「出雲大社教」の版間の差分

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{{混同|出雲教}}
 
{{Infobox 組織
 
| 名称 = 出雲大社教<br>(いずもおおやしろきょう)
 
|画像 = Izumo_ooyashirokyou_Soreisha.jpg|出雲大社教祖霊社 2013年6月24日撮影
 
|画像サイズ = 280px
 
|画像説明 = 祖霊社。左が御霊(霊魂)を祀るための拝殿。出雲大社の西方にある。
 
|画像2 =
 
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|画像3 =
 
|画像サイズ3 =
 
|画像説明3 =
 
| 略称 = 大社教
 
| 前身 = 出雲大社敬神講 → 神道大社派 → 神道大社教
 
| 後継 =
 
| 設立 = [[1873年]]
 
| 廃止 =
 
| 種類 = [[宗教法人]]
 
| 地位 =
 
| 目的 =
 
| 本部 = {{JPN}} [[島根県]][[出雲市]]大社町杵築東195(出雲大社社務所)
 
| 位置 = {{ウィキ座標2段度分秒|35|24|1.7|N|132|41|5.9|E|region:JP|display=inline,title}}
 
| 貢献 =
 
| メンバー =
 
| 言語 = [[日本語]]
 
| リーダー =
 
| 人物 =
 
| 機関 =
 
| 設立者 = [[千家尊福]]
 
| 関連組織 = 出雲大社(大社教職員を兼務)
 
| スタッフ =
 
| ボランティア =
 
| 予算 =
 
| ウェブサイト = [http://www.izumooyashiro.or.jp/hitobito/taisyakyo/ 出雲大社教] - 出雲大社公式
 
| 補足 =
 
}}
 
'''出雲大社教'''(いずもおおやしろきょう)は、[[1873年]]([[明治]]6年)、当時の[[出雲大社]][[宮司|大宮司]]の[[千家尊福]](せんげたかとみ)が創設した[[宗教団体|教団]]である。[[教派神道]](神道十三派)の一。
 
  
== 概要 ==
+
'''出雲大社教'''(いずもおおやしろきょう)
[[島根県]][[出雲市]]の出雲大社社務所内に本部(教務本庁)があり、出雲大社の職員が教職員を兼務している。布教機関は全国に渡り設けられていて、特に[[中国地方]]を中心とした[[西日本]]に多くの[[分霊|分祠]]、[[教会]]等がある。教団としての組織性はあまり強くない。
 
  
統理者にあたる[[管長]]職は[[出雲国造#千家家|千家家]]が代々[[世襲]]している。[[2014年]]現在の管長は六代・[[千家隆比古]]である<ref>[http://www.sankei.com/region/news/140619/rgn1406190070-n1.html 出雲大社教新管長に千家氏が就任] - 産経新聞 2014年6月19日</ref>。
+
 神道(しんとう)教団。旧教派神道の神道十三派の一つ。明治政府の宗教政策のもとで1873年(明治6)1月千家尊福(せんげたかとみ)が出雲大社(たいしゃ)に対する古来の信仰をもとに、出雲大社敬神講(おおやしろけいしんこう)を組織したのに始まる。同年9月に出雲教会、76年に出雲大社(おおやしろ)教会と改称。82年5月神道大社(たいしゃ)派として神道事務局より独立、同年11月に神道大社(たいしゃ)教と改称した。第二次世界大戦後の1946年(昭和21)に出雲大社(たいしゃ)教、さらに51年に出雲大社(おおやしろ)教と改称して現在に至る。
 +
 大国主神(おおくにぬしのかみ)を主神とし、造化三神(ぞうかのさんしん)(天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)、高皇産霊神(たかみむすびのかみ)、神皇産霊神(かみむすびのかみ))、天照大御神(あまてらすおおみかみ)、産土神(うぶすながみ)を崇拝対象としている。教祖は神話的存在である天穂日命(あめのほひのみこと)とされているが、実質的には教団を組織した千家尊福がその位置にある。彼の著した『教旨大要』『大道要義』『大道問答』などが教典とされている。
  
出雲大社附属の[[神職]]養成所である[[國學院#神社本庁指定神職養成機関|大社國學館]]では、卒業の際、[[神社本庁]]の神職の階位のほかに出雲大社教の教師資格も授与される。
+
 その教えは、顕幽一貫の理を説き、顕界における幸福と幽界における栄光を目的とするが、実際は出雲大社(たいしゃ)信仰と不可分である。また教団所属の教会のなかにはかなり独立性を有するものがあり、それらの活動内容は多岐にわたっている。主として中国、四国、九州の各地方に信者をもつ。本部は島根県出雲市大社(たいしゃ)町。教会数227、教師数8297、信者数125万9313(『宗教年鑑』平成17年版)。
  
