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{{Otheruseslist|キリスト教の概念|[[正教会]]の訳語|至聖三者|[[英語]]からの片仮名転写|トリニティ|[[ヒンドゥー教]]の概念|三神一体|地母神の概念|三相一体|料理用語|聖なる三位一体 (料理)}}
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(さんみいったい、ギリシア語: Αγία Τριάδα, ラテン語: Trinitas, 英語: Trinity, ドイツ語: Dreifaltigkeit, ロシア語: Святая Троица)
[[ファイル:Angelsatmamre-trinity-rublev-1410.jpg|thumb|205px|[[アンドレイ・ルブリョフ]]による[[イコン]]『[[至聖三者 (ルブリョフによるイコン)|至聖三者]]』。[[創世記]]における[[アブラハム]]を三天使が訪れた記述を、至聖三者の啓示・象徴として捉える伝統が正教会にはあるが、そのもてなしの食卓の情景を描いたイコンを元に三天使のみが描かれたもの。[[至聖三者]](三位一体の神)そのものは描けないが、至聖三者を象徴する三天使を描いたイコンであるとされる<ref>[http://www.sutv.zaq.ne.jp/osaka-orthodox/icon/shiseisansha.htm 至聖三者(三位一体)のイコン] - [http://www.sutv.zaq.ne.jp/osaka-orthodox/ 大阪ハリストス正教会] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20100727161833/http://www.sutv.zaq.ne.jp/osaka-orthodox/ |date=2010年7月27日 }}のページ</ref>。]]
 
'''三位一体'''(さんみいったい、{{lang-el|Αγία Τριάδα}}<ref>[http://el.orthodoxwiki.org/%CE%91%CE%B3%CE%AF%CE%B1_%CE%A4%CF%81%CE%B9%CE%AC%CE%B4%CE%B1 {{lang|el|Αγία Τριάδα}} orthodoxwiki], なお"{{lang|el|Αγία Τριάδα}}"のうち"{{lang|el|Αγία}}"は「聖なる」の意なので、"{{lang|el|Αγία Τριάδα}}"は直訳的には聖三位一体とも表記し得る。[[日本正教会]]訳では「聖三者」とも訳される。</ref>, {{lang-la|Trinitas}}<ref name="RCEBT">[http://www.newadvent.org/cathen/15047a.htm Catholic Encyclopedia > T > The Blessed Trinity]</ref>, {{lang-en|Trinity}}, {{lang-de|Dreifaltigkeit}}<ref name="dai451">『[[キリスト教大事典]] 改訂新版』451頁 - 453頁、[[教文館]]、昭和52年 改訂新版第四版</ref>, {{lang-ru|Святая Троица}}<ref group="注釈">[http://azbyka.ru/dictionary/17/svyataya_troitsa-all.shtml {{lang|ru|Святая Троица}}]  ({{lang|ru|Православная энциклопедия "Азбука веры"}}), ギリシア語"{{lang|el|Αγία Τριάδα}}]"と同様、"{{lang|ru|Святая Троица}}"のうち"{{lang|ru|Святая}}"は「聖なる」の意なので、"{{lang|ru|Святая Троица}}"は直訳的には聖三位一体とも表記し得る。[[日本正教会]]訳では「聖三者」となる。</ref>)は、[[キリスト教]]において「父」と「子(キリスト)」と「[[聖霊|聖霊(聖神)]]<ref group="注釈" name="seishin">[[聖霊]]について、正教会の一員である[[日本ハリストス正教会]]は「聖霊」ではなく、「[[日本ハリストス正教会#「聖神」(せいしん)|聖神]](せいしん)」「神聖神(かみせいしん)」を訳語として採用している</ref>」が「一体(唯一の神)」であるとする教え。[[正教会]]<ref name="ocj-shin">[[正教会]]からの出典:[http://www.orthodoxjapan.jp/tebiki/shinkou01.html 信仰-信経:日本正教会 The Orthodox Church in Japan]</ref>・[[東方諸教会]]<ref name="syr">[[東方諸教会]]:[[シリア正教会]]からの出典:[http://www.syrian.jp/001-1-3.htm ■信仰と教義(シリア正教会)]</ref>・[[カトリック教会]]<ref name="rc">[[カトリック教会]]からの出典:[http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/feature/benedict_xvi/bene_message117.htm 教皇ベネディクト十六世の2006年6月11日の「お告げの祈り」のことば]</ref>・[[聖公会]]<ref name="ac">[[聖公会]]からの出典:[http://www5.ocn.ne.jp/~f-frank/39kajyo.html 英国聖公会の39箇条(聖公会大綱)一1563年制定一] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20130508163800/http://www5.ocn.ne.jp/~f-frank/39kajyo.html |date=2013年5月8日 }}</ref>・[[プロテスタント]]<ref name="lc">[[ルーテル教会]]からの出典:[http://www.jelc.or.jp/belief/ 私たちルーテル教会の信仰]</ref><ref name="wcf">[[改革派教会]]からの出典:[http://www.ogaki-ch.com/WCF/text/index.htm ウェストミンスター信仰基準]</ref><ref name="bcf">[[バプテスト]]からの出典:[http://www.ccel.org/creeds/bcf/bcfc02.htm#chapter2 Of God and of the Holy Trinity.]</ref><ref name="jg">[[メソジスト]]からの参照:[[フスト・ゴンサレス]] 著、[[鈴木浩 (神学者)|鈴木浩]] 訳『キリスト教神学基本用語集』p103 - p105, [[教文館]] (2010/11)、ISBN 9784764240353</ref>といった大半の[[キリスト教諸教派の一覧|教派]]が、この教えを共有している。
 
