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{{最高裁判例
 
|事件名=受託収賄被告事件
 
|事件番号=平成9(あ)416 
 
|裁判年月日=1999年(平成11年)10月20日 
 
|判例集= 刑集第53巻7号641頁
 
|裁判要旨=国の行政機関が国家公務員の採用に関し民間企業における就職協定の趣旨に沿った適切な対応をするよう尽力することは、内閣官房長官の職務権限に属する。 
 
|法廷名=第一[[小法廷]]
 
|裁判長=[[小野幹雄]]
 
|陪席裁判官=[[遠藤光男]]、[[藤井正雄 (裁判官)|藤井正雄]]、[[大出峻郎]]
 
|多数意見=全員一致
 
|意見=
 
|反対意見=
 
|参照法条=刑法(平成7年法律第91号による改正前のもの)197条1項,内閣法12条2項,内閣法13条3項 
 
}}
 
{{最高裁判例
 
|事件名=収賄被告事件 
 
|事件番号=平成10(あ)252 
 
|裁判年月日=2002年(平成14年)10月22日 
 
|判例集= 刑集第56巻8号690頁
 
|裁判要旨=中央省庁の幹部職員が、積極的な便宜供与行為をしていなかったとしても、同省庁が私人の事業の遂行に不利益となるような行政措置を採らずにいたことに対する謝礼等の趣旨で利益を収受したときは、収賄罪における職務関連性が認められる。 
 
|法廷名=第二[[小法廷]]
 
|裁判長=[[福田博]]
 
|陪席裁判官=[[北川弘治]]、[[亀山継夫]]、[[梶谷玄]]、[[滝井繁男]]
 
|多数意見=全員一致
 
|意見=
 
|反対意見=
 
|参照法条=刑法(平成7年法律第91号による改正前のもの)197条1項前段 
 
}}
 
'''リクルート事件'''(リクルートじけん)とは、[[1988年]]([[昭和]]63年)[[6月18日]]に発覚した日本の[[贈収賄|贈収賄事件]]である。
 
  
[[リクルート]]の関連会社であり、[[上場|未上場]]の不動産会社、[[コスモスイニシア|リクルートコスモス]]社の[[未公開株]]が[[賄賂]]として譲渡された。贈賄側のリクルート社関係者と、収賄側の[[政治家]]や[[官僚]]らが逮捕され、[[政界]]・[[官僚|官界]]・マスコミを揺るがす、大スキャンダルとなった。
+
'''リクルート事件'''(リクルートじけん)
  
当時、第二次世界大戦後の日本においての最大の[[企業犯罪]]であり、また贈収賄事件とされた。
+
1980年代,情報サービス会社リクルート([[リクルートホールディングス]])が政界,官界,財界の要人に,子会社のリクルートコスモスの未公開株を譲渡,贈賄罪に問われた事件。1985年から 1986年にかけて,[[自由民主党]]の有力者や野党国会議員のほか,労働省や文部省の高官,財界の大物などに対し,本人あるいは秘書名義などでリクルートコスモスの未公開株を譲渡し,店頭公開後に大きな売却益を上げさせた。1988年夏,神奈川県川崎市の助役がリクルートコスモス株の譲渡を受けていたと報道されたことを発端に,事件が中央政界に波及した。その過程でリクルートが政治家に多額の献金を行なっていたことや,政治家主催パーティ券を大量に購入していたことが判明,国民の政治不信が一気に高まった。その責任をとり 1989年6月に[[竹下登]]首相が辞職した。リクルート会長の[[江副浩正]]をはじめ贈賄側 4人,収賄側 8人の計 12人が起訴され,全員に有罪判決がくだされた。
  
== 経緯 ==
+
{{テンプレート:20180815sk}}
===贈賄===
 
[[1984年]](昭和59年)12月から[[1985年]](昭和60年)4月にかけて、[[江副浩正]]リクルート社会長が自社の政治的財界的地位を高める目的で、有力政治家、官僚、通信業界有力者にリクルート社の子会社であるリクルート・コスモス社の未公開株を譲渡した。未公開株の取引相手は、1984年[[12月20日|12月20]]から[[12月31日|31日]]の期間に39人、1985年(昭和60年)[[2月15日]]に金融機関26社に、[[4月25日]]に37社および1個人にわけられる。
 
 
 
