんどの旧施設が解体撤去され、新たに作り直された。
 
 
 
グランドスタンドや1コーナーの観戦スタンド、グランドスタンド裏やパドックエリア内のレストラン、駐車場、トイレなど観客が利用する施設の質的向上やバリアフリー化も旧来に比べ著しい。グランドスタンドの座席は一席ずつ区切られ、ドリンクホルダーが設けられるなど、観客が快適にレースを楽しめるような工夫が凝らされている。パドックとグランドスタンドを結ぶ通路も新たに広く、開放的な通路が設けられ、上り専用の[[エスカレーター]]も設置された。なお、コントロールタワーは改修して継続使用している。
 
 
 
=== F1の復活と再撤退 ===
 
{{main|2007年日本グランプリ (4輪)|2008年日本グランプリ (4輪)}}
 
[[File:Takuma Sato 2007 Japan.jpg|thumb|2007年F1日本グランプリ([[佐藤琢磨]]]]
 
[[File:Sebastien Bourdais and Felipe Massa 2008 Japan.jpg|thumb|2008年F1日本グランプリ]]
 
1987年(昭和62年)から鈴鹿サーキットで行われていたF1日本GPの契約が2006年(平成18年)シーズンで終了することから、富士スピードウェイはそれ以降の日本グランプリの誘致を決定し、[[FOA]](フォーミュラ・ワン・アドミニストレーション)との交渉の末、2007年の開催権を獲得した。鈴鹿側も2008年以降の開催を希望したことから、FIAは2007年9月、2008年は富士での開催とし、以降は鈴鹿と富士が隔年で交互に開催することを発表するに至った<ref>[http://www.fsw.tv/press/press2007/press_0908.html 2008年以降のF1日本グランプリの開催について]</ref>。
 
 
 
F1開催にあたっては、周辺の道路・宿泊施設等の状況を鑑みて、観客を駅や駐車場からシャトルバスで往復輸送する「チケット&ライド方式」を採用した。しかし、復活初年度の2007年(平成19年)は悪天候によりバス輸送が大混乱に陥り、予選終了後に観客が長時間にわたって場内に閉じ込められたり、決勝スタートまでに来場できないという不祥事が発生した。その他にも1コーナー仮設観客席からコースが見えないなどの諸問題が露呈し、日本GPの歴史に汚点を残す結果となった。レース後に観戦者より民事訴訟を起こされた。2013年1月24日に東京地方裁判所は訴訟を起こしていた67人の原告に対し、内53人に約80万円を支払うよう命じた<ref>[http://as-web.jp/news/info.php?c_id=1&no=46084 2007年F1日本GPの訴訟に判決。FSWに賠償命令](オートスポーツウェブ、2013年1月25日)</ref>。
 
 
 
2年目の2008年(平成20年)は20数億円を投じて対策を行い<ref name="resuponse080723">[http://response.jp/article/2008/07/23/111891.html 【F1日本GP】「マイナスからの再出発」…総工費20数億円、施設の改善状況はいかに] レスポンス(2008年7月23日)2012年11月24日閲覧。</ref>、1コーナー等の場内施設を改修。決勝観客動員数を14万人から11万人相当に縮小し<ref name="resuponse080723" />、シャトルバスを会場内や周辺に待機させる「留め置き方式」が採用されたことから、前年ほどの混乱はみられなかった。
 
 
 
2009年(平成21年)7月7日、富士スピードウェイは日本GP開催からの再撤退を発表した<ref>[http://www.fsw.tv/press/pdf/63 富士スピードウェイ F1日本グランプリ開催中止を発表](2009年7月7日)</ref>。世界同時金融危機以降の不況等に伴う経営環境の悪化のほか、「SUPER GTやフォーミュラ・ニッポンも含め、国内のレース観戦客数が激減している」、看板スポンサーも減少している」ことを理由に挙げた<ref>[http://www.as-web.jp/news/info.php?c_id=1&no=20977 富士スピードウェイ加藤社長「F1開催中止は断腸の思い」] - as-web.jp・2009年7月7日</ref>。これにより日本GPは2009年より再び鈴鹿で行われることになった。
 
 
 
=== 現在 ===
 
[[File:-19 Yuhi Sekiguchi (35514728414).jpg|thumb|スーパーフォーミュラ([[2017年]]/[[関口雄飛]])]]
 
以降はF1世界選手権の開催こそなくなったものの、その後もFIAの「グレード1」を持つ世界でもトップクラスの施設を持つサーキットとして人気を博し、[[FIA 世界耐久選手権]]などの世界選手権格式のレースや、ブランパンGTアジアや[[アジアン・ル・マン・シリーズ]]などの国際レースシリーズ、[[スーパーフォーミュラ]]や[[SUPER GT]]、[[全日本F3選手権]]や[[スーパー耐久]]などの全日本格式クラスの国内のトップカテゴリーのレースが開催され、それぞれが数万人の観客を集めるなどの盛況を見せている。
 
 
 
2018年6月、スーパー耐久シリーズ富士大会として、富士スピードウェイにとって50年ぶりとなる24時間耐久レースが開催された。また、2019年の開催も決定した<ref>{{Cite web |url=https://mtfuji.keizai.biz/headline/833/ |title=富士スピードウェイで24時間耐久レース 50年ぶりに開催へ |accessdate=2018-08-06 |date=2018-01-04 |website=富士山経済新聞}}</ref><ref>{{Cite web |url=http://www.fsw.tv/info/035370.html |title=【FSWプレスリリース No.P-05】ピレリスーパー耐久シリーズ 2019 2019年 富士SUPER TEC 24時間レース開催を発表! |accessdate=2018-08-06 |date=2018-07-06 |publisher=Fuji International Speedway Official Site}}</ref>。
 
 
 
また、[[フォーミュラ4]]や富士チャンピオンレース、[[インタープロトシリーズ]]、[[トヨタ]]や[[フェラーリ]]、[[ロータス]]などの各メーカーのワンメイクレースのような、若手やアマチュア主体のレースまで様々なカテゴリーのレースが1年を通じて開催されており、それぞれが数十台から数百台の参加台数を集めている。
 
 
 
さらに自動車レースのみならず、自動車メーカーやメディア、オーナーズクラブなどによる関連イベントや自転車イベント、音楽イベントを含む各種イベントも1年間を通じて頻繁に行われており、東日本のモータースポーツの中心地の一つとして賑わいを見せている。
 
 
 
== コース ==
 
=== 5種のコース ===
 
場内には「本コース」の他にも、「ショートサーキット」、「[[ドリフト走行|ドリフト]]コース」、「[[ジムカーナ]]コース」、「[[レーシングカート|カート]]コース」の、種目および目的別の合計5つのコースがある。
 
 
 
本コースは、全長1,475mという世界有数のロングストレートを持ち、コース幅も15〜25mと広い(鈴鹿は10〜14m)<ref>[http://www.jsports.co.jp/motor/gt/circuit/ SUPER GT サーキット紹介] J SPORTS(2012年11月24日閲覧)。</ref>。かつては直線と高速コーナーからなる超高速コースだったが、時代とともにコーナーを増やす方向で走行速度の減速が図られている。リニューアル前はトップスピードを重視して、マシンに[[抗力|ドラッグ]]の少ないウィングやボディカウルが装着されたほか、[[インターナショナルF3リーグ]]の際に海外から来たチームは、リアウィングのアッパー部分を外して速度を稼ごうとしていた。現在は、低速テクニカルセクションがあるため、ある程度[[ダウンフォース]]を付けたセッティングが必要となっている。
 
