大岩剛
{{#invoke:Infobox3cols|infobox}} 大岩 剛(おおいわ ごう、1972年6月23日 - )は、静岡県清水市(現静岡市清水区)出身の元サッカー選手。サッカー指導者。ポジションはディフェンダー(センターバック)。元日本代表選手。現鹿島アントラーズ監督。
来歴
静岡市立清水商業高等学校を卒業後、1995年に筑波大学から名古屋グランパスエイトに入団。ルーキーながら出場機会を獲得し、また当時は左サイドバックとしてのプロ入りだったが、当時のアーセン・ベンゲル監督から足元の技術や視野の広さを買われ、センターバックにコンバートされた[1]。2000年にはA代表にも選ばれ順調なスタートを切ったに思えたが、シーズン途中に、当時監督だったジョアン・カルロスと確執が表面化し主力で自身と同じ清水市立商業高等学校OBの平野孝と望月重良と共に「チームの和を乱したとして」突然解雇される[2]。
その後、ジュビロ磐田に移籍し、N-BOXのシステムの中心メンバーとして2ステージ完全優勝を達成する。
2003年に当時の磐田の最大のライバルと言える鹿島アントラーズに移籍。年齢もあり徐々に試合出場は減ったが、経験を生かした貴重なバックアップのメンバーとしてJリーグ初の3連覇も経験した。2011年、天皇杯優勝と共に現役を引退し、花道を飾った。引退後は、鹿島のコーチに就任。
2017年5月31日、石井正忠監督が解任されたのを受けて、コーチから後任の監督に就任[3]。
人物・エピソード
- 学校は違ったが、近所には同学年の野々村芳和が住んでいた。野々村によると、大岩との初対戦は小学1年の頃。
- 現役時代に目標としていた選手は名古屋在籍時にセンターバックでコンビを組んでいたトーレス。
- シーズンを通して半袖のユニフォームを着用してプレーしていたが、これは競り合いで袖を捕まれないようにという配慮から。寒くなってくると防寒具として手袋だけはつけている。
- 鹿島での岩政大樹とのコンビは名前に引っ掛けて「二枚岩」とよばれ、強固な壁を築き敵の攻撃を文字通りはじき返したが、ドリブラーなどには脆さを見せることもあった。
- 2009年のACLグループリーグ・水原三星戦後、当時の鹿島監督であったオリヴェイラに「選手、人間として大岩と一緒に仕事できることは名誉だと感じている」と最大限の敬意を評される[4]。
- 2010年のJ1では最年長選手となっていた。
- 2011年の天皇杯決勝で現役最後の試合出場にはならなかったが、表彰式では天皇杯を受け取ったキャプテンの小笠原満男から譲られる形で、ロイヤルボックスにて天皇杯を掲げた。
所属クラブ
- ユース経歴
- 1979年 - 1984年 三保第二小学校(静岡県)
- 1985年 - 1987年 清水第五中学校
- 1988年 - 1990年 清水市立商業高等学校
- 1991年 - 1994年 筑波大学体育専門学群
- プロ経歴
- 1995年 - 2000年8月 名古屋グランパスエイト
- 2000年9月 - 2002年 ジュビロ磐田
- 2003年 - 2010年 鹿島アントラーズ
指導歴
- 2011年 - 2017年5月 鹿島アントラーズコーチ
- 2016年 サテライト監督兼任
- 2017年5月 - 鹿島アントラーズ監督
個人成績
テンプレート:サッカー選手国内成績表 top テンプレート:サッカー選手国内成績表 th |- |1995||rowspan="6"|名古屋||rowspan="2"|-||rowspan="4"|J||38||0||colspan="2"|-||4||0||42||0 |- |1996||27||1||12||0||1||0||40||1 |- |1997||rowspan="3"|3||32||1||7||0||0||0||39||1 |- |1998||32||2||4||0||1||0||37||2 |- |1999||rowspan="13"|J1||26||2||4||0||5||0||35||2 |- |rowspan="2"|2000||5||17||0||0||0||colspan="2"|-||17||0 |- |rowspan="3"|磐田||rowspan="3"|3||1||0||1||0||0||0||2||0 |- |2001||28||2||7||0||1||1||36||3 |- |2002||20||0||6||0||0||0||26||0 |- |2003||rowspan="8"|鹿島||rowspan="8"|4||29||1||5||0||4||0||38||1 |- |2004||29||0||6||1||3||0||38||1 |- |2005||30||0||5||0||3||0||38||0 |- |2006||27||1||7||0||1||0||35||1 |- |2007||20||0||6||1||5||0||31||1 |- |2008||18||0||0||0||0||0||18||0 |- |2009||6||0||0||0||2||0||8||0 |- |2010||6||0||1||0||5||0||12||0 テンプレート:サッカー選手国内成績表 通算始386||10||71||2||35||1||492||13 テンプレート:サッカー選手国内成績表 通算終386||10||71||2||35||1||492||13 |} その他の公式戦
- 1996年
- 1997年
- サンワバンクカップ 1試合0得点
- 2000年
- スーパーカップ 1試合0得点
- 2001年
- Jリーグチャンピオンシップ 2試合0得点
- 2008年
- スーパーカップ 1試合0得点
国際大会個人成績 | ||||
---|---|---|---|---|
年度 | クラブ | 背番号 | 出場 | 得点 |
AFC | ACL | |||
2002-03 | 鹿島 | 4 | 3 | 0 |
2008 | 8 | 0 | ||
2009 | 2 | 1 | ||
2010 | 0 | 0 | ||
通算 | AFC | 13 | 1 |
その他の国際公式戦
- 1996年
- アジアカップウィナーズカップ 2試合0得点
- 2000年 - 2001年
- アジアクラブ選手権 6試合0得点
- 2003年
- A3チャンピオンズカップ 3試合0得点
経歴
- Jリーグ初出場 - 1995年3月18日 J 1st第1節 対ガンバ大阪戦(万博記念競技場)
- Jリーグ初得点 - 1996年11月2日 J第28節 対ジェフユナイテッド市原戦(瑞穂陸上競技場)
- 国際Aマッチ初出場 - 2000年2月5日 カールスバーグ・カップ 対メキシコ戦(香港スタジアム)
タイトル
クラブ
- 名古屋グランパスエイト
- 天皇杯:2回(1995年、1999年)
- FUJI XEROX SUPER CUP:1回(1996年)
- サントリーカップ・96チャンピオンズファイナル:1回(1996年)
- サンワバンクカップ:1回(1997年)
- ジュビロ磐田
- Jリーグ ディビジョン1:1回(2002年)
- 鹿島アントラーズ
- Jリーグ ディビジョン1:3回(2007年、2008年、2009年)
- 天皇杯:2回(2007年、2010年)
- FUJI XEROX SUPER CUP:2回(2009年、2010年)
- A3チャンピオンズカップ:1回(2003年)
個人
- 2001年 - Jリーグベストイレブン
代表歴
- U-20日本代表
- 日本代表
試合数
- 国際Aマッチ 3試合 0得点 (2000年)[5]
日本代表 | 国際Aマッチ | |
---|---|---|
年 | 出場 | 得点 |
2000 | 3 | 0 |
2002 | 0 | 0 |
通算 | 3 | 0 |
関連項目
出典
- ↑ “大岩剛をコンバート。ベンゲルが魔法をかけて、グランパスは変貌した”. Sportiva (2018年2月14日). . 2018閲覧.
- ↑ “No.322 名古屋グランパス チームを守る「戦力外通告」”. サッカーの話をしよう 大住良之オフィシャルアーカイブサイト (2000年7月12日). . 2013.8.31閲覧.
- ↑ “大岩コーチの新監督就任について” (2017年5月31日). . 2017.5.31閲覧.
- ↑ 鹿島が難敵水原下し決勝T/アジアCL 2009年5月6日付 日刊スポーツ(2013年10月25日閲覧)
- ↑ 引用エラー: 無効な
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