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{{出典の明記|date=2013年1月}}
 
 
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[[ファイル:Louis XIV of France.jpg|thumb|フランス国王ルイ14世]]
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'''君主'''(くんしゅ)
'''君主'''(くんしゅ)とは、一般に、世襲により国家を治める最高位の人<ref>デジタル大辞泉「君主」の項</ref>。[[伝統]]的に、[[国家]]で特定の一人が[[主権]]を持つ場合、その主権者が君主であり<ref>[https://kotobank.jp/word/%E5%90%9B%E4%B8%BB-58352#E3.83.96.E3.83.AA.E3.82.BF.E3.83.8B.E3.82.AB.E5.9B.BD.E9.9A.9B.E5.A4.A7.E7.99.BE.E7.A7.91.E4.BA.8B.E5.85.B8.20.E5.B0.8F.E9.A0.85.E7.9B.AE.E4.BA.8B.E5.85.B8フランク・B・ギブニー編 『ブリタニカ国際大百科事典:小項目事典』、ティビーエス・ブリタニカ、2016年。]</ref>、[[王]]・[[帝王]]・[[天子]]・[[皇帝]]・[[きみ]]等ともいう<ref>[https://kotobank.jp/word/%E5%90%9B%E4%B8%BB-58352#E3.83.87.E3.82.B8.E3.82.BF.E3.83.AB.E5.A4.A7.E8.BE.9E.E6.B3.89 松村明編 『デジタル大辞泉』 小学館、2016年、「君主」の項。 松村明編 『大辞林 第三版』 三省堂、2016年、「君主」の項。]</ref>。
 
 
 
== 概要 ==
 
この概念は歴史的なもので、通常は、[[皇帝]]、[[国王]]、[[大公]]、[[公]]などの特定の[[称号]]を伴う地位であるが、[[ローマ皇帝]]のように必ずしも特定の称号によって示されないものもある。法学の見地からは、対外的に[[国家]]を代表し、統治の重要な部分(少なくとも[[行政権]])を担任する世襲の[[独任制|独任]][[機関 (法)|機関]]で、[[国家|国]]の[[象徴]]としての役割をもつものと定義される<ref>『法律学小辞典』(第5版、有斐閣)「君主」の項。</ref>。もっとも、後述のように選挙君主や共同君主も存在し、必ずしも定義は容易でない。歴史的には古代神権政や近世絶対君主制をピークとして君主の権力は強大であった。その権力は[[市民革命]]を経て徐々に制限され、立憲(制限)君主に移行していった。さらに権力の執行機関から名誉職的な(象徴)君主に移行している。君主の地位の継承方法によって、'''[[世襲君主制|世襲君主]]'''と'''[[選挙君主制|選挙君主]]'''に分かれる。
 
 
 
地位は世襲によって継承されることが多いが、かつての[[モンゴル]]における[[クリルタイ]]や[[ポーランド・リトアニア連合王国]]や[[神聖ローマ帝国]](のローマ王)のように[[選挙]]によって君主が選出される選挙王制の場合、現代の[[アンドラ]]のように2人以上の人物を共同君主とする場合、[[マレーシア]]のように州ごとの世襲君主([[スルターン]])が交代で5年任期の[[連邦国家]]の君主となる場合など、世襲以外の継承も必ずしも珍しくない。[[ローマ帝国]]の皇帝は養子縁組を行うことで世襲を擬制したが、各皇帝の多くは必ずしも血縁関係にはなかった。
 
 
 
君主がその地位を得ることを一般に[[即位]]と呼ぶ。即位の際にはこれを公に示すための[[儀式]]を行なうことが多く、[[即位の礼]]や[[戴冠式]]などが代表的なものであるが、戦乱や経済的な困窮などを理由に行なわれなかったこともあり、儀式の存在が必ずしも君主の地位の必要条件ということはない。地位の承継とその儀式が異なる用語(「[[践祚]]」と「即位」や、「即位」と「戴冠」など)によって区別されることもある。
 
 
 
[[日本語]]の[[民主主義]]の民主とは君主の対義語として作られた語である。[[大正]]期に、[[吉野作造]]らによって唱えられた「[[民本主義]]」は、実質民主主義そのものであった。だが、民主主義と君主の存在は直接的に関係せず両立し得ると考える吉野は、「民主」という言葉が「君主(天皇)」を否定するものと捉えられることで、その本質を外れた無用の批判が生じることを避けるため、「民本」と言い換えた。
 
 
 