 
 
=== 開業時 ===
 
[[ファイル:FujiSpeedway.gif|thumb|right|赤と青が1974年までのコース、緑と青が2000年までのコース、青(3コーナー付近は赤、11コーナー付近は緑)が2003年までのコース]]
 
ホームストレートは現在よりも長く、1,700m近くあった。ストレートから全開のまま、30度バンクに突入。ぐるりと半円を描き、バンクを通過すると右、左と大きく旋回するS字コーナーを抜けて、現在の2コーナー出口に位置していた合流地点へ。左の超高速コーナー、250Rを通過して右の100Rへ。フルブレーキでヘアピンを抜け、300Rから最終コーナーまでの長い全開区間からホームストレートへ戻り1周となる。1周は6kmであり、当時の鈴鹿サーキット (6.004km) とほぼ同距離。フルブレーキポイントはヘアピンのみというハイスピードコースであった。
 
 
 
なお、前述のインディ富士200マイルや1973年(昭和48年)の日本GPでは30度バンクを通らないショートコースを使用し、普段とは逆の左回りでレースが行われた。
 
 
 
==== 30度バンク ====
 
[[ファイル:Fuji Speedway 30-degree high bank.jpg|thumb|right|30度バンク]]
 
富士スピードウェイの大きな特徴として、30度の[[カント (路線)|カント]]がついたバンクコーナーがあった。これは前述の通り、元々同サーキットがオーバルコースとして計画されたことの名残と言われている。オーバルコースではコーナーでの減速を極力減らすため、コーナーにバンクを付けるのが普通である。
 
 
 
当時、国内でこのような急角度の路面舗装を経験した業者はひとつもなく、依頼された日本鋪道(後の[[NIPPO]])は、[[ロードローラー]]をバンクの上からワイヤーで引っ張るという方法できり抜けた。しかし、もともと経験不足を起因とする勾配の設計が良くない上に、後に「馬の背」と呼ばれることになるこぶ状のうねりもあった。カントのついたオーバルコースで争われる[[オートレース]]の世界から転進した[[田中健二郎]]曰く、「完成当初にコース管理者に『基礎に杭を打ち込んだか?』と尋ねたら、『打ち込んでない』と言われ『こりゃ駄目だ』と思った」そうである。
 
 
 
直線から30度バンクへはほぼアクセル全開で飛び込むが、走行ラインは1本しかなく、バンク下から吹き上げる横風の影響も受けた<ref name="Ron0205pp5053">大串信「魅惑と恐怖の30度」『Racing On 2002年5月号 (No.354)』 ニューズ出版、2002年、pp.50-53。</ref>。また、路面のうねりでマシンが底打ちするため、フロアやサスアームを補強しなければならなかった<ref name="Ron0205pp5053" />。重大事故も発生し、開業年の日本GPでは[[永井賢一]]が死亡。1973年(昭和48年)の富士GC最終戦では[[中野雅晴]]が死亡した。中野の事故では二重に設置されるはずのガードレールが一枚しかなかった不備と、ステアリングミスが重なったものだった。1974年(昭和49年)の富士GC第2戦中に[[風戸裕]]と[[鈴木誠一 (レーサー)|鈴木誠一]]が死亡する大事故が起きたことを契機に30度バンクは閉鎖された。
 
 
 
バンクの使用中止に伴い、以後のレースは全て右回りで行われる形に改められている。ただし、ファン感謝デーや[[全日本プロドリフト選手権]](D1グランプリ)、[[自転車]]の[[ロードレース (自転車競技)|ロードレース]]など、自動車レース以外のイベントで本コースが使われる場合には、現在でも左回りで周回することがある。
 
 
 
旧コース時代の末期にイベントの一環として、体験走行会が何度か行われている。現在は一部の路面がモニュメントとして遺されたメモリアルパークとなっている。
 
 
 
=== 30度バンク廃止後 ===
 
[[File:Fuji Speedway Aerial photograph 1983.jpg|thumb|富士スピードウェイ付近の空中写真。(1983年撮影)<br/>{{国土航空写真}}]]
 
1974年に30度バンクが廃止され、前述のショートカットコースをメインとしたレイアウトとなる。1周は4.359km。ホームストレートは約1,500mに短縮され、1コーナーはヘアピンとなる。それ以外は前述と同じレイアウトである。バンクは無くなったとはいえ、超高速コースである事には変わりない。1976年と1977年のF1もこのコースが使われた。
 
 
 
1980年代には3箇所の改修工事が行われた。
 
;ダンロップシケイン設置
 
:1983年に[[高橋徹 (レーサー)|高橋徹]]が最終コーナーでクラッシュする死亡事故が発生。観客にも死者が出てしまった事もあり、翌1984年に300Rから最終コーナーの超高速区間の速度抑制、最終コーナー進入速度の低下を目的とし、300R出口と最終コーナー入り口の間にある丘を削る形で右、左、右と大きく切り返すシケインが設置された。シケイン脇のウォール部分に[[ダンロップ]]の広告が設置され、ダンロップシケインと呼ばれる。1周は4.410kmに。
 
;1コーナーの形状変更
 
:1コーナーは本来は30度バンク時代に緊急連絡用のショートカットルートとして設けられたもので、レース用に設計されたものではなかった。ホームストレートからブレーキを残しながら回り込むので、入り口で接触事故が起きやすかった。1986年に30Rと60Rを組み合わせた鋭角なヘアピンへと改修され、ストレートエンドで十分減速してからコーナリングする形となった。1周は4.441kmに。
 
;サントリーシケイン設置
 
:1987年には100R手前の左250Rの超高速コーナーにシケインが設置される。コーナーを直進し、フルブレーキで左、右と切り返す形となった。これにより100Rは大きく狐を描くように右に回り込む形となり、難易度は大幅に増す事になる。[[サントリー]]がスポンサーとなり、1990年代以降は缶コーヒー「[[BOSSコーヒー|BOSS]]」の大看板が設置される。このシケインを「'''Aコーナー'''」、ダンロップシケインを「'''Bコーナー'''」とする簡略化した名称も一般的に使われるようになった。1周は4.470kmとなり、2003年までこのコースは使われる事になる。
 
:なお、この時に1コーナーからバンクへと続く路面は剥がされ、ダートのランオフエリアとなった。
 
 
 
=== リニューアル後 ===
 
[[File:Fuji Speedway Aerial photograph 2007.jpg|thumb|富士スピードウェイの空中写真(2007年)]]
 
[[File:Safety car leading the 2012 WEC Fuji.jpg|thumb|ダンロップシケイン手前]]
 
全面リニューアル後の2005年から使われており、FIAの「グレード1」を取得している現行のレイアウトは距離が4.563km、コーナー数は16に変更された。コース終盤の第3セクターを中低速コーナーが連続するテクニカルセクションに変更し、高速テクニカルコースとなった。
 
 
 
長い直線から最大のオーバーテイクポイントとなる1コーナーは、旧レイアウトよりも鋭角なヘアピンとなった。2コーナーからの坂はなだらかになり、3コーナーへ。サントリーシケインは廃止され、ブラインドの高速左90度コーナー([[コカコーラ]]・コーナー)となった。
 
