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'''吉増 剛造'''(よします ごうぞう、[[1939年]](昭和14年)[[2月22日]] - )は、[[日本]]の[[詩人]]、[[日本芸術院]]会員。[[東京]]出身。
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'''吉増 剛造'''(よします ごうぞう、[[1939年]](昭和14年)[[2月22日]] -
  
== 概要 ==
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詩人。東京生まれ。1945年(昭和20)和歌山に疎開。第二次世界大戦後、東京へ移住。慶応義塾大学国文科卒業。『三田詩人』を復刊。同人誌『ドラムカン』を出して注目されるようになる。処女詩集『出発』(1964)にすでにエネルギーの爆発があるが、第1回高見順賞を受賞した『黄金詩篇(しへん)』(1970)に至って、「狂気を呼びこみ」「一切の説明的なるものを笑殺しつつ飛翔(ひしょう)し炸裂(さくれつ)する」「神速の行動者」(大岡信)となった。1970年から翌年にかけてアメリカ詩人アカデミーの招きでアイオワ大学に留学。1992年(平成4)から1994年まではブラジルのサンパウロに滞在。国内にいても絶えず居を移し、一か所に長くとどまっていたことがない。詩集に『王国』(1973)、『草書で書かれた、川』(1977)、『熱風』(1979。歴程賞)、『静かな場所』(1981)、『大病院脇に聳(そび)え立つ一本の巨樹への手紙』(1983)、『オシリス、石ノ神』(1984。現代詩花椿(はなつばき)賞)、『螺旋(らせん)歌』(1990。詩歌文学館賞)、『「雪の島」あるいは「エミリーの幽霊」』(1998。芸術選奨文部大臣賞)ほかがある。疾走することばが歩行へと移行、そこに「西行(さいぎょう)にも芭蕉(ばしょう)にも釈迢空(しゃくちょうくう)(折口信夫(しのぶ))にもなかった『優しみ』、恐らく日本文学史上唯一無二と言っていいものであるかもしれぬ『優しみ』」(松浦寿輝(ひさき)、1954― )があり、読む者をひきつける。時代の先端をいく、きわめて多産な現代詩人で、これほど多くの文学賞を受賞した詩人は少ない。詩の朗読を試み、写真展「アフンルパルへ」「心に刺青(いれずみ)をするように」ほかを国内外で開催。評論に『緑の都市、かがやく銀』(1986)、『透谷(とうこく)ノート』(1987)、『打ち震えていく時間』(1987)、『生涯は夢の中径(なかみち)――折口信夫と歩行』(1999)などがある。
東京府下(現[[杉並区]])[[阿佐ヶ谷]]に生まれ、[[福生市]]に育つ。[[慶應義塾大学]]在学中から詩作を試みていた。
 
 
 
現代日本を代表する先鋭的な詩人の一人として高い評価を受けている。『黄金詩篇』『王國』などの初期作品では、[[エクスクラメーション・マーク]]を連打した疾走感あふれる[[詩]]を多数発表した。中期以降は[[読点]]と[[リーダー (記号)|リーダー]]を多用しての、[[ポリフォニー]]的構造を持った独特の文体へと移行している。
 
 
 
詩の[[朗読]]パフォーマンスの先駆者としても知られ、海外でも積極的に朗読ライブを開催している。自身の詩と組み合わせたパノラマ[[カメラ]]や[[多重露光]]を多用する[[写真]]表現、彫刻家[[若林奮]]との共同制作による銅板を用いた[[オブジェ]]作品、映像作品の制作など、領域横断的な創作活動を展開している。[[吉本隆明]]は「日本でプロフェッショナルだと言える詩人が三人いる。それは[[田村隆一]]、[[谷川俊太郎]]、吉増剛造だ」と評している<ref>[[図書新聞]][[1997年]][[3月22日]]号 吉本隆明インタビュー</ref>。[[野村喜和夫]]や[[岸田将幸]]をはじめとした後続の現代詩人たちに強い影響を与えているほか、[[古川日出男]]、[[堀込高樹]](キリンジ)、[[朝吹真理子]]らにも影響が及んでいる。
 
 
 
[[城西国際大学]]や[[早稲田大学]]などで英文学を中心とした講義をもっている。
 
 
 