== 君主の統治 ==
 
君主が統治する[[政体]]を[[君主制]]という。君主制をとる国を[[君主制|君主国]]といったり、君主の称号に応じて[[帝国]](皇帝・[[女帝]]または[[天皇]]の場合)、[[王国]]([[国王]]・[[女王]]の場合)、[[公国]]([[公]]・女公の場合)などという。君主が絶対的な権力を持っている政体は[[絶対君主制]]という。[[立憲主義]]に基づいて君主の権力が制限される政体を[[立憲君主制]]という。君主制国家の人民は、一般に、「統治される客体」として「[[臣民]]」(subject)と呼ばれることがあり、イギリスにおいては現在も法令用語として用いられている。
 
 
 
== 君主の継承 ==
 
{{also|王位継承}}
 
君主の多くは世襲で継承され、同一[[家系]]から君主が連なるときにその連続体を[[王朝]]と呼ぶ。王朝は時として実力行使([[易姓革命]]など)や他家への継承によって交代する。
 
 
 
世襲によらない君主制もある。君主権は、起源において、臣下の承認によって成立したものである。だから、当初は君主が自由に処分できるものではなかった。その承認は(少なくとも支配集団の)共同の利益を実現する職能に対して与えられた。だから、無能な人物を血縁上の順位を理由に君主にする必然性もなかった。[[ローマ皇帝]]は、世襲原理をとらなかった顕著な例である。単数・複数の血族集団の中で年齢と能力を認められた者が君主を継承する慣行は、夏([[殷]])、日本、[[新羅]]のそれぞれ初期など数多くある。日本の天皇の前身である[[大王 (ヤマト王権)|大王]](おおきみ)も、群臣の推挙によって一定資格を持つ王家の成員から選ばれていたとする学説も存在する。[[中世]]の[[ドイツ]]や[[ポーランド]]や[[ハンガリー]]では、王家の断絶をきっかけに選挙王制が成立した。[[モンゴル]]の諸[[ウルス]]は事実上の世襲だが、[[クリルタイ]]による[[選挙]]で君主を決めた。なお、決まらない期間が長期に渡ると、'''空位'''(くうい)という状態となる。
 
 
 
君主の地位の継承ルールが明確でない場合、君主の死の際に継承者争いを引き起こすことがある。複数の君主候補の下で栄達や褒賞を欲するさまざまな政治的集団が継承の争いに干渉してたびたび激しい暴力行為を生むこともある。そこで、地位の継承の安定を図り、前君主の希望も反映させるために、前君主の在位中に確定的な継承者(法定推定相続人)を定める例がある。法定推定相続人には、「皇太子」のような特別の称号が与えられることが多い。同様の目的で共同統治という形式が用いられることもある。
 
 
 
継承がさらに制度化されると、継承順位が世襲の原則によって規定されることがある。その原則には[[長子相続|長男相続制]]があてられる場合が多かった(モンゴルでは[[末子相続|末子相続制]]があった)。長男相続制は次代の君主を自動的に一人に確定でき、君主の継承の争いを最小限にした。しかし血縁の順位のみで選ぶと無能な君主や幼少の君主の出現が避けられない。そのような治世は[[政治]]が混乱しがちで、多くの場合[[摂政]]がその任を代行したが、政治の安定と引き換えに統治の実権を臣下に移すきっかけになることもあった。
 
 
 
特異な事例として、[[アンドラ公国]]の君主がある。同国は歴史的な経緯により、フランス大統領とスペインのウルヘル司教を共同君主とする立憲君主制を採っている。共和制国家フランスの元首と、スペインの宗教指導者とが、他の独立国の君主を兼ねるという興味深い事例となっている。
 
 
 
== 現在の君主 ==
 
{{main|現在の君主の一覧}}
 
* [[国王]] 17名
 
* [[スルターン]] 3名
 
* [[大公|大公・公]] 4名
 
* [[アミール|アミール(首長)]] 3名
 
* [[オ・レ・アオ・オ・レ・マーロー|国家元首]]<ref>[[サモア]]の[[オ・レ・アオ・オ・レ・マーロー]]</ref> 1名
 
* [[教皇]] 1名
 
* [[天皇]] 1名
 
 
 
== 主な国の最後の君主 ==
 
{{also|君主制廃止論}}
 
{| class="wikitable"
 
!国
 
!君主
 
!退位年
 
|-
 
|[[フランス君主一覧|フランス]]
 
|[[ナポレオン3世]]
 
|[[1870年]][[9月4日]]
 
|-
 
|[[朝鮮の君主一覧|韓国]]
 
|[[純宗 (朝鮮王)|純宗]]
 
|[[1910年]][[8月29日]]
 
|-
 
|[[ポルトガル君主一覧|ポルトガル]]
 
|[[マヌエル2世 (ポルトガル王)|マヌエル2世]]
 
|[[1910年]][[10月4日]]
 
|-
 
|[[中国帝王一覧|中国(清)]]
 
|[[愛新覚羅溥儀|宣統帝]]
 
