宮内庁

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宮内庁(くないちょう、英語: Imperial Household Agency)は、日本の行政機関の一つである。

皇室関係の国家事務、天皇国事行為にあたる外国の大使公使の接受に関する事務、皇室の儀式に係る事務をつかさどり、御璽国璽を保管する内閣府の機関」である。

なお、宮内庁はかつて「総理府外局」であったが、現在は内閣府の外局(内閣府設置法第49条・第64条)ではなく「内閣府に置かれる独自の位置づけの機関」とされている(内閣府設置法48条)[1]。官報の掲載では内閣府については「外局」ではなく「外局等」として宮内庁を含めている。

歴史

1869年明治2年)7月8日、古代の太政官制にならって、いわゆる「二官八省」からなる政府が組織されたが、この際、かつての大宝令に規定された宮内省(くないしょう/みやのうちのつかさ)の名称のみを受け継ぐ宮内省が設置され長官として宮内卿が置かれた。1885年(明治18年)に内閣制度が創設される際には、宮内卿に替わって宮内大臣が置かれたが、「宮中府中の別」の原則に従って、宮内大臣は内閣の一員とされなかった。このとき、内大臣宮中顧問官などの官職も置かれた。1886年(明治19年)には宮内省官制が定められ、2課5職6寮4局の組織が定まった。1889年(明治22年)には、大日本帝国憲法の公布とともに、旧皇室典範が裁定され、皇室自律の原則が確立した。1908年(明治41年)には、皇室令による宮内省官制が施行され、宮内大臣は皇室一切の事務につき天皇を輔弼する機関とされた。

1945年(昭和20年)の終戦の際には、宮内省は、1官房2職8寮2局のほか、内大臣府掌典職御歌所帝室博物館帝室林野局学習院など13の外局と京都事務所を持ち、職員6,200人余を擁する大きな組織となっていた。その後、宮内省の事務を他の政府機関に移管もしくは分離独立して機構の縮小を図り、1947年(昭和22年)5月3日日本国憲法施行とともに、宮内省から宮内府となり、内閣総理大臣の所轄する機関となった。宮内府は、宮内府長官の下、1官房3職4寮(侍従職・皇太后宮職・東宮職・式部寮・図書寮・内蔵寮・主殿寮)と京都事務所が置かれ、職員数も1,500人弱となった[2][3]

1949年(昭和24年)6月1日には、総理府設置法の施行により、宮内府は宮内庁となって総理府の外局となり、宮内庁長官の下に宮内庁次長が置かれ、1官房3職2部と京都事務所が設置された。2001年平成13年)1月6日には、中央省庁改革の一環として内閣府設置法が施行され、宮内庁は内閣府に置かれる機関となった。

庁舎

1935年(昭和10年)に建設された。「宮内庁」の表札等はない。明治宮殿が焼失してから今の宮殿が建設されるまでの間、仮宮殿として用いられた。現在の宮殿とは渡り廊下で接している。

組織

内部部局(長官官房、3職、2部)、2施設等機関、1地方支分部局を設置する。宮内庁長官と侍従長(侍従職の長)は認証官。他省庁と違い部課制ではないが、これは戦前からの慣習による。

侍従職と東宮職はそれぞれ天皇一家、皇太子一家の側近奉仕という特質上、皇位継承があった場合、東宮職の職員は即位した天皇皇后について侍従職に移り、逆にもとにいた侍従職の職員のほとんどが、ご崩御(死亡)した前天皇皇后であった皇太后の側近奉仕をする皇太后宮職に移るか、新皇太子の側近奉仕をする東宮職に移る。

皇室典範に基づき開かれる皇室会議皇室経済法に基づき開かれる皇室経済会議、天皇皇族の護衛、皇居や御所の警衛を行う皇宮警察本部は宮内庁の機関ではない。

また、天皇皇后の諮問に応じる宮内庁参与宮内庁御用掛生物学研究所紅葉山御養蚕所の職員、宮中祭祀を担当する掌典職の職員は宮内庁や国の機関の職員(国家公務員)ではない。詳細は当該項目を参照。

幹部

  • 宮内庁長官
  • 宮内庁次長

内部部局

施設等機関

地方支分部局

長官

宮内庁の長は、宮内庁長官とされ(宮内庁法8条1項)、宮内庁長官の任免は、天皇が認証する(同条2項)。1947年(昭和22年)5月の日本国憲法施行の日に宮内府及び宮内府長官が設置され、1949年(昭和24年)に宮内庁及び宮内庁長官と改称された後も、一貫して長官の職は認証官である。また、宮内庁長官は、特別職国家公務員である(国家公務員法2条3項10号)。

宮内庁長官は、宮内庁の事務を統括し、職員の服務について統督する権限があるほか(宮内庁法8条3項)、宮内庁の所掌事務について、内閣総理大臣に対し内閣府令を発することを求める権限(同条4項)、告示を発する権限(同条5項)、所管の諸機関及び職員に対し、訓令又は通達を発する権限(同条6項)、皇宮警察の事務につき、警察庁長官に対して所要の措置を求める権限(同条7項)などがある。