  
100Rはランオフ確保のため、旧レイアウトよりも手前に置かれ、大きな弧を描く高速右コーナーで、旧コースよりもカーブが緩くなり通過速度は高くなる。ヘアピンも若干手前に変更され、100R出口からヘアピン入り口の距離は縮み、ブレーキングが非常に難しくなった。
+
日本国内で四輪車やオートバイの国際レースが開催できるサーキットの一つ。静岡県駿東郡小山町に位置する。著名なアメリカ人サーキット設計者,マネー・ペニーの設計に基づいて,1966年1月にオープンした。当初は 30°バンクがある 6kmコースと,4.3kmのショートコースの二つを備えていた。 1966年5月の日本グランプリ開催をはじめ,1970年代に一世を風靡した「富士グランチャンピオンシリーズ」などを行ない,日本を代表するサーキットとしての地位を築いた。 1976年に東洋で初めてF1を開催したのも鈴鹿サーキットではなく富士スピードウェイだった。 2000年にトヨタ自動車が資本参加。これを機に (1) モータースポーツの安全,(2) 安全運転の普及・推進,(3) 若者への情報発信基地のテーマを掲げ,全面リニューアル。新コースは全長約 4.5km。約 1.5kmの長い直線に代表される高速型コースの特徴を踏襲しながら,テクニカルなコーナーが追加され,2005年4月オープン。
 
 
ヘアピンを抜けると右の超高速コーナー300Rへ入り、全開のままダンロップシケインへ入る。新しいダンロップシケインはフルブレーキから右に大きく切り返し、すぐに左に切り返す形となり、旧コースに比べて通過速度は下がっている。2018年7月20-22日に開催されたブランパンGTアジア第7戦では、シケインの舗装に剥離が生じたため、急遽、シケインをショートカットする直線部をコースとして使用した例がある<ref>{{Cite web |date= 2018-07-20|url= https://www.as-web.jp/sports-car/392043?all|title= まるで“新コーナー”!? ブランパンGTアジア富士戦はショートカットコースで開催へ|publisher= AUTO SPORTS|accessdate=2018-07-20}}</ref>
 
 
 
コース終盤のテクニカルセクションは坂を上りながら、ブラインドでラインが複数ある難易度の高いつづら折りのコーナーが3つ連続で続く。最終コーナーはラインが複数あり、カテゴリーにもよるがインベタで回るドライバーもいれば、外を回るドライバーもおり、ここの脱出がストレートの速度に影響するため、非常に難しいコーナーとされている。
 
 
 
ピットレーン入り口はホームストレートの中間にあるため、ピットに入る速度を大きく抑制するためにシケイン状のコーナーになっている。このピット入り口のシケインを上手く通過する事でピットのロスも減らせる形になっている。
 
 
 
2016年より新たに[[命名権|ネーミングライツ]]が導入され、1コーナーは「TOYOTA [[GAZOO]] Racing」がスポンサーとなり「TGRコーナー」に、100Rは[[トヨペット店]]がスポンサーとなり「トヨペット100Rコーナー」にそれぞれ改称された<ref>[http://www.as-web.jp/supergt/6932 富士スピードウェイが4社とネーミングライツ契約。1コーナー、100Rが名称変更] - オートスポーツ・2016年4月1日</ref>。
 
 
 
=== 立地 ===
 
[[ファイル:Fuji Speedway with Mount Fuji.jpg|thumb|right|サーキットから眺める富士山]]
 
[[富士山]]の東裾野、標高545-580mの土地にあり、天候が不安定であることで知られる。夕方以降には気温が急激に下がることも多い。また、気圧が低い関係から[[ターボチャージャー]]搭載車が有利となり得るため、一時期のSUPER GTでは[[自然吸気]]車にハンデが与えられたこともあった。霧の発生も多く、緊急時用の[[ドクターヘリ]]の飛行が困難になることもある。
 
 
 
霧の発生や大雨により、レースの中止やスタートの遅延などが起きる場合もある。[[全日本ツーリングカー選手権]]ではスタートが大幅に遅延し、午後5時過ぎになってようやく中止裁定が下されたり、フォーミュラ・ニッポンではスタート遅延後に僅か5周で「レース成立」として終了した事例もある<ref>正式に中止となったレースではチケットの払い戻しや振り替えなどが行われるが、形式上「レース成立」となったレースはチケットの払い戻しは行われなかったため、来場者などから不満の声が上がったこともある。</ref>。悪天候に見舞われたケースは以下の例がある。
 
 
 
*1976年(昭和51年) - [[1976年F1世界選手権イン・ジャパン|F1世界選手権イン・ジャパン]]
 
*1985年(昭和60年) - 世界耐久選手権([[WEC-JAPAN]])
 
*1998年(平成10年)5月 - [[全日本GT選手権]] 第2戦([[太田哲也#悲劇の事故]])
 
*2006年(平成18年)4月 - [[フォーミュラ・ニッポン]] 第1戦{{Refnest|濃霧のため決勝レースが2周で打ち切りとなった。詳細は<ref>{{Cite web |url=http://www.sunoco.co.jp/motor/fn_report/2006/index.html |title=2006 Formula NIPPON 第1戦 富士 |accessdate=2018-07-31 |publisher=[[日本サン石油]] |archiveurl=https://web.archive.org/web/20160509063354/http://www.sunoco.co.jp/motor/fn_report/2006/index.html |archivedate=2016-05-09}}</ref>等を参照。}}
 
 
 
*2008年(平成20年)9月 - フォーミュラ・ニッポン 第7戦
 
*2013年(平成25年)10月 - [[FIA 世界耐久選手権]] 第6戦 <ref>豪雨とそれに伴う濃霧のためセーフティーカーランのレッドフラッグでレースらしいレースのないまま途中打ち切り、16周で成立。[[FIA 世界耐久選手権#日本開催]]</ref>
 
 
 
== コースレコード ==
 
{|class="wikitable" style="font-size: 95%;"
 
|-style="background:#efefef"
 
|+[[1983年]]まで(4.359km)
 
|-
 
! カテゴリー !! 記録 !! ドライバー !! メーカー・車種 !! 樹立日
 
|-style="background:#fff0f0"
 
| '''[[スポーツカー世界選手権|世界耐久選手権]]'''・WEC-JAPAN<ref name="a">1984年と1987年のコース改修でシケインが設置される以前の記録。</ref>
 
| 1分10秒02
 
| [[ステファン・ベロフ]]
 
| [[ポルシェ・956]]
 
| [[1983年]][[10月1日]]
 
|-style="background:#fff0f0"
 
| '''[[フォーミュラ1|F1]]'''・[[日本グランプリ (4輪)|日本グランプリ]]<ref name="a" />
 
| 1分12秒23
 
| [[マリオ・アンドレッティ]]
 
| [[ロータス 78]]/[[フォード・コスワース・DFVエンジン|フォード]]
 
| [[1977年]][[10月22日]]
 
|}
 
{|class="wikitable" style="font-size: 95%;"
 
|-style="background:#efefef"
 
|+[[1984年]]〜[[1985年]](4.410km)
 
|-
 
! カテゴリー !! 記録 !! ドライバー !! メーカー・車種 !! 樹立日
 
|-style="background:#fff0f0"
 
| '''[[グループC]]'''
 