[[1986年]](昭和61年)6月に[[藤波孝生]]元[[内閣官房長官|官房長官]]ら政財界へのコスモス株譲渡がおこなわれた。
 
 
 
1986年(昭和61年)[[10月30日]]にリクルート・コスモス株は[[店頭公開]]された。譲渡者の売却益は合計約6億円とされている。
 
 
 
=== 発覚 ===
 
1988年6月18日に[[川崎駅#西口|川崎駅西口]]再開発における便宜供与を目的として[[川崎市]][[助役]]へコスモス株が譲渡されたことを[[朝日新聞]]が『川崎市助役へ一億円利益供与疑惑』としてスクープした。当時再開発が行われていた[[大日本明治製糖#旧・明治製糖グループ|明治製糖]]川崎工場跡地の[[都市再開発|再開発事業]]である[[かわさきテクノピア|かわさきテクノピア地区]]に関して、本来容積率が500%のところを800%に引き上げて高層建築を可能とさせるのが目的であったと報道された。
 
 
 
7月になるとマスコミ各社の後追い報道によって、[[中曽根康弘]]前[[内閣総理大臣|首相]]、[[竹下登]]首相、[[宮澤喜一]][[副総理]]・[[大蔵大臣|蔵相]]、[[安倍晋太郎]][[自民党幹事長]]、[[渡辺美智雄]]自民党[[政調会長]]ら、自民党[[派閥]][[領袖]]クラスにもコスモス株が譲渡されていたことが発覚した。90人を超える政治家がこの株の譲渡を受け、[[森喜朗]]は約1億円の売却益を得ていた。時の[[大蔵大臣]]である宮澤は衆議院[[税制問題等に関する調査特別委員会]]で「秘書が自分の名前を利用した」と釈明した。さらに[[学界]]関係者では、[[政府税制調査会]]特別委員を務めていた[[公文俊平]]にも1万株が譲渡されていたことも判明した。
 
 
 
[[7月6日]]には[[森田康]][[日本経済新聞社]]社長も、[[1984年]](昭和59年)12月に受けた未公開株譲渡で8,000万円の[[売却益]]を得た事が発覚し社長を辞任した。
 
 
 
[[7月26日]]に江副会長は「抑うつ症状」で[[半蔵門病院]]に入院した。
 
 
 
国会で未公開株譲渡問題を追及していた[[社会民主連合|社民連]]の[[衆議院議員]][[楢崎弥之助]]がコスモス株の譲受人名簿を提出するようリクルートに要求。
 
 
 
リクルートコスモス社長室長を介しリスク管理の専門家としてリクルートに入社した[[田中辰巳]](現・[[株式会社リスクヘッジ]]代表取締役社長)が楢崎の要請は金銭の要求だと強く主張、これを受けリクルート常務がコスモス社社長室長に楢崎との接触を指示。
 
 
 
楢崎が翌日に[[予算委員会]]の質問を控えた[[8月4日]]以降、コスモス社社長室長は手心を加えるよう赤坂の[[議員宿舎]]や福岡の自宅まで何度も押しかけ贈賄を提案。楢崎は面識のない彼からの再三にわたる贈賄の提案を自身を陥れる罠ではないかと不審に思い、取材に来ていた親しい記者や前職が[[裁判官]]であった同党の[[江田五月]]に相談。
 
 
 
[[8月30日]]、身の潔白を証明するための証拠とすべく議員宿舎でのコスモス社社長室長との会談の模様を記者の協力の下ビデオカメラで隠し撮りを行う。
 
 
 
[[9月5日]]、楢崎はリクルートの事件関係者を告発する記者会見を開き、同日夜に議員宿舎での会談のビデオ映像が『[[NNNニュースプラス1]]』([[日本テレビ放送網|日本テレビ]])で全国放送された<ref>毎日新聞 1988年9月24日</ref>。
 
 
 
===捜査開始===
 
[[特別捜査部#東京地方検察庁特別捜査部|東京地検特捜部]]は、1989年、政界・[[文部省]]・[[労働省]]・[[日本電信電話|NTT]]の4ルートで江副浩正リクルート社元会長(リクルート社創業者)ら贈賄側と藤波孝生元官房長官ら収賄側計12人を起訴、全員の有罪が確定した。だが、政界は[[自由民主党 (日本)|自民党]]では藤波、そして[[公明党]]の[[池田克也]]議員が在宅起訴されただけで、他は3政治家秘書等4人が略式起訴されたに留まり、中曽根や竹下をはじめ大物政治家は立件されなかった。
 