宮内庁長官には、旧内務省系官庁の事務次官、あるいはそれに準ずるポスト(警視総監)の経験者が、宮内庁次長を経て、就任することが慣例となっている。

歴代長官
氏名 在任期間 出身官庁 備考
宮内府長官
1 松平慶民 1947年(昭和22年)5月3日 - 1948年(昭和23年)6月5日 宮内省 叙・一級
2 田島道治 1948年(昭和23年)6月5日 - 1949年(昭和24年)5月31日 民間 叙・一級
宮内庁長官
1 田島道治 1949年(昭和24年)6月1日 - 1953年(昭和28年)12月16日 民間 引き続き一級
2 宇佐美毅 1953年(昭和28年)12月16日 - 1978年(昭和53年)5月26日 内務省 叙・一級
3 富田朝彦 1978年(昭和53年)5月26日 - 1988年(昭和63年)6月14日 警察庁 叙・一級
4 藤森昭一 1988年(昭和63年)6月14日 - 1996年(平成8年)1月19日 厚生省環境庁 叙・一級
5 鎌倉節 1996年(平成8年)1月19日 - 2001年(平成13年)4月2日 警察庁 叙・一級
6 湯浅利夫 2001年(平成13年)4月2日 - 2005年(平成17年)4月1日 自治省
7 羽毛田信吾 2005年(平成17年)4月1日 - 2012年(平成24年)6月1日 厚生省
8 風岡典之 2012年(平成24年)6月1日 - 2016年(平成28年)9月26日 建設省
9 山本信一郎[4] 2016年(平成28年)9月26日 - 自治省
  • 2001年(平成13年)1月6日の中央省庁再編施行とともに叙級制度は廃止

次長

宮内庁には、宮内庁次長(1人)を置くこととされ(宮内庁法9条1項)、宮内庁次長は、長官を助け、庁務を整理し、各部局の事務を監督することと定められる(同条2項)[5]

宮内庁次長は、特別職の宮内庁長官と異なり、一般職の国家公務員である。

歴代次長
氏名 在任期間 前職 備考
宮内府次長
1 加藤進 1947年(昭和22年)5月3日 - 1948年(昭和23年)8月2日 宮内省総務局長 叙・一級
2 林敬三 1948年(昭和23年)8月2日 - 1949年(昭和24年)5月31日 内事局長官 叙・一級
宮内庁次長
1 林敬三 1949年(昭和24年)6月1日 - 1950年(昭和25年)10月9日 引き続き一級
2 宇佐美毅 1950年(昭和25年)10月9日 - 1953年(昭和28年)12月16日 東京都教育長
東京住宅協会専務理事
- 1953年(昭和28年)12月16日 - 1953年(昭和28年)12月18日 宮内庁長官による事務取扱
3 瓜生順良 1953年(昭和28年)12月18日 - 1974年(昭和49年)11月26日
4 富田朝彦 1974年(昭和49年)11月26日 - 1978年(昭和53年)5月26日 警視庁副総監
内閣調査室
5 山本悟 1978年(昭和53年)5月26日 - 1988年(昭和63年)4月13日 自治省財政局長
6 藤森昭一 1988年(昭和63年)4月13日 - 1988年(昭和63年)6月14日 内閣官房副長官
7 宮尾盤 1988年(昭和63年)6月14日 - 1994年(平成6年)3月31日[6]
8 鎌倉節 1994年(平成6年)4月1日 - 1996年(平成8年)1月19日 警視総監
9 森幸男 1996年(平成8年)1月19日 - 2000年(平成12年)3月31日[7]
10 湯浅利夫 2000年(平成12年)4月1日 - 2001年(平成13年)4月2日 自治事務次官
11 羽毛田信吾 2001年(平成13年)4月2日 - 2005年(平成17年)4月1日 厚生省事務次官
12 風岡典之 2005年(平成17年)4月1日 - 2012年(平成24年)6月1日 国土交通省事務次官
13 山本信一郎 2012年(平成24年)6月1日 - 2016年(平成28年)9月26日 内閣府事務次官
14 西村泰彦[4] 2016年(平成28年)9月26日 - 警視総監
内閣危機管理監
  • 1950年(昭和25年)6月1日以降、叙級なし

脚注

  1. 山本淳, 小幡純子 & 橋本博之 2003, p. 23-24.
  2. 宮内庁. “沿革”. 宮内庁(公式サイト). . 2013年3月閲覧.
  3. (1947) in 印刷局: 各庁職員抄録 (preview), 印刷局, 12-13. NDLJP:1078939. 
  4. 4.0 4.1 “宮内庁長官に山本氏 閣議決定”. 日本経済新聞. (2016年9月23日). https://r.nikkei.com/article/DGXLASDG22H3X_T20C16A9EAF000 . 2016閲覧. 
  5. 宮内府次長についても、宮内府に1人置くこととされ(宮内府法2条1項)、宮内庁次長と同様の職掌を定めていた(同法5条)。
  6. 定年退職のため4月1日付でない。平成6年4月1日付『官報』本紙第1371号13ページ第1段より。
  7. 平成12年4月4日付『官報』本紙第2842号11ページ第1段より。

参考文献

  • 山本淳 『行政法』 有斐閣〈有斐閣アルマ〉、2011、第2版補訂。ISBN 978-4-641-12189-8。

関連項目

外部リンク

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