== 教義 ==
+
{{テンプレート:20180815sk}}  
[[大国主|大国主大神]](おおくにぬしのおおかみ)を奉斎し、「生死一つながらの'''[[常世|幽]][[現世|顕]][[一如]]'''の道<ref group="注">人間とは、生に始まり死に終わるものではなく、幽世(かくりよ=あの世)と顕世(うつしよ=この世)が交互に連なる、一筋の道</ref>」を説く。また、人間は「霊止(ひと)」として霊的な存在であり、親神の[[むすひ|ムスヒ]]、[[荒魂・和魂|幸魂・奇魂]](さきみたま・くしみたま)の恩頼(みたまのふゆ)<ref group="注">神を敬うことで得られる恩恵など</ref>によって先祖からの一貫した霊を継承し、現身(うつしみ)の誕生があるとする。教書として「教旨大要」「大道要義」「出雲大神」「国の真柱」「大道問答」「風教百首講説」「幽顕分界話」「教会撮要」「氏子の心得」「道の一草」などがある<ref>出雲大社教神道青年会『縁結び大国主大神とわたくしども』1978年6月17日発行全229頁中40頁</ref>。
 
 
 
== 沿革 ==
 
1873年(明治6年)、千家尊福が布教のため創設した「出雲大社敬神講」を前身とする。[[1882年]](明治15年)の「'''[[神官]][[教導職]]分離令'''<ref>[http://www.izumotaisya-tokyobunshi.com/kora50.htm コラム その五十(特立130年に思うこと)] - 出雲大社東京分祠</ref>」によって神職の布教活動が原則禁止されたため、出雲大社より独立し別組織「神道大社派」(のちに「神道大社教」へ改称)となる。[[1951年]](昭和26年)、出雲大社は国家管理を離れ、1882年の分離令も失効したため、出雲大社に復帰合併し、出雲大社の職員が出雲大社教の職員を兼ねる。また教団名を「〜たいしゃきょう」から「'''〜おおやしろきょう'''」と改称する。
 
 
 
=== 年表 ===
 
* [[1873年]]([[明治]]6年) - 出雲大社が「'''出雲大社敬神講'''」を組織、社務所内に大社教院を設ける
 
* [[1875年]](明治8年) - 全国の神道家によって[[神道事務局]]設立
 
* [[1882年]](明治15年)
 
** 1月 - 政府により、神官の布教および葬祭の禁止法令(神官教導職分離令)
 
** [[5月15日]] - 出雲大社と分離、「'''神道大社派'''」の設立
 
** 11月 - 「'''神道大社教'''」と改称、千家尊福が宮司職を後継へ譲り初代管長となる
 
* [[1886年]](明治19年) - 祖霊社が出雲大社(銅鳥居前)を離れ、西方の現在地へ移転
 
* [[1951年]]([[昭和]]26年)4月 - 出雲大社と出雲大社教が復帰統合
 
* [[1982年]](昭和57年) - 特立100周年祭
 
* [[1994年]]([[平成]]6年)- 初代管長生誕150周年祭
 
 
 
== 施設 ==
 
<gallery>
 
Izumo-ooyashirokyo Soreisha Izumo Shimane pref Japan04s3.jpg|事務所棟(右の建物)改築前の祖霊社
 
Izumo ooyashirokyou Okutsuki.jpg|みかえしの奥津城(合祀墓。祖霊社の南東約1kmの霊園内にある)
 
Izumo taisha Hanshin bunshi.jpg|出雲大社阪神分祠(地方教会例。兵庫県尼崎市)
 
</gallery>
 
 
 
== 神語 ==
 
[[神語]](しんご)とは'''出雲大社教'''や出雲大社などが[[神事]]などで用いる最も重要な唱え詞。神語は、すなわち「幸魂奇魂守給幸給」(さきみたま くしみたま まもりたまえ さきはえたまえ)である。
 
 
 
[[日本神話]]で、大国主大神は少彦名に去られてしまい、大変に困っていた。その時、海原を照らし寄ってくる神があった。それが「幸魂奇魂」であった。大国主大神は、自分の生命の中に潜む「幸魂・奇魂」という偉大な御霊力により「縁結びの大神」になられた。
 
 
 
「幸魂奇魂守給幸給」は、花が「咲く」、布を「裂く」という言葉のように、「増加」や「分裂」の意味と、「櫛」や「串」の言葉のように「整える」や「統一する」という意味を持つ。神語を唱えれば、分化繁殖したものを統一し、調和のとれたものとなり発展し、大国主大神の道に神習い、明るく和やかな日々が送れるという。この「神語」を「奉書」して出雲大社に奉納る'''神語奉書'''も大切な儀礼である<ref>『見えざる世界』発行出雲大社教教務本庁昭和63年4月1日全179頁中154頁</ref>。
 
 
 