 
 
[[10月19日]]に[[東京地検特捜部]]はリクルート本社、コスモス社、コスモス社社長室長自宅を家宅捜索した。[[10月26日]]に東京地検特捜部は[[東洋信託銀行]]証券代行部を家宅捜索しコスモス社の株主名簿等を押収した。[[10月29日]]に藤波元官房長官、[[真藤恒]]NTT会長、[[高石邦男]]前文部[[事務次官]]、[[加藤孝]]前労働事務次官へのコスモス株譲渡が発覚した。[[11月10日]]に東京地検特捜部は捜査開始を宣言し、コスモス社社長室長を贈賄申込罪で起訴した。[[11月15日]]に江副は衆議院リクルート問題調査特別委員会にコスモス株譲渡者全リスト提出し[[11月21日]]に衆議院リクルート問題調査特別委員会において、江副、高石前文部次官、加藤前労働次官が[[証人喚問]]された。[[12月9日]]に宮沢蔵相が、[[12月12日]]に真藤NTT会長が辞任した。[[12月27日]]に竹下首相は[[内閣改造]]を実施した。[[12月30日]]に[[長谷川峻]][[法務大臣]]もリクルートからの献金が発覚し辞任した。
 
 
 
[[1989年]](平成元年)[[1月24日]]に[[原田憲]][[経済企画庁長官]]が、リクルートがパーティー券を購入していたことがわかり辞任した。[[2月12日]]におこなわれた[[参議院]][[福岡県選挙区|福岡]][[補選|補欠選挙]]において[[日本社会党|社会党]]の新人[[渕上貞雄]]が自民党候補に圧勝した。[[2月13日]]に[[検察首脳会議]]が開催された。同日に東京地検特捜部は江副前会長、[[ファーストファイナンス]]前副社長、NTT元取締役2人を[[日本電信電話株式会社等に関する法律|NTT法]]違反(贈収賄)容疑で逮捕した。[[2月21日]]に元労働省課長([[キャリア (国家公務員)|ノンキャリア]]で加藤の側近)を贈収賄容疑で逮捕した。[[3月6日]]に真藤前会長をNTT法違反(贈収賄)で逮捕された。[[3月8日]]に加藤前次官とリクルート社元社長室長が贈収賄容疑で逮捕された。[[3月28日]]に高石前次官が贈収賄容疑で逮捕された。同日に真藤前会長、加藤前次官らが起訴された。
 
 
 
事件の捜査を主導した[[佐渡賢一]]によるとリクルートから5000万円借りていたことは分かっていたため、[[青木伊平]]竹下登在東京[[秘書]]を聴取したところ事務所の出納記録を持参されて単純な金の貸し借りだったため、「事件性無し、シロ」と上層部と青木に伝えた。青木から念のため公表すべきか相談されたため、あなた達の判断と返答したことから竹下首相側は公表しなかった。しかし、その後[[朝日新聞]]がこの借金話を報道して世論が沸き、それにより[[4月25日]]に竹下首相は、首相退陣表明した。翌日の[[4月26日]]に青木伊平元竹下登在東京[[秘書]]が[[自殺]]した<ref>{{Cite news|newspaper=朝日新聞 | title = 証言そのとき 経済事件に目を光らせ|publisher=朝日新聞社 |date=2016-12-5}}</ref>。
 
[[5月15日]]に検察首脳会議が開催された。[[5月22日]]に東京地検特捜部は、藤波元長官と池田克也元衆議院議員を受託収賄罪で在宅起訴した。[[5月25日]]に衆議院予算委員会は、中曽根前首相を証人喚問した。[[5月29日]]に東京地検特捜部は、宮沢前蔵相秘書を含む議員秘書4人を、[[政治資金規正法]]違反で略式起訴し、同日捜査終結宣言をおこなった。
 
 
 
[[6月3日]]に竹下内閣は総辞職した。
 
 
 
== 関係者への判決 ==
 
===政界ルート===
 
* [[藤波孝生]]元[[内閣官房長官|官房長官]]は[[収賄罪|受託収賄罪]]で[[起訴]]され、[[1989年]](平成元年)12月、[[東京地裁]]で初[[公判]]が開始。[[1994年]](平成6年)9月、東京地裁は藤波被告に無罪判決、[[検察庁|検察]]側[[控訴]]。[[1997年]](平成9年)3月、藤波被告の控訴審で懲役3年執行猶予4年・追徴金4270万円の逆転有罪判決、被告側[[上告]]。[[1999年]](平成11年)6月、[[最高裁判所 (日本)|最高裁]]が藤波被告側の上告を[[棄却]]・有罪確定。
 