[[2018年]]、本人が出演、京都での創作を一年追いかけたドキュメンタリー映画「[[幻を見るひと]]」(エグゼクティブプロデューサー [[城戸朱理]]、監督 [[井上春生]]、2018)が各国の国際映画祭に招待されている。
 
 
 
妻は[[ブラジル]]生まれの歌手、マリリア。
 
 
 
== 年譜 ==
 
*[[1939年]](昭和14年)[[2月22日]] - 東京府阿佐ヶ谷で父一馬(航空技術者)、母悦との間に長男として生まれる。
 
*[[1951年]](昭和26年) - [[啓明学園中学校・高等学校|啓明学園中学校]]入学。
 
*[[1954年]](昭和29年) - [[東京都立立川高等学校]]入学。
 
*[[1957年]](昭和32年) - [[慶應義塾大学]][[文学部]][[国文科]]入学。「三田詩人」に参加。
 
*[[1961年]](昭和36年) - [[会田千衣子]]、[[岡田隆彦]]、[[井上輝夫]]、[[鈴木伸治]]とともに詩誌「[[ドラムカン]]」を創刊。
 
*[[1963年]](昭和38年) - 大学卒業。卒論は[[松尾芭蕉]]論。[[国際情報社]]に就職するも半年で退社。
 
*[[1964年]](昭和39年) - 三彩社に入社し美術雑誌「三彩」編集部に入る。詩誌「エスプリ」編集委員。処女詩集『出発』を刊行。
 
*[[1968年]](昭和43年) - 三彩社を退社。
 
*[[1970年]](昭和45年) - 詩集『黄金詩篇』により[[高見順賞]]受賞。
 
*[[1979年]](昭和54年) - 詩集『熱風 a thousand steps』により第17回[[藤村記念歴程賞]]受賞。
 
*[[1984年]](昭和59年) - 詩集『オシリス、石ノ神』により第2回[[現代詩花椿賞]]受賞。
 
*[[1987年]](昭和62年) - [[城西短期大学|城西女子短期大学]]客員教授就任。
 
*[[1990年]](平成2年) - 詩集『螺旋歌』により第5回[[詩歌文学館賞]]受賞。
 
*[[1992年]](平成4年) - [[サンパウロ大学]]客員教授就任 (- 1994)。
 
*[[1998年]](平成10年) - 『「雪の島」あるいは「エミリーの幽霊」』により第49回[[芸術選奨|芸術選奨文部大臣賞]]受賞。
 
*[[2003年]](平成15年) - [[褒章#紫綬褒章|紫綬褒章]]受章。
 
*[[2006年]](平成18年) - [[城西国際大学]]人文学部客員教授。
 
*[[2009年]](平成21年) - 『表紙』で[[毎日芸術賞]]受賞。
 
*[[2013年]](平成25年) - [[旭日小綬章]]受章、[[文化功労者]]。福生市民栄誉賞受賞。
 
*[[2015年]](平成27年) - [[日本芸術院賞]]・[[恩賜賞 (日本芸術院)|恩賜賞]]受賞<ref>{{Cite web |date= |url=http://www.geijutuin.go.jp/news/H26insyo.htm |title=平成26年度 日本藝術院賞授賞者の決定について |publisher=日本藝術院 |accessdate=2015-04-11}}</ref>。
 
*2015年(平成27年) - 日本藝術院会員。[[三田文学]]会理事長。
 
 
 
== 著作 ==
 
=== 詩集 ===
 
*『出発』([[新芸術社]]、1964年)
 
*『黄金詩篇』([[思潮社]]、1970年)
 
*『頭脳の塔』([[青地社]]、1971年)
 
*『王國』([[河出書房新社]]、1973年)
 
*『わが悪魔祓い』([[青土社]]、1974年)
 
*『わたしは燃えたつ蜃気楼』([[小沢書店]]、1976年)
 
*『草書で書かれた、川』(思潮社、1977年)
 
*『青空』(河出書房新社、1979年)
 
*『熱風 a thousand steps』([[中央公論社]]、1979年)
 
*『大病院脇に聳えたつ一本の巨樹への手紙』(中央公論社、1983年)
 
*『オシリス、石ノ神』(思潮社、1984年)
 
*『螺旋歌』(河出書房新社、1990年)
 
*『八月の夕暮、一角獣よ』([[沖積舎]]、1992年)
 
*『花火の家の入口で』(青土社、1995年)
 