| 1分15秒92
 
| [[ハンス=ヨアヒム・シュトゥック]]
 
| [[ポルシェ・962|ポルシェ・962C]]
 
| [[1985年]][[10月5日]]
 
|}
 
{|class="wikitable" style="font-size: 95%;"
 
|-style="background:#efefef"
 
|+[[1986年]]〜[[1987年]]8月(4.441km)
 
|-
 
! カテゴリー !! 記録 !! ドライバー !! メーカー・車種 !! 樹立日
 
|-style="background:#fff0f0"
 
| '''[[グループC]]'''
 
| 1分14秒685
 
| [[長谷見昌弘]]
 
| [[マーチ・86G/日産]]
 
| [[1986年]][[11月22日]]
 
|}
 
{|class="wikitable" style="font-size: 95%;"
 
|-style="background:#efefef"
 
|+[[1987年]]9月〜[[2003年]](4.470km)<ref>1999年に再計測され、4.400kmに改められた。1999年のル・マン富士1000kmもJSPC時代より4周多い228周で争われた。</ref>
 
|-
 
! カテゴリー !! 記録 !! ドライバー !! メーカー・車種 !! 樹立日
 
|-
 
| '''[[フォーミュラ3000|F3000]]'''
 
| 1分14秒854
 
| [[黒澤琢弥]]
 
| [[ローラ・カーズ|ローラ]]・T92
 
| [[1993年]][[4月10日]]
 
|-
 
| '''[[フォーミュラ・ニッポン]]'''
 
| 1分15秒304
 
| [[星野一義]]
 
| ローラ・T96/52
 
| [[1996年]][[10月19日]]
 
|-
 
| '''[[フォーミュラ3|F3]]'''
 
| 1分26秒344
 
| [[片岡龍也]]
 
| [[ダラーラ]]・F302/トヨタ
 
| [[2003年]][[4月6日]]
 
|-
 
| '''[[グループC]]'''
 
| 1分14秒088
 
| [[星野一義]]
 
| [[日産・R92CP]]
 
| [[1992年]][[5月2日]]
 
|-
 
| '''LM-GTP'''
 
| 1分16秒349
 
| [[片山右京]]
 
| [[トヨタ・GT-One TS020]]
 
| [[1999年]][[11月6日]]
 
|-
 
| '''[[富士グランチャンピオンレース]]'''
 
| 1分19秒904
 
| [[関谷正徳]]
 
| 89S
 
| [[1989年]][[6月3日]]
 
|-
 
| '''[[全日本GT選手権|GT500]]'''
 
| 1分23秒886
 
| [[立川祐路]]
 
| [[トヨタ・スープラ]]
 
| [[2003年]][[5月3日]]
 
|-
 
| '''[[全日本GT選手権|GT300]]'''
 
| 1分31秒356
 
| [[菅一乗]]
 
| モスラー・MT900R
 
| [[2003年]][[5月3日]]
 
|-
 
| '''[[グループA]]''' (クラス1)
 
| 1分31秒131
 
| [[星野一義]]
 
| [[日産・スカイラインGT-R]]
 
| [[1993年]][[10月31日]]
 
|-
 
| '''[[全日本ツーリングカー選手権 (1994年-1998年)|スーパーツーリングカー]]'''
 
| 1分33秒035
 
| [[服部尚貴]]
 
| [[ホンダ・アコード]]
 
| [[1997年]][[11月1日]]
 
|-
 
| '''[[スーパー耐久|スーパーN1耐久]]'''
 
| 1分35秒173
 
| [[粕谷俊二]]
 
| 日産・スカイラインGT-R
 
| [[1998年]][[11月7日]]
 
|}
 
{|class="wikitable" style="font-size: 95%;"
 
|-style="background:#efefef"
 
|+[[2005年]]以降 (4.563km)
 
|-
 
! カテゴリー !! 記録 !! ドライバー !! メーカー・車種 !! 樹立日
 
|-
 
| '''[[フォーミュラ1|F1]]'''
 
| 1分17秒287
 
| [[フェリペ・マッサ]]
 
| [[フェラーリ・F2008]]/フェラーリ
 
| [[2008年]][[10月11日]]
 
|-
 
| '''[[スーパーフォーミュラ]]'''
 
| 1分22秒572
 
| [[アンドレ・ロッテラー]]
 
| [[ダラーラ・SF14]]/トヨタ
 
| [[2014年]][[5月17日]]
 
|-
 
| '''[[フォーミュラ・ニッポン]]'''
 
| 1分24秒290
 
| [[松田次生]]
 
| [[ローラ・B06/51]]/トヨタ
 
| [[2008年]][[4月5日]]
 
|-
 
| '''[[フォーミュラ3|F3]]'''
 
| 1分33秒451
 
| [[井口卓人]]
 
| ダラーラ・F308/トヨタ
 
| [[2009年]][[4月4日]]
 
|-
 
| '''[[FIA 世界耐久選手権|LMP1]]'''
 
| 1分22秒639
 
| [[マーク・ウェーバー]]
 
| [[ポルシェ・919ハイブリッド]]
 
| [[2015年]][[10月10日]]
 
|-
 
| '''[[FIA 世界耐久選手権|LMP2]]'''
 
| 1分31秒225
 
| リカルド・ゴンザレス
 
| リジェ・JS P2/日産
 
| [[2015年]][[10月10日]]
 
|-
 
| '''[[FIA 世界耐久選手権|LMGTE]]'''
 
| 1分38秒145
 
| ジェームス・カラド
 
| [[フェラーリ]]・F458イタリア
 
| [[2015年]][[10月10日]]
 
|-
 
| '''[[全日本スポーツカー耐久選手権|JLMC]]'''
 
| 1分31秒065
 
| [[伊藤大輔 (レーサー)|伊藤大輔]]
 
| クラージュ・LC70/無限
 
| [[2007年]][[6月2日]]
 
|-
 
| '''[[SUPER GT|GT500]]'''
 
| 1分27秒366
 
| [[千代勝正]]
 
| [[日産・GT-R]]
 
| [[2016年]][[5月3日]]
 
|-
 
| '''[[SUPER GT|GT300]]'''
 
| 1分35秒707
 
| [[小林崇志]]
 
| [[BMW・6シリーズ|BMW・M6]]
 
| [[2016年]][[5月3日]]
 
|-
 
| '''[[スーパー耐久]]'''(ST-X)
 
| 1分40秒354
 
| [[星野一樹]]
 
| 日産・GT-R
 
| [[2014年]][[7月26日]]
 
|-
 
| '''[[FISCO Special Stage Trial]](FSST)'''
 
| 1分49秒879
 
| 平野 濱嗣
 
| [[日産・スカイライン]]GTR32
 
| [[2008年]][[12月6日]]
 
|}
 
 
 
== 主な開催レース・イベント ==
 
=== 現在開催中 ===
 
[[File:2012 WEC 6 Hours of Fuji opening lap.jpg|thumb|FIA 世界耐久選手権(2012年)]]
 
[[ファイル:Fisco hairpin2.jpg|thumb|サイクリングフェスティバル イン 小山(2006年)]]
 
* [[FIA 世界耐久選手権]]:[[1982年]] - [[1988年]]、[[2012年]] -
 
**1988年以前は旧[[スポーツカー世界選手権|世界耐久選手権]]としての開催。詳しくは[[WEC-JAPAN]]を参照。
 
* [[スーパーフォーミュラ]]
 