* [[池田克也]]元衆議院議員は受託収賄罪で起訴され、[[1994年]](平成6年)12月、東京地裁にて懲役3年、執行猶予4年の有罪判決・確定。
 
* [[安倍晋太郎]][[自由民主党幹事長|自民党幹事長]]の私設[[秘書]]、[[宮沢喜一]][[財務大臣|大蔵大臣]]の[[公設秘書]]、[[加藤六月]]元[[農林水産大臣|農水大臣]]の公設秘書と政治団体会計責任者の計4人に対して[[政治資金規正法]]違反で[[略式手続|略式起訴]]。
 
 
 
===文部省ルート===
 
* [[高石邦男]]元[[文部科学省#歴代事務次官|文部事務次官]]は収賄罪で起訴され一審で[[懲役]]2年[[執行猶予]]3年、二審で懲役2年6ヶ月執行猶予4年、2000年10月に最高裁で確定。
 
 
 
===労働省ルート===
 
* 加藤孝元[[厚生労働事務次官|労働事務次官]]は受託収賄罪で起訴され一審で懲役2年執行猶予3年。
 
* 元労働省課長は受託収賄罪で起訴され一審懲役1年執行猶予3年。
 
 
 
===NTTルート===
 
* [[真藤恒]]元[[日本電信電話|NTT]]会長は[[日本電信電話株式会社等に関する法律|NTT法]]違反(収賄罪)で起訴され、一審で懲役2年執行猶予3年。
 
* 元NTT取締役の1人はNTT法違反(収賄罪)で起訴され、一審で懲役2年執行猶予3年。
 
* 元NTT取締役のもう1人はNTT法違反(収賄罪)で起訴され、一審で懲役1年6ヶ月執行猶予3年。
 
* 元[[ファーストファイナンス]]社長はNTT法違反(贈賄罪)で起訴され、一審で懲役1年執行猶予2年。
 
 
 
===リクルート社===
 
* [[江副浩正]]元[[リクルート]]会長は[[贈賄罪]]で起訴され、[[2003年]](平成15年)3月、東京地裁にて懲役3年執行猶予5年の有罪判決。
 
* 元リクルート社長室長は贈賄罪で起訴され、一審で無罪、二審で懲役1年執行猶予3年。
 
* 元リクルート秘書室長は贈賄罪で起訴され、一審で懲役2年執行猶予3年。
 
 
 
== リクルート株の譲渡を受けた議員 ==
 
※ 各敬称は事件発覚当時のもの
 
===自由民主党===
 
* 竹下登首相、長谷川峻法相、宮沢喜一蔵相、[[小渕恵三]]官房長官、原田憲経企庁長官、[[小沢一郎]]官房副長官、安倍晋太郎幹事長、渡辺美智雄政調会長、[[愛野興一郎]]前経企庁長官、中曽根康弘元首相、[[橋本龍太郎]]元[[運輸大臣|運輸相]]、[[梶山静六]]元[[自治大臣|自治相]]、森喜朗元[[文部大臣 (日本)|文相]]、[[中島源太郎]]元文相、[[砂田重民]]元文相、[[塩川正十郎]]元文相、加藤六月元[[農林水産大臣|農水相]]、[[大野明]]元[[労働省|労相]]、[[栗原祐幸]]元労相、[[山口敏夫]]元労相、[[坂本三十次]]元労相、藤波孝生元官房長官、[[加藤紘一]]元[[防衛庁長官]]、[[渡辺秀央]]元官房副長官、[[原健三郎]]前[[衆議院議長|衆院議長]]、[[浜田卓二郎]][[代議士]]、[[伊吹文明]]代議士、[[愛知和男]]代議士、[[大坪健一郎]]代議士、[[有馬元治]]代議士、[[野田毅]]代議士、[[堀内光雄]]代議士、[[鈴木宗男]]代議士、[[尾形智矩]]代議士、[[椎名素夫]]代議士、[[志賀節]]代議士、[[藤田正明]][[参議院議長|参院議長]]、[[遠藤政夫]][[参議院議員|参院議員]]、[[倉田寛之]]参院議員、[[鈴木貞敏]]参院議員
 