  
上述の諸教会<ref group="注釈" name="いわゆる正統教会">[[正教会]][[東方諸教会]]、[[カトリック教会]]、[[聖公会]]、[[プロテスタント]]</ref>において、三位一体は、「三神」(三つの神々)ではない<ref>[[正教会]]からの出典 - 編著:[[司祭]] ダヴィド水口優明『正教会の手引き』42頁、発行:[[日本ハリストス正教会]] 全国宣教委員会、改訂:2013年5月</ref><ref name="RC253">[[カトリック教会]]からの出典:[[カトリック教会のカテキズム]] #253(日本語版2008年第3刷80頁) カトリック中央協議会 ISBN 978-4877501013</ref><ref name="dai452">[[プロテスタント]]からの出典:『[[キリスト教大事典]] 改訂新版』452頁、[[教文館]]、昭和52年 改訂新版第四版</ref><ref>[[プロテスタント]]からの出典:[http://www.sbts.edu/family/blog/the-father-the-son-and-the-holy-spirit-the-trinity-as-theological-foundation-for-family-ministry/ The Father, the Son, and the Holy Spirit: The Trinity as Theological Foundation for Family Ministry] (Family Ministry Today - The Southern Baptist Theological Seminary)</ref>。また「父と子と聖霊は、神の三つの様式でしかない」「神が三役をしている」といった考え([[様態論]])も否定される<ref name="ocj-kami">[http://www.orthodoxjapan.jp/tebiki/shinkou02.html 信仰-神:日本正教会 The Orthodox Church in Japan]</ref><ref>[http://www.catholicculture.org/culture/library/dictionary/index.cfm?id=34921 Dictionary : MODALISM - Catholic Culture]</ref><ref name="jg103">ゴンサレス、鈴木、p103</ref>。
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キリスト教の教理で,一つの神格にある三位格 ([[ペルソナ]] ) としての父と子と聖霊のまとまりをさす。三位一体という言葉も,この教理を明記した個所も新約聖書の中には出てこない。また,イエスもその弟子たちにも以下のように旧約聖書の中で記されている神の唯一性を否定しようという意図は見られなかった。「聞きなさい。イスラエル。主は私たちの神。主はただひとりである」(申命記6・4) 。しかし,初代キリスト教会はキリストの再臨と想定されていた霊が来ることと神の力とのかかわりあいについて対処しなければならなかった。つまり,聖霊にかかわる問題であり,聖霊が来ることは,ペンテコステ ([[五旬節]] ) の祝いと関係している。父と子と聖霊の関係は,大宣教命令として知られる次の新約聖書の個所でも関連づけられている。「それゆえ,あなたがたは行って,あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして,父,子,聖霊の御名によってバプテスマを授け (なさい) 」 (マタイ 28・19) ,そしてパウロによる祝祷である「主イエス・キリストの恵み,神の愛,聖霊の交わりが,あなたがたすべてとともにありますように」 (IIコリント 13・13) 。このように,新約聖書は三位一体の教理の基礎を確立している。
  
[[正教会]]([[日本ハリストス正教会]])では「'''[[至聖三者]]'''(しせいさんしゃ)」と訳される(但し「三位一体」の表記も用いられないわけではない)<ref>[http://www.sutv.zaq.ne.jp/osaka-orthodox/icon/shiseisansha.htm 至聖三者(三位一体)のイコン] ([http://www.sutv.zaq.ne.jp/osaka-orthodox/ 大阪ハリストス正教会] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20100727161833/http://www.sutv.zaq.ne.jp/osaka-orthodox/ |date=2010年7月27日 }})</ref>。[[聖公会]]([[日本聖公会]])等では聖堂名・学園名など主に固有名詞の一部として、「'''聖三一'''」の語も使われる<ref>[http://www.kyoshiyoh.com/data/303/ 聖三一幼稚園]、[http://trinity-tokyo.sakura.ne.jp/ 東京聖三一教会]</ref>。
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この教理は何世紀にもわたり,多くの論争を引起しながら徐々に形づくられていった。当初,旧約聖書から受け継いだ一神教的要求と聖書の教えをギリシア=ローマ的宗教に解釈する必要性から[[ロゴス]] (言葉) としてのキリストの神性は頂点に立つ神の下に位置するものと解釈されていた。また一方,父,子,聖霊は一つの神のうちにある三つの位格をそれぞれ啓示しているが,神そのものが分れて存在するものではないとする別の解釈もあった。前者には父,子,聖霊にはっきりとした区別を認め,それぞれが同等ではなく,したがって神の単一性も否定(聖子従属説) し,後者には神の単一性を認めるが,それぞれの位格が異なる (様態説) という特徴がある。父,子,聖霊の違いと単一性の論争が,一つの実体において三つの位格が存在するという教理にまとめられ,一般に認められるようになったのは4世紀になってからである。
  