*『「雪の島」あるいは「エミリーの幽霊」』([[集英社]]、1998年)
 
*『The Other Voice』(思潮社、2002年)
 
*『長篇詩 ごろごろ』([[毎日新聞社]]、2004年)
 
*『天上ノ蛇、紫のハナ』(集英社、2005年)
 
*『何処にもない木』([[試論社]]、2006年)
 
*『表紙 omote‐gami』(思潮社、2008年)
 
*『裸のメモ』([[書肆山田]]、2011年)
 
*『怪物君』([[みすず書房]]、2016年)
 
 
 
==== 選詩集 ====
 
:*『吉増剛造詩集』(思潮社・[[現代詩文庫]]、1971年)(ISBN 4783707405)
 
:*『吉増剛造詩集 1-5』(河出書房新社、1977-1978年)
 
:*『続・吉増剛造詩集』(思潮社・現代詩文庫、1994年)(ISBN 4783708827)
 
:*『続続・吉増剛造詩集』(思潮社・現代詩文庫、1994年)(ISBN 4783708835)
 
:*『吉増剛造詩集』([[ハルキ文庫]]、1999年)(ISBN 4894565706)
 
 
 
=== その他 ===
 
*『朝の手紙』(小沢書店、1973年)
 
*『太陽の川』(小沢書店、1978年)
 
*『螺旋形を想像せよ』(小沢書店、1981年)
 
*『静かな場所』(小沢書店、1981年)
 
*『打ち震えていく時間』(思潮社、1987年)
 
*『透谷ノート』(小沢書店、1987年)
 
*『スコットランド紀行』([[書肆山田]]、1989年)
 
*『ことばのふるさと』(矢立出版、1992年)
 
*『死の舟』(書肆山田、1999年)
 
*『生涯は夢の中径 - 折口信夫と歩行』(思潮社、1999年)
 
*『ことばの古里、ふるさと福生』(矢立出版、2000年)
 
*『燃えあがる映画小屋』(青土社、2001年)
 
*『剥きだしの野の花 - 詩から世界へ』([[岩波書店]]、2001年)
 
*『ブラジル日記』(書肆山田、2002年)
 
*『詩をポケットに - 愛する詩人たちへの旅』([[NHK出版]]、2003年)
 
*『[[In between]] 11 吉増剛造 アイルランド』(EU・ジャパンフェスト日本委員会、2005年)
 
*『キセキ-gozoCine』ISBN 4990123964 (オシリス、2009年)
 
*『盲いた黄金の庭』(岩波書店、2010年)。写真集
 
*『木浦通信』(矢立出版、2010年)
 
*『詩学講義 無限のエコー』([[慶應義塾大学出版会]]、2012年)
 
*『我が詩的自伝 素手で焔をつかみとれ!』([[講談社現代新書]]、2016年) 
 
*『火ノ刺繍 吉増剛造 2008-2017』(響文社、2018年)
 
*『舞踏言語』([[論創社]]、2018年)
 
 
 
==== 共著 ====
 
*『そらをとんだちんちんでんしゃ』([[小学館]]、1982年)。堀口晃写真
 
*『木の骨』[[城戸朱理]](矢立出版 1993年)
 
*『はるみずのうみ - たんぽぽとたんぷぷ』(矢立出版、1999年)
 
*『ドルチェ-優しく―映像と言語、新たな出会い』[[アレクサンドル・ソクーロフ]]、[[島尾ミホ]](岩波書店、2001年)
 
*『機―ともに震える言葉』[[関口涼子]](書肆山田、2006年)
 
 
 
==== 対談集 ====
 
*『盤上の海、詩の宇宙』(河出書房新社、1997年)。[[羽生善治]]との対談
 
*『この時代の縁で』([[平凡社]]、1998年)。市村弘正との対談
 
*『「アジア」の渚で』([[藤原書店]]、2005年)。[[高銀]]との対話および共著
 
*『アーキペラゴ―群島としての世界へ』(岩波書店、2006年)。[[今福龍太]]との対話・往復書簡
 
 
 
== 関連書 ==
 
:*『吉増剛造-黄金の象』(新装版)([[學燈社]]、2006年)[[林浩平]]による年譜(1939-2006)がある。
 
 
 
== その他の活動 ==
 
=== テレビ・ラジオ出演 ===
 
*[[NHK教育テレビジョン|NHK教育]] 『[[未来潮流]]』「[[羽生善治]]・吉増剛造 盤上の海 詩の宇宙」(1997年1月)
 