* [[全日本F3選手権]]
 
* [[SUPER GT]]
 
* [[スーパー耐久]]([[富士24時間レース]])を含む。
 
* [[アジアン・ル・マン・シリーズ]]
 
* [[2015年のブランパンGTシリーズ|ブランパンGT・アジア]]
 
* [[スーパーカーレースシリーズ]]
 
* チャレンジカップジャパン
 
* [[インタープロトシリーズ]]
 
* [[フェラーリ・チャレンジ]]
 
* [[ポルシェ・カレラカップ]]
 
* [[ロータス]]カップ
 
* [[富士チャンピオンレース]]
 
* [[全日本プロドリフト選手権]](D1グランプリ)
 
* [[ドリフトマッスル]]
 
* TOYOTA [[GAZOO]] Racing Festival
 
* [[NISMO]] FESTIVAL at FUJI SPEEDWAY
 
* [[フェラーリ]]・レーシング・デイズ
 
* ママチャリグランプリ
 
 
 
=== 過去に開催 ===
 
[[File:Kimi Raikkonen and Nelsinho Piquet 2008 Japan.jpg|thumb|F1日本グランプリ(2008年)]]
 
* [[フォーミュラ1|F1]]・[[日本グランプリ (4輪)|日本グランプリ]]:[[1976年]]・[[1977年]]・[[2007年]]・[[2008年]]
 
* [[インターTEC]]:[[1985年]] - [[1998年]]
 
** 1993年まではいわゆる[[全日本ツーリングカー選手権 (1985年-1993年)|グループA]]、1994年 - 1998年は[[全日本ツーリングカー選手権 (1994年-1998年)|JTCC]]として開催。1987年のみ[[世界ツーリングカー選手権|WTCC]]の1戦となった。
 
* [[インターナショナルF3リーグ]]:[[1990年]] - [[1993年]]
 
* [[ロードレース世界選手権]]・[[日本グランプリ (ロードレース)|日本グランプリ]]:[[1966年]]・[[1967年]]
 
* [[富士グランチャンピオンレース]](富士GC):[[1971年]] - [[1989年]]、[[2002年]] - [[2006年]]
 
* [[富士ロングディスタンスシリーズ]]
 
** [[富士500km]]
 
** [[富士500マイル]]
 
** [[富士1000km]]
 
* [[JAFグランプリ]]・FUJI SPRINT CUP:[[2010年]] - [[2013年]]
 
 
 
== 場内設備 ==
 
=== コース ===
 
[[File:Fuji Speedway start-finish.jpg|thumb|right|本コースストレートとグランドスタンド]]
 
場内には本コースの他に、ショートサーキット、[[ドリフト走行|ドリフト]]コース、[[ジムカーナ]]コース、[[レーシングカート|カート]]コースの、種目および目的別の4コースがある。
 
 
 
本コースでレース他イベントが開催されない際には、持ち込んだレース専用車(ナンバー付き車輌も含む)による時間貸しの練習走行枠が設けられている(サーキットライセンスの取得が必要)ほか、貸し切り走行や自家用車での走行、オフィシャルカーの同乗走行を行うことも可能である<ref>[http://www.fsw.tv/driving/howto/index.html 富士スピードウェイの走り方]</ref>。
 
 
 
また、N1仕様の[[トヨタ・86]]やフォーミュラチャレンジ・ジャパン用のフォーミュラマシンのレンタルや、プロドライバーによるレッスンプログラムも用意されている(サーキットライセンスの取得が必要)<ref>[http://www.fsw.tv/driving/86racers.html 86RACERS]</ref>ほか、カートコースではレンタルカートによる走行も可能である<ref>[http://www.fsw.tv/driving/kart.html レンタルカート]</ref>。
 
 
 
=== 観客スタンド ===
 
[[File:富士スピードウェイ(スタンド) - panoramio.jpg|thumb|right|グランドスタンド観客席(写真右側)とコントロールタワー、Aピット]]
 
本コースストレート前に設けられているグランドスタンドには、ドリンクホルダーも備えられた観客席が多数設けられているほか、[[エレベーター]]や[[バリアフリー]]対応のトイレ、[[おむつ]]交換台や授乳所、[[自動販売機]]なども多数備えられている。また、グランドスタンド最上部には貸し切りが可能な観戦ラウンジ「プラチナルーム」が10部屋設けられている<ref>[http://www.fsw.tv/guide/facility/room.html 施設紹介「ルーム」]</ref>。
 
 
 
グランドスタンド裏のエリアはイベント広場となっており、全日本格式クラスのレースの開催時には、グランドスタンド裏では様々なイベントが行われるほか、多数の飲食店や土産物店が展開される。また、地元の名物料理などの[[屋台]]の出店も行われる<ref>[http://www.fsw.tv/guide/facility/eat.html 施設紹介お食事処ガイド]</ref>。また、グランドスタンド裏には総合案内所が設けられている。
 
 
 
なお、グランドスタンド中央部には、コース内側のコントロールタワーやパドックエリア、アドバンコーナー付近との間を行き来するための歩行者用地下道が備えられており、上りのみの[[エスカレーター]]もある。
 
 
 
グランドスタンド以外にも1コーナー近辺に常設の観客スタンド(2,200席、屋根なし)がある<ref>[http://www.jaf.or.jp/msports/course/circuit/fuji.htm JAFモータースポーツ富士スピードウェイ]</ref>。またそれ以外にも観客エリアが複数設けられており、主な観客エリアの周辺にはバリアフリー対応のトイレや自動販売機、駐車場などが備えられている。グランドスタンド裏をはじめ、随所に廃コンテナを改造した喫煙スペースやバリアフリー対応のトイレが設置される等の追加工事が随時実施されている。
 
 
 
=== コントロールタワー ===
 
本コースストレート前のグランドスタンドの向かい側(コース内側)、ピットビルAに併設される形で3階建てのコントロールタワーがある。内部には競技役員室やメディカルセンター、事務所がある。なおコントロールセンターは1990年代に、現ピットビルやグランドスタンドに先立って新築されたものである。
 
 
 
=== ピット及びパドックエリア ===
 
====Aパドック====
 
[[File:S110 SILVIA SILHOUETTE-FOMULA NF2006.JPG|thumb|right|ピットビルA内部]]
 
コントロールタワーに並んで、3階建てのピットガレージ(ピットビルA)と、電動シャッターと電源が備えられたピットガレージ(ピットビルB)が設けられている。ピットビルAには30(電動シャッターや電源、控室とトイレ、モニター付)、ピットビルBには15のピット(電動シャッターや電源、モニター付き)が備えられており<ref>[http://www.jaf.or.jp/msports/course/circuit/fuji.htm JAFモータースポーツ富士スピードウェイ]</ref>、ともに有料で借りることができる。
 
 
 
また、ピットビルAの2階には有料で貸し切りでき、メインストレートとピットが見下ろせる多目的ルーム「クリスタルルーム」が9部屋<ref>[http://www.fsw.tv/guide/facility/room.html 施設紹介「ルーム」]</ref>とメディアルーム、ブリーフィングルームや[[表彰台]]などが設けられている。ピットビルAの最上層階は吹き抜けながらも屋根が設けられており、ここからレースを観戦することが可能である。ピットビルB屋上からもレースを観戦することが可能である。
 