 
 
藤波は[[賄賂罪#収賄罪|収賄]]容疑で在宅起訴され[[離党]]し、同じく強い関与が疑われた中曽根も離党。[[1989年]](平成元年)4月に竹下(党総裁)が「'''国民に政治不信を招いた'''」として[[内閣総辞職]]を表明。有力議員の多くがリクルート事件の影響で後任に名乗りを上げることができず、同事件での竹下内閣の閣僚のなかで関連性が薄かった[[宇野宗佑]]外相が後継総理に就任し、[[宇野内閣]]が発足する。しかし直後に宇野の[[愛人]]スキャンダルが発覚し、リクルート事件や[[消費税]]導入とのセットで逆風を受けた自民党は、'''[[東京都議会]]議員選挙'''では社会党に押され惨敗し、[[第15回参議院議員通常選挙]]では自民党結党史上初の'''参議院過半数割れを'''招く大敗を喫した。
 
 
 
===日本社会党===
 
* [[上田卓三 (政治家)|上田卓三]]代議士
 
 
 
1989年に上田が同事件への関与により議員辞職するもダメージは少なかった。参院福岡、[[新潟県選挙区|新潟]]両補選では党公認候補が当選。また都議選では社会党が大勝し、参院選で公民連の3党との選挙協力などで40議席台の大台に乗せて圧勝(第2党)した。
 
 
 
===公明党===
 
* 池田克也執行部副書記長
 
 
 
池田が収賄容疑で在宅起訴され離党。[[1989年]](平成元年)5月には[[矢野絢也]]委員長が[[明電工事件]]絡みで委員長を辞任し(その後最高顧問に就任)、後任の委員長に[[石田幸四郎]]副委員長が就任するも、参院選で強いはずの公明党も事件の影響や社民連(社会党、民社党、[[日本労働組合総連合会|連合]])の3党との選挙協力で得票率が過去最低を記録した。
 
 
 
===民社党===
 
* [[塚本三郎]]中央執行委員長、[[田中慶秋]]国会対策副委員長
 
 
 
塚本のリクルート関与疑惑が発覚し、[[佐々木良作]]顧問から辞任要求され、[[1989年]](平成元年)2月に辞任。後任の委員長に[[永末英一]]副委員長が就任する(一部でこの執行部体制は、佐々木が[[社公民路線|野党共闘路線]]を視野に入れたと言われている)。しかし参院選では事件の影響と社公連の3党の選挙協力などが原因で10議席台割れの惨敗となり、単独での議案提出権を失ったため、[[アントニオ猪木]]が当選した[[スポーツ平和党]]と統一会派を組んだ(民社党・スポーツ・国民連合)。
 
 
 
== 影響 ==
 
従来の[[疑獄]]事件と異なり、未公開株の譲渡対象が広範で職務権限との関連性が薄かったため、検察当局は大物政治家の立件ができなかった。しかし、[[ニューリーダー]]及び[[ネオ・ニューリーダー]]と呼ばれる大物政治家が軒並み関わっており、これら政治家は“リクルート・パージ”と呼ばれる謹慎を余儀なくされた。こうした事情から、従来ポスト竹下と目されていた安倍晋太郎、宮澤喜一、渡辺美智雄らは竹下登首相退陣後の総理・総裁に名乗りを上げることができなかった。竹下退陣後は短命の宇野宗佑政権を経て、58歳と比較的若い[[海部俊樹]]が総理・総裁となり、結果的に世代交代を促すことになった。また、事件以降「[[政治改革]]」が[[1990年代]]前半の最も重要な政治テーマとなり、[[小選挙区比例代表並立制]]を柱とする[[選挙制度]]改革・[[政党助成金]]制度・閣僚の資産公開の[[親等|一親等]]の[[親族]]への拡大等が導入された。
 
 
 
この事件がきっかけとなって公職選挙法が改正され、収賄罪で有罪が確定した公職政治家は[[実刑]]判決ではなく[[執行猶予]]判決が出ても、公職を失職する規定が設けられた。
 
 
 