この語は、キリスト教神学を離れて、三者が心を合わせることや、3つのものを一つに併せることを指して用いられる場合もある。
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325年の[[ニカイア公会議]]は,聖霊についてはほとんど言及されなかったが,子は父とは本質において同一である (ホモウシオス) という,教理解釈にとって重要な信条を発表した。その後の半世紀の間,[[アタナシウス]]はこの[[ニカイア信条]]を擁護し,さらに教理を掘り下げたが,4世紀の終りになり,[[カエサレア]]の[[バシレイオス]],ニュッサのグレゴリオス,およびナジアンゾスのグレゴリオス ([[カッパドキアの3教父]] ) の指導の下,三位一体の教理は本質的に現在と同じ枠組みをとるようになった。
  
== 概念 ==
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*[[イエス・キリスト]]
=== 定式 ===
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*[[中世哲学]]
三位一体論をめぐり整理された定式において、神は、一つの[[実体]](本質、本體<ref name="hontaikoi">[[マカリイ1世 (モスクワ府主教)|モスクワ府主教マカリイ]]著、上田将訳『[{{NDLDC|824360/1}} 正教定理神学]』 (リンク先は近代デジタルライブラリー)、54頁ほかに登場する訳語。</ref>、{{lang-el-short|ουσία}}<ref group="注釈" name="ウシア">(ousia):[[古典ギリシア語]][[再建]]音からはウーシア、[[現代ギリシア語]]からはウシアもしくはウシーアと転写し得る(現代ギリシア語のアクセントは長音のように転写されることも多いが、厳密には現代ギリシア語には長短の区別は無い)。</ref>, {{lang-la-short|substantia}})と、「[[父なる神]]」・「[[ロゴス]]」({{lang|el|λόγος}}) である子なる神([[イエス・キリスト]])・および「[[聖霊|聖霊(聖神)]]<ref group="注釈" name="seishin" />」の三つの[[位格]]({{lang-el-short|υπόστασις}}<ref group="注釈" name="イポスタシス">(hypostasis):[[古典ギリシア語]][[再建]]音からはヒュポスタシス、[[現代ギリシア語]]からはイポスタシスと転写し得る。</ref>, {{lang-la-short|persona}})において、永遠に存在すると言い表されている<ref name="dai451" /><ref name="jg103" />。
 
  
箇条書きにすれば
 
* 神の[[実体]](本質、本體<ref name="hontaikoi" />、{{lang-el-short|ουσία}}<ref group="注釈" name="ウシア" />, {{lang-la-short|substantia}})は一つ
 
* 神の位格(個位<ref name="hontaikoi" />、{{lang-el-short|υπόστασις}}<ref group="注釈" name="イポスタシス" />, {{lang-la-short|persona}})は三つ
 
** 父なる神(神父<ref group="注釈">正教会での訳語。読みは「かみちち」</ref>)
 
** 子なる神([[イエス・キリスト]]、神子<ref group="注釈">正教会での訳語。読みは「かみこ」</ref>)
 
** 聖霊(神聖神<ref group="注釈">正教会での訳語。読みは「かみせいしん」</ref>)
 
となる。
 
 
[[第1ニカイア公会議]](第一全地公会、[[325年]])の頃から[[第1コンスタンティノポリス公会議]](第二全地公会、[[381年]])の頃にかけて、こうした三位一体論の定式が(論争はこの二つの公会議が終わった後もなお続いていたが)整理されていった<ref name="ocj-shin" /><ref name="jg104">ゴンサレス、鈴木、p104</ref>。
 
 
=== 西方教会における「三位一体の盾」(紋章)の説明 ===
 
[[西方教会]]([[カトリック教会]]、[[聖公会]]、[[プロテスタント]])の優勢な地域において中世から現代まで各種紋章に使われる「三位一体の盾」と呼ばれる図式がある。現代でも[[聖公会]]の[[トリニダード・トバゴ]]教区や[[チャンネル諸島]][[ジャージー]]のトリニティ行政区の紋章などに使われている<ref>[http://www.theanglicanchurchtt.com/ The Anglican Church in the Diocese of Trinidad and Tobago - Home]</ref><ref>[http://www.parish.gov.je/trinity/Pages/default.aspx Trinity - Home]</ref>。
 
 
[[正教会]]でも現代では三位一体の説明に使われないわけではないが<ref>[http://azbyka.ru/dictionary/17/troitsa-all.shtml {{lang|ru|Троица (Центр апологетических исследований)}}]</ref>、用例は稀である。
 