 
 
ピットビルA裏のパドックエリアには、有料で貸し切りできる2階建ての「パドックスイート」(ソファーや机といす、トイレとシャワー室、[[厨房]]や[[冷蔵庫]]付き)が6棟12部屋用意されている<ref>[http://www.fsw.tv/guide/facility/room.html 施設紹介「ルーム」]</ref>ほか、[[タイヤ]]やパーツメーカー、ドライビングスクールの施設やオフィスなどが備え付けられている。
 
 
 
==== B/Cパドック ====
 
コントロールタワー脇のBパドックには、[[車検]]場や[[JXTGエネルギー|エネオス]]の[[ガソリンスタンド]]がある。ガソリンスタンドから300R方面に向かうとCパドックがある。BパドックとCパドックにはピットガレージが設けられていない。
 
 
 
なお、コントロールタワーやパドックエリアとグランドスタンド中央方面との間を行き来するための歩行者用地下道が備えられており、上りのみの[[エスカレーター]]もある。
 
 
 
=== ORIZURU ===
 
Aパドック横には、約200席を持つ[[セルフサービス]]式の[[レストラン]]「ORIZURU」と土産物店<ref>[http://www.fsw.tv/guide/facility/restaurant.html 施設紹介レストラン]</ref>が設けられている。なお、全日本格式や世界選手権格式のレースやイベントの開催日には、Aパドックエリアは関係者以外に対する入場制限(パスコントロール)がかけられる、もしくは別途入場料金が設定されることが多いが、Aパドックエリアへの入場制限がかけられる際も、「ORIZURU」や土産物店へは入場制限がかからないことが多い。
 
 
 
=== 富士ジュラシックウェイ ===
 
2017年7月に、トヨペット100R内側の森の中に[[ティラノサウルス]]や[[ステゴサウルス]]、[[イグアノドン]]など、15種類以上の恐竜の実物大模型や骨格模型などが置かれた子供向け娯楽施設「富士ジュラシックウェイ」がオープンした<ref>[http://www.fjw.jp/ 富士ジュラシックウェイ]</ref>。入場には富士ジュラシックウェイへの入場料のほか、富士スピードウェイへの入場料が別途必要だが、割引が適用される。
 
 
 
=== モビリタ ===
 
敷地内にトヨタの交通安全センター「モビリタ」<ref>[http://www.toyota.co.jp/mobilitas/ トヨタ交通安全センター モビリタ]</ref>が置かれており、企業、団体向けの交通安全教室が平日に開催されている他に、一般ドライバー向けの各種交通安全教室も開催されている。
 
 
 
=== レクサスカレッジ ===
 
[[File:Lexus College.jpg|thumb|right|レクサスカレッジ]]
 
東ゲート近くには、[[レクサス]]販売のための研修施設である「レクサスカレッジ」がおかれている。この施設はレクサス販売関係者のためのものであり、一般に公開はされていない。
 
 
 
=== サーキット事務所 ===
 
東ゲート脇に運営会社である富士スピードウェイ株式会社の本社とサーキット事務所が設けられており、サーキットライセンスの取得やコース貸し切りの申し込み、プレス受付や広告看板の掲出申し込みなどに対応している。また、コントロールタワーにも事務所が設けられており、サーキット走行券の購入などはこちらで行う。[[東京都]][[千代田区]]内にも富士スピードウェイの東京営業所がある。
 
 
 
=== その他施設 ===
 
「モビリタ」や「[[カーグラフィック|CG]]パーク」を含む各エリアは、レースやオーナーズクラブイベント、新型車試乗会などの自動車イベント以外にも、音楽イベントなどの様々なイベントの会場としても供用されている。なお、レースなどのイベントが開催されない時、特にオフシーズン時期には、一部の駐車場をトヨタ自動車の出荷前の新車のモータープールとしても使用していることがある。
 
 
 
西ゲート脇には[[エネオス]]の[[ガソリンスタンド]](富士スピードウェイ西ゲートSS)が設けられている。なおこのガソリンスタンドはサーキット外にあるため、サーキット利用者以外の利用も可能である。また、[[2017年]]に西ゲート付近に「モータースポーツ顕彰碑」が建立された。
 
 
 
=== 場内放送 ===
 
レース開催時には[[周波数]]79.7MHzの[[ミニFM]]で場内実況される<ref>[http://www.fsw.tv/motorsports/race/01/service.html 観る] 富士スピードウェイ</ref>。
 
また、2016年より一部レースが地元の[[コミュニティ放送局]][[エフエム御殿場]](富士山GOGOエフエム)でも場内実況が放送される。
 
 
 
過去には、[[テレビジョン放送]]の実験も行われた。[[東通]]が[[総務省]]の[[ホワイトスペース (電波)|ホワイトスペース]]特区募集に提案し<ref>{{PDFlink|[http://www.soumu.go.jp/main_content/000102311.pdf 富士スピードウェイから始めるエリア放送の可能性]}} 東通(総務省ホワイトスペース推進会議第3回会合資料3-2)2011年2月4日</ref>、特区として認定され<ref>[http://warp.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1621923/www.soumu.go.jp/menu_news/s-news/01kiban09_01000025.html 「ホワイトスペース特区」] の決定 総務省報道資料 平成23年4月8日([[国立国会図書館]]のアーカイブ:2011年4月11日収集)</ref>、2011年11月の富士スプリントカップから[[ワンセグ放送]]を実験<ref>[http://car.watch.impress.co.jp/docs/news/20111216_498655.html レース観戦のスタイルが変わる? 富士のワンセグ放送を体験してみた] Car Watch 2011年12月16日</ref>、2012年5月のSUPER GTからワンセグ放送のほか、場内に設置された[[デジタルサイネージ]]へのフルセグ放送の実験も行われた。これらは[[実験試験局]]<ref>[http://warp.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/8406622/www.soumu.go.jp/soutsu/tokai/kohosiryo/24/0423.html 富士スピードウェイ内でワンセグ・フルセグ放送などの実験試験局を免許] [[東海総合通信局]] 報道資料 平成24年4月23日(国立国会図書館のアーカイブ:2014年1月7日収集)</ref>によるものであった。実験結果より、[[地上一般放送局]]を開設するには設備投資の費用を捻出することが最大の課題とわかり広告収入のみで投資の回収は困難と判断<ref>{{PDFlink|[http://www.soumu.go.jp/main_content/000224832.pdf サーキット集客効果向上と周辺地域への消費活動促進を目的としたエリア放送実施報告]}} 東通(総務省ホワイトスペース推進会議第7回会合資料7-1-3)2013年5月14日</ref>、結局[[エリア放送]]は開始されなかった。
 
 
 
== 入場料/走行料 ==
 
=== 入場料金 ===
 
レースやイベントが開催されていない日でも入場が可能で、入場料は大人(18歳以上)が1,000円、高校生700円、中学生以下は入場無料である。入場料には場内駐車場代が含まれている。なお、サーキットライセンス所有者は入場無料である。[[日本自動車連盟]](JAF)会員向けの割引もある。
 
 
 
