「リチャード・クロス (初代クロス子爵)」の版間の差分
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初代クロス子爵リチャード・アッシュトン・クロス(英語: Richard Assheton Cross, 1st Viscount Cross, GCB, GCSI, PC, FRS、1823年5月30日 - 1914年1月8日)は、イギリスの政治家、貴族。
経歴
1823年5月30日、ウィリアム・クロスとその妻エレンの三男としてイングランド・ランカシャーのレッド・スカーに生まれる[1]。
ラグビー校を経て、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジを卒業し、バチェラー・オブ・アーツ(BA)の学位を取得[2]。その後、リンカーン法曹院やインナー・テンプルで学び、弁護士となる[2]。
1857年から1862年にかけてプレストン選挙区、1868年から1885年にかけて南西ランカシャー選挙区、1885年から1886年にかけてニュートン選挙区から選出され、保守党所属の庶民院議員を務めた[2][1]。
1874年から1880年にかけて第二次ディズレーリ内閣に内務大臣として入閣[2][1]。公衆衛生法や職工住宅法の制定を主導し、スラムや不衛生の抑制を目指した[3]。
1885年から1886年にかけての第一次ソールズベリー侯爵内閣でも内務大臣として入閣した[2][1]。
1886年から1892年の第二次ソールズベリー侯爵内閣ではインド担当大臣 として入閣[2][1]。また1886年にクロス子爵に叙せられ、貴族院へ移籍した[4]。
1895年に成立した第三次ソールズベリー侯爵内閣では初めランカスター公領担当大臣、ついで王璽尚書を務めた[2][1]。1900年に政界引退し、1914年1月8日に90歳で死去した[2][1]。
家族
1852年にジョージアナ・リオンと結婚し、彼女との間に以下の5子を儲けた[1]。
- 第1子(長女)ジョージアナ・ハリエット・クロス(-1957):エドワード・ウェントワース・アトキンズ=ボイヤーと結婚
- 第2子(次女)アン・マーガレット・クロス(-1962):ヘンリー・ドーソンと結婚。
- 第3子(長男)ウィリアム・ヘンリー・クロス(1856-1892):第2代クロス子爵リチャード・クロスの父。
- 第4子(次男)ジョン・エドワード・クロス(1858-1921)
- 第5子(三男)チャールズ・フランシス・クロス(1860-1937)
栄典
爵位
勲章
名誉職その他
- 1874年、枢密顧問官(PC)[2]
- 1877年、名誉民事法学博士号(DCL)(オックスフォード大学名誉学位)[2][1]
- 1879年、王立協会フェロー(FRS)[2]
- 1885年、名誉法学博士号(LLD)(セント・アンドルーズ大学名誉学位)[2][1]
- 名誉法学博士号(LLD)(ケンブリッジ大学名誉学位)[1]
- 名誉法学博士号(LLD)(リーズ大学名誉学位)[1]
- ランカシャー州副知事(DL)
- チェシャー治安判事(JP)[1]
- ランカシャー治安判事(JP)[1]
脚注
注釈
出典
- ↑ 1.00 1.01 1.02 1.03 1.04 1.05 1.06 1.07 1.08 1.09 1.10 1.11 1.12 1.13 1.14 Lundy, Darryl. “Richard Assheton Cross, 1st Viscount Cross” (英語). thepeerage.com. . 2014閲覧.
- ↑ 2.00 2.01 2.02 2.03 2.04 2.05 2.06 2.07 2.08 2.09 2.10 2.11 2.12 2.13 テンプレート:Venn
- ↑ トレヴェリアン(1975) p.175
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参考文献
- G.M.トレヴェリアン 『イギリス史 3』 大野真弓訳、みすず書房、1975年。ISBN 978-4622020370。
- 『世界諸国の組織・制度・人事 1840―2000』 秦郁彦編、東京大学出版会、2001年。ISBN 978-4130301220。
外部リンク
公職 | ||
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先代: ロバート・ロー |
内務大臣 1874年 - 1880年 |
次代: サー・ウィリアム・ヴァーノン・ハーコート |
先代: サー・ウィリアム・ヴァーノン・ハーコート |
内務大臣 1885年 - 1886年 |
次代: ヒュー・チルダース |
先代: 初代キンバリー伯爵 |
インド担当大臣 1886年 - 1892年 |
次代: 初代キンバリー伯爵 |
先代: 第2代ツウィードマウス男爵 |
ランカスター公領担当大臣 1895年 |
次代: サー・ヘンリー・ジェームズ |
先代: 第2代ツウィードマウス男爵 |
王璽尚書 1895年 - 1900年 |
次代: 第3代ソールズベリー侯爵 |
無効なパラメータ | ||
先代: ロバート・タウンリー・パーカー サー・ジョージ・ストリックランド准男爵 |
プレストン選挙区選出庶民院議員 1857年 - 1862年 同一選挙区同時当選者 チャールズ・パスコー・グレンフェル |
次代: チャールズ・パスコー・グレンフェル トマス・ファーマー・ヘスケス |
新設 | 南西ランカシャー選挙区選出庶民院議員 1868年 - 1885年 同一選挙区同時当選者 チャールズ・ターナー(1868-1875) ジョン・アイルランド・ブラックバーン(1875年 - 1885年) |
廃止 |
新設 | ニュートン選挙区選出庶民院議員 1885年 - 1886年 |
次代: トマス・ウッドハウス・リー |
イギリスの爵位 | ||
新設 | 初代クロス子爵 1886年 - 1914年 |
次代: リチャード・クロス |