{{Gallery
 
|title=「三位一体の盾」の事例
 
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|height=210
 
|lines=5
 
|File:PetrusPictaviensis CottonFaustinaBVII-folio42v ScutumFidei early13thc.jpg|[[1210年]]頃に描かれた『三位一体の盾』の図式。言語は[[ラテン語]]。子なる神({{lang-la|FILIUS}}、子)が下方に配置され、[[十字架]]で中央と連結されているタイプ。
 
|File:Shield-Trinity-Scutum-Fidei-compact.svg|『三位一体の盾』の図式。聖霊なる神({{lang-la|SPIRITUS SANCTUS}}、聖霊)が下方に配置されているタイプ。
 
|File:Shield-Trinity-Scutum-Fidei-variations.svg|父なる神、子なる神、聖霊なる神の配置に様々なバリエーションが『三位一体の盾』にある事を示す図。
 
|File:Trinity-Parish-Jersey-Coat-of-Arms.svg|[[チャンネル諸島]][[ジャージー]]のトリニティ行政区の紋章
 
}}
 
[[File:Shield-Trinity-Scutum-Fidei-earliest-and-latest-major-variants.svg|thumb|right|350px|左側は1210年頃に描かれた図式を抽出したもの。右側は20世紀末のプロテスタントの書籍に使われた図式<ref>"The Moody Handbook of Theology" by Paul P. Enns (1989) and "Charts of Christian Theology and Doctrine" by H. Wayne House (1992), etc.</ref>。]]
 
この図式には諸画像からも分かる通り、「父なる神」({{lang-la|PATER}})、「子なる神」({{lang-la|FILIUS}})、「[[聖霊]]なる神」({{lang-la|SPIRITUS SANCTUS}})の配置場所や、その繋ぎ方等において、様々なバリエーションがあるが、共通する内容を箇条書きすると以下のようになる。
 
 
* 「父」は神である({{lang-la|PATER est DEUS}}, {{lang-en|The Father is God}})。
 
* 「子」は神である({{lang-la|FILIUS est DEUS}}, {{lang-en|The Son is God}})。
 
* 聖霊は神である({{lang-la|SPIRITUS SANCTUS est DEUS}}, {{lang-en|The Holy Spirit is God}})。
 
* 神は「父」である({{lang-la|DEUS est PATER}}, {{lang-en|God is The Father}})。
 
* 神は「子」である({{lang-la|DEUS est FILIUS}}, {{lang-en|God is The Son}})。
 
* 神は聖霊である({{lang-la|DEUS est SPIRITUS SANCTUS}}, {{lang-en|God is The Holy Spirit}})。
 
* 「父」は「子」ではない({{lang-la|PATER non est FILIUS}}, {{lang-en|The Father is not The Son}})。
 
* 「子」は「父」ではない({{lang-la|FILIUS non est PATER}}, {{lang-en|The Son is not The Father}})。
 
* 「父」は聖霊ではない({{lang-la|PATER non est SPIRITUS SANCTUS}}, {{lang-en|The Father is not The Holy Spirit}})。
 
* 聖霊は「父」ではない({{lang-la|SPIRITUS SANCTUS non est PATER}}, {{lang-en|The Holy Spirit is not The Father}})。
 
* 「子」は聖霊ではない({{lang-la|FILIUS non est SPIRITUS SANCTUS}}, {{lang-en|The Son is not The Holy Spirit}})。
 
* 聖霊は「子」ではない({{lang-la|SPIRITUS SANCTUS non est FILIUS}}, {{lang-en|The Holy Spirit is not The Son}})。
 
 
これらの図には、中心に配置されている「神」({{lang-la|Deus}})を含め4つの要素で図が構成されているが、上述の定式(一本質、三位格)にも示されている通り、「四つの神」「四神論」等を示すものではない。
 
 
=== 異端との比較 ===
 
「(正統派における)三位一体論ではないもの」を説明する、いわば消去法のような形で、(正統派における)三位一体論に接近する手法がある。[[正教会]]においては「三位一体そのものを説明するよりも、三位一体でないもの(異端の教え)を説明し、それを否定する方がより正確」とされる<ref name="ocj-kami" />。
 
 
==== 正統教派と異端教派 ====
 
「三位一体」は、[[正教会]]<ref name="ocj-shin" />・[[東方諸教会]]<ref>[[東方諸教会]]:[[アルメニア使徒教会]]からの出典:[http://www.sahagmesrobchurch.org/church/index.html St. Sahag & St. Mesrob Armenian Apostolic Church]</ref>・[[カトリック教会]]<ref name="RCEBT" />・[[聖公会]]<ref name="ac" />・[[プロテスタント]]<ref name="lc" /><ref name="wcf" /><ref name="bcf" /><ref name="jg" />においては[[キリスト教]]における中心的な教えの1つであり、[[正統教義]]のひとつであるとされる。
 
 
なお、[[東方諸教会]](非カルケドン派)も三位一体論においては他派と異なるところはないとされる。東方諸教会が他派と異なるのは[[キリスト論]]([[合性論]])においてである。
 