全日本格式クラスや国際格式のレースやイベントが行われている日は、それぞれのレースやイベントの入場料に準じる。また、「ワールドチェカパス」と名付けられた、富士スピードウェイで行われるスーパーフォーミュラやSUPER GTなどの5つの全日本格式クラスのレースを一般観戦エリアで観戦できるパスが毎シーズン開幕前に販売される、さらに、「ワールドチェカパス」に、パドックパス(ピットウォーク含む)が付随したパスも同時に販売されている。
 
 
 
=== 走行料 ===
 
各コースごとに走行料金が設定されており、また安全のためにラップタイムやマシンカテゴリーごとに時間帯が区切られている。なお時間ごと、もしくは全日での貸し切りも可能である。またコース以外にもイベントスペースや駐車場エリアの貸し切りも可能である。なお、貸し切りイベントや貸し切り走行会以外で各コースを走る際には、サーキットライセンスの取得が必要である。
 
 
 
== 周辺 ==
 
富士スピードウェイに隣接して、かつて富士スピードウェイを運営していた三菱地所の子会社が所有しているゴルフ場「東富士カントリークラブ」と、大型公園[[墓地]]の「富士霊園」がある。なお以前は、「東富士カントリークラブ」へは、富士スピードウェイの西ゲートから入場するようになっていた。周辺には他にも複数のゴルフ場がある。
 
 
 
東西ゲートの徒歩圏内に[[商店]]などは無いが、車で5-10分圏内には複数の[[コンビニエンスストア]]や[[レストラン]]、[[病院]]や[[郵便局]]、ガソリンスタンドなどが存在する。なお西ゲート周辺の大御神地域は、「[[ノバ・エンジニアリング]]」や「[[東名スポーツ]]」、「[[竹内浩典|シフト]]」や「[[近藤レーシングガレージ]]」など多数のレーシングガレージやメンテナンス工場が集中しているため、「大御神レース村」と呼ばれている。また、2020年に完成予定の新東名高速道路の小山PA(仮称)とスマートICの開発に伴い、同エリアが「モータースポーツ関連産業エリア」として再開発される計画もある<ref>[http://www.fuji-oyama.jp/sangyou_smartIC_kyougikai.html 「(仮称)小山スマートIC地区協議会」]</ref>。
 
 
 
== アクセス ==
 
[[ファイル:Fuji speedway eastgate.JPG|thumb|right|220px|東ゲート]]
 
[[File:Omika, Oyama, Sunto District, Shizuoka Prefecture 410-1308, Japan - panoramio (1).jpg|thumb|right|220px|西ゲート]]
 
[[ファイル:御殿場インターチェンジ001.jpg|thumb|right|220px|御殿場インターチェンジ]]
 
市街地や観光地に囲まれていることから、国内の他のサーキットと比べ交通手段は比較的恵まれており、[[高速道路]]の[[インターチェンジ]]に至近な上に、近隣の複数の鉄道駅からの[[バス]]便もあるほか、鉄道駅から[[タクシー]]でもアクセスできる。
 
 
 
観客は「東ゲート」もしくは「西ゲート」の2つの入場ゲートから自家用車、シャトルバスもしくは徒歩でサーキット内に入るのが一般的である。ただし、営業日は常時開門している東ゲートと違い、西ゲートは大規模なレース開催日以外は閉まっている場合もあり、事前に確認が必要である<ref>[http://www.fsw.tv/guide/index.html#guide-map 場内ガイド]</ref>。
 
 
 
また、西ゲートからグランドスタンドまでは徒歩で15分-20分程度だが、東ゲートからグランドスタンドまでは徒歩で40分-50分程度かかるので注意が必要である<ref>[http://www.fsw.tv/guide/index.html#guide-map 場内ガイド]</ref>。
 
 
 
;自動車/オートバイ
 
自動車で来場する場合は場内に複数ある駐車場(15か所の自動車用駐車場と1か所のオートバイ専用駐車場)が使用できる。また、大規模レースの際は場外に臨時駐車場が設けられ、各ゲートと主要観客席、駐車場を結ぶ場内シャトルバスが運行される<ref>[http://www.fsw.tv/motorsports/race/01/access.html 場内駐車場・シャトルバス経路図]</ref>。
 
 
 
なお、元々近傍にある[[東名高速道路]]は非常に交通量が多い上、休日ともなると富士山や富士五湖などの観光地に向かう観光客や、[[御殿場プレミアム・アウトレット]]に向かう買物客、[[ゴルフ]]客がこれに加わること、またサーキット周辺の一般道で幹線道路は[[国道246号]]と[[国道138号]]([[御殿場バイパス]])ぐらいで抜け道も少なく、抜け道自体が片側一車線の市道であることから、レース開催時には[[御殿場インターチェンジ]]やぐみ沢交差点付近での渋滞が発生しがちである。
 
 
 
2012年(平成24年)には、[[新東名高速道路]]の[[御殿場ジャンクション]]以西が一部開通したために交通事情の改善が期待されたが、大規模レースの観客と行楽客が重なり大きな渋滞が発生し、サーキット出口から御殿場インターチェンジまで1時間以上かかることもある。
 
 
 
また、[[2020年]]には、新東名高速道路の小山[[PA]](仮称)と[[スマートIC]]が、東西ゲートからそれぞれ数百メートルの距離に完成する予定であり、これによる利便性の向上が期待されている<ref>[http://www.fuji-oyama.jp/sangyou_smartIC_kyougikai.html 「(仮称)小山スマートIC地区協議会」]</ref>。しかし、スマートICで処理能力に限界がある上に、東西ゲートから近すぎることから、大規模レースの終了時に場内で渋滞が発生する可能性も取りざたされている。
 
 
 
;鉄道
 
[[File:Gotemba Station Fujikyu Bus Terminal.jpg|thumb|right|220px|JR御殿場駅(富士山口側)]]
 
[[File:Suruga-Oyama Station 03.jpg|thumb|right|220px|JR駿河小山駅]]
 
複数の鉄道駅から公共交通手段(路線バスもしくはタクシー)を使ってアクセスできる。なお、臨時バスが出ない通常時に路線バスでゲートまで直行できるのは[[JR]][[御殿場線]]の[[御殿場駅]]もしくは[[駿河小山駅]]に限られる。
 
 
 
* [[JR]][[御殿場線]]:[[御殿場駅]]、[[駿河小山駅]](駅から[[富士急行]]路線バスまたはタクシー)
 
* [[小田急小田原線]]:[[新松田駅]](御殿場線または[[開成駅]]始発当駅経由臨時バス乗り換え)
 
* [[小田急小田原線]]:[[開成駅]](当駅始発[[新松田駅]]経由臨時バス乗り換え)
 
* [[富士急行線]]:[[富士山駅]](御殿場駅行きバス乗り換え)
 
 
 
;バス
 
[[東海旅客鉄道|JR東海]][[御殿場線]]の[[御殿場駅]](富士山口側5番)や[[駿河小山駅]]から[[冨士霊園]]行きの富士急行の路線バスに乗車し、「スピードウェイ東ゲート」又は「スピードウェイ西ゲート」で下車というルートの他に、御殿場駅(富士山口側5番)から上野行きの富士急行の路線バスに乗車し、「スピードウェイ東ゲート」で下車というルートもある<ref>[http://www.fsw.tv/guide/access/train.html アクセス 電車バスをご利用の方]</ref>。いずれも所要時間は25分-30分程度である。
 
 
 
さらに、全日本格式や国際格式の大きなレースの際には、JR御殿場駅(富士山口側7番)からの臨時バスのほか、小田急小田原線[[開成駅]]から[[新松田駅]]経由の臨時バスも運行される。
 