[[1989年]](平成元年)7月の[[第15回参議院議員通常選挙]]ではリクルート事件、[[消費税]]導入、[[日米貿易摩擦|牛肉・オレンジの農産物自由化]]が“逆風3点セット”とされ、さらに竹下の後任の宇野宗佑の女性スキャンダルが加わり、自民党は参議院単独過半数割という結党以来の惨敗を喫した。選挙後、自民党は政局安定の為に公明党や民社党など野党との連携を強いられる([[自公民路線]])ことになり、その後も参議院で過半数を得るために[[自社さ連立政権|自社さ連立]]、[[自自公連立政権|自自公連立]]、[[自公連立政権|自公連立]]など他党との連立政権を組むことになる。
 
 
 
リクルートとリクルートコスモス(現[[コスモスイニシア]])はこの事件でイメージが悪化し、[[バブル崩壊]]が追い討ちをかけ経営危機に陥った。1992年に江副浩正はリクルート株を[[ダイエー]](現・[[イオン (企業)|イオン]])に譲渡してリクルートの経営から身を引いた<ref>[http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20130209-OYT1T00262.htm?from=blist 起業家草分け・疑獄の中心、栄光と挫折の江副氏] 讀賣新聞 2013年2月9日閲覧{{リンク切れ|date=2017年10月}}</ref>。
 
 
 
== その他 ==
 
本事件の贈賄の発端となったリクルートかわさきテクノピアビルは売却され、[[川崎テックセンター]]と改名した。その後も複数の外資系投資ファンドを転々とすることになった。
 
 
 
[[1988年]](昭和63年)[[8月10日]]午後7時20分頃に、江副浩正リクルート元会長宅に向けて散弾銃一発が発砲された。赤報隊が「赤い朝日に何度も広告をだして 金をわたした」と犯行声明を出した([[赤報隊事件]])。ただしリクルート社は他紙に比べ、朝日新聞に多く広告を出していたわけではない。
 
 
 
[[みんなの党]]代表を務めていた[[渡辺喜美]]は、父親の秘書時代に未公開株の名義人として5000株を受け取っている<ref>[http://s04.megalodon.jp/2007-1027-1307-50/www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2006-12-29/2006122915_01_0.html (魚拓)2006年12月29日(金)「しんぶん赤旗」 渡辺行革相政治資金 一晩で5千500万円稼ぐ 先物業界団体から献金]</ref>。父の美智雄は「アタシの知らないうちにウチのせがれが5000株もらったばっかりにこっちは総理大臣がパーになっちゃったよ」と自嘲気味に語っている。
 
 
 
== 脚注 ==
 
{{Reflist}}
 
 
 
== 参考文献 ==
 
{{No footnotes|date=2017年4月|section=1}}
 
*江副浩正『リクルート事件・江副浩正の真実』(中央公論新社)
 
*[[田原総一朗]]『正義の罠 リクルート事件と自民党 二十年目の真実』(小学館)
 
*朝日新聞社会部『ドキュメント リクルート報道』(朝日新聞社)
 
 
 
== 外部リンク ==
 
* [http://lp.jiyu.net/giinfuseidata03.htm 元現職代議士に関する不正報道リスト]
 
* [http://www.sinkan.jp/special/recruit/invest.html 司法問題の穴 取調べの「真実」]
 
* [http://cgi2.nhk.or.jp/archives/tv60bin/detail/index.cgi?das_id=D0009030218_00000 リクルート事件 政財界に波及 - NHKニュース(動画・静止画) NHKアーカイブス]
 
  
 
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リクルート事件(リクルートじけん)

1980年代,情報サービス会社リクルート(リクルートホールディングス)が政界,官界,財界の要人に,子会社のリクルートコスモスの未公開株を譲渡,贈賄罪に問われた事件。1985年から 1986年にかけて,自由民主党の有力者や野党国会議員のほか,労働省や文部省の高官,財界の大物などに対し,本人あるいは秘書名義などでリクルートコスモスの未公開株を譲渡し,店頭公開後に大きな売却益を上げさせた。1988年夏,神奈川県川崎市の助役がリクルートコスモス株の譲渡を受けていたと報道されたことを発端に,事件が中央政界に波及した。その過程でリクルートが政治家に多額の献金を行なっていたことや,政治家主催パーティ券を大量に購入していたことが判明,国民の政治不信が一気に高まった。その責任をとり 1989年6月に竹下登首相が辞職した。リクルート会長の江副浩正をはじめ贈賄側 4人,収賄側 8人の計 12人が起訴され,全員に有罪判決がくだされた。



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