|[[1912年]][[2月12日]]<ref>[[大満州帝国]][[満州国皇帝|皇帝]]退位は[[1945年]][[8月18日]]</ref>
 
|-
 
|[[ロシア皇帝|ロシア]]
 
|[[ニコライ2世]]
 
|[[1917年]][[3月15日]]
 
|-
 
|[[オーストリア君主一覧|オーストリア]]
 
|[[カール1世 (オーストリア皇帝)|カール1世]]
 
|[[1918年]][[11月11日]]
 
|-
 
|[[プロイセン国王|ドイツ]]
 
|[[ヴィルヘルム2世 (ドイツ皇帝)|ヴィルヘルム2世]]
 
|[[1918年]][[11月28日]]
 
|-
 
|[[オスマン帝国の君主|トルコ(オスマン)]]
 
|[[メフメト6世]]
 
|[[1922年]][[11月1日]]
 
|-
 
|[[ボグド・ハーン政権|モンゴル]]
 
|[[ボグド・ハーン]]
 
|[[1924年]][[5月20日]]
 
|-
 
|[[イタリア王|イタリア]]
 
|[[ウンベルト2世]]
 
|[[1946年]][[6月12日]]
 
|-
 
|[[ギリシャ国王の一覧|ギリシャ]]
 
|[[コンスタンティノス2世 (ギリシャ王)|コンスタンティノス2世]]
 
|[[1973年]][[6月1日]]
 
|-
 
|[[ネパール王国の君主|ネパール]]
 
|[[ギャネンドラ・ビール・ビクラム・シャハ|ギャネンドラ]]
 
|[[2008年]][[5月28日]]
 
|}
 
  
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伝統的には,国家において特定の1人が[[主権]]を保持する場合のその主権者をさす。世襲の独任機関で[[専制君主制]]下の君主がその典型である。しかし,立憲君主制の確立に伴いその権能は次第に制限され,一般的行政権,外交権,官吏任命権などを保持するにとどまるようになり,さらに進んで名目化,象徴化する傾向が顕著である。「君主は君臨すれども統治せず」という表現はこのような傾向を象徴するもので,イギリスの君主はその典型である。ベルギー憲法下の国王や日本国憲法下の天皇もこの原理によるものといわれるが,両憲法は国民主権に立脚するもので,君主の名目化,象徴化が最も進んでおり,もはや「君臨する」といえるかどうかさえ疑問である。なお,君主は君主であるがゆえに法上特別の地位に立つものとされ,いわゆる君主無答責の原則が帰結される。「国王は悪をなし能わない」というイギリスにおける格言や「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」と定める旧憲法3条は,まさにこの原則にかかわるが,日本国憲法は国事行為との関連における無答責を定める (3条) にとどまる。もっとも,皇室典範が摂政は訴追されないと定めている (21条) ことから類推しても,私的行為との関連において少くとも刑事上の無答責が解釈論上帰結されるとするのが一般的である。 ([[君主主権]] )  
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== 脚注 ==
 
== 脚注 ==
 
{{Reflist}}
 
{{Reflist}}
  
== 関連項目 ==
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{{テンプレート:20180815sk}}
{{Wiktionary|君主}}
 
* [[現在の君主の一覧]]
 
* [[絶対君主制]]
 
* [[立憲君主制]]
 
* [[君主号]]
 
* [[君主論]]
 
* [[元首]]
 
* [[王]]
 
 
 
 
{{DEFAULTSORT:くんしゆ}}
 
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[[Category:君主|*]]
 
[[Category:君主|*]]

2018/10/5/ (金) 00:33時点における版


君主(くんしゅ)

伝統的には,国家において特定の1人が主権を保持する場合のその主権者をさす。世襲の独任機関で専制君主制下の君主がその典型である。しかし,立憲君主制の確立に伴いその権能は次第に制限され,一般的行政権,外交権,官吏任命権などを保持するにとどまるようになり,さらに進んで名目化,象徴化する傾向が顕著である。「君主は君臨すれども統治せず」という表現はこのような傾向を象徴するもので,イギリスの君主はその典型である。ベルギー憲法下の国王や日本国憲法下の天皇もこの原理によるものといわれるが,両憲法は国民主権に立脚するもので,君主の名目化,象徴化が最も進んでおり,もはや「君臨する」といえるかどうかさえ疑問である。なお,君主は君主であるがゆえに法上特別の地位に立つものとされ,いわゆる君主無答責の原則が帰結される。「国王は悪をなし能わない」というイギリスにおける格言や「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」と定める旧憲法3条は,まさにこの原則にかかわるが,日本国憲法は国事行為との関連における無答責を定める (3条) にとどまる。もっとも,皇室典範が摂政は訴追されないと定めている (21条) ことから類推しても,私的行為との関連において少くとも刑事上の無答責が解釈論上帰結されるとするのが一般的である。 (君主主権 )  

脚注



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