 
他方、[[キリスト教系の新宗教]]([[異端]])である[[ユニテリアン主義|ユニテリアン]]、[[エホバの証人]]、[[モルモン教]]、[[統一協会]](正式名称:世界平和統一家庭連合)、[[クリスチャン・サイエンス]]、[[イエス之御霊教会]]、[[キリストの幕屋]]、等の諸教派は三位一体を否定する<ref name="jg255">ゴンサレス、鈴木、p255 - p256</ref><ref name="ogata">[[尾形守]]『[[異端見分けハンドブック]]』プレイズ出版</ref>。
 
 
==== 「『子』と聖霊は被造物である」 ====
 
「『子』と聖霊は被造物である」とする考えは、正統派から否定される<ref name="ocj-kami" /><ref name="ac59">{{Harvnb|リチャードソン著、パウルス訳|1978|p=59|Ref=none}}</ref>。
 
 
[[アリウス派]]は「子」も神的であるとは言おうとしていたが、その神性は神の養子とされたことによるものであり、「子」は被造物であるとした。この主張は[[第1ニカイア公会議]](第一全地公会、[[325年]])、および[[第1コンスタンティノポリス公会議]](第二全地公会、[[381年]])で否定された<ref name="jg19">ゴンサレス、鈴木、p19</ref>。[[キリスト教系の新宗教]]である[[エホバの証人]]もこの派と同様の教理を持っている<ref>{{Cite web |url=https://www.jw.org/ja/%E5%87%BA%E7%89%88%E7%89%A9/%E9%9B%91%E8%AA%8C/wp20091101/%E5%81%BD%E3%82%8A%E3%81%AE%E6%95%99%E3%81%88-%E7%A5%9E%E3%81%AF%E4%B8%89%E4%BD%8D%E4%B8%80%E4%BD%93%E3%81%A7%E3%81%82%E3%82%8B/ |title=偽りの教え4: 神は三位一体である |publisher=エホバの証人 |date=2009-11 |accessdate=2017-10-07}}</ref>。
 
 
==== モナルキア主義 ====
 
三位一体を否定するほどに神の唯一性を主張する[[モナルキア主義]]({{lang-en|Monarchianism}})も、正統派から否定される<ref name="jg251">ゴンサレス、鈴木、p251</ref>。モナルキア主義は大きく二つに分けられる。
 
 
===== 様態論的モナルキア主義(「三様式」「三役」) =====
 
「イエスも事実、神であり、聖霊も事実、神である」と主張する一方で、「『父』、『子』、『聖霊』とは、時代によって神が自分を表す様式(mode)を変えていったもの」「一人三役のようなもの」と主張する考えは、様態論的モナルキア主義({{lang-en|modalistic monarchianism}})と呼ばれ、正統派から否定される<ref name="ocj-kami" /><ref name="jg251" /><ref name="RCmonarchians">[http://www.newadvent.org/cathen/10448a.htm CATHOLIC ENCYCLOPEDIA: Monarchians]</ref>。
 
 
[[サベリウス主義]]が代表的事例として挙げられるが、史料の不足・欠如により、サベリウス(2世紀~3世紀)本人が何を教えたのかを厳密に知る事は不可能である<ref name="jg103" />。
 
 
===== 力動的モナルキア主義 =====
 
「父だけが神であり、イエスに宿ったのは神の『力』(デュナミス、{{lang-el|δύναμις}}<ref group="注釈"> (dynamis):古典ギリシア語再建音からはデュナミス、現代ギリシア語からはディナミスもしくはジナミスと転写し得る</ref>)に過ぎない」とする考えは、力動的モナルキア主義({{lang-en|dynamic monarchianism}})と呼ばれ、正統派から否定される<ref name="jg251" /><ref name="RCmonarchians" />。
 
 
==== 三神論 ====
 
父なる神・子なる神・聖霊は、三つの神ではないとされ、三位格は三神ではないとされる<ref name="RC253" /><ref name="dai452" /><ref name="ocj-kami" /><ref name="ac71">{{Harvnb|リチャードソン著、パウルス訳|1978|p=71|Ref=none}}</ref>(なお、こうした「異端」が歴史上まとまった形で出現したことはないともされるが<ref name="VLIntro">{{Harvnb|[[ウラジーミル・ロースキイ|Vladimir Lossky (ウラジーミル・ロースキイ)]]|2001|p=37|Ref=none}}</ref>、幾つかの事例につき「三重の神性」への傾斜として批判的に指摘されることはある<ref name="rce">[http://www.newadvent.org/cathen/07409a.htm CATHOLIC ENCYCLOPEDIA: Holy Ghost]</ref>)。
 
 
=== 三位一体論の難解さ ===
 
三位一体論が難解であることはキリスト教会においても前提となっている。
 
 
[[正教会]]においては、「三つが一つであり、一つが三つというのは理解を超えていること」とし、三位一体についても「理解する」対象ではなく「信じる」対象としての神秘であると強調される<ref name="ocj-shin" />。
 