[[仏教]]では「南無阿弥陀仏」とか「南無妙法蓮華経」…、また[[キリスト教]]では「アーメン」ともいう。出雲大社では「神語」すなわち「幸魂奇魂守給幸給」(「さきみたま くしみたま まもりたまえ さきはえたまえ」)である。神語を唱える事により、大国主大神から御霊力を頂く事ができ、大きな幸せの縁を結んで頂けるという。
 
 
 
なお[[葬儀]]や慰霊祭などでは'''幽冥神語(ゆうめいしんご)'''「幽世大神憐給恵給幸魂奇魂守給幸給」(かくりよのおおかみ あわれみたまえめぐみたまえ さきみたまくしみたま まもりたまえさきわえたまえ)を唱える。「神語」も「幽冥神語」も通常は三唱するが、非常にゆっくりと、また独特な節回しを用いる<ref>『えんむすび』発行出雲大社教青年部昭和55年6月17日発行全226頁中53頁</ref>。
 
 
 
== 教師の称号・等級 ==
 
{|
 
|- valign=top
 
|
 
*大教正 (一級)
 
*権大教正(二級)
 
*中教正 (三級)
 
*権中教正(四級)
 
*少教正 (五級)
 
*権少教正(六級)
 
|
 
*大講義 (七級)
 
*権大講義(八級)
 
*中講義 (九級)
 
*権中講義(十級)
 
*少講義 (十一級)
 
*権少講義(十二級)
 
|
 
*訓導 (十三級)
 
*権訓導(十四級)<ref>『出雲大社教教規』出雲大社教教務本庁昭和58年6月9日発行全31頁中18頁</ref>
 
|}
 
 
 
== 服制 ==
 
出雲大社教では服制を定め、身分別に規定がある。
 
 
 
=== 正装 ===
 
* 六級以上 - 紫[[袍]](輪無唐草紋)、紫[[奴袴]](有紋、三級以下無紋)、[[冠]](繁紋)
 
* 七級以下 - 緑袍(輪無唐草紋)、浅黄奴袴(無紋)、冠(繁紋)
 
 
 
=== 斎服 ===
 
白袍(無紋)、白差袴(無紋)、冠(遠紋、二級以上繁紋)。
 
 
 
=== 略服 ===
 
[[狩衣]]有紋、差袴(色目は正服に準ずる)、[[烏帽子]]。
 
 
 
=== 葬祭服 ===
 
白絹又は無紋鈍色衣冠。従者は布衣、笏または中啓、烏帽子、鈍か白袴。
 
 
 
=== 女教師正服 ===
 
上着は固地織紫有紋、紅色、垂髪、檜扇かボンボリ、靴か草履、ただし三〜六級の上着は平絹濃色とし七級以下は平絹松葉色。
 
 
 
=== 女教師略服 ===
 
有紋狩衣、烏帽子、紫有紋袴、笏又はボンボリ、靴又は草履。ただし三級以下は紫無紋袴、七級以下は浅黄無紋袴。
 
 
 
=== 女教師礼服 ===
 
白生絹か白平絹無紐水干、額当、紅繁菱綾単、紫有紋袴、笏かボンボリ、靴か草履。ただし三級以下は浅黄無紋袴<ref>『出雲大社教教規』発行出雲大社教教務本庁昭和58年6月9日全33頁中33頁</ref>。
 
 
 