*[[NHKラジオ第2放送]] 『NHKカルチャーアワー・文学と風土 詩をポケットに』 (2002年)(ISBN 4140841664)
 
*[[NHK教育テレビジョン|NHK教育]] 『[[知るを楽しむ]]・[[知るを楽しむ放送作品リスト#私のこだわり人物伝|私のこだわり人物伝]]「[[柳田國男|柳田国男]]・詩人の魂」』 (2006年3月)(ISBN 4-14-189140-1)
 
 
 
=== 映画出演 ===
 
*『あじさいならい』(監督:[[鈴木志郎康]]、1985年)
 
*『島ノ唄 Thousands of Islands』(監督:伊藤憲、2006年)
 
* [[断食芸人]](2016年) - 本人 役
 
 
 
=== CD(朗読) ===
 
*『石狩シーツ』
 
*『賢治の音楽室』(CD付き書籍)(2000年10月)(ISBN 4093861048)
 
*『死人』(2007年2月)
 
 
 
=== ビデオ ===
 
*『彼岸から』(1992年11月)
 
*『少女が獨り宙に浮かぶ』(1997年3月)
 
 
 
== 脚注 ==
 
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== 関連項目 ==
 
*[[井上輝夫]]
 
*[[岡田隆彦]]
 
*[[松山宣言]]
 
*[[正岡子規国際俳句賞]]
 
 
 
== 外部リンク ==
 
* [http://www.jiu.ac.jp/cultural/ 城西大学人文学部国際文化学科]
 
* [http://www.shiikabun.jp/jushou/jushou.html 詩歌文学館賞歴代受賞者(受賞作)選考委員一覧]
 
* [http://www.catnet.ne.jp/srys/films/ajisai/ajisai.html あじさいならい]
 
* [http://www.jinyadisc.com/about/shibito.html Shibito]
 
* [http://eigageijutsu.com/article/117170192.html 吉増剛造インタビュー]
 
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吉増 剛造(よします ごうぞう、1939年(昭和14年)2月22日 - )

詩人。東京生まれ。1945年(昭和20)和歌山に疎開。第二次世界大戦後、東京へ移住。慶応義塾大学国文科卒業。『三田詩人』を復刊。同人誌『ドラムカン』を出して注目されるようになる。処女詩集『出発』(1964)にすでにエネルギーの爆発があるが、第1回高見順賞を受賞した『黄金詩篇(しへん)』(1970)に至って、「狂気を呼びこみ」「一切の説明的なるものを笑殺しつつ飛翔(ひしょう)し炸裂(さくれつ)する」「神速の行動者」(大岡信)となった。1970年から翌年にかけてアメリカ詩人アカデミーの招きでアイオワ大学に留学。1992年(平成4)から1994年まではブラジルのサンパウロに滞在。国内にいても絶えず居を移し、一か所に長くとどまっていたことがない。詩集に『王国』(1973)、『草書で書かれた、川』(1977)、『熱風』(1979。歴程賞)、『静かな場所』(1981)、『大病院脇に聳(そび)え立つ一本の巨樹への手紙』(1983)、『オシリス、石ノ神』(1984。現代詩花椿(はなつばき)賞)、『螺旋(らせん)歌』(1990。詩歌文学館賞)、『「雪の島」あるいは「エミリーの幽霊」』(1998。芸術選奨文部大臣賞)ほかがある。疾走することばが歩行へと移行、そこに「西行(さいぎょう)にも芭蕉(ばしょう)にも釈迢空(しゃくちょうくう)(折口信夫(しのぶ))にもなかった『優しみ』、恐らく日本文学史上唯一無二と言っていいものであるかもしれぬ『優しみ』」(松浦寿輝(ひさき)、1954― )があり、読む者をひきつける。時代の先端をいく、きわめて多産な現代詩人で、これほど多くの文学賞を受賞した詩人は少ない。詩の朗読を試み、写真展「アフンルパルへ」「心に刺青(いれずみ)をするように」ほかを国内外で開催。評論に『緑の都市、かがやく銀』(1986)、『透谷(とうこく)ノート』(1987)、『打ち震えていく時間』(1987)、『生涯は夢の中径(なかみち)――折口信夫と歩行』(1999)などがある。



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