 
[[カトリック教会]]においても、神は自身が三位一体である事を啓示・暗示してきたが、神自身が三位一体であることは理性のみでは知り得ないだけでなく、[[神の子|神の御子]]の[[受肉]]と[[聖霊]]の派遣以前には、イスラエルの民の信仰でも知り得なかった神秘であるとされる<ref>[[カトリック教会]]からの出典:[[カトリック教会のカテキズム]] #237(日本語版2008年第3刷76頁) カトリック中央協議会 ISBN 978-4877501013</ref>。
 
 
=== 三位一体を示す聖書箇所 ===
 
三位一体を示す聖書箇所の例として以下が挙げられる<ref name="ogata"/>。
 
 
*神は唯一であるとする聖書箇所
 
{{Quotation|6:4イスラエルよ聞け。われわれの神、主は唯一の主である。|申命記(口語訳)}}
 
 
*[[聖霊]]なる神を示す聖書箇所
 
{{Quotation|3:18わたしたちはみな、顔おおいなしに、主の栄光を鏡に映すように見つつ、栄光から栄光へと、主と同じ姿に変えられていく。これは霊なる主の働きによるのである。
 
|コリント人への第二の手紙(口語訳)}}
 
{{Quotation|5:3そこで、ペテロが言った、「アナニヤよ、どうしてあなたは、自分の心をサタンに奪われて、聖霊を欺き、地所の代金をごまかしたのか。 5:4売らずに残しておけば、あなたのものであり、売ってしまっても、あなたの自由になったはずではないか。どうして、こんなことをする気になったのか。あなたは人を欺いたのではなくて、神を欺いたのだ」。|使徒行伝(口語訳)}}
 
 
*[[イエス・キリスト]]を神とする聖書箇所(ヘブル人への手紙1章は[[イエス・キリスト]]について書かれており、以下の箇所は詩篇102篇からの引用であるため、[[ダビデ]]が[[ヤハウェ]]に祈っている箇所でもある)。
 
{{Quotation|1:10さらに、「主よ、あなたは初めに、地の基をおすえになった。もろもろの天も、み手のわざである。1:11これらのものは滅びてしまうが、あなたは、いつまでもいますかたである。すべてのものは衣のように古び、1:12それらをあなたは、外套のように巻かれる。これらのものは、衣のように変るが、あなたは、いつも変ることがなく、あなたのよわいは、尽きることがない」とも言われている。|ヘブル人への手紙(口語訳)}}
 
 
== 教会での用例 ==
 
=== 祈祷文 ===
 
祈祷においては、[[正教会]]の[[奉神礼]]で「父と子と聖神(せいしん)の名に依る(よる)」<ref>『小祈祷書』1頁、[[日本ハリストス正教会]]教団 府主教庁 平成三年四月再版</ref>、[[カトリック教会]]の[[典礼]]・祈祷、[[聖公会]]および一部[[プロテスタント]]の祈りにおいて「父と子と聖霊の御名において」と唱えられることに反映されている({{lang-el|Εις το όνομα του Πατρός και του Υιού και του Αγίου Πνεύματος}}、{{lang-la|In nomine Patris et Filii et Spiritus Sancti}})。祈祷の例<ref>祈祷の例:[https://www.youtube.com/watch?v=1hQ1vhbQmeM Royal British Legion Festival of Remembrance 2013 3 Cheers for Her Majesty the Queen] 14分54秒~15分05秒、''The father, the son, the holy spirit be among you and remain with you always, Amen''</ref>。
 
 
=== 図像における表現 ===
 
[[正教会]]では、[[アンドレイ・ルブリョフ]]が描いたものが代表的な、[[アブラハム]]を訪ねる三人の[[天使]](『[[創世記]]』)に拠る『[[至聖三者 (ルブリョフによるイコン)|至聖三者]]』の聖像が、唯一正当な至聖三者の図像表現として公認される。これは西方にも伝わり、聖像を用いる教派で使われている<ref>L. Ouspensky, "The Holy Trinity", in: Ouspensky & Lossky, ''Meaning of Icons'', 1952, 1982.</ref>。
 
 
西方ではルブリョフとともに「老人の姿の父、キリスト、鳩または火の姿で表される聖霊」の図像も広く用いられている。代表的な作例に[[マザッチオ]]の『聖三位一体』がある。これは十字架上のキリストとともに父および鳩の形をした聖霊を描いたものである。
 
 
このほかに、正教会でも近代に西方から入った「老人の姿の父、[[全能者ハリストス|全能者ハリストス(キリスト)]]、鳩または火の形をした聖霊」という図像もある。これは公認されていないが、ロシアを中心に伝播している。それより古く西方から入った「老人の姿の父、幼子キリスト、鳩または火の形をした聖霊」の図像は、[[1667年]]のモスクワ教会会議により、「見えざる父を描くことはできない。父を顕わす事が出来るのはキリストだけである」との理由にもとづき禁止された。<!--<ref>L. Ouspensky, "The Holy Trinity", in: Ouspensky & Lossky, ''Meaning of Icons'', 1952, 1982.</ref>--><ref>ibid.</ref>
 