 
 
;タクシー
 
JR御殿場駅や駿河小山駅から[[タクシー]]でアクセスすることも可能である(20分程度)<ref>[http://www.fsw.tv/guide/access/train.html アクセス 電車バスをご利用の方]</ref>。なおサーキット内にはタクシー乗り場はない上に、流しのタクシーもほとんど走っていないが、電話で場内に呼ぶことが可能である。
 
 
 
;ヘリコプター
 
西ゲートを入った横に[[ヘリポート]]があり、事前に予約することで一般の[[ヘリコプター]]が有料で利用することが可能である<ref>[http://www.fsw.tv/guide/etc/charge.html 料金のご案内]</ref><ref>[https://www.aeroasahi.co.jp/traveler/charter.php 朝日航洋]</ref>。これとは別に最終コーナー内側にも[[ヘリパッド]]があるが、こちらは[[ドクターヘリ]]専用で一般の利用はできない。[[東京ヘリポート]]からでは30分程度である。
 
 
 
== 宿泊 ==
 
富士スピードウェイの敷地内に一般向けの宿泊施設は用意されていないが、地元の小山町<ref>[http://www.fuji-oyama.jp/kankoubunka_stay.html 小山町観光情報]</ref>及び[[御殿場市]]周辺は元々避暑地や富士山登山の拠点であり、[[ビジネスホテル]]や[[シティホテル]]、[[リゾートホテル]]や[[旅館]]、[[民宿]]や[[ユースホステル]]の他にも、会員制リゾートホテルをはじめとする宿泊施設が多数点在するほか、周辺には[[山中湖]]や[[河口湖]]、[[箱根]]といった日本有数の観光宿泊施設の集積地があるため、通常時は宿泊施設の確保が比較的簡単にできる。
 
 
 
しかし、全日本格式のレースの開催日や連休、[[富士急ハイランド]]での野外コンサート、御殿場市のゴルフ場でのプロゴルフトーナメント<ref>三井住友VISA太平洋マスターズ 開催場所:太平洋クラブ 御殿場コース</ref>の時期は、観客や関係者により早くから予約が埋まるので注意が必要である。
 
 
 
== 富士スピードウェイが登場した作品 ==
 
;映画
 
* [[007は二度死ぬ]](1966年)
 
* [[ラッシュ/プライドと友情]](2013年)
 
 
 
;テレビドラマ
 
* [[ポールポジション!愛しき人へ…]](1992年)
 
* [[エンジン (テレビドラマ)|エンジン]](2005年)
 
 
 
;ゲーム
 
* [[レーザーグランプリ]] - [[タイトー]]のLDゲーム(1983年発売)
 
* [[GPワールド]] - セガ(後の[[セガ・インタラクティブ]])のLDゲーム(1984年発売)
 
* [[ポールポジション (ゲーム)|ポールポジション]] - ナムコ(後の[[バンダイナムコエンターテインメント]])のアーケードゲーム。[[1982年]]当時の旧コースが収録されている。
 
 
 
== 参考文献 ==
 
* [[大久保力]] 『サーキット燦々[さんさん]』 [[三栄書房]]、2005年2月13日 初版第1刷発行、ISBN 978-4879048783
 
* 林信次 『富士スピードウェイ 最初の40年』 三樹書房、2005年、ISBN 4-89522-456-2
 
  
 
== 脚注 ==
 
== 脚注 ==
 
{{脚注ヘルプ}}
 
{{脚注ヘルプ}}
 
{{Reflist|2}}
 
{{Reflist|2}}
 
== 関連項目 ==
 
* [[日本のモータースポーツ]]
 
* [[クレインズ]] - イメージガール
 
* [[日産・シルビア]]/[[日産・ガゼール|ガゼール]] - 1984年に「ターボ R-L FISCO」仕様を発売した。
 
* [[レクサス]] - 同ブランドのスポーツグレードである「F」は富士スピードウェイを指すとされている。
 
* [[マウント・フジ・ジャズ・フェスティバル]] - イベント再開後、改修工事前に二回開催している。アル・マッケイオールスターズのライブアルバムが収録された。
 
* [[ウドー・ミュージック・フェスティバル]] - 2006年7月22日・23日開催、主催者側の失態が非難された。
 
  
 
== 外部リンク ==
 
== 外部リンク ==
 
* [http://www.fsw.tv/ FSW.TV(富士スピードウェイ オフィシャルサイト)] - [[ブロードバンドインターネット接続|ブロードバンド]]推奨
 
* [http://www.fsw.tv/ FSW.TV(富士スピードウェイ オフィシャルサイト)] - [[ブロードバンドインターネット接続|ブロードバンド]]推奨
 
* [http://www.toyota.co.jp/mobilitas/index.html モビリタ]
 
* [http://www.toyota.co.jp/mobilitas/index.html モビリタ]
* [https://web.archive.org/web/20141008094549/http://racingcircuits.info/asia/japan/fuji-speedway.html RacingCircuits.infoでマップと完全な回路の歴史(英語)]
 
* {{Commons&cat-inline}}
 
  
{{2020年夏季オリンピック競技会場}}
 
 
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2018/9/21/ (金) 09:16時点における最新版

日本の旗 富士スピードウェイ
概要
所在地 日本の旗静岡県駿東郡小山町
座標 東経138度55分36秒北緯35.37167度 東経138.92667度35.37167; 138.92667
オーナー トヨタ自動車
運営会社 富士スピードウェイ株式会社
営業期間 1966年 - 2003年 / 2005年 -
収容人数 11万人
主なイベント FIA 世界耐久選手権
SUPER GT
スーパーフォーミュラ
富士チャンピオンレース
コース設計者 ヘルマン・ティルケ
国際レーシングコース(四輪)
使用期間 1966年 - 2003年
コース長 4.400km
ラップレコード 1分12秒23 (1977年)
マリオ・アンドレッティ
チーム・ロータスF1
国際レーシングコース(四輪)
使用期間 2005年 -
コース長 4.563km
コーナー数 16
ラップレコード 1分17秒287 (2008年)
フェリペ・マッサ
スクーデリア・フェラーリ (F1)
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富士スピードウェイ(ふじスピードウェイ、Fuji International Speedway

日本国内で四輪車やオートバイの国際レースが開催できるサーキットの一つ。静岡県駿東郡小山町に位置する。著名なアメリカ人サーキット設計者,マネー・ペニーの設計に基づいて,1966年1月にオープンした。当初は 30°バンクがある 6kmコースと,4.3kmのショートコースの二つを備えていた。 1966年5月の日本グランプリ開催をはじめ,1970年代に一世を風靡した「富士グランチャンピオンシリーズ」などを行ない,日本を代表するサーキットとしての地位を築いた。 1976年に東洋で初めてF1を開催したのも鈴鹿サーキットではなく富士スピードウェイだった。 2000年にトヨタ自動車が資本参加。これを機に (1) モータースポーツの安全,(2) 安全運転の普及・推進,(3) 若者への情報発信基地のテーマを掲げ,全面リニューアル。新コースは全長約 4.5km。約 1.5kmの長い直線に代表される高速型コースの特徴を踏襲しながら,テクニカルなコーナーが追加され,2005年4月オープン。

脚注

外部リンク




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