== 専門用語 ==
 
*おくにがえり-[[出雲大社]]へ[[参拝]]すること。
 
*おにわふみ-出雲大社の[[境内]]を参進すること。
 
*戒諭文-[[葬儀]]で斎主が遺族に対し宣読する教え。
 
*御親大神-[[大国主大神]]のこと「みおやのおおかみ」。
 
*国造-出雲大社だけはコクゾウではなく「コクソウ」と発音。
 
*神誡-神前[[結婚式]]で斎主が新郎新婦に対し宣読する教え。
 
*琴板-重要神事で用いる[[琴]]だが弦はなく撥で打ち鳴らす。
 
*みつえしろ-[[出雲国造]]の称号のひとつ。
 
*御玉串-御神威を拝礼祈念するみしるしで「箱玉串」と「板玉串」がある。
 
*おつち-稲佐の浜の塩掻島の海中の塩砂で[[神饌]]に用いる。
 
*はだかまいり-病気を治すために行う海と出雲大社での儀式。
 
*蟇目講-災いを祓い福を呼ぶための[[講]]。
 
*出雲屋敷-出雲大社に伝わる特殊な[[地鎮祭]]。
 
*出雲年貢-出雲屋敷を行った家が毎年納める[[初穂料]]。
 
*福徳会-旧正月に越年参詣し抽選を行う。
 
*神饌講-御祭神にお供えをさせて頂く講。
 
*龍蛇神講-御使神の龍蛇神の意味を理解し崇敬する講。
 
*御神供-お供えした御洗米が封入されたもので、ご飯と炊きこんで頂く。
 
*顕世(うつしよ)-見える世界。この世。
 
*画像-大国主大神の御神像を描いた御神札。
 
*剱先-剱の形をした御札で玄関などに祀って災難を防ぐ。
 
*幽世-見えない世界、あの世。かくりよ。
 
*五方札-四方と中央の柱などに貼付し御霊威を頂く。
 
*関札-玄関などに祀って御守護を頂くもの。
 
*丹所-江戸時代に出雲大社の布教などに使用された地方の建物。
 
*古伝新嘗祭-[[新嘗祭]]を出雲大社では古伝新嘗祭(こでんしんじょうさい)と呼ぶ。
 
*御忌-神在祭期間中の謹みのこと。おいみ。
 
*神等去出祭(からさでさい)-全国の神々を出雲大社から送り出す神事。
 
*身逃-御神幸前に[[出雲国造]]が自宅を出て他の[[社家]]に移ること。
 
*宗祠-出雲大社のこと。
 
*幽顕(ゆうけん)-見えない世界と見える世界。また出雲大社教新聞の名称。
 
*御師(おし)-[[江戸時代]]の布教[[神職]]。出雲ではオンシではなくオシ。
 
*教信徒-出雲大社教の信者のこと「まめびと」ともいう。
 
*玉串拝礼-出雲大社では[[玉串]]奉奠ではなく「玉串拝礼」。拍手数、作法等、一般神社とは異なる<ref>
 
『出雲大社教布教師養成講習会』発行出雲大社教教務本庁平成元年9月全427頁中</ref>。
 
 
 
==脚注==
 
{{脚注ヘルプ}}
 
=== 注釈 ===
 
{{Reflist|group="注"}}
 
=== 出典 ===
 
{{Reflist}}
 
 
 
== 関連項目 ==
 
{{Commonscat|Izumo-ooyashirokyo Soreisha}}
 
* [[出雲国造]]
 
* [[出雲大社]]
 
* [[出雲大社東京分祠]]
 
* [[出雲大社大阪分祠]]
 
 
 
== 外部リンク ==
 
*[https://web.archive.org/web/20070917064849/http://www.izumooyashiro.or.jp/hitobito/taisyakyo/ 出雲大社教] - [http://www.izumooyashiro.or.jp/ 出雲大社ホームページ]内のページ
 
*[http://www.izumotaisya-tokyobunshi.com/index.htm 出雲大社東京分祠]
 
{{戦前までに日本で発祥した新宗教}}
 
{{新宗教}}
 
{{Normdaten}}
 
{{shinto-stub}}
 
 
{{DEFAULTSORT:いすもおおやしろきよう}}
 
{{DEFAULTSORT:いすもおおやしろきよう}}
 
[[Category:神道の教派]]
 
[[Category:神道の教派]]
 
[[Category:神道系新宗教]]
 
[[Category:神道系新宗教]]
 
[[Category:出雲大社|教おおやしろきよう]]
 
[[Category:出雲大社|教おおやしろきよう]]

2019/7/2/ (火) 09:39時点における最新版

出雲大社教(いずもおおやしろきょう)

 神道(しんとう)教団。旧教派神道の神道十三派の一つ。明治政府の宗教政策のもとで1873年(明治6)1月千家尊福(せんげたかとみ)が出雲大社(たいしゃ)に対する古来の信仰をもとに、出雲大社敬神講(おおやしろけいしんこう)を組織したのに始まる。同年9月に出雲教会、76年に出雲大社(おおやしろ)教会と改称。82年5月神道大社(たいしゃ)派として神道事務局より独立、同年11月に神道大社(たいしゃ)教と改称した。第二次世界大戦後の1946年(昭和21)に出雲大社(たいしゃ)教、さらに51年に出雲大社(おおやしろ)教と改称して現在に至る。  大国主神(おおくにぬしのかみ)を主神とし、造化三神(ぞうかのさんしん)(天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)、高皇産霊神(たかみむすびのかみ)、神皇産霊神(かみむすびのかみ))、天照大御神(あまてらすおおみかみ)、産土神(うぶすながみ)を崇拝対象としている。教祖は神話的存在である天穂日命(あめのほひのみこと)とされているが、実質的には教団を組織した千家尊福がその位置にある。彼の著した『教旨大要』『大道要義』『大道問答』などが教典とされている。

 その教えは、顕幽一貫の理を説き、顕界における幸福と幽界における栄光を目的とするが、実際は出雲大社(たいしゃ)信仰と不可分である。また教団所属の教会のなかにはかなり独立性を有するものがあり、それらの活動内容は多岐にわたっている。主として中国、四国、九州の各地方に信者をもつ。本部は島根県出雲市大社(たいしゃ)町。教会数227、教師数8297、信者数125万9313(『宗教年鑑』平成17年版)。



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