 
== 関心の復興 ==
 
[[西方教会]]においては、[[16世紀]]から[[19世紀]]にかけて、三位一体論は不合理であるとしたり、信仰者の生活への実際的意味が見出せないとしたりする批判が多くなされた。しかし近年では、共同体における生き方のパラダイムとして捉えたり、単純な[[非三位一体]]的唯一神論よりも権威主義に通じにくい神の唯一性の再定義を求めるものとして捉えるといったかたちで、三位一体論に対する関心の復興がみられる<ref name="jg105">ゴンサレス、鈴木、p105</ref>。
 
 
== キリスト教以外での用例 ==
 
以下は、固有名詞・キャッチフレーズに用いられた例。
 
<!-- 本来、「~~は三位一体である」というように概念の名詞として使われている用例が好ましいのですが-->
 
[[ファイル:Trinity blast 10sec.jpg|thumb|トリニティ実験]]
 
* 特に三位一体を記念して捧げられた教会・大学寮などが存在する。ダブリンの[[トリニティ・カレッジ (ダブリン大学)|トリニティ・カレッジ]]などが有名。
 
* [[1945年]][[7月16日]]に[[アメリカ合衆国]][[ニューメキシコ州]][[アラモゴード]]で行われた世界初の[[核実験]]は、これに因んで「[[トリニティ実験]]」と命名された。
 
* [[ソニー]]社の[[トリニトロン]](TRINITRON、一つの[[電子銃]]から[[三原色]]分の[[電子線]]を放ち、[[電子レンズ]]は大口径のものを用い、簾状の[[アパーチャグリル]]を用いる[[ブラウン管]])は三位一体を表す英語TRINITYと電子を表す英語ELECTRONから作られた造語である<ref>{{cite web|url=http://www.sony.co.jp/Fun/SH/1-15/h4.html|author=|title=お前たちなら、できるさ......|date=|year=|work=Sony history 第1部 第15章 第4話|publisher=Sony|format=|accessdate=2016-02-11|archiveurl=https://web.archive.org/web/20020608225356/http://www.sony.co.jp/Fun/SH/1-15/h4.html|archivedate=2002年6月8日|quote=|laysummary=|laydate=|ref=|deadlinkdate=2017年9月}}</ref>。
 
*[[トリニダード・トバゴ]]を構成する[[トリニダード島]]の名前は[[スペイン語]]で「三位一体島」という意味である。
 
*[[小泉純一郎]]が[[内閣総理大臣]]であったときに提唱した「[[三位一体の改革]]」。<!-- 海外で日本語を使用する場合でも上記の意味で使用され得るため、「日本では」のような国家を限定する表現は除いています。-->
 
* 宗教の用語としては、[[仏教用語]]である[[他力本願]]などと共に、原義と離れた意味での使用がみられる用語のひとつである。
 
* [[バビロニア]]では、[[黄道]]帯の支配者である[[シン (メソポタミア神話)|シン]]([[月]])、[[シャマシュ]]([[太陽]])、[[イシュタル]]([[金星]])は、三位一体である。
 
 
{|class="wikitable"
 
!合体!!分離
 
|-
 
|太陽+月→金星||金星→太陽+月
 
|-
 
|太陽+金星→月||月→太陽+金星
 
|-
 
|月+金星→太陽||太陽→月+金星
 
|-
 
|太陽+月→星||星→太陽+月
 
|-
 
|太陽+星→月||月→太陽+星
 
|-
 
|月+星→太陽||太陽→月+星
 
|}
 
 
[[ファイル:ChristianEyeOfProvidence.svg|thumb|right|250px|紀元前数千年の古代メソポタミアおよび古代エジプトに起源を持つ、「[[プロビデンスの目]]」は、元々、「太陽(神)」のシンボル(丸、円=瞳)と「月(神)」のシンボル(三日月=瞼、またはアーモンド)を合成したものであり、「金星(神)=光明神」を意味する。「太陽(神)」+「月(神)」→「金星(神)」。また、この「三角形」は、この「目」で表される「神」が、「太陽(神)」でもあり、「月(神)」でもあり、そして、両者の合体した「金星(神)」でもあること、即ち、この「神」が「太陽(神)」と「月(神)」と「金星(神)」の三位一体の存在であることを、意味する。また、「金星(明けの明星)」は、「[[シリウス]]」と同等視・同一視され(「金星神信仰」と「シリウス神信仰」の習合)、よって、拡張概念として、「金星(神)」と「シリウス(神)」(と、「[[北極星]]」や「[[北斗七星]]」や「[[プレアデス]](昴)」や「[[オリオン座]]」など、その他の星)を意味する、「星」を用いることもある。「太陽(神)」+「月(神)」→「星(神)」。]]
 
 
== 注釈 ==
 
<references group="注釈" />
 
 
== 参照元 ==
 
{{Reflist|2}}
 
 
== 参考文献 ==
 
* [[ウラジーミル・ロースキイ]]『キリスト教東方の神秘思想』、宮本久雄訳、1986年
 
* [[フスト・ゴンサレス]] 著、[[鈴木浩 (神学者)|鈴木浩]] 訳『キリスト教神学基本用語集』 [[教文館]] (2010年11月)、ISBN 9784764240353
 
*『新聖書辞典』[[いのちのことば社]]
 
* L. Ouspensky & V. Lossky, ''The Meaning of Icons'', 1969, 1982.
 
* {{Citation
 
| last=Lossky
 
| first=Vladimir
 
| author=Vladimir Lossky
 
| author-link=ウラジーミル・ロースキイ
 
| year=2001
 
| date=2001-06-01
 
| title=Orthodox Theology: An Introduction
 
| publisher =St Vladimirs Seminary Pr
 
| isbn =9780913836439
 
}}
 
* アラン・リチャードソン著、シリル・H・パウルス訳『キリスト教教理史入門』[[聖公会]]出版、1978年5月10日第2刷
 
 
== 関連項目 ==
 
* [[至聖三者大聖堂]] - 至聖三者を記憶する[[正教会]]の[[大聖堂]]の一覧付き。
 
* [[光栄讃詞]]
 
* [[シャムロック]]
 
 
== 外部リンク ==
 
*{{kotobank|三位一体-71514|[[ブリタニカ国際大百科事典]] 小項目事典、[[日本大百科全書]](ニッポニカ)|三位一体}}
 
*{{SEP|trinity|Trinity}}
 
*{{Wayback |url=http://www.sutv.zaq.ne.jp/osaka-orthodox/icon/shiseisansha.htm |title=至聖三者(三位一体)のイコン |date=20160213080440 }} - 大阪ハリストス正教会の旧いサイト({{Wayback |url=http://www.sutv.zaq.ne.jp/osaka-orthodox/index.htm |title=大阪ハリストス正教会 |date=20080319104710 }})内のページ
 
 
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2018/8/19/ (日) 21:35時点における最新版

(さんみいったい、ギリシア語: Αγία Τριάδα, ラテン語: Trinitas, 英語: Trinity, ドイツ語: Dreifaltigkeit, ロシア語: Святая Троица)

キリスト教の教理で,一つの神格にある三位格 (ペルソナ ) としての父と子と聖霊のまとまりをさす。三位一体という言葉も,この教理を明記した個所も新約聖書の中には出てこない。また,イエスもその弟子たちにも以下のように旧約聖書の中で記されている神の唯一性を否定しようという意図は見られなかった。「聞きなさい。イスラエル。主は私たちの神。主はただひとりである」(申命記6・4) 。しかし,初代キリスト教会はキリストの再臨と想定されていた霊が来ることと神の力とのかかわりあいについて対処しなければならなかった。つまり,聖霊にかかわる問題であり,聖霊が来ることは,ペンテコステ (五旬節 ) の祝いと関係している。父と子と聖霊の関係は,大宣教命令として知られる次の新約聖書の個所でも関連づけられている。「それゆえ,あなたがたは行って,あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして,父,子,聖霊の御名によってバプテスマを授け (なさい) 」 (マタイ 28・19) ,そしてパウロによる祝祷である「主イエス・キリストの恵み,神の愛,聖霊の交わりが,あなたがたすべてとともにありますように」 (IIコリント 13・13) 。このように,新約聖書は三位一体の教理の基礎を確立している。

この教理は何世紀にもわたり,多くの論争を引起しながら徐々に形づくられていった。当初,旧約聖書から受け継いだ一神教的要求と聖書の教えをギリシア=ローマ的宗教に解釈する必要性からロゴス (言葉) としてのキリストの神性は頂点に立つ神の下に位置するものと解釈されていた。また一方,父,子,聖霊は一つの神のうちにある三つの位格をそれぞれ啓示しているが,神そのものが分れて存在するものではないとする別の解釈もあった。前者には父,子,聖霊にはっきりとした区別を認め,それぞれが同等ではなく,したがって神の単一性も否定(聖子従属説) し,後者には神の単一性を認めるが,それぞれの位格が異なる (様態説) という特徴がある。父,子,聖霊の違いと単一性の論争が,一つの実体において三つの位格が存在するという教理にまとめられ,一般に認められるようになったのは4世紀になってからである。

325年のニカイア公会議は,聖霊についてはほとんど言及されなかったが,子は父とは本質において同一である (ホモウシオス) という,教理解釈にとって重要な信条を発表した。その後の半世紀の間,アタナシウスはこのニカイア信条を擁護し,さらに教理を掘り下げたが,4世紀の終りになり,カエサレアバシレイオス,ニュッサのグレゴリオス,およびナジアンゾスのグレゴリオス (カッパドキアの3教父 ) の指導の下,三位一体の教理は本質的に現在と同じ枠組みをとるようになった。